なんと運よくもう一つのパーツを見つけるが、その帰り道、思わぬ事故に巻き込まれる。
一方、家で待っている夜羽は……
※一部にグロテスクなシーンが含まれます。ご注意ください。
相変わらず車通りは多いけれど、歩道は広くて歩きやすいし、中央分離帯を挟んで何本もの車線がまっすぐに続く国道は、今日も整然と冬の空気が冴え渡っている。寒いけど、空はよく晴れて綺麗だ。
街中にしては緑が多い公園の敷地内に着くと、ルナちゃんが不思議そうに広場の中央あたりに見える建物を指差した。
「あの大きくて丸いモノは何ですか?」
「ああ、あっちは科学館だよ。今日は平日だし比較的空いてるかもしれないけど。ドームの部分は、プラネタリウムになってるんじゃなかったかな」
「プラネタリウム……それはなんか聞いたことあるです。星を見られる機械のことです?」
「うん。そうだよ」
本当はゆっくり二人を連れて回りたいところだけど、あそこは大人でも潰そうと思えば一日潰せるくらい、中広いからなぁ。
そう思っていたら、二人も気持ちは同じだったのか、恵李朱くんとルナちゃんは両脇から同時に僕を見上げた。
「だったら、夜羽さんが元気になってから来た方がいいですね」
「まあ、興味深くはありますが、特に今日急ぎで見なければいけない訳ではありませんしね」
ルナちゃんはにっこりと、恵李朱くんは相変わらずの平然とした表情で、うなずく。
本人達に自覚はあるのか知らないが、相変わらずいい子の模範みたいなお答えだなぁ。
「じゃあ、中のミュージアムショップだけ見て行こうか」
というわけで、夜羽へのお土産に宇宙食が増えてしまった。一体何をしに行ったんだと呆れられそうだ。
エントランスの前にある、巨大なロケットの周りをうろちょろしてはしゃぐ二人を見守っていたら、ルナちゃんがふと立ち止まって、くんくんと小さな鼻を動かした。
「どうかしたの?」
「……近くから、このお花と同じ魔力の匂いがするです」
「えっ、じゃあこの近くにあるってこと!?」
光の粒を輝かせる噴水の方へ駆けて行ったルナちゃんは、だだっぴろい芝生の広場を仁王立ちで見渡した。視線の先を追うと、ぐるりと囲んでいる木立が気になるようだ。
「うぐ……さすがに一本ずつ調べるのは骨が折れそうですね。ルナはこの身長ですし」
「じゃあ、ボクの上に座ればちょっとは見えるんじゃない」
「僕また肩車しようか?」
「そう何度もマドモアゼルの手を煩わせるわけにはいきませんよ」
そうスマートに言った恵李朱くんは、僕が手を出すより早くルナちゃんを担ぎ上げて肩車する。完全に妹の面倒を見てるお兄ちゃんみたいだ。本人たちは真剣みたいだけど、二人の間をついて遊歩道を散歩している僕としては、微笑ましいことこの上ない。
やがて、美術館側の道の一角で、ルナちゃんが叫ぶと同時に恵李朱くんが足を止めた。
「あったです!」
小さなぷくぷくした手が興奮気味に指差す先に、何かきらりと反射するものが見える。遠目からはよく分からないが、確かに何かが引っ掛かっている。
僕たちは茂みの方に立ち入って幹を揺らしてみたが、丁度上手く枝と枝の間にでも挟まっているのか、なかなか落ちてこない。かと言って、僕が足を掛けて登るにはちょっと幹が細いというか、心許なくて登りにくそうだし。
足元で必死にぴょんぴょん跳ねるルナちゃんは可愛いが、僕でさえ無理なのに、それでは多分永遠に届かないだろう。
「うーんと……」
