迎え雨:リテイク
──雨が降っていた。
真っ暗な空からぽつぽつと涙のように降ってきて、いつの間にか地面に染み込んでは消えていく。それは生き物が生まれ、そしていつか自然に還ることと同じようにも思える。
私は雨が嫌いだ。なぜなら雨に濡れると服が貼り付いて気持ち悪いし、体温を奪われるせいで体が弱い私は体調不良を起こしやすい。それに空が暗いせいで心も落ち込むし、気のせいだとは思うけどおかしな人を見かけることも多い。
──だけど、雨音は好きだ。奏でる音が子守唄のようで安心するし、もう少し経って夏になれば大体の地域で鈴虫やセミとの合奏が聞ける。それに田舎だと機械の音が都会よりは少なく、虫たちが多いので、より自然でキレイな音が聞けるから雨音は好きだ。
──さっきまでは灰がかったくもり空からぱらぱらと細かい粒が降っていただけなのに、いまでは空も黒く暗くなり、ざあざあと大きな粒が滝のように降っている。
私は今日、雨具を家に忘れたせいで学校から帰れなくなっていた。
教室の中で私以外に残っているのは、普段からお迎えを待っている男女数名だけで、その数名は教室の中心にまとまって、動物園にいる猿のようにうるさく騒いでいる。
私は静かな方が好きなので彼らのようにぎゃあぎゃあと騒がしい人たちは嫌いだ。少し声を抑えてと注意したいが、こういうタイプの人たちはすぐ暴力に走るからそういう点でもああいう人たちは嫌いだ。
彼らのお迎えが来るまでの辛抱だ。そう思って彼らから視線を外し、窓を開けて外をのぞくと、雨雲が切れ目なく空を覆っていて二つ先の交差点にあるコンビニすら見えないほどに雨が強い。だが、こんなにも激しい雨の中でも校庭では照明をつけて沢山の人たちが一生懸命に運動をしていた。
······こんな雨の中なのに頑張るなぁとつぶやいて私は教室に視線を戻す。
いつの間にか先程まで騒いでいた彼らにはお迎えが来ていたらしく、彼らのいた場所にはいくつかの大きなゴミと大量の黒いシミが残り、私だけになった教室に静寂が訪れる。そのおかげで外で行われている運動と雨が窓ガラスを叩く以外の音は無くなっていた。
──退屈だな。と言葉がこぼれ、それを紛らわすために自分の持ち物を机に広げる。シャーペンやホチキス、カッターなどをひとつひとつ壊れていないか、錆びていないかと丁寧に点検する。
······持ち物の点検が終わってしまった私は、再び窓を開けて外をのぞく。暗いのは相変わらずだが、先程まで運動していた人たちはほとんど帰ったようで今は雨音にかき消されるほどまで声が少ない。
──退屈だな。再び視線を教室に戻すと、彼らが残していった大きなゴミと黒いシミで汚れた床。散らかった机と椅子が目に入る。それを見た私は、どうせやることも無いし······と掃除を始める。
まず最初に、大きなゴミを小さく切り分けて、掃除用具のロッカーに常備されているゴミ袋に詰め込んだ。
そして各階の端にあるゴミ収集用エレベーターにゴミを放り込む。
明日になればこれらはゴミ収集車によって焼却所か埋め立て地まで運ばれていくのだろう。
次に水道で雑巾を何枚か濡らし、バケツの半分くらいに石鹸水を入れたものを準備して教室の床を拭き始める。
黒いシミは床にべっちゃりとこびりついているため、何度も何度も念入りにこすり、床全体に存在する限りのシミを見つけては完全に消してピカピカになるまでこすり続けるという作業を繰り返した。
······終わっちゃった。床のシミをすべて消した私は、机も全て足から天板までをピカピカになるまでこすり、桜を生けてある窓際の花瓶も、簡単に洗ってから水を変えた。黒板も粉ひとつないほどに隅々まで拭いて、光が反射するまできれいになった。
──また暇になっちゃった。そんなことを思いながら、空腹を感じた私は進級した時よりキレイになった教室で、お昼に食べ損ねていたクッキーを食べることにした。クッキーは砂糖を入れすぎたようで今まで食べたものより数段甘くなってしまっているが、焦げが多いからか苦いような気もする。だが初めて自分で作ったにしては十分美味しくできているだろうと思えた。
······そろそろお迎えこないかな。私は再び窓際から外を眺めながらクッキーをゆっくりと味わって食べていた。
気付けば外で行われていた運動はすでに終わったようで、点いていた照明が消えて真っ暗になっていた。そして校内で明るいのは私が今いるこの教室と職員室くらいしかないと理解すると、不思議と世界にひとり取り残されているような孤独を感じた。
······雨、止まないな。私は再び教室を見回す。
──暇を持て余した私は、窓枠に寄りかかって外を見下ろしながら、いつ来るかもわからないお迎えをただ待っている。
だが、先程までやっていた掃除で多少なりとも疲れているのか、少しずつ目蓋が重くなり、視界もぼやけてきた。
このままでは眠ってしまいそうだと思い、私は伸びをしようと立ち上がる。
──瞬間、全身から力が抜け、前のめりに倒れこんだ。その衝撃で花瓶も倒れてしまい、花瓶に入っていた水が床に垂れてきていた。
──早く花瓶を起こさないと。そう考えて立ち上がろうとするが、意識が朦朧として体に力が入らない。
なぜ力が入らないんだろう? 思考を巡らせ、私は悟った。やっと私にも『お迎え』が来たのだと。
雨音の子守唄に誘われて、薄れゆく意識の中、小さな水たまりに舞い落ちた桜の花びらを見て、花見酒のようだな。と、そんなことを思いながら、私は深い眠りに身を委ねた