薬草風呂で何故か酔っ払う夜羽くんのお話です。
今日、私が一番風呂をもらったので、先日友人からもらった薬草風呂の入浴剤の袋を、私はお風呂の中でもみもみしながら楽しんでいた。
袋に入った薬剤をお湯の中に入れっぱなしにするタイプの入浴剤は、随分久しぶりだ。
粉末に加えて、ついつい触りたくなってしまう植物や木の欠片のようなものが入っている、特有の気配。
根気よくもみもみしていると、お湯の中に少しずつ成分が溶け出して、特徴的な黄色のもやが広がっていく。
私がよく飲んでいる漢方薬でもおなじみの、トウキの色だ。
ふ〜っと息を吸うと、黄色から緑に変わった健康的な色のお湯から漂う薬草の匂いが、肺に染み込んでいく。
「ふふ、いい匂い」
思わず、薬袋に顔を突っ込んで埋めてしまった。
人によっては臭いっていう人もいるけど、私はこの匂い大好き。
そしてそれは、久しぶりに一緒に風呂に入った愛理も同じだったらしい。
狭い自宅の浴槽で、向かい側に体育座りしながら、綺麗なお湯をつべつべと腕に掛けたり、体に浮いた泡を取ったりしながら楽しんでいる。
「へえ、これが薬湯かあ。みんな、こんないいお風呂に入ってるんだな。僕も今度入れてもらおうっと」
「入れてもらおうって、愛理は職員でもなんでもないんだから、このお風呂がある専用区域には行けないでしょ……」
聞けばこの薬湯は、とある場所のとっても体にいい薬草風呂を再現したような出来なのだとか。
まあ、簡単に行ける場所じゃないと聞いているけれど……たとえ異世界転移出来たとしても、私や愛理ごときの凡人が、傷だらけの人の傷も病も癒してくれるほど効果抜群の湯に、簡単にありつけるとも思えない。
けれど愛理は、意にも解さない様子で気持ち良さげに目をつぶって湯船に寄り掛かった。
「だからこそ、この入浴剤なんだろ。ああ、いい匂いだなあ」
「だね〜。湯気までいい香りがするよ。体もぽかぽかで、温泉浸かってるみたい」
あと何袋あるんだっけ。使うのほんとにもったいないなあ。全部使い切るまでに、入りたい子を全員順番に風呂に入れられるだろうか。
と思っていたら、案の定何が何でも初日に入りたくてたまらない子が、勢いよく風呂の扉をずばあんっと開けて入ってきた。
「ボクも入る! うわっ、すごい。入っただけでもう薬草の匂いがする」
「もう、ヨルくんってば。三人も入ったら狭いよ〜」
「あはは、いいって。僕もう十分堪能したから出るよ」
そう言って洗い場に出てくれた愛理と引き換えに、ヨルくんがいそいそと隣に身を沈める。
ふふ、ヨルくんには馴染みない世界のお湯のはずだけど、気になって仕方なかったんだなあ。
くんくん、と鼻を動かしながら、小さなヨルくんは隣で膝を抱えて、気持ちよさそうに目を細めていた。
「あったかい……」
「ヨルくんは、さっきもゲームの中でもいっぱい温泉入ったじゃない」
「あれはあれ、これはこれでしょ。温泉は何回入ってもいいものだよ」
さっき、馴染みの別世界で私はヨルくんを雪深い山奥の温泉に連れてったばかりだからそう言ったんだけど、それは確かに同意する。入れるもんなら、私もゲームとか二次元の中で温泉入り放題したい。
一度頭を洗いに洗い場へ出たけど、その間も湯船から絶え間なく上がってくる湯気から、独特の香りが漂ってくる。
本当に、この空間全体が薬屋に大変身って感じ。時間が経てば経つほど、どんどん香りが出てるみたいだし、吸い込めば吸い込むほど健康になる気がする。
冬の寒さも体調不良も、忘れてしまいそうなほどの幸せ気分だ。私冷え性だから、友達は本当にいいものを送ってくれたと思う。
いつもは寒さのあまりさっさと洗ってしまうのに、今日はゆっくりとスポンジで体まで擦って、もう一回堪能すべく湯船の中に私は滑り込んだ。
滑り込んで……なんだかヨルくんの様子がいつもと違うことに気が付き、私はまじまじと隣の顔を見つめた。
「……ヨルくん?」
「ふふ、ふふ。あったかいなあ。きもちいいなあ。えへえへ」
な、なんか、めちゃめちゃ顔面が蕩けて、いつもの照れた感じや微笑みとはまた別次元に、デレデレしちゃってるけど。
顔もちょっと赤いし。のぼせちゃった?
