『願いの果て、結ぶ祈り』   作:OKAMEPON

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第六話『最後に残る祈り』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『……もしかしたらギムレーの事をどうにかする方法を思い付いた、のかもしれない。でも……それは……。

 ……ねえ、ルキナ。これはどうしようもなく身勝手で我儘な事で……もしかしたら他ならぬ君を危険に晒してしまう事なのかもしれないけれど。

 それでも僕は……どうしても、まだ諦めたくないんだ』

 

 

 ルキナと……そして大切な仲間達皆と、自分たちが守った世界で共に生きていく事を。

 笑い合って、時には悩み苦しみ、悲しみに涙して、同じ時間を分かち合って、共に支え合って生きる、そんな未来を。

 ルフレは、……こんな姿になってしまってもまだ、諦めたくは無かった。いや、より一層、その想いは強まっていた。

 

 それは酷く強欲な事であるのかもしれない。

 本来有り得る筈の無かった「蘇り」を、強い未練によって正しい摂理を捻じ曲げて叶えてしまって尚、それ以上を望む様な事は、赦されてはいけない事なのかもしれない。

 己の心を保つ術は見付けたのだ。それで満足し異形の身となった己を受け入れ、静かに暮らすべきなのかもしれない。

 ルキナはそれでも良いと、異形の身のルフレでも良いのだと言ってくれているのだから。それ以上何を望むと言うのか。

 

 ……それは分かっている。それでも。

 ルフレは、もう何一つ諦めたくなどなかったのだ。

 ルキナの事も、クロム達と共に生きる未来も、そして自分自身の身体の事も、何一つとして諦めたくない。

 それに、こうして世界に戻って来た事自体が許されざる事であると言うのであれば、それを今更一つ二つ多く積み上げても何も変わらないだろう。そう思い切る事にした。

 

 そう、ルフレは諦めたくないのだ。

 

 触れ合うだけでルキナを傷付けてしまう様な身体では無く、人の身体でルキナと触れ合いたい。

 ルキナを力いっぱい抱き締めたいし、その手を何の気兼ねも無く繋ぎたいし握りたい。

 この身体ではどうしたって「傷付けない様に」と言う意識が先立ってしまって思う存分には触れられないのだ。

 だからこそ、戻りたい、戻らねばならないのだ。

 

 そして、ルフレはルキナにも何一つ諦めて欲しくなど無い。

 ルキナにとって、ルフレと共に生きる事が他の何を諦めてでも叶えたい一番の望みであるのだとしても、しかし他の望みが存在しないと言う訳では当然無い。

 例えこの世界がルキナにとっては己が本来在るべきではない世界であり、何れ程の時が過ぎても世界にとっての異分子であると言う意識は消えないのだとしても。

 しかしそれでも、ルキナがこの世界で得たモノはあるのだ。

「父」であるクロム達との繋がりや、この世界で生きていく内に得た人との繋がり。そして、ルキナ自身の心に芽生えているのだろう大小様々な願いたち。

 それらの内の少なくない幾つかは、異形の身に成り果てたルフレを選ぶのであれば諦めなくてはならないものだろう。

 だが、もう何一つとしてルキナに諦めさせたくは無いのだ。

 

 そして何よりも、ルフレはクロムと約束しているのだ。

『必ず帰る』、と。

 そこに誓った想いは、最後まで守り抱えていくべきだろう。

 一度、クロムの想いを裏切って己の消滅を選んでしまったからこそ、もう二度とその想いを裏切れない。

 最終的に果たせないにしても、僅かにでも可能性がある限りは、最後まで諦めずに挑み続けなくてはならないのだから。

 

 そんなルフレの言葉に、ルキナは優しくも力強く頷いた。

 

 

「良いんですよ、ルフレさん。

 ルフレさんがまだ諦めたくないと、そう望むのなら。

 進みましょう、最後まで……諦めずに。

 私は、何があっても最後までルフレさんの傍に居ます」

 

 

 そう言いながらそっとルフレの手に己の手を重ねて、ルキナは微笑む。そんなルキナの姿が、何処までも愛しくて。

 だからこそ、諦めたくない気持ちは強まっていく。

 

 

『この奥……この下にある階層に、ここにあるもの以上の情報があるのかは分からない。

 だけど、もし何か……別の道を見付け出す為の手掛かりが在るならば、そこにしかない。

 ……これは半ば僕の勘の様なモノなのだけれど、此処に在る資料は、ギムレーを生み出す為の研究のものではあるけれど……その前段階のものなのじゃないかな。

 幾つか、在って然るべきモノが此処には欠けているんだ』

 

 

