まだ見ぬ脅威が動き出す。
「....」
自然と胸が躍る。
自然公園に続く新たな力の反応が見付かった、私の住む
荒津市の開発に伴い建設された上星野台の『総合医療センター』それにより一度は廃業の案が上げられたものの、白晶災害の発生により上星野台が封鎖されたことで再び市の医療機関として活躍の場を取り戻した。
病院と言えばありがちな話に幽霊が出ると言うモノがあるが、ここにも当然にそんな噂がある。
「ね、ねぇ結衣?ちょっと聞きたいんだけど....」
「何でしょうか」
「母さんがここって....出るって言ってたんだけど、冗談だよね」
「幽霊ですか?はい。出ますよ。この病院だと母子の霊が」
「わー!やだやだ止めてよ!結衣が言うと嘘に聞こえないじゃん!」
「え、ええ?」
突然声を上げ、嘘だと言ってと懇願する西園寺さん。
その顔色は悪く、思えば今の質問もおそるおそると言った様子のものだった。
「もう。嫌だなぁ」
「す、すみません」
「ううん、結衣は悪くないよ。でも....そうかぁ。やっぱ出るんだねぇ」
「もしかして、苦手なんですか?幽霊」
「うん。恥ずかしいからあんまり知られたくないんだけどね。内緒ね、内緒!?」
「は、はい」
紅く染めた顔を手で扇ぎながら苦笑する西園寺さん。怖い物のないヒーローのように見えていた彼女の意外な一面には驚かされるが、どこかその存在を身近にも感じる。
「さて....い、行こうか」
「そうですね。早く行きましょう」
「いやー、ちょっとゆっくりでも良いんじゃ」
言葉から歯切れの悪さが抜けない西園寺さんを見れば、それまでの笑顔とは異なる固く引き攣って感じられる。
そんな彼女の様子を見ていると、幽霊に怯える彼女の代わりに私がやらなければならないと言う意識が湧き上がってくる。
「大丈夫です。西園寺さんのことは私が支えます」
「やる気まんまんだね....わ、分かった。それじゃ、結衣に甘えちゃおうかな....よーし、やるぞ」
見慣れた市民病院の姿も薄紫の色に包まれた魔境では一変する。
久しく足を運ぶことのなかった市民病院だが、年季の入った外観は滲み出す瘴気を纏って見え、暗がりの中その窓の奥を窺い知ることの叶わない様子はさながら廃墟と化した城塞のようだ。
「よし」
息を吐いて入口に続く階段に足を進める。ガラス戸の取っ手を握り、開かれた扉の奥へと入れば、中にもまた見知った懐かしい待合室の景色が広がって居た。
元より静かな空間も、模倣された世界では人の影一つも無く、背後から吹き込む風の音を確かめられるほどの静寂が不気味さを引き立てていた。
「うぅ....暗いなぁ」
「....」
遅れて扉を潜った西園寺さんの声が後ろから聞こえる。
私が足を踏み出す僅かな動きにも小さな悲鳴が上がり、震えた呼吸音が不規則に続く。
「ゆ、結衣....その」
「はい」
「やっぱり怖いよ。外はまだ明るかったのに....こんな」
「少し待っていて下さい。電気のスイッチを探します」
「待って!アタシも行くから」
鞄から角灯を取り出し、蓋を開けた中に火球の魔術で火を灯す。
青い炎が手元を照らし出し、朧気だった待合室の輪郭が淡く浮かび上がる。
「ふぅ。これで一安....なんかこれはこれで怖いかも。うぅ、見えそうで見えないなんて」
受付裏の部屋に入り角灯で壁を照らせば、何かのスイッチが配置されている。
「これ、でしょうか」
指で触れてタブを動かすが、一向に部屋が明るくなることは無く、変わらず院内は暗いままだ。
「駄目....か。西園寺さん。電気は点かないみたいです」
「嘘!?もう嫌だぁ」
「一先ずここに拠点を、そこで作戦を立てましょう」
「そ、そうしよう」
角灯を置けば受付の床が黒く渦巻き、中から形を持った影が伸び出る。
「っと、ご苦労さん。これで市民病院にも入れたな」
「ね、ねえリッジ....何か灯りになる物ってない?」
「灯り?照明は点かないのか」
「点かないから聞いてるの!」
「おうおう随分とヒートアップしてんなぁ。一度深呼吸でもしたらどうだ?」
