奇妙な力を手に、彼女は単身で脅威に立ち向かう事を決意する。
ぐらぐらと揺らぐ視界。見定めるべき敵の発する圧に私の心は慄き、恐怖し泳ぐ視線が無意味にあちこちへと飛ぶ。
逃げ出せば楽になると悪魔が囁くが、敵の奥に広がる廊下の一部であった残骸を見ればそれらの無残な最期が鮮明に思い出され逃げた果ての私の辿る結末に重なる。
「倒さないと....」
戦った方がましな結果になるだろう。そう考える私はとうに冷静さなど欠いているのだろうが、常識を真正面から否定して嘲笑う今の状況ではまともな脳で常識的な判断をするよりも非日常に狂った頭の叩き出す飛躍した考えの方が余程正しい答えを出しているのかもしれない。
「対象の排除優先順位を更新」
「....」
ロボットが狙撃銃を握った腕を上げる。灰に塗られた銃身は暗闇の中不自然に浮かび上がりそのフォルムを誇らしげに見せ付けている。
「情報更新完了。執行再開」
ロボットが動くより速く後退し、後方の廊下へ身を隠す。
轟音と共に閃光が周囲を焼く。曲がり角を抉った弾丸が対面の壁面に突き刺さって停止する。
雷鳴のように響く衝撃音に耳を塞いで動きを止められるが、音が治まるのを待って正面の空間に指先を向ける。
駆動音に耳を澄ませ、砂塵の中を進む敵が現れるのを待つ。
鳴り響く爆弾のような心音が苛立たしい。
逃げ回っていた時とはまた別の緊張感が全身を震わせる。
脅威に怯え、突き抜くような焦燥感に背を押される痛みも、不思議な事に一度真正面から受け止めれば途端に和らいで感じるのだ。
可笑しくなってしまったのだろうかと唇を嚙む。
より明確に。マギアコアから伝わるイメージを浮かべ、身体の中心から指先に向けて力を流す。
今まで感じたことの無い疲労感が現れるが、絶え間のない緊迫感が崩れそうになる身体を律する。
「魔弾!」
巻き上げられた塵を角ばった巨影が鉛色に沈める。迷い無く叫んだ言霊は渦巻き、形を成した赤黒い弾丸を伴って飛翔し靄がかる塵の壁に風穴を穿ち巨影を揺らがせる。
一度目よりも重い音が響き、大きく大勢を崩した影は、片足を地面から離す。
「今ッ!」
間髪入れず指先に力を流す。
「うっ」
力が腕に流れ始める頃、突然目の前が黒く染まる。根を張るほどに床を踏みしめていた足が折れ、色の戻った視界は地に落ちていた。
嘔吐感に口を抑えてせり上がる物を腹の底に押し戻す。
ちらちらと光る塵の幻覚が舞い、一歩も動いていないと言うのに全力で走った後のように息が詰まり呼吸が苦しい。
塵に噎せ返りながら漸くの事で視線を上げれば、赤い光が目を射す。
死ぬ。脳よりも早く本能が身体を突き動かす。
滑るように廊下を走り、扉の陰に身を隠す。
「機体損傷。内部スキャンを実行」
「....ぁ....はぁ....はぁ」
胸に手を当てればその奥で鳴る心臓は早鐘を打ち続けている。
力を流そうと意識をすれば、倦怠感と共に息が詰まり激しい嘔吐感に襲われる。
自分の身体に何が起こっているのか。それを正しく理解出来ずに混乱する頭は、無駄に酸素を喰っては体調の回復を阻む。
「何か....」
砂を吸い込む不快感に堪え、深呼吸を繰り返す。
壁を隔てた向こうで鳴る電子音が焦燥感を煽り立てるが、それが敵が攻撃を止めている証拠だと思えば幾ばくか余裕を感じられる。
やけに長く感じる苦しみに歯噛みをしていると、あるところを境にそれが瞬く間に萎んで消えていく。
「あ....れ?」
魔法とでも言うのか。それまでの疲弊が嘘のように無くなり、身軽な感覚も取り戻される。
「不良状態軽微。排除行動を続行」
敵も戦闘の備えが終わったのか、アナウンスの後に駆動音が続く。
