2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

47 / 53
表向きは恵まれた暮らしをしていた、ルナとルーナ。
しかし二人を取り巻く周囲の目は、異様なまでに厳しい。
それでも気丈に支え合って暮らしていた二人だったが、そんなある日、ルナが部屋に帰って来なくなる事件が起こり…
※一部にグロテスクな描写が含まれます。ご注意ください。


Day29.地下一階 「Sacrifice」紫紺之巻(第四巻)

*8

 

 それから何年もの月日が経ちました。

 黒いメイド服を着たルーナは、屋敷の図書館から出て来たルナを追い掛けて駆け寄りました。

 

「おかえりなさい、ルナ。調べ物ですか?」

「ちょっとね。古代顔料の由来を調べたかったのだけど、不思議なことに誰に頼んでも、待てど暮らせど報告が上がって来ないのよ」

「それでルナが直々ですか? むー。どうせまた、過激派の嫌がらせですよ。ルーナに頼んでくだされば、ひとっ走り行って来ましたのに」

「貴女、古代ルーン語の索引はわからないでしょう」

「それでも、道中の護衛くらいは務まりますよっ」

 

 そう言った瞬間視線を感じ、ルーナは振り返って、生垣の中から覗くレンズをぎっと睨みました。

 慌ててガサガサという音と共に人が去っていくのを、ルーナはやれやれと息を吐いて見送り、ルナの肩を抱きました。

 

「ルナ。こんな屋敷もう出ましょうよ。なんで、味方のどこに間者がいるかもわかんないような家で暮らしてるんですか? あいつら、昨日もルナの散歩ルートをちょろちょろと」

「ここに雇われてる身で、家族を人質に取られてやってる人もいるから、仕方ないのよ……それに、貴重な顔料や画材は、どのみちこの屋敷に留まらないと手に入らない。

皮肉なものね。散々奴隷をこき使って、汚れた手法でしかインクを手に入れられないお腹真っ黒なこの家を頼りながら、国を統べる皇族を悦ばす絵を創るなんて」

 

 自嘲的な言葉を前に、ルーナは何も言えません。

 ただ黙って、中庭にセッティングしてある白いテーブルの元へ、ルナを案内しました。

 

「ちょっと。本を先に置きたいのだけど」

「そんなのあとあと。とりあえずお茶にしましょう? 暗いとこにいたら目も疲れちゃいますよ」

 

 そう言って、ルーナ達が着席したテーブルには、指示を出す間でもなく待機していたメイド達が現れ、次から次へとお茶とケーキを並べていきます。

 無駄のない仕草で、磨き上げられた食器には曇り一つなく、お茶も淹れたての温かい極上の物でした。素早く設営したメイドの一人が、それとなくルナに尋ねました。

 

「お嬢様。そちらの御本を、先にお部屋に運びましょうか?」

「結構よ。自分でやれるわ」

「ですが、そんなに何冊も持たれてはさぞ重いでしょう。お体に負担が……」

「だったら私が運びます。用が済んだら、引っ込んでいてくださいな」

 

 そう言って、代わりに返事をしたのはルーナでした。自分似たり寄ったりの格好、しかも子供同然のルーナに言われて、年配のメイドの笑顔が心なしか引き攣ったように見えました。

 しずしずと礼をしながら、庭の生垣の向こうへ退出していったメイド達からは、明らかな舌打ちが風に乗って聞こえ、パラソルの下でルナは肘を突いて、憂鬱げにため息を零しました。

 

「あんな言い方をしたら、また嫌われるじゃないの」

「ご心配なく。ルーナはとっくに嫌われてますから、痛くも痒くもありませんよ」

「私、これでも貴女の人間関係を心配してるのよ」

「世界一嫌われてるお嬢様の側仕えをしておいて、今更どう頑張ってもまともな人間関係は構築できそうにないですけど。世界でも変えない限り」

 

 そう言って、ルーナはお嬢様より先に一口、紅茶に手をつけ頷きました。

 

「大丈夫です。さすがに目立つ場所だからか、今日は毒は入ってないみたいですよ」

「ありがとう。銀皿なしで毒見ができる人間なんて、貴女の他には居ないから助かってるのよ」

「あの人たちも、どうせなら私に罪を被せてルナを毒殺する、ぐらいの根性は見せたらいいと思うんですけど」

「どうせなら私ものとも貴女を亡き者にしたいから、貴女を犯人にはしたくないのでしょ」

「ああ、なるほど!」

 

