そんな彼を待っていたのは、思いがけない出来事の連続だった。
「ん……」
西陽がまぶしい。身じろぎして目を覚ますと、ボクはベッドの上にいた。
もそもそ起き上がり、何かに布団が引っ張られている感触を覚えてそちらを見ると——恵李朱が、ベッドの端に突っ伏して寝ている。傍のテーブルには、お湯の入った桶とタオル、水差しや魔法薬など、看病全般に必要そうなものが置いてあった。ベルが寄ってきて、ボクの頬をぺろぺろ舐める。
もしかして、あの世界に引き込まれて夢を見ている間に、うなされてでもいたのかもしれない。随分心配をかけちゃったな。
「お。目が覚めたね」
ベッドの傍に座ってたのは、恵李朱だけではなかった。ボクが起き上がると同時に気が付いて、畳んでいたらしい洗濯物を脇に避けながら声を掛けたのは、なんと愛理だった。まだいたのか。
愛理の顔を見送ったのは今朝で、その時以来の再会なのに、なんかボクは今までずっと愛理と喋っていたみたいな、変な感覚にふと襲われて、まじまじと顔を見つめてしまう。ずっと寝てて、時間の流れを感じないせいかな。
でも、驚きのあまりそれどころではなくなった。ボクの向かい側、部屋の反対の端に作った恵李朱用のスペースで、空いているはずの恵李朱のベッドに寝ている人がいた。ルナだ。
「えーと……これ、どういう状況?」
「まあ、そうなるよね。こっちも色々あってさ」
なぜか愛理は苦笑いしている。ほら、その表情……ついさっき、どこかで見た。でもなんで?
時間が巻き戻ったような不思議な感覚に襲われて、首を傾げていると、ボクらの会話に起こされてしまったのか、恵李朱が頭を上げて眠そうに目を擦った。ご自慢のふわふわ髪の毛が、少し跳ねてあっちこっちに向いている。そのほっぺたに、ベルが安心したようにゴロゴロ言いながら頭を擦り付けていた。
「恵李朱。夜羽が目、覚ましたよ」
「うーん、そう……よかった」
恵李朱はもそっと答えたけど、ボクはまたびっくりした。
いつの間に、名前を呼び捨てするほど仲良くなったんだろう? 恵李朱だって敬語外れてるし。
あの、大人の女性相手に絶対外さない、エセ執事弁みたいのはどこいったんだ?
「さっき、僕も恵李朱に説明聞いたんだけどね。どこから話せばいいやら……」
「結論だけ言うと、事故って大怪我したルナを運んで部屋に戻って来たら、あんたが布団の上で倒れてたってこと」
「恵李朱ってば、髪の毛掻き毟らんばかりの焦りようだったよね。慌ててるっていうより、半ギレ状態だったような……」
「当たり前でしょ。やっと記憶の材料が揃ったと思ったら、ルナは下半身ぶっ飛んでるし、夜羽はなんか変な魔法具に取り込まれて意識不明だし。頭おかしくなりそうだったよ」
「えっと……それはなんか、ごめん」
そっちに何があったかは全然把握出来てないけど、とりあえず大変そうな状況に、ボクが自分の好奇心でさらに大変な負担を上塗りしてしまったようなことだけはわかったので、謝っておいた。
ふあ〜あ、と大きなあくびをした恵李朱がのびをする。
「下半身を繋げるなんて、大手術だったからね。さすがのボクも力の使いすぎで眠いよ」
「さ、さっきも聞いたけど……それってホントにホントの大怪我じゃないの!?」
「平気。あいつは悪魔だから。危ない状態を脱して今は安定してる。それに、思った以上に愛理の血が役に立った」
横を向いた恵李朱に釣られてそちらを見ると、愛理が照れたように笑って頭をかいた。
「いやあ……僕にできることはないかって、恵李朱に聞いたんだ。三人で歩いてた時に、工事現場から降ってきた鉄材に巻き込まれたんだけど、ルナちゃんは僕を庇って怪我をしたから。
人間の僕なんかにできることはないって、怒鳴られちゃったけどね」
「まあね。愛理の手を借りるつもりはなかった。でも、あの時背中に背負ってたルナが、朦朧とした意識の中でボクに言ったんだ。愛理はルナの『大事な人』だから、その血を借りれば、たとえ異世界の愛理からでも力を得られるかもしれないって」
そう言って恵李朱は、寝息を立てながらごろりと幸せそうに寝返りを打つルナのことを見た。
ベッドに飛び乗ったベルが、ぴすぴす鼻を鳴らしながらその匂いを嗅いでいる。