「敵性存在の座標を特定。執行形態を再定義」
冷たい汗が背を伝う。
敵はまだ手を隠している。たった今まで限界寸前の戦いをしていたと言うのに、これ以上の戦いに私は立ち向かえるだろうか。
ポーチの中に手を伸ばし、残りのマギアコアを探る。
「....!これなら」
「装甲損傷要因....該当記録無し。戦闘記録再生....中距離からの遠隔攻撃」
陰からその姿を覗けば、敵は赤い光を小刻みに明滅させながら動きを止めている。
合成音声が発する内容はここまでの戦いを再現しているようだった。
「対象の戦闘特性を仮定。近接戦闘戦術に移行」
着火。直後の噴射音。影に重なる黒に上を見れば、拳を振り上げて私を見下ろす敵の姿があった。
「っ!?」
横に跳ぶ。地を転げて無様に倒れ伏すが、その痛みを掻き消す衝撃が後方で巻き起こる。
扉がくの字に曲がりながら閉ざされたその奥へと吹き飛ぶ。
遠雷のように唸るブースター。空気の焼ける焦げた臭いを残して疾走するロボット。
駆け抜ける背に指を向ける。また目眩に倒れるかもしれない。しかし敵が背を向け隙が出来た今なら、万が一の事があっても逃げられる可能性がある。
「一か八か....」
「敵性存在。反応健在」
両脚部のブースターを操り、ロボットが急旋回して私に向き直る。
再び拳を振り上げ疾走するロボット。迫るブースターの轟音に覚悟が委縮する。
瞬く間に眼前に至った巨体。頭上に浮かぶ鉄の凶器を前に身体は反撃を拒否し後退する。
床を抉り突き刺さる鋼鉄の腕。撃ち下ろされたされたそれは鈍器の形を成した槍だ。
瓦礫を散らして引き抜き、腰に構えられた拳が駆動音を鳴らす。ギリギリと軋むバネの縮む窮屈な音が新たな攻撃を予感させ、緊張感を
ロボットの腕が引かれる。
「障壁!」
広げた掌を目の前に突き出すと、目の前が淡く碧色に光り、輝きを帯びた楕円の壁が私を守るように広がる。
引き絞られたロボットの腕が振り子の如く打ち出され、光の壁と衝突する。
碧と朱の光が交わる。大鐘のような轟音が身体を内外から震わせ、身体は突風にあおられる木のように後ろへと反り傾く。
「っ....くぅう」
足を踏ん張り、全神経を腕に集中してロボットの拳に抵抗するも、機械の繰り出す力に人間が敵うはずもなく、振り抜かれた腕の勢いに呆気なく吹き飛ばされる。
両手の構えが解かれた事で私を守る光の壁が消滅する。光が失われた廊下に再び暗闇が戻り、遠くで爛々と輝くロボットの目がその存在を過剰なほど主張する。
風を切る浮遊感は激しい衝撃と共に終わりを告げる。
運動能力に自身は無く、クラス内の体育の成績も下から数えた方が早い。
受け身の取り方など分かるはずもなく全身を何度も打ち付け、漸く立ち上がる頃には目の前の景色が不規則に回転していた。
「足が....」
針で刺すような痛みで足首を痛めている事に気付く。
立ち上がろうと力を込めるが、逆に身体のバランスが崩れてしまう。
「うぅ」
「敵性存在の射程圏外への移動を確認。執行形態を変更」
暗闇から響く混濁した声が怨嗟を呻く亡者の群れのそれに思える。
視線を上げれば、暗黒の底に鉛色の銃口がぎらりと光る。
「っ!?」
虚ろな穴からは濃密な死の気が発される。不気味な感触が肌を這う。骨張り、痩せた指がなぞるように、不快な温もりを孕むがりがりと尖った肉のようなそれは、触れた途端に全身に放射し、裂くような怖気がその後ろを稲妻のように駆けていく。
「障壁!」
咄嗟に手を伸ばして叫ぶも、碧いの光の壁は現れない。変わりに先ほど味わった奇妙な脱力感に襲われる。
「そんな....!?」
