ルナのことを警戒しつつも案内する恵李朱だが……
(記憶がない……ね)
ボクは繰り出した街中で、少し前を歩く愛理とルナの姿を観察していた。
魔族の特性故か、厚着をしなくても寒さを感じないらしく、ルナはノースリーブのワンピース1枚で平気だと言ったけど、姿を見せられる状態で街へ出るなら、さすがに冬っぽい格好をしないと人間に怪しまれる。そう思って、適当にクローゼットから出したポンチョを魔法で縮めて着せた。
今は靴もボクらのを貸しているけれど、あいつは姿を消して人間界にいる間や、人前に出ない時、魔界にいる間は、ずっと裸足で走り回っている。その方が落ち着くのだという。
けれど、お洒落に頓着しないわけではないのだろう。夜羽が服を見せてやった時には、喜んで顔を輝かせていたし、今も愛理の横から興味津々で、デパートのショーウインドウを覗き込んでいる。
「おい。本来来た目的を忘れたわけじゃないだろうな」
「少ーし寄り道したっていいじゃないですかぁ。恵李朱さんだって、最初から見つかるわけじゃないって言ってましたし。夜羽さんのお土産も買わないとですから」
そう言って、自分が一番めちゃくちゃ楽しんでるような気がする。
買い物のついでに探し物をしているのか、探し物のついでに買い物をしているのか、どちらなのやら……。
泣きそうだった必死さは、この愛理という人が隣に現れたことで、すっかり影を潜めていた。まるで、記憶が戻るかどうかは二の次で、愛理が傍にいればそれでいい、というように。
昔からの友人か家族のように、親しげな笑みを向け、小さな手を決して離さないままで、幸せそのものといった表情を浮かべるルナを見て、ボクは目を細める。
(記憶喪失というのは、実は狂言なんじゃないか?)
そうであってもおかしくないというぐらい、愛理に対する態度だけは一変しているのが、よくわかった。
ボクには、上手く説明できないけれど……そう、「感情が篭っている」、というやつ?
演技や見せかけではない、夜羽や紫咲が互いに浮かべる表情と、それはよく似ている。
確かに、魂の記憶や肉体の記憶といったものは、本人の意識とは無関係に存在すると、聞いたことはあるけれど、これはそのレベルを超えている気がしてならない。記憶がないのに、こんなにはっきりと、ある特定の人間に対する好意だけが、刻み付けられていることがあるだろうか?
でも、記憶があるならなぜ、ボク達や愛理に嘘を吐く必要がある?
ルナ本人のメリットが、目的が、何もわからない。
「恵李朱くん、次はどっちへ行く?」
ふと、立ち止まった愛理に尋ねかけられて、ボクは慌てて頭を振った。
考えても仕方がない。
完全に心を許したわけではないけれど、少なくともボクが監視できる状況にいるだけマシだ。
通路脇の鏡に映る姿を見て、ボクは右の目だけをオレンジに光らせたのを確認すると、不思議そうにこちらを振り返るルナの姿を凝視した。
記憶がないからか、悪魔の目を通して見ても、相変わらず何の脅威も感じない……けれど、強い魔力を持っていることだけは、間違いない。愛理がついて来たのは想定外だったけど、ルナみたいな奴をあの家に夜羽と二人きりにしておくよりは、いいと思う。
「あちらにしましょう、マドモアゼル」
「……あの、恵李朱くんてずっと、僕の前ではその執事っぽいキャラ続ける気なの?」
「年上には礼儀正しくしなさいと、師範に教わっていますので」
「あ、そ、そう……」
「諸外国では、こうしてエスコートして差し上げるのが礼儀だと伺いました。お手をどうぞ、マドモアゼル」
「む。恵李朱さんズルいですよぅ。アイリさんは、今ルナと手を繋いでいるです」
「一人で降りろ」
「ぴ〜〜〜〜〜〜っ冷酷!!! 鬼! 恵李朱さんがイジメるです! ルナの足じゃ短すぎて階段なんて無理ですよぉ!」
「ど、どうしよう……夜羽がいないから、さすがにツッコミ不在で厳しくなってきた……」
愛理の呟く声が何か聞こえた気がしたが、ボクは構わずに彼女の手を取ってさっさと階段を降りる。
この先の雑貨屋に、魔力の気配があったはずだ。
そう言うと、愛理は不思議そうに首を傾げた。
「え? この先にお店なんて、なかったと思うけど……」
「まあ、見ていてください」
駅の地下街を歩き、通路の端の何もないところまで来ると、ボクはシャッターに向かって手を押した。途端、固かった鉄の壁がぐにゃりと歪んで、体が向こう側に貫通する。
愛理が息を飲んだ気配を感じながら、そのまま手を引っ張って導き入れると、ぜえぜえ息を切らしながら服の端を掴んだルナと一緒に、彼女はするんとこちら側の空間に入ってきた。
「すご……ゼリーみたいだった。なんだこれ」
