白亜の回廊で、夢を見ている。
第一層。荒れ果てた広間に、記憶が一つ。
炎。爆発炎上する旧校舎。気絶した同級生達を背負い廊下を歩く自分の姿。
――違う。想起すべき記憶はこれじゃない。
第二層。白光が瞬く通路に、記憶が一つ。
腕。千切れた自分の右腕。無残な断面からは、滝のように真紅が溢れ出す。
――違う。そんなことはもうどうでもいい。
第三層。月が照らす窓際に、記憶が一つ。
光。悲しいほどに眩い光。黄金の光が、刃となって俺の右腕を切り裂いた。
――違う。本当に知りたいのはその担い手。
第四層。夜に微睡む階段に、記憶が一つ。
鋼。強靭で繊細な鋼の腕。鉄の義手が、勇者みたいに光の剣を握っている。
――違う。だが、近い。あと、もう、少し。
第五層。闇に消える聖堂に、誰かが、一人。
安らかな眠りを誘う静謐。閉ざされた扉の奥を知って、心が逸る。
それこそが目的だと理解して、歩いてなどいられず、入口に向かって駆け出し、扉へと手をかけて、何一つ思考しないまま、ただ開け放つ、その、直前――
「――違う」
それを起こしてはならないことを、思い出した。
〝あなたは、コーヒーゼリーを拾った。〟
妙な声がして、意識を取り戻した。
目覚める時はいつも、ここがどこで、自分が誰なのか。少しばかり分からなくなる。
見る限り自宅ではない。
どこかの店の事務所。コンビニか何かのバックヤードだろうか。
頭は自分が誰かも理解出来ないぐらいにぼやけていた。が、少なくとも椅子に腰掛けていることは自覚できる。
どうやら、座りながら俯いて寝ていたらしい。
あくびをしながら、顔を上げた。
「この状況で居眠りが出来るとは大した度胸だな男子高校生。何ならこのまま無限に寝るか?」
――顔を上げた目の前に、銃口があった。
びっくりすべきなのだろうが、ぶっちゃけ頭が回らない。
でも少しは面白いことを言うべきなのかなあと舌を回す。
「……そうか、俺は今まさに大ピンチに見舞われているサスペンス映画の主人公……?」
「ほう、個性的な遺言だなモブ被害者B。思わず脇役にもそれぞれ己が人生の一人称があるのだなと感心してしまったぞ? まぁその人生も今ここでニューシネマよろしくプツっと終わりを迎えるわけだがなァ!」
などと俺に銃口を突きつけブチ切れているのは、ゾッとするほど美しい巨乳の女性警官だった。
ただ、美しいと言ってもジャンルが花や蝶でなく雌ライオン。
一見しただけでは線の細い顔立ちと、長い手足、ゆったりしたコート姿に誤魔化されそうになるのだが、よくよく観察してみれば体格と筋肉がすごい。
今見ている巨乳にしても、こうして真正面から見ている分にはただの巨乳だが、少し斜めから見ればその半分が鍛え上げられた胸筋であることがすぐに分かる。
そんな彼女が片手で軽々と持っているのが、象でも狩るのかと言った具合の大拳銃。
成人男性の両手でも持て余しそうなリボルバーは、明らかに日本の警察官が携帯していい物ではない。そいつが、何の罪もない(と思う)俺の額にぐりぐりとめり込まされている。ひどい。
「ところでおまわりさん」
「あぁ? どうした容疑者」
「俺の罪状って何でしたっけ」
「万引き」
万引きかー。
道理でコンビニの事務所で警官と相対しているわけだ。銃のことはひとまず置く。
「と言っても、何かを盗んだ覚えも無いのですが」
「ほう。まぁこの状況でそう言えるなら真実なのだろうな。だが実際問題ブツは失くなっているんだよ――私が徹夜明け仕事終わりの自分へのご褒美に購入しようとしていたコーヒーゼリーが、な」
「マジかよ……」
