瞼に掛かる光が瞳を刺し、鈍い頭痛に意識が覚まされる。
「結衣?」
「....西園寺さん?」
目覚めた場所は明るい色の天井とカーテンレールで仕切られた温かみのある空間で、どこか学校の保健室に似ていた。
窺うような声にその主を見れば、不安な面持ちを隠さない追い詰められたような様子の西園寺さんが私を覗き込んでいる。私が返事を返せば、顔色を変えた彼女は何事かを口にしかけ、はっと弾かれたように立ち上がり押し退けるようにカーテンを潜って姿を消す。
「っ、痛い」
身体を起こそうと動かせば、全身が凝り固まったように反応せず、代わりに筋肉の張る痛みが襲う。起き上がる事はおろか、とてもではないが自由に身体を動かせる状態ではないだろう。
「気にしなくても休んでいれば良くなる。あの程度なら命に関わるようなもんじゃないさ」
「本当に大丈夫なのよね」
「パームミスリルだったか。あれは元々俺達の世界で産まれたもんだ。お前達よりよっぽども知識はあるさ」
「....なら良いんだけど。結衣に何かしたら承知しないからね!」
「おお怖い怖い。心配しなくても結衣は俺達の協力者だ。またと訪れないだろう協力者をみすみす殺すような真似はしない」
再びカーテンの向こうから聞こえてきた西園寺さんの声。それに続き気の抜けた声が耳に入る。リッジさんも一緒に居るようだ。
ひょいとカーテンの間から顔を出したリッジさんの顔の形が歪む。表情が変わったのだろうか。靄がかった姿から分かるのは、続く楽しげな声色から彼が安堵や喜びの感情を抱いている事だろうか。
「よう、結衣。調子は最悪だろう。そいつは一度に力を使いすぎると起こる症状。お前達の世界で言うところの筋肉痛みたいなもんだ。こっちで出来る治療はしておいたから、後は休んでいればその内元通りになる。脱出計画はある程度回復してから練る事にして、今は回復に専念するんだ」
「....すみません」
「謝る事はない。ガードボットとの連戦で生還する。落ち着いて考えれば人間なら到底出来ない事をこなして見せた。そんなお前達には、相応の報酬があって当然だ」
人と言うのかは分からないが、怪物も見掛けによらないようだ。見た目こそ得体の知れない靄の姿という奇妙さがあるが、私と西園寺さんを気遣う態度からこちらに敵意を持っている様子はない。
「こっちからも話しておきたいことはあるが、怪我人のお前はそれどころじゃないだろう。取り敢えずそこの紗姫だったか。と話でもして時間を潰しておいてくれ。折角自由に動けるようになったんだ。俺達は探索に戻る。仲良くやれよ」
要件を淡々と伝えたリッジさんを覆う靄が広まったかと思えば、纏わりつくようにそれを包み込んで地面へと吸い込まれていく。
影すら残さず地面に飲み込まれた奇妙な情景に西園寺さんと顔を見合わせる。
「ええと、何あれ」
「私も初めて見ました」
「あいつ、結衣とは知り合いって言っていたけど」
「はい。私がこの世界から脱出するのを手伝ってくれるそうなんです。ただ、顔を合わせたのは今が二度目だったので....」
「え、もしかして初対面で協力の提案を受けたってことなの?」
「そう、ですね」
「....」
「西園寺さん?」
「あんまり怪しい奴を信じない方が良いよ。ああ言う化け物は特に」
「う....」
「アタシを助けるのに協力してくれたってのは感謝してるけど、もう少し慎重にならないと」
「はい....ごめんなさい。少し、リッジさんに興味が湧いて」
「へ?」
「え?....あ」
ぽかんとした西園寺さんの反応に意識せず口にした言葉を思い返す。
「興味って?」
「な、なんでもないです。忘れてください!」
「えー、教えてよ。気になるじゃん」
「ほ、本当に何でもないんです」
「んー、もしかしてオカルト?」
「え!?」
「正解?」
「せ、正解?」
「へえ、本当だったんだ。結衣がオカルトマニアだって噂」
「っ....」
隠していた秘密をあっという間に暴かれてしまい思わず俯く。よりにもよってその相手は西園寺さんだ。
おかしな子だと言われてしまうだろう。自分を守るために隠していた事を盾にした。一度に二つを失ってしまったとベッドの中で拳を握り自身を呪う。
「因みにさ、あいつはどんな『ユーマ』って言うの?」
「....西園寺....さん?」
彼女から出た反応は意外なもので、おそるおそる顔を上げてその表情を窺えば、きらきらと目を輝かせて興味を隠しきれない様子で私を見つめる視線と目が合う。
