「……」
「ヨルくんってば。ご機嫌直してよ」
「サキっていつもそう。なんであんなガキみたいな奴に、デレデレでれでれするの?」
「デレデレしてないって! 向こうからしがみついて来たんだから!」
一体いつの話を蒸し返してるんだ、と言わんばかりにサキが呆れているのがわかる。
それも当然だ。
その日、サキに送られてきた年賀状を見て、面白くない出来事を思い出してしまった。
差出人は、いつもよく礼拝に行く、教会のご家族から。サキはクリスチャンじゃないし、ボクらは興味本位でたまに顔を出してるだけで、この冬雪が積もってからはちっとも行っていないけれど、写真に写っていた家族の写真を見て、思わず頬を膨らましてしまう。
ボクみたいな、小さい男の子がこの家にはいて、この子に限らず子供もやって来る教会では、サキはしょっちゅう絡まれている。さすがに、全員ボクより小さい子達だよ? そんな子がいる前で面白くない顔するなんて、大人げないとは分かっている。わかっているんだけど、どうせあの子達にはボクの姿なんて見えないし。
サキもサキで、子供が苦手とか言うならボクが隣にいる事にだけ自信を持ってツンツンしてればいいのに、なんなの。いつも、抱きつかれても膝に乗り掛かられても、へらへらしちゃって。袴とか踏まれて困ってたくせに。
「いや、ううん……人の子だと思うと、やんわりとでも注意しづらいからさぁ……本当は、礼拝中だから結構焦ったんだけど、大きい声も出しづらいし。
ヨルくんだって、小さい子相手にそこまで本気で怒るほど、憎らしいわけじゃないでしょ? ヨルくんは優しい子だもんね」
「う……まあ別に、怒ってなんかないけど。家に帰れば、サキに思う存分甘えられるのはボクなんだし」
今日は名古屋も寒かったし、サキの家なんか日中吹雪いてたらしいからもっと寒いけど、膝に乗って抱きついてたら、そんな寒さも忘れる。
今日冬休みが明けて学校に行ったばかりだけど、明日からまた土日でサキと一緒。
何をして何を話して過ごそうか、と考えていたら、そこに間が悪く、ボクの一番出くわしたくない奴の声が通った。
「あれ〜〜? 夜羽くん、子供は卒業するんじゃなかったのかなぁ」
「恵李朱……!」
「ふふふ、べったりなところボクに見られて恥ずかしいでちゅね。あとでママンに写真送ってやろ」
「い、いい! そんなの送らなくっていいったら!」
「なんで? なんだかんだで、あの母親夜羽のこと心配してるから、こっちでちゃんと心を許せる人と仲良く過ごしてるんだーってわかったら安心すると思うよ」
自分から忙しいって家を空けてるくせに、心配も何もあるか。
っていうか、どうせ写真撮るなら、普通にサキとのツーショットにして欲しい。なんでそんな、年上のお姉さんにデレデレ、みたいな写真を親に晒さなきゃいけないんだ。人間界での仮の家族とはいえ、恥ずかしすぎる。
大慌てで膝から下りたボクの横から、恵李朱が割り込んでくる。
「ねえ、おねーさん。ボクも抱っこして欲しいなー♪」
「あら。エリくんも? ふふ、どうぞ」
「おいッ! ボクには子供がどうこう言っといて、自分が乗りたいだけじゃんかッ!」
「別にいーじゃん。ボクは夜羽と違って、おねーさんを堕とすために大人の魅力で勝負する必要なんかないんだし。こーんな子供っぽいボクなんて、お姉さんは相手にしないもん。ね、ムラサキ?」
「ふ、ふふっ、相手にしないってことはないと思いますけど……それはそれで、可愛いと思いますよ」
思わず敬語で答えたムラサキが、ぽんぽんと恵李朱の肩を叩きながら、タートルネックの襟元を直してる。
う……あいつの方がよっぽど幼稚な振る舞いなのに、なんか負けた気がする。なんでだよ。
「もーーーーっ! 邪魔だから出てけぇっ!」
「はいはい、お邪魔虫は退散しますよ。悪魔は夜の方が忙しいしね〜」
じゃあね、と軽くウインクと投げキスを残して、恵李朱が外の夜闇に消えていく。
ぜえぜえ息を切らして肩を揺するボクを見て、あらあらと声に出したムラサキがそっと触れた。