力が足りない。最悪のイメージが脳裏を過り、銃口と視線が交わる。
「っ!お願い出て来て!」
「執行形態変化。中距離戦闘体勢へ移行」
恐怖も忘れて目を瞑り、一切の情報を遮断し両手に全神経を集中させる。
「障壁!....障壁!障壁!障壁!」
「第一武装ユニット再展開」
一心不乱に。狂ったように叫ぶこと数度。突如目の前に光が灯る。
「照準設定完了。執行開始」
惑星の破裂。いつかテレビで見たそれに似た閃光が闇に瞬く。
煌めく黄金の軌跡が横殴りの雨のように飛翔する。
流星群を間近で眺めているように幻視するが、その星々の全てが私を貫かんと襲い来る凶器だ。
見惚れる間もなく絶え間ない金属音が鳴り響き、手に掛かる衝撃が惚けそうになる私の意識を叩き起す。
「....くっ....ううっ!」
炸裂する弾丸は黒煙を巻き上げて叩き付けられるが、光の壁はその悉くを受け止める。
勢いを殺された弾丸は敵の扱う武器に相応しく巨大であり、私の前に降り積もり光の壁を守る弾丸の壁を作り上げる。
巨大な弾丸の山がロボットの放つ弾丸を弾く。
「こ、これなら....」
手を下ろして光の壁を解き、ポーチの中に納めた魔弾のマギアコアに触れる。
頭に湧き出すイメージを再現し、弾丸の山に背を預ける。
力を流し、陰から顔を出して狙いを定める。
「魔弾!」
赤黒い弾丸が飛翔し、闇に消える。
鈍器で殴られたような金属音が響き、弾の雨が止む。
ガンガンと痛む耳を押さえ、再び弾丸の山に隠れる。
「ふぅ....ふぅ....」
再び訪れる奇妙な息切れに深呼吸をすれば、弾丸から散った火薬の不快な臭いに噎せる。
「遮蔽物を確認。特例により一時執行態勢を変更。第二武装ユニット展開。周辺の歩兵の退避を指示」
長すぎる静寂に安心を通り越して不安を抱き始めた頃、暗闇から紡がれる声に不穏な言葉が混じった。
本能が警鐘を鳴らす。
「っ!?もう一度!」
弾丸の山に向けて手を突き出し、障壁の力を使用する。
それは光の壁の出現と同時に訪れた。
弾丸の山がバラバラと崩れ、中心に風穴を開けて一発の弾丸が飛来する。
鋭く削られた弾頭が壁に衝突する。
半透明な世界の向こう側でギリギリと音を鳴らす弾頭が、掘削機のように絶えず回転している。
衝突と同時に生じた亀裂が広がり、拳の攻撃を凌いだ光の壁は硝子のように脆くひび割れていく。
「ぐうぅっ」
今にも壁を粉々に砕いてしまいそうな弾丸の勢い。私の手をへし折らんばかりに押し付けられる力が、その破格さを物語っている。
弾丸の力に身体の重心がずれ、体勢が崩れる。ほぼ同時に光の壁が消滅し、軌道を崩された弾丸が暴風のような唸りを上げ私の横を通り過ぎていく。
「....」
間近を通り抜けた死の臭気に総毛立つ。
身体を外れていると言うのに直接肉を貫かれたような痛みを覚え、一瞬身体が強張る。
後ろでは爆音と共に壁が崩れ、退路を塞がれる。
「近接執行形態へ移行。追撃を実行」
炎が叫ぶ。乱雑にばら撒かれた有象無象を蹴散らして、鉛色の巨影が迫る。
「障....っ!」
力を扱おうとした手を留め、敵の拳を避ける。
一撃。また一撃と攻撃から逃れる度、強大な脅威が萎み、鉄の人形へと成り変わっていく。
気迫が迸り、初めは恐怖で逸らしていた視線も真っ直ぐに敵を捉えている。
ぶつかり合う赤い視線に睨み返す。機械に思いなど届くはずもないが、それで良い。
腕が床に振り下ろされ、砂煙が巻き上がる。床に突き立てた拳は引き抜かれること無く、私に向けて力任せに振り回される。砕かれたコンクリートの破片が投石のように飛散する。まるで石の散弾銃だ。
大胆な攻撃に驚くが、後ろに飛び退いて避ける。
「魔弾!」
