「ねえ。どうしてわざわざ、屋上に上って、望遠鏡で人探しなんて面倒な真似しないといけないのさ?」
「それは、おまえがまだ立派な天使じゃないからじゃな」
休日の展望台。灰色の雲が覆い隠して流れていく空の下で、ボクはぶすっとしたまま、子供用の踏み台に立って、望遠鏡の上に肘をつく。
足元を大股で歩き回ってたかと思うと、座り込んで顔を洗いながらそう答えたのは、ボクの使い魔・ベンガル猫のベル。大きなヒョウ柄の猫だ。
けど、喋っているのはベルじゃない。首輪についていた銀の鈴が、太陽もないのにぴかっと光ったかと思うと、目の前に真っ白な毛がボリューミーな、仙人じみた服の人が現れた。
「不精するでないぞ。儂はしっかと見守っておるからな」
「えらそうに指図しないで」
「そう言われても、神じゃからのぅ。ボウズよりはずいぶんえらいんじゃが」
ただ「神」としか名乗らない、ふさふさの耳と獣の尻尾が立派なこの人は、神様らしい。
そう、神様。ボクをこの世界に転生させた、あの神様だ。と言っても、見た目はただのトンチキな格好した獣耳人間だし、何かとボクに絡んで鬱陶しいしで、全然神様らしさはない。
首輪の鈴から出て来た神様は、ベルの顎を撫でながら、目を細めた。
「透明魔法は、上手く効いておるようじゃの」
「少しの間だけね。立ち入り禁止の場所に入らなきゃいけない時にしか使ってない。ベルより大きいものには掛けられないし」
「修行じゃ。少しずつ、色々なことが出来るようになる」
公共の展望台なんて、もちろんペット禁止だけど、透明魔法が効いている間、ベルの姿は他の人には見えない。鈴に魔力を溜めて、首輪のスイッチをオンオフすると、透明効果を切り替えられる。そうすれば、人込みの中にいても離れずぴったりボクに付いて来るベルを、どこにでも連れて来られる、というわけ。
ベルの鈴は、魔具兼通信装置になっていて、たまにこのおせっかいな神様も、勝手に地上に降りて来るけど。
前を向いて下界のビルを見下ろすと、ぱたぱたと、風が膨らんだ襟元とタイを揺らした。
「それより、『ちょっとだけ遠くが見える魔法』の効果はもう少しじゃぞ。お喋りしてる暇はあるのか?」
「はいはい、わかってるよ。ったく、そこまで口出しに来るなら、あんたが魔法を掛けてくれればいいだろ。なんで、わざわざ魔法の下手なボクが」
「阿呆。おまえ自身が、天使としての器を磨かないと意味ないじゃろうが。いつかはその足で、運命の相手の元に歩いていかにゃならんのじゃぞ」
「その
今だって「ちょっとだけ遠くが見える魔法」を使って、隣の県まで見渡して探したり、窓の中にいるおばあさんの皺が見えるほど拡大したり、虱潰しに探偵みたいな実地調査の真っ最中だ。
だって、天使って普通は羽根が生えてるもんだろ? 魔法を使って、空をひゅーんと飛んで見渡せたらいいのに。そう都合のいいことは起こらないらしい。
ボクが羨んで止まない純白の翼を、ばさりと後ろで広げて羽づくろいをしていた神様が呟いた。どうでもいいけど、なんで羽根が生えてるのに、この人獣耳なんだろう。
「飛行魔法は、高度な魔法じゃからのぉ。おまえみたいなひよっ子天使が使えるのは、まだまだ先じゃな。それに人間界じゃ、魔法と同じくらい、魔法を目立たせなくする魔法も要になる。現実は甘くないのぉ。ま、地道に善行積むことじゃな」
「それって、家に帰ってベルにサバ缶開けてやる、みたいなことでもいいの?」
「結構じゃが、自分の使い魔相手に善行積んだところで、たいしたポイントにはならんぞ」
「チッ」
すげない答えに舌打ちすると、魔法が切れると同時にコインを入れた分の制限時間が過ぎて、カシャンと目の前に望遠鏡のシャッターが下りた。僕は溜め息を吐く。
今日のお小遣いで使える分は、ここまで。帰りのバス代も残しておかなきゃいけないからね。子供用の踏み台の上から、コンクリートの地面に飛び降りる。こんなの、大人だったら必要ないのに。