「何て言うんだっけ。グレイ?宇宙人みたいな奴なのかな」
「変だと思わないんですか?」
「何で?良いじゃん。夢があってさ。それより結衣のイメージを教えてよ。アタシより詳しいんでしょ?」
想像に反する彼女の反応に狼狽するが、冗談やからかい目的で見せるような悪戯な様子は見えない。
ひた隠しにして来た密かな趣味だったそれについて詮索されることは恥ずかしさを感じるが、誰かが同じような興味を持ってくれる事は嬉しくもある。
「....ど、ドーバーデーモンとか、羊男でしょうか」
「羊男か....つまり半人半獣ってやつ?」
「そう、だと思います」
「ふうん?」
「やっぱりおかしいですよね。こんな....」
「おかしくないって。好みなんてそれぞれだし、アタシはこんな話出来ないから新鮮で楽しいよ」
「それなら....良いんですが」
「うん。身体の調子が戻ったらもっと教えてよ」
「私で、良ければ....はい」
「よし、約束ね。その時になって忘れましたは無しだよ?」
なるほど。と頷きながら答える西園寺さん。楽しげな表情に嘘はないようで、教室で友人と言葉を交わしている彼女と同じ姿がそこにある。
誰にでも変わらず優しく明るい態度を崩さない西園寺さんらしく、太陽のような笑顔には温もりの宿ったような不思議な安心感がある。
「まさか結衣が助けに来てくれるとは思わなかったけど....カッコ良かったなぁ」
「かっ!?格好....良い?」
「そうそう!魔弾だったっけ!?壁の中からどーんっ!て出てきて指がピストルみたいになってさ!アクション映画みたいでカッコいいじゃん!」
「わ、私は....」
「ね、アタシにも出来ないかな!?魔弾ってやつ!」
「ど、どうでしょうか....」
「やってみたいなぁ。今のところアタシは才能ナシって感じなんだけど....」
「私は、西園寺さんも格好良いと思いますよ」
「えー、あんなの嫌じゃない?ロボットをボコボコに殴るなんてゴリラみたいでしょ」
「そ、それはそうですけど....でも、ロボットの攻撃を避けながら戦っていたのは凄かったです。かまいたちみたいに目にも止まりませんでした」
「そ、そう?まあ、身体を動かすのには自身あるし、結衣に力の使い方もアドバイスしてもらったし、あれはアタシと結衣二人の力だよ」
私の言葉に面食らったように息を飲む西園寺さん。丸く見開かれた橙色の瞳は果実のように鮮やかに光を反射している。
「でも、アタシがカッコいいか....えへへ」
噛み締めるように私の言葉を繰り返した彼女は、化粧をしたように薄く紅潮させた頬を掻いて恥ずかしそうに笑う。
「クラスの皆に言われるのとは違って照れるな。不思議と特別な気がするって言うか....結衣に褒められたからかな。ありがと。すっごく嬉しいよ」
「そ、そうですか....それなら良かったです」
控えめに微笑む彼女の表情に飾り気の無い素直な喜びの言葉が重なり、普段目にすることの無い一面に私の顔もつられて熱くなる。
悟られないように話題を探し頭を回せばロボットとの戦いが思い出され、ある疑問が浮かんだ。
「え、えと。西園寺さんはもう動いても大丈夫なんですか?ロボットを倒した後、とても辛そうにしていましたけど」
「ああ、うん。あいつが言うにはアタシは体力の回復が早い方なんだって。浅ければ傷も直ぐに治るし、多少の疲れも休憩したら元通りになるらしいんだ。よく分かんないけど癒着がどうとかって言ってた気がする」
「それなら、一度ロボットに弾き飛ばされた時の傷は」
「ああ、あれも大したケガにはなってないよ。殴った時に手応えが無かったからすぐに防御に集中したおかげで打ち身程度で済んだんだ。おかげでパイプはボロボロになったけど、最後には盾になったし結果オーライってやつ?」
「....」
事も無げに状況を説明する西園寺さん。コンクリートの壁に大穴が開く程の一撃を受けてなお、こうして会話を続けられる彼女の頑強さと、ほんの一瞬に感じられた攻防で私には想像もつかない動きをしていたと言う行動力に驚愕する
「なかなか結衣が起きないってあいつに話したら、お前の身体がおかしいなんて言われたくらい。確かにアタシも驚きはしたけどさ....でもまあ、こうして回復してくれたならそれで良いよ。このまま目を覚まさなかったらなんて考えたくもなかったし」
