ココロネ・リンカーネイション   作:rippsan

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憧れの相手である西園寺紗姫。
彼女と外出の約束をした結衣は星野台へと向かう。


死向三駒

10月の風は冷たく、数日前からうってかわり肌寒い気候となった。

 中心街の噴水広場。普段であれば滅多に立ち寄る事の無い場所に一人、俯いたまま目的もなく携帯電話の画面に目を向ける。

 行き交う人々の声に身の縮む思いで約束の相手を待つ。

 

「結衣!」

「さ、西園寺さん」

 

 私を呼ぶ明るい声に顔を上げ、急いでその主のもとに駆け寄る。

 

「ごめんごめん。ちょっと準備に手間取っちゃって」

 

手を振ってアピールをする西園寺さんの前に辿り着くと、彼女は苦笑しながら謝罪の言葉を口にする。

 

「い、いえ。大丈夫です。それよりも速く行きませんか?人が多い所は怖くて」

「うわぁ。もしかしてアタシ、結構迷惑掛けてた?」

「そ、そんなことないです!」

「ならいいんだけど。とにかく行こう。手繋ごうか?」

「いえ!だ、大丈夫です!」

「うーん。失敗か」

 

 学校で話す時でも友好的に接してくれるのは嬉しいのだが、度々その大胆な言動に調子を狂わされそうになる。

 今のように軽い調子で手を繋ごうなどと言われては、ただでさえ痛いくらいの早鐘を打っている心臓がどこかで破裂してしまいそうだ。

 

「人通りの少ない道にしようか。あ、駅前を抜けるまで我慢してね」

「はい。お願いします」

 

 行こう。とターミナルの先を指し、小鳥が跳ねるように軽い足取りで歩き出す。

 その後ろに続いて踏み出し、すぐに一つの違和感に気付いた。

 西園寺さんは学校で見慣れた制服姿をしている。ベージュのカーディガンに指定のスカート。足下も黒いソックスに革靴と普段から目にする格好だ。それ自体は全くおかしな事ではなく、私も不思議に思う必要などないのだが、休日に外出する為の格好としては彩りが無く、彼女らしくないと感じる。

 

「あの、西園寺さん。どうして制服を?」

「んー?結衣も制服だろうなと思って」

「....!」

「図星?滅多に出掛けてないみたいだし、流行りモノの服とかも持ってないでしょ?」

「それは....はい」

 

 だよね、と振り返った西園寺さんが笑う。口元で指を立て、片目で目配せをして彼女は楽しげに話を始める。

 

「アタシだけキメたら結衣が浮いちゃうし、それにオフのアタシじゃ結衣が見付けられないかもしれないしね」

「....私の事なんて気にしなくても....」

「違うよ結衣。遊ぶ相手でコーデを変えるのも大切。いつものメンバーと遊ぶなら派手にしなきゃだけど、結衣はそういうの苦手そうだし」

 

 想像もしなかった答えに驚く。私が思っている以上に、彼女は細かく考えているようだ。

 

「何より、結衣と一緒に楽しめるようにするのが一番。アタシだけの為の遊びじゃないんだから」

 

 西園寺さんは振り返った体を前に向けて歩き出す。彼女の言葉の一つ一つが熱になって全身へ広がる。

 触れなくともはっきりと分かるほど熱くなった頬を抑え、顔を見られないよう俯いて歩く。

 足早に歩く彼女を追うこと数分。遠くからぼんやりと聞き慣れない音楽が流れてくるのを感じる。

 

「もうすぐ星野台だよ。映画館までは遠回りになるけど大丈夫?」

「はい」

「よし、じゃあ裏通りから行こう」

 

 中央区から程近い行楽地「星野台」

 神瀬市との統合の際に再開発が行われ、労働者や観光客を迎えるレジャー施設が集まるそこは、日夜多くの人々で溢れる荒津市の中心地である。

 駅から続く昇り坂の向こうに見えるカラフルな看板。夜空をイメージした装飾の目立つそれには「スターストリート」の文字が刻まれている。

 西園寺さんは看板の下を潜り抜けてすぐの通りを曲がる。

 彼女に付いて角を曲がり、し暫く歩いていれば油と金属の匂いがうっすらと鼻腔を刺す。

 