 例えば、ギムレーを創造するまでの試行錯誤を記した日誌は見付かったのだが、肝心のギムレーを生み出した後の研究の過程を記した研究日誌の類は此処には無い。

 その他のモノは、いっそ神経質と言っても良い程に細かな内容のものが残されているのだから、その研究日誌だけは作っていなかったとはあまり考え難い。

 更には、ギムレーの記憶が正しいのであれば、ギムレーからの精神の侵食が始まった頃から、フォルネウスはそれを防ぐ為の方法を探して研究していたと思うのだが、それに関する記録も此処には無い様だった。

 ここが資料室の様なものであるのだとすれば、命を落とす前のフォルネウスにとっての中心的な研究だったのだろうギムレーの研究に関するモノの重要な資料は、実験場であった最下層に残っているのではないだろうか。

 ……ただ、階段の周囲だけでもあれ程崩落していた最下層で、そこにもしそう言った資料が残されていたとしても果たして読める状態のものが保存されているかは怪しい所だ。

 そんな事を言い出せば、そもそもその実験場すら残っているのかどうかと言う話になってしまうのだが……。

 

 

「この下の階層……ですか。

 ですが、迂回路らしきものは探せる範囲内には無さそうですし、あそこまで崩落した階段で降りるのは危険なのでは……? 

 それに、この階層に戻って来る方法も無さそうですし……」

 

 

 ルキナは気遣わし気に、ルフレの背の翼にそっと目をやりながらそう訊ねる。

 ……持ち込んだロープでも長さが微妙に足りず、飛び降りるなど以ての外。

 ならば、ルフレ達に出来るのは……。

 

 

「気を遣わなくても大丈夫だよ、ルキナ。

 うん……あそこから飛んで降りてみようと思うんだ。

 ただ……一度も飛ぶ為にこの翼を使った事が無い僕が、君と共にちゃんと安全に飛べるのかって問題はあるけどね……。

 帰り道に関しては、実験場の奥には緊急時の為の一方通行の脱出路があって、それで上の階層に戻れるみたいなんだ。

 フォルネウスの記憶に在ったのを、ギムレーが見ていてね。

 ギムレーには狭過ぎて一度も使った事が無かったみたいだから、それで何処に出るのかは分からないけど……。

 もし僕が元の姿に戻れたのならその通路を探せば良いし、元の姿に戻る方法が無かったのなら、また飛んで戻れば良い」

 

 

 その脱出路の出口が分かるのなら、その出口を探し出して扉を抉じ開けても良かったのかもしれないけれど……。

 その出口がこの階層以外の何処かに在るのかもしれないし、更には緊急時に使用するものであった為相当狭い通路であった様なので、今の姿のルフレでは通れないだろう。

 少なくとも、階下に降りる為にはあの崩壊した階段から行かねばならない。

 まあ、ぶっつけ本番で飛ぶ前に、何度か練習する必要は確実にあるが……。

 

 ルフレは、背の翼を二度三度と軽く動かしてみる。

 少なくとも、動かす事自体には問題無いだろう。

 尾と共に本来『人』に存在しない筈の部位ではあるけれど、その違和感にはもう慣れた。

 意識的に動かす事も出来るし、或いは無意識に勝手に動かしていたりもする。

 特に尾の方は、ルフレの感情の機微を勝手に反映して動いている様だ。

 

 その時、翼の羽ばたきによって起きた空気の動きが、部屋の中に今も堆く積っていた埃の山を散らしてしまう。

 そしてそれが二度目の埃の嵐を巻き起こして、ルフレはくしゃみが止まらなくなってしまった。

 そしてそのくしゃみがまた埃を巻き上げると言う悪循環に陥って、堪らずにルフレ達は部屋を脱出する。

 埃を大量に吸い込んでしまったのか、ルフレのくしゃみは中々止まらない。

 ちょっと不注意だったかもしれないが、それ以上に何とも間抜けな絵面になっている気がする。

 すると、ルフレがくしゃみし続けているその様子が面白かったのかは分からないが、一足早く埃の脅威から抜け出していたルキナが突如吹き出す様に笑い出した。

 しかも、彼女の独特な笑いのツボに入ってしまったらしく、息をするのも忘れる様に小刻みに痙攣する程に笑っている。

 

 突然のその反応にルフレは、くしゃみが止まらない中で呆気に取られ、思わず『大丈夫?』と訊ねようとして、しかしそれはくしゃみによって変な鳴き声の様な声になってしまう。

 それに益々笑いのツボを刺激されたのか、ルキナは腹を抱える様にして笑い転げる寸前になった。

 ……笑い過ぎてお腹を痛めなければ良いのだけれど、と心配になりながらも、ルキナが心の底から笑っている姿が随分と久方振りである様に感じて、何処か懐かしさを覚える。

 

