2021.11.ノベルバー企画「運命の人」   作:大野 紫咲

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Day8.金木犀 「大人になりたい」

 通学路を歩いていたら、生垣からふんわりと、秋特有の甘く芳しい香りが漂ってきた。

 目を閉じて、うっとりしたくなるほどいい匂い。

 足を止めたボクに釣られて立ち止まったベルは、あんまり花の香り自体が好きじゃないのか、鼻を曲げて不思議そうな顔をしたけれど、その首輪についた鈴からは、相変わらず全てを見通したような、神様の声が返って来た。変なにゃんにゃん喋りは、もうやめたらしい。

 

「ああ。金木犀じゃな。この世界の秋の風物詩じゃ。相変わらず、甘党のお子様舌が好きそうな香りがしておるの」

「香りに味なんてしないだろ」

「感性のたとえじゃよ。おまんとて、この間外に出た晩に、光を『痛い』と感じたじゃろ」

 

 それはそうかもね。

 喧嘩をしている愛理のマンションの灯りは、なんだかチクチクする針かまきびしみたいに感じた。

 変な話だけど、天使になってから、そういう不思議な感性が身に付いた気がする。

 匂いが見えたり、光を触れたり、こうやって立ち止まって目を閉じるだけで、耳に触れる風の音や冷たさから、何かを感じる。

 今まで気にも留めなかったことが溢れ返っていて、ひとつ、またひとつ、サキへの手紙に書きたいことが増えていく。

 こういうのって、魔法なのかな。それとも、普通のこと?

 

 いたずらに落ち葉を散らした風が、ボクの問いかけを試すように、帽子の縁を揺らしていく。

 折角だから少し遠回りをして、そのオレンジ色の小さな花を、眺めて帰ることにした。

 みかんみたいな優しい色。ただ塀に咲いているだけの花だけど、ふらふらと、そっちに足が吸い寄せられそうになってしまう。

 

「ふふ、まるで酔っぱらっておるようじゃの」

「本当に酔っぱらえたら、どれだけいいか。ねえ、知ってる? 金木犀って、お酒になるんだって。金木犀の花を漬け込んだお酒。サキが前の世界で飲んでるの、見た事あるんだ」

「桂花陳酒じゃな。中国の酒じゃ。儂の瞳と同じ、琥珀色でよい色をしておる」

 

 酒の話に乗じて自分の目の色を絶賛しまくる神様はどうなんだって思ったけど、正直言ってその意見には同意だった。

 あれは……一応ボクも大人だったから、バーや宅飲みで一緒になった時だったかな。

 細かい花と泡の粒が浮かぶグラスを、うつぶせになってうっとり見つめるサキの目が、蜂蜜みたいな黄色いお酒の色に透けて綺麗だった。からん、と氷の転がる音。つやつやとした光沢を放つとろっとしたお酒が、瓶の口から注がれる様を、飽きずに見ていたっけ。

 肺いっぱいに、花束を吸い込んだみたいな金木犀の甘い香りが広がって……サキはお酒に弱いのに、甘いから大好きって言いながら、ロックにして舐めるように飲んでは、幸せそうな顔をしてた。香りだけじゃなくて、味も飲みやすいお酒だったらしい。

 香りに呼び起こされるみたいに、次々に懐かしい記憶が湧き上がってくる。

 

「……作ってあげられないかな」

「可能じゃろ。酒は腐らず日持ちもする。このあたりの花、よい気を持っておる気配がするぞ。何か手伝う代わりに、持ち主に譲ってもらえばよかろ」

「でも、子供じゃお酒は買えないし」

 

 そう、そこが問題。

 たとえ花を摘んで瓶に漬けるにしても、どうしてもお酒は買う必要がある。そしてご存知の通り、この国の法律は20歳になるまで、飲酒も酒類の購入も禁止だ。

 中身の年齢はともかく、この見た目じゃ、どう頑張ってもレジを突破できそうにない。ランドセルの肩を落とすボクを見上げていた、ベルの首元から、鈴がぽうっと光を放った。

 

「……ふむ。変化(へんげ)の神の本領発揮といこうかの」

「え?」

 

 みぃ、と鳴いたベルが、神様の意志を汲んだみたいにして、ボクのズボンの裾を咥えながら引っ張る。公園の植え込みの影に隠れるみたいにして連れて来られたボクの目の前で、ぽんっと神様が人型に顕現すると、小さなオレンジの花をひとつぶ手に取った。

 

「まあ、このぐらいの大きさなら大丈夫じゃろ。よいか。あまり代償の大きな変身を行うと、体に負荷が掛かって二度と化けられなくなるかもしれないからの」

「……? う、うん」

 

