2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

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Day24.月虹 「怪盗たちの虹泥棒 第三楽章 色を束ねて」

「雀愛、時間大丈夫か……?」

「だいじょーぶ! ギリギリいっぱいまで粘ろう! それにっ、ヒバリちゃんがいると、なんでか分からないけど、パワー百万倍になる気がする! 三人いてもびゅんびゅん飛ばしちゃうもんねー!」

 

 ぴゅうぴゅうと、耳の横を風が切る音がする。

 なんとか野生の熊の手を逃れたボク達は、今はサンフランシスコの市街に向かっていた。

 ヨセミテ国立公園があるのは、とにかく街とは隔絶された山奥だし、今は人が活動してる時間帯でもない。生きのいい色を集めるには、ちょっとでも賑やかな場所に出た方がいいだろう。

 まあ、ボク達が飛んでるところを人に見られたら大騒ぎになっちゃうから、慎重に行動はしなきゃいけないけど。

 

「それにぃ、スズ知ってるの! とっておきの赤色がある場所ー!」

「確かに青とか藍系は空からも貰えたから、一番足りなさそうなのは暖色系の色だけど……本当に大丈夫だろうな」

「任してって! アメリカっていえばこれってぐらい、どっからどう見ても真っ赤っかだから!」

 

 調子のいい雀愛にどことない不安を覚えつつも、ボクはなんとかベルの毛並みから金色を取れないかと、ヒバリと試行錯誤しながら、遥か彼方の海を目指して飛び続けていた。

 だんだん口に入る風がしょっぱくなって、太陽の上っていない今は真っ黒にしか見えないけど、ボク達を畳んで飲み込んでしまいそうな海が、近付いてきたのがわかる。海面を跨いで陸と陸を繋ぐ大きな橋が見えて来た。

 サンフランシスコの名所、ゴールデンゲートブリッジだ。

 欄干や橋の輪郭がライトアップされて、鈍いオレンジ色に輝いている。海に突き刺さっている四段構えの支柱が本当に大きくて、ちょっとしたタワーのよう。

 周囲をぐるりと旋回して様子見しながら、ボクたちは橋の中央付近に降り立った。

 

「なんか……赤っていうよりかは黄色かオレンジに見えるけど、まあいっか」

「うーん……昼間の空の下で見ると、だいぶこれよりは明るい赤に見えるんだけどねぇ。でも、夜の橋もきれー!」

 

 呑気なことを言いながら、雀愛は人気のない橋の上で、片手逆立ちなんかしちゃってる。通報されても知らないぞ。

 

「ねえ、あれ、何してるのかな……?」

 

 ふと、ヒバリが何かを見つけて、橋の向こう側をじーっと見ていた。

 ボク達も、その傍に走り寄って観察する。こんな人気のない真夜中の橋を歩いている人がいるってだけでも驚きなのに、その人はさらに、橋の欄干に立って俯いたまま、疲れ切った顔で波音を立てる遥か下を眺めていた。

 酔っぱらっている感じでも、雀愛みたいにハイテンションでバカ騒ぎしている感じでもない。

 ……正直、嫌な予感がする。時代に干渉するのがどうこうとか言ってられないような事が、目の前で起ころうとしているみたいで。

 

「待っ……!」

 

 ふらりと一歩、宙を踏んだその人の体が投げ出される。間に合いっこない手をボク達が伸ばした、その時だった。

 飛び降りようとした人の体は、パーカーのフードを掴まれて、ぶらりんと宙にぶら下がっていた。

 ざぶりと音が立つ波の上で、あっけに取られるその人の体を、欄干から身を乗り出しているのに平然と細腕一本で持ち上げてしまった人物がいる。その姿を、ボクらはぽかんと見つめた。

 だって、さっきまで、橋から飛び降りようとしてたあの人一人だったのに。いつの間にか、派手目の赤いマントを纏った、どうして気付かなかったのか不思議なくらい存在感のある子供がそこにいた。

 橋の前後や周囲に、ボクらとあの人以外、人影は特になかったはず。こいつ、一体どこから現れて、どうやって助けたんだ?

