元の世界に帰る前、夜羽は守り人と最後の会話を交わす。
「……えっ。これでおしまい? まだページいっぱい残ってるみたいだよ」
「いやあ、これ以上はその……僕のみっともない姿とか映るだけだし、別にいいかと」
驚いてきょとん、とボクは顔を上げる。
まだ時間が全然現在に追いついていないんだけど、中途半端なところで物語が終わって思わずそう尋ねたら、守り人さんはそっぽを向きながら、つんつんと繋いだボクの手を引っ張っていた。
「えっ。でも、守り人さんはこの書を書いた人なんだよね?」
要は記録者的立場の人で、登場人物ではないはずだ。
なんで守り人さんが本に出てくるだろう……としばらく考えて、ボクは流星が頭を過ったような閃きを感じながら、思わず大声を出した。
「……! わかった! 悪魔や天使は、人間の主と契約を結ぶでしょ。
守り人さんは、もしかして今のルナの主なんじゃない!? そうだよね」
「はぁ……バレちゃったらしょうがないな」
バラすつもりはなかったみたいな事を言いながらも、うまく当てられてぴょんっと跳ねてしまったボクの頭を守り人さんは撫でてくれて、ちょっと照れ臭いけれど嬉しかった。
「なんだあ。道理でルナのこと、いっぱい知ってると思った」
「僕にだって、まだ知らないことは山ほどあるさ。人間は、自分以外の相手のことを、完全には理解することができない。物語だって、いくら客観的に見ようとしたところで一つの『主観』だ。これは、今ルナの傍にいる僕が、僕の色眼鏡で編纂したものに過ぎないよ」
そう言って、守り人さんは微笑んでみせる。
でも、守り人さんの語り口は、優しかったけどな。決して美談でも、赦されていい話でもないけれど、ルナを好きな守り人さんだから、こんな風に、あからさまではなくとも寄り添う心がそれとなく読者に感じられるような、そんな書き方ができるのだと、ボクは思う。
守り人さんに向かい合って、ボクはわからなかったことを尋ねてみた。
「結局、ルナに掛かっていた呪いは何だったの……?」
「娘のニナが殺された時、あの両親は言っていただろ。『二度とその耳に、愛の言葉が届く資格はない』って。そして呪いを掛けられたルナ本人に、その自覚はなかった。
あれは、……『自身が真に愛する人の言葉が、届かなくなる呪い』だよ」
「愛する人の言葉が……届かなく、なる?」
そのまんま繰り返したボクに、守り人さんは辛そうに微笑んで、目を合わせた。
「だから、ルナからは愛されていた記憶だけが消えていった。ニナの家族や『ルナ』と居た時だけじゃなく、どんな身の上であれ自分が必要とされ、色んな人から愛しまれていた時代も、確かにそこにはあったのに。
あの子はずっと忘れていたんだ。
自分が呪いの人形で不幸を撒き散らすことしかできないと、あの子がずっと思っていたのは、そのせいさ」
「でも実際は、そうじゃなかった……ルナに誰かが向けてくれた愛や優しい気持ちが、ルナに届いていれば、ずっと残っていれば……ルナはこんなに自分や誰かを傷付けることなんて、しなかったかもしれないのに」
たしかにひどいことをいっぱいしたかもしれないけど、ルナだけが悪かったわけじゃないはずなのに、その罰として、本当にこんなにも長い間、苦しまなければいけなかったんだろうか。
目の前が、揺れて滲んでくる。ボクの手を引いて、明るい方へ歩きながら守り人さんは語った。
「呪いによって、彼女を愛する者達にもらった愛の言葉は、憎しみの言葉や罵倒の言葉、彼女自身を追い詰め蔑むものに、記憶の中で変わっていった。
一つの単語が呪いの言葉に変わり、他の単語もまた捻じ曲がる……それをひとつひとつ、抽出した記憶の書を補修して分析したり、他の家に伝わる記録と見比べたり調べたりしながら、丁寧に解消して、本来聞こえていた正しい言葉の形に直し、彼女に贈り返す。……僕がしたのは、たったそれだけのことだよ」
たったそれだけって……この人はものすごく簡単そうに言うけど、それは気が遠くなるほどの長い時間と手間が必要な作業じゃないんだろうか。
