荒津市北西。上星野台から離れた山際に位置する
「....」
「ちょっとリッジ....聞いてる?」
眼前にある明らかに不審な状況に、スマートフォンを握る西園寺さんの声はしかめられた顔につられるように僅かに震えている。
「なんだ。いかにも穏やかじゃなさそうな声だが、何か問題でもあったのか」
「ねえリッジ....何でここにまだ植物が残ってるわけ」
「何を言ってるんだ。南部地区ならまだしも、北部にお前達以外に保護された研究者みたいな連中を除いて生物なんて残っているわけが」
「あるのよ。馬鹿みたいにそこら中に木が生えてるの。街路樹も、自然の木も。写真で見たままに」
「....写真は送れるか。そっちの状況を知りたい」
「ちょっと待ってて」
住宅地に向けて構えた西園寺さんのスマートフォンが音を鳴らす。画面を操作してすぐにリッジさんからの反応が帰ってきた。驚きと羞恥に歪んだその声は、それから一切の余裕を削ぎ取ったようだ。
「チッ....何だよこれは。連中め、俺達が居ない間に何をしてやがったんだ」
「連中って、あんたがやったんじゃないわけ?」
「北部の現状は一切の命が枯れているはずだ。それにここを作った時に使った環境は秋の真っ只中。何がどうなったらそんな季節に青葉が繁った木が生え揃うってんだ」
「そ、それじゃあここは」
「連中の実験場か、或いはそれ以外の何かが絡んでる....馬鹿にしやがって」
苛立たしそうな声に不安が膨れ上がる。この場の誰一人として目の前の状況を説明することが出来ない。それどころか世界を作り出したリッジさんさえも異様な状況に混乱しているのだ。
「結衣、紗姫。どっちでも構わない。その辺りの写真を撮って俺達に送ってくれ。他人様の世界を荒らし回る不貞野郎の証拠を探し出してやる」
へらへらした普段から一変して分かりやすく不機嫌な態度でぶつぶつと何事かを画面の向こうで呟くリッジさん。煮え立ち吹き零れる湯のように溢れるそれには、私達がこの世界にやって来るより以前から研究施設に閉じ込められていた事への不満が滲んでいるのだろう。
「まずどこから探索しようか。別々に....と言いたいところだけど、いくら荒津市でもアタシ達には勝手の分からない土地。大胆な行動は情報が集まってからにしないと」
「はい。リッジさんの判断も仰げませんし、ここではぐれてしまったら今度こそ合流出来なくなるかもしれません。慎重に行きましょう」
作戦指示に回っているリッジさんが混乱と怒りに判断力を削がれている以上、この場での行動は私達の判断が要であり、生死を左右する。想定外の事態に混乱したままの判断では最悪の問題を引き起こしかねない。
「やっぱり真っ先に見るべきなのは植物かな。本来はここにはあるはずが無いんだから」
「そうですね。ですが、準備もなく近付くのは危険にも感じます」
「うん。何か対策になりそうなものを探して、それがなかったらアタシが試してみる」
「いえ、それなら私が」
「結衣は魔術が使えるでしょ?ならそれでアタシを助けてくれた方が良いよ。それにアタシは特異点で逃げられるし心配無いって」
気を取り直して周囲の状況を確認すれば、景色は一見して高級感のある住宅地と変わりはなく、本来であれば何気ない日常の一コマとしてその少し特別な世界に感心しながら流し見る程度の物だ。
「珍しい車が置いてある。壊れてはいないみたいだけど、ずっと放置されていたからかな」
「私達が産まれるよりも前の時代の物ですね。二十五年前の車でしょうか」
「庭にも植物はびっしり生えている。これの写真をリッジに送ったら良いんだよね」
「そうだと思います。この場所の状況が分かる写真があれば良いそうなので」
「分かった。じゃあまずこの庭の写真を一枚」