振り抜かれた無防備な腕に向けて弾丸を放つ。
衝撃により体勢を崩した敵の腕が壁に衝突し、重厚な機体がそのまま横に崩れ落ちる。
「過重調整システム異常発生。緊急修正開始」
「魔弾!」
動きの止まった的の頭部に狙いを定め、全身の力を一斉に流し込む。
一瞬目眩のような感覚が現れるが、構わず力を注ぐ。
「これで....倒れて!」
指先が赤黒い星のように閃き、拳ほどの球体が生まれる。
「魔弾!」
叫びと共に弾丸が放たれる。赤黒い軌跡を残し、流星のように翔んだ弾丸は深紅に輝く敵の眼に直撃し、炸裂する。
掠れた機械音が鳴り、死神の目のように輝いていた赤い光が消える。
「....」
重い息が溢れる。魂までも引き抜かれるような感覚が襲い、糸の千切れた人形のように床に崩れる。
目眩に目を閉じても吐き気は変わらない。時の止まったように静まった廊下には荒い呼吸だけが弱々しくもはっきりと響いていた。
「....早く....動かないといけないのに」
身体は床に張り付いたように動かず、暗い床に落ちた視線を上げることが出来ない。
ふと、ラジオノイズのような音が耳に入った。
火花の散るようなごく小さなそれは、音の無い世界でしか聞くことは叶わなかっただろう。
「....了。視覚センサー....サーマルバイザー全損....右腕部パーツ大破....過重調整システムに深刻なエラー。リペアシステム利用不可....聴覚センサーによる対象の捜索を開始」
人の声だ。掠れ、途切れるそれは雷撃のように私を打つ。
重なっていた声は不恰好に崩れ、録音された持ち主の声が不自然に速度と大きさを変えて流れる。
「敵性存在....健....在....執行....継続」
「どう....して」
姿を見なくとも容易に想像がつく。
敵はまだ動いている。
バチバチと火花の散る破裂音が不規則に鳴り、へこんだ装甲が擦れ、厚みのある金板が変形する音がその重みを主張する。
西園寺さんと見た映画の記憶がフラッシュバックする。巨大なコンテナの軋む音が映像と私の置かれた現実を繋げ、いっそう恐怖を煽る。
「パーツ損傷甚大。ユニットリンク....失敗。中遠距離執行形態を除外。武装ユニットをパージ」
足音ではない何か。間を空けない二度の音が続き、床が揺れる。
「はあ....はあ....」
速まる呼吸が悲鳴のように聞こえる。必死に息を吸い込んでも、ねばつく油臭い空気が生暖かく喉を撫でるばかりで、息の詰まる苦しみは晴れない。
「執行....再開」
ゆっくりと続く軋みは永遠にも感じられ、今にも崩れんばかりの天井がすぐそこにまで迫っているかのようだ。
戦いは続いている。しかし、それまでの身軽さが嘘のように身体は動く事を拒絶している。
「機体荷重量....安....」
大きな揺れが起こる。真っ黒な床には消えかけの弱々しい赤い光が射す。
「ひっ....」
敵の顔が横にある。カメラは壊れているのだ。私の姿を見る事は出来ないだろう。しかし、幾度と無く私を射抜いて来た死神の眼光には、無力な私を狂わせるには充分過ぎる力が宿っていた。
「ああああ!」
理性の堤防が決壊し、塞き止められた無数の感情が溢れ出す。
堪えていた悲鳴が吐き出される。
息苦しさも、喉の痛みも気にならない。ただ身体が求めるままに叫ぶ。これ以上の苦しみを背負う事は出来ないと、壊れた心は押し殺した有象無象の全てを消し去っていく。
「ああああ!」
固まった身体を力任せに引き起こし、ガクガクと震える指を敵に向けがむしゃらに力を流しては弾丸として放つ。
血膿のように歪な力の塊が至近距離で敵の装甲に直撃して消滅する。