「ヨルくんてば……本当に、エリくんのことは気に食わないっていうか、馬が合わないんだねぇ。
どんなにブチ切れても、出てけなんて滅多に他の人に言わないでしょ、ヨルくん」
「だって!!! いくら憑依して研修中の悪魔だからってさぁ! 人の主にべたべたベタベタと!」
「ヒバリちゃんや雀愛ちゃんと仲良くしてても、ヨルくんはこんなに怒らないじゃない。
やっぱり、エリくんが悪魔だから?」
「う……それもある、けどさあ……」
こっちがどんなに怒っても、全然意に解さないその様子がますます大人に見えて、ついイーッとなってしまう。
ここまで振り回されることないってわかってるし、振り回されたところで、ますますボクが子供に見えるだけだってことぐらい、分かってるのに。
あいつ、ボクが焦ってるのを見て、楽しんでるんじゃないだろうな。
なんだなんだと足元を回るベルの首元を掻いていたら、ムラサキがボクに向かって、椅子に座ったまま両手を広げる。
「もう一回、お膝乗る?」
「う……でも……」
「大丈夫。もう誰も見てないよ。別に誰が見てたって、ヨルくんが下りたくないなら私は離さないけどさ。
でも、誰もいない時にしか甘えた顔を見せたくないんだったら、この席はヨルくんだけの特別。ほら、おいで」
笑顔でそう腕を差し出されると、まんまと引っ掛かって吸い寄せられてしまうボク。
……こういうのを、子供って言うんじゃないだろうか。
サキはボクのこんな姿ばかり見てイヤじゃないのかなぁ、と思っていたら、ぬいぐるみみたいにボクを抱っこしたサキが、背後から頬をすり寄せてきた。
「……なんか、もしかして私、ものすごく嫌なことしちゃった? 勝手に恵李朱くんのこと、テリトリーに入れて」
「あ、そ、それは、別に大丈夫。なんだかんだで、向こうの家では上手くやってるし」
「んー、そっか……。
私、本当はわかってるんだよ? ヨルくんが、一番に私を大切にしてくれることぐらい。……私の一番は、ヨルくんだけなんだって」
「そ、そう? なら、いいんだけど……」
どきん、と鼓動が高鳴って心臓の音が煩くなる。
誰かを選ぶことは、他の誰かを傷付けることでもあるけど、それがたまらなく嬉しいこともある。
別にサキは、何を選んだり一番にしたりするかなんて、その時々で決めてないことぐらい、わかってる。わかってるんだけど……その心の内側に、どんなに小さくても、いつもボクがいてくれたらいいなって。
でもこうやって不安になる度に、サキはボクへの想いを伝えてくれて。口にしなくても、寄り添ってるだけで、不安も苦しみもボクには見せて分かち合いたいと思ってることや、ボク相手に甘えたいと思ってくれてることも、ちゃんとわかるんだ。天使、だから。
だから、たまにはボクも背伸びをしたいのに。どうしたらもっと、サキに大人だって、思ってもらえるだろう。子供のボクには見せない顔を、見せてくれるだろう。
そう思って、ボクはサキをたぶらかす小さい子達や、さっきの恵李朱の挙動を思い出した。
サキは、年下の子に甘えられるのに弱い。それなら……。
ぐるりと膝の上で向きを変えて、正面から抱き合うようにして顔を見つめたボクに、ムラサキは不思議そうに首を傾げた。
「サキ。あ、あの」
「ん? どうしたの。改まって」
「あの……。キ、キスのやり方、教えて?」
「えっ」
あんまり演技はしたくないけど、声が震えてしまうぐらい緊張してるのは、嘘じゃないから。
驚いた顔を見上げて、ドキドキする脈拍を袖ごと握り込むようにしながら、ボクはぎゅっと、サキの服の裾を掴んだ。
「ボクに、……キスのやり方を、教えて、ください。ボク、サキとキスがしたい。
挨拶でするちゅーとかじゃなくて、……もっと、あんたをドキドキさせられるような、大人のキスの仕方、……教えて、欲しい」
自分でも何言ってんだろって思う。心臓が耳のすぐ奥で鳴り響いて、鼓膜がおかしくなりそう。
