幽体離脱をした体験はあるだろうか。俺は無い。
だが、入眠中に自分の体から何かが『抜け出た』ようなこの感触はきっとそれに近いと思う。
自分が身体から剥がれてしまう錯覚に怯えた。眠りから覚醒し、冷や汗をかきながら勢いよく起き上がる。
「――っ、が!?」
肘をつき体を起こそうとして、右の二の腕から先が無いことに気がついた。
そうだ。あの義手を付けたままでは重いからと、寝る前に義手を外していたのだった。
枕元を見て、ぎょっとする。置いておいたはずの金属義手でなく、生身と見分けのつかない右の義手が転がっていた。
少し驚いたがすぐに気を取り直し、部屋の中を見渡す。
「あ、」
――金属義手を持ったアンセスタが、窓から外に飛び出そうとしていた。
「……。おはよう」
「……。
見なかったことにすべきかと思い、とりあえず挨拶をした。
が、やっぱり気になったので聞いてみる。
「どこ行く気だったんだ?」
「……迷宮へ。再街左希さんの迷宮は脅威度的に
目を伏せつつアンセスタが言った。無表情のくせに、気まずそうにしているのがわかり易すぎる。
「あくまで予測なんだろ? それに、そうだからって黙って出ていくことはないだろ」
「……クウマが居ても大して役に立ちませんし」
「あ? 言ったなテメェ表に出ろ」
いや違う。そうではない。
「大体それなら何のために昨日武器集めしたんだ。俺が居なきゃ再街を元に戻すことだって出来ないのに」
「なら、再街さんは拘束してクウマの元に連れてくればいいだけでしょう。無為に危険を侵す義務はありません」
「それを言うならお前が危険を侵す義理だってねえよ。義務だの義理だので言うなら、本当は俺が一人でやらなきゃいけないことじゃないか」
「そんなことはありません。クウマは何も悪くないのに――」
「アンセスタだって何も悪くないだろ。何も悪くないのに、俺たちを助けてくれてる」
「…………」
俯いた顔。だが、青い瞳がちらとこちらを向いている。
「大体この辺の下りもう昨日やったようなもんだろ。何も悪くないんだから、辛い目に合わずに勝ちたいだろうって。だから俺のことは遠慮なく巻き込めって」
「……
まだアンセスタの顔は上がらない。
俺は面倒になって、そこで話を打ち切る。何より、これ以上憂鬱な様子の彼女を見ていたくなかった。
「少し準備したら行こう。適当に何か朝食用意してくるから待っててくれ」
「あ、」
アンセスタが手に持っていた金属義手を強引に奪い取り、自分の二の腕に取り付けた。振り返って部屋を出る。
「……むぅ」
背後で渋々と窓を閉める音。
俺は、気づかれないように小さく安堵の息を吐いていた。
朝の六時だった。
まだ肌寒い空気の中を、自転車に乗って駆けていく。
当然ながら、向かう先は学校ではない。朝練に向かう学生とすれ違いつつ、目指すのはこの街の中央病院。
最初は病院の可能性は低いと言っていたアンセスタだが、調べ直した結果、やはりここだと判断したらしい。
「で、着いたはいいけど……」
まだ玄関は空いていない。診療受付の開始はまだまだ先だ。
つまりは昨夜に引き続き不法侵入である。アンセスタを白亜回廊から出し、透明化を使ってもらう。
そのまま、適当な窓のガラスを『収納』し、忍び込んで元に戻した。
ガラスの比重はおよそ2.5。一メートル平方で厚さ一センチの窓ガラスなら25kgになる。俺の『収納』は10kg以上から必要時間が跳ね上がるが、これぐらいならまだ数分で『収納』可能だ。
そろそろ病院も起床時間だった。看護師や医師が慌ただしくしているが、行き交う声の中に気になるものがあった。
「先生が、」「――さんも」「一体、どこに――」
……人が姿を消している。それも、再街だけでなく、複数名の病院関係者が。
既に、被害が出ている。
焦る気持ちを抑え込んだ。他の人間に見つからないよう、再街の病室へ。
だが、病室の傍まで来た瞬間、アンセスタがぐいと俺の手を引いて物陰へと隠れ潜んだ。
「急に何――」
「……静かに。弊機の迷宮が
体が固まる。廊下を歩いていた看護師が通り過ぎるのを待って、物陰から出た。
「迷宮主が生み出す迷宮には二種類あります。昨日のプレハブ小屋のような、特定のエリアを基点に常時開廷される『基底迷宮』。対し、昨日の副担任や、弊機が今しがた使っていた、迷宮主の意思によって任意のエリアに開廷できる『疑似迷宮』。そして――」
「『基底迷宮』と『疑似迷宮』がぶつかると、『疑似迷宮』が一方的にかき消される?」
アンセスタがこくりと頷く。
ならば、今回の探索では使えないが……それでも有用な能力だ。俺も早い内に『疑似迷宮』を使えるようになっておいた方が良いだろうか。
「やり方さえ覚えれば、クウマは既に『疑似迷宮』を開廷出来ます。ですが、当分はやめておいた方がいいでしょう」
「? どうして?」
「『基底迷宮』と違い、『疑似迷宮』は能力に合わせてある程度自由に特性を設定できます。ですが、一度効果を設定してしまえば、その後に変更することはできません。最も難易度が高いアインソフとの戦闘までは、温存して……。…………」