「....家の中にも何かあるでしょうか」
「うーん。残っている物もあるとは思うけど、使えるかと言えばそうじゃないよね。二十年もそのままの道具だったら、使っていなくても劣化していそう」
家の窓に目をやれば、ブラインドに遮られた暗い壁が中へと誘うように僅かに覗く。好奇心を圧し殺して問いか掛けた提案に、彼女は濁った返事で返す。
「それなら、家の探索は後回しにしますか?」
「うん。リッジに見せる写真も撮らないとだし、道具集めならその後でも出来るよ」
「分かりました。でしたら他の家の庭を探しましょうか」
●
「さてと、この一帯の探索は終わりかな....じゃあいよいよあれの探索を」
「....」
「止めとく?」
私達から少し離れた場所で禍々しい気を放つ巨木。緑地に佇むそれは荘厳に、しかし刺々しく枝を伸ばし、注意深く観察してみれば私のよく知る樹木とは大きく異なって見える。
滑らかさの無い異質な姿を誤魔化すように、
霧のように浅い紫の光が落ちる神秘と怪奇の入り交じったなそれは、警戒して注視するほどに幻想的で、妖しく引き込まれる冷ややかな魅力を滲ませている。
「行ってみませんか?ここで一番気になるのはあの木ですから。そうすればリッジさんに状況の解析をしてもらえるはずです」
「うーん....分かった....結衣って案外勇気あるよね」
「脱出の為に必要な事ですから。それに、考え過ぎて新しい問題を抱えてもいけません」
「確かに。じゃあ探索開始だね。慎重かつ迅速に行こう」
木に近付くほど、その姿は大きく広がり、視界の外に消えた鋭い枝の奇妙なシルエットが確信の無い恐怖を植え付けていく。
「物凄いプレッシャーだよ。警告か何かなのかな。早く調査を終わらせないと」
冗談めかして苦笑する西園寺さんだが、その口元はぴくぴくと小刻みに震えて引き攣っている。
ガードボットやchevalierのような強敵の前で見せた獅子のような気迫は身を潜め、今の西園寺さんはその仮面を着けて自身を誤魔化しているように見える。
「西園寺さん。調査は私がするので、何かあったらフォローをお願いしても良いですか?」
「え?ど、どうして?アタシな大丈ーー」
「私には魔術があります。ですが、逆に言えば魔術しかありません。特異点の力は殆ど扱えていませんし、万が一の時に逃げ遅れる危険の方が大きいと思います。あれがただの木ではない事は西園寺さんも感じていると思います。ですから、いざとなったら私を抱えて逃げて下さい」
「でも、結衣に危険な事は」
「危険ではありません。私は西園寺さんを信じますから。必ず助けてくれると」
「っ!....分かった。でも深入りした調査は駄目だからね。写真を撮って、終わったら一時撤退。一旦リッジに判断を任せて、アタシ達は仕切り直し」
「はい。お願いします。西園寺さん」
西園寺さんの声色に活力が戻る。元気を取り戻してくれたようだ。
やはり彼女には力の溢れる明るい雰囲気がよく似合う。恥ずかしくてとても言えないが、私もそんな彼女の雰囲気に励まされて来た者の一人だ。酷な願いなのかもしれないが、私のためにも彼女には常に明るくいて欲しい。
「う。何か無駄にトゲトゲしてるし....怪我しないでね?結衣」
「はい。西園寺さんもお気をつけて」
西園寺さんの言葉に頷き、目前まで近付いて木肌に触れる。イバラのようにささくれたそれは艶のあるケヤキに似た指通りの良い感触をしており、その裏にも樹皮が隠れている。表面には薄く粘性の液体が浮き上がり、指同士をこ擦り合わせて見ればそれは油のように滑る。
厚く重ねられた無数の樹皮同士が成長を続ける事でここまでの巨大化を実現しており、押し上げられた外側の皮がめくれあがりささくれた樹皮の形を作っているようだ。
