秘めた願いや葛藤を抱えながらも寄り添い合っていたはずの二人の歩調は、人間であるニナの成長と共に少しずつずれ始めて…
※一部にグロテスクなシーンが含まれます。ご注意ください。
*4
やがて、ニーナは高等学校に通う女学生になりました。
借りていたニナの体は背も伸びて、随分ふっくらとした、大人の女性らしい体つきになりました。
ラブレターをもらう事も増え、恋に将来にと悩み多き年頃を、輝かんばかりの美しさや憂鬱げな顔をもって過ごしていく娘のことを、両親もあたたかく応援していました。
その一方で、人形に入っているニナの体つきは、みすぼらしさが目立つようになりました。
もう、
「ニナ……大丈夫? あんた、近頃元気がないわ。私、もっと頑張っていい成績取れるようになるから、頑張ってよ。もう少しで、先生から大学校への推薦をしてもらえそうなのよ。ニナも入りたいと言っていた、すっごく大きな憧れの学校よ。
そこへ行けば、もっともっと沢山、みんながあんたを認めて褒めてくれるわ。私必ず、あんたを下宿に連れて行くから。私たちができることも、これからしたいことも、どんどん増えるのよ」
「ええ……そうね、ニーナ。あなたは私の誇りよ。こんなにも、小さい頃から努力を積み重ねて、頑張ってきたんですもの。私が怖くて怖くて避けてきた、あらゆることをね。身体まで、こんなに美しく磨き上げて。引く手あまたなのも当然のことだわ。
それを全部……私がやったことにしておいてくれるんだから、あなたって本当に優しい子ね」
「当たり前じゃない。ニナがいなきゃ、私はこうして、外に出て生きていくことすらできないんだもの」
そんなニナを慰めるように、ニーナは彼女を膝に乗せ、決して傍を離れませんでした。成長した分、ニナの体にいるニーナと、ニーナに入っているニナとは、もはや大人と幼稚園児ほどの差がありましたが、ニーナは決してそれを馬鹿にしたりしませんでした。入れ替わりの魔法が解けている間は、自分がその体に入るのですし、何よりもニーナには、ニナが何と言おうと、自分だけが人間としての楽しみを味わっているという、返し切れない恩と僅かな罪悪感が、残っていましたから。
毎日、学校での出来事を語って聞かせ、ニナを蔑ろにする両親の分まで慈しんで手入れをし、ボーイフレンドへのラブレターの返事を、ニナ主体で一緒に考えて書いたりしたこともありました。
けれど、そんな行動のひとつひとつも、暗いニナの心に灯火を灯すことは出来ませんでした。
ニナはだんだん、屋根裏部屋にいても窓やカーテンを開けなくなり、閉め切った部屋で、ぶつぶつと独り言を繰り返すようになりました。薄暗い部屋で、何と声を掛けても蹲って動かないニナを、両親はますます不気味がり、避けるようになっていきました。
ある日のこと。
ニーナは、ボーイフレンドと夜遅くまでデートに出掛ける為に、一旦家へと帰りました。
ニーナの入れ替わる魔法は無限大ではなく、効果時間に限りがあります。きっかり6時間ほどで、自動で入れ替わりが解けて、魂が元の体に戻ってしまうのです。それを防ぐために、もう一度キスをして魔法の効果を延ばすためでした。
ボーイフレンドとの馴れ初めから会話まで、前々から共有していたニーナは、こういう時のために、ニナとあらかじめ約束をしていたはずでした。ところがその日になって、急にニナが入れ替わり続けるのを渋り始めたのです。
「一体、どうしたというの。今更になって」
「あなた、自分が得たものはすべて私のものにしていいって、言ったわよね」
「それは言ったけど……」
「だったら、私を行かせなさい! その男に愛されているのがあなたなら、その愛は私のものよ!」
「無茶があるわ。怪しまれるわよ。あんたは一度も、顔ひとつその人に合わせてないのに」
「あんたが毎日合わせてるじゃない!? どうして私じゃいけないの!? わかった。本当はあんた、私に譲るのが嫌なんでしょう。
突然の激昂ぶりを、ニーナは理解出来ませんでした。
陽は落ち、外には一番星が出始めています。約束までの時間があまりなく、ニーナはイライラと、着替えた外行き用のドレスで足を踏み鳴らしました。
「何を言うのよ。あんたの代わりに私が行く。とっくに同意してたことじゃない!
