2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

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Day21.缶詰 「缶詰の開け方」

「どこかとおくにいきたい」

 

 ぽすっ、とボクの胸に顔を埋めたまま、ベッドでぐすぐすと泣きじゃくるサキのことを、ボクは慰めていた。

 原因は、旦那さんとの喧嘩。サキにしてはとても珍しい。まあ、結婚して二年、付き合っていた期間も含めればそれ以上長い間、何も起きなかった方が珍しいかもしれないけど、あからさまに不機嫌な顔で暴言を吐かれたことはなかったそうで、彼女はものすごく傷付いていた。

 

「ひどいよね。話してる間もゲーム画面見てばっかで人の表情なんかろくに見もしないくせに、こっちの冗談のニュアンスひとつ汲み取れないで勝手にキレるって、そんなのある?

お前が○ね。燃えろ。金吸い尽くすだけ吸い尽くして放り出してやる。今なら山であいつが熊に襲われて食われようと、出勤後に事故って死のうとマジで何の未練もないわ」

 

 ぼすっ、ぼすっと振り上げたサキの拳がシルクの枕に突き刺さっている。

 時間が経って落ち着いたら言い分は変わるかもしれないけど、そのくらい怒っているのだろう。その感情は痛いぐらい傍にいて分かったから、ボクは何も言わなかった。

 ただ隣に寝転んだままで、サキの体を布団の中からぎゅっと抱き締め、回した手でそっと背中をさする。

 ちょっと前までは、同じ布団に潜るのも恥ずかしかったけど、もう契約のキスまで交わしてしまったことだし、何より、傷付いたサキを目の前にして、そんな事言ってられなかった。

 

「悔しかったね。我慢しないで。ボクは傍にいるから大丈夫だよ」

「うう、ありがとう、夜羽くん……。でも、今回の件でよ~~っくわかった……やっぱり、いつでも離婚できるように金額目標立ててお金貯めとこう……

今は倒れるから無理だけど……安定して働けそうになったら、やれるバイトはして……やっぱり、上手くやれないって思った時に逃げ出せるだけの経済力があるのとないのじゃ、精神面の余裕に雲泥の差があるよ。

最悪結納金持ち逃げするけど、あれを返しても十分なくらい貯金あった方が格好いいし」

 

 たった一つの言葉がここまで恨みを買っているなんて、旦那さんは思いもしてないんだろう。

 ただ、酷い言葉って言えばサキも同じで、普段、凶器にもなり得る言葉をどれほど慎重に扱っているサキでも、旦那さんの前では口が緩んでしまう事はあるのを、ボクは知っている。親しい人間同士の間では、どうしてもそういうところってあるよね。

 サキがそれほど鋭利な言葉を相手に吐けるのは、「何をしても許してもらえる」と思えるぐらいに、旦那さんに信頼と安心を抱いているからだと、ボクは思ってた。

 だから、その根幹の部分が揺らいで、心を閉ざしてしまったサキの今の姿が、とても痛々しかった。

 

「……無理に、相手を赦そうとか、もう一度好きになろうなんて思わなくていいよ。逃げ出す時も、留まるんだとしても、ボクはずっと、サキの隣にいるから」

「ありがと。大人にならなくちゃね。……夜羽くんが元気でいられるかどうかは、主でもある私に掛かってる。こんなことで揺らいでたら、いつか本当に酷い喧嘩をして傷付いた時に、夜羽くんとすら言葉を交わせなくなっちゃうかもしれない。

……だから、私も強くなりたい。この家以外に、居場所と依存先を作りたい。

君を、守れるように」

 

 離すまいとするように、サキがボクの体を抱き返す。

 こつりと額を合わせた、その先にある目が、疲れ切って細められていた。

 ボクはそっと、指先でサキの目の下の隈をなぞった。最近ホルモンバランスの乱れでよく眠れないって言ってたのに、喧嘩してしまったせいで、昨日も朝の四時くらいまで眠れなかったって。可哀そうに。

 今朝はなんとか、表面上は平穏を取り戻したみたいだけど、旦那さんを見送ってなお絶望に駆られているサキを、ボクはこうして彼女の部屋で慰めている。

 楽しい日もあるけど、辛い日もある。

 その全部に、ボクがいっしょに寄り添うこと。それが、守護天使の役目だからね。

 

「そうだ。サキ、いっそ本当に遠くに行っちゃおうか」

「……?」

 