「すみませんリッジさん。ランタンの火では照らせる範囲が狭くて。照明が見つかるまで使える物があれば作っていただけると」
「相変わらずクールだなお前は。それになんとなくだが自然公園の時より活き活きしてるように見えるぜ」
震える西園寺さんとその生気を吸ったように気力に溢れる私を見比べ、リッジさんは笑いを堪えるように口を噤む。
確かにこの病院で幽霊を見る事が出来ればと
「ほら、これで良いか。強めのやつを用意してやった。だがバッテリーは安もんだ。気を付けろよ」
変形したタールから産まれた懐中電灯を放り投げ、それは手早く休憩室に家具を揃え始める。
ベッドや電子レンジに照明器具。電子ポッドに加え、マッサージ機などのサービスの行き届いた用意を済ませると、それは私と西園寺さんに向き合う。
「まずはここの探索からだな。俺達もここの修復を進める。そのうち照明も復活するかもな」
「本当!?」
「ああ、だからお前達も協力を頼むぜ」
「結衣。早く行こう!」
「ヘッ。話が早くて助かるぜ。じゃ、一度解散だ」
リッジさんは私達に背を向けると床に溶け込んで消えるのではなく、そのまま歩いて休憩室を出ていく。
「普通に歩いて行くんだね」
「....でしたね」
「....じゃ、アタシ達も行かないとだよね」
「はい。早速行きましょう」
模様替えが終わり、休憩室として生まれ変わった部屋を後に、再び待合室へと出る。
暗闇に戻るや西園寺さんは持っていた懐中電灯を点け、枷を填められたようにゆっくりと歩を進めていく。
○
「何か寒くなってきてない?」
「もうすぐ上の階に続く階段がある筈です。足元には気を付けて下さい」
部屋の一つ一つを探索し、一階の全部屋を見終え、残すは階段に向かうばかりとなったが、上階への階段へと進む程肌に触れる空気が冷たくなっていくのを感じる。
幽霊の存在する場所は気温が低くなると言う話もあるが、それを西園寺さんに語っては彼女が卒倒してしまうかもしれない。
会話を交わすうちにも周囲の気温は絶えず下がり続け、露出した肌から体温を奪うそれは、次第に痛みとなって身体の動きを鈍らせていく。
階段が視界に入ると、そこには懐中電灯の光を反射してきらきらと光る氷が張り付いている。
「何あれ....氷?」
「溶けかけているようですが、どうしてこんな量が」
「み、水漏れ....だよね」
「....行きましょう」
魔境に幽霊が居るのか。疑問として浮かんでいた事だが、それらの特徴ともそうではないとも取れる現状に胸が高鳴るのを感じる。
自然公園で西園寺さんを諭していた自分とは思えないくらいだ。
階段を進み、踊り場前で懐中電灯で上階を照らし安全を確め、下階で待つ西園寺さんに合図を出し合流して残る半分を進む。
到着した二階の闇に包まれた廊下は雨が去った後のように隙間なく濡れており、照らされた床が艶のある光を放つ。
「....」
灰色の水晶を持ち魔術を発動すれば、水晶越しの廊下に広がる水溜まりからは靄のように漂う魔力の反応が映し出される。
「この水は」
「な、何?これが魔物なの?」
「いえ....ですが、それに近いような気がします」
「どう言うこと?魔物がここに居たって事なの?」
「それか、ここに現れるかのどちらかです」
「ま、待ってよ!そんな心の準備がーーひいっ!」
突然声を上げた西園寺さんが、廊下の奥を指差して震え出す。
「な、何か見えた....」
「どんなものでしたか!」
「わ、分かんないって。どうしよう....塩?」
「ただの塩だと効果はありませんよ?」
「嘘!?に、逃げないと!」
「結晶の反応があったのがこの場所なら、魔人の可能性もあります。先に調査を進めてみませんか?」
「う、うう....あっちに行ったと思う。」
渋々ながら提案を受け入れた彼女は、目にした何かの行き先を指し示す。
足を踏み出せば、靴が水を鳴らす音が静寂に満ちた廊下の奥へと溶けていく。