私が経験したことなら、星明かりの強さから彼の唇まで、後でいくらだってあんたに共有してあげるから」
「いいえ、いいえ! 私はそんなことでは満足しないわ! それがイヤなのよ! わからないの!?」
「落ち着いてよ。一体、何がそんなに不満なの? 今までの私たちと、何も変わりはしないわ」
「そもそもが最初からおかしかったのよ! こんなこと……もう、誰にも何も打ち明けられないわ。私は一体誰なの? 目の前にいるのは誰で……これはニナ? ああ、でも、私は……!」
ニーナは、ニナの頭が少しおかしくなり始めていると感じていました。その責任の一端は自分にあると、心配も同情もしていました。
けれど、虚な目でランプの傘を投げつけ、部屋の隅から呪わしく告げられた言葉は、とても許せるものではありませんでした。
「この……偽物風情が。あんたなんか、元の木屑になって火に焚べられて消えちゃえばいい」
「ニセモノですって? なんてことを言うの。どっちがニセモノよ! 自分から肩代わりを望んでおいて!」
「最初っから、はじめから、私がニナよ! あんたじゃない!」
「バカなこと言わないでよ! 私がどれほどあんたの事を考えて、ここまで尽くしてきたのか、何もわかってないくせに! 大好きなパパとママの愛まで、あんたに譲って!」
「人をコケにするのもいい加減にして! あんたが〝ニナ〟として生きてるのは、私のためじゃなくあんたの為じゃない! あんたは……あんたは、あまりにも上手くやり過ぎた。本物の私が、要らなくなるくらいに。
私を必要としてる人なんて、もうどこにもいないのよ!」
堰を切るように溢れ出してしまった二人の想いは、もう止まりませんでした。
それまで一度も言えなかったような言葉で、罵り合い、貶し合い、向かい合う美しい乙女と醜い人形は、けれどその時初めて、本音で語り合えていたのかもしれません。
「どうして……ニナだって、家にいられてママとの時間が増えたって、喜んでたじゃない。私が失敗しない限りは、学校の成績も活躍も、全部あんたのものになるのよ!? あんたは楽をしてるだけのくせに、どうして今更そんなことを言うのよ!?」
「私だって、最初はそう思ったわよ! でも……気付いたの。誰かを代わりに立てたとしたって、それは私のやったことにはならない。
パパだってママだって、褒めるのは全部あんたのこと! 私と家にいたって、私が何をしたって、喋るのはいつもあんたの自慢ばっかり! 最近じゃ、私のことなんてボロ人形と同じで見向きもしないわ! 私は二人の、本当の娘なのに!」
涙ぐんで怒鳴ったニナの声が、屋根裏部屋にこだましました。
ニーナは、緑の瞳を静かにすぅっと細め、糸のように髪が絡まったニナを見つめました。
「今だって、それは変わらないわ」
「どんなに見た目が美しくても、偽物の口で吐く嘘はひどいものね。この醜い化け物の皮の下を、誰も彼もが知ってしまえばいいのに。今からだって、バラして来ようかしら」
ふっ、と妖艶な笑みを浮かべたニナの口元を、ニーナは強く睨み返しました。
「そんな事をして、イカれ頭の人形の言うことを、誰が信じると思うの? 自分が得たものの価値を、どうして素晴らしいと思えないの?
あんたなんか、やっぱりあの時あの部屋で殺してしまえばよかった!
そうすれば私は、パパとママの愛を等分なんてせずに済んだのに! ずっとずっと愛されていられたのに! どんなに頑張っても、最後に頭を撫でて褒められてるのは、いつも元の体に戻ったあんたばかりだった! 全部あんたのせいよ!」
「おあいにく様ね。あんたは自分が最初から全部持ってたような顔してるけど、私の家族をドロボウしただけじゃない! 私が寝ている間に、勝手に家族の間に入り込んで! 私の服や靴、持ち物や友達、恋人……それだけじゃない! パパとママの愛まで、全部ぜんぶ、あんたが盗んで行ったんだわ!
何もかも、あんたが来てからめちゃくちゃじゃない!」
「いいから早くキスさせてよ! 魔力の源は、そっちの体にあるのよ!」
「絶対に嫌! そんな事するぐらいなら、この身が破滅した方がマシだわ!」
もう、二人の言い争いは取っ組み合いにまで発展していました。
真っ暗闇の中、どちらがどちらの体に入っているかも分からなくなるほど、互いに掴み掛かったままで二人は屋根裏の床を転げ回り、したたかに頭や体をぶつけました。
それでも、互いに決して手を緩めませんでした。はあはあと、荒い呼吸だけが部屋に響きました。
「ニナの人でなし! 私にだって……私にだって、ヒトとして愛される権利はある! あんたの代わりに生きてやったのは、私なんだから!」
「あんたは所詮人形なんだから、これが当然の宿命でしょう!? あんたは人間の『代替品』に過ぎない! この家にはもう私がいるんだから、あんたは要らない! 役目が終われば廃棄されるの!