 

「あんた、死ぬのか?」

「えっ……はっ、ひぇっ、あの……そ、そうだよ! 何邪魔してくれてんだ! このガキが……!」

「ボクに怒れる元気があるなら、他に怒る先があるんじゃない?」

 

 そいつが首を傾げると、ぱさりと落ちた赤いフードの下から、金髪と褐色の肌が現れた。年は、多分ボク達と同じくらい。低めの声の響きから、少年だとわかる。わかるけど……

 なんだろう。一目見た瞬間、ボクは何だか奇妙な感覚に囚われていた。全然違うように見えるのに、その吐き捨てるような低めの声の響きが、揺らぎが、視線が、纏っている空気が――何故か、ボクとひどく似ているような気がして、気持ち悪くなる。

 ドッペルゲンガーに会った時って、こんな感じがするんだろうか、と何の根拠もなく思いながら、ふらりと傾きかけた体を、傍で慌ててヒバリが支えてくれる気配がした。

 そんなボク達の前で、気付いているのかいないのか、パーカー姿の飛び降り志願者は、俯いて涙したまま金髪の少年と話していた。

 

「あ……うあ……俺……彼女に振られて……結婚のために貯めてた全財産もその女に持ち逃げされて、挙句の果て俺の親友だった奴と浮気を……! もう、何を信じていいか分からなくて……!」

「けど、あんたはほんとは、分かってもいるはずだよ。そんな人達の為に、自分がこれ以上理不尽に我慢する必要はないって」

「そう……そうだよな。本当は、向き合うのが怖かっただけかもしんねぇ。何もかもを失って、再構築し直さなきゃならねえ自分の人生に。

冷静に考えてみりゃ、あいつらの為に俺が死んでやる必要なんかどこにもねえんだ。どうせなら、悔いを残さないように生きてみるさ。

……すまんね、変な話に付き合わせて。俺、もう一度生きてみるよ」

「あ、そう。別にボクとしてはどっちでもよかったけど」

 

 はにかむように笑って橋の向こうに去って行く男を見送りながら、棒立ちのその少年はマントを風にはためかせ、不思議そうに首を傾げているみたいだった。

 

「ふうん。死ぬのやめるんだ」

 

 そんなつぶやきが、風に乗って聞こえる。その後ろ姿に、全っ然空気を読まない雀愛が、ボクらを引き摺りながら堂々と尋ねていた。

 

「ちょっっっと失礼!!! ねえねえあなた! そのマントすっごくいい色じゃない!? 迷惑掛けないから、わたし達にちょっとだけ協力してよ! ね!」

 

 箒を持った魔女マントの女と、同じくセーラー風のマントを着たボクと、唯一普通のダッフルコート姿のヒバリ。どう見ても怪しい三人組だったけど、その少年は逃げることなく、ボクらを見て微笑んでいた。

 

「何? 変な格好した観光客がこんな時間に何の用かと思ったけど、あんた達この世界の住人じゃないね」

「むっきー! 変な格好とは何よ!」

「変な格好に、変な叫び声だ。猿みたいな」

「こいつうううう言わせておけば!!!!!」

「す、雀愛、落ち着いて……」

 

 ヒバリが慌てて雀愛を宥めた瞬間、ちらりとコートの内側に隠していた瓶から七色の光が漏れる。それを見た途端、赤マントの少年の瞳が、ぽうっとオレンジ色に輝いた。目の色を変えて、ととっと歩み寄ってくる。

 

「それ、何? おもしろそう」

「あ、え、えっと。これは、私達、今色んな色を集めてて……」

「へえ。綺麗。ボクにもちょっと見せてよ」

 

 好奇心に爛々と輝いた瞳のまま、雀愛をずいと押し退け、ヒバリに手を伸ばす。

 瓶をぎゅっと抱えたままで、目を瞑ったヒバリに黒々とした手が伸びるように見えて、ボクは間一髪、その間に割り込むと、頭一つ分背の高い少年のことを、ようやく見上げた。

 

「ちょっと待った。変な格好で変な奴って言えば、あんたもだよね。素性のよく知れない奴に、これを易々と見せるわけにはいかない。

気配からして、あんたもボクらと似たような奴なんでしょ。天使だっていうなら、そっちから名乗ったらどうなの」

「……。天使? ボクが? ふっ。あははははっ」

 

 何がおかしいんだ。思わずマニキュアを塗った手で乱暴に振り払うと、青い光と星屑のように舞った魔力の欠片を避けるようにして、少年は一瞬のうちに、地面から欄干の上へ飛び退っていた。