 物騒な会話を明るくこなしながら、ルーナは笑ってみせました。

 

 ルーナは今ではもう、ルナが普通のお嬢様や魔法使いでないこと、ルナが決して恵まれただけの立場の人間ではないことが、わかっていました。

 第一に、体が成長しません。

 けれどルナは人間なので、ルーナのように好きで小さな体でいるわけではなく、生まれつきの病で成長することができないだけなのです。強大な魔力や知能を備えているにも関わらず、小さな器に無理やり中身や体を押し込んでいるようなものなので、当然痛みが出ます。普段は痛み止めで何食わぬ顔をして過ごしていますが、そうでなければ関節や体中の痛みは絶え間なく、時にはルーナが歩けないルナの車椅子を押すこともあるのでした。

 

 第二に、その生まれつきによるルナの異形や高い知能を、悪魔による呪いだと信じている魔法使いが大勢いました。とても迷信深い時代だったのです。

 変わり者な気質を気味悪がるだけでは飽き足らず、同じく宮廷画家を目指す魔法使いの貴族達の野心にまでにかこつけて、彼らは悪い噂を吹き込み続け、プリムローズ家の下働きを務める労働層の者達や領地の者達までが、ルナは呪われた子だ、非道な悪魔だと信じ切っていました。

 それでも、表向きは貴族の次期当主となっている人間を、おいそれと暗殺するわけにはいきません。足がつかぬよう、機を伺い、手を変え品を変え、事故や度の過ぎたいやがらせに見せかけて、彼らはルナの命を狙いました。

 そしてそんなルナを庇い、傍にいるルーナのことも、彼らは良くは思っていないようでした。

 

「これだけ成長しないなんて、異様だ。あいつもきっと、悪魔の子に違いないな」

「どこで拾って来たが知らないが、呪い子同士、傷を舐め合っているのさ」

 

 隙あらば、そんな心無い声が屋敷のあちこちから聞こえてきました。

 何よりも豪華な献上品、何よりも豪華な食事、何よりも豪華な衣装の数々、屋敷に召使……国中で誰よりも恵まれた環境にいながら、ルナは冷遇されながら育った、誰よりも寂しい少女でした。

 誰も彼も言葉遣いや態度は慇懃ですが、必要以上にルナと言葉を交わそうとはしません。それどころか、幼い頃から命を狙われて、屋敷内のどこにも味方はいないような状態でした。

 そんな中で、ルナは疑心暗鬼になりながら、必死で知恵を身に付けたのでした。殺そうとするなら、絶対生き延びてやる、というつもりで、画家への執念を生きる力に変えながら。

 これだけ努力をしているというのに、同じ家の人間が自分の命を狙っているという異様な状況に唖然としたルーナへ、最初にルナが説明をした時の言葉は、とても衝撃的なものでした。

 

「わかってるのよ。……本当は、誰も私が宮廷画家になることなんか望んでない。

由緒正しき家柄から、悪魔の子を画家として排出するぐらいなら、私を殺して別の子を長子に立てた方がいいとすら思ってるのよ」

 

 そんな目に遭いながらも、ルナが何故絵の道を志しているのかは、ルーナにもどうしても理解できませんでした。

 

「ここに居て、ルナは本当に、描きたい絵が描けるのですか?」

 

 一日を無事に終え、ネグリジェに着替えて髪をとかしながら、ルーナは同じ部屋でルナに尋ねました。

 ドレッサーの中にいた紫色の瞳が、金の瞳を見つめ返します。

 

「なあに、それ」

「お絵描きだけなら、別に宮廷画家じゃなくてもいいじゃないですか」

「ルーナ……私はね。この家で、生まれながらの画家となるために育てられた。

それは私の一存ではなく、子供の意志など無視して、この家がお墨付きの宮廷画家の座に居座り続けるために課してきた使命だったし、いざ子供が悪魔の子となれば平気で用済みにして捨てようと考えているけど、絵を描く行為自体は、私は嫌いじゃなかった」

 

 部屋の画架に立てられた油絵のキャンバスを、ドレッサーから立ち上がったルナは撫で、やがて静かに口を開きました。その後ろ姿からは、凛とした氷のような空気が溢れていました。