これは私が持つべきものよ。当然私が持っていたはずのものなのよ!
眠りについている間、私がどれだけ寂しかったか、どれだけママやパパにハグして欲しかったか、当たり前のように愛されてきたあんたには分かる!?
全部横取りしたあんたに、返してって言って何が悪いの! これ以上、私の人生を盗まないでよ!」
ぐっ、と憎しみの表情を浮かべながら、馬乗りになってニーナの首を絞めるニナの
いくら小さくても、ボロボロになっていても、人形は人形。魔法を持った機械的な人形の力は強く、ニーナは人間の体に入ったまま、絞め殺されそうになりました。
かつての自分の姿だったものに、自分はこのまま殺される——どんどん強くなる手の力に、次第に意識が遠ざかり始めた、その時でした。
「おい! 何をしている!?」
燭台を持った両親に、二人の姿は照らし出されました。あまりに屋根裏部屋が騒がしいので、様子を見に来たのです。
そして二人の目に映ったのは——
入れ替わりの魔法は、まだ解けてはいなかったのです。
真っ青になりながら両親は二人を引き離しました。そして、人形をじろりと睨むと、部屋の反対の端まで届くほどに強く、蹴り飛ばし踏みしだきました。そうなっても、ニナの体からは、もちろん血一滴流れません。人形なのですから。
「このイカれたボロ人形め! 最近殊更おかしいと思っていたが、まさか娘にまで手を出すとは! ついに気でも狂ったか!」
「ち、違う……! 私は……!」
「人形ごときが、人間に憧れるなど浅ましい……ニナ、大丈夫? 怪我はない?」
「ええ、ママ……大丈夫よ。ちょっとびっくりしただけ」
「パパ! ママ! お願い! 私がニナなの! 信じてよ……!」
「ぶっ壊れた人形風情が、またイカれた事を言いおって。これ以上娘を侮辱するのは許さないぞ。おいユリア、蔵に鍵でも掛けて閉じ込めておこう」
「そうね。また襲われでもしたら、たまらないわ」
そして、ニナの体に手当をしようとする母親に連れられながら、ニーナはほくそ笑んで部屋を出ました。
けれど、短絡的になるあまり、この後に起こることまでは、ニーナも想像ができませんでした。
食事も風呂も要らない人形は、冷たい蔵で仕置きの後に閉じ込められっぱなしになりました。
出す必要がないのですから、誰も訪ねてなど来ません。
そして——入れ替わりの魔法には、期限があるのですから。この後すぐ魔法が解けて、蔵に閉じ込められたのは、当然ニナではなくニーナになったのです。
激昂した実の父親に蹴られ、殴られ、それでも
すべてが——本来在った形に、実に長い年月を掛けて、戻ったのです。
*5
「気分はどうかしら?」
それからのニナは、人間としての人間らしい生を取り戻し、毎日を謳歌していました。
困ることは何もありませんでした。身の回りの状況は、ニーナに聞いて事細かに知っていましたし、ニーナが長年自分の肉体を動かしていたおかげで、もうすっかり、どこにも弱いところや悪いところはありませんでしたから。
それでも時々、光も何も届かない地下牢のような閉ざされた蔵の地下を訪れ、嘲笑うかのように、膝を抱えて座り込む子供のニーナを見下ろしに来るのでした。
闇の中で、完全に立場が入れ替わったニーナの目が、ギラリと光りました。
「何をしに来たの」
「別に。ただ、あなたに不都合や不具合はないかと思って。まあ、お腹も減らないし体も汚れなければ、欲しいものなんて何もないでしょうけど。
可哀相にね。話し相手になってあげましょうか。——あなたがやってくれたみたいに」
「あんたが……私と入れ替わって持つのなんて、ほんの数日、数週間程度よ。
学校の勉強をしていたのも、課外のクラブで活動していたのも、全部私。すべての成果が落ちて、別人みたいになって、あんたの大切な人達はどう思うかしら」
「それこそ、あなたに乗っ取られていたことと比べたら些細なことだわ。これからは、自分に正直に生きる。
皆には、私は体調を崩して受験も何もかも上手くいかなかったことにするわ。それで失敗しても、人からの人気が失墜しても、私は私。それで私の人生が終わるわけじゃない。これこそが、一番素晴らしいことよ」
期待を裏切られ、愛想を尽かされる恐怖をちらつかせれば、ニナはきっとまた自分を頼るに違いない。あの子はちっぽけな人間なんだから——そう思ったのに誇らしげな表情を浮かべるニナのことを、ニーナは全く理解できませんでした。あっけに取られて、口を開けました。
あれだけプライドに拘り、内向的で外界と関わることを恐れていたニナを、何がそんなに変えたのか……?
