「ふんふふ~ん♪ ふふふふ~ん♪」
歌いながら沸騰した鍋をかき回す度に、日に焼けた茶色い三つ編みが、楽しそうに揺れる。
踊るようにくるっと踵を返したエプロン姿の少女は、壁の時計を見上げてあっと声を出した。
「いっけない、もうこんな時間か」
鍋の中に踊るようにぷかぷか浮いている木の実――どんぐりを湯ごとざあっとザルに開けた少女は、それをバラバラっと新聞紙の上に開けてから、さっとエプロンを外してアパートの靴箱にすっ飛んでいく。
ぎしぎしと板目が鳴る、古い木造アパート。自分の部屋を辛うじて確保できるほどの手狭な住まいを飛び出して、容易していた大きなリュックを背負った少女は、誰もいないアパートの玄関に向かって声を掛けた。
「いってきまーす!」
スニーカーが、大股で雨上がりの水溜まりを飛び越えていく。まるで重力を感じていないみたいに、たった一人、真昼間の商店街を抜け、自分一人で大人の世界を泳いでいくことを、気にも留めないような顔をして。
「えっとえっと、このへんかなあ」
露に濡れた公園の芝生に、ビニールシートを広げる。鞄の中から取り出した、その大きさにはまったくそぐわないのではないかと思われるポールを四隅に立て、きらきら瞬く紫色の不思議なテントを、少女は屋根代わりに被せた。看板にお盆に小さな棚などをあっという間に組み立てて設営すると、少女はそこにこまごましたどんぐり細工を並べていく。
やがて、学校帰りの小学生たちが公園を訪れ、ランドセルを背負ったままでわらわら少女の元に群がって来た。
「スズメのねーちゃん! 前言ってたどんぐり独楽と竹とんぼ、作ってくれた!?」
「はいはい、あるよー。もう壊さないでよね!」
「だって、すっげぇ回るし飛ぶんだもん。友達と競争してたら、すぐボロボロになっちゃって」
「わ、このキーホルダー、ガラス玉みたいできれい……」
「おっ、お目が高いねぇ。真ん丸のビーズをどんぐりと組み合わせた、新製品なんだ。十円玉三枚と交換でどお?」
紅葉の手が、十円玉や五十円玉を握り締めて、次々と少女の持つ箱に落としていく。
買い物がてら、傍で駄菓子やあめ湯を広げて少女の傍に座り込んだ子供たちは、おしゃべりに興じていた。
「なあ、スズメのねーちゃんは、大人? 学生? なんで学校行かずにいっつもここにいんの?」
「んー? 行ってないわけじゃないもん。スズは通信制だから、家に引き籠ってても関係ないんだもーん!」
「つーしんせー……? よくわかんねぇよ」
「とりあえず、みんなと違う時間にちゃんと学校行ってまーすってこと!」
「道の上でお店とかしてて、大人に怒られないの? キョカとかいるんじゃない?」
「だいじょーぶ、スズはトクベツだから。それに、みんなだって、こっそりここへ来ててもお母さんたちにバレたことないでしょ?」
「うん。不思議。知らない人は危ないから喋っちゃいけませんって言うもんなあ」
どうやら、ここは子供だけの秘密の会合らしい。
持って来たあられを一緒に公園の鳩や雀にやり、子供達と別れた少女は、暗くなる前に家に帰ろうと、ぱたぱたと店じまいを始めた。
テントの下で、手元にある小銭箱を、ちゃりんちゃりんと振る。
「……んー、楽しいけど、やっぱりこれじゃ儲からないよねぇ」
木箱に入っているのは、みんな公衆電話に入りそうな小銭ばかり。子供からがっつりお金を取るわけにもいかないので当然だが、最大で100円玉くらいしか入っていない。
店を開けている間に作業しようと思っていた、ビニール袋入りの乾いたどんぐりの山を見た少女は、それをおもむろに手に取って、ぽろぽろっと膝の上に落としてみた。少女のミニスカートに落ちる直前、どんぐりは硬貨に姿を変えると、ちゃりんちゃりん、とビニールシート上に転がる。金に銀に、銅貨。様々な種類に変わるそれを見て、少女はほくそ笑んだ。
「むふふふふ。そうだ、いいこと考えちゃった」
近くの植え込みから木っ端を搔き集めてくると、綺麗目の紅葉や銀杏を使って、少女は魔法をかける。
ちゃりんちゃりんと音を立てて、どんぐりは次々金ピカの金貨に姿を変え、舞い上げた落ち葉がお札になって降って来る。それを小銭箱に受け止めると、寒々しかった木箱はたちまち黄金の財宝箱のようになった。暗がりの中で、少女は快活に歯を見せて笑った。
「にゃっはっは! スズちゃんこれで大金持ち、なんちゃって」
「これ。邪な使い方はいかんぞよ」
水を差すように、不意に近くの植え込みから声が聞こえた。がさがさっ、と音がして現れたのは、真っ白な毛皮を持つ猫。それがぼふんと膨らむと、同じ毛皮を纏った人間の姿に変わる。
「なあんだあ。神様も来てたの?」
「まったく、おまんはそれで虚しくならんのか?」
「遊びなんだからいいでしょー。わたしの魔力で、本物のお金に変わるはずないんだから」
呆れたような神様に、ぷう、と子供っぽい仕草で唇を尖らせた少女は、魔法を解除する。輝きを放っていた箱は一瞬で色褪せて、あとにはくすんだ小銭に被さるように、葉とどんぐりと枯れ枝がぎっしり詰まっていた。