 よく考えれば、ルフレが『異変』に襲われる様になってからは、ルキナは一度もこうして笑った事が無かった。

 ルフレの思い詰めていく感情が伝わってしまっていたのか、或いはルフレに気を遣っていたのかは分からないけれど……。

 ルフレの所為で笑顔を奪ってしまっていた事が心苦しいのと共に、例え些細な事が切欠でも、こうして楽しそうに笑える様になってくれて良かった……とルフレは安堵する。

 

 ルキナの笑いのツボが収まるまで、ルフレは一頻り笑っているルキナの姿を、少し幸せな気持ちで見ているのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 飛ぶ為の練習を幾度か熟すと、少し不格好ながらも身体を浮かせ上昇する事も出来る様になった。これで階下に降りても、再びこの階層に戻って来られるだろう。

 ルキナを落とさない様に確りと抱き抱えて、三対の翼を大きく広げてゆっくりと滑空しながら階下へと降りていく。

 

 積み重なった瓦礫の山を越えて、砂が降り積もった床へとゆっくりと降り立って、ルキナは手にしたランプを掲げる。

 深い闇を、ランプの光がゆっくりと切り裂く様に照らした。

 上の階層よりも随分と崩壊の程度は酷いが、それでも一応奥の方まで行けそうな状態には保たれている様だ。

 ルフレは慎重に闇の中の気配を探るが……どうやらこの階層には屍兵の様なモノたちは存在しない様である。

 自分達以外に命在る者どころか動く者すら居ない静寂は、屍兵達が蠢く闇とはまた別の不気味さを感じさせた。

 

 ……ギムレーの記憶通りならばここが最下層であり、そしてフォルネウスにとって最も重要な場所である実験場がある。

 その秘密を守る為に侵入者避けの罠か何かが千年以上の時を経た今も残っているかもしれないし、それ故屍兵の気配が無いからと言って油断は出来ない。

 その為、ルフレ達は更に慎重に闇の中を進んでいく。

 所が、そんな警戒とは裏腹に、一本道の様に続く通路に罠の様なモノは見付からず、異様な雰囲気を放つ巨大な扉の前へとあっさりと辿り着いてしまった。

 

 その扉の表面には、ルフレの右手にも刻まれているギムレーを象徴する文様──邪痕が物々しく刻まれていて。

 扉の向こうからは、大扉がそれを封じる様に固く閉ざされていても尚殺しきれない程の、強烈なギムレーの力を感じる。

 ギムレーの記憶が正しければ、この大扉の向こうに在るのがギムレーの生まれた地、……フォルネウスの実験場である。

 どうやらこの最深部は、階段から降りた後はこの扉の前までは一本道であり他の場所には進めない様だ。

 ギムレーの記憶にある、フォルネウスが使っていた研究室や緊急時の脱出路はこの扉の向こうにしか無いのだろう。

 

 物々しい雰囲気を放ちその先を封じる様に閉ざしている扉ではあるが、そこに手を当ててみてもそこを封じる何かしらの『力』は感じられない。

 ……かつてこの地下遺跡がアルム王達により攻略された時に、扉の封印も破られたのだろうか。

 それはもう今となっては分からない事だが。

 何にせよ、物々しい雰囲気があるだけで、この扉はただの扉でしかないのは確かだろう。

 

 ルキナと共に力を合わせて少し錆び付いたかの様に重たい両扉を押し開き、ルフレ達は向こうへと進んだ。

 扉の先にあったものは……いっそ何かの祭儀場の様にすら感じる、こんな地下にあるとは思えない程に広い空間で。

 そこには、既に完全に骨と化した巨大な竜の骸が横たわり、扉にも刻まれていた邪痕が床にも大きく刻まれている。

 ギムレーの記憶通りの光景に、ルフレは思わず息を飲んだ。

 

 ギムレーは生み出されてから数百年間ここに閉じ込められ。

 ……そして二千年程前に、ここでアルム王に討ち取られた。

 今もその異様な雰囲気の名残を留めて骨となった巨大な竜の骸は、かつての……ギムレーにとっての最初の肉体だ。

 ルフレ達が対峙した時のそれや、かつてペレジアの砂漠で見た様な大きさには程遠いが、しかし既に人間など何人も纏めて丸のみにしても尚余りある程の、ノノやチキ達マムクートの者達が化身する竜よりも遥かに巨大な姿をしていた様だ。

 

 ……もしルフレがこのまま元の姿に戻れなければ……何時かこの様な大きさにまでなってしまうのだろうか? 

