2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

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Day24.月虹 「怪盗たちの虹泥棒 第二楽章 魔界への誘い」

 辿り着いた先は、あの明るいリビングが恋しくなるほどに、真っ暗な場所だった。

 街中で見るような、灯りや車の音なんてひとつもない静けさ。都会で味わうことのできない、真の闇がそこにあった。

 しんと静まり返った真っ暗闇の中、ボク達の震えるような吐息だけが響いている。輪郭が見えないほど暗い夜の中でも、繋ぎ合った手の温もりだけが、ボクらがそこにいると証明してくれていた。足元に巻き付いてくる、ベルの尻尾の感触が心強い。隣で、ヒバリが身じろぐ気配がする。

 

「ど、どうしよう、灯り、つけなきゃ」

「さ、さすがのスズもびびったぁ。ちょっと待っててね」

 

 そう言って、杖をひゅっと振り上げる音がしたかと思うと、やがてぼんやりと、光の束が一か所に向かって集まり始めた。

 ボクらを照らす光のやって来る先を目で追うと、分厚い雲の隙間からではあるけど、満点の星空が視界に映る。人工の灯りがない分、眩しいほど輝く星明りに、ボクとヒバリは思わず感嘆の声を上げた。

 

「すごい……綺麗」

「寒いけど、絶景だね」

「愛理達のいる、ヨセミテの公園の中だよねっ、ここ。ふふ、懐かしいなぁ。スズ、愛理の中にいる時に一緒に見てたからさ。

多分今が、愛理とあやめさんが虹を見に行く、前日の夜だよねっ。今のうちに、虹を見つけなきゃっ」

 

 そうだった。星も綺麗だけど、見惚れてる場合じゃない。

 慌てて問題文を照らし、三人で身を寄せ合いながら、まずは灯りのありそうな遊歩道の方角を目指した。スズが杖を持ち、ボクはコンパスに魔法を掛けて、皆を先導する。ヒバリは地図と課題文を持つ係だ。

 

「夜であっても、月明かりがあって、細かい霧みたいなものが発生する滝の近くなら、運よく虹が見られることはあるはず……とりあえず、ここから一番近そうな滝に行ってみようか?」

「うん、そだね。ほら、前にヨルくんがやった、秋灯を小瓶に集める魔法があったでしょ? あれを使えば、上手く虹の光を集めて、昼間に出すことができるんじゃないかなぁ」

 

 たしかに。それの応用と思えば、難しくないかもしれない。

 そう思って、ボクらが勢い勇んで歩いていた時だった。

 

「ま、まって」

 

 ヒバリがボクと雀愛のフードを掴んだので、ボクたちはつんのめりそうになった。

 

「だ、誰かいる。ほら、あそこ」

 

 震え声のヒバリが、ボク達に告げる。

 身を隠す必要があるのかどうかわからないけど、確かにボクら、この時空には存在しないはずのものだし、余計な関わりはしない方がいいのかもしれない。

 それにしても、真冬の山だからか、本当に寒いな、ここ。さっきから雪はちらついてるし、地面はぱきぱきに凍っているし、靴に魔法を掛けないと雪がすごくてまともに歩けなさそう。誰だろう、こんな日に。

 三人で近くの生垣に隠れると、滝の近くでそれを見上げている、見覚えのある人の姿があった。ボクは寒さに震えながらも、驚きに声を上げる。

 

「あ、あれ、愛理じゃない?」

「うっそ! スズが寝てる隙にこんなとこまでのこのこ歩いて来てたの!? 今夜中だよ!? あやめさんに『一人で出歩くなんて危ない』とか言ったくせにっ、自分がちょー危ないことしてんじゃんっ! 早く止めなきゃ!」

「す、雀愛、おちついて。今私達が出て行っても、何も説明できないよ」

 

 そりゃそうだ。

 雀愛いわく、この時期の愛理はまだ自分の中の「スズ」に対する自覚がないみたいだし、二重人格ってだけでも信じがたいのに、それが表に出歩いて魔法使いになってるとか、もう信じてもらうとかいうレベルにない気がする。頭がおかしいと思われて逃げられるのがオチだ。

 そう言って雀愛を止めるボクとヒバリの前で、愛理はどこか寂しそうな表情のまま、傘もささずにレインコート姿で、どうどうと音を立てて落ちる滝を見上げていた。

 

「やっぱり、無理、かな……」

 

 魔法を使って音を拾うと、きらきらと降る雪の音に混じって、そんな声が聞こえてくる。囁くような独り言。

 

