2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

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これは、昔々の物語。
遥か遠く、魔法があったどこかの国の、とある人形の物語。


Day29.地下一階 「Sacrifice」紫紺之巻(第一巻)

*0

 

 時は遥か昔、とある魔法の世界にある、とある場所。

 自然の多い辺鄙なその町に、一人の人形師が暮らしていました。

 彼女は人と口を聞くことはできませんでしたが、代わりに操り人形を使って、町の人と筆談や会話をすることができました。人形師は、自分の作る人形とだけは言葉を交わすことができましたので、自分の思っていることを、代わりに伝えてもらっていたのです。

 無口な店主が営む、奇妙な人形の店。

 周りの人間には、何を考えているかよくわからない、と気味悪がられていた人形師ですが、そんな彼女も大好きな人形に囲まれ、人形たちに微笑み掛けている間だけは、どこにでもいるごくごく普通の少女の顔でした。

 

 そんな人形師は、ある時、自分の魂を分けた大切なお人形を作りました。

 それまでに作った人形たちは、人形師の言うことを聞き、自由自在に動き回ることが出来ましたが、その人形はもっともっと特別でした。

 ガラスのような、白銀の長い髪。アメジストのような、薄紫色の瞳。

 どこからどう見ても、人間の小さな女の子のような、なめらかでもっちりとした肌。

 自分の頭で考え、話し、学ぶことができる、世界で一番美しいお人形。

 よく変わる表情で、その人形はいつもどんな日も、人形師の後をついて回りました。

 そのお人形は、生まれたその瞬間から、人形師のことが大好きでしたから。

 人形師も毎日毎日、お人形の糸のような髪に櫛を通し、手塩にかけてその子を可愛がりました。

 

 けれど、人形は人形。お店のものである以上、いつかは売りに出さなければなりません。

 ある日、人形師は、色のなかったお人形の髪を茶色く染めて、川で染め粉を洗い落としながら言いました。

 

「■■■■、お前は生まれたんだよ。パパとママに会うために。

この世で一番、お前を求めてくれる、あたたかい家族に会うために」

「そんな人、■■の他にはいらない」

「そんなことはないさ。お前は、大切な人と幸せに生きる為に、私が作ったのだから」

「どうして、ワタシは行かないといけないの?」

 

 くるりと巻いた毛に、新しく入れられた違う色の瞳。

 別人のように生まれ変わっていく人形を見て、ふと櫛を動かす手を止め、人形師は言いました。

 

「……いいかい。選びなさい。お前がもし、本当に辛くなったら。

私はお前を売り渡すけれど、誰よりもお前が持ち主に愛されることを願っているけれど、もしもの時は、お前を傷付けることすべてから逃げるために……選びなさい。

それはね、正しい行いなんだよ。お前には、私が与えた〝こころ〟があるからね」

 

 大きな掌が、焼きごてで巻いた巻き毛を撫でます。お人形は黙ってその言葉を聞いていましたが、最後の言葉だけは、まだ理解できませんでした。

 お客の元へ行く人形のために、それは人形師が与えた、最後の情けだったのかもしれません。

 彼女にとっても、そのお人形は、一番の傑作でしたから。

 

「お前には、新しい名前をあげる。お前が成るべき、新たな魂を吹き込んであげる。

だから、お眠り。明日には、新しい人生の始まりだ」

「今の名は、忘れなくてはならないの?」

 

 夜眠る前、ベッドの中の人形に、人形師はやさしく語りかけました。

 

「元の名なんて、必要なくなるさ。

けれど、万が一の時のため、(よすが)は残しておこう。お前が、いつでも、ここに帰って来られるように。この名を使うことがないよう、祈っているけどね。

——いつかお前が、本当にお前を好きになってくれる人と、共に生きられますように。

おやすみ。私の■■■■■■」

 

 青い青い月が昇る、静かな森の奥の夜。人形が生みの親と過ごした、最後の夜でした。

 そして、次に人形が目を開けた時。

 そこには、見知らぬ街と見知らぬ人の暮らしが広がっていました。

 

*1

 

「さあ。ここが今日から、君の家だよ」

 