真っ赤になって後ずさりそうになるサキの掌を、指を絡めてぎゅっと握った。
「へあ、えっ、あの、ちょ、とっ、待っ……!」
「ボクはたしかに子供じゃないけど、かといって前の世界のボクと全く同じでもない。
一個一個、何をどうやって積み重ねて、あんたと唇を重ねたのか。記憶はあるけど、
だから今度は、あんな突然じゃなくて、もっとあんたが好きだって思える形で、もっとあんたに、気持ちが伝わるように……
ダメ……?」
極め付きは顔を近づけて、ボクは引き寄せたサキの林檎みたいな頬を間近に見つめた。こうやって聞かれると、サキが弱いのは知ってる。すっごい動揺してるみたい。
……かわいいな。
ほんっとに、かわいい。世界中で一番、ボクがサキのこと、可愛いって思ってると思う。
すぐ恥ずかしがって伏せてしまう睫毛も、ボクの前でしか見せないはにかんだ顔も、水飴みたいに熱っぽい光を閉じ込めて潤む瞳も。
本当にときめいてくれてる相手にしかしない顔だ、ってわかっているから、見つめれば見つめるほど、余計に胸が苦しくなる。
見つめ合って、しばらくして。
サキは、ふっと息を吐き出すと、優しい目でボクを見つめ返した。
「……夜羽くん。ちょっとここに座って」
すとん、とボクを膝から下ろして正座すると、サキはとんとんとリビングの床を叩く。
……え、あれ。
なんか、お説教みたいな事になってない?
ボク何か間違っただろうか、とおずおずその前に腰を下ろすと、サキはボクの緊張を和らげるように笑い掛けて、頭を撫でた。
「あのね。どうやるかって聞いてくれたけど、キスって、やり方を聞いてわかるようなものじゃないんだよ。私にも、上手く教えられないの」
「そう、なの……?」
サキは、大人なのに?
それに多分、人生経験だって、ボクよりいっぱいしてて。
そう言ったら、彼女は笑って首を振った。
「『どうするか』は、そんなに重要じゃない。どうやって想いを伝えるか、の方がずっと大切でしょ」
「どうやって……?」
「たとえば、手を繋いだらハグ、ハグの次はキスをして、って段階で順番が決まってるみたいに思えるけど、本当はそうじゃないでしょ?
抱き締めても、傍にいて触れてるだけでも、それで愛情を伝えられない訳じゃないよね。夜羽くんがキスに拘るのはどうして?」
「……」
そう聞かれたら、どうしてか分からなくなってきた。
なんとなく、その方が大人っぽいと思ってたから。早く、そういうことにも手を出さなきゃって思ったから。……でも、そんな言い訳をサキにするのは、ひどく恥ずかしい感じがしてきて、ボクは俯いた。
慌ててサキが、ボクの両手を握り締める。肉厚ではないけど、指先はぷにぷにしてて、あったかい手。
「子供だと思って、はぐらかしてるわけじゃないんだよ。
夜羽くんの気持ちは、一生懸命ですごい伝わった。でもなんか……もしかして焦ってるのかな、って思って」
「焦ってるのかな、ボク」
守護天使になる前は、十八歳までしか期限がないって言われてたから、焦ってたのは当然なんだけど。
ボクは何となく、「ボク」に負けた気がしていた。
簡単な魔法は使えるけれど、それは大きく何かを変えたり、大災害や犯罪者からサキの命を守れるような力じゃない。子供だから体も小さいし、大人っぽい仕草や台詞も似合わなくて。ボクを強く意識する前にサキが他に好きな人を見つけたらそっちに行っちゃうんじゃないかって、ずっと不安だった。
「さっき、記憶はあるけど、前の世界の君と完全には一緒じゃない、って言ったよね。その通りだと思う。君の心は、他の子どもたちよりはずっと大人だけど、かといって完全に大人に追い付いてもない。
本当は、そうなんじゃない? 少しアンバランスな君の心に、君自身が戸惑ってるように見えたから。心が分かってても、体に引きずられちゃう事だってあるよ。
それは悪いことじゃない。中身と器が今までと丸きり違うんだから、当たり前だよね。
だから、無理しなくていい。私は、大人でも子供でも、そのまんまのヨルくんが好き」