「滅多に見れないって聞いたけど、さすがにこの天気じゃさ。せめて夜だけでも……見れたらって思ったけど。

さすがにそんな、奇跡みたいに都合のいいことは起きないか。君といる間に、虹が出たらいいなんて、ちょっとだけ期待しちゃったんだけどね。

僕も大概、ロマンチストが過ぎるな」

 

 真っ白な吐息が、宙に浮かぶ。

 しばらく深夜の滝を鑑賞していた愛理は、踵を返して橋を引き返していった。

 

「……なんだ。最初から見たいって、思ってたんじゃないか」

「まったく、最初からあやめさんにそう言って狙えばいいのに。面倒くさい奴ぅ」

「で、でもこのままじゃ、昼間の虹どころか、夜の虹も捕まえられないんじゃないかな。お天気、怪しくなってきたし……」

 

 ヒバリが、ボクのマントの袖を引っ張る。その内側に彼女の体を入れてあげながら、ボクは空を仰いだ。

 そう、さっきから、雪ががんがん降ってふぶきそうになっている。

 これじゃ、月なんて顔を出しっこない。

 

「山の天気は急に変わるっていうけど……これじゃ、晴れるまで待ってなんてらんないね」

「でもヨルくん、お天気を操作する魔法って、多分難しいよ。やれる?」

「せめて、このあたりだけでも、晴らせたらいいんだけど……」

 

 要は、わずかな時間でも虹を出して、その光を集められたらいい。

 ボクは考え、唇を開いた。

 

「ヒバリ。近くのゴミ箱から、何か空き瓶を取って来られる? できれば透明なやつの方がいいんだけど」

「わ、わかった」

「ビレッジまで戻ると時間掛かるでしょ? 寒いし、スズが連れてったげる! ヨルくん、あとは頼んだからねー! あっそうだ! これよかったら使って!」

 

 しれっと一番面倒な仕事をボクに押し付けて、乱暴に杖をぽーんと投げて寄越すと、雀愛は箒にヒバリを乗せたまま行ってしまった。

 まあ、あれでもボクよりは飛行魔法が上手いし、多分適任だろう。

 すうっと息を吐いて、ボクは雪のちらつく頭上を眺め、周囲を確認した。

 

(愛理は帰ったし、人の気配はなし……さて、と)

 

 さっき雀愛が集めた、星明りだけじゃきっと足りない。

 この滝に降り注ぐ、月の調べを。ボクに出来る魔法で、取り戻さなくては。

 

「ベル、ついて来てるか?」

「みゃう」

「今から、お前に雲の紐を結んで空に打ち上げるから。風船みたいに、ボクが端っこを握ってる。そしたら変身魔法を使って……あとは分かるね?」

「にゃーお」

「いい子だ」

 

 あとで、ご褒美をいっぱいあげなくちゃ。

 足元にすり寄ってきたベンガル猫をいっぱいくしゃくしゃに撫でると、ボクはあのウエディングベールを運んだ時と同じように、首輪に結んだ雲の紐をしっかり自分の手首に結んで、ベルに浮遊魔法を掛ける。

 ふわふわと空高くに浮かんだベルに向かって、ボクは雀愛の杖を掲げた。

 

「金色の毛皮を持つ猫よ、まんまるお月様に変われ!」

 

 すうっと、花火のような光が打ち上がる。ぱぁん、と火花が弾けて、そこにはベルよりもうんと大きな、太っちょの満月が浮かんでいた。

 

「や、やった……!」

 

 ベルの瞳の色がグリーンだから、ちょっと緑がかったお月様だけど。まあいいか。

 丁度その時、タイミングよく戻って来た雀愛たちの声が、頭上から掛かる。

 

「すごい! すごいよヨルくん! ヨルくんが打ち上げた花火、こっちからもはっきり見えたよ!」

「そんなことより、虹は!?」

「ばっちり! 小さいけど、ほら見て! 滝の根元に掛かってる!」

 

 夜でも分かるほど、眩く白い水が落ちる、その前方に。

 アーチ型の虹がさあっと姿を現わすのが見えた。

 

「ヒバリ! 回収を!」

「うん!」

 

 彼女が開いた空き瓶の方へ、すっと杖を動かすと、指揮に釣られるみたいにして七色の光が吸い込まれていく。

 全部移し終わったところで、ボクは寒さも忘れて走り出しながら、空から降って来たベルを腕の中に抱き締めた。べろべろ顔じゅうを舐められて、ちょっとくすぐったい。

 