 不思議そうに顔を上げたサキの両ほっぺたを、ボクは挟んで微笑んだ。

 

「ボクの力じゃ、サキを連れて飛ぶことはまだ無理かもしれないけど……

ここじゃなくて、閉じられた異空間に引き篭もれる道具なら、あるんだよ」

「何その、オタクと執筆者にとって夢のような道具」

 

 昨日の晩からずっと、胸を押さえて苦しそうに落ち込み続けていたサキが、初めて何かに食いついてくれたから、ボクはそれだけでもすごく嬉しくなって、笑顔が出てしまった。

 何も解決はしないかもしれないけど、少しでも気が逸れるならそれでいい。サキの中から、苦しいことを少しでも消し去ってあげたい。

 

「まあ、伽々未の威光を借りることになるのは、ちょっと癪だけどね?」

 

 虎の威を借る狐じゃなくて、これじゃ狐の威を借る天使だ。

 ボクは、自分のマントの内側から、スーパーで売っているみかん缶ぐらいの大きさの缶詰を取り出した。

 ラベルやシールなんかは特についていない、何の変哲もない缶詰を、サキはしげしげと眺める。

 

「何かの食べ物かな?」

「これもね、前に話したカボチャの馬車みたいな、インスタントの魔法道具みたいなんだけど。まあ、見てて」

 

 プルタブはついていないので、缶切りを握ったボクを、サキははらはらしながら見つめてきた。

 

「だ、大丈夫? 手怪我しない?」

「大丈夫だよ、これでもボクは料理慣れてるんだから」

「そ、そうだけど、慣れない刃物持たれるとなんか心配で……! あっあっ、せめて畳の上にしなよぉ!」

 

 別に中身は食べ物じゃないから零れる心配はないんだけど、ボクは一応布団から下ろして、畳の上に置いた缶詰を開け始める。

 背中から見守るサキの視線を感じながら、キコキコ缶切りを動かして一周すると、……ギザギザになった蓋を持ち上げた下は、何も入っていない空だった。

 

「……ん??? 空っぽ?」

「目に見えるものとしてはね。この中には、魔法が入ってるらしくて……」

 

 そうサキと話していたボクは、ふとお尻の下の変化に驚いた。

 

「……ん?」

「え? あっ、わっ、いつの間に!?!?」

 

 さっきまでいたはずの、サキの長年使ってすり減っていた布団とマットレスが、極上のホテルみたいなふかふか真っ白のものに変わっていた。

 ぽかん、とそこに腰を下ろしたボクらが辺りを見回した時には、部屋の様相までが、原型を留めないレベルですっかり変化していた。

 窓の向こうでは、天空からの滝のように水が流れ落ちている。下は海らしい。潮風が木の簾越しに舞い込んできて、心地よい日差しが明るく入って来るお陰で、個室なのに全然暗く感じない。

 落ち着いた丸太組を基調にした綺麗な部屋には、テレビやポット、それに果物を山盛りにした籠や、お菓子まで置いてある。冷蔵庫にはきっちりジュースが用意され、大きな浴槽のバスルームやタオル類まで完備だった。

 

「えっ、えっ何これ、どうなってるの!? この間みたいに、イリュージョンじゃないよね……!?」

「うん。これは『空缶(くうかん)』って言って、自分が今一番必要としている場所やものを、再現できる商品なんだって。だから、この缶詰が拡張した空間内のものは全部実在だし、使えるはずだよ」

「な、なんか似たようなものを、ホから始まる別の魔法学校で私は見たような気がするけど……えっ、じゃあ、どんなものでも出せちゃうの?」

「あんまり大きなものでなければね。どのくらいの広さやクオリティの高さになるかは、缶のレアリティによるんだ。

ワンルームみたいな、小さい部屋ひとつと付属品、ぐらいだったら銅の缶詰。複数の部屋とか一件屋とか、そこそこ大きな設備品なら銀の缶詰。体育館やステージぐらい広い場所だと金の缶詰があれば出せるらしいんだけど、それは本当に珍しいからあんまり流通しないって、神様が言ってた」

「ほえ~~~~……」

 

 ふとそっちを見たら、サキふかふかのベッドでお尻をぽいんぽいんさせて跳ねながら感心したように話を聞いていて、ボクは思わず噴き出しそうなのを堪えるために、必死でそっぽを向いた。