「ジャンク通り。どう?あんまりいい匂いじゃないでしょ」

 

 私が顔をしかめると、苦笑の混じった西園寺さんの声がする。

 

「レディの来る場所じゃないからね。ここにあるのは機械のパーツとか中古の家電ばっかりだよ。たまに掘り出し物が置いてあるから男子からの人気はそこそこにある。結構マニアックな趣味の奴限定だけど」

「な...なるほど」

「あまり人が居るわけでもないからって管理は雑なんだよね。だから機械油の匂いもするし、古いパーツは錆びたままにされてる」

 

 変わった場所もあるものだと見回していると、西園寺さんが笑う。

 

「楽しい?」

「あ....えと、その」

「まだ分かんないよね。本題の映画行ってないし」

 

 不審がられてはいけないと目線で店を追うようにする。

ふと目にした一軒。そこに置かれたある物が目に止まる。

 真っ直ぐに歩いていた足が吸い込まれるように向きを変えて進み出す。

 蛍光灯の光に照らされた店の奥。店内を隔てるガラスケース中には、規則性の無い様々な商品が無造作に置かれている。 

 商品の魅力を見せるには雑な陳列。とてもそれらを売り出そうと考えているようには見えない。

 立ち並ぶ店を眺めるだけの者では気にも留めないであろう物も、それを目的として見る者にとってはゴミ山のでもいっそうの輝きを放つ宝に見えるのだ。

 

「これ....」

「ん、なんだい姉ちゃん。そいつに興味が?」

 

 ショーケースの中に置かれた一台のカメラ、それを見ていた姿が見えたのか店の奥で本を広げていた男が私を見ていた。

 

「え、ええと」

「カメラだろ。そいつくらいしかまともな商品も無いからな」

「....」

「変わり者の客が売っていったんだ。なんでも買ってすぐに壊れたから必要なくなったんだそうだ」

「そう....なんですか」

「専門家に見せたらすぐに直ったんで、こっちとしては思わぬ商品が手に入って幸運な話だ」

「....」

 

 改めてカメラを眺めれば、それは蛍光灯の光を反射して新品同然に輝きを放っている。

 

「値は張るが、そこらで買うよりかマシだと思うぞ」

 

 男の言葉に値札を見るが、そこに書かれてた値段はとても今の手持ちで支払える額ではない。

 

「あ、いたいた。どうしたのユイ」

 

 活気のある声にぎょっとして振り向けば、怪訝な顔をした西園寺さんが店の前で立っている。

 

「もしかして良いものでも見つけた?意外だな。ユイがこんなところに興味を持つなんて」

 

 軽い足取りで私の隣にやってきた彼女は、どれどれとショーケースを眺める。

 

「あ、このカメラでしょ。結構綺麗じゃない?もしかして新品だったり」

「い、いえ。前の持ち主が壊れたからと売ったそうで....殆ど使われてはいないみたいです」

「ふむ....うわ、高いなぁ。アタシじゃ暫く買えないや」

「え、西園寺さん、アルバイトをしていませんでした?」

「ん?ああ、一応してるよ。でもすぐ出掛けて使っちゃうから。なかなか貯金出来ないんだよね」

 

 西園寺さんは頭を掻いて苦笑する。はにかんだ表情が暗い店の雰囲気を暖かく照らすようだ。

 

「ユイはどうする?って言っても、さすがにこれだけの大金は持ち歩いてないか」

「はい」

「だよね」

 

 二人でカメラを見つめていると、男の含み笑いが聞こえた。

 

「そんなに興味があるなら取り置きしといてやろうか。どうせ客も入らないし。大枚はたいてこんなもの買いたがる物好きも居ない。その気がある客に唾をつけといた方がこっちも都合が良い」

「本当ですか!」

 

 私の声に西園寺さんの体が跳ねる。

 

「あ、す、すみません」

「気にしないで。大丈夫だから」

 

 慌てて謝罪をするが、彼女は小さく笑って大丈夫だと答える。

 

「ふむ。姉ちゃん、名前は?」

「神代結衣です」

「結衣さんね。用意が出来たらいつでも来てくれ」

「はい。ありがとうございます」

 