「やった! やったよベル!」

「にゃうん」

「うふふ、お手柄じゃんヨルくん! ありがと! ヨルくんならやれるって思ってた!」

「二人とも、すごい……とっても綺麗だった」

 

 感動で、ヒバリが目を潤ませてる。こんな風に魔法を誉められるのって、恥ずかしいけど、悪い気分じゃないね。

 

「何言ってるの、ヒバリちゃんだってすごいじゃんっ。あんなに早く瓶見つけてくれると思わなかったよぉ。スズよりずっと目ざといんだからっ」

「そうだよ。ヒバリがいないと、集められなかった。あとはこれを……」

 

 そう言って、三人で覗き込んだものの。透明な瓶の中を見て、ちょっと不安になる。

 

「なんか、結構弱々しくない……?」

「い、今にも消えちゃいそう……」

「あれかなぁ……もしかして、太陽の下に出る虹に比べたら、月の光で作った虹は光が弱いのかも。ヒバリちゃん、課題文!」

 

 言われてヒバリが出した羊皮紙を、雀愛はボクから受け取った杖先で照らす。

 

「ほら、『不足を補い』って書いてある。てことはぁ、足りない光の色を、どこかで回収して来なきゃいけないんじゃないっ?」

「どこかって……滞在できる一時間まで、もうあんまり時間ないよ。それにこんな真っ暗じゃ、色を集めるにも黒っぽいのとかくすんだのばっかだし」

「うーん……近くで、何かいい色があるといいんだけどねぇ」

 

 首を捻るボク達の前で、ヒバリがふと、気が付いたように「あ」と声を上げた。

 

「どうした? ヒバリ」

「ヨルハの……ヨルハの目、青色だよ」

「えっ……そ、そうか。何も遠くまで行かなくても、手近なもので集めたらいいんだ。虹の七色を!」

 

 自分じゃあまり意識しないから、気付かなかった。やっぱり、ヒバリはすごくいいところに着眼してくれる。

 とりあえず、三人で一旦山を下りて、灯りの多い場所に出ることにした。その方が、色を見つけやすいから。

 雀愛と一緒に箒を二人乗りしたヒバリに、雲の紐を結んで体を引っ張ってもらいながら、マントを広げたボクとベルが隣を並走する。

 マントに風をいっぱい溜めて、黒々とした山を視界に捉えながら上空を滑ると、雲の上は意外と星明りで明るかった。

 ボクの目なんかでいい色になるんだろうか……と思ったけど、飛びながらヒバリに瓶の蓋を開けてもらったら、確かに中の青色がぼうっと強くなった。

 

「うん、青は大丈夫そう」

「あと六色か……雀愛! あんたの目の色も貸しなよ!」

「ええ~? スズ赤っていうか茶色っぽい感じだけど……なんとかなるかなぁ」

「光の下だと、結構赤みがかって見えるだろ。もうちょっと明るいとこ飛んで」

「あっ……ベル。ベルも緑色、だよね」

「にゃーん」

 

 ヒバリが傍に寄って来たベルを撫でる。波乗りするように雲を飛び越え、慌ただしく赤と青と緑を回収したその時。ボクは、ヒバリの額に光る黄色っぽい光に気が付いた。

 

「ヒバリ……? あんた、おでこのそれ」

「えっ。あっ、あれ。これ、元の世界でしか……ないはずなのに」

「わたし達と一緒にいるから、力の源的なものが見えるんじゃない? いーじゃん! ラッキーラッキー! もらっちゃお!」

 

 突如、ヒバリのおでこに宝石のように浮かび上がった紋様と光から、黄色を回収できた。

 

「さっきよりは強くなったみたいだけど、今一つ心もとないよなぁ……」

「ヨルくんの髪、紫っぽくない? とりあえず溜めとこうよ」

 

 もう、手あたり次第思いつくものは何でも入れていくことになったらしい。

 ふと思いついて、ボクは慌てて雀愛の方を見た。

 

「そうだ! ねえ、さっき瓶を拾ってきた時に、途中で愛理のこと抜かした!?」

「え? うん、歩いて帰ってる途中だったし、まだ下にいるんじゃない?」

「じゃあ、そっち向かって! あいつの目の色も確か青だ!」

 

 ボクよりも暗いから、青よりは藍っぽくなるかもしれないけど。

 透明魔法を掛けて下に下りたけど、高度を下げるに従って、やっぱり曇ってる下界は暗くなる。雪もひどくなってきた。

 

