「
「あきのひ……? 何それ……?」
「秋の夜に灯る、蝋燭や家々の灯りのことじゃ。日が落ちる時間が長くなる季節の、更けゆく夜を過ごす為の灯りは、とりわけ濃厚な魔力を秘めておるからな。
これを集めて作るクリームシチューが、また格別での。いっひっひ」
涎で立派な髪をべたべたにしそうな勢いで、不気味な笑いを浮かべる神様に、ボクは呆れ顔を向けた。
「まさかそれ、ボクに作れって言うんじゃないだろうね」
「料理の腕を磨く訓練にもなるぞ?」
「んで、本音は?」
「儂が食いたい」
「ヤダよ。なんでボクがあんたのためにわざわざ、そんな面倒臭いこと」
呆れた……。私利私欲の為に、教え子っていうか弟子を使うか普通。
即答したのに、神様はまだ諦め悪く、にじにじと着物の紐をいじりながら、ぼそっと呟いた。
「なんじゃ。作ってくれたら、そろそろ飛行訓練でもつけてやろうかと思ったのに」
「やる」
というわけで。
神様の気まぐれに唆されて、ボクはコートにマフラーでしっかり防寒しながら、散歩するフリで夕暮れの街をうろついていた。まったく、こんな寒い晩に、ボクは何をやっているんだか……。
「ん……あのあたりがいい感じ、かな」
膝の上にベルを抱いて、暖を取りながらベンチに座っていたボクは、習合住宅街の階上から漏れる灯りを見つけると、自分の目に「ちょっとだけ遠くがよく見える魔法」を掛けて、近づいて観察した。
じゅーじゅーと、何かが焼ける音といい匂いが漂って来る。
宿題をやっている女の子が、お母さんを呼ぶ声。あれは、電気スタンドの灯りだろうか。
窓辺で本を読んでる人。カーテンの傍には、お洒落なドリームキャッチャーとロッキングチェア。
会社帰りの人のスーツが掛かった部屋にも、灯りが点いている。
少し疲れたオレンジ色に滲んでいたり、静かにそっと寄り添うような色を放っていたり、美味しそうな匂いと談笑を乗せて黄金色に輝いていたり。暗く縁取られた色とりどりの光は、駆け足になりたいほど寒々した空気の中では、心に溶かし込まれた蜂蜜みたいに、誘惑と安心に満ちている。
神様いわく、これも灯りとそれに関する魔法を見極める、訓練なんだそうだ。
「質のいいもんと悪いもん、観察を重ねれば、そのうち見分けがつくようになる」と言ってた。
灯りひとつにも、色んな人の人生と、生き方があるなぁ。
「よいしょ……っと」
きゅぽん、と手にした瓶の蓋を開ける。中には、今まで溜め込んだ秋灯が、光の玉になって入っている。橙色にぽわっと光を放つ瓶の口に、家々からちょっとずつ、光の欠片が吸い込まれていった。
包み込んだ瓶の胴体が輝きを増して、ボクの手袋の内を染める。
「これでよし、と。もうだいぶ集まったと思うんだけどなあ」
余分に集まったらボクにくれる、って神様が言ってた。
光は徐々に弱まっていくけれど、特に保存期限とかはないから、好きに使っていいって。もし間に合ったら、これを持って行ってサキにもシチューを作ってあげたい。ボクはそう決めていた。だからこそ、ちょっと家から離れた駅まで来て、灯りがいっぱい取れそうな場所を選んだんだし。
家庭料理には、やっぱり家庭の灯りが合うらしい。
店や駅ビルの、ちょっとトゲトゲした派手な灯りは、料理の味には合わないそうだ。
ボクの灯り取りのセンスは如何ほどか分からないけど、これで美味しいシチューになるといいな。
そう思って、瓶を斜め掛けした鞄にしまい直し、帰ろうかと踵を返した時。
ちょっとだけ気になる光が、目の端を横切った気がした。
(……? なんだろう)
何か、ちょっと激しくバチバチするものが見えたような……どちらかというと、不快な種類の灯り。
周囲に人影がないのを確認して、ボクはこっそり双眼鏡を目に当てる。たしかあのアパートの上あたりから……
「あいててて」
こつん、と頭に棘のような、星のような何かが当たった気がした。誰かが言い争いをしてるみたいな気配を察したけど、ここからじゃ何を言っているかまでは、よく分からないな。
さらに双眼鏡のピントを合わせると、ここまで飛んでくるほどの刺々しい光の発信源は、すぐ明らかになった。知り合いの顔を前にして、ボクは人知れず息を飲む。
(うそでしょ! あれって……愛理、か……?)
