U-15に選ばれた1人の投手。
彼女は決して球速が速いわけではないし、特別な変化球を持っているわけでもない。ただ、ひたすらに正確無比な投球…ただそれだけの投手。持ち球はチェンジアップだけ。
でも、そんな彼女はWBSC U-15ワールドカップで12投球回、防御率0.00を記録した。
だが、彼女は野球の強豪校からは声がかからなかった。
彼女の球は『傍から見る分には普通の投手』だから。確かに、ストレートのノビとコントロール精度には目を見張るものがあるけど、球速・球威・決め球になりうる変化球…どれをとっても普通の投手であり、高校野球ではせいぜいが弱小校のエース止まりだと思われていたのだ。
しかも、彼女の体格は中一の頃から中三までに全く成長を見せておらず、身長は145cmから伸びていない。いくら女子であっても、全国を争うチームがスカウトするアスリートとしては身長が低すぎた。
だけど、彼女の資質に気付いていた人が同世代にいた。
「こ、
「えーと、有名なの?」
金髪…少し濃いめの髪色のボブをツーサイドアップにしている少女が、彼女…児玉みほを見た瞬間にそのツーサイドアップをしっぽの様に振りながら、隣にいた双子と思われる同じ髪色の少女に児玉みほの凄さを語っていく。
「児玉みほ選手と言えば、14歳の時にU-15ワールドカップに出場した投手で、海外のエリート相手に12投球回1失点0自責点の防御率0を記録したんだよ!しかも、シニアでは打者としても本塁打を含む強打者として相手チームに警戒される程打てる投手なんだよ!
球速と変化球が平均的だからあまり取り立てて騒がれはしなかったけど、私は日本を代表するのに相応しい最高の投手だと思ってるよ!」
「ええっと…全部聞こえてたんだけど…ありがとう?でいいのかな?」
「はぅ…あ、あの!サインください!」
みほは少し困った様に「サインとか考えてないんだけどなぁ」と呟きながら、どんなサインを書くか悩む。
そして、意を決して書いたサインは味のある行書体で『桜』と書かれていた。
「えへへぇ…まさか珠姫ちゃん以外にこんな有名選手が入学してるとは…格が違いすぎてリストに入ってなかった…」
「ところで、君たちは?僕のことは知ってるみたいだけど…」
「私は川口息吹。こっちのトリップしてるのが妹の川口芳乃よ。よろしくね。この子、野球好きでサイン集めしてるのよ…」
「なるほどね。まさかいきなり色紙出してくるとは思ってなかったよ」
みほは馬で言うところの月毛のようなクリーム色のロブを左右で二つ結びにしている青いシュシュを弄りながら、呆れたようにそう言った。
「そう言えば、みほはなんでこの学校に?不祥事のこと聞いてるわよね?」
「まぁね。強豪校からはスカウトも来なかったし、中堅校も…まぁ言っちゃあれだけどマスコット扱いが目に見えてるからね」
「みほかわいいからね」
「バカ、そうじゃなくて…U-15のメンバーがいるってだけで中堅校には胸を張れるもんなの。まぁ自分で言うのもあれだけどさ、肩書きだけはあるから」
「そんなことないよ!みほちゃんは実力だってあるんだから!下手に変化球に頼りきりの投手だと慣れられたら打たれちゃうけど、みほちゃんの真骨頂は慣れても打てない正確無比なストレートにあるんだから!そもそも―――(ペラペラ」
「あー、みほ、長いから聞くけど、私たちと野球しない?そりゃ私みたいな素人も入れてようやく人数に余裕ができるような弱小だけど」
「いや、ここなら設備もしっかりしてるし…本当はクラブチームに行こうか迷ってたんだけど、うん、君たちを見てたらやっぱり高校野球は経験しないと損だよね」
みほはそう言って笑った。
☆☆☆☆☆
「みんな集まって〜!新しい練習スケジュール配るよ〜!」
「そんなことより、芳乃!後ろにいるちまい子は誰だよ。誰かの妹か?」
「稜ちゃん知らないの!?息吹ちゃん、そろそろいいでしょう!」
「静まれ!静まれ!この雑誌が目に入らぬか!ここにおわすお方を誰と心得る。恐れ多くも先のU-15代表に選ばれた投手、児玉みほ公にあらせられるぞ!」
「代表投手の御前である!頭が高い!控えおろう!」
「ちょ、ちょっと!」
ははー!とノリのいい新越谷の面々は平伏する。
みほが顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
「まぁそんな訳で、今日から野球部に入部した、児玉みほちゃんです!」