 男に礼を終えると、先に店を出ていた西園寺さんが私を呼ぶ声がする。

 振り向いて歩き出そうとした時、男が何かを思い出したように私を呼び止めた。

 

「姉ちゃん。良ければこいつをもらってくれないか」

 

 男がカウンターの下から取り出したのは、一台の古びた角灯だった。

 

「少し前に手に入れた品なんだが、このランタン、青い火が点く珍しい品物なんだ」

 

 青い火の点くランタン。突然出た不思議な言葉に首を傾げると、男も予想していたように表情を固める。

 

「誰も信じてくれないんだ。実演しようにも怪しんで帰っちまうから証明も出来ない。高値で売れると思ったが、このまま倉庫で腐っても仕方ないと、次に来た客に譲ろうと思っていたんだ」

「....」

「怪しいモノじゃない。俺が何度も使って試したんだから問題はない筈だ」

 

 男は真剣な顔で語る。とても人を騙そうとしているようには思えず、加えて突拍子もないような奇妙な話に興味をそそられ聞き入ってしまう。

 

「代金も取らないし、ただ捨てるのも勿体ないんだ。人助けだと思って受け取って貰えないか?」

「....本当に、危険な物では無いんですよね」

「ああ!保証する」

「....それなら、いただいても、良いですか?」

 

 男の前まで歩み、そのランタンを持ち上げる。

 ずっしりと重い手触りに手を引かれ、思わず取り落としそうになるのを慌てて堪える。ランタンとはこんなにも重い物なのだろうか。物語の中でしか目にした事のない古びた物。

 アンティークと呼ばれるであろうそれについて詳しくは分からないながらも、疑念を抱く。

 

「お、重いんですね」

「ああ、普通はもう少し軽いと思うんだが....お宝でも隠されてるんじゃないかと買ってみたがこれが拍子抜け。中にあったのはオイル代わりの蝋だけだ。無駄に重いだけのハズレだったよ」

 

 男は頬杖を突いて溜め息混じりに溢す。大きな買い物だったのか、その顔色からは目に見えて落胆の感情が伝わる。

 

「しかし、これでそいつを捨てる事に悩む必要も無くなったんだから、姉ちゃんには感謝しないとな」

「でも....本当に良かったんですか?」

「こんな年になって情けない話だが、モノの整理は苦手でな。アレもコレも勿体無いと残しておいた結果が今の惨状。気に入ってくれる人間に譲った方が俺も気分が良いんでな」

「大切になさっているんですね」

「そうでもない。ただ捨てることを面倒がっているうちに愛着が湧いただけのものぐさだ。雑に散らかして置いて何を言ってるのかって話だが」

「それでも十分だと思います」

「そんなこと言ってくれるのは姉ちゃんくらいかもな。知り合いは皆ゴミ溜めと言う。ゴミ屋敷の住人の気持ちがよく分かるよ....っと、連れを待たせてるみたいだな。早く行ってやりな。悪いな、無駄話に付き合わせて」  

 男の言葉に振り返ると、西園寺さんが両手を振っているのが見えた。

「わっ、すみません。すぐ行きます!」

 男を振り返って感謝を告げると、西園寺さんの元へと走る。

 

「ご、ごめんなさい西園寺さん!」

「大袈裟だよ。まだまだ時間はあるし、のんびり行こうよ」

 

 勢いよく頭を下げる私に、彼女の方が申し訳なさそうに答える。

 

「何か話してたみたいだけど、何か買ったの?」

「いえ、少し雑談をしていただけで」

「ん?それってランタン?」

「え!?」

 

 店を出る前に隠した角灯の存在を指摘され、上擦った声が上がる。

 

「ど、どうして」

「鞄から出てるから」

 

 鞄に目を落とせば、そこには蓋を押し上げて角灯の一部が姿を覗かせていた。

 また可笑しな人間だと思われる。

 ただでさえ教室の窓際で一人静かに過ごす私は影で変わり者と笑われ、肩身の狭い思いをしている。

 クラスの中心である西園寺さんにまでそれに加わられてしまえば、その仕打ちはより厳しくなるだろう。

 混乱する脳を一層激しく搔き乱す羞恥心に、熱くなる顔を伏せるが、西園寺さんの反応は意外なものだった。

 