その時急に、ばしゃんっとお湯が揺れて、ヨルくんが湯船の中でぎゅうっと抱きついて来た。
「えいっ」
「わわ、どうしたどうした」
「えへ……おゆ、あったかい……サキもあったかい……だいすき……」
緑色のお湯が揺蕩う中で、幸せそうに目を閉じて、私に抱っこされているヨルくん。
元々素直な子なのは知ってるけど、ツンデレ成分のツンが消えて、完全にデレデレモードになってる。どうしたんだ、一体。
「んん? 今日は甘えんぼさんだねえ」
そう言って私が頬を擦り寄せると、濡れたヨルくんの髪からも肌からも、ふわりといい匂いがする。
お揃いの薬湯の香りを纏ったまま、ヨルくんはますます幸せそうに、ぎゅうぎゅう抱き着いてきた。
それだけじゃ物足りなかったのか、ずん、と私のお腹の上に座って、直に胸元に寄り掛かってくる。あまりに大胆な所作に、ちょっとだけ目が丸くなる。
「ふへへぇ。サキのおっぱい、ほにょほにょ……」
「……ヨルくん、あなたもしかして酔っ払ってる?」
自分で言っといて、なんだそれはとツッコみたくなった。
いやまさか、そんなバカな。薬湯で酔っ払うなんて聞いたことないけど!?
思えばさっき、別の世界でヨルくんが温泉に入ってた時も、ヨルくんにしては反応がぽやぽやしてたから、何か変だと思った。
もしかして、温泉や薬草湯の薬効成分に、天使が酔っ払うものが含まれている……とか……?
それにしても、これはこれで可愛い。普段も十分可愛いけど、これはめちゃくちゃ可愛いぞ。
「えへへ。サキ、だいしゅき」
「うんうん、私も大好きだよ」
「ふふっ。やわらかい。きもちいいなあ」
「うん、そうだね。ほら、ちゃんと肩まで入らないと冷えちゃうよ」
お湯を掬って肩に掛けながら、ヨルくんの湯冷めをなんとか防止する。
お湯の成分で酔ってるんだったら、これは逆効果かなあ……? でも、さっきからずっと抱きつきっぱなしだし、こうしないとほんとに風邪を引いちゃいそうだ。
「ん〜〜……」
「ヨルくん、おねむなんでしょ。もうそろそろ上がる?」
「ん〜〜、やだ。あがらない。サキといっしょにいゆ」
「ほらほら、いい加減に出ないとのぼせちゃうよ。いい子だから、いつもみたいにちゃんと10まで数えて」
「やぁだぁ。きもちいから、ぬるくなるまでずっとはいゆ」
ダメだ。これは完全に我儘ちゃんになってしまっている……。
くてん、と私に抱っこして寄り掛かってくる夜羽くんが今にも寝てしまいそうで、私は微笑みながら、一緒に肩までとぷんと緑のお湯に使った。
「ほら。じゃあ、私が代わりに数えるよ。いーち、にーい……」
揺蕩うように気持ちのいいお湯の感触に、抜け出たくなくなる気持ちはよく分かる。私も名残惜しいから、ほんとは1分ぐらい数えてたい。
いや、1分と言わず3分。3分と言わず5分。でもそんなことしたら、ヨルくん本当に水になるまで入ってそうだからなあ。
そうしていたら、10まで数え終わったところで、ヨルくんが不意にぱちっと目を開けて、私の顔を覗いた。鼻と鼻がくっつきそうだ。
「なあに?」
「10のくらいまで、かぞえて。ちゃんとかぞえて。にじゅうまで」
「もう、しょうがないなあ」
いつもは20まで数えるので、私はヨルくんを正面から抱え直して、もう一度数を口にした。
「じゃあ、いくよ。じゅういーち……んむっ」
「ちゅ」
「じゅーに…んむ……じゅーさ……っ、んむ、ちょ、ちょっと」