理想の自分になれないことに、あれほど尻込みしていたニナとは、別人に見えました。その変化が、ニーナには訳がわからず——ただ恐ろしいもののように感じられました。
この時、ほんの少しでも、ニーナが自分の自由と引き換えにニナに強いていた抑圧こそが、彼女の心を変えたのだということに、思い至っていれば……それは恐ろしさではなく、「人間的な変化」だと、感じられたでしょう。あるいは、最善とはいかなくとも二人の仲が再生する可能性は、まだどこかにあったのかもしれません。
けれど、そんな事を今更言っても仕方がないのです。それを悟るには、この世という大海に漕ぎ出でてたった十数年ぽっちの人形と少女は、あまりに幼すぎました。
何の反応もないニーナに、ニナは光の中でくるりと背を向けました。追い縋るように叫んだニーナは、足に鎖を繋がれたまま、手を伸ばしました。
「せめて……せめて、パパとママを返して!」
「『返して』? あれは初めから私のものよ。やっと私のところに『返って』来たんじゃない。
あのね。私たち、合格してもしなくても、その大学がある大きな街に引っ越すことにしたの。
ここに、あなたとの思い出も、負の遺産も、すべて置いていくわ」
「そんな……!」
「もう一度、やり直すことにしたの。感謝してね。あなたを殺さないでおいてあげるんだから」
カツカツと、ヒールの音が階段から遠ざかります。
この蔵を閉められたら、もう二度と両親に会えなくなるかもしれない。
頭が真っ白になって、そんな焦りが、初めてニーナの心を襲いました。
そして——無我夢中で手を伸ばした拍子に、足の鎖がぶちっと千切れました。
驚いて振り返ったニナの顔が、ニナの生前、最後にニーナが見たものになりました。
その日。家に帰って来た両親が見たものは、凄惨な光景でした。
遺骸を咥えたおぞましい人形に、両親は蔵の地下一階に降りる入り口で立ち竦みました。
蝋のような口と顎がひび割れ、そこからぶら下がっているのは、娘のものだった腕。
人形は、噛み砕くことは出来てもそれを消化する管がありませんから、ぐちゃぐちゃに歯ですり潰された肉塊は、真っ赤な血と共に行き場を失って口の隙間から溢れ、滴り落ちていました。
バラバラにされた手足を嬲り、啜り回していた人形は、両親の姿を見るなり、それらを興味なさげにどちゃっと放ると、ヨロヨロと立ち上がりました。
あどけない瞳に、希望をいっぱい輝かせながら。
「パパ……ママ……」
口の周りと体中を血だらけにした、幼い頃の娘そっくりの人形は、幸せそうに微笑み、ゼンマイ仕掛けのようにゆっくりと手を伸ばします。
あまりの事に、両親は声も出ませんでした。
今にも卒倒してしまいそうな二人の意識を、辛うじて支えていたのは、震えるほどの怒りと憎悪でしかありませんでした。
「おねがい、パパ……ママ……私を見てよ。本当の、私を見て。
ね。私考えたの。ニナなんて、最初からいなかったことにしようって。
二人の娘は、私だけなの。こうすれば、私はパパとママに、愛してもらえるでしょう?」
愛して欲しい。本当の私を。
人形の切実な願いは、届きませんでした。
「化け物だああぁぁぁぁ!!! 殺せ! 殺せえええええ!!」
「よくも……よくも私たちの娘を!」
人形の視線の先にあったのは、鉈を手に襲い来る父親と、躊躇なく剪定鋏を手にした母親の、憎しみに満ちた顔でした。それは、かつて自分にベッドの中や膝の上で向けてくれた、懐かしい慈しんでくれた時の記憶とはほど遠く——希望は絶望に変わりました。
二人に愛してもらえないのならば、人形にもう用はありませんでした。
「……そう。じゃあ、死んじゃえ」
爪の軽い一振りで、父親と母親だったものは、醜い肉の塊と変わり果てました。
もう首と胴体が繋がっているのかすら怪しい有様で、それでも尚、ニナの両親は決して人形から目を逸らさず、最後の力を振り絞って呪いの言葉を吐きました。
「呪われた人形……お前は一生……愛されずに過ごすがいい……」
「娘の分まで……苦しめ……二度と、その耳に……愛の言葉など……届く、資格は、ない」
白濁した目から、光が消えました。
興味なさげに、人形は手にかけた三人の死体から、踵を返しました。
血の池のようになった蔵を抜け、裸足で庭の外へ飛び出した人形は、広大な草地と延々と続く森の道を前に、どうすべきか考えました。
