「我慢比べはアタシの勝ちだね。さ、大人しく往生しな....って、結衣?」
肩落としに着崩したベージュのスクールカーディガン、頭の後ろで結んだ葡萄酒のような赤い髪、疑念に上ずった声の主は振り返った私を見てそう言った。
「西園寺....さん?」
「え、何で結衣が....。どうしたの?」
彼女の名は西園寺紗姫。私と同じ荒津高等学校に通う高校生で、クラスメイトである。
文武両道、品行方正、眉目秀麗、非の打ち所の無い絵に描いた様に理想的な優等生。それにどんな相手にも分け隔て無く接する博愛的な性格も加わり、生徒であれば知らない者の居ない人物で、学内でも指折りの人気者である。
「....自殺?.....ダメだよ!?」
「じっ!?違いますよ!」
「取り敢えず落ち着こう。大丈夫だから!何もしないから!ね?」
小首を傾げ何かを思案している様子の西園寺さんだったが、やがて一つの答えに至ったのか血相を変えて声を上げる。
咄嗟に駆け出そうとする体を引き留め、代わりに伸ばした手でストップのハンドサインを出して早口に説得の言葉で私を制止しようとする。
何やら勘違いをして慌てているようだが、よく考えてみれば人目のつかない廃墟街のビルに一人で居る状況から自殺の意図を察することは容易だろう。
このまま誤解されたままではまずいと、私も彼女に向けて言葉を返す。
「ほ、本当に違うんです!飛び降りるつもりなんてありませんから!」
「....本当?嘘じゃない?」
「嘘じゃないです。ですから西園寺さんも落ち着いてください」
「....」
暫くの間私を見つめていた西園寺さんも、やがて納得したのか胸を撫で下ろす。
「ふぅ。びっくりさせないでよ」
「す、すみません....」
「何とも無いならいいけど。でも無事で良かったよ」
緊張が治まったのか、スイッチを切り替えたように普段の明るい態度を取り戻す西園寺さん。
「....どうして廃墟街に?」
「んー。結果論だけど、結衣を探しに。かな」
少し迷うような素振りを見せてから、西園寺さんは答える。
「私....を」
「あ、違うよ?ストーカーとかそう言うのじゃないからね?散歩してたらウチの制服を着た人が見えた気がしたから、ちょっと注意しようかなって」
顔に出ていたのか、私に疑われないよう西園寺さんは言葉を訂正する。慌てた様子もないのだから、その言葉に嘘はないだろう。
「でもどうしてこのビルが」
「適当だよ?たまたま非常階段が開いてたから登ってみただけ」
「えと、ならさっきここに来た人は」
「うん。アタシだよ。驚かせちゃったらごめんね」
大袈裟に怖がり寿命を削るような思いをしたが、その正体が幽霊や怪物ではなく彼女であると分かっただけでも幾らかの安心感がある。
片手を顔の前で立てておどけながら謝る姿にも誠意こそ見えないが、それでも許せてしまうような愛嬌がある。
「ま、本当はこんな真っ昼間に廃墟街に出入りしている人に付いて行ったら面白い事になるかなって思っただけなんだけどね」
にっこりと一つ笑い。彼女は再び質問を始める。弾けるようなその笑顔にどきりと胸が鳴るのは、私だけではないだろう。
「で、結衣はこんなところで何してたの?」
「そ、それは....」
「何ー?もしかして疚しい事でもあるの?話してみてよ。アタシ聞くよ?」
「うぅ」
跳ねるように駆け寄って来た西園寺さんが、私の前で止まる。
ふわりと揺れる髪から香る柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。
「大丈夫。何があっても内緒にする。約束」
「....」
「んー。ダメ?」
「ごめんなさい」
「....そっか。なら聞かない。こっちこそごめんね?」
「そんな。西園寺さんは何も」
「でも、理由もなく廃墟街に居るってのはマズイよね?」
彼女の言葉で我に帰る。
彼女から隠れていた理由を思い出し、すっと体がうすら寒くなるのを感じた。
「その....ごめんなさい」
「アタシに謝ってもしょうがなくない?」
「....はい」