「キャンプとか興味あったりする?もしかして夜空の撮影が好きだったり?」

「....え?」

「キャンプならアタシも好きだよ。テントの中で灯り点けて食べるカップ麺とか美味しいし、あれ癖になるよね」

「え....い、いえ。違うんです」

「違う?」

「これはただ、珍しい物だからと譲って貰っただけで」

 

 鞄から角灯を取り出して見せると、西園寺さんはそれを観察する。

 

「珍しい?それってどんな?」

「ええと....このランタンの火は....」

 

 そこまで言い掛け、次の言葉が喉に詰まる。

 『青い火のランタン』そんな突拍子もない話をして彼女は信じてくれるだろうか。

 

「どうしたの?勿体ぶらないでよ」

 

 興味津々と言った様子で歩み寄って来た彼女の目はキラキラと鮮やかに輝いて見える。

 

「....」

「ユイ?」

「青い....です」

「青い?」

 

 弱々しく絞り出した声は中途半端にしか届かず、西園寺さんは更に興味を示して聞き返して来る。

 

「ぅ....」

「嫌?」

「....青い火の点くランタンなんです」

「....ふむ?」

 

 眉を潜めながら首を傾げる彼女を見ているのは不安で仕方がない。

 次に来る言葉がどんなに刺々しい物かと怯えて待つ。

 

「確かに珍しいね。ちょっと見てみたいかも」

「ごめんな....え?」

 

 西園寺さんの声色に違和感を覚えて顔を上げると、それまでと変わらず楽しげな表情で角灯を見つめる彼女の姿があった。

 

「疑わないん....ですか?」

「何で?」

「な、何でって。普通は怪しみませんか?」

「ユイを疑ったりなんてしないよ。だってユイは嘘吐けないでしょ」

「う....それは」

「アタシは嘘でも信じるよ。その方が楽しいじゃん?」

「....そうなんでしょうか」

「そうだよ。それはそうと早く行こう」

 

 再び西園寺さんの案内で映画館に向かう。油臭い路地を曲がると、再び目の眩むような光と音が沈んだ心を払拭しろと五感に騒がしく訴え掛けてくる。

 入り口から遠目に見ただけの通りの景色は、いざ目の前にして見ると大量の人が行き交い、あっという間に酔ってしまいそうだ。

 

「ほら、あそこだよ」

 

 西園寺さんの方を見れば、四面を黒で塗り潰したシックな建物が遠くに見え、側面に大きく貼り出された映画広告には今日の目的である作品も含まれているようだ。

 

 彼女の案内で映画館に入れば、そこはハリウッドを思わせる気品ある空間にSF世界の情緒を加えたような世界が広がる。天井には星空をあしらったプリントもされている。

 

「プラネタルシネマ。星野台を代表する映画館だよ。市内だと最新の作品はどこよりも早くここが上映するから、ネタバレされたくない映画はここで見れば間違いナシ」

 

 プラネタルと言う名前は、プラネタリウムから取ったものだろうか。

 

「さーて、お待ちかねのメインイベント。ユイ審査員初の銀幕へ」

 

 私が考え事をしていると、すっかり盛り上がった様子の西園寺さんが二枚のチケットを持って歩いてくる。

 

「すぐに始まるってさ。急ごう!」

「は、はい!」

 

 西園寺さんからチケットを受け取ると、彼女は手招きをしながら上映会場へと向かって行った。

 

             ●

 

「何て言うか....微妙だったね」

 

 中央区。ソフトドリンクを飲み終えた西園寺さんは、それまでの浮かない表情の通りの感想を溢す。

 

「最後は良かったんだけどね。序盤は眠かったなぁ」

「でも迫力はありましたし、私は楽しかったです」

「本当!なら良かったよ。これでユイに変な印象持たせちゃったら申し訳ないし」

 

 ころりと表情を変え、嬉しそうに料理を口に運ぶ西園寺さん。誰もが彼女のように幸せそうに食事をしているのなら、料理人もさぞ光栄な事だろう。

 食後の休憩中、ふと数日前の校内での出来事を思い出す。

 その昼休みに話し掛けられた相手は、見知らぬ二人の男子だった。

 西園寺さんが部活に顔を出さなくなったと言う話をした彼らは彼女の所属する剣道部の部員で、それまで滅多に休むことの無かった西園寺さんを心配していたが、部活に姿を現さず、休み時間も友人に囲まれている彼女に直接理由を聞くことは難しい。そこで、代わりに私からその理由を聞き出して欲しいと頼んできた。