 可愛いし、面白いし。そもそも、格好はあの部屋の時のままだから、寝間着替わりにしている全身ジャージが、高級リゾートホテルっぽいこの部屋にミスマッチすぎて、なんかすごく……腹筋が痛い。いや、でも、修学旅行みたいだって思ったら、逆にこれはアリだな。

 頑張って笑いを噛み殺していたけど、話を聞きながらも部屋を探索していたサキは、可愛いネグリジェを見つけてしまってそれに着替えてきた。

 南国風の薄いドレス姿で楽しそうにくるくる回るサキを眼福に思いながら、それは顔に出さずに説明を続けるボク。

 

「こっちの世界では、コロナが流行ってたでしょ? だから、潜伏してる魔法使いや天人たちの間で、銅の缶の需要が最近すごかったらしいよ。安全なところでカラオケできるように」

「ああ、なるほど、そういう使い方もできるのね……っていうか、天界の人にもコロナとか関係あるんだ!?」

「基本は魔力でガードしてるんだけど、未知のウイルスに耐性がないのはボクらも同じだからね。死ななかったとしても、罹ったらどういう影響あるかわからないし、一応念を入れてってことで。そもそも、必要なくても何の対策もしないで出歩いてたら、この世界じゃ肩身が狭いしね」

 

 ワクチンを打っているサキでさえ、外出中はマスクを外せないような世の中だ。上手く紛れ込むため、天の人間であっても下界で感染防止対策は必要だという方針に、今は落ち着いているらしい。って天界通信に書いてあった。

 まあ、ボクは人前に姿を見せてる間以外は、してないけど。だってボクの可愛い姿は、もっとサキに見てもらいたいし。

 そう思っていたら、やっとベッドで跳ねるのに満足したらしいサキが、ふと動きを止めて言った。

 

「さっき開けてくれた缶詰は、銀色だったよね……てことは、そこそこレアリティ高い奴だったんじゃないの!? いいの!? 私といる時にそんな大事なもの使っちゃって!」

「サキといる時に使わないと、意味ないじゃんか。サキを喜ばせたくてやったことなんだから、当たり前だろ」

 

 そう言うと、サキはぽわんとほっぺたを赤くして、たちまち何か甘いものを口に入れたみたいな表情になると、ベッドの反動を利用して、弾丸の勢いでボクの方へ飛んできた。はためく長めのネグリジェの裾が、人魚みたいだ。

 

「うれしい。ありがとう」

「く、くるしいってば」

 

 むぎゅ、と抱き着かれて、目を白黒させてしまう。フリルの感触が、ふわふわして優しい。

 こういう不意打ちは、今になっても結構ドキドキしてしまう。唇へのキスまでしておいて、おかしな話かもしれないけど。

 

「じゃあ、ここは私の望みを反映した世界なんだね?」

「そ。大方、旦那さんも誰もいない、どこにも繋がってない世界でゆっくりしたい、ってとこだったんじゃない?」

「この間みたいに、ヨルくんが魔法の使い過ぎで倒れるってこともないんだね?」

「うん。缶詰の魔力を使ってるからね」

「やったぁ! じゃあ今度こそ、好きなだけ夜羽くんといちゃいちゃデートだー♪」

 

 ボクの手を取って、振り回しそうな勢いでぶんっと回ったサキは、そのまんまベッドに倒れ込んだ。結構勢いよく二人で突っ込んだけど、ぼふっと音を立てたふわふわの羽毛布団が衝撃を吸収して全然痛くない。

 

「もう、浮かれすぎだってば……さっきまであんなに暗い顔してたのに、あんたってほんと単純な奴」

「あはは、ごめんごめん。でも、この間みたいにヨルくんに迷惑掛けないで、気兼ねなくゆっくりできるんだ~って思ったら嬉しくてさぁ。

こうしてぎゅ~ってしてるだけで、何もしてなくても幸せなんだもん。

ホテルの部屋になるなんて、実に私らしいよね。こんな気持ちいい場所で、大好きな子とゆっくりできるなんて夢みたい」

 

 頬をすりすりしたサキにしれっと「大好き」って言われて、顔がぼっと熱くなった。

 サキも恥ずかしそうにしてるけど、横になったままボクをじっと見つめてくれる。

 守護天使の契約をする前も、目が合って見つめてくれることは何度もあったけど、今はその時より、もっと遠慮ない視線が注がれている気がした。

 だって、あの時のサキには、子供のボクをこれ以上の気持ちで愛しちゃいけない、っていうブレーキみたいなものがあったから。

 通じ合った今は、視線に込められる想いも、その熱量も、なんだかずっと熱い。溶けちゃいそうだ。

 