周囲を見渡すと、同じような木が何本か密生している。そのうちの一本は幹がしっかりしていて、僕の体重でも危なげなく登ることはできそうだ。
見かねたように、恵李朱くんが僕の服の袖を引っ張った。
「ボクの箒を呼びましょうか?」
「いや……大丈夫。何とかしてみるよ。えっと、君の魔法で、一時的に僕の姿を隠しておくことってできる?」
「ウィ、マドモアゼル」
人通りは少ないし、別に悪いことするわけじゃないけど、一応ね。
「二人とも、少し下がってて」
幹が太い方の、分かれた枝の節目に手を掛けて、僕は上の方へと体を引っ張り上げた。幹に足を引っ掛けながら安定した場所まで登ってから、僕は足場にできそうな傍らの木の幹と、きらりとパーツが光っているもう一方の木の枝を見比べて、狙いを定める。
「よ……っ、と」
がさり、と葉が枝を揺する大きめの音がした。
ルナちゃんが息を呑んでいる間に、僕は登っていた場所から片側の木の幹へ、ぱっと足場を移した。壁を蹴るようにして幹を飛び出し、その反動で向こう側の細い枝へ。体が宙に浮いて地面の上を飛ぶ数瞬、浮遊感が僕を襲う。
届け、届け。
伸ばした手の指先が、何かを掠めた。光っていたものを掴んだと思った拍子に、体が落下して落ち葉がずざーと凄まじい音を立てたけど、なんとか両足で着地はできた。枝に触ったせいでぱらぱらと葉っぱが幾つも降ってくるのを払っていると、ルナちゃんと恵李朱くんが駆けてくる。
「アイリさん! おケガはありませんか!?」
「無茶なことを……」
「あはは、平気。ありがと。こんなアクロバティックなことしたの久しぶりだから、随分緊張しちゃったよ。よかった、ヘマしなくて」
「すごいですー! アイリさん、ヒーローみたいですっ! めちゃかっこよかったですー!」
はいこれ、と握っていたものを手渡すと、ルナちゃんがぱああっと掌に乗せて目を輝かす。
僕もそれまで何なのか分からなかったけど、じっと目を凝らすと、それはダイヤモンドのような宝飾で彩られた葉っぱのようだった。
「裏に針でもついてたら、ブローチみたいだね」
「です……これも、魔法でくっつけられますかね」
一旦外した飾りに、ルナちゃんが銀の葉っぱをぴたっとくっ付けると、緑色のふさふさした葉が花の側に生えて、ますます豪華になった。
「なんかほんとに……フラダンスのお稽古で付けるやつみたいだな」
「これが首に掛かってたら、完全にフラダンスですね」
「む。じゃあもちょっと控えめにしておくです」
葉っぱの大きさを適当に縮めてから、ルナちゃんがそれを頭に挿し直す。白やクリーム色が基調になった花と、柔らかな緑の葉のコントラストが、とても綺麗だ。
「残りのあの、丸いパーツはなんだったんだろうね」
「さあ……でも、これ以上この辺りに何かがありそうな気配は感じないですね……」
ルナちゃんが周囲を見回して言うので、僕らは今度こそ一旦引き上げることにした。
まあ、単なるラッキーかもしれないけど、一回の外出でこれだけ見つけられたのなら上出来だろう。
僕たちは満足して公園を出た。
黙々と食べたものを消化するにも最高の天気だったし、いい運動になったし。
だから、さっきと同じように駅へ向かう大通りを歩いている間は、完全に注意力散漫だった。
見通しのいい道路を眺めながら、立ち並ぶ背の高いコンクリートの建物に埋もれた、喫茶店や隠れた店の話をしたりして。
いくらなんでも、こんなことあったらもうちょっと早く気付くと思う——いや。いざ降り掛かったら案外誰でも、突然のことには対応できないのかもしれない。
だって、まさかだろう?