だって、ルナはものすごくルーツの古いアンティークドールだ。口伝にして残るにしても、運よく誰かが記録しているにしても、名前も姿も変わる人間そっくりの人形の逸話を、歴史の中から探し出すだけで大変なはずなのに。
頭上から降ってくる光を感じて、ボクは思わずその人を見上げた。
「その呪い……もしかして、あなたが解いたの……?」
「僕一人の力でやったわけじゃないけど、まあ、一応ね。僕が解いたことになってる。
今まで君が見てきた物語は、全部ルナの中に戻っているよ。ただ、元が人形だからね。着脱がしやすいってのが、利点でもあり欠点でもあるっていうか……体の外からくっつけて戻しても、たまにこんな風に外れちゃうんだ。
で、そこに君が迷い込んできた、ってわけ。夜羽くん」
つん、とボクの頭を悪戯っぽく守り人さんがつつく。
いつの間にかボク達は森の中の開けた場所に来ていて、まるで木に丸く覆われた大地の底から、ぽっかり開いた森の天井を見上げているみたいだった。
「どうしてボクの名前を知ってるの?」
「僕はこの記憶の番人だからね。これを作ったのは、正確に言えば僕だけど僕じゃない。
この玉に施した僕の魔力が、僕の形を成してこの世界を守ってるんだ。だからここに入って来た時点で、君の心も記憶も、僕の力が及ぶ範囲内にある。
おかげで、君のきょうだいがルナのために奔走してくれたことも知れた。本当にありがとう」
「……よく分かんないけど、本物の守り人さんは、ここじゃない場所にいるってこと?
じゃあ、どこに行ったら会えるの? その人とルナは、離れ離れになってて大丈夫なの?
どうやったら、元の世界に帰してあげられるの?」
「おっとっと……僕らを知ろうとしてくれる気持ちは嬉しいけど、それは多分、どうしても知りたかったら、表の世界でルナに聞いた方が早い」
落ち着かせようと両手を広げて苦笑した守り人さんがそう言ったから、ボクは思わず嬉しくなって大きな声で言った。
「ルナの記憶、戻る? 聞いた方が早いってことは、ルナは思い出すってことだよね」
「君たちが東奔西走してくれたおかげで、ほぼもう戻ってる。この玉で髪飾りを完成させれば、完全に思い出すよ。
それに、外の気配を察するにあっちでも色々あったみたいだし、もうほんとに君を帰さないと。
そろそろ時間切れだ。こんなに遅くなったせいで、君のきょうだいが黙ってないようだしね」
守り人さんは、ちらりと視線を投げて後ろの上空を振り返る。
と、そこにはなんで今までボクは気が付かなかったのかと思うくらい、巨大な火の玉が太陽みたいに接近してきていた。森の草を焼き払ってしまいそうなそれを、避けることすら考えつかずに唖然としていたけど、玉転がしで使うボールの何倍も大きいそれは、どさっとボクのすぐ真ん前に着地して、ボクと守り人さんに割って入るようにして立ちはだかった。
渦巻きから現れたとぐろが、ボクを背後に庇ってしゃーっと牙を剥く。白っぽい鱗から炎が立ち上り、威嚇するような瞳が爛々と光っている。今にも守り人さんに噛みつきそうだ。
呆気に取られて座り込んでしまったけど、なんとなくこの感じをよく知っているような気がして、ぱちぱちと火の粉を上げながら目の前で鎌首をもたげる蛇を、ボクは目を丸くして見つめた。
「もしかして……恵李朱の、蛇……?」
「しゃーーーーっ」
「……怒っているね。ものすごく。
僕が君を誘拐して、危ない目に遭わせようとしてると思ってるみたい」
両頬を炎に染められ、頭から噛み砕いてしまいそうな口と毒牙が目の前にあるのに、守り人さんはちっとも動じない。のたうつ炎と熱風に、真正面から髪とローブを煽られても、目を逸らさないまま涼しい顔をしている。
どうしよう、守り人さんは悪くないのに、食べられちゃう、と思ったその時。ボクが止めるよりも先に、守り人さんが唇を開いて、聞いたこともないような言葉を紡ぎ出した。
それは、言葉なのかもよく分からない。吐息のような、吹く風のような、鳴き声のような……
けれど、杖を振っておらず力も使っていないのに、牙を剥いていた蛇は、やがて守り人さんの方を見ながら、その炎を落ち着かせておとなしくなった。瞳が元の緑色に戻る。チロチロと舌を出しながら、身を屈めた白蛇はその大きな顎を守り人さんに撫でられていた。