賢明なる皆様には説明するまでもないだろうが、当然コンビニスイーツが失くなったことに対しての「マジかよ……」ではない。このクソバカマッスル私怨九割ウーマンに対しての「マジかよ……」だ。
「いいか? まずこの
「帰りたい」
そもそも、よくよく思い返せば帰る以前に学校に向かう途中だ。
確か、早起きの結果少し早く家を出てしまったので、学校へ行く前に漫画雑誌でも立ち読みしようとコンビニに立ち入ったのだ。まさかこんな些細な寄り道のせいでバッドイベントが発生するとは。
そうして色々と考えている内に、段々と頭がはっきりして、諸々と思い出してくる。
例えば、この女が永池市の名物警官で、
「先ほど鞄と制服を
「いや国巻さんの面倒臭さを全力で抜きにして真面目に答えたところで、本当に心当たりとか無いんですけど」
「……本気か? 本気で言ってるのか? 私なー、こう見えて全身ズタボロで、折れた骨で内臓もちょっと抉れててなー、病院行ったらろくに物も食えん生活が確定してるんだぞー今なー! 何も食えなくなる前にせめてお気にのコーヒーゼリーを食べておきたいと現場からそのまま気合と根性だけで必死に這って来た気持ちが分からんのかお前なー!」
「知らんが……」
というか、全身ズタボロなんだ。
巨乳と拳銃にばかり目が行っていたが、確かに、よく見れば彼女の左脚は折れていて、拳銃を持っていない方の手では杖を突いている。服が黒いのでわかりにくいが、ところどころに大きな血っぽい染みもあった。はよ病院行け。
……いや、そもそも、何をどうしたらこの鉄人美人が全身ズタボロになるような事態に陥るのだろう。
確かこの
「……ああ、アレだよ、アレ。動物園の。覚えているか、
村雨。俺の名前である。
村雨
この怪物美女と比べれば特徴的なアピールポイントも無い一般人だ。でも「国巻麻と比べれば全人類のほとんどが一般人ではないのか」と言われればそれはそう。
「数年前に、テロ目的で永池動物園の大型獣が一斉に解放された事件があっただろう。それも薬物投与のオマケつきでな。要はアレの残党処理だ」
「まだ捕まってない猛獣が居たって情報自体がまず全力で驚きだよ。一体どんな……ライオンとか?」
「うーん……。トカゲ、かな」
「何でそこフワっとしてる感じなんですか?」
「それなりにデカい奴だ。兎にも角にも頑丈で、二十発ほど脳天に至近からブチ込んでやったはずなんだが、これがまあ倒れもしない。口の中を手榴弾でぶっ飛ばしてみたり、川に沈めて窒息させてみたりもしたが、もう何やってもダメでな。最終的に近くにあった廃屋に誘い込んで、廃屋ごと発破し生き埋めにした上で火を放ったんだが、結局死体が見つからないという始末だ。きっと逃げられただろう。こればかりは警察官として満足に仕事も行えなかったことが不甲斐なく、市民である君たちに対してただ頭を下げる他ない」
「それはもう警察官の仕事じゃないんだよ」
どう考えても怪獣か何かじゃねーか。戦車を呼べ、戦車を。
俺の精神の安寧のためにも話を盛っていると思いたいのだが、実際この超人をズタボロにするにはそれぐらいのバケモノが居た方が自然なのも事実だ。いや、何かがおかしい。
「まあいい。そういうワケだからお前も気をつけろ。直に駆除されるだろうが、あまり人通りの無い所には行くなよ。死ぬぞ」
「そんなバケモノが相手だと人通りがあっても死にそうなんですが」
「他に人がいれば誰か食われる間に逃げれるだろ」
今さっき「市民である君たちに対してただ頭を下げる他ない」って喋った口ですげーこと言うな