黒と灰を行き来する世界では着弾の音が戦いの行く末を知る唯一の手段だ。
もっとも、何が見えたとして私がそれを理解出来るとは思えないが。
「....」
曇りガラスのような視界。最後に残った赤い光も消え、不確かな情報に埋め尽くされている。
何も感じられない。鼓膜を揺らすのは自分の物とは思えない程に狂った速度で繰り返される呼吸の音だけ。
パラパラとコンクリートの崩れる音がしたかと思えば、瞬く間にそれは騒がしい崩壊の音に変わっていく。
もう嫌だ。
朧気な視界が後ろに動いたように見えた。
●
首に触れる冷たい感触。目を開けば、視界を覆い尽くす鉛色の壁があった。
「っ!?」
反射的に引き下がろうとするが、景色は変わらず代わりに後頭部に何かがぶつかる。
「動かない....?」
自身が床に倒れていることに気付き、身体を起こす。
不恰好に変形したプレートは、機体の動きが停止した状態でも変わる事の無いプレッシャーを放っている。
ふと、身の回りが異様に暗いことに気付く。耳を澄ましてみれば、ロボットの身体が何かに押されているのか、機体の傾く音がする。
目が覚める前に聞こえた崩壊の音が思い出される。
私を殺そうと動いた上に崩れた壁の瓦礫が落ち、それが止めとなり動かなくなったロボットが、私の代わりに瓦礫の受け皿になっているようだ。
「は、早く逃げないと」
ロボットの残骸に背を向け、崩れた瓦礫を退かして這い出す。
暗い廊下は変わらず続き、変わった事と言えばロボットの武器によって破壊された瓦礫が道を塞いでいることだろうか。
帰り道になる筈だった道は破壊され、ロボットの残骸に封鎖された道を進むことも出来ない。
「閉じ込められた....」
瓦礫を退かせば道を開く事は出来るだろう。しかし、その為にかかる時間は計り知れない。
身体の疲れは感じないものの、戦いで受けた傷の影響で腕は何かを掴む度にズキリと痛む。
「確か医療キットはあった筈だけど....」
「....と。漸く繋がったか」
突然耳元で声が聞こえる。
「ひいっ!」
「おいおい何も怖がる事無いだろ....んや、こんだけいろいろあればそうもなるか。悪かったな」
大慌てで辺りを見回すが、そこには暗い廊下があるだけだ。
「だ、誰ですか!」
「誰か....まあそれは後で教えてやるよ。お前次第でな。今はそれよりも重要な事があるだろ?」
気安く、しかしどことなく生意気な少年のような声で姿の無いそれは質問を返す。
「お前。そこから出られないんじゃないか?丁度暇してたから見せてもらったが、瓦礫まみれの廊下で出口は無い。何とか退かして動こうにも腕は骨が折れてると来た。言うところの八方塞がりってやつだろ?」
「骨が折れている?」
あれだけ激しい戦いだ。骨折していたとしても不思議ではないだろうが、突然それを告げられて困惑する。
「完全に折れてるってわけじゃないが、下手に使えばポッキリ逝く程度にはビビが入ってる」
「そ、そうです。医療キットがあります」
「ふーむ。だが、今お前には追手が居るみたいだぜ?」
「追手?」
「お前の居場所に向かってる奴が居る。大方そこに転がってる鉄屑のお仲間さんだろうな」
「仲....間?」
またあのロボットがやって来る。考えた瞬間に激しい寒気が全身を駆け抜ける。
「状況が理解出来たところで本題だ。そこから逃げたいって事なら、俺達の言うように動いてくれ。そしたら手を貸してやれる」
「言うように?」
「簡単な事だ。近くの部屋の扉を開けてくれ」
「ええと....でも、開いている扉なんてありませんよ」
声に従い扉を探す。確かにそこには部屋に繋がる入り口があるが、傍らに取り付けられた操作パネルに灯りは点いていない。