「なんて偉そうに言ってるけど、今はアタシも同類なんだよね」
「あ....」
「気付いた?アタシも共犯者だよ?マズイなー。もし結衣に言いふらされたりしたらアタシもピンチだなー」
余裕のある表情でそう口にする彼女はどこか楽しげに見える。
私も廃墟街に居た事は隠しておきたいし、彼女を陥れようとも考えてはいないが、相手も同じとは限らない。
「あの!」
「ってことで、取り引きしよっか」
私の声に被せて西園寺さんが提案を始める。
「この事はアタシと結衣だけの秘密!これから先、何があっても誰にも言わない事。どう?」
「え?」
「ん?どしたの?」
「....良いんですか?」
「何が?」
「いえ、他の人なら黙って言いふらすと思うんですけど」
「え、嫌だよそんなダサい事」
私の質問に彼女はあっさりと答える。
想像していなかった返答だったのか、ほんの少し驚いた様子で目を丸くするが、すぐに苦手わな食べ物を見た子どものように顔を歪める。
「何でそんなことしなきゃいけないワケ?アタシに言えないにしたって、結衣も理由があってここに居るんでしょ?じゃあそれを咎める権利なんてないじゃん」
「で、でも」
「アタシはそう言うダサいのはパス。嫌がらせしたいならもっと堂々とやるって」
当然の事だよと指を振る彼女の姿が輝いて見える。
「んで、どう?アタシも結衣も得すると思うけど。お互い変な噂立てられたくないでしょ?」
「....分かりました。約束します」
「よし決まり!取り引き成立ね!」
彼女は手を叩き、私に右手を差し出す。
「ちゃんと守ってね。お願い!」
「....はい」
私が手を取ると、西園寺さんは力強く握り返して弾けるように笑う。見惚れるほどに笑顔のよく似合う人だ。
私よりも暖かい手から彼女の感触がはっきりと伝わる。いつまでもその手に触れたままでは恥ずかしさに爆発しそうだ。
「....西園寺さん....その、手を」
「....結衣って綺麗な指してるんだね」
「っ!?」
呟くように言った彼女の言葉に息が止まりそうになる。破裂するほどの勢いで心臓が鳴り、ぐっと胸が詰まるような感覚を覚える。
「言われない?細くて綺麗だねって」
「い、いえ....」
「ふーん。じゃあ他の奴はセンス無しかな」
西園寺さんは私の手を離すと、私の横を通り過ぎて室外機に背を預けて腰を降ろす。
「ちょっと話さない?隣。来る?」
「え....あ、いえ。その」
「あー、警戒してる?じゃあ隣じゃなくて良いから話そうよ。それくらいいいでしょ?」
自分から離れた場所を軽く叩いて促す彼女に従い、距離を置いた場所に座る。
「さて、何の話にしようか。アタシの事?結衣の事?どっちでも良いよ?」
彼女は弾むような声色で楽しげに悩んでいる。しかし、一日の殆どを一人で過ごす私には他人にとって魅力的と言える話題は見つからない。
「....帰らないんですか?」
やっとのことで思い付いたことはそれだった。たった今ここに居たことを秘密にすると約束したばかりなのに、長居をしては意味がないのではないだろうか。
「え、早っ。帰りたい?アタシはもう少しこのままでも良いかなって思うけど。父さんも言ってたけど、ここには警察なんて滅多に来ないし、どうせ不審者も近付きたがらないから」
しまった。と後悔するが、彼女はさほど気にする様子もなく答える。
「そうなんですか?」
「うん。てか結衣も知ってんじゃない?多分だけど、ここに来るの始めてじゃないでしょ?」
「う....」
「当たりって感じ?まあ良いんじゃない?ただ良い子で生きてる人生なんてつまらないし。たまにはちょっとだけルールを破った方が楽しいと思う」
彼女らしいあっけらかんとした答えだが、とても本人がそんな悪さをするように見えないのが意外に映る。
「悪い事にだっていろいろあるしさ、全部を駄目だって言ったら出来る事の方が少なくなっちゃう」
「....意外です」
「そう?アタシそんなにお堅いお嬢様に見えてる?案外遊びまくってるしズルばっかしてるよ?」
幻滅した?と苦笑する西園寺さんだが、全くそうは思わない。