その隣にいるのは……確か、彼女の恋人だね。顔は写真で見た事ある。
って、それは別にいい。前の世界のことをこっちに持ち込む訳にはいかないし、前の世界でそれなりに親しかったからって、こっちでまで世話焼いてやらなきゃいけない義理はない。
そう、階下のボクにまで感じられるほど、ピリピリしたオーラをあいつが放っていようと、恋人と喧嘩してようと、知ったことじゃないね。これは愛理の問題だ。
ふん、と背を向けて向かい側の道路から歩き出すボクを、いいのか? と言いたげな目で見上げながら、お供のベルが付いて来る。
ボクには、この灯りを一刻も早く神様の元に届けるという任務がある。もしこの灯りが優しさで出来てたら、それを分け与えて誰かの心を和らげることだって出来るけど、今のボクにそんなん使ってる余裕なんてない。だって、これを分けたら、サキにあげる分が減っちゃうし。
いくら天使だって、善行に優先順位くらい付けたいものだよ。ボクはサキのために、この世界に生まれ落ちてきたも同然なんだから。だから、今度こそ絶対に、寄り道なんかせずに、まっすぐ……
「……」
でも、ふと考える。
今同じ現場を見ていたら、同じ立場だったら。サキだったらどうするのかな。
あの人は優しいから、きっと自分のしたい事より、余計な世話を焼く事を優先するかもしれない。お人好しだし。それに、その相手が大切な知り合いだったら、なおさら。
「……」
いや、でも、あくまでサキの話だし。別に、ボクにそんなの関係ないからね。だいたい、今のボクのことを愛理は知らないんだからさ。
きっとボクなんかが手を出さなくても、きっと、なんとかする。愛理だって、子供じゃないんだし。
でも、……もしあのまま、喧嘩したままだったら?
二人はずっと、トゲトゲした気持ちを抱えたまま、寒い夜を過ごすんだろうか。
「……。ああっ、もうッ!」
歩けば歩くほど苛々して、結局ボクは元来た道を引き返した。
まったく、ここまでボクを巻き込むからには、何が何でも絶対に仲直りさせてやる。気になって、何も悪いことなんかしてないのにモヤモヤして仕方ないじゃないか。一方的な知り合いのよしみなくせに。
「ベル、ちょっとここで待ってて」
「にゃーん」
ベルに鞄を預けて、なるべく軽い格好になると、ボクは瓶だけをコートの懐に入れ、透明魔法を自分に施した。浮遊魔法を使うんなら、浮かせるものの体重は軽い方がいい。マンションの五階くらいだったら、問題なく届くとは思うけれど……
「よっ、と」
途中の階のベランダの手すりも利用したりして、ボクは何とか、愛理がいる階のベランダの外まで移動した。風に煽られて一瞬ひやっとしたけれど、洗濯物の影に隠れるようにしながら、重力を操って靴音を軽減しつつ、とっとベランダに降り立つ。
遠くの盗聴は無理だけど、ここなら魔法を使えば、ガラス越しの音くらいは拾えそう。
「信じらんない! シチューにキャベツを入れるなんて、何考えてるの!?」
「別にいいだろ!? 食事当番を僕に任せたのは君なんだから、メニューに文句つけないで欲しいね!」
「まだ作ってもないんだから、ちょっとくらい他人の意見に耳を傾けてくれたっていいじゃない!」
「そうやって、君はいつも自分の思い通りに、自分の考えを押し付けて僕を動かしたいだけじゃないか!」
音声通過魔法が効きすぎてるんじゃないかってくらいに、二人の声がきんきん脳裏に響く。
愛理達の声の激しさと、喧嘩の内容のくだらなさと、ボクは二重の意味で眩暈がしそうになった。
何、夕飯のメニューの材料で揉めてるのかこの二人は……?