 口髭をたくわえた「パパ」に手を引かれて、お人形は丸太の家の中を見回しました。

 やかんが湯気を立て、暖炉の中では火が燃えています。

 開けっぱなしの窓から入ってくる、清々しい森の空気。けれども、お人形がかつていた町とは、植わっている木の種類も風の匂いも違って、それらは全然馴染みなく感じました。

 昼間なのに、陽の当たりが悪くどこか薄暗く感じられる家の中で、おかみさんのような人が、エプロンをしたまま曖昧に微笑んでいました。

 

「この人が、君のママだ」

「ママ…………?」

「ユリア、何か言ってやれ」

「可愛いお嬢ちゃん。今日から、あなたはうちの子になるのよ」

 

 緊張しているようだけど、どこか喜びと期待を孕んだ様子に、お人形はにこっとしてお辞儀をしました。

 花の咲いたような笑顔に、その夫婦は息を飲みました。

 

「会いたかったわ。パパ、ママ。私ずーっと、この日を待ってたのよ! 本当に会えるなんて、夢みたい」

「ああゲオルク、この子は……! 本当に……!」

「言っただろう、ユリア。本当にそっくりなんだ」

 

 ぺたぺたと、涙ぐんだ「ママ」が両の頬を触るのを、人形は不思議そうに受け入れながら見上げていました。

 

「どうしたの、ママ……? 悲しいの? 泣かないで。私はここにいるわ。ずーっとママと一緒よ」

「ああ、抱きしめた時のこの巻き毛の感触、柔らかなお日様の匂い……野っ原を駆け回っていたあの子を抱き締めた時と、おんなじ。帰ってきた。本当に、あの子が帰って来てくれたのね」

 

 とめどない涙をはらはらと流す女の人は、ふと涙を拭って、人形の傍で立ち話を始めました。

 

「ああ、けれど……! あの子の代わりを、まさか人形なんかにさせるなんて……!」

「これはただの人形じゃない。あの子の記憶や癖を受け継いで、訓練すればそっくりその通りに動く。君はいつも会いたがっていただろう。動き、笑い、はしゃぎ回るあの子に」

「けど、あの子は死んだわけじゃないのよ! 一体どうやって……」

「だからこそ、魂の記憶を引き継いでもらったのさ! これは、それができる特殊な人形だ」

「本当に、タダで譲っていただいたの?」

「なに、気に入らなければ返せばいい。先方も、試験運用なんだ。試用期間中に不都合があれば、一切費用は取らないと言ってきた」

「ねえ、ママ。早くご飯にしましょうよ。私お腹空いちゃった」

 

 服の袖を引っ張って声を掛けると、女の人は飛び上がって人形を見つめました。

 

「ああ……ああ、びっくりした。そうね。そうよね。今すぐ支度をしましょうね」

 

 そうしてその夜は、人形を囲んで家族三人での食事になりました。

 人形は、スプーンからを吸い上げたスープを魔法で分解して吸収するので、もちろん本当に食べているわけではありません。消化器がなくっても、胸元の魔力が枯渇しない限りは、栄養に困ったりしませんから。

 でも、その仕草は本当に食事をしながら噛んでいるようで、とても精巧に出来ていました。

 その様子を、夫婦は微笑みながら見つめ、また少し涙を流しました。

 その喜びは、お人形をベッドに寝かせ、おやすみなさいのキスをする頃には、抱き合って咽び合うほどのものに変わっていました。

 

「ああ、またあの子の『おやすみなさい』が聞ける日が来るなんて」

「また、あの子にキスをした時のくすぐったい笑い声が聞けるなんて」

 

 と、こんな具合に。

 

 そして、数週間が経った日の朝。

 いつものように家で遊んでいたお人形は、庭に出た際に、ふと奥に続く小道があることに気がつきました。道の先には小さな小屋があって、特段禁止はされていませんでしたので、人形はその扉を開けてみました。

 風通しのいい、カーテンの揺れる部屋に、女の子が一人寝ていました。

 子供用の小さなベッドで、人形と同い年くらいの、仰向けに手を組んで寝ている女の子は、ふわふわした赤茶っぽい巻き毛も、ふっくらした頬も、つんと尖った唇も……眠っている以外は、何もかも自分にそっくりでした。