「やはりただ大きいだけの木ではないみたいです。樹皮の内側にさらに樹皮があって....それが重なってここまでの木になっているんでしょうか」
「聞いたこともない植物だ。リッジに分かるのかな。取り敢えず写真を送ってみようよ」
「そうですね。早速カメラを....これは」
スマートフォンを取り出そうと鞄に目を向けた時、近くに草の禿げた地面の盛り上がりに気付く。
「ちょっと結衣。何してるの?」
鞄を傍らに置き、その盛り上がりに手を掛けて掻き分け始めれば、西園寺さんの不思議そうな声がかかる。
「ここの土が盛り上がっているんです。何かあるかもしれません」
「何かあるって。それ下手に触ったら危ないんじゃない?」
「ですが、これが調査の鍵になるかもしれません。すぐに終わらせますから、少し待っていて下さい」
さらさらと渇いた土は指を滑らせ、周囲に植物が存在している場所とはとても思えない。
「....」
「何か....見付けた?」
「赤い水晶です。これは、マギアコアでしょうか」
顔を出したのは赤黒い球体。澱みながらもその奥には透明感がある。指先で触れてみれば、僅かに残った土の感触に混ざってするりと滑って行く。
脳内に流れるイメージは黒に塗りつぶされた空間に芽吹く炎。宿っている魔術は炎に関わる力だろうか。
埋め尽くす土を払い、それを取り出してポーチに仕舞い再び調査に戻る。
スマートフォンのカメラで木肌の写真を撮影し、確かめた情報を付け加えてリッジさんに送信する。続いて地上に露出した根や頭上に広がる葉について調べ始めれば、西園寺さんが疑問を口にする。
「葉は黒っぽいみたい。触った感じは普通の葉と変わらないかな」
おそるおそると言った様子で私の前に差し出されたそれを受け取ると、西園寺さんは憂慮するように短く呻くが、それ以上口を開くことは無い。
「葉もケヤキに似ているようですね。大きさにも違和感はありませんが、影の影響で黒く見えるわけでは無さそうですし....」
「これはまた気味の悪い木だな。油の浮いたケヤキってか?」
「リッジさん。何か分かりそうですか?」
怒りの矛を納めたのか、調子を取り戻したリッジさんの声が鞄の中から発される。
「その木についてはいまひとつだが、それが出来たのはここ数週間のどこかだ」
「数週間って、じゃあそんな短期間でここまで成長したって事なの?」
「そうなるな。随分と気安く触れ回ってくれたようだが、今に元通りにしてやる。覚悟しておけよ」
「他に何か分かりそうな事はありますか。今こちらで葉を調べているところですが、色が黒ずんでいる事には大きな変化は無いように見えます」
「ふむ....するとそれは異常成長したケヤキの木になるか?」
「決めつけてしまうには早いかもしれませんが、今の段階ではそう考えるのが正しいでしょうか」
「他に調べられそうな場所はあるか?近辺の情報は調べられたから、そのケヤキの調査が終わったらお前達の意見を交えて再計画をしようと思う。区切りが着いたら戻ってくれ」
「分かりました。最後に一つだけ。根を調べてからそちらに戻ります」
「了解。油断は無しで頼むぞ」
「まだ調べるの?アタシは充分だと思うけどなぁ」
「これで終わりますので」
「むぅ。何か結衣が怖い」
太く頑丈なそれは一部を地上に露出させており、その下には異様な数の根が張り巡らされていた。
それは黒茶けた血管のように広がり、そのグロテスクな外見に口を覆う。
「うっ....」
「結衣?」
「....終わりました。離れましょう」
「う、うん」
スマートフォンを鞄に仕舞い、立ち上がった所で新たな異変に気付く。木肌の一部がひび割れ、掌大の大きさに膨れ上がっている。