「....私も、西園寺さんを巻き込んだままで倒れるなんて出来ませんから」
「巻き込んだなんてそんな他人事みたいな言い方しないでよ。アタシが一緒に付いて行くって決めたんだし、治療を受けたのもアタシの意思。だから結衣だけの問題にしないで一緒に解決しよう」
「で、ですけど。こんな事になるなんて....私も予想していなくて」
「それはアタシも同じ。だからこそ助け合わなきゃなんだよ。あのロボットだってアタシ一人じゃ足止めが精一杯だったけど、結衣と二人でなら倒せた。アタシと結衣なら、これから戦う敵にも負けないよ」
「....う」
「それに、あの怪物とは初対面で協力するって約束したのに、アタシはダメなの?」
「い、いえ!そう言うわけでは!」
「なら一緒に戦おうよ。アタシもあいつに協力の話は持ち掛けられてるし、結衣が手を組んでるならアタシも協力するから」
「....」
「戦える仲間は多い方が良いでしょ?寧ろ一人で戦う方が危険だと思うよ?」
「それは....そう、ですね」
「アタシなら大丈夫!何があっても上手くやれるから」
私の心配を他所に、西園寺さんは自信に満ちた声でそう説得する。
「分かりました....よろしくお願いします」
ロボットとの戦いを思い返せば、ただ一度の攻防でさえ死を覚悟しなければならない綱渡りのような激戦だった。
彼女を巻き込んでしまった事への罪悪感は拭えないが、その提案には確かな理がある。
後ろ髪を引かれる思いで答えれば、西園寺さんは大きく頷いて私の手を取る。
「うん。よろしく!」
痛い程にがっしりと握られた彼女の手は私のそれよりずっと温かく、身体に伝わる力強さをよりはっきりと感じさせる。
「よし、あいつが戻ってきたら伝えないとね。アタシと結衣とあいつで戦うってさ」
「そう、ですね」
「じゃ、それまで暇になるしちょっと話そうよ。あいつが言ってた結衣の活躍の事も聞かせてよ」
「そ、それは....」
「今後の参考にだよ。まあ、アタシの興味もあるけどさ」
「う.....分かりました」
「やった!早く早く!」
●
「お、随分と元気そうだな。顔色もマシになったようだし、もう本調子か?」
呑気な声を挙げながら黒い人型が現れたのは、彼女と幾つかの会話を交わした後だった。
「リッジさん。はい、まだ万全とは言えませんが苦しくはなくなりました」
「そいつは良かった。ならこれからの話をしても良いってことか?」
「ストップ。その前にアタシからも話がある」
「ふむ?俺達の提案への返事か?是非聞かせてもらおうじゃないか」
リッジさんは西園寺さんの言葉に声のトーンを上げて反応する。黒い頭部の輪郭が歪み、それが笑顔を作っているように見える。
「そう。アタシも協力する。ただし条件付きでね」
「条件ね....こっちで出来る事なら手は貸してやるよ」
「別に難しい事じゃない。ただアタシ達に万が一の事があったら、その時は結衣を助けるのを優先して。それだけ」
「何だそんなことか。言われなくてもそうするつもりだったが、弁えてるようで助かったよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。私はそんな」
「言ってあるだろ。そいつを助ける手伝いはするが、最悪の場合はお前の命を優先する」
「でも西園寺さんは!」
「確かに戦力としては使える。だがそれもお前の使う力ほどのモノとは言えないからな」
唐突な西園寺さんの提案と難色を示さず同意するリッジさんとの会話に割って入るが、リッジさんは当然の事だと不思議そうに返す。
「お前も紗姫もガードボットを倒した。それは認めるが、お前が単独で万全な状態の機体を倒したのに対して、紗姫はお前の助力があって漸くあの機体を倒した。重宝すべきなのがどちらかなんて明らかだろ」
「でも西園寺さんも」
「お互い目的ってモノがある。それを果たす為には一定の犠牲が伴うものだ。お互いの力をどれだけのものと踏んでるのかは知らないが、俺達だって万能じゃないってことは認識しといてくれないとな?」
「う....」
「....まあ、支払うべき対価ってのは努力次第で変わる事もある。要は最悪の事態を避けたら良いんだよ。どうしても紗姫が大事だって言うなら、それくらいの努力をする覚悟はしておくことだな」