 

「いい? この魔法の国を統べる、皇族に選ばれるような芸術品というのは、誰にでも創造できるものではないの。高い知識や技量が要るし、それを学べるような環境も、誰にでも彼にでも与えられているわけではない。

私は、選ばれたのよ。他の多くの人が、たとえどれほどの才能の持ち主であれ、貴族でないという理由だけで泣いても渇望しても生涯得られることのないものを、私はなぜか持つことが許されている。

であれば、望んだわけではないにせよ、それを務めとしてこの家に生まれ落ちた以上、私にはそれを全うする義務がある。……それが、私に与えられた()だもの」

「……バカですよ。なんでそんな事にいちいち付き合うんですか?」

「別に、付き合っているつもりはないわ。私が為すべき事を続けるため、家柄を利用してるだけ」

 

 櫛を放り、窓辺に座って見下ろすルナの瞳が、優しそうに寂しそうに、輝いていました。

 そこには、ルーナには分からない葛藤や、努力を積み重ねてきたが故に引き返せない気持ちや、孤高のプライドもあったのかもしれません。それを感じるからこそ、ルーナはそれ以上は何も強く言えないのでした。

 白いローブの懐から取り出した絵筆を、ふいっとルナが宙に放り投げると、ゆったりとそれは空中を舞いながら線を引き、白兎や白鳩、美しい夢々を描きました。普段、ルナが描いている荘厳な絵とは違い、それは窮屈さから解き放たれて、子供の落書き帳のような無邪気さと輝きに溢れていました。ルーナは目の前を跳ねていく兎や動物たちを触ろうとしながら、にっこりしました。

 ルナの美しい絵も好きでしたが、キャンバスの裏やクロッキー帳の隅に描くような、人には見せない素朴な落書きも、ルーナは大好きだったのです。

 

「周りが私から何もかもを奪おうとするから……逆に執着したのかもしれないわね。私にはこれしかないと。実際、私なんて愛想もないし、絵に関する魔法以外で出来ることもない……これ以外で生きていくことなんてできないのよ。

私が貴女ほど性格に可愛げのある人間だったら、とっくに別の生き方を見つけて違う人生を送っているでしょうね」

 

 ルナはそう言うけれど、ルーナは決してそれは遅くはないと思っていました。

 これだけ頭がよいのに、全てを諦めたように宿命を淡々と受け入れ続けていくルナを見て、とても歯痒い思いをしていました。

 

「ルナは、自分の好きなものを大事にしなさいって、言ったじゃないですか。

ルーナは、難しいことはわかんないですけど……ルナの大事なものは、ここの外にもきっとあります。

ルナは、私に光をくれた人ですよ。だから、不幸になって欲しくないんです」

「ええ。そうよ。言った。……だから、私の好きなものは貴女。

たとえ私の行く道が血の絵の具に濡れていようとも、貴女といれば力が湧いてくるわ」

 

 ルナが、王族のような広いベッドで、真っ白い布団を肩まで引き上げます。

 その隣に横になったルーナと、ルナは額を合わせました。

 

「貴女の呪い……解けるものは解いたけれど、どうしても一つだけ残ってしまったわね」

「そうなのですか? ルーナはとっくに綺麗になったと思ってました」

「見た目はね。いくら綺麗になっても、魂の内側にまで巣食ってしまったものはどうしようもない」

「人形なのに魂があるなんて、おかしな話ですね」

「あるわよ。人形であろうと何だろうと、貴女は貴女だもの」

 

 レースのカーテンを通って、星の光が水面のようにしゃらしゃらとベッドの上へ打ち寄せます。

 月明かりのようなルナの微笑みを隣で見ているうちに、ルーナはいつも眠ってしまうのです。

 誰に何と言われようとも、二人はいつも一緒でした。自分が出来うる限りのことをして、ルーナはルナを守りたいと思っていました。大切な、友達ですから。

 