 よく分からないけど、とりあえずうなずいておく。

 真似して花を頭の上に乗せながら、ボクは目を閉じた。

 

「真似して儂の後に続くがよい。……(あま)つ風よ、(あま)つ日よ、小さき我の力となれ。

吹き渡る風に、豊穣の祝福を。照らし行く光に、心奮う道筋を。

いざやこの言霊、地に張る根となり、我を寿ぎ、望む姿と『成れ』」

「……天つ風よ、天つ日よ。小さき我の力となれ。吹き渡る風に、豊穣の祝福を。照らし行く光に、心奮う道筋を。いざやこの言霊、地に張る根となり、我を寿ぎ、望む姿と『成れ』」

 

 舌を噛みそうだったけど、文字を見てないのに、不思議とひとつひとつの言葉が、噛み締めるようにしっくり体の内側まで染み渡ってきた。鼓膜の内側で、心地よく、ボクを揺らすみたいに反響する。

 次にふうっと息を吸った時、金木犀の香りと一緒に、ボクは体に違和感を感じた。……なんだ?

 

「っ、て、わっ!?!?!?」

「成功じゃな」

 

 瞼を開けたら、得意げに尻尾をわさわさ振った神様がすぐ傍にいたけれど、なんだかいつもと声の聞こえる高さが違う。

 さっきと同じ場所に立っているはずなのに、地面の遠さに驚いた。自分の体のはずだけど、上手く制御できない。大慌てでその場に踏みとどまって、自分の両手を見返す。それから、両脚。ランドセルの代わりに、手にはサラリーマンみたいな鞄が……ちょっとまって。これは、ボクが大きくなってるのか?

 

「服までデカくなるのは、まあ魔法の仕様上のサービスじゃな」

 

 ぐいぐいとベルに頭で足元を追いやられて、池の水面を覗き込んだ。見慣れた公園の池、そこに全然知らない人が映ってる。

 まっすぐの髪は今と同じくらいの長さだけど、顔つきがもっとずっと大人っぽい。鋭い眦の涼し気な目に、つんと立った鼻。今より肉付きの良くなった、艶っぽい唇。セーラーとは似ても似つかない、ジャケットとネクタイ。

 ぱりっとしたスーツみたいな格好に身を包んだ人が、唖然とした顔でこっちを見返していた。

 

「あ……っ。あ、これが、ボク……?」

 

 ぺたぺたと頬を触ってみても、まだ信じられない。だって、さっきまでハイソックスにズボンの、子供みたいな格好をしてたのに。背も伸びてる。傍の石像と比べたら、160cmくらいはあるんじゃないか?

 ずっとずっとなりたかった「大人」が、手どころか体の内側にある。ボクは完全にテンパってしまった。

 

「夜羽、おまんやはり童顔じゃな……。その格好でも、高校生ぐらいに見えるぞい。

ま、あそこの角のコンビニなら、よくおまんくらいの大学生も買い物に来るからの。年齢確認されることもなかろうて」

「え、っえ、あの」

 

 完全にボクを置いてきぼりにした神様は、金木犀の花をぎゅっとボクの鞄に結ぶと、鈴の中に戻っていった。

 

「ほれ。効果はその花が散るまでじゃぞ。ワシがダメ押しはしておいたが、そんなに長くは持たぬ。さっさと行って来い」

「っ……、あ、ありがとう!」

 

 言っている間にも、金色に輝いた橙色の花弁が、一枚落ちる。

 風のように走って、駅前のコンビニを目指した。

 いつもより、一歩がずっと大きくて速い。このまんま、あの人の元に駆けて行けるんじゃないかってぐらい。心臓がドキドキして、踏み出す足から底知れない力が迸るのを感じる。

 でも、今は用件を済ませなきゃ。

 いつも見上げてばかりの人の顔が同じ目線にあるから、訳もなく委縮してそっと肩をすぼめながら、コンビニに入る。目当ての場所は、すぐ見つかった。

 花を漬け込む……って、何のお酒がいいんだろう。梅酒に使う、ホワイトリカーとかかな。白ワインでもいいかもしれない。白は甘くて飲みやすい、ってサキが言ってたし。

 折角だから安っぽいのじゃなくて、何かちょっとよさげなヤツで、高級感溢れる金木犀酒を……

 

(……って、高っ!?!?)