「サキ、あの……」

 

 あの日から、どっちも妙に遠慮しちゃったり、タイミングがなかったりして、二度目のキスをしていない。

 そっと視線が結ばれて、どちらからともなく唇が近付いた時、それを邪魔するかのようなタイミングで、ボクのスマホの着信音が流れた。

 

「……っとにッ、何だよもうッッッ!」

 

 半ば本気で苛ついて舌打ちまでしてしまったけど、サキは可笑しそうにくすくす笑っている。伽々未じゃなかったら今度は誰だ。天使にあるまじき殺意に満ちた気持ちでスマホを取り上げると、発信源は愛理だった。

 

「もしもし!?」

「あ、夜羽? 今忙しい?」

「忙しくはないけど、すっっっっっっっごいイイ所であんたのスーパーのん気な声に邪魔されてブチ切れそう」

「もうブチ切れてるだろ。悪いって。でもそこで出てくれるあたり夜羽ってやっぱりいい子だと思うんだよな」

「もう切っていい? いいよね? あと5秒以内に用件言わなかったらこっちから切って着拒する」

「あ゛~~~~っ待って! 僕もそれなりに今ちょっと困ってるから!!!」

 

 困ってる、なんて言うから、ボクは通話終了ボタンに置いた指をしぶしぶ離して、サキの横へ戻ってベッドに腰掛けると、スピーカーホンのボタンを押した。

 

「あの、夜羽がこの間くれた、缶詰あっただろ?」

「ああ……空缶のこと? 今ボクまさに使ってる最中だけど。あれがどうかしたの? まさか開けたとかじゃないよな」

「……そのまさかなんだけど」

「はああああああ!? ボクがいない所で開けるなって言ったじゃん! あんたバカなの!?!?」

 

 喧々諤々の体で怒鳴るボクの横から、まあまあと宥めるムラサキは、会話には口を挟まずに、隣に肩を寄せてそっとやり取りを聞いていた。

 

「いやあ、今日夜羽学校休みって言ってたし、家近いんだから最悪何かあっても呼べば何とかしてくれるかな、って思ってて……。

それにこれ、本人の望みを具現化する缶詰なんだろ。僕、丁度まとまった時間が取れたから、今執筆してる原稿を進めたくてさ。たまには静かな環境で優雅にやるのもいいかなって思って、ホテルの小部屋くらい出て来ないかなーって思いながら開けたんだよ」

「……それで?」

「さすが、魔法が入ってるからなのか、ただの人間の僕が開けても効果抜群だったみたい。めちゃくちゃ居心地良さそうなホテルが出て来て、美味しいコーヒーは置いてあるし、ルームサービスも頼み放題だし、文字通り缶詰になるには最強の環境なんだよねここ」

「それで何が困ってるわけ?」

 

 別に、状況だけ聞くとのほほんとしてて何も困ってなさそうに思えるんだけど。

 そう思っていたら、電話口を押さえて誰かと話すような気配がしてから、再び愛理が戻って来た。

 

「これさ、僕んちで開けたってことは、一応空間の外側は、僕の部屋な訳だろ?」

「え? まあ、そうだろうね。開けたら元の部屋に戻るとは思うけど」

「それが、開かないんだよこの部屋のドア。でもどうも、外から聞こえる声を聞くだに、丁度うちの玄関に今友達が尋ねて来てて、僕がいるはずなのに出ないもんだから、なんか心配してるみたいでさ」

 

 だから出てあげたいんだけど、と愛理が言う。

 

「はあ……なるほどね。ボクがいたら出してくれるだろうって、そういうこと?」

「うん……悪いね、休みの日に」

「その休みの日だから、ボクはムラサキの家に遊びに来てたとこなんだけど? 絶っっ賛いちゃいちゃしてたとこなんだけど???」

 

 怒りのあまりそうぶちまけたボクの横で、ムラサキは無言のままわたわた手を振っている。

 

「……わお。それは本当に悪かった」

「はぁ、しょうがないなぁ。とりあえず、神様に連絡取ってみるから待っててよ。そこから外にいる友達に声は届きそう?」

「どうだろう……分かんないけど、とりあえずこっちもなんとかしてみる」

 