 充実した時間にリラックスしていた心に緩く締め付けられるような感覚が訪れる。

 彼女に理由を聞くのなら今が丁度良い機会だが、相変わらず他人と話す事には抵抗があり、面と向かって口を開こうとしても息苦しさが邪魔をする。

 

「ユイ。どうかした?」

「え?」

「何か考え込んでいたみたいだから。気になることでもあったのかなって」

「ええと、それは」

 

 やはり西園寺さんは鋭い。

 

「アタシで良ければ聞くよ。遠慮しないで良いから話してみて」

「....私の事ではないんです。でも、西園寺さんに聞きたいことが」

「アタシに?良いよ。何でも聞いて」

 

 自信ありげに答える彼女が、申し訳なさを感じていた心の支えになる。

 

「その、剣道部の人から聞いた話なんですけど、西園寺さんが部活に出ていなくて、その理由を教えて貰いたいなと」

「あ、ああ。それかぁ」

 

 痛いところを突かれたのか、明るく晴れていた彼女の表情が曇り固まる。

 

「....まずい質問でしたか?」

 

 罪悪感に思わずそう口にしたが、西園寺さんは少しの間唸りながら考えてからさっぱりとした様子で顔を上げる。

 

「分かった。ユイには話すよ。その代わり、場所を変えても良い?人前ではちょっと話しにくいんだよね」

「分かりました」

 

 笑顔で振る舞う西園寺さん。その顔にはどこか影が落ちているように見える。

 会計を済ませた彼女は、店の前で携帯電話を操作してから私に声を掛ける。

 

「廃虚街で良い?」

「廃虚街....ですか」

「うん。そこじゃないとアタシも安心して話せない気がするから」

「構いませんが....どうして廃虚街に」

「絶対に誰にも聞かれたくないんだ。ユイ以外には誰にも」

 

 西園寺さんの携帯電話の画面に映されたには廃虚街の地図。見間違いようのない航空写真に目を凝らす必要はない。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 答えが出なかった。諦めと決意を孕んだ強さと弱さの混在する重い雰囲気が泥のように喉奥に膜を張る。

 普段の彼女からは違和感を感じさせられる微笑。その違和感が彼女の抱く何かを物語っているようで言い様の無い不安感が吸い込む空気と共に肺を満たしていく。

 

           ●

 

 非常階段を登り終えた西園寺さんは大手を広げて体操選手がそうするような着地の真似事をする。

 

「またここに来るとはね。アタシが決めたんだけど」

 

 一足遅れて到着した私を見ると、彼女は室外機にもたれて手招きをする。それに従い隣に座ると、彼女もゆっくりと腰を下ろす。

 

「で、アタシが部活が出てないって話だっけ」

「はい」

「どうしても聞きたい?」

「....はい」

「脅されたから?」

「いえ、でも」

「怖いよね。ユイなら尚更。気になるなら多少騒がれてでも自分で聞きに来いっての。ほんっと卑怯な奴ら」

 

 笑いながら憎まれ口を叩く西園寺さん。やはりその声からは普段の気迫が抜けて聞こえる。

 

「その、嫌でしたら無理には」

「ううん。あいつらの話だからアタシがユイと仲良くするようになったのを良いことにそれを利用したんだ。ユイは逆らうようなタイプじゃないから言うことを聞かせやすいってね」

「....そうなんでしょうか」

「まあ悪いのは断りもしないで消えるアタシだし。急にユイと絡み出して変な誤解させるアタシだから。アタシにも責任の一端はあると思うし、ユイの為にも少しは協力しないとね」

 

 西園寺さんが立ち上がり、私の前で屈んであるものを取り出す。

 

「これ。何か分かるよね」

 

 それを目にした途端全身が総毛立ち、ビリビリと体が痛む。

 

『特例疾病医療受容者証』

 青いカードに刻まれたその文字に目眩がする。

 名前。写真。何かの間違いであれと睨み付けるように項目を見るが、その全てが彼女を表すものだ。

 