「こ、これじゃあ目の色なんてわかんないよ~……あっ! そうだヨルくん! さっきの花火のやつもっかいやってよ! そしたら愛理のこと照らせるでしょ!」

 

 花火じゃなくて、あれ変身魔法だったんだけど……。

 若干恨みがましい気持ちになりながらも、ボクは雀愛からもう一度杖を借り、三人で風に乗ってギリギリ木の近くに高度を下げながら、ぱぁんと光を打ち上げた。

 テントに戻ろうと、扉を開きかけた愛理の目が、上を見上げたまま点になる。

 

「何あれ……火の玉……? 幽霊……?」

「よし、今だ!」

 

 鮮やかに輝いた瞳から、すぅっと藍色が瓶に吸い込まれてきた。

 

「やったぁ! 大成功! ねえ、このあたり明るいよ! ついでにテントの緑ももらっちゃおう!」

「ほんとだ、この辺のテントはみんな緑色なんだ」

 

 カラーが統一されていて、集めやすいのは助かる。

 瓶を開けたまま、どたどた走り回っていたボク達は、夢中で気が付かなかった。

 

「……ブフッ」

「……? 今のベルの鼻息?」

「それにしては、ちょっと大きくなぁい?」

 

 そう思って振り返ると。腰を抜かし掛けたヒバリの前で、ベルが庇うように飛び出しながら、しゃーっと闇に向かって呻っている。

 のっしのっしと、街灯の下から出て来たのは……熊。巨大な熊だ。ボク達が子供だからか、想像以上にでかく見える。ふんふんっ、という鼻息を前に、脚が竦んで動けないボク達。目を白黒させながら、雀愛が呟く。

 

「……わ、忘れてた。たしかお風呂の帰りに熊に会ったって、愛理が」

「そういうことは早く言いなよッッッ! なんでここで箒降りたんだよッッッ!」

 

 ボクの出してしまった大声に反応したのか、熊ががうっと吠える。

 針金みたいに毛を逆立てたベルと、ぺたんと座り込んでしまったヒバリを大慌てで引き摺って、ボク達は命からがら、箒に飛び乗りながらキャンプ地を後にしたのだった。

 

***

 

 一方、こちらは現代世界に取り残された、紫咲と伽々未。

 夜羽たちが大変な目に遭っているとも知らず、皆を案じつつも、炬燵の中でのんびりとお茶を堪能していた。

 お気に入りのカップから、こぼさないよう気を付けて紅茶を啜りつつ、紫咲がふと思いついたように口を開く。

 

「ねえ伽々未さん、ちょっと聞いてみたいことがあるんだけど」

「なんじゃ」

 

 紫咲の膝に乗って気持ちよさそうに撫でられていた、白狐姿の伽々未は、ひょこんと頭を上げた。

 

「夜羽くんや雀愛ちゃんたちみたいな天使がいるってことは、この世界には、悪魔もいるってこと?」

「うーむ……うむ。まあ、一応はな。そう呼ばれる者達は存在しておる」

 

 予想していなかった答えではないが、驚きに小さく目を見開く紫咲。

 

「天使の仕事は、善行を積むことだよね。ってことは、悪魔はそれと反対で、人間に悪いことをするのがお仕事なのかな。天使とか天界の人達とは、敵対しちゃってるの?」

「ううむ……見方によっては、そうも見えるかもしれぬがな。実際は一口に言えぬというのが、正直なところでの」

 

 首を傾げる紫咲に、伽々未は珍しく、天界の外の事情を改めて説明してくれそうな雰囲気だった。

 一度伸びをして丸くなると、伽々未はぱしぱしと琥珀色の目を瞬かせ、紫咲に問い掛ける。

 

「紫咲よ、痛みや苦痛というのは、ないに越した事はないと言われておるものじゃな」

「……え? まあ、そうだよね」

「では、いっそない方がよいと言われておる痛みが、それでも人間の体に生じるメリットとは何じゃ?」

「え? ええと……」

 

 伽々未を撫でる手が一瞬止まる。

 遠回しに何かを考えさせようとしている気配を察して、紫咲は戸惑ったが、すぐに自分が思い至る素直な答えを出した。

 