 人形は家に走り帰って、母親に尋ねました。

 

「ママ! ママ! あの子は誰? 私にそっくりなの」

 

 料理をしていた母親はさっと青ざめて口を閉ざしましたが、やがてゆっくりと、人形の肩に手を置き、目を見つめながら言いました。

 

「あの子は……あの子は、ニナ。あなたのお姉ちゃんよ」

「ニナは私でしょう?」

「そうね。でも、あの子もニナなのよ」

 

 人形には、さっぱり訳がわかりませんでした。貰われて来てから数日、彼女はその時にはすっかり、自分のことをこの家の娘——ニナだと思い込んでいたのです。

 丁度、外から狩りの仕事から帰って来た夫に、女性は言いました。

 

「ねえ、あなた。この子をニナとそっくり同じに扱うのは無理よ。いずれあの子が目覚めたら、この二人は姉妹になるんですもの」

「お前はまだ、そんな望みを抱いているのか? どこの名医にも散々言われただろう。今の魔法の力では、我々の次の次の、そのまた次の世代になったところで、ニナの病を治すことはできるかも分からない、と」

「けれど、けれど……だったら尚更、名前だけでも、同じにはしていられないわ。この子が生きて、そっくりそのまま振る舞えるのは、あの子がいるからよ。あの子の命の灯火は、私達の希望でもあるんですもの」

「はあ……わかったよ」

 

 実際のところ母親は、現実逃避の身代わりとして見ていた人形を、娘と大して区別なんてしていませんでした。

 だって、彼女は本当に、娘とそっくりに笑い、病気で眠りにつく前までとそっくり同じに出歩き、服を汚しては怒られ、友達を家に連れて来ては仲良くケーキを頬張るのですから。

 それでも、目覚める望みはないと言われていた娘への、密かな罪悪感のようなものはあったのでしょうか。

 その日から、そのお人形はニナではなく、少しだけ違った名で呼ばれるようになりました。

 ニーナ、と。

 

*2

 

 それから、数年の年月が流れていきました。

 人間の子どもと違って成長しないニーナは、時々体のパーツを付け替えたり、直したりしなければいけませんでしたが、それ以外は何ら近所の子と変わらず、愛らしく輝かしく、育っていきました。

 赤毛に近い茶色の髪は、外で遊ぶことで日増しに艶が出て、熟れた林檎のように燃えた色をしていました。そのくせそばかすの付いたやんちゃな顔は、子供らしく血色の通った、ミルク色の美しい肌をしているのでした。

 

「ママ! 見て。今日は川で五匹もお魚を釣ったの。アンネってば、すぐ私のことを押そうとするのよ。私がずーっと病気で休んでいたから、生意気だって」

「あなたが学校へ行けなかったのなんて、もう何年も前の話じゃないの」

「そうでしょ。アンネってクラスが変わってもいじめっ子なのよ。だから私、いじめられてたロージーと一緒になって、反対にアンネの手を引っ張ってやったの!

川に落ちて、髪から水を滴らせるアンネのみじめなことったら! まるで洗いたての犬みたいだったわ。ご自慢のサテンのドレスも台無し」

「まあまあ。アンネもだけど、それじゃあなたも水びたしね、ニーナ。早く庭に行って体を洗っていらっしゃい」

「もうとっくに綺麗よ。川の水があんなに澄んでいるんですもの。お魚さんになって、遠くの滝までうんと泳いで行けそうな気分だったわ。そしたら私は、いつか海にだって行けるかしら」

 

 止まることのないお喋りを母親と続けるニーナを、薪木を割っていた父親が抱き上げました。

 

「あはは、それは困るなぁ。ニーナが行ってしまったら、パパもママも寂しくてたまらないよ」

「大丈夫よ、パパ。ニーナだって、パパとママがだーい好きだもの。海に行ったら、私は空の雲さんにお願いするの。私を連れて、元のおうちまで返してくださいって。そしたら私、雨になって雨受け皿と雨樋を伝いながら、パパとママを驚かせちゃうわ」

「可愛いニーナ。なんて想像力豊かな子だろう」

 