 つう、と肌を撫でた汗の一筋を皮切りに、絶え間無く冷えた汗が続く。

 乱れた息を整えようと吸い込む程、意思とは真逆に呼吸は乱れていく。

 目の前に突き出された酷薄な現実に、聞かなければ良かったと激しく後悔した。

 

「どうして....」

「アタシにも分かんない。突然だったからね」

 

 身分証を見せるように取り出したそれは、彼女が間も無く命を落とす事を暗に示している。

 

「適当な理由付けるのも難しそうだったから隠し通そうとしてたんだけど、何でもアタシは特別な体質らしくてさ。本来なら死ぬはずの時期を過ぎても生き延びられるらしいんだ」

 

 予定が狂ったと困った様子を見せる西園寺さんだが、誰もが絶望する人裂症を前に怯えているようにはとても見えない。

 

「おかげで隠すのは面倒になったけど、それでチャンスが生まれたんだし、アタシみたいな患者は治療の手がかりになるかもしれないって話もある。この街の希望になれるかもしれないなら、その期待に答えなきゃね」

「....怖くないんですか?」

「そりゃ怖いよ。でも怖がってるだけじゃ問題は解決しないし、アタシに出来るのは絶望して嘆くんじゃなくて、人裂症に立ち向かう事。立ち止まってるのはらしくないからさ」

「....」

「これも秘密にしといてね。感染の心配は無いにしても、騒がれると面倒だから」

「はい」

「じゃ、重い話は終わり。解散にしようと思ってたけどもう一軒行くよ!甘い物食べて嫌なことは忘れる。オッケー?」

 

 跳ねるように立ち上がり、そのまま歩き出す西園寺さん。

 喉まで出掛けた言葉が、見えない膜に阻まれるように引き留められる。私も彼女と同じ人裂症の患者であり、彼女と同じ特別な体質の持ち主であると言うこと。

 伝えたい言葉はあるが、それを彼女に伝えて良いものかと自問する。

 その言葉で彼女との関係が壊れてしまうのではないかと思うと、私と彼女とを断ち切り兼ねない爆弾に手を触れることが憚られる。

 留められた言葉を飲み下そうとした時、西園寺さんの言葉が脳を過る。

 

『怖がっているだけでは問題は解決しない』

 

 西園寺さんの秘密。その領域に踏み込む事は彼女の抱える傷に触れることだ。

 誰からも相手にされず、誰をも避けてきた私。西園寺さんはそんな私に手を差しのべてくれた人だ。

 同じ苦しみを知る私だからこそ、彼女に返せるものがあるかもしれない。

 彼女に伝える事を恐れていては、いつか後悔することになるかもしれない。

 

「さ、西園寺さん!」

 

 ぎょっとして振り向いた彼女の元に駆け寄り、深呼吸をする。抱いた覚悟は、風に晒され消えかけの炎のように揺らぐ。このまま待つばかりではやがてそれも消え失せるだろう。

 

「わ、私も、西園寺さんと同じです!」

「お、同じ....何が?」

「じ、人裂症....私も人裂症の患者なんです!」

 

 呆気に取られていた彼女の顔が強張る。

 

「え、何かの冗談?ならもう少し面白いネタで」

 

 無理もない。本来ならば長久くても一週間程度しか生きていられない病だ。症状を知っている者からすれば、突拍子もない話を信じられるはずがない。

 しかし、このまま嘘だと片付けられてしまっては私の思いは伝わらないままだ。

 

「それなら、これでどうですか!」

 

 財布から自身の受容者証を取り出し、彼女に見せる。

 戸惑う顔から血の気が抜け落ち、怯えるような表情で受容者証に触れる。

 

「え....うそ....何で?何でユイが?」

「....」

 

 不思議だ。自分の事以上に、彼女は私が人裂症の患者であることに強いショックを浮けている。

 現に彼女は目を潤ませ、震える指で私の受容者証を見つめている。

 

「ち、ちょっと待って....整理したい」

「....はい」

 

 私と受容者証を交互に見比べ、安堵と不安の溜め息を繰り返す西園寺さんは、始めこそ今にも死んでしまいそうな様子だったが、次第に普段の落ち着いた雰囲気を取り戻していく、

 