「木が....」
「え、何て?」
ぐぼん。と、槌を叩き付けられた土のような音と共に木肌が風船程の大きさに膨張する。内側から空気を流し込まれたかのように一瞬にして巨大化したそれは、嘘のように柔軟だった。
「障壁!」
明らかに奇妙な動きに鳴り響く警鐘。突き動かされるままに術式を述べれば、銃器のような破裂音と共に黄金の欠片が飛翔し展開された光の壁の中ごろで突き刺さるようにして停止する。
「ほ、宝石?」
「結衣!」
西園寺さんの絶叫が聞こえたかと思えば、鉤爪のような力で腕を握られる。
「逃げるよ!これ以上は絶対にダメ!」
「西園寺さん!?一体なにが」
「黙って走って!」
吹き飛ばんばかりの引力に特異点の力で対応するが、西園寺さんの使う特異点は私のそれより遥かに強い。一切の加減のない全力の走りは彼女の混乱を映し出している。千切れそうになる手に痛みを堪えながら走り、住宅地から遠く離れた場所で足を止め、荒い息で足を止めた彼女に解放される。
「ハァ....ハァ....」
「西園寺さん....突然どうしたんですか」
息を切らす西園寺さんに問い掛けると、彼女は頬を殴られたかのような速度で振り向き、ばっちりと開いた目で私を見つめる。
「結衣....怪我....ない」
「え....怪我」
「見えなかったの?あの化け物」
「化け物?」
「虫。木が爆発してその中から出てきたんだ。何かの幼虫みたいな....ギラギラした顎の虫」
「む、虫ですか」
「食べられるところだったんだ....魔術の壁も壊されてた
。よく見えなかったけど、あの虫、確実に結衣を狙ってたよ」
彼女が何を見たのか私には分からないが、それは混乱からか疲労からか、顔には汗が浮かんでいる。
「西園寺さん。村葉区からは離れました。あの木も、住宅地ももうありません。何を見たのかは分かりませんが、何かあったのなら私にも教えて下さい。ま、まずは深呼吸です。出来ますか?」
「うん。そうだね」
「良かったです。では」
目を伏せて深く息を繰り返す事数回。最後に大きく息を吐いて静かになった彼女は、青みの抜けない顔で私を見る。
「木が破裂した....のは結衣が一番よく分かってるよね。間近で防いだんだし」
「はい」
「それで....結衣は気付かなかっただろうけど、あの時、木の中から虫が、幼虫みたいな虫が出てきたんだ」
「虫....それが、魔物」
「多分。ギラギラした長い顎があって、それがこうガバッと開いて....」
大袈裟に腕を開く真似をして見せ、彼女は飛び付くように私に詰め寄る。
「鋸みたいな刃が並んでて、噛み付かれたらまずいって咄嗟に逃げたんだ。怪我はなかった?」
「はい。私は大丈夫です」
「そうだ。リッジに連絡しないと!」
「....そうですね」
西園寺さんの提案に答え、リッジさんへ連絡をする。
「リッジさん。あの木ですが、中に魔物が潜んでいました。ええと、幼虫の姿をしていたみたいで、顎は大きくて、ギラギラしていたそうです」
「魔物だ?と言うか何でそんな曖昧なんだ?」
「私は身を守る事で精一杯で、西園寺さんから聞いた話なので」
「ふむ?なら本人に聞いた方が良さそうだが....紗姫。説明を頼めるか」
「それは戻ってからで良い?流石にここだと危険な気がする」
「分かった。情報の報告はそれだけか?なら俺達は暫く黙っていることにさせてもらうぞ」
「はい。お願いします」
「....お前達。案外豪胆だよな」
「そうでしょうか」
「現に魔物に襲われたってのに、結衣は状況の整理が付いているようだし、紗姫ももう少し慌てていても良いところだってのに、それがもうまともな判断が出来るまで回復している」