 魔法の気配はする……でも、天使じゃない。神様でもない。

 天から降って来るブリッジの照明を受けながら、逆光で黒く見える少年の影の中で、目だけが煌々とボクらを見下ろし光っていた。獲物を狙う、コウモリみたいな目。

 

「前世のボク以外に、名前は特にないよ。悪魔になってから、名前は別に必要ないもん」

「あ……くま……?」

「ふうん、そうか。あんたら、天使なんだね。それに、その青い目と赤毛……見覚えがあるぞ。

たしか、ボクの師範の知り合いが、そんな奴らを弟子に取ったって。なるほど、あんたらが夜羽と雀愛か。

そっちの茶色い子は、初めて見たけど。いや、黄色い子かな」

 

 なんてことだろう。こっちの名前まで知られている。

 ヒバリを庇うように前に出ながら、ボクは奴のことを睨んだ。

 

「どうしよう。こんな大事な時に、悪魔と接触するなんて……」

「やば。スズ、めっちゃ危なそうな奴に声掛けちゃったよぉ……で、でも、協力してもらう? だって、もう次の移動時間まであんまり時間ないし、色をくれるだけなら何とかしてくれたりして……えへへ」

「バカッ、相手は何してくるかわかんないんだぞ!?!?」

「大丈夫。もし向こうで会っても、ボクからは手を出すなって、師範に言われてるから。

それに、こっちはこっちで師範の頼まれごとをしに来ただけなんだよね。時空の歪みの影響で、過去の自殺者が増加傾向にあるから、感情の遷移を探って来いって」

 

 余裕を崩さない態度で、悪魔が肩を竦めてみせる。

 そういえば、さっきこいつ、死のうとした人間を助けてたっけ。でも、悪魔なのになんで?

 

「あ、あの……私この人のこと、信じ、たい」

 

 珍しくヒバリが意見して、ボクと雀愛は驚きながらそちらを振り返った。

 薄茶色の瞳が、ボクらを代わりばんこに見る。

 

「本気?」

「虹、出なくなったら、愛理さんとあやめさんの、歴史が変わっちゃう。それに……その人、さっき助けてた。橋から、落ちようとした人のこと。

誰かの命を、救おうとしてた。だから、悪いことは、しないと思う」

「そりゃ、そうだけど……だからって、いい人とは」

「そうだよ?」

 

 すとんっ、と軽やかな音がして、突如悪魔がボク達の傍に舞い降りてきた。

 度肝を抜かれていたら、そいつはそのまま子供のように無邪気な目で、ヒバリの前で首を傾げてみせる。

 

「君はボクが命を救ったって言うけど、それだってものの見方によるんじゃないかな。

あの男が決めたのは、『これからさきの生に悔いを残さないようにすること』だ。それがいい方に転ぶとも、悪い方に転ぶとも、ボクは保証できない。

極端な話、もしあいつが自分の欲求に忠実に、翌朝銀行強盗でもしようなんて思いつこうもんなら、今日救った命より、もっと多くの罪ない命が、奪われるかもしれないよ」

「っ……」

「それでも、あんたはボクを信じるって言える?」

 

 綺麗なのに、取って食われてしまいそうな印象を感じる、獰猛な目。

 だけどヒバリは――少し怖じ気づいただけで、ひとつも怯むことなく、きっと悪魔の目を見つめ返した。

 

「だったら、どうしてあなたは、さっき誰かを、助けようとしたの?」

「どうしてって……別に、そうした後であの人間がどうなろうと、ボクにとってはどうでもよかったからさ。

負の感情に塗れた人間に、接触して調べるか魂を回収しろって言われただけで、ボクは命を助けろとは師範に言われてない」

「じゃあ、見殺しにすればよかったじゃない!」

 

 想像以上の大声に、今度はボクらが、ヒバリにびっくりする番だった。

 雪が雨に変わって、しとしとと雫が体を濡らす中で、ヒバリは震えそうになる声を絞り出して、悪魔の橙色の瞳を睨んでいた。

 悲痛なほどの叫びに戸惑ったのか、悪魔はぼそぼそと、さっきまでの勢いが嘘のようにして、呟き始めた。

 

「ボクは……ここが自殺の名所だって聞いてたから、何人か適当に魂を回収出来ればいいやって、そう思いながら飛んでる間に、たまたまあいつを見つけただけで……」

「でも、そうしなかった。目の前の人に、とっさに理由なく手を伸ばしたあなたは、多分悪い人なんかじゃないよ」

「……そう、なのか?」

 