 ……それは正直、全く楽しくない想像であった。

 それ程までに大きくなってしまえば、何れ程人気の無い場所に身を潜めても人の目を忍ぶと言うのも難しくなっていく。

 況してや、かつて対峙したあの時の大きさともなれば……。

 

 ……ルフレは脳裏を過る想像を、軽く頭を振って追い払う。

 まあそもそも、あれ程迄の大きさになるまでに二千年数百年以上掛かっているのだ。

 今の状態のルフレの寿命が何れ程のものかは分からないが、そこまでは生きられないだろう。

 元々、消え行く筈だった存在がそれを覆す為だけに色々と無茶をして、本来の摂理を誤魔化す様に還って来たのだ。

 寧ろ、普通の人よりも長くは生きられない可能性だって十分に有り得るだろう。

 ……尤も、「寿命」と言う意味でならばギムレーの様に数千年以上生きてしまう可能性も完全には否定しきれないのだけど。

 ……ただ、もしそうなってしまっていても、ルフレはそんなに長くは生きないだろう。

 愛しい人達を全て喪った世界で、孤独に世界を見守り続ける事に、ルフレ自身が耐えられないからだ。

「死」自体は恐ろしくは無いが、孤独は何よりも恐ろしい。

 ……とは言え、今考えるべきはそう言う事では無いのだが。

 

 ギムレーの亡骸が今もこうして残っている事に驚きつつも、ルフレ達が求めているのはそれでは無い為、フォルネウスが残した資料を求めて更なる探索を続ける。

 実験場の奥へと繋がる通路は瓦礫によって閉ざされていたが、根気よくそれを取り除いていく事でどうにか通れる様になり、そしてその先でまた新たな扉を見付ける。

 どうやらその扉は、鉤か何かで封じられているのか、或いは経年劣化の所為か何かで建付けが悪くなっているのかは分からないが、押しても引いてもビクともしなくなっていた。

 仕方が無いので、ルフレは扉を爪で切り裂いて破壊する。

 そうやって無理矢理開いた扉の向こうから再び吹き付けてきた埃の嵐を、翼で自分とルキナの顔を庇ってやり過ごして。

 そうして踏み込んだそこは、正しく求めていた場所だった。

 

 上の階層に在った資料室の様なそれとは異なり、大きな石造りのテーブルの上には様々な実験器具らしきものの残骸が散乱していて。

 そして、それとは少し離れた場所にある机の上には乱雑に本や手記が積まれている。

 恐らくはこれらが上の階層の資料室には欠けていた物達なのだろう。

 そして部屋の奥には、何やら印が付いた扉があった。

 恐らくはそれがギムレーの記憶に在った、非常用の脱出路なのだろう。

 先ずは、それが今も正常に機能するかどうかを確かめてみなくてはならなかった。

 

 扉の先の通路はやはり狭く、今のルフレではどう頑張っても身体が引っ掛かってしまい通れそうにはない。

 その為、ルキナが一人でその通路の先を確かめてくる事になった。

 緊急時にフォルネウスも使う為の通路である為、流石に何か罠の様なモノは仕掛けられていないとは思うけれど……。

 だが、もしかしたら通路が途中で崩落しているかもしれないし、或いは出口に当たる場所が潰れているかもしれない。

 その為、ルキナが通路の闇の中に消えてから、ルフレは心配と共にその帰りを待っていた。

 そして待つ事暫しして、ルキナは無事に戻って来た。

 どうやら通路は丁度一つ上の階層に繋がっていたらしい。

 その出口は壁に紛れる様に巧妙に偽装されていた様で、それを知らなければ全く気付けない位置にあったのだとか。

 取り敢えずこれで、人の姿に戻れた後にこの遺跡に閉じ込められると言う心配は無くなった。

 

 脱出路が確保出来たので資料捜索に専念出来る様になった。

 その為、机の上に乱雑に積まれた本や手記を読み解いていこうとするのだが、これがどうして中々難しい。

 

 第一に、資料の保存状態があまり良くなかった。

 この実験室が上階の資料室程には保存に適した状態では無かったのか、それとも直ぐ傍に居たギムレーの力の影響か。

 何にせよ、幾つかの本は風化寸前と言った様な有様であったし、多くの本には劣化が激しく文字列自体を判別出来なくなってる箇所が随所にあるのだ。

 これでは内容を解読しようにも、そもそもの情報が虫食い状態で何が何やらと言った有様である。

 

 更には、フォルネウス自身が記した手記の内容は、余りにも常軌を逸した狂人のモノで、内容が乱雑に過ぎるのだ。

 手記に残されたかなり初期の段階からかなり狂気に支配されている面があった様なのだが、ギムレーを創り出す事に成功した頃から、加速度的にその狂気は記載される文面に影響していて、ある時から完全に正気を喪った様なものになる、