 

 スポーツドリンクとかジュース感覚で見ていたボクは、お酒の高さに面食らってしまった。紙パック入りの安いのもあるけど、高いヤツはほんとに高い。同じ瓶の大きさなのに、倍近く値段が違う。

 値段が高い方が美味しいのかな……? いや、でも、もし外したら……

 

(何が違うんだろう……ううんわからない……ええいっ、これでいいやっ)

 

 結局、一番安そうな白ワインの瓶を思いっきり掴んで、レジの列に並ぶ。

 前に並んでいた女の子たちの組が、わいわい言いながら、チューハイの缶を持って会計を済ませていた。ボクと同じか、下手したら年下ぐらいの子達に見えるけど、神様の助言通り、ここは大学生がしょっちゅう買い物に来る店だからか、店員さんも何も言わずにバーコードを読み取っている。

 

(いけるか……?)

 

 万が一、ここで小学生の姿になんて戻ってしまったら事だ。

 ちょっと焦れったい気持ちでレジを待ち、自分の番になってから、ご丁寧に中身ごと変身した鞄から革財布を出して準備する。

 

「あ、あの……っ、おねがいしますっ」

 

 拙い言い方で差し出したボクのお酒を、店員さんはスムーズにチェッカーに通して、値段を伝えてくれた。ギリお小遣いで買える範囲内。変身したからって、財布の中身まで大人風になるというわけではないらしい。

 言われた金額を引っ張り出して、小銭のトレーに乗せていた時だった。

 

「あれ? あの、もしかして……」

 

 ぎくぅっ、とボクの体が如実に強張る。

 マズい。何かしたか。それとも、大人に見えなかったとか。免許証出せとか言われたら、どうやって言い逃れしよう。

 心臓がきゅうっとなって、ジャケットの内側でダラダラ汗を流しているボクの前で、店員さんはボクの鞄に目を留めながら、白ワインの瓶とそれを見比べて、柔らかく目を細めた。

 

「もしかして、奥様へのプレゼントですか?」

「……、っ、え?」

 

 言われたことの意味が全然頭で消化できなくて、呆然としていたら、緩衝材にワインを包んでくれた店員さんが、申し訳なさそうに笑った。

 

「ああ、すみません! お花がブーケみたいに見えたものですから。会社帰りに今夜の晩酌用にご用意されたのかなって。お若い方なのに、なんだかしっかりしているように見えたから、ついつい口を」

 

 あ、なんだ、そういうこと……と納得しかけて。

 突如頭に翻った「奥様」の一言に煙が出るほどのぼせ上ったボクは、ろくに返事も出来ないまま、込み上げる恥ずかしさに任せて脱兎の勢いでコンビニを出て来てしまった。

 

(な、なにそれ、ボクが会社員で、このワインを仕事帰りに……サ、サキが家で待ってるから、買って帰ってあげるんだって、そういう風に見えるってこと???)

 

 顔が熱い。嬉しいのか、照れ臭いのか、恐れ多いのか、自分でも上手く言えない感情が込み上げて、胸の内側で爆発しそう。

 だって、絶対に叶わない夢だって、思ったのに。ほんの一瞬でも、幻でも叶ってしまったせいで、なんか涙が出て来そうになった。大人って、すごい。

 

「ほれ、こっちじゃぞ」

 

 どうやって戻ったのか、覚えていない。気が付いたら神様の鈴を付けたベルが、ボクを先導していて、家の近くの裏道で、ボクはワインの瓶を携えたまま、ランドセル姿で息を切らしてそこに立っていた。

 背が、住宅街の傍に植えられた垣根の木より、ずっと低い。いつもと同じ目線だ。

 

「あ……もう終わり?」

「長くもった方じゃ。まったく、人の見とる前で変わったらどうするかと、ヒヤヒヤしたわい。ほれ、さっさとそれをしまえ」

 

 いつの間にかベルが、紫色の風呂敷包みを咥えて、ほっそりした尻尾を振っている。

 元通りに戻った小さな手で、ボクはその風呂敷を使ってワインを包むと、ベルの背中に背負わせるようにして、首元に結んだ。

 

「ごめんね、ベル。家までもうちょっとだから、お願い」

「にゃご」

 

 心得たというように一つ鳴いたベルは、瓶を背負っているとは思えないほど身軽な動きで、さっと塀にのると、先に歩いて行ってしまった。多分、あのまんま屋根に上って、窓から家に入るつもりなんだろう。ベルのことだから、割ったりはしないと思うけれど。

 

「あの風呂敷包みは、他人からは見えない万能性じゃからな。おまけに包んだ物の重さも軽減できる、優れモノじゃ」

「ちょっと、あんたの鈴はあっちなんだけど」

「なに、このくらいの距離なら、顕現するのも訳はない。久しぶりに、花の香りでも堪能しながら、ボウズと散歩でもするとするかの」

 

 ほんの数十メートル歩けば、家に着くのに。

 でも、神様の提案も悪くない。夕暮れに染まって煌く花の残り香を追うように、ボクは塀に沿って植えられた、金木犀の木々を見上げた。

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