上の方から、大きな軋む音と影が近付いてきて——見上げたら、建設中のビルにあったクレーン車から、離れた鉄骨が降ってくるなんて。人生で誰が想像するだろうか。
僕ら三人、漏れなく唖然としていた。
潰されたらひとたまりもなさそうな鉄材が目の前まで迫っていた時には、何かの冗談じゃないかと思うくらいだった。あまりにあり得ないと脳が思い込むが故に何の感情も湧かないほど非日常な光景で、けれど冗談ではないと気付くには時間が足りなさ過ぎた。
——走馬灯って、残された時間の中で、脳が必死で回避手段を探すために見るんだっけ。
一緒にいた二人を守る余裕もないほど、馬鹿げた顔のまま突っ立っていることしか出来なかった僕を、無慈悲に、残酷に、圧倒的な質量で磨り潰す地響きと衝撃が襲った。
*****
「う…… ……?」
薄暗がりの中、僕は呼吸に喘ぎながら薄目を開けた。
砂埃の向こうから、車がクラクションを鳴らす音と、人々の怒声悲鳴が聞こえてくる。
ざわめきの合唱。そうだ、さっき鉄骨が降ってきて……?
あれだけの大事故だったというのに、やけに声が遠く聞こえるのは、自分が今この世を離れかけているからなんだろうか。
そう思ってからおかしいことに気が付いた。こんなことを考えられる余裕が、下敷きになったはずの自分にはあるということに。だって、激痛じゃないし体の感覚もある。確かに首の後ろ側や節々が痛かったが、それは不意の拍子に転んで頭を打った程度の痛さで、間違いなく鉄骨に潰された人間の感覚じゃない。
じゃあ、僕は生きている……?
一体、何があった?
(そうだ、二人は!?)
ぼんやり寝転んでいる場合じゃない、と思ったその時に、初めて全身に戦慄が走った。
痛む手や足の関節に顔を歪ませながら、必死で体を起こすと、お尻の下にはコンクリートの感触があり……ビルに挟まれた細い道の、ゴミ箱が置かれた裏通りみたいな場所で、誰かが誰かを呼び覚ます声が聞こえた。
「おい……おい! しっかりしろ!」
恵李朱くんの声?
今までに聞いたこともない、緊迫した声音に振り返って、地面を這うようににじり寄った僕の掌を、ぴちゃりというぬるついた感覚が襲った。
赤い——これは?
顔を上げた先は、血の海だった。文字通り、瓦礫を回り込んだ赤い川が僕の方まで流れ込んでくる、現実感がないほどの血溜まり。
でも、これを流しているのは、ここにいる僕でも、必死の形相で声を掛ける恵李朱くんでもない——ということは。
靴が血を跳ね上げるのも構わずに、駆け寄った。そして瓦礫の向こう側に、見た。
ビルに寄り掛かるように頭をもたせ、ぐったりと目を閉じて座らされたルナちゃんの、鮮血に染まったワンピース。座らされた……いいや、立て掛けられた、と言った方が正しいかもしれない。
だってそこに——捲れた真っ赤なスカートの下に、あるべきものが、ない。
彼女の両脚……腰から下の下半身が、そっくりそのまま、なくなっていた。
「ッ、」
こんな——
花開くような笑顔を浮かべていた顔が、べったり血飛沫に汚れ、紅くに濡れた髪が力なくぺたんと血溜まりに浸っている。スカートも、元は何色だったのかわからなくなるような有様だった。一生懸命動かして、ちょこまか走っていた両脚の代わりに、赤くどす黒い血が溜まっていた。何かに潰されたように腰回りの肉は醜く潰れ、けれどその割には血の滴る内臓の断面は、やけに綺麗なような——
「とりあえず、魔法で人間の視線を隠しながら、あんたとルナをここまで運んだ。
千切れた脚は回収して、止血の処理もした。けど……」
唇を噛む恵李朱くんを見ていた視界がぐらつく。
思わずへたり込んだ体の、頭のてっぺんから指先がすぅっと冷たくなった。氷でも詰まっているかのように、体が震えて動かない。
こんな凄惨な現場を、こんなに酷い現場を見たのは、——誠の事故の時以来だ。
と、思い出した瞬間、自分が事故に遭ったわけでもないのにすぅっと遠のきそうになる意識を、僕は拳を叩きつけて叱咤した。
