前回投稿内容からストーリーを一新し再投稿。
設定の再考を行い作品全体を大きく変更しております。
近日中に最終確認が終わり次第次話の投稿も行います。
後書きで簡易的な登場人物の紹介をしております。ご興味があればご一読ください。
屍刺巡根
白一色の無機質な壁。漂う消毒液の匂い。
言葉の無い空間には、天井から吊られたテレビの中で陽気に話すタレントの声が虚しく響く。
市内中心から離れた診療所。
お世辞にも広いとは言えない待合室に流れるのは、押し潰されるような空気と場違いに明るいテレビ番組の音。
見回す目線の先、暗い顔で俯く歳も性別もばらばらな人々。その姿は絶望と悲しみに支配され、見つめていれば胸の底からそれらの感情に不安の混じったタールのような感覚が沸き上がり、体を重くする。
ぶくぶくと腹の中で湯が沸くような不快感から逃れて膝に視線を下ろせば、広げられた一冊の本が目に飛び込んでくる。
紙面には色鮮やかな景色を映した写真が幾つも並び、撮影者のコメントが添えられている。
知人に勧められて始めたSNS。
そこで出会ったある写真に目を奪われ、父から古いカメラを譲り受けて以来、市内のあちこちを巡ってはその景色を撮って回った。
この本も、カメラの上達を目指して買ったもので、夢を後押ししてくれるようで自信を貰った。
ほんの一月前までは頁をめくりながら景色の一つ一つに胸を躍らせた宝物だったと言うのに、今ではその日々を思い出させては心に棘を刺す針山のように変わって見える。
自分の置かれる環境一つで、こんなにも簡単に世界の色は消えてしまうものなのかと悲しくなる。
「神代結衣さん」
受付の女性が名前を呼ぶ声が聞こえる。
本を閉じ、傍らに置いた学生鞄に仕舞って立ち上がり診察室へ向かう。
●
薬の匂いの混じる狭い一室。診察の間も気分は楽になるどころか酷く沈んでいく。
日増しに募る不安が生み出す息つく暇もない毎日は、綱渡りのような恐怖で私の精神を磨り減らしていく。
不治の病と言われる病魔を鎮める事は出来ないと分かり切っていながら、毎週のように病院に通うこの時間も、無駄に期待を抱いては非情な現実を突きつけられることの繰り返し。
診察の最中も、珍しい。希望。などと口にする医師の言葉に不快感を隠して応じる事に嫌気がさす。
世間からすれば希望だとしても、病に蝕まれる私にはどうでも良く、寧ろ延々と長らえている体が恐ろしいくらいだ。
診察を終えて待合室に戻り、元いた席に着いて鞄から財布と本を取り出す。
彩りに欠ける閑散としたカード入れの中からある一枚を抜き出し、表紙の裏に挟む。
クレジットカードと同程度の大きさをした青紫のプラスチック製のそれの上部には「特例疾病医療受容者証」と記されている。
●
私の暮らす市には、とある奇病が存在する。
それは突如としてこの街に現れた白い結晶によってもたらされ、現在に至るまで数多くの人々を死に至らしめてきた。
事の発端は29年前。
地方都市のベッドタウンとして知られたここ『荒津市』を襲った奇妙な災害に始まる。
市内東部に位置するオフィスビルから巨大な白い結晶が出現。内部で多くの死傷者が発生した。
市内全域で取り沙汰された大量死の原因である奇妙な結晶の存在は、瞬く間に世間の注目を集める事となった。
それから数ヶ月後。落ち着きを取り戻した世間の目が災害の責任問題へと向けられた頃、今に続く第二の災害が起きた。
人が裂ける。誰もが作り話だと笑ったそれはいつしか現実味を帯び始め、多くの人がその夢幻の世界にしか無いであろう凄惨な話に震え上がっていた。
噂が広まって一週間半。市が解決に乗り出す頃には数千の人間が命を落としていた。
『人裂症』
文字の通り、罹患者が肉体を結晶に裂かれて死亡する様から名を与えられたその病は、急速に人々の命を奪い、次第にその勢いを衰えさせて行った。
しかし、その全てが根絶されることは無く、現在も病に侵される者は後を絶たない。
治療法、実態。全てが謎に包まれたその病は
度重なる研究も虚しく、一切の進展を見せないまま不治の病として街に定着している。
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受付の看護師に証明書を差し出すと、それを受け取った看護師が慣れた手付きで手続きを行う。
同じ患者を何人も見てきたのだろう。淡々とした様子で作業を進めていく様は、気を遣われながら居るよりか気分も楽だ。
「お返しします。どうぞお気を付けて」
「ありがとうございます」
返却された証書を受け取り、片付けてしまった財布の代わりに、鞄のポケットに仕舞って病院を出る。
玄関を潜れば、僅かに湿気った秋風が吹き抜け、涼やかなそれが院内で纏わり付いた憑き物を拐ってくれるようで、心も幾らか軽く感じられた。
携帯電話の画面を見れば、10時を過ぎたばかりの時間を示すデジタル時計の文字が映されている。