「万人を守りたい気持ちはあるが、それはそれとして私だって隣人の方が大事だよ。いいか村雨、どうしようもない状況というのはどうしようもないんだ。まず自分の身を守れ。手の届く者だけを連れて逃げろ。そのために誰が犠牲になったところで、お前は何も悪くない。責任は全て我々にある。だから、大切な物以外を見殺しにすることを躊躇うな」
「へい」
「気の無い返事だがよし。遅れる前に学校に行け」
「誰のせいで遅れてると思ってんだ。それで結局、コーヒーゼリーはよかったんですか?」
「よくは無いが実際無いんだから仕方ないだろう。どうして消えたのかは本当に分からんが、無い以上は我慢するしかない。お前に詰問したのはただの八つ当たりだ」
「なんなの?」
理不尽が過ぎるが、既にまともに
至りたくなかった心境に至りながら、俺は鞄を持ってコンビニを出た。つーか何時何分だよ。間に合うのかこれ。
時間を確認するため、携帯を取り出そうとポケットに手を突っ込む。
「……あれ?」
ポケットから引き抜いた俺の手には、空になったコーヒーゼリーの容器が握られていた。
まず頻繁に物を失くす。忘れる。ふと目を離すと消える。
いつものことではある。
あるが、ここしばらくは頻度が多すぎる。
ビニール傘に、学校の提出物に、美化委員の仕事で使ったスコップに、麦茶の入った水筒に、自転車に、風呂場の石鹸に、台所の小麦粉に、自室の毛布に、借りたソフトが入ったままのゲーム機に、消耗品から小物から家電から何から何までとにかく色々。
あるいは、日に三回はモノを失くしているんじゃあるまいか。
ちょっとヤバいタイプの頭の病気かと思いもするが、単純な物忘れではどうにも不自然なコトも起きている。
謎だ。
なお現在時刻は普通に致命的だった。遅刻確定。
ホームルームどころか一時限目にも間に合わないことが確実なので、むしろ穏やかな気持ちで通学路を歩いていく。
一つ角を曲がると、急に閑散とした風景に切り替わった。
この永池市は、いくつもの町やら村やら郡やらが合併して生まれた県境の地方都市である。大量の風土が入り混じっているせいか町並みもパッチワークめいていて、古都と田舎と都会が少し歩くごとに入れ替わってしまう。
今はおおむね田舎エリア。小学生でもなければ遊べないような寂れ尽くした公園の傍を通った辺りで、チャイムが鳴った。
のんびりとチャイムを聞き流す俺を案じたのか、公園にいた小学生が走り寄ってきて、こちらの脛に蹴りを入れてくる。痛い。
どんな憎たらしい顔をしたクソガキかと思えば、意外なほどに可愛らしい。
見れば、友人の妹であった。
「
「いいんだよ。急いでも遅刻だからね」
「さようで」
水色ランドセルの少女が、「こいつぁしつれいしやした」と黄色の通学帽子を目深に被る。
「みとらちゃんの方こそ大丈夫なのかな。代休か何か?」
「否。お兄ちゃんをさがしてるの。十日まえからまいご。今ごろさびしさに泣いてるともかぎらぬ。ゆえに、みとらも学校休んでほんごしを入れたわけ」
……もうそんなに経つのか。
この子の兄は俺の友人である。
そして彼女の言う通り、俺の友人は十日ほど前からどこかへと消えてしまった。
一応、何かしら意図があっての家出らしく、失踪して以後も何度かはSNSでメッセージを交わしていたのだが、それも三日前から既読無視になっている。
ヤツが行きそうな場所については一通り探してみたのだが、結局のところ見つからずじまいだ。
元々大して素行の良いヤツでもなかったし、普段なら心配もしないのだが……嫌だなあ。特に、トカゲ怪獣の話を聞いた直後というのが最悪だ。
「……
「は? 子どもだとおもってバカにしてます?」
もっともな言い分であった。
「いや、国巻さんがね、むかし動物園から逃げ出した猛獣がまだ残ってるって」
「
困ったことに返す言葉もぐうの音も出ない。