「……痛いのは、そこに異常があることを知らせるためだよね。

頭が痛いのは、風邪を引いたり、気圧の変化があったりして調子が悪いから。

胃が痛いのは、食べ過ぎたりストレスがあったりして、胃粘膜に異常が起きてるから。

怪我やおできが痛いのは、そこに傷があったり化膿したりしているから。

痛みや苦しみがないと、その場所に発生してる怪我や状態異常に、人は気付けない。そのまま放置して、適切な治療をせずに細菌感染や炎症が進めば、当然人間は死に至る。

痛みは、危険を知らせる危機感のバロメーターみたいなものじゃないかな。

痛覚のない腎臓や肝臓の病気の発見が遅れて、手遅れになりやすいのは、そういうことだったはずだよ」

「さすがじゃ。素晴らしい答えじゃな。やはり本職は詳しいの」

「私がじゃなくて、実家がだけどね……」

 

 医者などではないが、己の体の弱さもあって、人体の仕組みと薬の効能には人並み以上に詳しい紫咲が、照れた笑みを浮かべる。

 そんな紫咲に、伽々未は目を細めながら言った。

 

「では、その痛みに該当するものが、悪魔の仕事だと言ったらどうじゃ」

「えっ。……つまり、人間に状態異常を知らせてくれてるってこと?」

「精神的なもの、体調的なもの、一つに絞れぬがの。

魔界は部門分けが天界以上に細かくてのぉ。大概の悪魔は精神に作用する者が多いが、肉体を操る専門職もおると聞くし、色々じゃの」

「精神にも痛みってあるもんね……」

 

 ぽん、と膝から机の上に軽々と飛び乗ると、伽々未はお座りしたまま白い尻尾をふさふさと振った。

 

「さよう。怒りや憎しみ、悲しみや屈辱や嫉妬、そういうネガティブな感情を引き出し、強調し、餌にする。

この世に全くの負の感情がなければ、人間はおそらくは、節操を知らずキラキラ輝いたまま死に至るじゃろうて。そのバランスを取るために、我々天界の者と魔界の者とが存在しておるのじゃよ」

「うーん、なるほど。ランナーズハイとか脳内麻薬放出状態って感じ? そんな状態で常に絶好調100%のまま生きてたら、たしかに身が持たなさそうだよね」

「そうとも言えるの。どちらか片方では、生きておれぬのじゃ」

 

 ふうっ、と伽々未が空中に息を吹きかけると、そこには二つの魂のように、陰陽二つの紋が現れて、ぐるぐると回り出す。

 

「天界にも魔界にも様々な考え方があるが、儂は天使と悪魔に、明確な定めや境界線はないと考えておる。二つは表裏一体、違うようでいて同じものじゃとな」

「……」

「光がなければ影はできぬし、影がなければ光は光として存在できぬ。

そして、そのどちらを生かすも、それを纏っておる人間次第じゃ。

儂はさきほど、悪魔は負の感情を増幅させると言うたが、それには人間に、自らの心や置かれた状況を自覚させ、改善を促す目的があっての。

その結果、心の声に従うまま破滅に突き進む者もおれば、生の道に引き返して来る者もおる。

現世では何かにつけて悪魔の仕業とよく言うが、実のところほとんどの場合、所業そのものに悪魔は関わってはおらぬのじゃ」

「ほんとに? 全然?」

「例外を司る部門も、幾つかはある。それこそ、あやふやで一概には言えぬから、あそこは難しい世界なんじゃがのぉ。

ただ、いわゆる判断力と言われるもんを持っておる場合、大概において最終決断を下しておるのは『人間』本人じゃ。悪魔の仕業などではない。

まったく、汚れ仕事を進んで請け負った結果、謂れのない非難まで受けねばならんとは、哀れな種族じゃよ」

「な、なんかすごい事情があるんだね……ちょっと悪魔に対するイメージ変わったかも……」

 

 頷きながら、ふわふわと伽々未の尻尾の先を、紫咲が弄ぶ。

 目を伏せながら、彼女は気になっていたことをぽつりと漏らした。

 

「追い詰められて自殺したりとか、色々と悲しい事件を起こしちゃう人とかもいるじゃない。あれも、その負の感情が限界まで極まった結果、なのかな」

「悪魔が発した自らのSOSに気付けず、助けを差し伸べる手にも出逢えなかった者が、そういう末路を辿ることは多い。

必ずしもその者が悪いというわけではなく……そこには、天界におる運命を司る神の、匙加減が関わっていることもあっての」

 

 悪魔だけが悪者ではない、天使や天界の神が残酷さに傾くこともあるという複雑な心境と、人間への慈悲が、伽々未の瞳から感じられる。

 ぱたりと尻尾を揺らして、伽々未が窓の外の青空を見上げた。

 