「うーん。アタシ一人じゃないから心細くないってのもあると思う。結衣がいなかったらあの木のプレッシャーに逃げ出してたし」
「何にせよ今は現地の情報が欲しい。安全にだけ気を付けて帰ってこい」
「ありがとうございます。リッジさん」
「心配するな。俺達はお前達の協力者だ。手を惜しむつもりはない」
ひひ、とすました笑い声を溢し、それは通信を切る。
「じゃあ帰ろうか....にしても焦ったなぁ。あんな大きな虫が木の中から出てくるなんて」
「あんなに....因みにどれくらいの大きさだったんですか?」
「確か、結衣の胴体くらいはあったかな。ああ、考えたら気持ち悪くなってきた。早く帰ろうよ」
「....そうですね。聞かない方が良かったかもしれません」
B級映画の怪物だろうか。無用に大きく、気のままに人を食い散らかす。そんな虫を想像し、不快感にかぶりをふる。
叶うものなら
●
「よう。戻ったか。無事でなによりだ」
「危うく死にかけたけどなんとかね」
「写真から得られる情報に限りはあったが、分かったのはあの場にあった植物はRMCの連中が育てたものでは無いって事だ。施設から見つけたデータにその特徴を持つ植物の記録はなかった。だが、パームミスリルの影響を受けて枯死しないところを見れば、あの木もお前達と同じようにパームミスリルの力を得ている可能性がある」
「パームミスリルの力を?」
「お前達のようにパームミスリルが作り出すエネルギーを変化させる性質を持った木だったか、或いはパームミスリルの力を持つ何かによって作られた物かのどちらかだ。他の植物の事も考えれば後者の可能性が高いだろうが、RMCの仕業と考えるのは焦りすぎたようだ」
悪態のように吐き捨てるリッジさん。あの植物の被害がRMCの仕業だとしたら、それにとって何か得なことでもあるのだろうか。
村葉区の異変の正体について一先ずの考えが纏まり安堵すると同時に、新たな問題が浮上する。
パームミスリルを持つ者の力によって作られた。この世に存在する生命は、パームミスリルに巣食われれば瞬く間に命を奪われる。
しかし、それが同じパームミスリルの性質を持って生まれたのだとすれば、力に振り回されて死に絶える事もなく寧ろ私達の特異点のように桁外れの力を持つ可能性もある。
何より、この世界にはその植物を作り出した主が居ると言うのだ。リッジさんの仮説が正しいのなら、それはただ自身の力を引き上げて戦う事が精一杯の私と西園寺さん以上に比べて非常に強い力を有して居るのだろう。
村葉区のあの禍々しい光景を産み出した存在だ。隠している力は未知数であれ、今分かっている事実だけでも極めて危険度の高い物だと言える。
「待ってください。だとすると、私達の他にもパームミスリルの力を使える敵がこの世界に居る事になりませんか?」
この世界の命はパームミスリルによって滅ぼされている。ならば、その主が原生の生物であるとは考えにくく、相手はパームミスリルの侵食から守られた研究施設にいた研究員の中に居るとするのが普通だろう。
「....そうだ。だがそうだとしたら俺達が見てきた研究員の中に他の脱走者が....いや、そんな筈は」
「見逃したりしたんじゃないの?ほら、寝ずの番なんていくらあんたでも無理じゃない?」
「そうだとしてもあれだけの施設を無策で、しかも一度の挑戦だけで脱出出来るものか?下調べに準備に時間は要する筈だ。その間で俺達の目にも一度は止まるものじゃないのか?」
爪先で顔を掻きながら何かを思案するリッジさん。私の考えと意見は一致しているようだが、それには何か引っ掛かるところがあるのか、捨てられた施設内の地図を
「....一先ず自然公園攻略に向けて道中探索の計画を立てよう」
「ならあの虫を倒す方法も考えないとだよね。正体を知らないと」