ぱっぱと土を払いのけるお転婆な姿に、獣耳の神様は優し気な目を細める。
「首尾は順調かの?――
「ぼちぼちって感じー。まあ、わたし別にこれだけで稼いでるってわけじゃないしね。
ゆ~ちゅ~ば~って便利だよねっ。家がオンボロのアパートでも、高い服やぱっとする背景がなくっても、ハイスペのパソコンさえあれば配信できちゃうんだもん」
雀愛、と呼ばれた少女は、自分のスマートフォンを操ってスケジュールをチェックする。中身は魔法で、適宜カスタマイズしているらしい。
羽根こそないが、彼女もまごうことなく、この世に転生してきた天使見習いの一人だった。取り出した可愛らしい杖の先に、ちょんと光を灯してベンチに座りながら、雀愛が小首を傾げる。
「ていうか、最初っから変身できるんなら、別にヨルくんのところで、わざわざ使い魔の鈴を使って通信する必要ないんじゃなーい?」
「仕方なかろう。お前が
「しょうがないでしょー! スズんちビンボーなんだから、ペットなんて飼えないもん。恨むんなら、転生させた自分を恨んでよね」
「相変わらず口の減らない小娘じゃのう……」
悪びれもせず、雀愛はあくびをしながらくわっと伸びをすると、足元で体を膨らませて眠そうにしている雀の頭を軽く撫でた。どうやら、野鳥を使い魔にしているようだ。
こうもりがバサバサと羽音を立てて飛んでいく木を、隣に座った神様が見上げる。
「それで? おまんの方の『運命の者』との契約は、目途がつきそうなのか?」
「いやー? さっぱり。っていうか、神様だって知ってるでしょ。最初っから無理なんだって」
その表情に、悲観的な色は一切ない。
白髪の神様が、何とも言えない目を雀愛へと向けて、溜息を吐き出した。
「おまんの転生は、たしかに特殊な条件下にある。何せこの世界にはまだ、おまんの〝元〟となった魂が存在しておるからな。おまけにまだ死んでもおらん。こんな事は特例中の特例じゃ」
金色に光る目をきゅっと細めて、神様が微笑む雀愛を見やる。
「原則的に、片方が生を終えん限りは、同じ魂が二つ同一世界上に存在することはタブーなんじゃ。それは分かっておろうな?」
「わかってるよ。タイムパラドックス、ってやつでしょ。ドッペルゲンガーとも言うかな。もう一人の自分が、その世界にいる自分と顔を合わせちゃいけない、んだよね。
でも、そうとバレないように、神様が姿と形を変えてくれたんでしょ? まー、万が一の事があるし、わたしから〝その人〟に近付いたりは、しないけどねっ」
「近づけないくせに、〝その人〟がおまんにとって『運命の者』じゃから問題なのじゃろうて……近づけねば、契約を結ぶこともできんぞよ」
やれやれと途方に暮れたように頭を振る神様を見て、雀愛は地面に落ちた葉っぱを蹴り上げた。
「だって、スズは愛理のもう片方の人格なんだよ。おんなじ体にいるのに、二人同時に存在する事なんて出来ないでしょ。それでもスズは愛理を守りたい。だったらたとえどうなっちゃったって、使える手段は使うに決まってるじゃん。だから愛理は『運命の人』だし、わたしがこうやって
……それに、それを知ってて、神様はちゃーんとわたしに救済手段を用意してくれたでしょ?」
「……『運命の者』の複数持ちのことか? そう言えば、最初から二人おると、雀愛は言っておったな。けれどおまんは鈴木愛理の他に、今まで見つける気配もなくここまで来たじゃろうが」
「ネットの発達した世界なら、ワンチャンあるって思ったんだけどねぇ……難しいなぁ。
だって、スズが会いたいもう一人の『運命の人』はね、まだこっちに転生してるかも分かんないんだもん。天界通信使っても、音沙汰なしだし」
会えるかもしれないって思ってユーチューバー始めたんだけど、と呟きながら、雀愛が親指でネットの海を探る。
結局は陽が落ちるまで、缶コーヒーを買ってその場に居座る雀愛を見下ろし、せめて暖にでもなればと猫の姿に戻った神様は、その膝に乗りながら、ぼそりと小さく呟いた。
「片方は会ってはならぬ決まり、片方はこの世におるかも分からぬ……
……いくら特例とはいえ、このまま一人でも運命の相手を見つけることができねば、消えるぞ。お前」
「本当は、それでもいーかなって最初は思ってたんだけどね? 所詮わたしは代替品だし、スズメじゃなかった頃にいっぱい悪い事しちゃったんだから、苦労して当然だし。
でも、まだ手はある。18歳の誕生日まで、あと何ヶ月かあるでしょ?」
気が付けば、夜空ではとうの昔に一番星が瞬いていた。
雀愛が勢いよく立ち上がろうとしたので、驚いた白猫が膝から飛び降りる。ぽーん、と自販機の傍のゴミ箱へ缶を投げながら、寒々しい生足でスニーカーを履いた雀愛が、星の宿ったような瞳を輝かせて振り返った。
「そういえば、この間ヨルくん、愛理たちのところに行ってたよねぇ。愛理があやめさんと険悪な雰囲気なの見てたから、わたしが何とかしようかな~って思って隠れてたんだけど、上手く解決したから感心しちゃった!」
「ま、一応あやつも、儂の直弟子じゃからな?」
「ふふん。この腕の上げ方なら、ヨルくんは無事に『運命の人』に辿り着くかな?
