喰屍鬼を殲滅し終えて、
それもそうだろう。大英帝国王立国教騎士団──HELLSING機関は対吸血鬼殲滅の為の組織が吸血鬼をブチ殺しに行ったのに、新しい吸血鬼を拵えて帰ってきてしまったのだから。
インテグラが怒るのは火を見るよりも明らかだ。
「お前も何を呑気に血を啜っている。何故止めなかった」
ギロリと眼鏡越しにインテグラが此方を睨んでくる。とてもとてもコワい。視線だけで人を殺せそうな眼光だ。
「勘弁してくださいインテグラ様。旦那とは別行動でいて、いつの間にかこうなってしまっていたんですから」
輸血パックからちゅーちゅーと血液を啜りながらインテグラに弁明する。
自分というイレギュラーの吸血鬼が居たとしても、セラスを吸血鬼にしたのはアーカードの意思で、吸血鬼となることを選んだのもセラスの意思。彼女本人からすれば死にたくないという人間からすれば今際には誰もが思うだろう事だろうが。生きることを選んだのは彼女だ。
1対1で交わされた契約に他者は介在出来ない。
輸血パックの血を飲み干した事で漸く渇きを癒し終えた。戦ったあとはどうしても猛ってしまって仕方がない。自分にとっての吸血はその猛りを鎮める為の薬の様なものだ。
そうしなければ自らの中で渦巻く化物としての衝動を抑えていられない。きっとそれは自分の心が弱いからだろう。魂が脆弱だからだろう。
吸血鬼となった人間は化物としての欲望に負けてしまう。酔ってしまう。誘われてしまう。惑わされてしまう。
ならばその誘惑に打ち勝つにはどうすれば良いのか?
簡単な話だ。
吸血鬼として、化物として、その誘惑に負けてしまうのならば、その大本を絶てば良い。
少佐は言った。人間が人間たらしめている物は己の意志だと。
ガラス瓶の中の培養液に浮かぶ脳髄だとしても。
巨大な電算機の記憶回路だったとしても。
人間は魂の、心の、意志の生き物だと。
人間の様な化物では、化物の性質に惹かれてしまうのならば、化物の様な人間に自らを
人間の様な吸血鬼ではなく、吸血鬼の様な人間になれば良い。
吸血鬼としての本能、吸血衝動を抑え込む為に吸血鬼としての能力の8割を封印する。
アーカードからは物好き呼ばわりされたが、吸血衝動に負けて殺戮を振り撒くよりはマシだ。本能の赴くままになる獣になってしまうより遥かにマシだ。
たった1人分だとしても、吸血鬼に奪われた父の血を奪い返して取り込んだ時点で、自分は最早1人の吸血鬼として完成してしまったのだ。
吸血鬼としての欲望から逃れる術は無い。
輸血用血液が、それを誤魔化す為の薬だ。
結局のところ、どう抑え込んでも吸血鬼であるのだから吸血鬼としての本能には逆らえない。
血を欲し、血を求め、血を飲む、夜の魔王の本能には──。
ならば何故吸血鬼となってまで生きているのか。
答えは単純だ。
生きていたいからだ。
人間なら、
その為の術がHELLSINGには有った。
吸血鬼を飼い慣らす技術と力が有ったからだ。
だから生きていられる。人間の様な吸血鬼としてではなく、吸血鬼の様な人間として。
◇◇◇◇◇
英国 バーミンガム近郊 街道17号
セラスが
目まぐるしい──というわけでもなく。逆に茫然自失に過ごす日々だった。自分が死人で、吸血鬼になった等とは信じられない。呑み込むには荒唐無稽過ぎた。理解するには環境の変化と自身の変化が大きすぎた。
昼間は眠たく夜は活発。普通の食事が喉を通らない。癒えぬ渇きに苛まれる。
自身が吸血鬼になってしまった事実を受け止めるので精一杯だった。
HELLSING機関の出動に初めて動員される事となった。
移送される車で、脇でハンドルを握る自身と同年代で同性で同僚の女吸血鬼を伺う。
この1月の間、HELLSING機関に勤める人間としてのいろはは彼女から教わった。そして吸血鬼としてのいろはも。
夜の闇でも光る紅い眼は、彼女が吸血鬼であることを語っている。だがそこには人らしい理性が宿っているというなんとも不思議なヒトだった。
同じ吸血鬼であることが信じられなかった。本能的に同族だと感じる己の主とは違う。本当に吸血鬼なのかと疑ってしまうくらいに人間らしい同僚吸血鬼。
「あの、ユーリさん」
「ん~?」
「吸血鬼って。その…。みんな、あんな酷いことをするんですか?」
セラスの脳裏に甦るのは先程目にした惨状現場。