 そして、ギムレーの狂気の影響で一時的に正気に戻った事もあったからなのか、その内容は後半に行くにつれ益々錯綜した物になっていて……これを記していた時のフォルネウスは果たして自分が今何を記述しているのか理解していたのかどうかすら怪しいと思う程であった。

 狂人の思考を読み解こうとするのは中々辛いものがある。

 そんな資料を何とか読み解いていく。

 その殆どは妻を喪った事をきっかけとして狂った一人の男が壊れていくまでの記録でしかなかったけれど。

 それでも、ギムレーの狂気に触れて一時的に正気に戻っていた時の足掻きは、決して無意味なものでは無いのだろう。

 

 フォルネウスは、どうにかして自身とギムレーとの間にある目に見えぬ繋がりを断ち切ろうとした様だ。

 呪術的な……或いは魔法的なその繋がりを辿って、ギムレーはフォルネウスを侵食していたのだから、その原因を先ずは断ち切ろうとするのは正しいのであろう。

 ……だが、様々な呪術的な手法を試していた様だが、それらは尽く失敗に終わってしまった様だ。

 それに関してフォルネウスは、ギムレーの創造に関して己の血を使った事こそが失敗であったと、そう断言していた。

 血の繋がりと、それが齎した魂の繋がりを断ち切る事は極めて難しく、下手に断とうとするとフォルネウスの魂の方が削られてギムレーの方へと持っていかれてしまう。

 その為、フォルネウスは繋がりを断ち切らずに、侵食を止める方法を探し出そうとしていたが……その研究が実を結ぶ前にフォルネウスはギムレーに喰われてしまった様だ。

 そこにあったのは失敗の記録でしか無かった訳であるけれど、フォルネウスは「もしかしたら」と……ある物に関しての考察も己の手記に残していた。

 それは、神竜の牙にして竜殺しの剣──ファルシオン。

 古の時代に神竜の王が人の世を憂いて遺したとされるその剣の真価を以てすれば、己とギムレーとの間にある繋がりを断ち切る事が出来るのではないか……と。

 そこにはそう考察と願望が書かれていた。

 ……結局、フォルネウスはファルシオンを手にする事は叶わなかったようだが……。

 彼がどうにかしてファルシオンを手にしていたら、別の結末に至っていたのだろうか。

 それは、分からないけれども……。

 

 ……今のルフレ達の手にはファルシオンが在る上に、その力はやや不完全ながらも解放されている状態だ。

 しかし、ルフレとギムレーは魂の繋がりと言う部分だけでなく、物質的にも深く混ざり合っている。

 その状態で、ただ闇雲にファルシオンの力を揮った所で、ルフレごとギムレーを叩き切る結果にしかならないだろう。

 それに、無理矢理繋がりを断ち切ってしまえば、共に混ざり合う事で一つの存在として成立してしまっているルフレが、『ルフレ』単体として切り離された時にこの世界でその存在を保てるのか……と言う問題もあった。

 何か……せめてギムレーとルフレを多少なりとも分けられる様な……例えるならば蒸留とか濾過とか、そう言った感じの方法があれば良いのだけれども。

 しかしそれもかなり難しい事であると言わざるを得ない。

 そもそも『ルフレ』と言う存在のその根幹にギムレーが居るのだし、二つの存在は元々かなり近しいものだ。

 ルフレとギムレーの間で歪な『自殺』が成立してしまう程、元よりその存在は分かち難い程に「同じ」なのである。

 呪術的、或いはそう言った事象に於ける「標識」の部分では、ルフレとギムレーの間にそう大きな違いは無いのだろう。

 強いて言えば、其処に在る『力』の大きさと言うモノに関しては大きく違うのだろうけれど……。

 しかし、今はその『力』の差ですら、不完全ながらも消滅と言う現象を経た事で絶対的な差とも言い難くなっていて。

 更にはかつて共に消滅したその時には、『竜』であったギムレーと、歪ながらも『人』であったルフレが、共に「同じ」であると「世界」からは見做されていたのである。

 それが、こうして混ざり合って、互いに『人』とも『竜』とも言い難い存在になってしまっては、果たしてそれを識別して分かつ方法など……。

 

 結局、『ルフレの意識』が『ギムレーの意識』に打ち克つ形で、完全に混ざり合うしか他に術は無いのだろうか……。

 だが、しかし、まだ何か……と。低く唸りながら、ルフレはその思考を深めながら手当たり次第に記憶を浚って、手掛かりになりそうなものを探していく。

 

 そして、ふと──。

 まるで祭儀場の様に異様な雰囲気を放つ実験場の跡に遺された、巨大な『竜』の亡骸の成れ果ての姿が、脳裏を過った。

 そしてその途端に、狂気の沙汰の様な発想が思い浮かぶ。

 