 ボクら三人の目には、彼の行動はどこからどう見ても善意の行いに映ったのに、まるでそれをやった彼自身がそのことに気付いていない、みたいな顔をして、手を眺めながら不思議そうに首を傾げている。

 金髪の前髪が、さらさらと額の前で動いていた。

 ふふっと、ヒバリが耐えかねたように声を上げて笑う。

 

「わからないけど、いいだけの人も、悪いだけの人も、きっといないと思う。

だったら、いいところが見えたあなたのことを、私は信じたい。

大事なのは、あなたと争うことじゃなくって――私にとって大切な未来を、守ることだから」

 

 それを聞いていた雀愛は、一つ大きく深呼吸をすると、ばんっと勢いよくヒバリの背中を叩いて笑顔になった。

 

「ほんっっっとにその通りだね! よく言ったヒバリちゃん!

まったくわたしってば、さっさと虹を出して現世に帰らなきゃいけないのに、細かいことに拘りすぎちゃったわ!

よくよく考えたら、ぺろって赤色貰うだけで済むじゃん。うだうだ言うより、もちつもたれつで協力してもらった方が早いよね!」

 

 三対二になってしまうと、さすがのボクも意見をすり合わせざるを得ずに、しぶしぶ頷いた。

 っていうか、悔しいことだけど、ボク自身もなぜかこいつのことを、根っからの悪人には思えずにいた。恐ろしい、人をたぶらかすことを言いながら、どこか無垢で自分の心や自我に気付いていないような、憎めない変な悪魔。

 

「そういえば、あんたらさっき、赤色を探してるって言った?」

「あ、そうそう。あんまりここらに、いい色なくってさ~」

「だったら、この橋があるじゃないか」

「だけど今、夜だから色が暗くて……」

「こいつが明るくなればいいのか?」

 

 そう言って、首を傾げた悪魔の金髪には、街灯で光の輪が出来ているように見えた。

 

「じゃあ、今から明るくしてやるよ」

 

 驚くべきことを言うや否や。

 悪魔が指先から、花火のような光を空中に打ち上げる。放たれた十本の矢のような真っ赤な光が、炎みたいにぼわっと黒い天空に輪を描いて――そこから何故かぽっかりと、青空が覗いた。

 

「え!?!?」

 

 そんな。ここ、今は真夜中のはずだ。夜明けにはほど遠いのに。

 ボク達は信じられない気持ちのまま三人で目を擦ったけど、あたりはどんどん明るくなって、真昼間のような光と青空が、ここに降り注いでいる。

 ステージを照らすサーチライトが当たったみたいに、人っ子ひとりいないゴールデンゲートブリッジが、先ほどとはまるで違う鮮やかな朱色に染まっていた。

 変な感じだ。ぽかりと作られた円の中だけ、明るい昼間の世界なのに、その外側はぱっきりと塗り分けたみたいにして、黒い闇が広がっている。

 ヒバリが好奇心で手を伸ばしてみたけど、外には何も感じられないらしい。

 

「ちょ、ちょっと! こんなことしたらみんな起きて……!」

「そうよっ、大騒ぎになっちゃうじゃんっ!」

「大丈夫。ボクとあんた達の目に映る光量だけを、最大レベルに上げてるだけだから。周りには何も見えてない。でも、こんな紛い物の光景じゃ、色の源にはならないか」

 

 独り言みたいに言う悪魔の台詞はまったく理解できなかったけど、さっきまで闇を纏っていたマントも、日の下だと随分明るい朱色に見えて、いくらか印象が和らいだ。悪魔のくせに縁起のいいカラーリングをしてるじゃないか、こいつ。

 橋からもあいつの服からも、明るい赤が吸い込まれたかと思ったら、一瞬でまたドーナツの輪が閉じるみたいにして、周囲は人気のない夜の橋に戻っていた。

 まるで、白昼夢を見てるみたいだった。いや、今は夜だから白昼夢って言い方はおかしいか? でも……

 