(……何かとても大事なことがあった気がする。思い出せない。
私は、何をしたかったかしら。私は、何を求めていたかしら)
頭の上を、三回星と太陽が行き過ぎるほどの時間が経って、人形はようやく思い出しました。
自分の本当の〝生みの親〟のことを。
そう。自分は人形。だったら、人形師のところへ帰ればいいのです。思わずにっこりしました。
(簡単なことよ。「帰って来い」って言ってたもの。私の
遠くの黒い山を見、意気揚々と足を一歩踏み出して……人形は、呆然としました。
生みの親である人形師の名前はおろか、顔も、自分の名前も、元の場所で過ごした日々のことも、霧がかかったようにもやもやとして、何ひとつ思い出せなかったのです。
そうして人形は、ふと思い至りました。ニナの両親が死の間際、自分に呪いを掛けたことを。
それが何だったのかはわかりません。
けれど、元の居場所が思い出せないのは、間違いなくそれが原因なのでした。
失意のうちに、人形は歩き始めました。
そうして長い間歩いているうちに、自分が何のために歩いているのかも、忘れてしまいました。
人形師のことはもちろん、ニナのことも、ニーナのことも、愛された日々も、憎しみに至る日々も、何もかもを忘れました。
雨晒しになり、風に吹かれるうち、感情も記憶も色褪せるほどに、長い年月が経過していました。
(ワタシは……誰なんだろう……)
虚無に包まれ、とぼとぼと、人形は深い森の道を歩き続けます。
脚が棒のようになっても、元々棒である脚は痛みもしません。岩に肌を擦り剥いても、草に体を切り裂かれても、血が流れることはありません。
けれど心はからっぽで、何も入っていないのに鉛のように重く、どうしてこんなに疲れているのか、人形にはわかりませんでした。
そして空なその胸に、やがて何かの灯火のように、一つの思いがぱっと点きました。
「誰かに愛されたい」と。
人形にわかるのはそれだけ。でもそれだけは、とっても大切なことだったような気がしました。
理由はわからないけれど、執念のように燃え盛る、たった一つだけのその思いを抱えて。
人形は、ただただ当てもなく、どこまでも歩き続けていきました。
ニナとニーナ編はここで終了です。
あと二巻、紫紺の巻は続きます。
ここでひとつ。
ルナの設定と過去については、pixivでハリポタパロの執筆をしていた4年くらい前から構想はあったのですが、そのさらに1年後くらいに松浦だるま先生の「累」に影響を受けて明確に固まった感じでした。
なので漫画や実写映画で「累」を知っている方には、既にここまでのお話でアレがアレのパクリだというのがまざまざと分かるようになっていると思うのですが、これはパクリではなくオマージュだよ!!!←
リスペクトあっち!!!
本家本元はもちろんあちらが先なので、私はそれに影響を受けて書きましたということだけは明言しておきます!
私は台湾に旅行をした時、古本屋でたまたま日本語版の「累」が売られているのを見つけ、全巻ではなかったけど狂喜乱舞して買って持ち帰り、その後ありがたい事に日本で私に「累」を布教してくれた元である先輩から足りない巻をプレゼントして頂いたりして、漫画と特典小説とスピンオフ小説「誘」は全部読んでいました。
が、劇場版だけは公開時期を過ぎていたのと、我が家が加入している配信サービスでは有料版だったので、なかなか見る機会がなく。つい最近だるま先生本人が劇場版「累」の上映会をTwitterのスペースでされてるのを見て、これをきっかけにするかと、スペースの後ではありましたがようやく劇場版も鑑賞してから、この話を書きました。
どの「累」も大好きですが、劇場版では実際に役者さんが目の前で演技してるところを見て、また解像度が上がったなぁと思います。劇場版、ところによってはめちゃくちゃ叩かれているのですが(あれを「原作の再現」だと期待して見るか、「原作を元に再構成した作品」だと捉えるかで評価が分かれてるんだと思う)、私にとっては本当に最高の作品でした。
余談ですが、Aimerさんの「Black Bird」は劇場版「累」の主題歌になっている曲です。映画を見る前にずっと聴いてはきたのですが、見た後にこの曲を聴くと、見る前に私が思っていたのとは思いもよらない角度からの解釈ができて衝撃でした。改めて鳥肌だったという感想…。
以上、主張ついでの雑談トークでした!