僕がしっかりしなくてどうするんだ。あの時と同じに、動けなくなって、二の舞になってどうするんだ。
「こ、これ……どうして、」
「こいつが、鉄骨の下敷きになる瞬間、あんたを庇った。あんたの体があった場所で、代わりにこいつの体が潰された。なんとか全身潰れるのは避けられたみたいだけど……それでも虫の息だ」
頭が、真っ白になった。
そんな。じゃあ。なんで。僕のせいで。
考えるより早く、薄く弱々しく胸を上下させるルナちゃんの体を見ながら、恵李朱くんに呼び掛けていた。
「それより早く! 病院! 救急車を! 事故現場はすぐ近くなんだろ!? だったら早く……」
「悪魔を見てくれる病院がどこにあんだよッ!? 保険証も籍もない奴を、魔力供給一つ出来ない普通の病院に担ぎ込んでどーすんだッ!」
喉が破れそうな声で怒鳴られて、身がすくんだ。
そうだった。この子達は、普通じゃない。
眉を歪めて小さく息を吐いた恵李朱くんが、魔力に輝く手を翳して、何かしていた。
「普通、魔族とか天人にはある程度の自然治癒力が備わってる。呪いや病じゃなきゃ、怪我を負っても肉体を生やして再生することができる奴もいる。
けど、肉体の損傷が大きすぎた。この失血じゃ、再生に必要な魔力量が足りない。それに、こいつは……」
ぎっ、と鋭いオレンジの目で、恵李朱くんが端の壁を睨む。
側に置かれた、ルナちゃんの脚……バラバラになったそれを、やけに軽そうに恵李朱くんは持ってくる。それと体を見比べて、恵李朱くんはまた唇を噛んだ。
「アイ……リさん」
「!」
まだ喋れるのが驚異的な状態だというのに、ルナちゃんが意識を取り戻して僕を呼んだ。
これだけの血を流しているのに、青ざめた唇で僕の名を呼びながら、血を浴びた瞳でまだ微笑んでみせる。
「よかった……無事……だったん、ですね……」
「なんで……なんで、君はここまで……!? 元の世界で知り合いでも、君にとっての僕は赤の他人で、君だって僕のことを覚えてないんだろ!? どうして僕を守った!? 僕だって君のことを何も知らないのに、なんでそんな人間の為に! 命まで守ろうとして、なんで……ッ、こんな、真似を……ッ!」
言っているうちに、涙が溢れてきた。頬を流れてくる感触を、知らない何かのように僕は受け止めていた。
これ以上彼女に喋らせたくはないのに、叫ばずにいられなかった。守ってくれた恩人に言うべき言葉じゃない。今尋ねるべき言葉じゃない。一方的に命を守られたことへの八つ当たりをする自分を、酷いとは思う。わかっていても、理不尽への怒りなのか、何も出来ない哀しみなのか、胸を突き破りそうなほどの感情が理性に追いつかなくて、僕は叫んだ。
そんな僕に、ルナちゃんは口元の微笑みを絶やさなかった。頭の上の花だけが、白く優しく輝いている。
「だい……じょぶ……です。どの、せかいに……いても……おぼえて、なくても……
ルナに、とって……アイリさんは、みんな……アイリさん、ですから……なにも、かわりません」
「ルナ……」
「いのちを……かけても……まもりたい、ひとです」
にこっとして目を閉じた彼女の瞼から、真珠のような涙が零れていった。
慌てて手を掴むと、ぴくりと指先が動く。
「えりす……さん」
「分かってる。喋るな。でもこれは……ボクでもどこまで処置できるかわからないぞ。
こんなのは、見たことがない」
躊躇いがちに恵李朱くんが視線を落とした、千切れた肉体。パニックになった頭では生々しく見えていたはずのそれが……とうとう僕の頭までおかしくなったのか、妙に作り物めいて見えてきた。
内臓があるはずの場所に、血に染まった綿が詰まっているし、はみ出した内臓が合成繊維めいてキラキラ光っているし、潰れて引き千切れていたお腹の断面や脚の付け根は、まるで皮膚というよりは、縫い目から無理やり布地を破ったような……
(……あ?)