「す、すごぉ……これも魔法?」

「うーん、魔法かな。もともとこういうの、得意なんだ。他人の光を見たり、操ったりするの」

「でも、あんなでかい光源出して、あんた魔力は……」

「言っただろ。光エネルギーを発生させたわけじゃなくて、あんたらの『目の映り方』を変えただけだ。この橋の灯りだけを集めればそれなりに明るいし、まあ夜中って言っても、眠らない街はあるからね。

一時的にボクらの周りだけを、昼みたいに錯覚させるのは可能ってこと。でも、それで色が取れちゃうんだ」

 

 興味深げに、七色の眩い光が溢れる小瓶を、悪魔が覗き込んだ。その色が、瞬いた瞳にも映り込んでいる。その目に浮かぶ虹を、思わずぼーっと眺めそうになっていたボクは、慌ててヒバリをせっついた。

 

「ヒバリ、それしまって。雀愛、あんまり目立つのもあれだし、用が済んだんならもう行こう」

「おっけー! 多分これだけ集まれば、昼間の滝の下でも再現率100%のはず!」

「あっ、あの! ありがとう……!」

 

 ぺこぺこと、ヒバリがご丁寧に腰を折ってお辞儀している。

 そのヒバリが抱える瓶の中身を、悪魔の少年はなお興味深そうに、ぴょんぴょん飛び跳ねて覗こうとしていた。

 

「ねえ、それどうするんだ?」

「あんたには関係ないだろ。こっちは天使の認定試験が掛かってるんだよ」

「そうだよ~、スズちゃんが一人前の守護天使になるための課題なんだからっ。急いで届けないと!」

「課題……ふーん? まあ、いいか。それに、その瓶の中身より、もっと面白そうなものがあるし、ね?」

 

 溶けそうなほど灼熱を湛えた目で見つめられて、ボクは後ずさる。ボクとは対照的なその瞳が、ずいずいと目の前に迫ってきたかと思うと、彼は楽しそうに頬を緩めた。

 

「ボク、あんたの『宝物』に興味があるんだ。あんたらが試験を終えて帰るなら、ボクは先にそっちへ行って、待ってようかな」

「ボクの宝物……って」

 

 まさか、こいつ。ムラサキに、何かしようとしてる?

 だとしたら、黙って行かせるわけにいかない、と思ったけど、ボクが口を開く前に、ヒバリがもう時間移動の時計を準備していて、雀愛にむぎゅっと片手を掴まれてしまった。

 魔法で金色の光が散っていくその向こう側に、あきれた声で、しっしっと悪魔が手を振る影が見える。

 

「おい! あんた……!」

「時空転移魔法が使えるんなら、さっさと行った方がいいよ。

言っただろ、ここ自殺の名所だって。水面までビル10階分は高さがあるから、死亡率も98%だし、もう少し先の時代になれば1000人以上はここで死んでる。世界一飛び降り自殺が多い建造物なんだぞ。

ボクは悪魔だから平気だけど、あんたら天使にとってはよくない気とか悪霊がうようよ漂ってる。さっきから適当に払ってるけど、もうそのへんにうじゃうじゃ来てていい加減鬱陶しいんだよね。あんたら格好の餌だよ」

「は!?!?!? マジで!?!?!?」

「うそでしょぉ~!? 愛理、そんなヤバいとこ、あやめさんとか幸さんと観光してたのぉ!?!?」

 

 悲鳴を上げるボクと雀愛。

 噛み付こうと思ったのに、逆にとんでもない情報を握らされてしまった。たしかに、なんかさっきから妙に頭がふらふらすると思ったけど、そういうことかよ。 

 

(ていうか、やっぱりお人好しじゃん)

 

 ばたばたと移動する羽目にはなったけど、黙ってじっとこちらを見つめる影が、赤い橋と一緒に時空の彼方に消え去るのを、ボクは見つめていた。

 名前すら知らないのに、ムカつく奴だし、何かと癪に障る奴だ。けど、次に会う時は、もうちょっとマシな出逢い方だったらいい。そう思いながら。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 雀愛の箒にくっつきながら飛行するボクらの顔に、覚えのある凍りそうな風が吹きつける。

 ぱあっと目の前が開けて、ボクらはあのキャンプ地がある山に戻って来た。ただし、時刻はさっきと違い、翌日の昼。愛理とあやめさんが、そろそろツアーで大きな滝の近くを通る時間だ。

 下界を、スノーシューやミニスキーを穿いた人達が、旗を持ったインストラクターに続いて歩いていくのが見える。

 