「魔界と人間界の境目あたりに店を構える者は、このようにカモフラージュして出入り口を設けているのです。あまり長居出来ませんが、ここなら愛理さんが多少居ても影響はありません」
「中間領域ってやつかな……」
ランタンの灯る、暗く澱んだ独特の空気。
ぼろ布を纏った、明らかに普通の人じゃない者が虚に店番をしていたり、動物頭の異形たちが商いを行う、卑しきも尊きも、善きも悪しきも肩を並べた、人間界の裏通り。
ホラー映画で夜中にトイレに行けなくなる夜羽には、絶対無理だろうな。
物珍しそうに、怪しげな装飾がちらちら下がったストリートを見る愛理をルナに任せて、ボクはさっと店舗の列に目を走らす。
連れては来たものの、元より、愛理の力を借りる気はあんまりなかった。
ボクが見た方が早いし、何かおかしなモノがあればすぐにわかる。
このへんに最近妙な流れ物はありませんでしたか、と知り合いの店主に聞いていたところ、愛理がつんつんとボクの肩をつついてきた。
「ね。あれ、なんか似てない?」
そこは、島国で作られたアクセサリーを専門に扱う出店だった。
黒い布が敷かれた机の上に、金色や銀色の花のパーツが散らばっている。
ぴょんぴょん跳ねて台を覗こうとするルナを、愛理は抱き上げてやっていた。ボクはその横でスマホを出すと、ルナの服の刺繍と花のパーツを、しげしげと見比べる。
他にもいくつかアクセサリー用の花が並んでいるけれど、ドライフラワーでも、樹脂製でも、縮緬細工でもない、貴金属のそれに、ルナは確証を得てしまったらしかった。
「アイリさんがそう言うならぜ〜ったいにそうです! きっとそれなのです!」
「んな安直な理由があるか。……正直、花びらの枚数や形が似ている花など、いくらでもあると思いますが、愛理さんはこれだと思うのですか?」
「うん……僕もはっきりした根拠があるわけじゃない。けど、なんとなく気になって」
優しい声で愛理が言う。
じっ、とボクは魔力を込めた目を注ぐ。花びらを支える花脈の一筋一筋に、魔術が編み込まれているのがわかる。かなり精巧な品のようだが、魔力の量だけを見れば大したことはない。単純な魔力量と強度だけを見れば、良さそうな品が他にもある。
(でも、〝思い出〟だもんな……)
記憶や思い出といった類のものが、どんな重みや形をしているのか、ボクには検討もつかない。
力さえあればいいというものではないらしい。むしろ、ガラスのように繊細で壊れやすいものだと、伽々未や夜羽は言う。
(もしかして、組み合わせによって何か術式が完成する仕組みなのか?)
そう思っていたボクを迷っていると判断したのか、店主が擦り寄ってくる。
「お客様、お目が高いですなぁ。こちらはノーブランドですが、かなり良い素材で精緻に作られておりまして。知る人ぞ知る一品でございますぞ」
名のあるブランドの型落ちでもない、箔がつかない中古品を売る時の常套句じゃないか。
しかもまあ、こんな屋台ばかりの店並びでコピー品以外の純正ブランドが売ってるわけもないから、ノーブランドもクソもないし。
そう思ったボクの横で、愛理が問い掛けた。
「あの。こちらはどこで手に入れられたんですか?」
「おや。人間のお客様とは珍しいですねぇ。物流ルートは一見客には明かせない決まりになっておるんですが……お客様のお顔に免じて。仕方がない、特別ですぞ。
こちらは元々髪留めだったようでして、この台座に付いておった部品を、この通り、分解したのですよ」
「……!!!」
息を飲んだボクらの前で、店主はぬらぬらと長い舌を舐めずり回しながら、蝋燭のように細い指でそれらを掲げる。
「見つけた段階でバラバラに壊れておったので、別売りにしようと思ったのですが、部品の連結部が壊れておるだけでこの通り、一個一個は傷ひとつ付いておらず見事な出来栄えです。
台は真鍮製。磨けば光りますぞ。ご一緒に買っていただけるのなら、今なら併せてこの価格で、いかがでしょう」
そう言って店主は、数字を書いた黒板をボクに見せてきた。
愛理に下ろされて、台に手を置き背伸びで見上げていたルナのアホ毛が、ぴょこんと立つ。
ボクの腕に降りてきたサソリのあ〜るが、カチカチと巨大なハサミを鳴らした。
「足元見過ぎ。それなりの身なりで来たつもりなんだけど、ナメてんの?」
「これはこれは。失礼致しました。坊ちゃまは、大変この界隈での商いに慣れておられるご様子。
それでは、お連れの方々の見目麗しさに免じて、こちらの価格でいかがでしょう」
そこはお連れの方々じゃなくてボクも入れとけよ、とは思ったが、何度か交渉の末、及第点まで値切りに成功したので、ボクは頷いた。
黙ってカードを見せると、ルナはきらきらっと瞳を輝かせる。
「え、恵李朱さんが払ってくれるですか……!?!?」