照らし出される道にはどこまでも水たまりが広がり、視界の端まで広がった波紋を、まだ見ぬ何者かの起こすサインに幻視する。
水を鳴らして響く足音に洞窟の中を歩くような感覚を覚え、自然と息苦しさが胸を締める。
「交流スペース....もう半分まで来たんですね」
「は、半分....まだ半分なの?」
マギアコアを通して交流スペースを見回す。
霧中を照らしたように明るく霞がかる景色には、ゲル化したようにぶよぶよと揺れながら立ち上る魔力の反応が映される。
それの孕む力も強くなっているらしく、水晶越しの世界から滲み出したようにじめじめと湿気た感触を錯覚する。
「魔力の反応が大きくなっています。やはりこれは幽霊ではなく魔物の仕業でーー」
「....結衣」
西園寺さんの声に顔を上げれば、目に入った廊下に違和感を覚える。
辺りを見回しても一見変化は見られないが、代わりに異変を探ることに集中して研ぎ澄まされた耳に小さな音が届く。
沸き始めの湯が立てるような泡の音が、無音の廊下を寂しく抜けていく。
「に、逃げ....いや、戦わないと?」
「隠れられる場所を....一先ずあの椅子の影に」
パニック状態に陥ったままの西園寺さんを近くの物陰に誘導し、身を落ち着けた後に特異点の力で強化した耳を使い再び泡の音を探る。
病室とを隔てる正面の壁の向こう側、距離にして二部屋程奥になるだろうか。
より鮮明に位置を辿れるようになり、改めて聞こえたそれは確実にこちらに近付いて来ているらしく、泡の爆ぜる音は大きく小刻みに続いている。
椅子の影から顔を出して廊下に目を向けるも、明かりの消えた廊下への道に目を凝らそうと曲がり角の輪郭さえ捉えることは叶わない。
泡の音は刻々と近付き、後ろからは覆った口から漏れ出す西園寺さんの呼吸が不規則に繰り返される。
横目に確かめたその顔は人形のように血の気の引いた白い色をしており、石のように固まった身体は弾みで緊張の糸が切れたら最後。そのまま卒倒してしまうのではないだろうか。
迫る泡の音に釣られ高鳴る心音が期待と不安とをかき混ぜ、私の目も回りそうな思いだ。
近付いた距離は壁一枚向こう。爆発寸前の心臓の音がぴたりと静かになり、視界の端に水面のように蠢くモノが映った。
反射的に向けた視界に見えたのは交流スペースの壁に埋まるようにして姿を現したゲル状の柱だった。
意識の外から現れたそれに面食らうが、気を取り直して観察すれば、その内側と先には多様な形をした飾りが着いていた。
音の無かった周辺は水に満たされたかのようにくぐもった泡の音に支配され、ゆっくりと動き続ける柱は進むほどに新しく数を増やし、じっとりと粘つく魔力を直接感じられるようになっている。
身を低くしてその場を離れようと西園寺さんを見ると、彼女は白を通り越して青くなった顔で首を横に振る。
動けないようだ。
ゆらゆらと
「ここで待っていて下さい。私があれを引き離します」
口元に添えた手を頬に食い込ませぶんぶんと首を振る彼女だが、ここに残って共倒れになっては意味がない。
「大丈夫です。必ず戻りますから」
声を殺して西園寺さんを諭し、交流スペースの角の前で水溜まりを強く踏み鳴らし、そのまま廊下へと駆け出す。
水をかくような音が後ろで鳴る。
廊下へ踏み込むと同時に壁の裏へ駆け込み、再び廊下の奥へ走る。
水に浸された床に強化した足を叩き付け、飛沫を散らしながら柱の群れから逃れる。
「っ!?」
激しい衝撃と共に全身の熱が奪われる。不快な密着感に身体を見下ろせば、ゲルが私の身体を通過している。
前方に伸びた先端が起き上がり、私と向き合う。
身体を捻れば、それはゼリーのようで獲物を拘束捕える力には秀でていないらしく、強化された力であれば容易に抜け出す事が出来る。
柱だと思っていたそれは柔らかい触手であるかのようだ。
抜け出した私を追撃しようとそれが振りかぶられるが、視界の端に確かめた病室の扉を開けて中へ転がり込む。
派手な音を鳴らして壁に衝突する触手は床に飛沫を散らすが、それが壁を突き抜ける事は無いようで、ゆっくりと引き戻され、先端に目が付いているかのように私を見つめている。