「えっと……愛理達は……」

「あそこにいたっ! 先に滝の上らへんに行って待ち伏せしよっ!」

 

 透明魔法を掛けた雀愛が、ぐっと柄の先を持ち上げて速度と高度を上げる。

 虹を出現させるタイミングはボクに任されることになって、ボクはヒバリから緊張気味に瓶を受け取った。

 

「……大丈夫。うまくいくよ」

「うん。……ありがと」

 

 震える手を、手袋越しにぎゅっと握られると、なんだか力が湧いて来る。

 本当は情けない姿なんてあんまり見せたくなかったけど、ヒバリを連れて来てよかったと思った。

 雪の積もった、登山コースみたいな道を、防寒着姿で歩いていく愛理とあやめが、休憩地点みたいなところで、話しているのが見えた。人がいない岩の影に身を隠しながら、ヒバリがにこやかな表情の二人を眺めやる。

 

「……何、話してるのかな。楽しそう」

「愛理の奴、前日の晩あんな弱音を吐いてた割には、けっこう上手くリードして……って、おい、なんか険悪な雰囲気になってきたぞ」

「ねっ、ねえねえねえ! もうぱーっと虹出しちゃった方がいいんじゃない!? ここで喧嘩しちゃったら元も子もないよぉ!」

 

 雀愛がばさばさとマントの下の両手を振って慌て出すけど、ボクは彼女を止めた。

 

「待って。もう少し……」

 

 愛理の必死の目に、ボクは見覚えがあるような気がした。相手への非難や怒りだけじゃなくて……何かをわかって欲しい、本当の自分を見て欲しい、と訴える人間の目。

 そういう時は、変に止めたり誤魔化したりするんじゃなくて、言わせてしまった方がいい。あやめさんなら、きっと。

 

「あ……よかった。なんだか、大丈夫そうだよ」

 

 ヒバリが、傍でほっと胸を撫で下ろす。どうやら喧嘩の矛を収めて、その先の滝に向かって出発することにしたらしい。さあ、ボクたちも行かなきゃ。

 数段もある大きな滝、その一部分だけでも、相当な高さと迫力だ。どこに虹を出すのが、一番綺麗に見えるだろうか。

 魔法で耳を澄ませていたら、どこか刺々しさを含みながらも、臆せず自分に接してくれるあやめさんへの戸惑いや怯え、混乱が、愛理の声音から氷柱を伝っていっぱいに降って来た。

 それらを雨のように聞きながら、ボクは目を閉じる。

 

 あんたの気持ち、ボクもわかるよ。

 怖いんだよね。

 そんな、無条件の「好き」を自分に向けてくれる奴が、いるわけないって。それが本当は、向けられる度に擽ったかったり幸せだったりしながらも、そんなのいらないし信じたくないってフリを、してみたりして。

 ……でも、あんたを想ってくれる人は、すぐ傍にいるよ。

 ボクがそうだったから。

 

「ヨルくん! 今だよ!」

 

 その声に合わせて瓶を開いた瞬間、雀愛が杖を振った。

 丁度よく空から綺麗に光が降って来て、飛沫が七色に色づき出す。傍で見ていた人達から、大きな歓声が上がった。ふわりと、虹のアーチが滝のすぐ目の前に掛かったのを見て、ヒバリが手を叩く。

 

 その時の、向かいの展望台に見えた愛理の顔。

 今知っているあんたより、ほんの少しあどけない、純粋な表情を、ボクはきっと忘れないだろう。寒いし試験は大変で、くたくただったけど、目の前で虹をその瞳に映したあんたの顔は、きっと本来は目の前で見られるはずがないものだからね。

 今の生意気なあんたと比べたら、あまりにも無防備すぎて、くすりと笑みが漏れてしまう。

 この虹がほんの少しでも、あんたに愛を信じる心を、もたらしてくれますように。

 ぐっと愛理があやめさんの腕を引き寄せたのを見て、ボクは背を向けた。

 

「さ、これ以上邪魔しないように、ボクらは帰ろう」

 

 早く、家に帰ってサキとあったかいお風呂に入りたい。

 懐中時計に掛かった魔法の最後の一回を使って、ボク達は瞬時に、三人と一匹揃って家のリビングに到着していた。

 ――まさかそこに、既にお邪魔虫が侵入しているなんてことは、その時は思いもしなかったけれど。

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