さっきから、数えるたんびにキスをされてるけど。
なんで邪魔してくるのかと思ったら、夜羽くんは大きな瞳に悪戯っぽい光をキラキラさせて、少し妖しい笑みを浮かべた。
「だって、サキがちゅーって言うから。ちゅーしてほしいのかな〜、って」
「『ちゅー』じゃなくて『じゅう』って言ってるの!!! 」
これじゃあ十の段が終わるまで、ずっとちゅーされるじゃないの。いつまで経っても数え終わらない。
「もぉ、邪魔しないで。じゅーしっ……ん……じゅーはっっ……んっ……ふ、じゅー……っ、く」
意地でも数えようとするけど、一つ数を言うたびに唇を触れられてちゅっちゅ音がするし、口を塞がれて上手く声に出せないせいで妙に艶っぽくなるしで、小学生の子相手にめちゃくちゃエロいことになってしまう。
これはよくない。なんか絶対によくない。
「に、じゅう!」
なんとか数え終わったので、もう最後の十はやけくそで自分から唇を押し付けると、ヨルくんは満足そうに目を細めた。
よし、今のうち。
「ほらほら、上がって。ちゃんとタオルで拭くんだよ」
お湯から出たら少しはマシになるのでは……と思ったのだが、まだ酔いが残っているのか、いつも脱衣所できちんと水気を拭いていく夜羽くんは、裸のまま楽しそうに、ててっとリビングまで出て行ってしまった。
「えへへ、すっぽんぽーん」
「ちょ、こら! ヨルくんてば!」
思えばこれこそが年頃の子らしい振る舞いなのかもしれないが……キャラが違いすぎる。
私はまだ着替えないと脱衣所を出られないので、頭を抱えたままタオルでばばっと全身を拭いていたら、入れ違いに入ってきた愛理が、パジャマ姿のまま、うわあ、とリビングを振り返った。
「夜羽、どうしたの? 完全に出来あがっちゃってるけど……」
「なんか、薬草風呂に入れたら酔っ払った……」
「え、うそ、そんなことある?」
愛理も私とまったく同じ感想だったけど、事実こんな状況なので疑いようがない。
まあ、お風呂は気持ちよかったし、体も未だに薬湯のいい匂いがするしで、まあいっか……と思いながら、私はしばらく夜羽くんの様子を見ることにした。
それから数十分後。
大人しく髪は乾かされてくれたけど、まだぽへぽへしている夜羽くんを放って先に夕飯のお米を研いで来たら、リビングに戻った時には、
「ボク……今まで何してた……?」
と呟く顔面蒼白な夜羽くんと目が合った。
どうやら酔っ払っても記憶はあるらしい。
「なるほど、体が冷めちゃうと元に戻る感じなのね……」
「うわあ、酔いの醒め方えげつな……一番最悪な酔っ払い方だね、それ」
愛理に苦笑されながら、しばらくはリビングの片隅にすっ飛んでって蹲るなり、マントを被ったまま出て来ない夜羽くんの姿が観測されたのだった。
可愛かったから、私は別にいいのに……。
けど、体に影響がないのかも一応気になるし、宥めてもすかしてもマントの中から出て来てくれないので、神様の伽々未さんを呼ぶことにした。
「まあ、天使の体質は人間と違うゆえ、酒で酔うとは限らんのう」
白い髭をぴっぴと揺らして、狐姿になった伽々未さんが言う。
コートの塊になった夜羽くんを愛理と三人で囲みながら、私は伽々未さんに尋ねた。
「こういうことって、天使にはよくあるの?」
「体質次第じゃからなんとも言えぬが、それぞれに、酔いやすいもんというものはあるの。