 明るい日差しの元で、ニーナはいつだって、二人の愛を独占していました。

 ニーナと明るい笑顔とお喋りは、昏睡状態の娘の介護で凍えきっていた夫婦の心を、太陽のように溶かしていったのでした。最初は人形であるニーナを訝しみ、扱いに悩んでいた夫婦でしたが、今やもうニーナは、かけがえのない家族の一員です。

 夜暖かいベッドに潜り込み、毛布を掛けてくれる手も、頬に触れるキスも、全部ニーナのためだけに、贈られていました。

 

「明日は、学校の帰りに、ロージー達を家に連れて来てもいい?」

「もちろんよ」

「こんなに何度も友達を連れて来て、ママが作るおやつのクッキー生地が、なくなりやしないかしら」

「まあ、ふふ。そんなこと、あなたが気にする必要はないのよ」

「だって、先週も月曜と木曜に連れて来て、今週はもう三回目でしょう」

「今まで遊べなかった分、沢山遊んだらいいわ。あなたは今はすっかり、学校の人気者なのね、ニーナ。明るくて賢い、私たちの自慢の娘ですものね。

でもそんなに心配なら、帰り道に半ポンドほど、小麦粉をお使いに行ってきてもらおうかしら」

「ええ、まかせて。私、忘れやしないわ。きっと」

 

 けれどそう言って、ニーナはすっかりお使いを忘れてきてしまうこともあるのです。

 そんな愛嬌のあるところも、夫婦の目にはますます、可愛く映るのでした。

 

 そんな生活に、しかし突然、変化が訪れました。

 ある日、遊びに来ていた友達が帰った後のことでした。

 いつもなら一階のテーブルで、午後の時間にお茶を飲んでいるはずの父親と母親の姿が、見当たりません。まだ父の仕事が終わらないのかしら、狩場の罠でも作っているのかしら、と思いながら、庭に出てボール遊びをしていたニーナは、気がつきました。

 あの小道の先にある、小屋の入り口が、ほんの少しだけ開いています。

 いつもは閉まっているのに。そう思った拍子に、蹴ったボールが大きく飛んでしまい、ニーナは慌てて小屋の方まで走っていくついでに、扉を閉めようとしました。

 「ニナ」が寝ている部屋は、誰かに見られないよう、できるだけ扉を閉じておきなさいと、家族に言われていたからです。

 入り口のボールを拾い上げて——ニーナは思わず、それを落としてしまいました。

 てんてんと、ボールが床を転がって、ベッドの脚のそばで止まりました。

 

 ずっと寝ぼすけだと思っていたニナの瞼が、ぴくぴくしています。

 駆け寄ったニーナは、どうしたらいいかわからず、その場に立ちすくみました。

 ううん、と声を出し、今までニーナとは反対にお人形みたくこちこちに固まっていたニナは、初めてニーナの前で、人間らしく寝返りを打ちました。

 そして——ネグリジェのままベッドに身を起こすと、ニーナと同じ色のふっさりしたまつ毛を開けて、話し掛けたのです。ニーナとそっくり同じ、その顔で。

 

「あなたは……だれ……?」

 

 呆然としたニーナの後ろで、悲鳴と物が割れる音が聞こえました。

 花瓶の水を換えに行っていた母親でした。父親も、その傍で新しい花束を携えながら、信じられないという目でこちらを見ています。

 

「パパ……ママ……?」

「ああ、ニナ! ニナ! 目が覚めたのね!」

「信じられない、これは……百万年に一度しか治せないと言われいた奇病が……そんな……!」

 

 ニーナには脇目も振らず、二人は駆け寄りました。

 その傍でニーナは立ち尽くし、泣いて抱き合いながら「娘」との再会を喜ぶ両親の姿を、じっと見ていました。

 少しくたびれた顔の、やつれた娘。ニーナよりもずっと、蝋のように白く人形じみた頬をしていた娘。ニーナが代わりをしていたはずの、ずっとずっと動かなくて人形みたいだった、けど本当は夫婦と血の繋がった、人間の娘。

 どこか遠くから、他人事のように見ていたその子が、物言わぬはずのその子が——その日突然、ニーナの「お姉ちゃん」になったのでした。

 

*3

 