「....お前達に聞いただけでは何とも答えられない。今もRMCの記録から探しているが、それらしい魔物は見つからない。新種か、或いは連中の目を逃れていたかのどちらかだ」
「攻略法は分からない、と言うことですよね」
「残念だがそうなるな。その魔物がどんなだか知らないが、外見が幼虫だと言うなら動きは速くない筈だ。戦うより今回みたく逃げる方が得策だろうな」
「でも、アタシ達には特異点がある。何か対抗できる武器があれば....放っておいたら不意を突いて襲われる可能性もあるでしょ?」
「ふむ....一理ある。ならこうしよう。お前達もこの世界での心構えを身に付けると良い」
「心構えですか」
「脱出のためにも、ここからは魔物との戦いを避けることは出来ない。それに少しでも慣れておいた方が良いだろう」
「戦いに慣れるって、経験値集めみたいじゃん」
「平たく言えばそうだが、お前達の場合は精神面の話だ」
「は?精神って?」
「トレーニングは一日で身体を強化出来るものじゃないし、そもそもお前達には特異点の力がある。限界なんてどうにでも操ることが出来るわけだ。俺達が言うのはその操り方の事だ」
「特異点の操り方。ただイメージするだけじゃないの?」
「基本はそうだが、そのイメージを操る技を磨けばより高い力を発揮出来るようになる」
「へえ、なかなか奥が深そう。で、その技を磨く方法ってのは?」
「自身の求める事に対してどれだけ一心になれるかだ」
「....どう言うこと?」
「今回の場合、どれだけ対する敵を殺す事に本気になれるかと言うことだ。人間は平和的な生き方を好み、特にお前達のような日本に暮らす者は多くに守られている。すると、物事の解決に暴力的な手段を選ぶことを躊躇う。そうだろう?」
「そうだね。アタシも他人を傷付けてまで意見を通そうとは思わないよ」
「だが、魔物を相手にその平和的な解決は望めない。そこでお前達には戦いの中で必要な心構を実践的に学んでもらおうと言った話だ」
「た、戦うだけで心が成長するものなんですか?」
「何を成長とするのかによるな。他者を害する事を躊躇わない『悪性』か、或いはお前達を人間たらしめる『人間性』か。そのどちらが高まることがお前達の成長なのか。それによって殺しや戦いは心の毒にも薬にもなる」
「つまりどういう事なの?」
「お前達には戦いを通して『悪意』を高めてもらう。戦いを知り、その意味を知れば、お前達は戦いに恐れを抱かず、より確実に敵を仕留める力を手に出来る。もっとも、誰かを傷付ける事に迷わなくなれば、その分人間としての質を捨てる事になるがな」
人間としての質を捨てる。言い方は回りくどいが、それは私達が人間でなくなると言うことなのだろうか。
「凄く危険な話に聞こえますが」
「勿論。度を越せば本能のままに動く機械然とした廃人になる」
「....」
「そうならない為に、人間には便利なリミッターが備わっているわけだ。それさえ壊さない限り、お前達がおかしくなることはない」
「よく分かんないけど、魔物と戦う為にはあんたの言う『悪意』が高くないといけないって事よね」
「そうだ。対する敵への情けを抱かず、ただ倒すことに集中する。もっとも、それはお前達の身を守る事だけに限ったものだがな」
「兎に角やってみないと何も始まらないんだし、強くなる方法なら試してみるよ。アタシも結衣に負けてられないしね」
「よし。なら早速行動開始と行こう。俺達はお前達が掃討した地区を回って資材と情報を集める。RMCの連中が残した情報も見つかるかもしれないからな」
「分かった....あんたも戦いには出ないの?」
「悪いが俺達は後方支援向きでな。真っ向からの戦いはお前達二人に勝てるかも怪しい。悔しいがお前達に頼るしかない」