「あんた、この世界のお金持ってないんだろ。ツケにしとくからな。後で元の世界に帰ったら絶対返せよ」
「わーいです! ありがとうございますです! ルナ、恵李朱さんにしていただいたこの御恩は、一生忘れないです……!」
ぴょんぴょん跳ね回って大喜びするルナ。
……この笑顔に似たものを、雀愛に強請られてコンビニでカップスープの金を貸してやった時も見たような気がする。エリくんがいないと凍え死ぬところだったとか、一生恩に着るとか言われたが、そういえば結局返って来なかった。こいつらまさか同類じゃないだろうな。今回は、カップスープとは比にならない金額を貸してやってんだけど。
あとで契約書に印でも切らせるべきか、本気で検討した方がいいかもしれない。店主が後ろを向いて会計と包装に集中するのを予断なく眺めながら、ボクは肩の上でカサコソ動くサソリに呼び掛ける。
「あ〜る。もういいぞ。お前本当はビビってんだろ」
「恵李朱くん、デカいピアスしてるなと思ってたけど……それ本物だったの?」
「使い魔ですよ。人間界では、装飾品のフリをしているだけです」
呼ばれたかのように、左側の髪がにゅっと持ち上がった。蛇の目頭と、左耳についているサソリのえるが髪の隙間から顔を出し、愛理を驚かせる。
まあ、目頭は師範のだから、正確にはボクの使い魔じゃないんだけど。
あ〜るは大柄だが、小柄なえるの方が、針の持つ毒はずっと強い。あんまり店主がゴネるようなら、最悪こいつらを使って脅しも辞さないつもりだったけど、そうなる前に良心的な値段まで値切られてくれたので、まあよかったと言うべきなんだろう。
戦利品の綺麗な紙袋を携えたルナが、店主に礼を言い、ご機嫌な顔で前を歩き始める。
「わーいわーいです!」
「おい。大事なもんなら落っことすなよ」
「だいじょーぶですっ。ルナ、この魔力の気配は覚えたのです。それに、大事なものなら落っことさないようにもう付けたらいーのです!」
「バカ、だからってここで開けるな。さっき部品はバラバラだって言われたろ。あっちに戻ってから直すぞ」
歩きながら開けて溝にでも落っことしたらどうするんだ。
それに、愛理のためにもこれ以上ここには長居したくない。
まだ元気そうだけど、ここにだって薄めとはいえ瘴気が漂っているし、本来何の装備もなしに人間がやって来るところじゃないはずだ。ボクがいるから、多少は守れるはずだけど。
それにしてもルナの奴は、あれほど大はしゃぎしているというのに、全然疲れた様子も見せない。まあ、あれほど何度も魔界で顔を合わせているんだから、こいつが天人の類じゃないってことぐらい分かりきった事だけど、振りまく愛嬌といい白っぽい服といい、一見天使に見えるような奴が瘴気を浴びても元気いっぱいというのは、見ていて妙な気分だった。なんかこう、不思議を通り越して不気味だ。
まあ、魔族が白い衣装を着るかどうかなんて単に好みの問題だし、別に変じゃないけど。「指輪物語」の白の魔法使いだって、悪役だしな。
帰り道にそう考えていると、愛理が感心したようにこっちを見下ろしてにこにこしてるのに気付いて、ボクはふと顔を上げた。
「……何か?」
「びっくりしたよ。君は値切るのが上手いんだね」
「多少いい身なりをしていても、見た目や年齢だけで、下に見てくる輩はいますからね。まっとうな格式高い店なら、いくら子供であろうと対等な待遇をしてくれますが、此処は隙さえあればぼったくろうという根性の奴で溢れているので。多少警戒していれば、慣れもします」
「いやいや。ああいう場所で、思い切った交渉に出るのってなかなか難しいよ。僕も、昔はだけど、多少値切りと縁のある環境にいたからね。よくわかる。君の才覚と、努力の賜物だな」
なんだろう。そこまで手放しで褒められたことがないので、よくわからない。
胸の奥がムズムズして首を傾げると、変な顔でもしていたのか、愛理に笑ってくしゃっと頭を撫でられた。
「手にヘアワックスが付きます、マドモアゼル」
「あはは、そんなん気にしないよ。君はいい子だね」
「……。いい子というのは、夜羽のような人間に向けられるべき言葉ではありませんか?」
「恵李朱くんも、いい子だと思うけどなあ。だって君は、夜羽のことも、ルナちゃんのことも、ちゃんと考えてあげてるじゃないか」
それは、目の前のややこしい問題が早く片付いて欲しいだけで、やさしくしたくてしてるわけじゃない。
まったく、人間ってみんな、変なことを言う。ボクの師範も、魔族にしては相当変わり者だと思うけれど。
来た時と同じように、愛理の手を引っ張りながら、ボクは裏通りからのゲートを戻った。
地の文が「愛理」呼びなので、内心ではまだ親交の少ない愛理を対等か下に見てるけど、表面上の扱いは丁寧な恵李朱くんというのが個人的にツボです(^q^)