錯覚じゃ、なかった。
まじまじと見た彼女の素足に、裸の肌に、手術の後とはまた違う——明らかに針と糸で作られたような、縫い目がある。触るとでこぼこして、そこを伝いながら腰の下を触ると——骨盤や関節があるはずの場所は、見たこともない人工物が入っていた。つるりとした黒い鉄。少なくとも、骨じゃない。
そんなものと、真っ赤な鉄の匂いがする血や、細切れになった肉塊が、混ざり合っている異様な現状。
「ふふ。ばれちゃいましたね。ルナが、ニンゲンじゃ……ないって」
力無い笑いと、自嘲的な吐息が溢れる。
そうだ。綿が詰まって生きている人間なんていない。常識的に考えれば当たり前のことのはずなのに、目の当たりにしてもまだ信じられなかった。
だって、君は僕たちと全く同じに笑っていた。走って、食べて、はしゃいで、……繋いだ手は柔らかくて、触れた頬はあたたかくて。あまりにも人間そのものだった。そこには何一つ、種族以外の違いなんてないと思っていたのに。
呆然としていた僕は、こんとブーツの踵を鳴らす音で我に返った。
蒸発し始めていた血液が、恵李朱くんの手元にある瓶の中へ戻っていく。人工的に見えるほど鮮やかな赤い液体を、マントの内側に彼が仕舞う時には、血の海も血痕も跡形なく消え失せていた。
恵李朱くんは、もはや呼吸をしているのかもわからないほどぐったりしたルナちゃんと脚を背負い、立ち上がった。元々魔法で遮断していたのか、ぺらりと空間の端をカーテンのように捲ると、太陽の眩しい光が差し込んでくる。
僕は慌てて立ち上がった。
「ど……どうするの?」
「治癒魔法はボクの専門分野じゃないけど、やるしかない。とりあえずここじゃ何もできないから、夜羽の家まで連れて帰る。悪いけど、あんたももう帰って」
恵李朱くんは、振り向かない。
その姿に、さっきまでの激昂した様子は見られなかった。落ち着いた、いつもの冷静な恵李朱くんだ。
淡々と僕に背を向けて光の向こう側に姿を消そうとする後ろ姿を見て、すぐには動けなかった。慌てて、振り向かない影に呼び掛ける。
「そ、そんな……いくらなんでも、君達を放って帰るなんてこと」
「同情ならしなくていいよ。こうなることは、庇った時点でルナもきっと覚悟してた。別に、あんたの罪悪感を消すためだけに優しくしてほしいなんて、ボクらは思ってないから」
「そんなこと……僕はただ、」
「わかんないかなぁッ! 人間のあんたが横に居たところで、出来る事なんか何もない! 邪魔だって言ってんだよッ!」
振り返った鬼の形相の中で、燃えるような瞳が僕を睨み付けていた。
獲物を射止める、痺れて動けなくなるほどの殺気を孕んだ瞳。けれどその中に、どうしようもなく縋り付くような狼狽の色が揺れている。
彼だって、どうしたらいいか分からないはずだ。その小さな肩に、重いものを背負って。ルナちゃんと同じように、命を懸けてしまうほどの想いを背負って。
「……」
本当に、何もできないのか。彼らが人間でないという、それだけで。
お荷物になるくらいなら、大人しく踵を返すべきかと、僕が両の拳を固めた時だった。
背負われたルナちゃんの唇が、恵李朱くんの耳元で小さく動くのがわかった。はっと、彼の瞳が見開かれる。
「……恵李朱くん?」
無言のまま、彼は振り返って僕を正面から見つめる。幼い体躯から溢れる、堂々とした迫力。
値踏みするような目が僕の上を上下し、一旦伏せられてから、もう一度僕を見た。
「……あんたに出来ることが、一つだけある」
「……え?」
「手伝う気はある?」
一体何だろう。見当もつかないけれど、それが僕に、出来ることであるのなら。