 一度通話を切って、首から掛けた鍵で伽々未に呼び掛けると、すぐに返答があった。

 

「なんじゃ。あの缶詰の解除方法か? 中から出て来た魔法が、望みを果たすための空間として缶詰化しとるのじゃから、外から魔法が使える者が、缶切りで切ればいいんじゃ。簡単な話じゃよ」

「ああ、なるほど。つまりボクが、愛理んちに行って開ければ……」

 

 まったく、それこそボクさえいれば解決する話だ。だからボクがいる時に魔法の道具は使えって言ったのに、面倒なことを……と言い掛けて。

 ボクは大事なことを忘れていたことに気付き、はたと口を噤んだ。

 

「……あのさ、伽々未。ボク、今実は空缶の中にいるんだけど」

「ばかもん!!!!! 人間相手に使わせる時に、魔力の持ち主が、開ける手段も持たずに一緒に中に入ってどうするんじゃ! 開けるもんが外におらんければ、永久に入ったままになるじゃろうが!!!」

 

 いきさつを話すと、久しぶりに伽々未の雷が落ちた。耳が壊れるかと思った。

 そりゃそうだよね。缶詰って、普通外から開けるものだ。缶切りは、どうやら空缶の外に置いてきちゃったみたいだし。

 

「ううん、どうしよう……」

 

 このままだと、愛理を助けに行くどころか、自分も永久に缶詰入りのままだ。なんだか大変なことになってきた、という表情でムラサキも息を飲んでいる。

 ボクが呻っていると、神様の微かな溜め息が聞こえた。

 

「……ひとつだけ、魔力を持つ持たんに関わらず、内側から空缶を解除できる方法はある」

「えっ、ほんとに! どんな!?」

 

 身を乗り出して握り締めた手の中で、ペンダントトップの鍵がぴかぴか光った。

 

「空缶は、その者の一番強い望みを叶えるために、作り上げられたものじゃろ。つまり、それを叶えればよいんじゃ。目的を達成すれば、おそらく空缶の封鎖は解除されるじゃろう」

 

 そうか。思ったより単純なことだった。

 つまり、愛理だったら、原稿を書きたくて空缶に願いを込めたわけだから、原稿を書き上げれば出られるように……って、これじゃガチのカンヅメじゃないか。

 とにかく、それで出てもらおう、と思ってもう一度電話をすると、スマホの向こうで愛理が首を傾げてるみたいな気配が伝わって来た。

 

「あれ? でも、原稿自体は進捗も順調で、もう目標まで完成したはずなんだけど……それじゃダメなのかな?」

「だとしたら、それは単なる不良品の可能性が高いのぅ……」

 

 神様の言葉に、がっくり首を垂れながらボクはスマホに返事をした。

 

「ごめん、それ不良品かもしれないって……だから、開かないんだったらやっぱりボクが外側から開けるしかないのかも……」

「了解。大丈夫だよ、声しか届かないけど友達にはなんとか説明したし、少なくともここにいる間は、安全快適に過ごしてるからさ。夜羽はこっちに気を遣わないで、ゆっくり戻って来てくれていいよ」

 

 愛理がそう言ってくれたので、ボクはまず、この部屋からの脱出方法を考えることにする。

 試しに部屋の玄関まで行ってみたけど、ドアノブは動かないし扉もびくともしない。

 

「窓も……開いてるけど、こっちからはこれ以上出られないみたいだね」

 

 ゼリーみたいな空間の壁を、サキはぶにぶに触っている。

 ボクが刃物みたいなものに魔力を込めて切れば……っていうのも考えたけど、あまり変な切り方をしたら、中にいるボクらにどんな影響があるかわからないし。

 あとは……そう、望みを叶えるんだっけ。

 

「っていうか、サキが一番望んでたことって、何?」

 

 開けたのはボクだけど、サキのために開けたんだから、願ったのはサキのはず。

 旦那さんと離れてゆっくりするっていう願いは叶ったと思うけど、時間経過が足りないんだろうか。

 そう思って問い掛けたけど、サキはんーと首を傾げた。

 

「私は、この缶詰の説明なんにも聞かずに来ちゃったから、特に何かをお願いしたって感じじゃないんだよねぇ……疲れててゆっくりしたい、とは確かに思ってたけど」

「だよね。だったら多分、サキも気付いてない深層心理にある願望が、反映されてる可能性高いけど……」

 