 それは、……間違いなく危険だ。成功する保証も何も無い。

 ただの思い付き……しかもかなりルフレの願望が混じったものでしかないのかもしれない。

 更に、それを裏付けする為の知識など、聞き齧りのあやふやなものでしかない。

 まさか、ギムレーの力が色濃く残る場所に来てしまった事で、より強くギムレーの意識に影響されてしまったのではないかと……そう自分自身の正気を疑う程の発想であった。

 

 

『……もしかしたら、いや……でもこれは……』

 

 

 困惑しながらもその発想を検討してしまう思考の声が、無意識の内に呟きとして零れていく。

 

 

「あの、ルフレさん……どうかしましたか……?」

 

 

 突如黙り込んだかと思うとブツブツと呟いたルフレの様子を心配してか、ルキナは気遣わし気な表情で様子を訊ねる。

 しかし、ルフレはそれにどう返して良いのか分からない。

 もしかしたら、だけどこれは、と。

 もしそれが『正しい方法』なのだとしても、ルキナを危険な目に遭わせてしまう事には間違いが無いのだ。

 しかも最悪の場合、ルキナにルフレを殺させてしまう結果にもなりかねない。

 ……それを、どうすれば良いのだろう。

 

 だが、もしかしたら全てを解決出来るかもしれないのだ。

 そしてそれは、この場所に於いてのみ試す事が出来る事で。

 今を逃せば、チャンスはもう二度と訪れない。

 

 何もかもを喪う可能性をその天秤の片側に載せてまで、そんな不確実な可能性に拘泥するべきではないのだろうけど。

 だが、もし何もかもを諦めずに手に入れられるかもしれないのなら……。

 それは……──

 

 

『ルキナ……。もしかしたら……この場所でなら、僕とギムレーを分けて……その影響を断つ事が出来るのかもしれない。

 ただその方法はとても危険で……そして、必ずしも成功するとは限らないんだ。

 それでも、恐らくはもう、僕達が選べる手段で、ギムレーと僕を分かつ方法はこれしかない……』

 

 

 迷いに迷いながら、ルフレはルキナに、狂気の沙汰の様にしか思えないその方法を明かす事を選んだ。

 

 ……どんな方法であれ、一度混ざり合ってしまったものを元に戻す事は出来ない。それが原則である。

 ルフレはギムレーであり、そしてギムレーはルフレだ。

 こうして混ざり合ってしまう前の段階ですら、両者は「世界」にとっても判別し難い程に「同じ」であった。

 しかし、ギムレーと言う存在の特殊性を考えると、僅かながらも光明を見出せるのだ。

 

 ギムレーにとっての『肉体』とは、一つだけでは無い。

 かつて二度滅ぼされた時の肉体の残骸は、今も骨の山としてこの地の底と……そしてペレジアの大地に遺されている。

 そしてそれらは、間違いなく『ルフレ』にとっては己の『肉体』ではない。

 ……そこの差異を、利用出来ないか、と。

 そうルフレは思い付いてしまったのだ。

 

 フォルネウスが遺した『錬金術』の書物に在った基礎として、生命とは魂と肉体の二要素と……それを繋ぐ精神から成り立つのだとされていた。

 魂は肉体の形を担保し、肉体もまた魂の形を担保する。

 そうした相補的な繋がりを保証するのが精神である。

 それが故に、魂と肉体は強く惹かれ合うのだ、と。

 

 ……まあ、魂と肉体が分離する事なんてそうそう起きない事であるとは思うのだけれど。古い呪術の中には、魂を肉体から引き剥がし、全く別のモノにそれを封じてしまう様な邪法も存在するらしいので、事例としては多少在ったのだろう。

 ただそう言った場合にも、本来の肉体に魂が惹かれてしまうので、そう言った繋がりを断つ為には物凄く高度な技術が必要だったり特別な処置が必要であった様だ。

 またフォルネウスが専門にしていた『キメラ』の研究にもその要素は深く関わっていた様で。此方は逆に、中途半端に混ぜ合わさった状態であると肉体と魂が反発して、結果として共に崩壊する様な結果になってしまう事もあったらしい。

 それを如何に解消するかに腐心していた様だ。

 ……あまり嬉しい事では無いが、ルフレとギムレーが限り無く「近しい」存在であるからこそ、完全に混ざり合ってなくてもそう言った様な反発が起きる事も無かったのだろう。

 まあ、何はともあれ、肉体と魂が強く惹かれ合うと言う事が重要なのである。

 