「ルナ。ルーナが魔法で入れ替わって交代しましょうか?」

「結構よ。それに貴女が入れ替わったって、絵は描けないでしょ。ああでも、もしかしたらその方が面白い絵になるかもしれないわね?」

「眠る間だけでも、ルーナは楽にしてあげたいのです」

「いいの。今はとても……穏やかだから。貴女って本当に変わってるわ、ルーナ。人間の体なんて、人形と比べたらいいところなんて何もないでしょうに。美しさだって劣っていくし、日に日に錆び付いていくし、私のように生まれつきのガタと付き合わないといけないのよ」

「そうでしょうか。人間の体は、思ったほど悪くないですよ。やっぱりルーナは人間がいいです。ルナと同じ、痛みが分かりますから。……ルナだけ、先に見送らなくていいですから」

 

 もうルーナは、本当に想った相手と最期まで心穏やかに生きられるのならば、この呪われた身も、魔力も、長い寿命も要らないと思っていました。ニナの時とは違って、自分のためだけではなく、誰かと一緒にいるために、人間になりたいと思っていたのです。

 長年の間に修理と改造を繰り返し、もう脆くなっていた人形としての器にも、ルナがしてくれること以上の手を掛けるつもりはありませんでした。ルナの傍で壊れてしまえるなら本望です。

 長い透明な羽毛のような睫毛を羽ばたかせて、静かに瞳を見つめ返すルーナに、ルナは語りかけました。

 

「……ごめんなさいね。私がもっと偉大な魔法使いならば、貴女の呪いを解くことも、貴女を人間にすることも、できたかもしれないのに」

「十分ですよ。ルナはもうたくさん、たーくさん、私にくれましたから」

「今どれだけ与えられたとしても、貴女の中に残らなければ、意味はないのよ」

「何言ってるんですか。ルーナはもらったご恩は、忘れませんよ。絶対に、絶対に。一言一句忘れるはずがないじゃないですか」

 

 そう無邪気に布団を被って笑うルーナを見て、ルナは微笑みながら、けれどいつも少し悲しそうな目をしてから、目を閉じました。

 彼女は、解けなくてもルーナのそれがどんな呪いなのか、知っていましたから。

 きっと、自分が生きている間は解くための方法を必死で探し求め、宮廷画家になってより広く繋がりができた暁には、権力を以てしても必ず自分とルナが幸せになれる方法を見つけようと、固く誓っていたに違いありません。

 けれどその願いは、どちらもとうとう叶うことはありませんでした。

 

*9

 

 その日、ルナは自室へと帰ってきませんでした。

 小さな体に不釣り合いなほど、広くがらんとした部屋で待ち受けていたルーナは、外の廊下を通った執事を捕まえて、尋ねることにしました。

 

「お嬢様でしたら、今日はアトリエにお籠りになるとのことですよ。博覧会に出す作品の完成が近いとかで」

 

 以前にも何度か、こういうことはありました。

 集中して絵を描きたい時、部屋に戻ることも億劫になるルナは、執事や召使いが止めるのも厭わず、固い床のアトリエに寝転んで休息を取り、ほとんど徹夜で何日も作業を続けるのでした。

 それを知っていながら、ルナが望んでやる以上はルーナも引き止めようとは思いませんでしたので、黙って部屋に戻り、むっつりとベッドに腰掛けました。

 朝起きても、ルーナより先に出掛けていたルナ。

 サンドイッチを用意したのに、お昼も一緒ではなかったし、一度くらい顔を見せてくれたっていいのに。

 そう思いながら、だらんとベッドの上から蝙蝠のように体を下ろした時でした。

 ルーナは、ベッドの下に、何かちかりと光るものを見つけました。

 

「これは……」

 

 掴んで引っ張り、ベッドの上に体を起こして見てみると、それはルナの絵筆です。

 その瞬間すべてを悟ったルーナは、靴を履くことも外出着に着替えることもそっちのけで、一目散に部屋を出て、走り出しました。

 

 動悸など知らない人形の体でも、左胸の奥で不穏な何かが爆発しそうになっていました。

 黒い塊のような不安が、次から次へと湧いてきて止まらないのです。

 迷路のような夜の庭で、果実を実らせた木がざわざわと揺れています。黒い影が、くっきりと芝生の上に浮かび上がる、月の眩しい夜でした。

 屋敷の端から端まで、ルーナは走り抜けました。

 握りしめた絵筆が、手の中でへし折れそうになりました。これは、ルナがいつも魔法の杖の代わりに、肌身離さず持っているものです。絵を描く時も、ルーナに魔法を掛けてくれる時も。特別な芯と木材を使って作られた、世界に一つの貴重な魔法の絵筆で、いつも自分とルーナを置いては、ルナが命のように大切に思っていたものなのです。