そんな不安が、サキのたった一言で吹き飛んでしまって、ボクは瞳を上げた。
力強い目が、表情が、そんな些細な不安もボクの気持ちとして打ち明けて欲しい、と訴えている。
……サキが欲しいのは、大人のあれこれのやり取りなんかじゃ、なかったんだ。
焦らずに、本当の心と心が、通じ合うこと。
「私はその時まで、いくらでも待つよ。夜羽くんがいいって思える、その時まで。過去の自分がどうだったとかじゃなくて、夜羽くん自身の心で、そうしてもいいって本気で思える時までね。
……もしかしたら、その時には私は、おばあちゃんになっちゃってるかもしれないけど」
冗談めかして小さく笑ったサキに、ボクは勢い込んで首をぶんぶん振ってから答えた。
「そんなに待たせるわけないよ。サキに聞いたら、ちゃんとわかったから。
それに、ボクはおばあちゃんになっても、ずっとずっとサキが好き。皺だらけになっても、服や体が変わっても、ボクにとっては、サキがいっちばん、美人で可愛くて素敵だもん。
世界中で一番、愛してる」
「ヨルくん……」
ボクを見つめて大きく見開いたサキの瞳に、うっすら涙の膜が張ったのがわかった。
慌てる間もなくボクに飛び付いて来たサキの頭に、ボクは手を伸ばして撫でる。
「だ、大丈夫? ボク、何か変なこと言った?」
「ううん。言ってない。……ありがとう、ヨルくん」
「でも、サキ、泣いてる」
「泣いてない泣いてない。ちょっとだけよ。大人になるとね、愛してるって言われたら、嬉しい気持ちより先に涙が出て来るようになるの」
そう言って、指先で雫を拭ったサキの顔は、たしかに笑っていた。
泣かせちゃったかと思ったけど……違うのかな。
「あ……でもね? キスのやり方じゃないけど、キスにとっても役立つしためになる事なら、一個教えてあげられるよ」
「な、なに!?」
ばっと顔を上げたボクに向かって、ムラサキは得意そうに胸を張る。
「いつキスしてもいいように、ご飯の後にきちんと歯を磨いて、定期的に歯医者さん通ったり、フロスで歯を綺麗にしとくこと。口臭が気になっちゃうから、それだけはいっつも対策しとくんだ。
あと、水でいいから、顔も洗って綺麗にしとくこと」
ええっと……。なんかそれは、すごく当たり前のことを言われてる気もするけど。
テクニックとか、そういうのじゃなくて?
がっかりを誤魔化すみたいに目をぱちぱちさせたボクに、サキは声を上げて笑った。
「……ふふ、変でしょ。いつまでも待つって言ってるくせに、これじゃその間ずーっと、なんにもされないって分かってても、キスされるのを期待してる人みたいじゃない? 」
「!!!」
あっ、そうか。そうとも取れるじゃんか。
……ってことは、えっ、どういうこと???
大混乱で目を彷徨わせるボクの頭上に、サキの優しい手が乗る。
「本当は私、大好きなんだよ。キス。
でもね、本当には出来なくても、私の好きな誰かが、いつでも私にキスしたくなる自分でいたいなって、そう思って過ごしてるだけでうんと、心がときめくんだ。
……内緒ね」
そう言って、人差し指を立ててにっと笑うサキの事を、ボクはやっぱり、素敵な人だと思った。
別に、体が大人じゃないとか、言動が大人っぽくないとか、そういうのはサキにとって関係ないんだ。ボクはボクとして、サキが欲するように……いや、その望みをうんと越えるように、サキのことを愛せる人間になろう。
サキの気持ちはわかったし、ボクが慌てず少しずつ愛せるように、ってそういうつもりで言ったんだろうけど、
だって、サキとくっついてたら、朝な夕な、サキが「何をしたいか」ぐらいは、強い思念でわかっちゃうんだもん。
(早く大人にならないとって思ったけど……子供のままでも、サキは別にいいんだよね?)
覚悟してね、とほんのちょっと脅しを込めた不意打ちのキスに、サキはきょとんとするばかりで、まだ全然気付いてないみたいだった。
そしてR18編へ続く!!!(続かない)(いや続いたらこっそり載せます)