 ギムレーはその存在は肉体に依存し切っている訳では無く、肉体を滅ぼされたとしてもその魂は残り続け、然るべき手段を用いれば再び肉体を得て蘇る事が出来る存在だ。

『錬金術』に於ける理を半ば超越し、そしてこの世の命の在るべき形から逸脱したそれは、正しくフォルネウスが目指した『完全なる生命』であるのだろうけれども。

 しかしかと言って、肉体と魂の繋がり自体が完全に消滅している訳でも無いだろう。

 実際、ギムレーの存在の根幹に在る神竜も、肉体の軛と言うモノを半ば超越した存在ではあるけれど、その魂無き肉体が眠る場所を中心としてしか力を揮う事が出来ないのを見るに、完全にその繋がりが存在しないと言う訳では無い。

 故に、ギムレーの魂とかつての肉体との間には、今も尚目には見えない繋がりが在る筈である。

 そして、ルフレ自身の肉体ではないが故に、そのギムレーの肉体とルフレの魂との間には何の繋がりも無い……筈だ。

 故に、その繋がりを利用すれば、ルフレとギムレーの魂を分離出来る可能性は僅かながらも在るのだろう。

 此処には、ギムレーにとって原初の肉体が……。

 かの存在の魂にとっては、この世の何よりも最も強く惹かれ合う筈の肉体が、この地の底に眠っているのだから。

 もしも、ルフレとギムレーの繋がりを一瞬でも断つ事が出来るのであれば、ギムレーの魂は何よりも強く己と引き合うかつての肉体の方へと引き寄せられるのではないだろうか。

 その肉体が、既に滅んで久しい骨だけであるのだとしても。

 ……そして、ルフレとギムレーの繋がりを断ち切る力を持つ物は、既にルキナの手の内に在る。

『竜』に対する絶対の力以外にも、使い手の望むものを正しく断ち切る力が有るとされるファルシオンであるならば……その繋がりだけを正確に断ち切れるのではないだろうか。

 

 ……とは言え、その考えには大きな問題が幾つも存在する。

 

 第一に、今のルフレが、最早何をしても『ギムレー』と『ルフレ』とに分かてない程までに、その境界を喪って混ざり切ってしまっていれば、分離しようにも共にあの骨と化した肉体の方に引き摺られていってしまうかもしれない。

 逆に『ギムレー』の方がもうかつてのギムレーからは完全に変質しきってしまっていて、ギムレー自身の肉体との繋がりが殆ど喪われてしまっているのかもしれない。

 そんな状態では、幾らファルシオンの力を揮ったとしても、ルフレもギムレーも纏めて斬り捨ててしまうだけになる。

 そうなっては最悪の場合、ルキナにルフレを殺させてしまう事にも繋がりかねない。

 

 そして、次に考えられる問題として。

 今のルフレは、ギムレーと混ざり合って『どちらでも無い存在』と成り果てる事で、消滅の定めを覆している状態だ。

 その状態で、縦しんばギムレーを完全に分離出来たとして……そうなれば本来の定めに従って諸共に消滅する結果にもなりかねない。

 そうで無くても、ギムレーの存在と力が削り落とされた後のルフレに、この世に存在を維持するだけの力があるのかどうか……と言う問題もある。

 この場合も、ルキナにとっては残酷な結末になってしまう。

 

 そして最後に、もしこの方法を選ぶのであれば。

 少しでも『ルフレ』としての存在をギムレーから分かち、そしてギムレーが肉体に引き摺られる際にそれから守る為にも、ルフレは己の心と魂を卵の殻の中に閉じ込める様にしてギムレーの影響から守らねばならなくなる。

 そうなれば、完全にこの肉体の主導権はギムレーが握る事になり、その間にギムレーが何をしていてもルフレの意識がそれに抵抗する事は叶わなくなる。

 そうなれば、ある意味では完全にギムレーとして復活する事になるかの存在に、ルキナはたった一人で立ち向かわなければならなくなるのだ。

 ……尤も、もしそうなるのだとしても、ルフレの意識の影で今も微睡んでいるギムレーの意識が、ルキナを傷付けたり況してや殺してしまうなどといった事は無いだろうけれど。

 だからと言って、安全であると言う意味にはならない。

 ギムレーはルキナを手に入れる為には、文字通り何でもしてしまうだろうから……。

 その心を踏み躙ってしまう事も、ギムレー自身がそれを意図してなくても、結果として平然とやってしまうだろう。

 そこにある『執着』が紛れも無い「本物」であるのだとしても、その『執着』が双方にとって良いものとは限らない。

 ……だからこそ、ギムレーがルキナに対して何をしでかすのかが全くの未知数で……それがどうしても恐ろしいのだ。

 

 だが、そこまで説明したルフレの言葉に、ルキナは迷いなく頷いた。

 そして、ファルシオンの柄を一度撫でて言う。

 

 