家族の悉くが惨殺された光景。
温かな団欒の風景の残り香を染め上げる死の香り。
幼い子供の死体さえあった。
その血で部屋の壁に描かれた逆さ十字架とメッセージ。
元警官──セラスからすれば許されざる光景に、その光景を産み出したのが自身と同じ吸血鬼であると判ると、苛立ちと共に恐怖も込み上げる。
いつか自分も、こんな光景を産み出してしまう化物になってしまうのかと。
「そうとも言えるし、そうとも言えない」
「え?」
「吸血鬼ははじめから吸血鬼だったわけじゃない。元は人間だ。その価値観の基準は人間だ。でも、なまじっか強い力を持つと惑わされる。この力はいったいどんなものなのか。何が出来るのか。何処までやれるのか。試してみたくなってしまう。その結果、力に溺れる。理性ではなく本能に支配される。セラス、お前は人間よりも優れた力を手に入れた。だとして、同じことをする気になるか?」
「…ならない。あたしは、あんなことしない。したくない!」
それははっきりとしていた。拒絶、憤り、悼み。渦巻く感情はそれだ。人の幸せな時間を踏み躙った輩が赦せなかった。
「その心を忘れるな、セラス・ヴィクトリア。そうすれば吸血鬼であってもお前は人間だ。その心を忘れた時、お前は人間ではなくなり、バケモノという外道に成り下がる」
その言葉はセラスの胸にストンと落ちた。
そして理解する。
隣に座る同僚は、そうして己を律しているから吸血鬼なのに吸血鬼らしくないのだと。
吸血鬼という化物であっても、人間らしく理性で己を律しているから外道には成り下がらない。
吸血鬼であっても人間らしく生きるための一つの指標が目の前にあった。
「ククククッ、相変わらず面白い事を語るヤツだな、お前は」
後ろの席に座る
愉しいものを見ている子供の様に、眼を細めて笑う。
「道中の暇潰しにはなったかい? 旦那」
「ああ。吸血鬼が語るには愉快で、痛快で、爽快だったさ」
「なら良かった」
車が止まり、笑いながら降りていく2人にセラスは置いてけぼりで話の面白さの意味も解らなかった。
「何をしている婦警。さっさと降りて持ち場に着け」
「ヤ、ヤー…。で、でも持ち場って…」
「そのライフルはオモチャか? 私が
「イエッサー」
セラスの担ぐ13.7mm改造対戦車ライフルを指して指示を出すアーカードは、夜の散歩でもしに行く様な軽い足で歩き出した。
その後を慌てて着いていくセラスを、手を出すなと言われたユーリは静かに見送った。
◇◇◇◇◇
「糞ッ、クソッ、チクショォォォオオーーーー!!!!」
悲痛な叫びが辺りに木霊した。
路地裏でその女は叫んでいた。破かれた服は裸体を晒し、強姦にでも遇った有り様に見えるだろう。
その白い肌を、血で汚している様はなんとも痛々しい。あまりの血の量に直ぐにでも病院へと向かうべきだろう。
だが心配はない。彼女は怪我をしているワケではない。そもそもからして、その血は彼女のモノではないのだから。
「良い夜だな。こんな夜だ。叫びたくもなるさ。なぁ、なりたてホヤホヤのお嬢さん?」
「……アーカード」
そんな彼女に声を掛けたのは赤いコートの男だった。その男の名を、彼女は知っていた。
アーカード──大英帝国王立国教騎士団HELLSING機関ごみ処理係りの吸血鬼にして吸血鬼を狩る死神だ。
「泣いているのか? 笑えよ同類。何を悲しむ。お前は選んだのだろう? 吸血鬼としての生を、
歩み寄るアーカードに、女は向き直り──土下座した。
「なんのつもりだ…?」
「頼む。殺さないでくれ」
「命乞いとはな。それでも吸血鬼か? それでもHELLSINGの人間か? 貴様──」
HELLSINGの人間なら、吸血鬼に対する扱いなど解りきっている筈だ。吸血鬼を殲滅する為の機関の殺し屋に、吸血鬼の命乞いなど通用しない。
だがアーカードは直ぐ様殺す気はなかった。
これが吸血鬼となって殺戮を振り撒く化物になっているのなら問答無用で始末するところだったが。その気配はない。
「そうだ。HELLSINGの人間さ。人間だった。吸血鬼に犯されながら血を吸われた。喰屍鬼になる筈だった。それが嫌だった。認められなかった。父を殺したクソ吸血鬼が赦せなかった。だからブチ殺してやった。奪われた血を、魂を取り戻した。それだけだ、それだけなのに」