「そ、そうだよ結衣。あんまり心配することないって。アタシだって全く戦えない訳じゃないんだから。ほら、さっきも見たでしょ?」
「....はい」
「大丈夫だよ。こいつが大袈裟に言ってるだけだって」
「....さて、暗い話はここらにして作戦会議と行こうか。まずはこのワケの分からない研究所からの脱獄計画を立てるとしようじゃないか」
リッジさんが手を叩くと、膝に掛かったシーツの下からテーブルのような長方形の物質が浮き上がってくる。
「うわっ」
「な、何これ」
驚愕の声に西園寺さんの方を向けば、彼女とリッジさんの前にも同様の物が現れているようで、驚きの声を挙げる西園寺さんと踊るような手付きでその上を弄り回すリッジさんの姿があった。
「へへ、なかなか面白いもんだろ?お前達が休んでいるうちに幾らか情報を集めていおいた。そいつを整理しながら相談していくとしようじゃないか」
「これ何なの。急に地面から」
「企業秘密だ。まあ気にする必要はない。お前達に害はないからな」
正体を探るようにそれを凝視していた西園寺さんの顔が薄明かりで白く照らされ、その光が目を刺したのか表情がくにゃりとしかむ。
私の前に浮かぶそれに目を向ければ、研究所の情報が記された資料がディスプレイに映されたように淡い光を放っていた。
「この世界から脱出するにも、ここを出ないことには何も始まらない。だが調べて回った結果分かった事と言えば、この研究所からの脱出に近道なんて物は存在しないって事だ」
「近道が無い....ですか?」
「近道も何も最初から普通に出るしかないんじゃないの?」
「ふむ。まあそうだが....いや、人間の考えならそうなるか」
「どういうこと?」
「お前達は見た目こそ人間だが、その中身は俺達に近く改造されているらしい。その桁外れな力も改造の恩恵だな」
「か、改造?私達は人裂症の治療を受けただけで」
「そっちの世界じゃそのジンレツショウってのは病気の類なんだろ?改造なんていかにも怪しい言い草よりも、治療の方がそれらしくて聞こえも良い。体の良いカモフラージュってなやつだろうさ」
肩をすくめるような動きをしてリッジさんは黒い輪郭を歪ませる。
「その力があれば内側から壁をぶち破ってでも脱出は出来ると思っていたが、この研究棟には外の脅威から設備を守るために特殊な結界が壁の中に埋め込まれているらしくてな。それがある限り殴ろうが爆破しようが穴を空けることは出来ないってことだ」
「....ならどう脱出するって言うのよ。こんな真っ暗な場所をさがして結界の綻びでも探せってこと?」
「それもありだろうが、まあ連中の残した情報には正面玄関口の結界にはスイッチ機能があるって話で、それを使えば脱出可能らしいって話だ」
「それが、作戦なんですか?」
「作戦って言うか、ただ丁寧に玄関から出て行くだけみたいだけど?」
「ご名答。だが問題はここの研究棟の電気が落ちている事と、脱出口の一階までの階層はあのガードボットが練り歩く地獄って事だ」
「電気が落ちてるって。それくらいなら携帯のライトがあるし、あのロボットと戦った時にもそこまで苦労した感じは無かったけど」
「それがなんと、ここの出入口はご丁寧に自動ドアと来た。停電状態じゃ扉は開かず。試してみたが壊すこともこじ開けることも出来なかった。結界を消す術もそこにあるようだし、一先ずはこの停電状態を復旧させなきゃならない」
「確か、他の階の扉が開かない事も電力の不足が理由でしたからリッジさんの考えは正しいかと....それに私では見付けられなかった情報を探し出せるのは流石です」
「それはまあ、腐ってもここの管理者の看板は背負ってるんだ。俺達の力があればちょっとした隠し物くらいは掘り出せるさ」
「で、それでアタシ達のするべき事は決まってるって事で良いわけ?」
「そう。お前達にはこの階より下にあるメインサーバールームに向かって研究棟の電力を復旧させて欲しい」
「電力を復旧ですか」
「それ、あんた一人でも出来るんじゃない?」
「そうだったらとっくにやってるんだが、あの階のセキュリティはイレギュラー要素は徹底して通さないつもりらしくてな。正規の手続きを踏まなければ扉を開ける事も出来ないんだ。俺達も壁を抜けて侵入しようとしたが、結果は中に入る前に弾き出されただけだ」
「....それってアタシ達も危ないんじゃ」
「そこでこいつの出番だ」
目を向けていた長方形の物質から小さなカードが浮かび上がる。