あやめさんが、ばんっ、と扉を閉めて出て行った後も、まだ愛理は台所でぶつぶつ言っていた。
「ったく、冷蔵庫の余り食材、残して腐らせたらいつも怒るのはそっちじゃないか。
適当でいいとか、あるものを上手く使えとか言うくせに、いざ僕がやろうとしたら文句ばっかり……」
だん、と激しくまな板に叩きつける包丁の荒々しさが、気持ちを物語っている。
あーあー、あんなに苛ついた気持ちが入ったら、辛くなり過ぎちゃうよ。味としては問題なくても、どことなく食べた時に心がヒリヒリする料理になる。それじゃ仲直りできない。
「仕方ないなぁ……」
僕は溜め息をついて、虎の子の最終兵器だった、秋灯の小瓶を取り出した。
愛理が冷蔵庫の野菜室を探って背を向けている隙に、瓶の蓋をきゅぽんと開けて、中の光を取り出す。火の玉みたいな灯りが、まっすぐに飛んで行って、シチューのお鍋にぽうっと宿るのが見えた。
(これでよし……)
「別に、キャベツが入ったシチューだって、そこまで常識外れって訳じゃないだろ。ポトフにだってキャベツ入ってるし。そんな狂ったみたいに怒らなくても。……ん、あれ? この鍋って、最初からこんな明るい黄金色してたっけ?」
(げっ、ヤバ)
さすがに、ちょっとあからさま過ぎただろうか。でも、他に目立たずに魔法を仕込めそうなものがないし。
冷や冷やしながら見守っていたら、怪訝そうな眼差しでシチュー鍋を眺め回していた愛理は、首を傾げながらもまな板の材料をまとめて流し込んでから、ふとキャベツに目を留めてぽつりと呟いた。
「……今年はハロウィンっぽいこと出来なかったから、折角紫キャベツでちょっとそれっぽいシチューにして、驚かせようと思ったのにな」
ああ、なんだ。
最初っから分かってたけど、別にキャベツを入れようとしたことに、悪意なんかないんじゃないか。
だったら、それをさっさとあやめさんに伝えて、仲直りすればよかったのに。本当に、素直じゃない奴。
「……うん、ま、あやめを喜ばせたくて、やったことだしな。不味かったら潔く、怒られることにしよ。でもそれまで、ちょっと試してみてもいいよね」
キャベツを刻む包丁を握る手が、さっきよりも朗らかに緩んでいて、表情も優しい。
どうやら、一番大切な気持ちを思い出してくれたみたいだ。普段から大量の料理を作ることに慣れてないのか、下手っぴな愛理のフライ返しからは、野菜が何回も逃げ出して飛び散っていたけど、水を足された鍋の中は、こんがりと美味しそうな色に輝いていた。
……うん。もう、大丈夫だね。
「愛理。その、さっきはごめんなさい……あら、いい匂いね。もうそんなに出来たの?」
「僕こそ、関係ないことでキツく言い過ぎたね。あとは煮込むだけだから、牛乳を足せば食べれるよ」
「ふふ。実はね、さっき仲直りしようと思って、シチューに合いそうなパン買ってきちゃった」
「この寒いのに。あんまり遅くまで外出てると、風邪引くぞ。ほら、ほっぺたもこんなに冷たい」
コートを着たままで、両頬に手を当てられて真っ赤になってるあやめさんがいる。
やれやれ、御後がよろしいようで。
魔法の効果時間もそろそろだし、帰ろうかと降りかけたところで、二人の会話がボクを追い掛けて来た。
「そういえば、さっきエントランスの近くでね、おっきいヒョウ柄の猫ちゃんを見かけたのよ。鞄なんか背負っちゃって、すごく可愛いから写真撮って愛理に見せてあげようと思ったんだけど、逃げられちゃって」
「へえ、珍しいな。ヒョウ柄って、それベンガルじゃない? 野生じゃまずいないよ。どこかの迷い猫とか?」
げっ……やば。ベルのこと、完全に忘れてた!
慌てて玄関の近くに着地して透明魔法を解除すると、がさがさと茂みを揺らして現れたベルが、にゃごにゃごと不満げな鳴き声を上げた。
「ごめんごめん。帰ろう」
「うにゃう」
帰って……こんなに遅くなっちゃったら、シチューを作るのはまた今度かな。
神様には、文句を言われちゃうかもしれないけど、仕方がないよね。
だって、「
「よかったな。お前の名前の元になった奴、幸せそうだぞ」
丸い金色の瞳を見つめて暗い夜道を振り返れば、見上げた部屋の灯りは、今はあたたかな秋の灯の色に染まっていた。