「奪われた者の当然の権利と言いたいのか? 吸血鬼となってしまったのも不可抗力と言いたいのか? 自分は被害者だからと憐れんで欲しいのか?」
「そうだ。憐れな新米吸血鬼に、生きるための術を教えて欲しい。生まれたての、憐れな
「犬に成り下がろうと生を望むか。他者の命を糧にしても生きる化物になっても」
「人間だって同じさ。生きるために社会の犬となって、生きるために食物の命を糧としている。人間も、吸血鬼も、変わらない。ならバケモノたらしめているのはなんだ? それは心であるとおれは考えている。心が、魂が、人間であるのなら、人間である限り、吸血鬼であってもおれは人間だと言ってやる! それが吸血鬼になった
「クッ、ククク、クハッ、ハハハハハハハ!!!!」
その言葉に、アーカードは腹の底から笑った。あまりにも愉快な宣言だったからだ。
「吸血鬼が、バケモノが、夜の魔王が、人間だと宣うか! 面白い。面白いぞ新米!! お前の様なヤツは初めてだ。それなりの数の吸血鬼と会ってきたが、お前の様なバカは初めてだ! ハハハハハハハ!!!!」
吸血鬼に成り立てで、吸血鬼の本能すら知らない、吸血鬼の「き」の字も自覚の無い赤ん坊だからこそ吐けた言葉を、試してみたくなった。見てみたくなった。確かめてみたくなった。見届けてみたくなった。
その末路が如何様になるのだろうかと。
故に、HELLSING機関ごみ処理係り吸血鬼アーカードは、目の前の新米吸血鬼ユーリ・ケイトを見逃した。
「良いだろう新鋭!! その言葉、違えた時はこの俺がブチ殺してやる」
「感謝の極み」
◇◇◇◇◇
「ヒュゥ♪ ナイスショット」
旦那が今回の事件の犯人の吸血鬼の片割れの男をブチ殺して、恋人が殺られたのを見向きもしないで逃げた片割れの女をセラスが撃ち抜いて殺した。
戦わなかったから吸血鬼の本能も大人しいままだ。
拘束制御術式。
HELLSING機関が、ヘルシング家が、アーカードを飼い慣らす為に作り出した魔導術式。
それは吸血鬼である自分にも施されている。
しかしそれでも油断すれば寝首を掻きに来る、鎌首をもたげる吸血鬼の本能。吸血衝動は思っていたよりも厄介なものだった。
癒えぬ渇き。苛まれる吸血鬼としての本能は理性を容易く浸食し自らを血を貪るバケモノへと変えようとする。
吸血鬼としての能力を8割も封印して漸く大人しく誤魔化されてくれる程度には厄介極まりない。
吸血鬼を飼うという国家機関で、輸血血液の融通が利くHELLSINGであるからどうにかこうにか吸血鬼のような人間として生きていられる。その出費をしてまでも手元に置いておける制御可能な吸血鬼としての有用性を示してきた。
昼間を闊歩し、人間の食事を愉しみ、聖水を被ろうとも、にんにくも十字架も、銀も、意味を成さない。
何故ならおれは人間だからだ。
だから使い魔を持たない。身体の変化もしない。霧になることも、蝙蝠に姿を変えることも出来ない。銃で撃たれた傷も癒せない。手足を失ったとしたらその再構築も無理。
何故ならそれは
「お疲れ様、セラス」
「あぅぅ。あたし、ホントどうなっちゃってんの…」
夜目の事を気にしてブルーになっているセラスを労う。
「それが
「ユーリさんも、見えるんですよね。こんな暗闇でも、昼間よりも良く」
「視えるよ。人間の様に振る舞っていても、根底の吸血鬼という種族には変わりないしね」
そう。吸血鬼のような人間を自称していても、吸血鬼であることには変わらない。
夜目はちゃんと利くし、血の臭いには敏感だし、普通の人間よりも頑丈、力だってある。喰屍鬼を苦もなくブチ殺せる程度にはバケモノだ。
それでも心は人間だ。人間でいるための努力をしている。吸血鬼である己を縛り上げて封じる事で獣にならないようにしている。それでも血が必要なのだから、吸血鬼ではないかと言われてしまえばぐうの音もでない。屁理屈だと言われたらそれまでだ。
それでも人間だと言い張ってやる。
心が人間である限り、魂が人間である限り、
吸血鬼のような人間
結局は吸血鬼で血も必要なので屁理屈なのだが、人間だと言い張って本物のバケモノにならないように悪足掻きしている。
吸血鬼なのに人間だ、いつまでも人間だと言い張る様が面白可笑しくて、バケモノに堕ちるまで見届ける気になった旦那の気紛れで生きている。そんなバカにある意味惚れた。