「天界が運命を司るのじゃとしたら、魔界は天命を司る。

どのような結果に終わろうと、自分が憑りつき見守っていた人間が生を全うした暁には、その魂を回収するのも悪魔の仕事じゃ」

「なるほど……大変なお仕事なんだ。

それって、異世界から来た子が天使に転生するみたいに、前の世界で悪いことをした人が、悪魔に配属されてやらされたりとかするの?」

 

 悪魔と言えば、何かの罰でやらされているイメージが強かったので紫咲は聞いてみたのだが、伽々未は首を横に振った。

 

「いや? 特に条件はないぞい」

「え゛!?!? そうなの!?」

「志望動機さえあれば誰でもやれるが、人間の暗い顔を見る機会が多い職業柄ゆえ、自ら志願してくる者が少なくての。慢性的に人手不足じゃ」

「う、そりゃそうだよね……ぶ、ブラック……それはブラックでは……」

「まあ、その分賃金や特別手当はかなり弾むがの。慣れぬうちは悪魔本人が心を病むことも多いゆえ、休暇やカウンセリング制度も充実しておるぞ」

「やばい。なんか普通の会社みたいになってきた」

 

 悪魔らしからぬ思わぬギャップに顔を引きつらせる紫咲だが、伽々未は神妙に頷いてみせる。

 

「魔界の福利厚生やシステムは、事によっては天界より発達しとるぐらいじゃ。

儂らが魔法を使えるのは、元々魔界とやり取りがあった賜物じゃしな。

夜羽達が使うとる使い魔も、もとはと言えば魔界から導入されたシステムじゃ」

「へえ~……伽々未さんも魔界のこと詳しいし、意外と近いっていうか、お隣さんみたいな感覚なんだね」

「範囲が広いのじゃよ。極端な……某宗教で言う天国と地獄ほど距離が開いた場所となれば、文化的にも価値観的にも相容れぬじゃろうが、儂らはその中間におるからな。

まあ、おまんがアメリカやらどこじゃらに住んどる作者ならまた話は別だったじゃろうが、ここ日本じゃろ」

「ちょっ、メタい、メタいです神様」

「魔界寄りの天界や、天界寄りの魔界というものもあるゆえ、交流は盛んなのじゃ。

クリスマスと正月がちゃんぽんになっとるようなこの国は、儂にとっては実に居心地がいいわい」

 

 ふああと欠伸をし、八重歯を出した伽々未は、不満そうに宙を半目で睨む。

 

「しかし、基本的に直接の干渉はせぬとは言え、一部の不届き悪魔が人間を唆したり、悪意から感情を操って人を殺す事件も後を絶たぬせいで、悪魔族全体へのイメージダウンも甚だしくてのぅ。

広報部がイメージアップキャンペーンを図ってはおるんじゃが、なかなか志望者が……」

「せ、世知辛い……世知辛すぎるよ、魔界……!」

 

 未だまみえぬ悪魔への同情を覚えながら、お茶のおかわりを伽々未の分まで注ぎ足した紫咲は、お湯を沸かしたケトルを台所に戻してから、炬燵に入って来た。

 

「もしかして、伽々未さんの知り合いにも、悪魔の子っている?」

「知り合い……というか、魔界の神で弟子を取った者は知っておるが……もしかすると、今頃夜羽達にちょっかいを掛けておるかもしれんのぅ」

「え、ほんと!? もしかして一緒に帰って来るかな!? もうこの近くにいたりする!?」

「そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。というか、おまんがそう言うと、だいたいその通りになるじゃろうが。分かって言っておるな?」

「えへへ……だって、会ってみたいんだもん」

 

 呆れた目で見上げる伽々未に照れ笑いを返しながら、紫咲は炬燵机に肘をつき、細めた目で晴れ渡ったベランダ越しの空を見上げる。

 

「でも……じゃあきっと、私がこれから出逢う悪魔って、きっといい子に違いないね」

「どうしてそう思うのじゃ?」

「だって、人間のために、自分が辛い思いしても、頑張ってくれてる子でしょ。嫌がられたり、怖がられたりもするだろうにさ。せめて私くらいは、理不尽な扱いをしないであげたいなーって」

「なんというか……お人好しじゃのう。そんなことを言うておると、そのうち悪魔にも憑かれてしまうぞよ」

「やっぱダメかな」

「駄目ということはないが。自分から仕事を増やす変わり者じゃなと、思うておるだけじゃ」

 

 それを言うなら、伽々未こそ変わり者という点では負けていないと思うが、とムラサキは心の中で思いながら、愛し子たちの帰りを待ち侘びるのだった。

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