「....よし」
沈んだままの気持ちで一日を過ごす訳にはいかないと、電話の地図機能を開いて画面を操作する。
検索の範囲を市内の東部に絞り込み、その中から幾つかの建物に目星を付ける。
電話を鞄に仕舞いバス停へ向かえば、到着と同時にバスが停車し、ガタガタと音を立てて扉が開かれる。
小さなざわめきのする車内に乗り込み、運転席に近い窓際の座席を選んで腰を下ろす。私の他に乗り込んでくる客は無く、誰を待つこともなく扉の音がすると排気音と共にバスが発車した。
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流れていく街の景色は、敷き詰められるように並んだ小さな家々の群れからホテルや料理店の並ぶ賑やかな物へと変わっていく。
結晶の災害により一部が封鎖区画となった東部地区だが、数10年も経てばそんな惨状も改善されていくもの。
街の内側に深く根差した人裂症の存在に目を瞑れば、荒津市は着実に復興の道を辿っている。
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中心街から離れた一角。災害の影響で客足が遠退き、残された顧客を巡った争いに敗北した者たちは決まって中心街から追いやられ、結晶の群れに背を預けひっそりとその息を止めていった。
商業地区から離れた場所に位置する「廃墟街」は、結晶の災害によって役目を追われたかつて荒津市の夜を彩っていた店の名残が残されている。
手入れも成されず風雨に晒されたそれらは、ひび割れカビや苔のむした黒々とした風体をして酷く寂しい。
左右に並ぶ物悲しい建物の間を手元の携帯電話に映された地図を頼りに歩く。
夜は不良や肝試し目的の学生で騒がしい街並みも、昼間に足を踏み入れれば外の世界と隔たれた異世界のように見える。
進むほどに人の気配から離れ、数分前まてまは疎らにあった人々の声も離れていく。
世界から切り離されていくような感覚に浸り、少しずつ胸が高鳴るのを感じる。
一人の時間が多い私にとって、人の目から離れている時間は心のオアシスのようであり、こうしてルールを外れ廃墟の群れに忍び込んではカメラで写真を撮る事がほんの少し怖くもあり、同時に小さな楽しみだ。
ひしめき合うビルの間、小さな路地の先には赤茶に錆び付いた丸型の防犯柵に覆われた非常階段がある。
壊れたままで放置されたボロボロの南京錠を取り外し、ギィギィと虫か猿かの鳴くような音を鳴らす重い手応えの柵を引いて、中の階段を登っていく。
暗い路地の隙間は日当たりも悪ければ掃除等の人の手が入る筈もなく、階段も先日の雨で水溜を作っている。
手すりには触れず、階段の中央を踏みしめながら歩く。転んで服が濡れる程度ならこんな人の寄り付かない危険な場所に近付く私の自業自得で済まされるが、仮にも階段から落ちて怪我などしてはそうもいかない。
踊り場に付いては折り返すを繰り返す事数度、薄暗い視界いっぱいに光が射す。
階段を登り終えた先。無用心にも開かれたままの防犯扉を潜って屋上に出れば、そこには見上げていた廃墟街の寂れた建物の上、青々と晴れた空が広がっていた。
「わあ!」
いつみてもこの景色は最高だ。
テナントビルと小規模な飲食店が並ぶ廃墟街の屋上から見る空は、中心街のように視界を阻む高いビルもなく、西部の住宅地から見上げる高い空よりも近く、その場所に手が届きそうな気がして胸が踊る。
電話のカメラを起動し、屋上を歩き回っては写真を撮影する。
レンズの向こうの世界を見ている時間は、何もかもを忘れて自分の世界に浸ることが出来る。
自分以外の他人と関わる事が苦手な私にとって、胸打たれた物とただ一人で向き合う瞬間はとても楽しく、カメラを始めてから気付いた新しい魅力だ。
「ふふ。上出来かな」
撮影した写真を見て笑みが溢れる。どんな嫌な事も忘れられる幸せなこの時間を永遠に続けていられたら良いと思う。
「....!」
突然聞こえてきた音に画面を操作していた手が止まり、どくんと胸が跳ねる。
電話をポケットに入れ、音を立てないように室外機の物陰に隠れ物音の主を探る。
巡回にやって来た警察官だろうか。今が夜であればそれにも納得だが、それが真昼となると特別な要件でもあるのだろうか。
そうなのだとしたら尚更見つかっては都合が悪いと、息を潜めて錆びの臭気を堪える。
心臓の鼓動が速い。肌で感じられる程の脈動が体を震わせ、高まった緊張感を伝えてくる。
階段を登る音が聞こえた気がした。耳を傾ければ同じ音が再び鼓膜を震わせ、二度、三度と繰り返す度に大きさを増していく。
秋場の寒さが肌に刺さり、うっすらと浮いた冷たい汗が背を粟立たせる。
弾むような軽い音を鳴らす階段。それを登ってくる者は何者だろうかと考える。
どうやってやり過ごすか。口で説明しても怪しまれることは間違いないだろう。