それにしても、温泉や薬湯の薬効成分が効きすぎてこうなったのじゃろうが、それで酔っ払う奴は儂も初めてじゃのー。
まあ、そのくらい良い薬湯だったということじゃ」
「あれ? でも、この間外の温泉に行った時は、こんなことにならなかったけど……」
「あの時は人目もあったし、夜羽緊張しておったじゃろ。気が緩むと酔いが回りやすいのと同じで、ムラサキの傍で安心しておったのが今回は大きな要因じゃな」
「なるほど……」
そう言われると、なんだか嬉しい気もする。
「それにしても、良い匂いじゃのー」
くんくんと黒い鼻を動かした伽々未さんに周りを回って嗅がれながら、夜羽くんの消え入りそうな声が聞こえてきた。
「もうやだ……死にたい……生きていけない……」
「夜羽、考え過ぎだって。このくらい、僕が晒したことのある酔っ払いの醜態に比べたら軽いもんだよ」
「愛理、それあんま慰めになってないやつだよ……」
「アルコールじゃないってことは、本当に酔っ払ってるのとは違うわけだし。ね、そうだろ」
「それはその通りじゃな。身体的な害は心配せんでいいぞ。
気分がハイになって普段以上に開放的になるだけじゃ。脳内麻薬みたいなもんかの」
「それはある意味、ガチの酒とか薬より危ないやつなのでは……?」
思わず突っ込んだけど、それだけ言い置いて、神様は戻って行った。
でも、せっかくあんなに気持ち良さそうにふわふわ笑ってたのに、これで温泉や薬湯が嫌になっちゃったりしたら、勿体無いし悲しいよね。
私は黒い山のようになった夜羽くんの前に跪くと、手を伸ばしてコート越しに頭を撫でた。
「よーるくん。ずっと窓際は寒いから、折角あったまった体が冷えちゃうよ。
私もうそろそろ、ヨルくんの可愛いお顔が見たいな。ね、おねがい」
「……」
さあ、ムラサキ渾身のおねだりなんだけど、聞いてくれるかな。
しばらくすると、そろそろとマントの真ん中が開いて、しょんぼりした顔が覗いた。本当に落ち込んでたみたい。
「ボク……サキに合わせる顔がないや……」
「あら。そんなことないよ。私はとっても嬉しかったけど。ヨルくんが羽目を外してくれて」
「うう……でも、またあんな風に迷惑掛けたら……」
「迷惑だなんて思ってないよ。いっぱいくっついてくれて嬉しかったし、まあ、体が冷えちゃいそうで心配だったのと、床がちょっと水浸しになったのだけ、困ったかな?」
「あ、後でちゃんと掃除するから!」
ほらね。こんな風に自分から言ってくれるぐらい、本当はとってもいい子なのだ。
まあ、温泉と薬湯で酔うってのはなかなか厄介な体質かもしれないけど、体質なんだからしょうがないし。
「ごめんね、ほんとに」
「謝らないでよ。本当に大丈夫だから。……あ、でも」
ほっとして立ち上がった愛理の後を追う前に、私はそっと夜羽くんの耳元に口を近づけた。
「できたら酔っ払うのは、私の前だけにしてね。……他の人の前でヨルくんの可愛い顔見せてるって思ったら、気が気じゃないんだから」
「……!!!!!」
これでちょっと、安心してくれるといいんだけど、と思ったら。
ヨルくんは、真っ赤な顔でこくこく頷いてから、私のパジャマの裾を掴んで、恨みがましそうな目でこっちを睨んできた。
「……当たり前でしょ。サキ以外の人の前で、そもそもボクが酔えるはずないじゃん」
唇を尖らせながら、そう言われた。
前言撤回。
安心させるのもドキドキさせるのも、やっぱり夜羽くんの方が一枚上手だったみたいだ。