「....っ!?障壁!」
前触れも無く動いた触手に魔術で応じれば、攻撃を防ぎはしたものの、床を浸す水に足を取られその衝撃に大きく圧される。
壁が阻んだ触手は真二つに割れて私の左右に飛び散り、固められた形を失って床に溢れるが、再び引き戻される頃には元あった形に再生している。
滑らかにしなったそれが再び室内へと侵入する。
攻撃を凌ぎ残された壁を再び正面に向けて構えるが、続く攻撃を壁が受け止める事はなく、代わりに真横からの衝撃が、強化した身体を軽々と撥ね飛ばす。
壁にぶつかった身体の勢いはそれだけで止まることはなく弾かれ、無防備なまま床に転がる。
「うぁっ!」
一面に広がる冷えた水の温度が落ちそうになる意識を引き戻す。
立て続けに水を吸い上げた制服はその重みを増し、引き起こした身体が不安定に揺らぐ。
肌に触れる濡れたシャツの温度が体温を奪い、震える身体はガチガチと歯を打ち鳴らして耳障りな音を鳴らす。
「....動いてよ」
冷えた身体は寒さを堪えることに集中力を奪われ、特異点での強化はおろか触手の動きを観察することさえ困難になりつつある。
このまま戦うことは無謀だが、部屋から逃げ出すにも目の前には触手がこちらの動きを探るように蠢いている。
咄嗟の判断が裏目に出た結果だが後悔しても遅い。今は触手の隙を伺い無理をしてでもここから脱出しなければならない。
「....」
魔弾のマギアコアに触れ、イメージを浮かべて力を指先に流す。
波打ちながら流れる力は魔術の完成を遅らせ、その力が形を作るまでに多くの時間を要する。
漸く産み出された魔力の塊。震える口を喰い縛り、触手に向けて狙いを定める。
弾丸を放つ寸前、奇妙な感覚に身体が浮かされた。
視界が絶えずうねりながら歪み、凍えるような感触が身体の隅にまで滑り込んでくる。
「ーー!」
足下に存在していた床はいつの間にか消え去り、辺りを見回せば視界の全てが深い青に彩られた景色へと変貌していた。
考えを整理するよりも早く、首には柔らかい感触が巻き付き肌に食い込む。
締め上げられる苦痛に食い縛った歯の間からは水が流れ込み、口内を埋めていく。
呼吸を封じられた身体は力を失い、意識は暗く狭まっていった。
○
頬に触れる冷たい感触。とうに麻痺している筈のそれに目を覚まされ瞼を開ければ、閉じたビニール製の薄幕と何かの足と思わしき鉄の棒が見える。
床に手をついて立ち上がればそこは病室のようで、目に映っていた物はベッドとそれを隠すカーテンであったようだ。
近付いて手を伸ばすが、カーテン越しに魔力の反応を感じ、それに触れた手が止まる。
「....」
そこに居るのは魔物か、それともまだ見ぬ何者かか。
緊張から口の中に滲み出す唾を飲み込み、鞄の中の水晶からイメージを取り込む。
左の指先に魔力を集め、カーテンを握り一息に引っ張る。
しゃらしゃらと音を鳴らして開くカーテンの向こう側に指を突き出すと、そこには揺れる月明かりに照らされたベッドに座る人の姿があった。
半身を起こし、ぼんやりとした意思のない視線を外に送っている。
華奢な体格のその人物は痩せ型の女性で、私に気付く様子はないようだ。
「....あ、あの」
自然公園で出会った男性のように突如姿を現した存在に躊躇するが、この女性なら何か分かるかもしれないと声を掛ける。
「....」
「ええと、こんばんは....私は」
「新しい先生かしら。今度は若い方なのね」
掠れるようなか細い声。力の無い笑顔で微笑んだ女性は、私をこの病院の医師だと勘違いしているようだ。
「い、いえ、私は」
青白い顔に浮かぶそれは、私を突き動かす感情に拍車をかけ、同時に全力で押し留めようと綱引きのように引き合う。
掻き回される理性は判断力を鈍らせ、目の前の女性が魔力の主であるととうに気付いていながら、ここで取るべき行動はいつまでも定まらずにいる。
「先生。私の赤ちゃんはいつ産まれるんでしょうか」