「それに、こないだあえて目立つように夜中に大声でお兄ちゃんの名前よんでそこら中まわってたら、お兄ちゃんからみとらのスマホにメッセきたの」
鮮やかなブルーのキッズ携帯を受け取り、画面を見る。
そこには、『あぶないし近所メイワクだからこれ以上さがすな』という室久からのメッセージ。
「おろかよな、これでは『妹のうごきが分かるぐらいには近所にいる』と自分からはくじょうしているようなもの」
「全て計算づくだと言うのか……?」
「あとね、お兄ちゃん一回へやに帰ったこんせきがあるんだけど、その時USB-ACアダプタの付いたじゅうでんコードはおきっぱで、モバイルバッテリーの方だけもってってるわけ。ってことは、コンセントが使えるような場所にはいない、もしくは行けない。ならば、野宿できそうなエリアに当たりをつけてさがせるってすんぽうよ。お分かり?」
「うーむ、手放しに喜べないタイプの将来性を感じる」
説明に満足した様子で、みとらちゃんはくるりと俺に背を向け、ずびし、と、すぐ近くにある山なのか丘なのか分からない小さな高台を指差した。
「他にもすいりはあるが、これ以上話すのもだそくであろう。みとらはあの
「ではじゃないが。未成年が朝から学校サボって一人で外をうろつくのはよろしくないの」
「ブーメランなげがおじょうず」
「やかましい。というか、この後みとらちゃんに何かあったら君のお兄さんに申し訳が立たないでしょ」
「むぅ」
少女はこちらに向き直り、わずかに頬を膨らませて俺の背後へと歩いていく。
「仕方なし。学校に行きます」
「送る?」
「すぐそこの角をまがれば見守りのボランティアさんがいるのでだいじょぶ。じゃ」
「そっか。じゃ」
そして、水色ランドセルは曲がり角へと向かっていった。
せめてそれが見えなくなるまではと、少女のことを眺めておく。
彼女がボランティアの人に「おはようからごくろうさまでございます」と声をかけるのを見て、踵を返した。
その瞬間。
〝あなたは、―――――を拾った。〟
――また、何かが脳の奥で響いた気がした。
頭蓋が振動するようなめまいを感じて、一瞬の立ちくらみを起こす。
ほんの三秒と経たず、頭のふらつきが収まった。
……本当、最近妙だ。
少しずつ、日常がブレている気配がして止まない。ほんの僅かに角度を間違えたせいで、無限に軌道を外れていく宇宙船を連想しそうになる。
明日の朝にでも室久が帰ってくれば、いくらか軌道修正できるのだろうかと――そんなことを考えながら、俺は学校に足を向け直す。
思い返せば、始まりは二週間前だった。
みとらちゃんとの会話の後、一時限目が終わる頃に学校へ到着した。
1-Dの教室に入る。
本日も欠席者多数。席は、半分程度しか埋まっていない。
扉を開けた俺に向くのは、二十弱の視線。一度集まったそれは、すぐに怪訝な色に変わる。
そんな目で見られても学校に来て欲しいのか来ないで欲しいのか分からないのだが、向こうがそれを言うことはないだろうし、それぞれの思うところも違うだろう。
席に座って窓の外を見る。
今いる本校舎から、少し離れた場所にある旧校舎。
その壁面のコンクリートは黒く焼けただれたまま、まだほとんど手つかずの状態だった。
今から二週間前。
俺含むこのクラスの生徒十六人は、旧校舎の火事に巻き込まれた。
原因はガス爆発。他の建物に延焼はしなかったものの、旧校舎は全焼。火勢自体はかなり強く、遠くからでも火柱が見えるような規模だったらしい。
しかし、この火事によっては死者・重傷者・行方不明者は出なかった。
軽い火傷や、骨折程度の怪我を負った者は多いが、登校できなくなるほどの傷を受けた生徒は一人もいない。