「あれだけの大怪我をしてたら、普通の人間から悪魔への輸血なんて、そこそこの量で足りるはずがない。けどルナは……ボクの血もあげたとはいえ、愛理の血を入れてからの回復が、劇的に早かった。一般人の献血程度しか使ってないのにだよ。体の再生能力も、段違いに上がったし……。
ただの人間の血が、悪魔族のボクの血の力を凌ぐなんて、主の縁でもなきゃありえないよ。あんた、ルナと何かつながりがある人? それとも、霊媒体質とか?」
「だから、ボクは初対面だし、君たちと会う前も悪魔とか幽霊とかそういうのは見えたことないって……」
『主の縁でもなきゃありえない』。その言葉が、なぜか頭にぴんと来た。
苦笑する愛理に口を開きかけたその時、ベッドの上の金髪がアンテナみたいにぴょこんと立った。
「むむ。アイリさんの声がするです……」
「お前、相変わらず愛理レーダーだけは健在だな……」
「わーい! アイリさんです! アイリさ……っででで!」
恵李朱の声に反応してこっちを見たルナは、ベッドから飛び跳ねようとして激痛のあまり頭からずり落ちていた。下半身を失うような大怪我をしたというのは本当のようだ。でも、それにしては意味がわからないほど元気に動けてると思う。普通は痛いで済まないぞ、それ。
恵李朱が、見かねたように乱暴に引っ張り上げて、ルナをボクらの方へ抱き上げてきた。
「まったく、覚えてるか知らないけど、お前さっきまで腰から下全部千切れてたんだからな」
「失礼ですね、さすがにわかってるですよ。恵李朱さんにも感謝してるです。
見習いの悪魔さんに、随分無理をさせてしまいましたですね。お師匠様にも謝らねばなのです」
「お師匠って……もしかして、目デューサさんのこと?」
「さすがにボクの手に負えないから、治療方法は魔界の師範に連絡して聞いたし、薬の調合も全部手伝ってもらった。そん時に、目頭を通して夜羽の状況も把握はしてた。目頭は元々ボクじゃなくて、師範の蛇だからね」
そっか。恵李朱の師範である目デューサさんは、その名の通りメデューサだ。弟子につけている使い魔の蛇を通して、弟子のことを監視しているのだという。その目頭が、夜羽の魔力であの世界に顕現してたから、蛇を通してボクの置かれた状況もわかったのかもしれない。
甘えるルナを愛理に押し付けてから、恵李朱はぷいっとそっぽを向く。
「まあ、危なくはなさそうだってわかったから、起こさなかったけど。相変わらずあんたは、無茶ばかりする」
「えっと……ご、ごめん」
「本当に、……こういうの、なんて表現するんだっけ。『肝が冷えた』ってやつ? 帰って来たら、あんたはうなされてるし。しかも普通の眠りじゃなくて、魂まで攫われてどっか行っちゃってる。どうすんのかと思った。原因がそのビー玉だってわかったのに、あんたそれ、硬く握ったまま放そうともしないし」
夕陽を浴びながら恵李朱にぶつぶつ文句を言われて、ボクははっと手の中に視線を落とす。
小さな炎がちろりと輝くビー玉が、掌の中にある。たしかに、恵李朱の以外何の魔力も感じない。でも、これは本当に大きな冒険を秘めた玉だったんだ。ルナの記憶を秘めた玉。
ボクは顔を上げて、笑顔で恵李朱を見た。
「でも、ありがとう。そのぐらい、心配してくれたんだ」
「は、はあ? 心配とかしてないし」
「またそんなこと言って。恵李朱は、ルナの方が落ち着いたらこっちのベッドに来て、君のところから片時も離れなかったよ。目が覚めなかった時に飲ますんだって、気付け薬まで調合してさ」
「病人の監視以外にやることなかっただけだろ! あっちは愛理も見てくれてたしさ。夜羽が死んだら、ボクだって色々と困る目に遭う」
愛理にからかわれ、珍しくむっと怒った顔をしながら恵李朱が言うけど、もしかして、自分の拾ったものだから、責任を感じてたのかもしれない。
でもこれは、恵李朱が拾って、ボクが見つけたものだ。二人じゃないと、真実を探し当てられなかった。
その玉を、そっと両手に乗せたまま、ボクはルナに差し出した。
「はい、これ。ルナのだよね。ごめん。ボク本当は、この中にいる間に、ルナの記憶を読んじゃったんだ。勝手なことだってわかってたのに、どうしても気になって」
「いえ、それは気にしないで欲しいのです。むしろ、ルナの大事な記憶の欠片を見つけていただいて、感謝感謝なのです。それに夜羽さんの方が、これ読んでしんどくなりませんでした?」