力強く頷いて、僕は彼が作り出した魔法陣の光の中心へ、飛び込んでいった。
*****
「……愛理たち、今頃何してるかな」
短い昼寝から目覚めた時、みんなはまだ帰って来ていなかった。
まあ、何か買って来てくれるって言ってたから、思った以上に売り場が混んでるのかも。もうそろそろ、場所によってはバレンタインのイベントが始まってるし。
恵李朱が残していってくれた雑炊をチンして食べてから、僕は何とはなしに、机の引き出しにしまってあった小箱を開けた。
恵李朱が時々、通学路で拾ってはくれるビー玉を、ここに入れてある。まあ、あいつはしょっちゅう色んなところにふらふら出掛けてるから、本当に「通学路」なのかわかったものじゃないけど。あの理屈だと「学校の行き帰りに通る道は全部通学路だ」とか言いそうだ。
まだ少し咳が出るので、僕はベッドに座ってから、カーテン越しの光にビー玉を翳した。
恵李朱が一個一個魔法を掛けて、炎を入れたような見た目をしているビー玉は、全部違う色や輝きをしている。一度、恵李朱がぶーっと息を吹き込んだら、割れる直前くらいまで膨らんだ風船みたいになって、すごく面白かった。
何を考えているのか相変わらずよくわからない奴だけど、一緒にいると、一人より心があったかく感じる。ほんの少し、みんなが帰って来るのが待ち遠しかった。
「ん……?」
ふと、太陽に当たっていた箱の中で、ガラス玉がちかっと光って、ボクは目を眇める。
なんだろう。ボクは一つを取り出して、しげしげと眺めてみた。
魔法が掛かっただけの、ただのビー玉。でも、これだけ何か、他のビー玉とは違うような気がする。見た目も大きさも重さも変わらないのに、うまく言えないけど、何かが違うような……
目をくっつけて、よーく中を覗き込んだ。
透明な世界の中心に、何か暗いものが見える。オレンジ色が、だんだん青と混ざって紫に変わり、夜になっていく空のような……不思議な世界が、ビー玉の中に広がっている。
こんなのはじめてだ。それとも、ボクが見たことなかっただけで、他のビー玉の中もこうなってるのかな。
不思議になって、別のと見比べてみよう、と思った瞬間。
指を離すより前に、すごい勢いで何かに引っ張られた。
と思ったら、ボクは不思議な宙の中を飛んでいた。水の中のような、空を飛んでいるような……周りを取り巻く色を見て、さっきまで見ていたビー玉の中身とそれが同じだということに気付く。
(ええっ!?!?)
ボク、ビー玉の中に吸い込まれちゃった!?
さっきまで、何の魔力も感じなかったのに。でも、どんどん体は奥に運ばれていく。気泡の浮いた夕焼け空のような光が遠ざかり、星の浮かびそうな青に染まって、それよりもどんどん暗い——深い紫色の世界へ。
抗う術もなく、ボクは飛ばされ続けていた。
そして、洗濯機のように回る世界に巻き込まれながら、ボクの耳にはどこからか聞こえていた。
古いページを、何枚も捲るような音が。
突然ですが、次回からの4回分はルナの過去回想編になります!
色々気になることが沢山出て来たところで、彼女の真の姿に迫る「紫紺之巻」をどうぞお楽しみに。
そんなに深いこと考えてタイトルはつけてないのですが、紫系統の中でも血の色を意識して赤めのものを選んだので葡萄之巻だったというお話…。
こんな状況なんですけど、この状況下になって初めて恵李朱→愛理への口調が普通になるのあまりにカッコよ過ぎなんですよねハゲ死にました。
全部好きなんですけど、このシーンに出て来る恵李朱くんの淡々とした喋り方と冷たい目と、突然の怒鳴り声とのギャップは本当にめちゃくちゃ好きです。