「良いけど、その代わりあんたはあんたの仕事をしっかりこなしてよね」
「当然だ。適材適所と言う言葉があるだろう。それくらいは果たすさ」
●
拠点のビルを離れ、研究施設方面へ向かって進んでいくと、足音だけが響いていた街に聞き慣れた駆動音と唸り声が混じり始める。
「聞こえてきた。この辺りにリッジの言ってた魔物達が居るんだよね」
「はい。慎重に行きましょう」
「chevalierの時と同じように、アタシが前に出て敵を叩く。結衣は魔術でサポートをお願い」
ビル群を抜け、陰から顔を覗かせて敵の姿を見る。数は三体。ほっそりと痩せた身体で路上を飛び回る小さな魔物と二体と、それを相手取り地を駆けるロボット一機だ。
「戦いが終わるのを待つべきでしょうか」
「そうだね。安全な場所まで移動して決着を待つ。その後に残った敵を倒そう」
「分かりました。見つからないよう静かに動きましょう」
通りを見回し身を隠せそうな障害物を探すが、周囲の景色は荒津市そのもののようで崩壊や戦闘の痕跡はなく、ビルから伸びたパームミスリルの小さな結晶片が行く手を阻むように並んでいるくらいだ。
「ったく、何でこんなキレイなままかなぁ。普通はコンテナとか瓦礫とかが散乱してて、その隙間を隠れながらコソコソと移動するもんでしょ....まあいいや、アタシが様子を見ながら進む。結衣は後から付いてきて」
「だ、大丈夫なんでしょうか」
「任せといて。特異点の力があれば朝飯前だよ」
ビルから飛び出した西園寺さんは目にも止まらない速さでガードレールの裏に張り付き、ほんの一瞬で魔物とガードボットを見やり、私に手招きをする。
その早業に感心しながら、私も特異点の力で足を速めてガードレールの裏に飛び込む。
「距離は七十メートルくらいでしょうか。次は何処に向かいますか?」
「あの花壇へ隠れて、それから近くのビルの中に入って動きを見よう」
「もう少し近付けると良いですが、ガードボットが居るとなるとリスクは大きいですね」
ガードボットの索敵能力は研究施設内で実感している。消灯された暗闇の中で私達を認識し、動きは届かずともその視線は私と西園寺さんを確実に捉えていた。
遠巻きに見た姿は、研究施設で対した機体に比べて小型で、体躯は魔物と同程度だ。サーカスのパフォーマンスのように跳ね回る二体の魔物を相手にその攻撃を捌き切るのは重い装甲を取り払った恩恵だろう。
花壇の下へ移動した西園寺さんが再び敵の様子を眺め、手招きをする。急ぎ足で花壇に隠れ、敵の姿を見れば両者は変わらない様子で戦いを続けている。
エネルギーの続く限り動きに制限のないガードボットの脅威は勿論。その護りに休みなく攻撃を打ち込む魔物にも感心する。
「どっちも疲れ知らずの化け物って感じ。ガードボットが勝ってくれた方が話は楽だけど....アタシ達の為になるかって言えば違うよね」
「戦いを経験して心構えを学ぶ。ぼんやりとした内容でしたが....」
「ゲームの経験値とも違うんだろうね。何か複雑な問題そう」
煮え切らない。そう呟いた彼女の声を上書きするように唸るような風切り音が頭上を掠め、爆発音と舞い上がる砂塵が感覚を奪う。
「っ!何!?」
砂塵から身を護る内、ごそり。と軽い物の落ちる音が薄れていく耳鳴りに混じって聞こえた。
「....声?」
「結衣。離れなーー」
「ギルルル....」
擦れ合う枯れ葉のような声。明らかな違和感に薄く目を開けば、枝のように長細い物が視界に映る。細めた視線の内、無用な好奇心に押され特異点の力で視力を高め、踊る砂塵の先にあるそれに息を飲む。
枝のように細く皺の寄ったそれは保湿性には優れないのか、生半に水気を含むばかりの剥ぎ取られたばかりの生皮を思わせる。