笑顔になりながらも、小さな手に玉を転がしながら髪留めを外したルナが、気遣わしげに問う。ボクが首を傾げると、ルナはそれらを魔法で結合させて、頭上にぱあっと光を放ちながら戻し、皆に完成した飾りを見せながら、ボクに説明してくれた。
「恵李朱さんとアイリさんに、葉っぱの飾りを見つけてもらった時から、なんとなく色んな思い出が蘇ってきたのです。全部ではありませんでしたけど。
それで、アイリさんの血を飲ませてもらったら、完全に思い出したです。でも、ルナだけじゃ忘れちゃうかもしれないですけど、この飾りのおかげで、また大切な記憶を一つ、定着させておけるですね。恵李朱さんの魔法のおかげで、ますます素敵になったです」
「それ、記憶玉だね。聞いたことだけある。魔法で中に記憶や記録を封じておける魔具だ」
恵李朱の補足に、そんな名前がついていたのか、と感心すると、ルナは神妙な顔になった。
「これは、ルナの主様がルナのために作ってくれたです。……皆さんにはバレてしまいましたけど、ルナは人間の肉体を乗っ取った人形です。ルナがいる限りは、この肉体は腐ったりしないですけど、ルナは悪魔と契約して呪われた身ですし、人間そのものの形を再現・維持するには魔法じゃ限度がありますので、ドールの素体をベースにしながら人体を構成してる、というわけなのです」
だから血の通ってる部分もあるですよ、と言いながらルナは両手をぐっぱと広げ、つぎはぎになったお腹と足を眺め回す。
「いわば、なんていうか……夜羽さんは見たので知ってるかもですが、ルナのこの体の元となってくれた方は、今や血肉の塊となっているばかりなのです。他の生き物や人間から得る精力によって生まれ変わり、循環しながら。それを支えるボーンとして、ドールの体が要るのですよ。
そして、それを操ってる操縦士が、ルナの魂だと思ってくれたらいいのです。
ルナ、悪魔っていうよりはゾンビみたいですね」
「うーん、なるほど……?」
ゾンビゲームをよくやっている愛理が、わかったようなわからないような顔で首を傾げている。
そこに、恵李朱がツッコミを入れた。
「ちょっと待って。さっき『愛理の血を飲んだら思い出した』って言った? そこでなんで愛理が出てくるのさ。っていうか、元の世界でルナと愛理って、一体どういう関係だったの?」
「あっ、はい! それはですね!」
嬉々として恵李朱に答えようとするルナ。そこにボクが静かに挙手したので、ルナは幸せそうに唇に弧を浮かべて微笑み、膝に乗せたままの愛理は、何もわからず不思議そうな顔をしていた。
その黒髪ボブの姿を、ボクはじっと見る。すっかり手慣れてルナの相手をしてた愛理と、そんな愛理にべったりだったルナ。そして——見た目がまったく重ならないけれど、さっきまでボクが記憶玉の中で話してた、守り人さん。
髪の色と目の色が違うだけで、よくよく見たら、本当に似てる。なんで今まで気付かなかったんだろうと、自分が不思議になるくらいだ。こんなに、こんなにも、ボクは知っていたじゃないか。
すっと息を吸ってから、ボクは告げた。
「愛理は、ルナの住んでいる世界での、ルナの今の主だよね。違う?」
「!?!?!?!?!?!?」
この言葉に、一番泡を食った反応をしたのは愛理だった。
そんな愛理の膝から飛び降り、痛さを堪えながらもなんとかお辞儀をして、ルナはにっこりとボクら三人を見渡した。
「はい。その通りなのです! ルナの今の主様は、魔法界にいるアイリさんですよ」
「ちょ……ちょっと待って。異世界に違う自分がいるっていう話も、正直僕は受け入れ難いっていうか、話半分くらいで軽く考えてたんだけど……その僕が、なんていうか、主……? ルナちゃんを使役する立場の奴なの? 想像つかないよ」
「あ、ご心配せずとも、そんな奴隷みたいな扱いをされているわけでありませんよ。
ルナ、アイリさんにはとーってもお世話になったです。沢山の人を殺してきたルナを、自分は悪魔なんだって思ってきたルナを、信じてくれて、友達になってくれて……それだけじゃなくて、ルナの本当の記憶を取り戻してくれたです。
ルナのしたこと言ったこと、記憶を取り戻して穢れた過去を全部知ったのに……アイリさんは、共に生きて償うチャンスが欲しいならと、ルナを使い魔にしてくださいました。そして、ルナに掛かっていた一番大きな呪いまで、解いてくださったです。……アイリさんは、ルナの命の恩人です」