真っ先に思い付くのは相手に見付からず非常階段を降りてここを離れる事だ。
「ここかな?」
体が跳ねる。両手で口を抑え悲鳴が漏れそうになるのを必死で堪える。
心臓が凄まじい速度で鳴り響き、それまで集中していた心を瞬く間に乱れさせていく。
幸いな事に声の主は人で、それも女性のようだ。
こんな不気味な場所だ。妙な怪物が現れたらどうしようかと焦りもしたが、不安の一部は解消された。
「誰かいる?こんなところに居ると怪我するよ?」
気安い口調でそこに居るであろう存在に問い掛ける声には、どこか馴染みのある響きを感じる。しかし、私の知り合いにあんなにも明るく話す人物は思い当たらない。
「おーい。怪しいやつじゃないから出てきてくれない?」
私が言える立場ではないが、こんな時間に廃墟街に出入りしているのなら十分に不審者と言える。
気のせいだと立ち去ってくれることを祈りながら待っていると、声の主が咳払いをする。
「居るのは分かってるんだ!今なら見逃してやる。大人しく出てこい!」
凄まじい気迫のこもった怒声が体を震わせる。
電流が駆け巡るような感覚に全身が痺れ、頭から流れ落ちるように血の気が引いていくのがわかる。
意思に反して体は一切の指令を受け付けず、声に答えるべきだと言う鬩ぎ合いの言葉にも耳を傾けない。
もっともそれが正しい行動なのかも分からないが、体を動かす事の出来ない状況に焦燥感を覚える。
「....本当に誰も居ないのか!」
姿は見えずとも、私を探す何者かの放つ威圧感は緊張の糸を千切らんばかりに張り詰めさせる。
恐怖と後悔で高まる焦燥感に荒くなる息を必死に殺し、意味もなく身を小さくする。
「おかしいな。建物を間違えた?でも柵が開いてたのはここだったし....仕方ない他を探してみるか」
穏やかさを取り戻した何者かの声にはどこか退屈そうな感情が窺えるような気がしたが、悲鳴を上げる伸び切った緊張の糸に支配された私はこの場で恐怖を堪え忍ぶことなど到底不可能で、一刻も早く声の主がこの建物から立ち去ってくれることを願うしか出来なかった。
暫くの静寂の後、階段を降りる音が始まり、次第に小さくなり消えていく。
「....ふぅ」
浅い息のままで口に当てていた両手を離し、ゆっくりと呼吸を整えていく。
落ち着きを取り戻していくにつれて押し留めていた安堵から、じわじわと目元が熱を持ち視界が霞む。
「怖かった....」
街へ戻るため体を起こそうとするも、手を突いた途端に視界が落下して地面に崩れ落ちる。
痛みではっきりと意識が整い、そこでやっと気付いたが、両手は自由になった途端に情けなくも震え出していたようで、落ち着くまで使い物にならないと思った方が懸命だ。
こんな不気味な場所で怪我を原因に一人夜の中に取り残されたとすれば気が狂うのは間違いない。
可能な限り深い息を繰り返して乱れた呼吸を整えていく。
廃墟探索でこれほどに恐ろしい経験をしたのは一度もない。
酷い目に遭ったと自身の愚かさを嘆きながら、手の震えが治まるのを待つ。
数時間にも感じられる恐怖との格闘の末、ようやく万全に戻った体で室外機の陰から這い出す。
屋上は変わらず太陽に照され、心地の良い気温と光に包まれており、ほんの少し前までの曇天の下に居るような感覚は恐怖心が見せた幻であったと認識する。
解放感から大きく深呼吸をして、帰りの支度を始める。
「あれ....スマホが」
鞄に手を入れて中を探るが、携帯電話が見付からない事に気付く。制服のポケットを探してもその感触は無く、室外機の後ろに落としたのかと戻るも見当たらない。
隠れていた時とはまた別の焦燥感がジリジリと心をつつくように現れる。
手すりの前に戻り、写真を撮ってからの動きを思い返して真似る。確かに鞄に仕舞った筈だ。
中身を覗きながら再度注意深く探すと、奥底でそのカバーの感触が手に触れる。
「あ、あった!」
取り出して確認すれば、確かにそれは私の携帯電話だ。
「良かったぁ....」
「おめでとう。で、何が良かったの?」
安堵の息を吐き、今度こそこの不気味な場所を離れようとした時、後ろから声を掛けられ、驚きのあまり息が止まる。
三度訪れた衝撃に心臓が激しく跳ね上がり、それに引っ張られるように体が伸び上がる。
二度あることは三度あるとはよく言うが、こんな最悪の事態でそれを体験したくはなかった。
観念して声の主を振り返ると、そこには見知った顔の人物が立っていた。
神代結衣(カミシロユイ)
荒津市に暮らす17歳の女子高校生。
弱気で引っ込み思案な性格から人付き合いが苦手で、そのため友人は少ない。
一人で打ち込む事のできるカメラを趣味として楽しんでおり、廃墟に忍び込んでは風景の撮影をしている。
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