「じゃあアタシからも聞いて良い?」
「はい」
「結衣って好きな物はある?食べ物とか、趣味とか」
「私の、ですか....」
「うん。せっかくクラスメイトになったのに、結衣ってばいつも一人でいるし、帰りになれば別のクラスの友達と帰るしさ?アタシは結衣の事何も知らないじゃん」
「そう....ですね。でも私の事は」
「よくない。アタシが知りたいの」
言い掛けた事を先回りで否定されて驚く。心を見通されているようだ。
「何でも良いよ。結衣の好きな事」
「....」
「んー。じゃあケーキは好き?」
「はい」
「スポーツは得意?」
「....いえ」
「誰かと遊ぶ事は好き?」
「....」
「....やっぱり、あんまり人と話すのは得意じゃない?」
「ごめんなさい」
答える事は出来ても、その返事は小さく拙い。それを見て察したのか、西園寺さんは申し訳なさそうに苦笑する。
「うーん。そっか....まあ結衣ってそう言う雰囲気あるからなぁ。何だろう。こう、他人との間に壁を作ってるみたいな?」
昔から人と付き合うのは苦手で、カメラを始めるようになった理由の一つも、一人で楽しめる趣味だったからと言うものだ。
意図して相手を避けようとしていると言えばその通りで、誰にでも伝わるものだと思う。勿論それが相手に良い印象を与えず、周囲からハチにされる原因になることも分かっていた。
「でもさ、それで周りから悪く見られるのは結衣だって嫌じゃない?どうせなら仲良く出来た方が結衣も楽しいと思う。あ、アタシの意見ね」
「....」
出来る事ならそうありたい。しかし、それが上手く行くとはとても考えられないのが今の私の心境だ。
「んー。そうだ!じゃあこうしよう」
隣で西園寺さんの声が上がる。
「結衣。またアタシの話相手になってよ」
「え?」
「一緒に練習しよ。結衣が上手く皆と関われるようになるまで」
私を覗き込んだ西園寺さんはそう提案する。突然の事に面喰らうが、彼女は構わず続ける。
「今は苦手かもしれないけど、練習すればいつかは出来るようになると思う。だからアタシ相手にやってみない?」
夢でも見ているのだろうか。クラスで見向きもされない日陰者の私が、それとは対照的な西園寺さんとこうして話していることがまず信じられない事だと言うのに、彼女はそれを今後も続けようと提案しているのだ。
「西園寺さん....相手を間違えてないですか?」
「え?結衣でしょ?人違いなんてしないよ」
きょとんとした顔で首を傾げる彼女を前に、更に混乱する。
「な、なら話題が....」
「結衣以外にこんな話なんかしないって」
「え....う」
「大丈夫だよ。悪いようにはしないから。どうかな?」
「ど、どう....と言われても」
「簡単だよ?結衣の気が向いたらアタシに話してくれれば良いだけ。あ、たまにアタシから話す事もあるかもだけど。まあそれはいつも通りだし気にしないって感じで」
何故。その言葉が様々な理由を伴って脳内を駆け巡る。今にもパンクして目を回してしまいそうだが、彼女の居る手前迷惑を掛ける訳にはいかない。
「きっと、つまらない話しか出来ませんよ?」
「全然オッケー」
「西園寺さんにも友達が」
「大丈夫。予定開けるから」
幾つかの思い付く理由を並べるが、西園寺さんは嫌な顔をせずに笑顔で答える。どうしても私と彼女とでは釣り合わないような気がしてならないが、ここまでしてくれる厚意を無下にしてしまうのも次第に悪く思えてくる。
「....私で、良いんですか?」
「結衣だから。良いんじゃん」
「....」
「ここで会えたのもきっと何かの運命だと思うからさ、なら思い切って言ってみないと損しそうだし。特に結衣みたいな相手だと」
「私みたいな....」
「殻に閉じ籠っちゃうから。こう言う場でもないとまともに話すのも無理そうだし」
静かに呟くような声に振り向くと、西園寺さんと目が合う。細めた目で微笑んだ彼女の表情に顔が熱くなる。
「貰えるチャンスはしっかりモノにしないと」
「....チャンス」