「ニナ。この子が、ニーナよ。あなたの眠っている間、私たちの傍で生きていてくれたの」

「ニーナ。ニナのことも、お姉ちゃんのように思って仲良くしてやってくれよ」

 

 両親に言われて、二人の子供は見つめ合い、同じ子供部屋で暮らす日々が始まりました。

 この家の本当の娘であったニナは、眠っている歳月の間起こっていた変化に確かに驚きましたが、元来頭と気立のよい子であったため、すぐににっこりして、ニーナに握手を求めました。

 

「あなたが、私の妹ね。私の眠っている間、パパとママの傍にいてくれてどうもありがとう。

私はニナよ。これからも、どうかよろしくね」

 

 対してニーナは、ぷいっと顔を背けます。

 今まで独り占めしてきたパパやママの愛が、これからはニナにも向けられることを、急には受け入れることが出来なかったからです。

 

「あらあら。この子ったら素直じゃなくて。ごめんなさいね、ニナ」

「いいのよ、ママ。この子だって、生まれた時からずっと、この家でママとパパの子供として育てられてきたんですもの。急に私が現れて、戸惑うのは無理もないわ。

少しずつ、ニーナの心に合わせて、四人での生活に馴染めるよう頑張っていきましょう」

 

 口先では耳障りの良いことばかり言うニナのことを、ニーナは好きにはなれませんでした。

 それまでとは違い、パパやママを困らせることも、癇癪を起こして暴れ、玩具や皿を振り回すことも増えました。

 それでもニナは、決して穏やかな笑みと温厚な態度を崩すことはありませんでした。粘り強く、ニーナが自分と家族に打ち解けられるよう、努めました。

 揃いの髪型を編んだり、同じタータンチェックのワンピースをプレゼントするよう親に強請ったり、暖炉の前に座ってパズルをやろうと誘ったり。

 そんなニナに、ニーナは渋々付き合っていました。ニナを素直に好きになることはできませんでしたが、「お姉ちゃん」ができるということは、外で遊んだり学校へ通ったりということ同様、人形だったニーナにとっては初めての経験だったので、たしかに興味深かったのです。

 そしてニナは——もちろん、姉妹愛や善意から、ニーナにやさしくした訳ではありませんでした。

 賢いニナは会った瞬間から、ニーナのことを魔法の人形だと見抜いていました。そしてその「使い道」も、頭にはちゃんと出来上がっていました。

 

 家での療養期間がしばらく過ぎ、ニナは学校に通うことになりました。

 今まで寝ていたニナが学校に行く代わりに、ニーナは家に居てよくなったのです。街の人は、この家にはそっくりな人間と人形の姉妹がいることなど、知りませんから。

 けれど、ニーナはあんまり面白くありません。折角、学校でお友達ができたのに。授業で手を挙げてお勉強で一番になることも、かけっこで一番になることも、みんなに囲まれながら花輪を編んだり、ブランコに座ったり、川に飛び込むことも、できなくなるなんて!

 ニナが座ってベッドにいる間、ニーナはそんな体験のひとつひとつを、毎日語って聞かせました。そうすれば、ニナがきっと羨ましがり、悔しがるに違いないと思ったからです。

 ベッドサイドランプの傍で、ニーナは得意げに胸を張りました。

 

「どう? すごいでしょう。あんたに真似ができる? 学校は大変よ。飼育小屋でウサギに餌をやる時は、ウサギに囲まれて身動き取れなくなっちゃうし、通学路でだって、ロージーとハンナが必ずなぞなぞを仕掛けてくるんだから、どうやって二人をあっと言わせる受け答えができるか、考えなきゃ。

突然学校へ通い始めるあんたに、私の代わりなんて務まるのかしら」

「そう……。ニーナは私の代わりに、色んな子と仲良くなってくれたのね。

私は病気になる前から、内気だったし、足腰も弱かったから。こんな風に長くベッドで寝ていた後に、学校へ行くなんて不安だわ。

通学路を通るのさえ、石につまずいて転んだら起き上がれるか考えるだけで、心臓がどきどきしてくるんだもの。突然、先生に当てられてもへどもどして、口も開けない私を見たら、クラスの子がどう思うだろうと考えると……ああ、私にはとてもムリよ」