「開けると言っても、やるのは真似事で良いんだ。扉を開けるように動いてくれ」
「真似事....信じても良いんですか」
「嘘を吐いてるつもりはないぜ。言ってることは怪しいだろうが、そこで傷を治したとしてもう一度戦うだけの余裕があるのか?」
「それは....」
「俺達からも頼みたい事があるんだ。こいつは取引でもあるんだ。お前は危機を脱し、俺達は交渉相手を得られる。そっちにも悪い話じゃないだろ?」
「....」
「ゆっくり悩みたい気持ちは分かるが、急がないと蜂の巣にされるぞ。ほれほれ、さっさと決めた決めた」
声はケラケラと楽しそうに笑いながら私を煽る。
悩みたいに決まっている。ただでさえ知人との交流きも苦手意識がある私に初対面の、それも顔も分からない相手と取引をすると言うのだ。緊張で固まった頭で冷静な判断を下すのがどれほど大変な事か教えたいくらいだ。
考え事の邪魔をしないでほしい。
「おーい。決まったかー」
「....分かりました。扉を開けたら良いんですね」
「その通り。話が分かる人間は嫌いじゃないぜ」
準備をすると言った声が聞こえなくなる。
扉の前に立ち、真っ黒なパネルに手を触れると、動く筈のない扉が音を立てて横にスライドした。
「....え?」
奥には暗闇を更に暗くした文字通りの黒が広がっている。恐る恐る手を伸ばせば、指先は扉の向こうで空を掻く。
「よう。落ちたりしないから進んでみな。そこには灯りが届かないだけだ。なに、お化け屋敷みたいなもんだよ」
「....」
促されるまま踏み出せば、確かに靴の裏が地面のようなものを捉える。
「おっかなびっくりってのはそう言うやつの事か。なるほど傑作だな」
何が可笑しいのかケラケラと笑いを絶やさない声の主に腹が立ってくるが、だからといって私に何が出来るわけでもなく黙って歩く。
一歩進む度に、耳元では冗長でだらけきった調子で、声の主が万歩計のように数を読み上げている。
「あ、あとどれくらいなんでしょうか」
「まあじきに着く。慌てなくても死にやしない。敵も居ない事だし状況整理でもしたらどうだ」
「こんな暗いところで気を抜けないです」
「へえ、見た目通り慎重派か....まあ油断しないのは良い事だな」
主の声はクスクスと含みのある笑いに代わっている。
「ここはどこなんでしょうか」
「それはこの道の事か?それともこの得体の知れない建物の事か?」
「....貴方にはこの後会えるんですか」
「当然だろ。面と向かって話さないじゃお前に逃げられる可能性もあるからな」
「逃げ....」
「怖がるなよ。俺達はお前を殺さない。誓ってやるよ」
どうにも信じ難い調子で話す声の主。
「言ってるだろ。頼みたいことがあるって。殺したら意味がないだろ」
「それはそうですが....」
「とにかく黙って歩くんだよ。いつかは着くからな」
それきり私が何を話しても声の主が応じることはなくなった。
生意気で憎たらしく感じていた声でも混乱した私には心の支えになっていたようで、それが消えてしまった途端に暗闇の放つ不安感が襲い来る。
●
「よう、来たな」
「来た?着いたんですか?」
「そうだな。ちょっと待ってろ灯りを用意してやる」
声がそう言うと、周囲がパッと明るくなる。
眩しさに細めた目を開くと、一面が黒に染まった壁が広がっている。置かれた家具が寂しさを感じさせるのは、無駄に広々とした部屋のせいだと気付く。
「待ってたぜ人間。ようこそ、俺達のシェルターへ」
大袈裟な声で告げられた歓迎の言葉に振り向いた先、全身を黒に包んだ何かが拍手をしながら笑っていた。