「結衣と友達になるチャンス」
鼓動が速くなる。憧れの相手から告げられた思いがけない言葉が心を掻き乱す。
「....」
彼女の口にした言葉を再生する。
目の前には憧れの人がいて、彼女は私に手を差し伸べてくれている。
こうして彼女と話せる機会はまたあるだろうか。
きっと無い。誰からも愛される彼女が、今以上に私と向き合ってくれる時間はもう訪れないだろう。
彼女の言うチャンスは、私にとっても同じだ。
ここで申し出を断ってしまえばそれまで。
彼女との関係は変わらない。進む事も、戻る事もない。
私が抱く「憧れ」と、永遠に離れたままになるかもしれない。
西園寺紗姫。憧れの相手のようになりたいと願うのなら、一歩でもその隣に近付かなければならない。
自身を苛む不安と卑屈の靄を払い、決意を躊躇い震える唇を結ぶ。
「....その、迷惑でなければ....お願いします」
「....!勿論、よろしくね。結衣!」
私の言葉に曇り空が晴れるように表情をからりと変え、いつも通りの明るい笑顔で彼女が答えたかと思うと、カーディガンのポケットから携帯電話を取り出す。
「LINK交換しよう!ほら、結衣もスマホ出して!」
「え、あ....あの」
「連絡先あった方が良いでしょ。一緒に出掛けたり、チャットしたりさ」
「ち、ちょっと待って下さいね」
促されるままに電話を起動し、ぎょっとする。
ロック画面に映されたのは以前ここで撮影した廃墟の写真だ。
変わった奴だと思われてはいけないと、彼女にバレないよう慌てて画面を操作してメッセージアプリを起動する。
「え、えと。お願いします!」
「はいはーい....これでよし!追加しといたよ」
肝を冷やす思いをしたが、彼女が特に不審感を持っているようにも見えない事に安心する。
「案外やってみるもんだね。虎穴に入らずんば虎子を得ず。ってやつ?」
「....何がですか?」
「ここで結衣と会えたから、こうやってLINKの交換出来たし、休み明けに結衣と話せる口実も作れた。廃墟街なんて怖くて危険なだけだと思ってたけど、たまには来てみるのも悪くないかなって」
「そう....ですね」
西園寺さんと私の考えは違うと思う。それでも彼女がこの場所を悪くないと言ってくれた事はほんの少し嬉しかった。
「それじゃ、帰ろっか」
「はい」
伸びをして立ち上がる西園寺さんに続いて腰を上げる。
●
代わり映えのしない廃墟街に、隣を歩く西園寺さんの弾むような靴音が軽やかに響く。
黒ずんだ虚しい景色も、彼女の纏う楽しげな空気が明るく彩っていくようで、見慣れた廃墟街が新鮮に感じられた。
「この前映画見に行ったんだけどさ....」
「そうなんですか」
「結衣って映画見たりしない?」
「家でなら....映画館は、怖いので」
「マジ?でっかいスクリーンで見る映画も楽しいよ?そりゃまあ、家でゴロゴロしながら見る映画も良いと思うけどさ」
「スクリーン....」
「ん、気になる?じゃあ今度一緒に見に行こうよ。丁度見たい映画あったんだー」
「一緒に....ですか」
「早めに見たかったんだけど、バイトに部活に忙しくてさ。気付けば公開から大分過ぎちゃってて。今なら人の入りも少ないし、結衣でも大丈夫かなって。ほらコレ」
西園寺さんが見せてくれた電話の画面には、whisperのタイムラインが映されている。
「友達誘ったけど、もう見てるか興味ないかのどっちかでさ。一人で行くのも退屈だから止めようかなと思ってたけど。結衣が映画館に興味あるなら、試しに?」
「試しに....ですか」
「結衣にはつまんないかもしれないけど、お客が少ないなら緊張はしないかなって。多分?」
どこか引っ掛かりを感じているような口振りで話す西園寺さん。アクション映画と言うのはあまり見る機会が無く期待も不安もあるが、映画館で見る映画には興味がある。
「どう?興味ある?」
「....はい」
「じゃあいつにしようか。明日?来週?」
「ら、来週の日曜日なら....空いてます」