「……ルフレさんを喪ってしまうかもしれないと言う可能性はとても恐ろしいですが……。

 でもそれがルフレさんが元に戻る為の唯一の可能性であるのなら……そしてそれに私が何か力になれるのなら……。何だってします、させて下さい。

 傍に居る以外にも、何か出来るなら…………私は……。

 私は……ルフレさんの力になりたいんです……!」

 

『ルキナ……。君は何時だって、僕を助けてくれていたよ。

 君が居てくれたから、僕は此処まで来れた……。

 いやそもそも、君が居てくれたからこそ、……何をしてでももう一度世界に還りたいと……そう足掻く事が出来た。

 君の存在が、何時だって僕にとっては何よりも力をくれていたんだ……。僕は、君に助けられてばかりだよ』

 

 

「ただ傍に居る事」。ルキナは自分のそれを、そんな風に言うけれども。

 しかし、怪物の姿へと変わり果て行く者に対してそれをする事が何れ程難しい事なのか……そして何れ程ルフレの心を勇気付けて救ってくれていたか。

 それを分かっているのだろうか? ……いや、あまり分かっていないのだろう。

 きっとそれは、ルキナにとっては余りにも「当たり前」の事で……一々考える必要が無い事であったのだろうから。

 ……だからこそ、そんなルキナが愛しくて堪らないのだ。

 

 ルフレは、大きく一つ溜息を吐いた。

 そして、ルキナの頬にそっと触れる。

 

 

『……ギムレーが君を殺そうとしたりする事は無い筈だ。

 だけど、君を手に入れる為ならばあいつは何でもしてくるだろう……。

 あいつは、君に心から『執着』しているから。

 ……僕は、君を喪いたくない、何が在っても。

 それに……あいつに君を奪われる事は絶対に耐えられない。

 ……だから、どうか決して油断しないで欲しい……』

 

 

 そう懇願する様に訴えたルフレの言葉に、ルキナはそっと微笑んで口付けで返した。

 

 

「ええ、勿論ですよ、ルフレさん……。

 私も、貴方以外にこの心を奪われる事は耐え難いです……。

 私の心は、何が在っても永遠に貴方だけのものですから」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 かつて『絶望の未来』で目にしたそれよりも、そしてペレジアの砂漠を渡る中で見たそれよりは小さな……それでも人間よりも遥かに大きなギムレーの巨大な骨の山を前にして。

 ルフレは、ルキナへと向き合った。

『竜』の姿になっても変わる事の無い優しい黄金色の瞳は、僅かに心配の色に揺らいでいる。

 そんな不安を少しでも拭える事を願いながら、ルキナはそっとその頬に触れ、そこを優しく撫でる様に指先を動かした。

 硬い鱗の感覚と、その下に隠された温かさが指先に伝わる。

 

 

「大丈夫ですよ、ルフレさん。覚悟は出来ています」

 

『…………すまない、ルキナ。

 こんな状況で、不安を隠せなくて』

 

 

 そう言って僅かに目を伏せるルフレに、そんな事は無いと首をそっと横に振る。

 不安に思っても仕方の無い事をしようとしているのだ。

 もしかしたら、もう二度と『ルフレ』として目覚める事が叶わないのかもしれないと……自分ではない『自分』が何をするのか分からないとなれば、それは不安になるだろう。

 それが分かるからこそ、ルキナは彼を信じるのだ。

 不安に揺れ動くその心を、決して離さない様に、この世界に繋ぎ止める為に……ルフレをもう二度と見失わない為に。

 

 

『……有難う、ルキナ。僕も、最後まで抗って見せるから。

 ……今から、ギムレーの意識を表に引き摺り出すよ。

 覚悟は、出来たかい……?』

 

 

 ルフレの言葉に、ファルシオンを抜き放って構える。

 そこにルキナの覚悟を認めたルフレは、一度大きく息を吸って深呼吸し、その心を鎮める様に息を整える。

 そして、ゆっくりとその黄金色の目を閉ざした。

 

 その目が完全に瞼で閉ざされた瞬間。

 ギムレーの骨を中心として遺跡全体に漂っているかの様だったその力の残滓とも言える気配が、一点に収束する。

 高密度の『力』が収束しようとするその勢いは、まるで巨大な竜巻の中に放り込まれたかの様な錯覚をルキナに与えた。

 その暴威に咄嗟に目を庇う様に腕で覆った狭い視界の中で、巨大な影が視界の全てを塗り潰さんばかりに落とされる。

 

 一体何が、と。腕を下ろして見上げたそこには。

 

 かつて二度対峙した時の姿そのままの『邪竜ギムレー』が。

 広大な空間を泳ぐ様に悠々と飛びながら、紅い眼を不気味に輝かせてルキナを睥睨する様に見下ろしているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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