私も、いつかサキちゃんのとこには会いに行こって思ってたけど、ヨルくんのいちばんを横取りしちゃったら、申し訳ないもんね」
「……おまん、まさか」
金色の猫の目を見開く神様に向かって、雀愛は楽しそうに唇を持ち上げた。コンビニで夕飯を調達しがてら、家路を歩きながら話し掛ける。
「だって、ヨルくんはずっと、好きな人の『いちばん』になれなかったわけでしょ。好きになった時には、その人にはもう番がいてさ。
ヨルくんもサキちゃんも、そんな事に拘らないくらい優しい人だって、わたし知ってるけど。だからこそ一つくらい、とっておきの『いちばん』をあげたいじゃない」
「……」
「んで、その後はわたしがサキちゃんと契約させてもらうけどねーっ! とりあえず契約さえしちゃえば、守護天使になって留まるルートか、人間になるルートで消滅回避できるってことでしょ? じゃあ、とりあえず一旦サキちゃんと契約して、引き続きスズの運命の人を探せば勝ちじゃんっ」
「おまん……強かじゃな……」
もはや言葉が出ないくらい、雀愛に振り回されてげんなりとした神様は、気を取り直すように首周りの毛が立派な頭を振って、首を傾げた。
「ひとりの主による二重契約か……。なくはないが……ふむ」
「ねえ、できるでしょー? 人間側が一人の天使としか契約しちゃダメ、なんて決まり、スズを転生させる前に言ってなかったじゃんっ」
「それはおそらく構わんが……問題は、
「だいじょーぶっ! スズのメロメロパワーで堕とせない人なんていないよ!」
そうだ、アバターの髪型も変えちゃおう、と言いながら、雀愛は毬のようにぴょんぴょん跳ねて、木造のアパートの階段を上がって行ってしまった。
「……ただのうつけかと思えば、あれはあれで、色々と考えておるようじゃのう」
一人残された神様は、自らの居所である天界の場所を、遥か上空に鼻先を向けて探る。
空へと戻る前、窓辺でオーディオセットを付けて配信を始めるスズを尻目に、僅かに微笑みを浮かべてから、翼をはためかせた白い狐は、夜の闇を滑るように飛び始めた。
余談
雀愛「ところで神様って、なんの動物なの? もっふもふの猫だし、やっぱり化け猫由来みたいな?」
神「下界に降りとるからこの格好なだけで、儂の元の姿は狐じゃぞ???」
雀愛「ええ!?!?!?Σ(゚Д゚;) だっていつも猫じゃん! 猫と狐じゃ全然ちがうよ!? ネコ科とイヌ科だよ!?
同じ種類の動物に化ければいいのに、なんであえて正反対の動物なのさ!?Σ(゚Д゚;)」
神「狐なんぞに化けたら、歩いておるだけで騒がれて追いかけ回されるのが面倒じゃろ。
人の姿を取る時は、どっからどう見ても狐の耳に狐の尾じゃろうが……」
雀愛「全っ然気付かなかったー。てへぺろー☆」
神「まぁ、儂は
雀愛「え? じゃあ別に狐の神様じゃなくてもいいってこと???」
神「化けるのが得意そうな動物じゃったから、適当に『成る』ことを選んだだけじゃ」
雀愛「じゃあ、結局何の動物かよくわかんないんだねー」
補足
雀愛の運命の相手、愛理ともう一人が誰なのかは、ついったーと「私。」で愛理の人生を追っ掛けてくれた方にはわかると思います。
「彼女」が人間として転生したのか、天使になったのか、そもそもこの世界にいるのかは、天界の人にもまだわからないので情報がないのです。
それに雀愛の相手は、「彼女」本人ではなくその家族、ということもあり得ますしね…?