 それを、ルナが簡単に手放す? とても本人の意思でできるとは思えませんでした。

 ルーナは夢中で走り続けました。

 石畳でできた塀。塔と塔を渡すレンガの橋。厨房や馬屋。温室に浴室。使用人達の部屋。

 屋敷を囲む黒い森の外側で、狼の遠吠えが聞こえました。その遠吠えに、忘れていた嗅覚を呼び覚まされるようにして——ルーナはかつてよく知っていた臭いを感じ取りました。鉄の錆びたような、鼻をつく臭気を。

 最後に向かったのは、ルーナがかつて眠っていたコレクションルーム。

 ルナをルーナが引き取ってからは番人も暇をもらって辞めてしまい、廃屋と化していたこの建物の木造扉を開けた向こうに——ルナはいました。

 見る影もないほど、無数の鉄の槍に刺され、切り裂かれて。

 

「おい! 誰だ、ここに子供を招き入れた奴は!」

「いや、あれはよく側についている……」

「構うまい。いくら呪いの人形でも、本物の悪魔を前にして歯は立たぬだろう」

 

 血の臭いが充満するホールに、顔を隠した人々のざわめきが漂いました。

 珍妙な格好をしてはいますが、ルーナには全て聞き覚えがありました。どれもこれも、屋敷にいる間に一度は耳にしたことのある声です。ルナをつけ狙っていた人間達の声です。

 フローリングとカーペットに円状に広がる血の池を、よそよそしく囲む人々の真ん中に、ルーナは悲鳴を上げて躍り出ました。

 

「ルナ! ルナ! いったいどうしたんです!? なぜアナタがこんなことに……!」

「抜かったわね……私としたことが……。あいつらが、まさかこんな……なりふり構わない、賭けに出るなんて。

今夜は、満月、でしょ。物を狂わせる力が、降り注ぐ日……。それを利用して、悪魔を呼び出し、私を差し出す気ね。

奴らがもっとも恐れているものに、生贄を差し出して、鎮静化しようっていうのよ……邪魔者を、二つ同時に始末するには、絶好の機会だわ」

 

 一体、朝あの自室で捕まってから、どれほど長い間、痛めつけ続けられてきたのでしょうか。大怪我という言葉ではもう表せないほど、それはルーナの想像を絶する肉体の損傷でした。けれど、どれほど嬲られても、ルナは冷静でした。

 血溜まりに沈みながら、なお魔力と生気を失っていないその顔を、周囲の者達が不気味がって眺めている様子を見て、ルーナが吠えました。

 

「こいつら……ッ!」

「ルーナ。逆らっちゃ、だめ。よく聞きなさい」

 

 その声に動きが止まった隙に、誰かがルーナの腕を魔法具で拘束し、どかっと血溜まりの中に突き飛ばしました。そして、魔法陣の上にいるルナの体をナイフで引き裂きました。

 血飛沫に溺れそうになりながら、ルナはのたうち叫びました。強い魔力を持つものは、簡単には死にはしません。けれども死なないだけで、痛みや苦しさを感じないわけではないのです。それは見ていられないほどの苦しみようでした。

 

「ルナ! でも……!」

「傍においで。そう、私の傍に……」

 

 虫の息のルナ相手に、縛られた人形が何をできるとも思わなかったのでしょう。囲んで呪文を暗誦する魔法使いと貴族たちは、二人を引き離そうとはしませんでした。

 カーテンに閉ざされた暗い部屋の中で、ルナは金星のように明るいルーナの瞳を、たしかに見つめていました。そして、他の誰にも聞こえないように、這いつくばったまま耳元に口を寄せて、小さな小さな声で囁きました。

 

「ルーナ……。貴女の願いを、すべて叶えてあげられなくて残念だわ。本当に……」

「こんな時にッ! わたしの願い事なんて……!」

「でも、一つだけなら叶えてあげられる。私を、ゆるしてね」

 

 微かな声に、ルーナの動きが止まりました。高らかに読み上げられていく詠唱の文句の中で、ルーナはそれに紛れることのない凛としたルナの声を、確かに聞き取っていました。

 