途中から、まっすぐにボクらを見上げるルナの目からは、涙が溢れていた。
ルナの言う「命」には、体も心も、そのどちらに当てはまらない思い出も、すべてが込められたずっしりとした重みを感じる。
しばらく、痺れたように愛理と恵李朱はぽかんとしていた。無理もないよね。あの記憶の書を一通り見て来たボクでさえ、まだ頭が整理できてないし。特に、人殺しだっていうルナのことを、こっちの世界で「普通の」感性をしている愛理が聞いたら、どう思うだろう。
そう思って、ボクは自分から手を差し出した。
「ルナ。ボクは意図しない形でだけど、あんたの過去を知った。それから、あんたの今の状況も。
ボクは、今のあんたの主を信じたい。そっちの魔法界にいる、愛理のことを信じたい。それに、あんたの悲鳴も涙も、ボクは全部、ホントのことだと思ってるよ。
……だから、こんなボクでよかったら、友達になってくれない?」
「! ……夜羽さん」
きらっと尚更涙を煌かせたルナは、丁寧にボクの手を両手で取って、その甲に口付けした。
「もちろんです! むしろ、ルナがお願いしたいぐらいで……信じられないぐらい、ルナは今うれしいのです。違う世界に、ルナの全部を見てくれる人がいて、お友達になってくれるなんて」
「ルナ、もう『友達』の意味がわかるんだね」
「当たり前じゃないですか。友達も愛のあたたかさも、アイリさんとその仲間の方達が、しっかりルナに刻みつけて教えてくれたですから」
ボクに抱き付かんばかりに喜んでいたルナを、また怪我を悪化させないようにとそっと持ち上げてボクの膝に乗せると、恵李朱も隣に座った。
「まあ、ボクは無闇矢鱈な殺戮は好まないタイプだけど、これでも悪魔だからね。殺しに関して、魔族としてはそこまで厳しく倫理観持ってるつもりはないし。日本の妖怪だって西洋の妖怪だって、昔は分け隔てなく人を襲うのが当然みたいな時代もあったんだから。
話聞く限り、あんたはかなり古い人形でしょ。人形なんだから、元は命に責任ある立場でもなかったんだし、平然としてる奴よりは全然好感持てるよ。あんたが生きるために誰かを殺したからって、それで付き合い絶とうとは思わないけど」
別に無理やり言わせるつもりではなかったけれども、なんとなく愛理が喋る流れになって、ボクは向かい側に座っている愛理の、躊躇いがちな表情を見てしまった。ルナも、ボクの上で体を固くしている。
「僕は……ごめん、正直全然ついていけてはないけど……でも僕は、過去に何があったにしろ、今のルナちゃんを知っちゃったわけだからなぁ。この目でさ。命まで、助けてもらった」
困ったように微笑んだまま、愛理はそっとルナちゃんの頭を撫でた。その撫で方、さっきのボクへの守り人さんとそっくりだ、と目を見開く前で、ルナは瞳を潤ませている。
「……だから、君を信じれるように、仲間になれるように、努力はする。そっちの世界の僕と同じとはいかなくとも……知りたいし、好きになっていきたい。ごめんね。こんな曖昧で」
「十分です……ルナは、それで十分なのです」
そっと腕を伸ばしたルナを愛理が抱き上げると、その体にルナはしっかり手を回して、抱きしめていた。心から、愛しさの湧き上がる表情で。
その腕にルナを乗せながら、愛理が慎重にその身を揺する。
「そっちの世界の人のように、簡単に命を奪うことについて、平然とはしていられないかもしれないけど……でも、魔界ではそれが普通なんだよね?」
「昔は呪ったり魂奪うのが悪魔も普通だったけど、今はコンプラとか倫理規定が魔界に出来てるし、無法地帯を除いては人間界と同じ認識がスタンダードになってきつつあると思うよ。ま、あくまでボクがいたところだから、地域で全然違うみたいだけどね」
「それにルナのいる魔法界じゃ、もちろん魔法使いと人間の差別はNGですし、儀式や呪いの関係で人命や人体を使うことも犯罪ですよっ。アイリさんはえらい魔法使いですけど、そんなことは全然望んでいないのですっ」
イメージダウンを避けたいらしい恵李朱とルナが、次々に口にしていた。まあ、特に魔界は、前も悪魔の志望者数が年々下がってるとか、伽々未が言ってたもんな。
もう少しだけ続きがありますが、長くなるので次回に回します!