「....分かった。ユイも人裂症の患者で、アタシと同じ症状の進行が遅いってことなんだね」

 

 状況を理解した西園寺さんは、受容者証を返し、さて。と一言を溢し神妙な表情で私を見つめる。

 

「ユイは秘密にしてくれてても良かったのに。アタシ、心配したよ?」

「ごめんなさい。でも、どうしても伝えたい事があったんです」

「ふむ?伝えたい事。ユイからなんて初めてじゃない?」

 

 西園寺さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて私を覗き込む。

 

「西園寺さんが私と同じ事で苦しい思いをしているなら、私でも役に立てるかもしれないと思ったんです。出来ない事ばかりですけど、せめて西園寺さんが私に良くしてくれる事に何か返せる事がしたいんです」

「....そっか」

「何が出来るかも今は分かりませんけど、西園寺さんが辛い時の支えになれるなら」

「....ありがとね」

「いえ、西園寺さんに比べたらこのくらい」

「正直一人で抱え込むのはしんどかったからさ。酷い言い方かもしれないけど、仲間が居るってだけで凄く安心した....怖かったのも、不安だったのも、私一人じゃないんだって思えば....うん。もっと頑張れる気がする」

 

 いつの間にか薄く濡れた目をしていた彼女は、指で涙を拭う。

 

「だから、本当にありがとう。ユイが教えてくれた事。きっと今のアタシには何よりも頼もしい」

「....はい」

「一緒に頑張ろう。アタシ達ならきっと負けないから」

 

 弱々しく、しかし覚悟の籠った西園寺さんの笑みに、私も笑顔で返す。上手く笑えていただろうか。

 

            ●

 

「じゃあね、ユイ!」

「はい。今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「うん!また誘うからね。あ、ユイからでも良いよ。予定なら空けるから」

「そ、それは申し訳ないので....私からは遠慮しておきます」

「そっか。ならアタシはここで。また学校でね!」

 

 中央駅で西園寺さんと別れ、神依区の駅で列車を降りる。最後まで眩しい笑顔の彼女に送られ、朝の集合場所では緊張感でいっぱいだった心も、今では楽しい外出だったと自信を持って言える。

 西園寺さんの思わぬ秘密を知る事になってしまったが、それが彼女を救うきっかけになればと思う。

 連絡橋を降り、対面のホームの人混みを抜けて出口へと向かう。

 いつになく人の多い駅に違和感を感じつつも、慣れない人の波に押されてながら歩く。

 

「はい。はい。ええ、発見しました。はい。神代結衣です」

 

 足音に紛れて男性の声が聞こえた。

 突如として自身の名が挙げられた言葉に心臓が握られたように激しく痛む。

 周囲を見回すと、ひしめく人の中に白衣姿の異様な身なりをした人が遠退いていくのが見えた。

 卵の殻が剥がれるように体温が地に向けて吸われていく。

 恐怖か寒さかも分からない体の震えに、白衣の人物を追い掛ける気など起きず、金縛りのような恐怖から解放されるや家に向かって早足に駅を立ち去った。

 星野台を離れ、喧騒が嘘のように消え去った神依区の住宅街を歩く。カラカラと音を鳴らす角灯に引かれ、重みにズレた鞄を肩に掛け直す。

 ざわつく胸の鳴りを知らない振りをして家に戻る。玄関の音を聞いたのか、慌てた様子の母がリビングからやって来た。

 

「結衣。大丈夫だったの?」

「大丈夫って、何が?」

「星野台で火事があったんだってニュースで言ってるの。クラスの友達と出掛けてたんでしょう?」

「火事?」

「見れば分かるから、取り敢えず来て」

 

母に手を引かれてリビングに向かうと、テレビには件のニュースが流れていた。

 

「....」

 

 駅での恐怖が冷めやらぬ中で目にしたそれに、私はリビングを飛び出し、自室に閉じ籠り震えていた。

 

『星野台ジャンク通りにて火災が発生。出火元の店内で男性の遺体が発見されました』

 

「....私の....入った店」

 

 重なり合う恐怖に電撃を流されるかのような震えが止まらない。

 ゾワゾワと立ち上がる鳥肌に全身が木の針で突かれるような痛みが波のように繰り返していた。

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