「ルーナ。人間は、驕り昂った魔法使いは、儀式によって召喚すれば悪魔を使役できると考えている……でも、そんなのは嘘。奴らに、一方的な都合で呼び出した悪魔を制御できるはずがない。

けれど、ルーナ、貴女なら……人間ではなく、強い魔力を持つ、貴女になら……」

「……!」

「大丈夫。私の魂が朽ちても、私の肉体は貴女と共にある……死んでも、私たちは一つになれる」

 

 血溜まりの傍で、ルナを蹂躙していた誰かの落とした、銀のナイフが鈍く血の色を放ちました。

 はっとして、ルーナは激しく首を振りました。

 

「いや……いやです……ルナ。ルーナはどうなってもいいんです。アナタが、アナタが生きてくれなきゃ、何の意味もない。あんな奴ら、ルーナがやっつけますから、ここを出ましょう。どこか遠いところへ逃げて、そしたら手当でもなんでもして、ルナを……!」

「最期まで、物分かりの悪い子ね……。逃げ延びたとして、ここまで力を削られたら、子供の身体ひとつでは私は長くはもたないわ。

あんな穢れた奴らの手に殺されるくらいなら、私は貴女に命を絶たれた方がいい。

悪魔に、魂を売りなんてしない。私の命は、私が使い道を決める。私の命は、貴女にだけあげる」

 

 ルーナは泣きながら、首をひたすら横に振りつつも、手探りでナイフを震える両手に握り締めました。星明かりひとつ差し込まないはずのその部屋で、なぜかきらりとそれは輝きました。

 

「……私が死ねば、悪魔召喚の儀式は完成するわ。私を殺し、口づけをしなさい。

そして、契約した悪魔に命令するの。この身体を使い、貴女を人間にせよと。

……ルーナ。私の身体を使いなさい。私の代わりに、『ルナ・プリムローズ』として生きなさい」

「ッ、……う、……うあああああああああッッッ!」

 

 叫びと共にルーナが突き立てたナイフから、激しく血の噴き出す音が響きました。

 自ら主を殺すなど、とうとう気狂いになったかと取り巻いて囁き合った魔法使い達でしたが、やがて光り輝く魔法陣と魔力の奔流に、そうも言っていられず目を塞ぎました。

 舐めるような炎が上がり、煙のように立ち昇った悪魔の影は、巨人のように部屋の天井まで背を伸ばして、やがて消えていきました。

 赤紫の炎で燃やし尽くされた魔法陣の中に、二人の少女の遺体は残っていました。不審そうに顔を見合わせた魔法使い達は、口々に言いました。

 

「なんとも恐ろしい光景だった……終わった、のか?」

「生贄は受け取ってもらえたのだろうか」

「奴らが食らうのは魂だけだ。遺骸は不要なのだろう」

 

 一人の儀式を取り仕切っていた魔法使いが、前に進み出て、焼け焦げたルナの毛をかき分けました。身体ごと切り刻まれ、血に汚れているというのに、その顔と閉じた瞼は綺麗なものでした。

 

「星は、堕ちた。我々を惑わす邪悪な星は、もう二度とこの空には現れまい」

 

 厳かに、魔法使いがそう囁いた時でした。

 がしり、とその皺だらけの手を、何かが掴みました。

 慄いて悲鳴を上げる魔法使いの前で、ゆらりと起き上がる影があります。どす黒い塊から、まるで不死鳥が生まれ変わるがごとき輝きを放ち、足が立ち上がり、腰が起き、頭をもたげ——そして最後に、その瞳が開きました。堕ちたはずの紫彗星は、再び現れたのです。

 混乱し、どよめき、泣き喚く人々。

 へたり込んだままで、泡を食って魔法使いが口を開きました。

 

「お前は! ……お前は、し、死んだはずでは!? いくら悪魔の子といえ、本物の悪魔に渡して尚、その身が復活するなどありえん!