「オーケー。じゃあ朝イチの見に行こう。終わったらお昼食べて解散で。結衣の感想聞かせて。初めての映画館の」
「お昼....」
「あれ、なんか予定あった?」
「いえ、私で良ければ」
汚れと傷の目立つ廃墟街の景色が変わる。普段より少し早く感じた帰り道に名残惜しさを感じていると、西園寺さんが私を呼ぶ。
「お昼まで時間あるし、良かったらどっか行かない?」
「え....これからですか」
「そ、アタシも一人で退屈してたから。こうやって結衣と会えた記念に....」
「あれ?紗姫?何やってんのこんなとこで」
近くで聞こえた声に振り向くと、数人の女子の集団が歩いているのが見えた。
彼女らは西園寺さんを見ると親しげに手を振る。鮮やかに染められた色の髪を見れば、その集団は普段から西園寺さんと行動を共にしている女子達で構成されているのだと一目で分かる。
「ああ、あんたらか。何って、穴場スポットのリサーチみたいな」
「へえ。マメだねー....ってか神代?何で?」
「そこでバッタリ」
「ふーん。あ、んじゃあ紗姫は暇してるって事?」
「うん。これから寄り道して昼には帰るつもりだったけど?」
「ならこれからカラオケ行くんだけど、紗姫もどうよ」
「マジ?行く行く」
「オッケー。昼だけ済ませたらいつもの店集合でヨロシク。流石に制服で出掛けるのはダサいっしょ」
「は?そんなこと無いって。まあ着替えてくるけど。アタシも家で食べてから行くわ。そんじゃ、また後でー」
「遅れんなよー」
手を振りながら集団を見送ると、西園寺さんが再び歩き出す。
「あ、結衣も行く?」
「い、いえ。止めておきます」
「だよね。やっぱ怖い?あいつら」
「はい....」
「まあ結衣とは相性悪いだろうしね」
「....」
「因みにさ、あんな風になりたいとか思う?」
「いえ」
「あはは....そこは正直なんだ。でもさ、あんまり悪く思わないでやってね。あいつらはあいつらで楽しんでるだけだから。結衣にはちょっとキツい奴らかもしれないけどね」
西園寺さんは悪戯っぽく笑って見せる。
「西園寺さんは行くんですよね」
「そだね、約束したし。じゃ、また学校でね!」
「あ、あの!」
西園寺さんは屋敷町にある家の方へと駆け出す。それを引き止めようと少し声を張るが、慣れない事で噎せてしまう。
「ん、どしたの?」
「え、と。どうして、制服を着ているんですか?」
一瞬。彼女の表情が強張った様に見えたが、すぐににっこりと笑って答える。
「バイトの面接!今度の映画。奢ってあげるね!」
くるりと反転した西園寺さんは、にっと笑ってそのまま一直線に駆けていく。
●
夕食と風呂を済ませベッドに寝転がり、充電器に繋いだままの携帯電話を起動しLINKのアプリを開く。
久しく会話の無い中学生時代の友人。両親。高校の友人。数える程のリストの中には、見慣れない項目がある。
「SAKI」の名前で登録されたそれは、廃墟街で交換した西園寺さんのLINKだ。
「....これ....が」
ただ眺めているだけなのに、自然と胸が高鳴る。自分の憧れの人との繋がりが出来たのだと思うと、その嬉しさに頬が綻んでしまう。
「....やった」
面と向かって言葉を交わすのは慣れないが、それも一人きりになれば変わるものだ。
ドキドキと心臓の音が煩い。一度落ち着かなければと縁に座り直して深呼吸をする。
「今日....眠れないかも」
ベッドに倒れ込んだ拍子に鞄が転げ落ちる。
バサバサと音を立てて中身が床に散乱する。
それに気付いて目を向けた先、ある一つに舞い上がっていた心を叩き落とされた。
『特例疾病医療受容者証』
暗い青に塗りつぶされた小さな証明書に目が釘付けになる。
「人裂症」私を絶望させるには充分過ぎる事実が、床の上から動くこともなくこの目を見つめている。
血を抜かれるかのように頭の先から体温が下がり、ベッドから垂れた指先が震えているのがいやに鮮明に感じられる。
数秒前の事が嘘のように心臓の音が弱々しく萎む。
静まり返った部屋の中、いつまでも止まることの無い震えた私の呼吸がゆっくりと耳にこびりついていった。