俺含む数人が酸欠による記憶障害を負いもしたが、それだって深刻なものじゃない。程度の差こそあるものの、せいぜい事故の時の記憶が少しあやふやになっている程度だ。
まともな状態だったのは俺、
その上、その室久も十日前から失踪している。
結局、あの日火事に巻き込まれた中で、現在も学校に通っているのは俺一人だけだ。
理由は分からない。医者や警察が調べても原因不明。
俺自身は記憶障害であの日のことをあまりしっかりと覚えていないし、室久や、他の火事に遭ったクラスメイトも、満足な説明は出来ていない。
結果として、被害を受けなかった他のクラスメイトには、どことなく距離を置かれていた。
まあ他から見れば俺一人だけ生き残ったというか――周りを見殺しにしているというか。
そんな風に思う者もいるだろうし、それを否定しようと思う者もいるだろうし、しかし、被害者でもない人間がそれを言及するのもいかがなものかと思う者もいるだろうし。
総意として彼らが最終的に出した結論は不接触、腫れ物扱いだ。
仕方ないよな。と、他人事のように思う。
逆の立場だったなら俺だって触れ方に困ってしまうだろうし、あまり干渉しないようにしようとも考えるだろう。
そういうわけで、この数日はめっきり学校での会話というものが無い。
このままじゃ朝の奇天烈な会話だけで終わるなあと思ってる内に、二時限目、三時限目、四時限目。誰とも何も話さず昼休みとなった。結局変人としか会話していない。
何だか、誰とも話さないよりもマズい気がした。常識的対話を求めて教室を出る。
顔の広い方ではないが、人の多い食堂にでも行けば知人の一人はいるだろう。
「…………」
そんなことはなかった。
一人でうどんを啜りながら、食堂の端に置かれたテレビを見る。
今じゃとうにスマートフォンに追いやられた感のある情報媒体だが、意識の余分を削ぐには十分だ。
内容は相変わらず暗い。政治が悪い・人が死んだ・熊が出た。言ってるアナウンサーも気が滅入るだろうなあと思っていると、画面が赤く切り替わる。
『続いては、■■県立永池高校で起きた火事の――』
む。
もう二週間も経つのに、と思ったが、どうやら隣町でまた火事があったらしい。死者四名。連続する火事に、警察は放火の可能性も視野に入れて捜査をするとかどうとか。
背景に流れる当時の動画。
燃え盛る火の中から出てくるのは、三人の生徒を背負った男子の影――というか俺だ。
「炎の中から出てくるの、ヒロイックな構図ですよねえ。古いロボットアニメのオープニングみたい」
いつの間にか、向かいの席に若い女性教師が座っていた。
1-Dの副担任で、朝の超人婦警と違い、花や蝶に例えて構わないタイプの清楚系美人。
教科担当は確か……なんだっけ。そもそも、この人の授業を受けたことはあっただろうか。
「そりゃどうも。でも、俺自身は何があったか覚えてないんですけどね。ほら、酸欠のせいで記憶障害起こしたとか何とかで」
「そう言えばそうでしたっけ。残念ですね。覚えていれば『立派なことをしたな』って思えたかもしれないのに」
おお、すごい。本日最初のツッコミを入れる必要のない返答である。正直、それだけでこの先生に好感が持てそうだった。
にこやかに笑う先生に対し、少し照れ混じりに返答する。
「いや、別に立派ってことはないと思いますよ。知り合いが火に巻かれそうになってれば誰だって必死になって連れ出すでしょうし。大したことでもないです」
「――へぇ、そうですか」
ふぅん、と含みのあるため息のようなものが漏れていた。
「確かに、こんな動画が流れてるせいでみんな勘違いしていますけど、村雨君もただの被害者ですもんね。結局、君以外みんな休んじゃってるわけですし」