夕方のチャイムが響いて、赤くなり始めた空には烏が鳴いていた。
「さて、いい子はもう帰るのじゃ。小学生が遅くまで外でふらふらしてると、心配されるぞ」
「ボ・ク・は、小学生じゃない。……少なくとも中身は」
「立派じゃのう、一丁前にランドセル担いだ身で」
「うるっさいなぁ……だいたい本当に不便なんだけど、この体! 大人だと手が届くところになかなか届かないし、門限だってあるし。ママはいつも夜遅いからそこは最悪誤魔化せるにしても、この見た目じゃ夜の街に出るのは危険がデカすぎる」
ボクの焦りも知らず、呑気にあくびをした神様は、雲みたいにぼわぼわした体を解いて鈴の中に戻りながら言った。
「まあ、夜羽すぐ誘拐されそうじゃからのぅ。一人での夜の捜索は、護身用の魔法を習得してからでよかろ」
「見た目で悩まされるのなんて、前世で十分なのに」
夕陽と一緒に屋上の窓ガラスに反射した顔は、ひとりぶん。ボクはおもわず覗き込んで呟いた。
前の世界のボクって、そこそこは見目麗しいカッコをしてたと思う。
転生しても、そこは引き継がれたみたいだけど……こっちの世界でまでこんな、男に見えるか女に見えるか分からないような見た目じゃなくても、よかったのにな。おまけに色黒。いい意味でも悪い意味でも、肌の色が濃いのって日本じゃ結構目立つ。
「……帰ろうか、ベル」
「にゃーん」
「とか言って、おまえ結構その格好も楽しんでるにゃん?」
「おい……ベルのフリして喋るのやめろよ。ややこしいだろ」
「折角猫にくっついてるんだし、猫らしくしないとにゃーん」
「あんたと喋ってると、独り言がデカい人みたいに思われて恥ずかしいんだよ! さっさと天界帰れ!」
姿の見えない神様と押し問答しながら駆け下りるボクの傍を、ベルは何なくすらりとついて来る。
屋上から降りる階段に、ローファーの足音がカンカンと響く。神様にからかわれたボクの制服は、セーラー襟にズボン。エレベーターを使って展望塔を降り、バス停まで歩いたら、秋風が靴下の裾から入り込んで、寒々と足首を通り抜けていく。
「……今日も収穫なし、か」
細い月が、ネックレスの飾りみたいに、青くなり始めた空に浮かび上がっていた。さっき屋上にいた時はまだ空が赤かったはずなのに、日が暮れるのってこんなに早かったっけ。
すれ違った女子高生の群れが、ニーハイソックスにミニスカートだったのをちらりと見て、ランドセル越しに思わず目で追ってしまった。
「……あの、おねえさん」
「? どうしたの、ボウヤ?」
「うわ、この子猫連れてる。かわいー」
とっさに声を掛けてしまった女子高生たちの、目線が高い。袖を掴んでしまったボクを興味深げに覗き込む顔から思わず目を逸らし、彼女の肩掛け鞄を指さした。
「えと……スカートの端が、折れて鞄に挟まっちゃってる」
「ありゃ。ほんとだ、キーホルダーに糸の端が引っ掛かっちゃってたみたい! ありがと」
「うわ、マジじゃーん! あんたそそっかしいんだから、気を付けなよ~!」
きゃいきゃい騒ぐ女の子たちにそれ以上追求されないうちにと、ボクはベルと一緒に背を向けた。
……ふう。曲がり角で息を整えていたら、耳元で不意にチャリーンと音がした。
「今ので善行ポイントが1pt溜まったにゃ」
「そんなポイント制なのこれ???」
「はっ、それともポイントチャージの音は『NYAON』とかにした方がよかったかにゃ?」
「いや、そういうことではなく」
これ以上一人で喋っている人間だと思われるのはイヤなので、ボクは首輪から聞こえる声を無視して、澄まし顔のベルとさっさと歩き出した。バスに乗る前に、もう一回首輪に魔法を掛け直さなきゃ。
それにしても、あの子達が穿いてたスカート、可愛かったな。
ボクも履いてみたいけど、さすがにあの人に笑われちゃうかな。
それとも、前と同じように、ボクでも似合うよって、言ってくれるだろうか。