「ここの研究員のセキュリティカードだ。中身はお前達の情報で作ってあるから万が一の事があっても身分違いで殺される事はないし、そいつで目的の階層に侵入する手続きも踏める筈だ。危険地帯に放り込む事になって悪いが、俺達も通信で支援させてもらう。実働隊として気張ってくれよ」
「ええと、これを使って何をすれば良いんでしょうか」
「ああ、先ず俺達の力で案内出来る限界までお前達を運んで行く。そこからはお前達に仕事を任せて俺達はオペレーター役に交代。下階にあるメインサーバールームに到達したら、そのシステムに俺達が触れられるようにしてくれれば良い。結衣は知っていると思うが、この場所に来た時みたくそいつに触れてくれたら、後は俺達が弄って電力システムを復旧させる」
「そうしたら作戦は完了と言うことで良いんでしょうか」
「ああ、後は電力の復旧した明るい研究棟で物漁りでも、イカした科学技術見学でもしながら外での活動の準備を進めておくと良い。俺達はこの青臭い籠から出たくてウズウズしてるんだ。脱出を手伝ってくれる唯一の協力者の自由は尊重させてもらう」
想像していたよりずっと単純な作戦に思わず聞き返すが、リッジさんはその通りだと答えるだけだった。
「随分と腰が低いわね」
「まあな。ここでお前達二人を逃したら二度とチャンスは無いかも知れない。こっちが譲って円滑に話が進むなら、お互いそれに越した事は無いだろ?」
「そうね」
「だろ?ならこれからも仲良くしようぜ」
ククク、と笑ったリッジさんは再び目の前の物質を操作し始める。
「さて、お次はお前達が手に入れたとんでもない力について話すとしようか。それについては調べがついてる。さっきも言ったが、今のお前達は俺達の次元の物質に身体を喰われるところをそいつに適応出来るように身体を改造することで延命治療をされている状態だ。俺達から言えばまともな人間に戻る手段のない杜撰も杜撰な一方通行の治療だが、対価にお前たちが手にした恩恵ってのがその力だ」
●
「さて、まずは結衣の使っていた力か。探した限りの情報では『魔術』って力を道具の補助を使って発動するものらしいな。その、何だったか....」
「マギアコア....ですか?」
「そう。そのマギアコアだ。何でも魔術に必要な術式とか言う奴を石に刻んで誰でも使えるようにした画期的な道具らしい」
「じゃあアタシにも使えるってこと!?」
「使ってみなきゃ分からないが、出来るんじゃないか?「誰でも」なんて大層な謳い文句付きだ。結衣と同じ力を持っているお前が使えないんじゃ詐欺も良いところだろ」
「よっし!」
拳を握り締めてガッツポーズをする西園寺さん。大袈裟にも感じる動きからひしひしと伝わる喜びが微笑ましく、くすりと零れた笑いに慌てて口を押さえる。
「で、そのマギアコアについて調べたところ、発動にはスイッチになる『術式』とリソースになる『魔力』が必要らしく、魔力を持っているのは本来先天的に魔術の才能を持つ『魔術師』だけらしい。だがお前達はただの人間なんだろ?」
「はい。両親ともそんな怪しい話はしたこともありません」
「アタシも同じ。そんな変な力なんてあったら父さんが何て言うか....」
「なら改造されたエネルギーの変換ってのはそれの事だな」
「パームミスリルの作るエネルギーを魔力に変える力の事でしょうか」
「そうだ。それがマギアコアのリソースになる魔力に変換されるようだが、連中の調べでは結衣はその能力が高いようだ」
「ええと?」
ヘラヘラと笑っていたリッジさんの声が真剣みを帯び、言葉に重みが含まれる。
作戦計画が映されていた画面が変化し、RMCの治療プログラムについて記された幾つかの資料が現れる。
「パームミスリルを飼っていた影響なんだろうな。元々お前の身体はより俺達の身体に近い物に変わっていた。それが連中の改造でパームミスリルのエネルギーを素にして魔力を生成出来るように手を加えられている」
「....」
「お前と紗姫とでは発症からの期間が違う。それはお前の方が長いらしいな」
「....はい。一ヶ月前に発症してから今日まで」
「ふむ....魔術師の事については詳しく分からないが、連中の記録によればお前の身体は改造で変化していた箇所の大部分が魔術師に近い物になっている。マギアコアの力をあそこまで使いこなせたのもそのせいかね」
「そ、そんな....」