「ッスよね。でも
「そうなんですか?」
聞かれて、朝の小学生との会話をざっくり要約する。
先生は風変わりなみとらちゃんの行動に、気さくな笑みを見せた。
「面白い子ですね。それ以上に、お兄さん思いの良い子です。なかなか出来ることじゃありませんよ」
そう言って、先生は席を立つ。
「学食、先生は何頼んだんですか?」
「え? ああいえ、私はもうご飯済ませちゃってるんです。村雨君の顔が見えたので、声をかけていこうかなと、そう思っただけですよ」
では、と静かに言って、先生は食堂から出ていった。
消費カロリーの少ない、薄味でありふれた、食べごろサイズのやり取り。
素うどんを食べながら、「ほど良く印象に残らない人だったなあ」なんて失礼な感想を抱く。
でも、それが普通だ。朝から銃口を突きつけられたり、小学生に蹴りつけられたりする方が人として間違っている。
「にしても……」
気負うことなく会話できた。
案外、気を遣って距離を取っているのは俺の方かもしれない、とふと思う。
昼が終わり、昼下がりも無意識の内に過ぎていった。
何事もない、いつも通りの恒常性平常運転。
安静な日々を過ごしていると、二週間前に負った日常の傷が少しずつ癒えていく錯覚がする。
当然みたいな顔をして、いつもの放課後がやってきた。
バイト学生ゆえ部活はやっていないのだが、今日は生憎、美化委員会の仕事がある。
旧校舎が使えなくなったせいで本校舎の方に新たな備品を入れる必要があったのだが、一度使ってない用具の整理をする必要があるとかなんとか。
急な仕事に皆でぶーたれながら、埃っぽい椅子やら何やらを運び出す。
中には、扉から外に出せないほど大きい机を一度分解してから外に出す仕事さえあった。
工作室から持ってきたバールを肩にかけ、ふうとため息をつく。
〝あなたは、バール(良質)[鋼鉄製]を拾った。〟
ようやく終わった仕事に汗を拭い、玄関の靴箱に向かおうとした時、美化委員の可愛い系先輩女子に声をかけられた。
「村雨くん、バール仕舞った? 私、一旦教室戻るから、まだならついでに工作室寄ってくけど」
「ああ、じゃあ悪いんですけどお願いしま――、あれ」
無い。
まただ。さっきまで持っていたはずなのに。
「あー……すいません、どっかに置いてきたみたいで。自分で返しに行きます」
言って、先ほどまで居た部屋に戻る。
一通り元居た場所を回ってみるが、見つからない。
散々探した末に下校時刻になり、用務員さんに学校を出るよう注意された。
明日また探すか。そう決めて校門を出る。
朝にみとらちゃんと話した、丘ヶ山の麓公園まで歩いたあたりで、しかし一体どこにいったのだろうと、頭を掻こうとして、ふと。
いつの間にか、手にバールを持っていることに気がついた。
「…………」
わけがわからない。
先輩に言われて戻った後に、バールを拾ったなら、それは気づくはずだろう。どのタイミングでバールを持っていたのか、本気で思い出せない。
手に持っていたはずの物がいつの間にか失くなって、いつの間にか手の中にある。
よくあることではある……ああ、いい加減「よくあること」で片付けるのも無理な気がしてきた。
そろそろ気が滅入りそうだ。これじゃ知らない間に、誰かの持ち物を奪っている、なんて最低なことまでしているんじゃあないか、と――
――ことん。足元に何かが落ちる音が響いた。
地面を見る。
鮮やかなブルーのキッズ携帯。
「……うわ」
確かに、そうだ。そういえば。
みとらちゃんから画面を見せてもらった後、手渡された携帯を、俺はあの子に返していたか?