 

 そう言って悲しそうに俯くニナを見て、ニーナはちょっとだけ可哀想になりました。

 羨ましがるどころか、ニナは学校へ行くことを、ひどく疎ましがっているようでした。

 

「ニナ、あんた学校へ行きたくないの? あんな楽しい場所へ?」

「嫌よ。お友達には会いたいけど、変わってしまった私を見られるのは、とても怖いもの」

「きっと大丈夫よ。上手くいくわ」

「あなたのように明るく堂々と振る舞うなんて、私にはできっこない。私はこの家の恥さらし者だって言われるに違いないわ」

 

 あまりにも学校へ行くのを渋るニナを見て、屋根裏の小さな子供部屋で、ニーナは考えました。

 天井窓からは星が見え、机の上の燭台の炎が、影をゆらゆらと壁に落としていました。

 不意に、ニーナの頭の中で、何かがぴかりと輝きました。

 

「じゃあ、いいこと考えたわ」

「何を?」

「あんたは、家の外へ出るのが怖い。私は、学校へ行きたくてたまらない。

それなら、交換こすればいいのよ」

「どうやって? いくらあなたが外で上手くやったところで、明日からはママが、この部屋に『ニーナ』がちゃんと残っているかどうか、確認しに来るでしょう。

いくら私たちがそっくりで、外の人にはわからなくても、服の下に縫い目が何もないのを見れば、ママやパパにはすぐに、私がずる休みしてるってわかるわ」

「だったら、こうすればいいと思うの」

 

 突然、ニーナはかがんで、ニナの唇へキスしました。

 ふわりと体が軽くなって、ぐるり、と世界が一転したかと思うと、ベッドの上に座っているのはニーナで、傍の椅子に座っているのはニナでした。

 いえ、単純に位置関係が逆転しただけではありません。人間(ニナ)の中身にはニーナが、人形(ニーナ)の中身にはニナが入っていたのです。

 鏡で自分が人形の体になったのを見て、ニナは慌ててニーナに囁きました。

 

「どういうこと。私とあなた、お互いに入れ替わってるの?」

「私、人形だけど魔法が使えるの」

「そんなことって、あるわけない! アンティークドールに、魔法は扱えないのよ!」

 

 キラキラとした自分(・・)の目を、ニナは驚いて見つめました。今、自分の目を覗き込んでいるのは、パジャマ姿のニナの体に入ったニーナなのですが、分かっていても、ニナには自分自身が自分を見ているような、不思議な感覚に思えてなりませんでした。

 お人形らしいワンピースとエプロンを、くるりと回って眺める自分(・・)を見て、ニーナはベッドの上からししっと悪戯っぽく笑いました。

 

「これなら、絶対にバレないでしょう? お互いのメリットを、守れると思わない?」

「すごいわ! あなた、ただのお人形ではないと思っていたけれど、まさかこんなに素敵な力を持っていたなんて」

 

 ニナは、うっとりとつぶやきました。

 そして、二人はその晩、何の心配もなく、同じベッドで眠りにつきました。翌朝目覚めるとすぐにキスをして、ニナとニーナは入れ替わったまま、何食わぬ顔をして一階の台所に降りました。

 まだ人形の体と魔力の使い方に慣れていないニナは、朝ごはんのスープを盛大に膝に溢したり、ニーナが初めて人間の喉を食べ物が通っていく感触にうっとりするあまり、スプーンを何度も落としたりと、多少のハプニングはありましたが、どうにか両親にはバレずに、それぞれの一日は始まりました。

 

 結果として、二人の試みは大成功でした。

 ニーナは、ニナの体で学校生活を存分に楽しみましたし、ニナは母親と父親の傍で、存分に甘えることができました。

 帰り道、木陰越しに降ってくる太陽の光を浴び、眩しさに手をかざしながら、ニーナは思いました。

 

(太陽の光が、人間の目にはこんなに痛く眩しく感じられるなんて、知らなかった……。

今までずっとこの街の人たちと生きてきたのに、何もかもが初めてで、新鮮に感じられるわ。

ニナの体は、長らく寝込んでいたせいで多少は錆び付いているけれど、そんなの気にならなくなるくらい。痛みや軋みさえ、今の私には愛おしいもの)