「凄いな…まさか日本代表クラスがうちに来てくれたとは…私は2年で主将の岡田怜。これからよろしく」
「これで投手が2枚かー、ヨミ、エース取られない様に頑張れよ!」
「もう!稜ちゃん!」
パンパン!と手を打った主将に視線が行くと同時に、スっと静まった。
「さて、多分みんなもみほの投球を見たいだろうし、珠姫はリードを考えるのに球質とか見ないといけないだろう?ということで早速全員と1打席勝負はどうだ?」
「分かりました。お相手します!」
みほは防具をつけていた小柄な子…それでもみほよりは大きい珠姫に近づいた。
「あなたが珠姫ちゃん?僕はみほ。よろしく」
「うん、よろしく。早速だけど球種は何がある?」
「ストレートとチェンジアップだけだよ。あとはコースの指示は―――」
精密機械とも言われるみほの投球。それを十全に活かせるリードを出来る捕手が少ないのも強豪校から敬遠された理由の一つ。
なんと言っても、彼女のコースはストライクゾーンを5×5の25分割でサイン指示をしなければならないし、それだけ精密に投げる。しかも、それに加えてまだ凄い所があるのだが、それはおいおい。
「
「分かった。球種→縦→横でサインを送るからね」
パーがストレート。グーがチェンジアップ。
縦は5等分のうち上から1~5。
横も投手からみて左から1~5、捕手からみて右から1~5。
外に外す時は1方向が親指、5方向が小指とした。
例えばパー→5→1なら、右打者に対してアウトローの角を狙うストレート。
グー→小指→1なら、右打者に対してアウトローでゾーンを下に外す球…となる。
1番は金髪…中村希。
初球のリードは…パー→5→3。みほは要求通りに下いっぱいのど真ん中に投げ込む。みほのストレートは球速も球威も無いけど、回転数だけは高い。上に変化する変化球とまで言われる。それが下いっぱいに投げられるとどう写るか…下から浮き上がってストライクゾーンギリギリに入ってくるように見えるのだ。でも、入ってきたと判断した時にはもう振り遅れ。初球は空振り。しかも、完全にタイミングを外した上でである。
希の顔が悔しげに歪む。だが、直ぐに構えを取り直して2球目を待つ。
2球目…パー→5→5。左打者の希にアウトローの角を攻める…が、これは読まれていた。ファウルチップで救われてツーストライク。
3球目…パー→4→5。アウトローの少し上気味を要求した珠姫。みほは頷いて投球。希は先程と同じように振ったが、球に少し合わせる形になり少し球の下を叩き、高く打ち上げる。レフトに入っていた息吹が楽にキャッチしてアウト。
2番目の川崎稜は三振。
3番目の藤田菫はセカンドゴロ。
4番目の大村白菊も三振。
5番目の主将岡田怜もセカンドゴロ。
6番目の川口息吹はサードエラー(詠深の捕球エラー)。
7番目の藤原理沙は大きなセンターフライ。
8番目の武田詠深も三振。
捕手の珠姫を除いたチームメイト全員からアウト(息吹だけはエラーだが)を取ったみほの投球に、みんなが改めて世界クラスの格の違いを実感する。
「珠姫ちゃん、いいリードだったよ。でも、僕の本質は打たせて取るピッチングだから、もう少し早い球数で勝負してもいいと思う」
「そうだね…みほちゃんはムービングファスト系は投げないの?」
「ツーシームとカット?手は出したことないけど…僕はひたすらにコントロールに磨きをかけてたから」
「だったら――ヨミちゃん!」
詠深もツーシームとカットボールは覚えたてなので、その経験をみほに共有する。握りからリリースのコツまで。もちろん人によって違う感覚なので、あくまで参考に。
投げ始めてから数球。ツーシームは簡単に習得した。ストレートと比べてどの位置に変化するかを計算出来れば、あとはストレートと同じように精密に投げれる…まぁこの時点で異常だが。
みほの習得したツーシームはシンカー方向に落ちる球になった。
一方カットボールは習得自体は出来たものの、コントロールが難しく、即戦力化には程遠い…とみほは判断した。まぁみほのコントロールへの要求水準はプロを上回るレベルなので、一般的な高校野球投手よりコントロールはできている。
「このツーシームは凄く良いね。シンカー方向の変化も微妙にしてるから打ち損じが増えると思う。しかもストレートの回転が良いから、その分打ちづらい…」
「タマちゃん…私との仲はそんなものだったんだね……」
「浮気された彼女か!」
稜が詠深にツッコミを入れると、珠姫ははぁ…とため息をついた。