「おっと、気の毒に思わない方が良いぜ。生き残るためにあれだけの力が扱えるのは間違いなくお前の強みだ。マギアコアはお前の強力な武器になる。迷わず使って戦え」
「使えって....簡単に言うけど結衣はあれで何度も」
「使い過ぎは毒だろうが、だからって魔術なしであのガードボットに勝てるってのか?」
「う....」
「俺達も出来る限りのことは調べて伝える。不安なことは多いだろうが敵が敵だ。気後れすれば間違いなく死ぬ。何とか上手く使って生き延びてくれ」
苦々しい声でそう言い切ったリッジさんは開かれていた改造記録の画面を閉じて息を吐く。
「さて、次は紗姫の力だ」
「力って、あの力の事よね」
「ああ、人間離れした馬鹿力の事だ」
再び画面が切り替わり、そこには先日の上星野台で目にしたスライドに似た人体図の画像が現れる。
「あれは俺達が持つ力で『特異点』と言う。まあ名前が無いと不便だから適当に付けただけだが」
「特異点。ですか」
「はい画面注目。これは話すより見た方が早い」
私達が図に目を落としたのを確認してリッジさんが説明を始めると、画面にペンで描かれた線が引かれていく。
「生物が持つ力には限界がある。どんなに一芸に秀でた超人でも、その分野のプロフェッショナルには勝てない。例えば短距離走のアスリートとチーターとかな」
「まあそうね。それが?」
「その限界を壊す事を可能にするのがこの特異点だ。生物の身体が持つ力の限界点を上書きし、それを遥かに上回る限界点を作り出す」
描かれた図にアルファベットが書き込まれ、その上を黒い線が行き来する。
「通常の人間の力の範囲をAとして、そこに特異点の力を加える事で一時的に限界を越えたBの力を作り出す。要は美味い食事に美味い調味料掛けてさらに美味くするって事らしい。分かるか?」
「な、なんとなくは?」
「バッチリ分かった!」
「なら良かった。なんせ連中のメモの受け売りだ。『美味い』ってのが俺達には何の事だか分からないからな」
シリアスな雰囲気には似合わない的を外れた表現にぽかんとしてしまうが、隣の西園寺さんは元気よく反応を返している。
「まあ分かってはいるだろうが、何が出来るかについても一応説明しておくぜ。ガードボットとの戦いで紗姫が使った技は殆どが特異点による身体強化の賜物だ。扱いまで理解してるとは恐れ入ったが、流石は天才肌ってやつか?」
「あれは結衣のアドバイスがあったから。最初はずっと手探りだったし」
「ふむ....そうだ。結衣の身体は改造の影響で魔術師に近く変化したと言ったが、逆に紗姫はパームミスリルの影響に晒された時間が短かったからだろう。改造を受けても魔術師として力を得る事はなく、代わりにこっち側の特異点を扱う力に長けているらしい」
画面が白く切り替わり、奇妙な図形から日本語へと変換された文字が綴られていく。
「特異点ってのは身体の限界突破を可能にする強化技だ。扱う為にはパームミスリルが産み出す力を消費し、力を消費するほど強化出来る限界は引き上げられる」
「なるほどね」
「と、ここまで分けて説明した訳だが、お前達は同じ改造を受ている。二人とも特異点の力は使えているし、マギアコアも連中のPR通りなら紗姫にも使える道具の筈だが、結衣はマギアコア。紗姫は特異点。お互いが有利な力を理解して使え。ただし、使い過ぎは息切れを起こす原因になる事は忘れるなよ。またぶっ倒れるなんて勘弁だろ?」
「分かった」
「はい」
「それともう一つ。これも連中の資料から見付けた物だが、少し前にあのガードボットの最新型の試作機体がここに納品されたらしい。配備されたとの情報は何処にもなかったが、だからと言ってそいつが未だに倉庫に眠っている確証もない。充分に警戒しておけ」
「分かった。じゃあ早速出発しようよ」
「オーケー。散々追いかけ回されて顔も見たくないだろうが、ガードボットも作ったのは同じ人間。システムのイカれたポンコツに造物主の威厳とロボットの三原則を思い出させてやろうぜ」
紗姫さんの提案に答えたリッジさんがカーテンを開き、病室の壁にブラックホールのような渦を巻くエネルギーの空間を作り出す。
ベッドから立ち上がり、空間の前に並ぶ。
「頼んだぜ」
「そっちも作戦の指示は忘れないでよね」
「行ってきます。リッジさん」
調子を取り戻した呑気な声で送り出すリッジさんに別れを告げ、その中へと足を踏み入れる。