 

 ただ一人、牧場を撫でてくる風の音に耳を澄ませながら、ニーナはうっとりと目を閉じます。

 

(ああ……まるで、生まれ変わったみたい。人間の体って、こんなに素晴らしいのね。

あの、みんなで寄り道した岩間の湧き水! 喉を通る水の感触も、手に触れた冷たさも……今までの体が全部ニセモノだったんじゃないかって感じるくらい、何もかも素晴らしいわ。

まるで目を入れ替えたように、世界が輝いて……いえ、本当に入れ替わっているものね、私たち。

ニナはどうして、こんなに楽しく美しい世界に出るのを、厭うのかしら)

 

 今まで、ひと目見てわからないほどそっくりな人形の体で過ごしてきたとはいえ、生身の肉体を持つ〝人間〟の器は、比べ物にならないほどたくさんの感覚に満ちていました。

 体の中で、始終音が鳴っているのです。今まで、ニーナが聞いたこともないような音が。

 それはとても美しくて、人間のニナが妬ましくなるほどでした。それまでニーナは、人間として生活をすることには憧れても、人間そのものになりたいと思ったことは、あまりありませんでした。けれど今それは、はっきりとした願いに変わりました。

 もし、ニナがずっと自分と体を交換し続けてくれれば、この願いは永遠の夢に変わるのです。

 そんな切ない欲望を胸に、ニーナは家へと帰りました。

 そして、屋根裏部屋で待っていたニナも、また満面の笑みでニーナを出迎えました。

 

「おかえりなさい。私の体での学校は、楽しかったかしら」

「ええ、すごく! 素晴らしかったわ! 何もかもが! 私、あんたの体でこんなにいい思いをしてしまって、いいのかしら」

「あなたが留守の間、ママから色んな話を聞いたわ。あなた、学校の期末試験で一番を取ったそうじゃない。絵画のコンクールも、先生にすごいって褒められたんですってね。

今日出て行ったのがあなただとはつゆしらず、パパもママも有頂天よ。ニナはきっと優秀だから、学校に復帰しても成績を維持できる、人気者になるに違いないって。

まるで、自分のことのように誇らしい気持ちよ。いいえ、あなたは私だもの。私が何も心配せずとも、あなたがすべて、作り上げてくれるのね。パパとママに褒められる私を」

「ええ、ニナが気を揉むことは何ひとつないわ。私にまかせて。全部うまくやってみせるから」

 

 まるでパズルのピースのように、お互いの利害は綺麗に一致していました。

 ふたりの魔法を知っているのは、ふたりだけ。

 窓辺で向かい合って両手を組み、キスを交わす姉妹は、とても幸せそうに微笑み合いました。

 ニーナは、学校に行く代わりに、帰ったら屋根裏部屋でこっそりニナへ起きたことを伝え、夕食の時間には、ニナが自分で出来事を語り、その思い出も聡明さもそっくり自分のものにすることを許しました。

 ニナは、一日中家にいる代わりに、夕食からベッドに入るまでの時間、ニーナがべったり両親に甘えて絵本を読んでもらっていても、休日に膝枕を独占していたとしても、もちろん文句ひとつ言いませんでした。

 

 それぞれ違う場所で、平等に愛され心を満たされている間、姉妹はとても幸せでした。

 歪な家族の形だったかもしれませんが、ニーナは仮初の人間としての時間を楽しむことができたし、ニナは愛くるしい人形として花よ蝶よと心身を守られていたのですから、お互いがお互いを補っている限り、二人は幸せだったのです。

 パパにもママにも、学校の友達にも、街の人々にも黙って、昼間の間だけ互いの魂を交換する——誰も知らない二人の秘密を共有することで、互いに腹の探り合いをしながらも、知らず知らずのうち、形容し難い絆が芽生えていた時期が、ニナとニーナにもありました。

 そう、それで何もかも、理想的な家族として、うまく歯車が回り続けているはずでした。

 少なくとも、途中までは。




伏せ字のところは、暫定的にそうなっているので=文字数とは限りません。
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