いや、それともお前は燃え残りの人形だな!? 人ではないから燃えない、呪いの形代。そうだな!?」

「ええ。ワタシはルーナ……いいえ? そのどちらでもないわね。ワタシの名は……」

 

 ひひっ、という邪悪な笑みを浮かべて、燃えるような金の髪をなびかせた小柄なその影は、高らかに名乗りました。

 

「我が名は、ルナ・プリムローズ。(ルナ)の血と名を受け継ぎ、生まれ変わりし者。

野獣どもよ、報いを受けよ。悪魔を厭い、愛しい人を奪うなら、お前達が悪魔の贄となれ……!」

 

 人形がルナから受け継いだ、金色の髪。

 そして紫色の瞳は、奇しくも〝造られた〟時と同じものでした。

 悲鳴の響き渡る屋敷は、炎に包まれました。

 

 その日。プリムローズ家は謎の大火災に見舞われ、多くの屋敷の者達が惨殺されました。

 一族の誰もが口を閉ざす、その悲惨な事件の顛末は、やがてこんな風に伝えられました。

 「プリムローズ家の長女は、成長しない奇人だった。やがてその幼女は、気が狂って屋敷中の人間を殺戮する殺人鬼となり、火を放ったのちにプリムローズ家を永久追放された」と。

 生存者がいたために、プリムローズ家はその後も宮廷御用達の正統な画家一族として続いてはいきましたが、家名を貶めるきっかけとなった者達と、一人の娘の存在は、永久に闇の中へ屠られることとなりました。

 けれど、それはあくまで、プリムローズという一つの家系の中での話です。

 悪魔の力によって「ルナ」の魂や肉体と融合した人形は、ルナと名乗りながらその後の世界を生き始めました。

 

*10

 

 半端な肉体を持つ、人間でも人形でもない、完全な悪魔でも吸血鬼でもない存在になったルナは、あの日復讐を果たして殺した者達の血肉から得た精力を糧にし、それがなくなると、森で獣達を襲いながら細々と暮らしました。

 完全な人形であった時代は、血肉を得ずとも、外からオーラや魔力を吸収していれば最低限の生命維持はできていたので、いわゆるナマモノの摂取は必要条件ではありませんでした。しかし、悪魔と契約して生身の肉体と融合し、呪われた身となったルナは、定期的に必ず生き物の血肉を啜らなければ、生きてはいけない体になっていたのでした。

 それでも生前の「ルナ」から、たとえ食料を得るためであっても、無闇に人間を襲って殺してはならないと教えられていましたから、必要以上に人間達を騒がせることはしませんでした。

 ニナの家族との出来事や、それから経てきた数多の出逢いとは違って、ルナは「ルナ」のことを忘れ去ろうとはしなかったのです。むしろ、その名を忘れないよう自分を呼ぶようにして口ずさみ、憎しみの記憶であっても決して記憶から消えないよう、心に刻みつけました。

 辛い記憶の中には、幸せな思い出も必ずあると、ルナは知ったのですから。

 けれども、ルナを蝕んでいたもう一つの呪いが、そんな暖かな灯火も、一つ、またひとつと吹き消していきました。そうして大切な想いの数々を失っても、「ルナ」の元で開花した天性の明るさだけは失われることがなかったのか、妖怪や悪魔とは縁のなさそうな無邪気な顔を浮かべた少女は、黒々とした森の木に座りながら、お腹を膨らませてくれる大きな魔力が現れないかと、移り変わる時代の中で刻一刻と、待ち構えていたのでした。

 

 さて。それから何年も後のこと。

 色んな土地を渡り歩き、人里離れた森の中で、狩りをしたり気まぐれに人に手を貸したりと、暇つぶしをしながら生活を営んでいたルナの目に、ある晩変わったものが飛び込んできました。

 夜の森にたった一人、ひょろひょろの箒で飛行練習をしている、飛べない変な魔法使い。

 結果は見え透いているのに、どれだけやっても諦めきれず、岩の上から飛び上がって無惨に木の中へ突っ込んでいく、ボロボロの魔法使い。

 実はルナは、ちょっと前からこの魔法使いのことを知っていました。

 この間は、とってもとっても大きな魔力といい匂いを感じたのに。一体このありさまはどうしたことかと思いながら、ルナは興味を引かれて山を降りていきました。

 あわよくば、美味しい魔力のおこぼれにあずかって、あわよくば、今度こそ「愛して」もらえるかもしれません。

 これがルナと、新しい「主」との出逢いでした。

 そして——




お話の世界は、これでおしまい。
次回からの菫之巻三部作を以て、Day29は完結です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。