「よしよし。君は家族想いのいい子だね」
「えっと……今の、何……?」
「これは蛇語。僕も蛇を飼ってるから。まあ、僕の世界の蛇語が、こっちの世界の蛇にまで通じるかは、わかんなかったけど……。通じたみたいでよかった。できれば、一戦交えるなんてことはしたくなかったからね」
蛇も巨大な口から舌と息を吐き出して何か言ってるみたいだけど、もちろんわからない。
怯えもせずに、蛇と見つめ合いながら頭を撫でている守り人さんに、ボクは聞いた。
「何て言ってるの?」
「この子も、僕と同じ。この玉に宿った、魔力の一部が具現化したものだよ。君のきょうだいが、何も知らずに僕の玉にイタズラしただろ? ふふ」
「あっ……」
そういえば、恵李朱、拾ってきたビー玉全部に炎を吹き込んじゃったんだっけ……。
てことは、この蛇も最初から、この空間にいたことになる。
優しい瞳で、守り人さんはボクと蛇を見守った。
「もちろん、君の弟はこんな風になることは想定してなかっただろうし、ここの外にいる弟くんは、今も自分の魔法がこうなってることを知らないと思うよ。
ただ君のピンチに際して、その魔力は無意識に形を持った。君のことを守ろうとしてね。
物語を読んでる間、僕があんまり君を遠くに連れて行くから、心配になったんだよ」
「そっか……そうだったんだ。ごめんね」
白くてつべつべした胴体に抱き付くと、蛇は気にするなというようにボクの頭を舐めてから、無数のオレンジ色の蛍のように分解して、姿を消した。ものすごく綺麗だ。
「消えちゃった……」
「大丈夫。見えないだけで、ここにいるから」
「……ん? ちょっと待って。てことは、あなたの持ち物に、恵李朱が勝手に魔法で手を加えちゃったってことになるよね!? それは大丈夫なの!? 何も知らなかったし感じなかったとはいえ、ルナの記憶を預かってるような、大事な魔法具に魔法なんか……」
「あはは、大丈夫。そのぐらいじゃここは揺らがないから。それに、元は落としたこっちに責任があるんだ。気にしないで。
……これはこれで、素敵な記念になる。ルナが君たちのいる世界にやって来たという、新しい思い出にね」
森の奥にちらちら舞っている、火の玉みたいな光を見ながら守り人さんが微笑む。どうやら、あのまま恵李朱の魔法がここにあることを許してくれるみたいだ。
「さて。危害を加える気はないと分かってはもらえたみたいだけど、どのみちこの世界の外にいる人たちは、長い間君が眠ったままだと心配するだろう。本当にお別れの時間だ」
森の上、光の差し込む空に向かって上っていく、石のエレベーターみたいなものがある。
あれに乗ると、元の世界に帰れるらしい。
鳥の鳴き声が響く中で、台座にボクを抱き上げて乗せた守り人さんに、ボクは勢い込んで言う。
「あのね。もうひとつ、どうしても気になってることがあるんだけど」
「何かな?」
「一番最初のページで、人形師さんに呼ばれた名前と、人形師さんの名前があったでしょ。あそこは墨塗りになってたけど、ルナは覚えてないの?」
「ああ……ううん。あの子の真名は、僕が取り戻した。呪いを解いた時にね。
でも、名前は契約に必要な、大事なものだから。今はあの子自身、普段はルナっていう通称で通してるし、僕だけが知っておけばいいかと思って。君の前では隠しておいただけだよ」
「じゃあ、名前が分からないわけじゃないんだね……よかった」
今でも、ルナは自分が誰か分からずに、迷子みたいな気持ちになるのかと思ってたから。
少しほっとして、あの優しい記憶があることに胸を撫で下ろすと、守り人さんはボクを物珍しそうな顔で見て、それからまた、優しく頭を撫でた。
「君は、本当に優しい子だね」
「……そうかな……?」
「自分がこの世界を出られるかどうかより、記憶の持ち主を心配するなんて。なかなかできる真似じゃないよ」
「それも心配だけど、単に余裕がなかっただけっていうか……目の前のことに夢中だっただけだよ」
読み終わるまで、自分そっちのけで物語に入り込んじゃってたんだもの。
でも、頭を撫でる手を止めずに、守り人さんはボクの目を覗き込む。