 セミダブルのベッド。風呂シャワー完備の快適なホテル。温暖な気候と、いつ着替えても楽そうなバスローブと部屋着。髪をいじいじして一生懸命知らないフリをしているサキとそれらを、ボクは見比べる。

 

「……」

「……あのさぁ、もしかして」

 

 挙動不審なサキの顔を見て、何となく察した。

 お風呂に入りたいんなら、お風呂場が出て来ると思う。でも、わざわざお風呂のついた部屋と、休憩にも睡眠にも困らなさそうな、設備やベッドが出て来るってことは。

 

「……サキの変態」

「ち、ちがうってば!!!」

「ふーん? ほんとに?」

 

 じりっ、とベッドのサイドボードまで追い詰めたら、サキの頬がますます染まった。丁度よく背後にクッションがあるそこへ、サキを押し倒す。

 広がった長い髪を下敷きに、素直に仰向けにひっくり返ったサキは、ボクに体の上に乗られながら、ぶわっと血が上った顔を腕とか服で一生懸命隠そうとしていた。

 

「い、いいいいくらなんでも発想飛躍しすぎでしょ!? 私、ヨルくん相手にそんなこと思ってないってばっ!」

「ほんとに? 100%言い切れる? こんなに抵抗してないのに?」

「っ……」

 

 目元がほんのり赤いのが、なんだか色っぽい。

 問い詰められて言葉に詰まるサキを押し倒したまま、そっと耳元に顔を近付けたら、震える吐息と上ずった声が返ってきた。

 

「……だ、だめだってば。大人の姿の時ならともかく、その見た目じゃ本当にダメな感じがするから……っ」

「あれは魔力消費激しいからダメ。子供の姿でも、知らないってことはないんだけど?」

「子供がそーゆーことやるのがダメなのっ!」

 

 サキがばたばたするけど、ボクが勢い余って転倒するのを恐れてか、本気の抵抗にはほど遠い。さっき手を持ってぶん回された時の方がよほど激しかったくらいだ。一応はいやがってみせている、というのが見え見えなことぐらい、目を覗けばわかる。

 

「じゃあ、サキの口から何をして欲しいのか言って」

「私、は……っ」

「サキの望みを叶えないと出られないんだよ? この部屋。ここを出て愛理を助けに行けないのは、あんただって困るでしょ」

「うぅ……そう、だけど……」

 

 キスか、はたまたそれ以上か。

 少なくとも最初のハグでは開かなかったんだから、それではなさそうな事は明らかだ。

 ぷいっと顔を逸らすサキを面白半分で覗き込みながら、ボクは胸の上にうつぶせで乗っかったままで、くすっと小さく笑みを零した。

 

「……まあ、ボクは一生ここに、サキと二人きりで閉じ込められたままでも、別に構わないんだけどね?」

「だだだダメだよ!? 雀愛ちゃんとかヒバリちゃんとか、お友達に会えなかったら困るじゃんっっっ!」

「それはそうだけど。でも、他の誰を失っても、ボクにはサキがいればいい。それぐらいの気持ち、ってこと」

 

 そう言って、ふわ、と髪の毛を撫でると、間近に顔を近付けられたサキは、ものすごくくすぐったそうな表情で、ちらちら視線を向けては逸らしを繰り返していた。サキの長い髪、本当に触り心地がいい。しっかりしてるけど、やわらかくて、艶々してて。こうやって傍にいて、触れて撫でているだけで、一日が過ぎていきそうだ。

 

「ず、ズルいよ、ヨルくんは……。守護天使になったら、なんか急に大胆になって」

「だって、もうサキに嫌われたり離れられたりするかもしれないって、怯えなくていいからね」

「なんかその言い方もずるいよおぉぉぉ! まるで私が……私が、今までそんな風に張り詰めてたヨルくんの気持ちに応えてあげないと、可哀想、……みたいな」

「うん。可哀想。だから、構ってよ。もっともっとサキに求めてもらわないと、ボクは安心できない」

 

 これ見よがしに、あっさり理由を与えてみると、サキの瞳が小さく見開かれた。

 その隙を突くみたいにして、ふわりと唇を触れ合わせる。――でも、きっとこれじゃない。多分、もっと。

 のしかかった途端、枕と毛布の衣擦れの音が大きくなる。首筋を犬歯でかりっと甘噛みすると、緊張で少し強張ったサキの肌が、うっすらと色づいた。

 