「ギャアア!ギャアア!」
「づっ!クソッ。結衣!」
靴音が鳴り、重い打撃音が続く。
「嘘でしょ。なんでこんなに硬いの!?」
西園寺さんの驚愕が悲鳴となって響く。咄嗟の攻撃が届かないのは彼女の焦りか。それとは別の理由か。
どちらにしても、それが私にとって危機的な状況にあることに変わりはない。
「魔....弾!」
僅かに見えた枯れ枝のようなそれを基準に、叫び声に向けて弾丸を放つ。空気を呑み込んで産まれ、赤く輝いた星が瞬く間に飛翔し、頬に散る生暖かく粘る感触と共にぐしゃりと濁った炸裂音を放つ。
「ギグッ!?」
背に触れる角の立った花壇の温度。真後ろへの回避は望めないと悟り、代わりに地を押して横へと転がる。
「西園寺さん!」
「ナイスアシスト!」
砂塵から解放され、呼吸と視界が回復する。再び指を砂塵に向けて伸ばす。
砂煙を掻き分けて飛び出す西園寺さん。その後方に浮かび上がった影に指先を合わせ、再び力を集める。
「ギギィ!」
「させません!」
黒い弾丸が煙を貫き、影を覆う砂を赤く染める。
魔弾に速度を殺された影が落下し、生まれた隙に西園寺さんは鉄筋を構える。
「ィギアア!!」
「ッヤアア!!」
濁り掠れた不快な唸りを西園寺さんの叫びが上塗りし、砂塵を裂いて最後に現れたそれに向けて鉄筋が叩き込まれる。
枝のようにげっそりとした腕が地に埋め込まれ、苦痛呻き声を漏らすそれが倒れ伏す。骨に皮を張り付けただけの肉体は腕に留まらず、その全身は哀れにすら思えるほど醜く痩せ細っていた。
「うっ。気持ち悪」
「西園寺さん!動きます!」
「は?」
ぴくりと痙攣した腕が力任せに振り上げられ、鉄筋諸とも西園寺さんの腕が天に向けて押し出される。
「いっ!?」
「ギアアア!!」
「障壁ッ!」
丸く禿げ上がった特徴の無い顔面。裂けた大口が激しく存在を主張し、荒々しく開かれたそれに視線が吸い込まれる。ギザギザと波打つような鋭利な歯が顔を覗かせ、声を出す間も無く障壁の目前まで迫る。
精巧なシルエットの浮き上がった体躯は、骨と筋肉に皮を貼り付けだけの醜くも哀れみをも感じる成り
魔物。おぞましい姿で私達を圧倒するそれは、名前通り悪魔や怪物と言った類いの物なのだろう。
ずっしりとした衝撃が壁を支える腕にのし掛かる。骨張った身体からは想像のつかない重圧に体勢が揺らぐ。
「ぅぐ!?」
圧されるまま転倒するわけにはいかない。残された力で腕を強引に引き下ろせば、楕円の壁に軌道を逸らされた魔物は後方へと飛び頭部から歩道に突っ込む。
「結衣!」
「大丈夫です。西園寺さんは!?」
「肩が外れた。っつつ、特異点ケチるんじゃなかった」
垂れ下がった右腕を戻し、鉄筋を拾い上げた西園寺さんが魔物を振り向く。
「ゴブリンってやつ?いや、もっと気持ち悪いなあれは」
「餓鬼に似ているように見えますが....鬼の魔物でしょうか」
「なら力自慢ってやつ?身体はガリガリの癖にパワーは出鱈目だったし」
「力任せな攻撃が多いのかもしれません。一度の攻撃に全力で行動するからこそ見極めやすく、その代わりに反撃を受ければ特異点でも防ぎ切れないダメージを受ける。と言ったところでしょうか」
「ならこっちから攻撃を返すようにした方が良いかもしれないね。あいつの攻撃を避けてからなら、アタシ達が一方的に攻撃出来る。無理に攻勢に出るよりも確実だよ」
「はい。そうしましょう」
「ギルルル」
「さあ、行こうか結衣」
ふらつきながら起き上がった魔物が嚙み合わせた歯を鳴らす。危うさを感じる不安定な動きは、想像の付かない不規則な攻撃を繰り出される危険もある。
四肢の全てを縫い針を追うように睨み、その動きを窺う。