「優しいし、とても強い子だ」
「強くなんて、ないよ」
「どうして?」
ボクは、思わず俯いて目を伏せてしまった。
「だってボクは、恵李朱みたいな強い魔力もないし。雀愛みたいなすごい魔法も使えない。今いる世界で、ムラサキの大変な事を全部肩代わりすることもできない。お金も力も、何もないから」
「それは、魔法使いであるかないかに関わらず、みんなそうだと思うよ。
愛する人の前では、皆無力だ。どれだけやれることをやったとしてもね」
魔法を自在に操れるはずのその人は、不思議なことを言う。
ボクが台に座ったまま首を傾げていると、とんとん、とその人が肩を叩いた。
「それに、強さっていうのは、目に見えて力が強いっていうことだけじゃない」
「どういうこと?」
「だって君は、ここへ来れたじゃないか。容易には発見されないよう、僕の魔力を込めた強い力を持つこの書物を、髪留めの飾りとして隠蔽しておいたのに、君だけがそれに気が付いた」
「でも、それは恵李朱が拾ってきたビー玉の中に、たまたまあっただけで……」
そう言うと、守り人さんはボクの唇に人差し指を当てて、ウインクしながら首を振った。
「普通の魔法使いじゃ、これの仕組みには気付かない。道に落ちてるただのガラス玉さ。
でも君は内側にある魔力を感じた。そうじゃないと、本からは呼ばれないからね。どうしてだと思う?」
「……」
「それは君の耳と心が、ルナの叫びを聞き逃さないほどの優しさを持っているからだよ。
だから気が付いた。他の誰もが聞き逃して、通り過ぎてしまうような、ほんの小さな物語にね」
「でもボク、何も聞こえなかったよ」
「音として聞こえなくても、君の心がそういう優しさを持ってたから、無意識に引き込まれたんだ。
身近にある誰かの為に、ちょっとの間でも足を止められる。これでいいのかなって考えられる。強さっていうのは、そういうことの積み重ねじゃないのかな」
ボクが考える強さとは、全然違っていた。
その言葉の意味を考えながら瞳を見つめ返すと、守り人さんはボクの胸元にそっと手を翳す。溢れた光に驚いていると、守り人さんは瞬きし、納得するように頷いてから、ボクに微笑んだ。
「うん……。君、間違いなく才能あるよ。
オンリーワンの、君にしか宿っていない力がね。まだ原石だけど、磨けばきっと、これ以上ないほど眩い力。……僕が保証する。がんばって」
そんな事、自分以外の魔法使いに、初めて言われた。それも、こんなすごい人に。
伽々未にも、ボクの天使としての力は、まあまあ並程度だって言われていたし、自分でもそれ以上のことなんて、期待してなかったから。
お世辞とか、気休めなのかもしれないけど、思わずぼ〜っと顔が熱くなった。
「あ……え、えと……」
「それじゃあ、僕はこれで」
またね、と最後に一度握ってくれた手が離れて、ボクの乗った台が上へ上へと動き出す。
風船がどんどん昇っていくみたいだ。あっという間に遠ざかる緑の地面が、空からの眩しい光に紛れて見えなくなる。慌ててボクは、下の方に向かって叫んだ。
「まって! せめて名前! 教えてください! ボク、あなたとも仲良くなりたいから!」
「大丈夫。今聞かなくても、戻ったらすぐにわかるさ。君はもう、僕のことを知っているから」
……え? どういうこと?
全然分からないけど、頭の中と体の感覚まで真っ白になって、だんだん眠くなってくる。
もう起きていられない、と思ったその時、優しい風が吹いて、光がボクを抱いてくれるみたいに包み込む。最後に一言だけ、意味はわからないけど確かに、守り人さんの囁く声がした。
「……そっちの世界の僕に、どうぞよろしく」
書いた通りですが、最後のパーツは実は最初からこの家にあったというオチなのでした!
話に全く関係ないけど、ここの場面はとてもdeemoっぽいなと思って見ていました。
異世界、意識の下層の記憶ということで「地下一階」の回収ができていましたら幸いです。
あと間接的に恵李朱くんに惚れました。あの子どんだけイケメンなの。イケメンしかこの話出て来ないよ。イケメンパラダイスだよ。
目覚めた先でルナ達は無事なのか。もう少しだけ続きます。