「ね。サキは可哀そうな可愛い子を、放っておいたりしないでしょ?」

「っでも! 私の触れ合いたい気持ちは、ただの私の我儘でっ、それがヨルくんのためにもなるなんて、さ、そんな都合のいいことは、思っちゃいけないはずでしょ……っ」

「……サキの我儘なら、いいよ」

 

 叶えられるのが、ボクの幸せで。ボクは本気で、そんな風に思っているから。

 あんたがこんな我儘言えるのも、それを叶えられるのも、ボクだけなんだから。

 胸の内から噴き出してくる大きな独占欲が、ボク自身にも驚きを与えていた。縋るようなサキの指先を、絡め取ってぎゅっと握った、その時だ。

 

 静かな部屋の中に響いた、かちりという音を、ボクとサキは確かに聞いた。

 小さい音だったけど、聞き間違いようもなく、ドアのシリンダーが回るような音。

 胸を上下させて息を吐く姿を、ボクはまじまじと見つめた。

 

「……」

「あ、開い……た?」

「みたいだけど……ねぇッ、今ので!?!? 今のでなのッ!?!? ボク何もそれらしい事してなかったと思うんだけど!」

「馬鹿言わないでよぉぉぉ! 耳元でずーっと息吹き込んで話すから、頭おかしくなっちゃうかと思った……っ」

 

 首筋のキスマークを押さえながら、くたりと身を起こしたサキが、震えながら涙目でボクを睨む。

 そんなに効いたのか。結局サキが何をしたかったのかはよく分からなかったけど、これで外には出られるらしい。

 ドアの前で開錠を確認するボクの背後で、ベッドにのびたサキが何かぶちぶちと言っていた。

 

「も、もう……何? これ……休暇かと思ったらとんだ罰ゲームに放り込まれた気分……」

「サキ、イヤだった……?」

「ヤじゃない。ヤじゃないけど、なんかこう、上手いこと夜羽くんにしてやられたというか、心の奥底まで覗かれて恥ずかしいというか、

……こうあくせくした感じじゃなくて、もっとゆっくりしてたかった」

 

 確かに。遅かれ早かれ、部屋が開かないことには気付いただろうけど、これじゃ愛理のために解錠を試みて開けたようなもんだしな。

 ていうか、あいつが電話掛けてきたせいだ。変なタイミングで勝手に空缶を開けて、勝手に閉じ込められた愛理が悪い。全部愛理が悪い。そういうことにしとこう。うん。

 

「ごめん。これ、一度出ちゃったらもう戻れないから、ボクは外に行くけど、サキは残ってゆっくりしてて。そこに部屋用のベルがあるでしょ。鳴らしたら、ボクのとこまで聞こえるはずだから。愛理んとこの缶を何とかしたら、すぐ戻って来る。それまで待ってて」

「……うん、わかった。折角使ったのに、満喫しないのは勿体ないもんね……」

 

 そうは言っても、しょげているらしいのが丸見えだった。

 折角サキのためを思って開けた缶詰だったのに、結局はサキどころか、ボクの仄暗い欲望を覗いただけだった気がして、ドアを睨みながらやるせない気分になってくる。

 まあ、外の炬燵でベルも待っていることだろうし、助けに行くと言った以上、いつまでもぐずぐずしてもいられない。思い切って一歩を踏み出そうとした時、後ろからふわっとネグリジェの袖で抱き締められた。

 

「ヨルくん」

 

 呼ばれた声に振り返って応えようとする間もなく、んむっと唇を塞がれて何も言えなくなる。

 瞳を閉じるのさえ忘れていたボクからさっと唇を離し、そろっと後ずさったサキが言った。

 

「これは、行ってらっしゃいのちゅーだからね」

 

 迎えに来てね、とはにかんだ笑顔が、どれだけボクを名残惜しくさせたかなんて、言うまでもない。

 なんとか自分を引き剥がしてその部屋を出たけど、願うことなら、外に戻ってから見つけたサキの入ったちっちゃな缶詰を、ずっとずっとボクの手元に置いておきたいぐらいだった。

 

 まあ、本当にはやらないけどさ。

 あの缶詰って、人の潜在意識まで開けたりしないよね、と名古屋に戻る途中神様に尋ねても、伽々未は惚気でお腹いっぱいじゃとか言って何も答えてはくれなかった。

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