最悪だ。何が起こっているのか知らないが、兎にも角にも気味が悪い。自分がいつの間にか盗っ人になっているなんて、いくら何でも忌まわし過ぎる。
鉛みたいに重い溜息をつきながら、携帯を拾い上げ――同時、それは手の中で振動した。
軽く驚きつつ、画面を見る。
ポップな背景の中心に「お兄ちゃん」の五文字があった。
反射的に緑の通話アイコンを押してしまった。
「――室久?」
応答は無い。思わず画面を確認するが、ちゃんと繋がっている。
再度耳に当てて喋った。
「悪い、俺だ。みとらちゃんのスマホを間違って――っていうかマジで何処いるんだよお前。別に今更家出したからどうこうとか言わねえけど、」
『グ、な』
「は?」
『――来゛、ルな、みと、ら。逃、げ』
バキン、と何かが割れる音がして、こぼれる音。
液体に塗れた柔らかいモノが、地面に擦り付けられている。
「……おい、室久」
『丘ヶ山から、離れ……警察ハ、ダメ、だ……来ても、死、ギッ――、国巻ザン、を、呼ん、』
苦しげな呼吸音。室久の声に混じって聞こえる呻きは――何だ。わからない。人間の声ではない。俺が今まで聞いたどんな動物の声とも合致しない。
今まさに人間を喰らおうとしている巨大な獣をイメージしてみる。
最悪にしっくりきた。
「室久! ちゃんと声聞け、俺だ、
『お前、かよ……、クソ、が……』
「悪態ついてんじゃねえよもっと有益なコト言え! 見るからに余裕ねえ感じだろうがそっち!」
『オレは、もう、どうデもいイ、から……、みとらを、小屋に入れさせ、ルな。頼む空、間――』
直後、何かが砕ける。
スピーカーの向こうから聞こえる、硬い物が握り潰されたような音。
それと同時に、通話は途切れた。
リダイヤル。繋がらない。コール音のみが響く。
丘ヶ山はこの公園からすぐそこだ。
状況についていけない頭に反し、身体の方は本能的だった。思考するより先に丘ヶ山に向かって振り返り、走り出す。
あまり整備されていない狭い山道。暗くて障害物を上手くかわせない。飛び出している葉や枝がちくちくと刺さる。
上り坂に息を切らす中、ようやく追いつき始めた思考が脳内を回り出した。
――どうする? いや、それ以前に、何も考えず山に飛び込んでよかったのか? 国巻さんは動けないとしても、警察への通報は? 室久は警察はダメだと言っていたが、それでも――
水色ランドセルの影を探して走り回りながら、携帯の緊急通報画面を開く。一、一、〇。
「警察ですか?! あの、今、」
瞬間、何かに蹴躓いた。
俺の手を離れる通話中の携帯。勢いよく転んだ俺は、山道脇の茂みへと突っ込む。
「ぐっ……何、が……!」
起き上がる。そして。
「……ッ!?」
見た。
見てしまった。躓いた場所に転がる、ボロボロに崩れた形の黒いランドセル――いや。いや、待て。落ち着け。
みとらちゃんのランドセルは水色だ。そうだ、あんな真っ黒な色じゃない。あんな、真っ黒に、ボロボロになるほどに、焼け焦げて崩れてしまったランドセル、では、
「――――」
ジュウ。
バーベキューみたいに。
背後で、何かの焼ける音がする。
振り返りたくなかった。
振り返りたくなどなかった。
だが、確かめなければならなかった。
日常の傷が癒えていく錯覚なんて、本当に錯覚でしかなかった。
記憶に無い記憶が、脳の底から這い上がってくる。
背後には、見覚えのある顔が四つあった。
「おまえ、ら……」
室久以外の、行方不明になった四人の生徒たち。
「――は、ハ」「ああ、村雨だ」「美味しそう」「潰させて」
だが違う。こいつらは違う。
あの四人はこんな、狂い切った目なんてしていなかった。
あの四人はこんな、燃え尽きたヒトの亡骸を足蹴に笑ってなどいなかった。
あの四人はこんな、向かい合っただけで俺に明確過ぎる死を想像させなどしなかった!
彼らの一人。その片目が白目まで黒く染まった。
黒い眼窩からタールみたいな雫がこぼれ、器の形を作っていた彼の手に、ぴちょんと落ちる。
もう、常識なんて死に切っていた。
タールの涙が一瞬で火山のごとく噴き上がる。
悍ましい灼熱の砲弾を彼の手へと握らせていく。
頬を焼く熱波。瞳を焼く閃光。
初めてではない。
脳が忘れていても、全身の細胞がこの炎に塗れた光景を覚えている。
あまりにも物理的に燃える魔球が、場違いなほど綺麗なフォームで投じられて――
〝あなたは、――を拾った〟
二週間前と全く同じ炎の色に、俺の体は呑み込まれていった。