「あ、赤ちゃん....ですか?」
「はい。もうすぐ産まれる予定で....ですが」
「ですが?」
気丈そうに笑みを浮かべていた表情に陰が落ちる。
何かを隠そうとする姿に興味を惹かれる。
「私、人裂症にかかってしまって。このままだとこの子も私と一緒に死んでしまう。それだけは駄目なんです。この子には幸せな人生を送って欲しい。だから1日でも早く」
「人裂....症」
一つの噂話が浮かぶ。
荒津市民病院。そこで命を落とした一人の女性が居た。
女性は臨月を迎えた妊婦で、定期検査を受けた際に人裂症に罹患していることが発覚した。
その後間もなく彼女はパームミスリルに身を裂かれて命を落としてしまったのだが、我が子を守れなかった無念から女性は霊となって自身の入院していた病室に縛られてしまったと言うものだ。
その病室には今も彼女が作ったてるてる坊主が飾られていると言われており、幽霊騒ぎの噂もそれを元にして産まれたものだとされている。
「....」
ふと浮かんだ噂話に視線を動かしていた時、窓辺に吊られた小さなものが目に付いた。
てるてる坊主。
思わぬ発見に目を見開いた時、女性の魔力の反応が動く。
見れば、女性もまた私の視線を追っていたのか吊るされたてるてる坊主を見ていた。
「この子が産まれる日も晴れの日になるように作らせてもらったんです。きっと大丈夫ですよね」
女性の肉が透け、輪郭が溶け始める。
肌を伝うそれは女性の姿を丸く変形させ、顔はパーツ分けされ並べられた福笑いの完成形よように不気味に歪んでいく。
目が、鼻が、口が。色を失いゲルの中に混じったそれらがスライムのように大きな塊となったかつての肉に溶け込み、そこに女性の姿は跡形もなくなる。
「に、逃げ....」
鈍感が過ぎる。目の前の存在が魔物であると確信して漸く動いた身体にそう悪態をつきながら踵を返して病室の扉まで走る。
引戸の取っ手に手を掛けるもそれは固く閉ざされているのかびくともしない。
「嘘....」
力任せに戸を引くも、それはがたがたと音を鳴らすばかりで一向に開かれる気配がない。
特異点。その発想にたどり着くと同時に背を力任せに叩かれ、壁と衝撃とに挟まれ再び意識が黒く塗りつぶされた。
○
「っ!」
目を開けばそこは再び暗い病室。触手との戦いで気を失ってからずっとそのままで居たのか、私は病室の真ん中で立ち尽くしていた。
「あれは、夢?」
弱々しい笑顔の女性と、変貌したスライムのような姿。
あの女性がこの病院の噂の元であるなら、その死因や感じた魔力の反応と掛け合わせ、この場所に潜む魔人というのは彼女の事ではないだろうか。
「一先ずリッジさんに....」
電話を取り出して起動すると、画面に映されるのは電波圏外を示す表示。
「そ、そんな。どうして」
休憩室で確認した時にはこうはなっていなかったはずだ。魔物の力で何か変化が起きたのだろうか。
「西園寺さんは....」
リッジさんとの連絡が取れない今、彼女との合流が先決だ。
扉を開き廊下に出れば、目に飛び込んできたのは不思議な空間だった。
窓の外は夜闇と異なる鮮やかな青に染まり、その中を魚が泳いでいる。
「ここは、水の....中?」
交流スペースへは廊下を右に向かえば戻れたはずだ。
「西園寺さん!」
西園寺さんに呼び掛けながら来た道を歩くが彼女からの返事はない。
魔力の反応が無くなり、足元に広がっていた水も消えている。
交流スペースに戻り、西園寺さんと隠れていた椅子の裏を確かめるがそこに彼女の姿は無い。
「西園寺さん....逃げられたんでしょうか」
彼女を逃がすと言いながら、成す術なく魔物に倒されてしまった。
触手の主が私に引き付けられているうちに逃げ出せていたのなら、一階の休憩室で合流することが出来ないだろうか。
闇雲に探索を続け魔物との遭遇を避ける為、拠点のある階下へと向かう。
足元の水溜まりに漂っていた魔力。その双方が消えた病院は、再び寂しげな空気を取り戻していた。
一人病院を進む結衣。
そこに隠された奇妙な罠とは。