なるほどと納得し、警戒しながら病室へと近づいていく。
「っていうか、『基底迷宮』の特性の方は自由に設定できないのか? 室久は地面を砂鉄にしてたけど」
「……無意識的な部分の反映が大きいというのもありますが、そもそも迷宮自体が迷宮主に対する試練ですから。外敵を問答無用で排除するような
彼女の言葉に少し安心する。それなら、入った瞬間デストラップで即死、なんてことにはならないだろう。
周囲に人目は無い。アンセスタが扉に手をかけた。
彼女がこちらへと目で合図する――頷き返した。
「……っ」
死臭。何より最初に、血と灰の匂いが混じる濃厚な病院臭が嗅覚を刺激する。
広く、暗い。小さな病室の中にあったのは、長い長い廊下だった。
外はもうとっくに日が出ているのに、窓から覗く景色は朧月夜に変わっている。照明がついているのに薄暗い。闇の濃さに光が完全に敗北していた。遠くに輝く非常口のランプだけが眩しく、緑の光を周囲に満たす。
「…………」
……それでも、見た目自体はただの病院だ。室久の時のようなあからさまな「異界感」は薄い。
銃を取り出し、構えた。迷宮の中に一歩を踏み込む。
同時に、月にかかった雲が僅かに晴れる。
後ろから、続く足音――しかし、それが二歩目で止まる。
「……アンセスタ?」
「
……二人、長い廊下を歩いていく。
調べたところ、側面に並ぶ扉の先は、何か部屋があるというわけでもないらしい。
ほとんどの扉は締め切られており、破壊も出来ない。だが、さっきのように月が異常に輝く瞬間だけ、現実空間にある病院内のランダムな扉へ繋がるようだ。
行方不明になった病室関係者は、この繋がったタイミングで迷宮へ誘い込まれたのだろう。
十数分かけて、廊下の奥へと突き当たる。ここから更に、右と左へつながる廊下。
「どっち行く?」
「階段のある方でしょう。大抵は迷宮の下層に繋がっています。どちらが階段かは……信憑性は不明ですが、ここに来るまでに『見取り図』がありました」
空中に投影される
ここから先は、左右どちらもかなり入り組んでいた。エレベーターはここに来る途中にあったが、動いてはいなかった。そして、階段があるのは右の通路のみ。
左の通路も探索すれば何かあるのかもしれないが、今は――
「……?」
左に一つだけ、扉が開いたままの病室があった。しかもどうやら現実空間に繋がっているわけではない、迷宮の一部としての病室。
見る限りでは普通の部屋だが、何か違和感がある。少しだけ、足を止めた――瞬間、カチ、カチ、カチと時間を刻む針の音。
指しているのは『六時三十三分』……いや、待て。普通は病室に時計なんて――、
「――
「っ、」
左の通路。向かって右側にある横道から、アンセスタと同じくらいの小柄な
「〝第二形態:支持〟」
だが、それらが攻撃行動に移るより早くアンセスタが動いていた。
光の銃より展開が早い光の剣を生み出し、小柄な
追撃を入れようとするアンセスタだが、相手の反応が良い。
飛び退って回避され――そのまま、二体とも元いた横道へと戻っていった。
「……逃げた?」
「……そのようですね」
というか……逃げることもあるのか、アイツら。
「
アンセスタが光の剣を仕舞う。無理に追う必要は無いと考えたようだ。
「背後にだけ注意を。行きましょう」
右へ進む。入り組んでいる通路は警戒箇所が多い。
室久の時に比べると随分
階段を降りる。二層目。
こちらもまた入り組んでいた。その上、点滴スタンドや種々の薬品、カルテらしき書類等がリノリウムの床へ乱雑に散らばっている。
アンセスタがビンの一つを拾い上げ、見つめる。彼女の眼球から微かにチチ、と、機械の動作する音。
「……通常の薬品ではありませんね」
「そうなのか?」
「
手渡された薬品達を『収納』する。
そのまま数分ほど進んだ。
頭上から物音。天井から飛び降りるように落ちてきた、一体の小柄な
即座にアンセスタが切り捨てようとして――仕留め損なう。回避された。
「っ、」
俺は即座に
だが、怯んだ隙をついてアンセスタが
『レェイルオォォルゥウウ――』
それでもまだ動いていた
「……すいません、クウマ」
「いや、お前なら油断しててもあんなのにやられないだろ。……だけど」
何とも言えず苦い表情になる。今のアンセスタは、明らかに精彩を欠いていた。
「……やっぱり、何かあったのか?」
「……『何か』の意味が不明です。返答出来ません」
「急にロボるな。出来の悪い音声アシスタントみたいなこと言いやがって」
「放っておいてください。……クウマ達のことはちゃんと助けます。それでいいでしょう」
「はあ? お前、まさかまた、自分だけ痛い目に合えばいいみたいに――」
俺の言葉に背を向けるように、アンセスタが進む足を早める。慌てて駆け足で追いかけた。
あんな状態で、また奇襲を受けたらどうなるか分からない。
向かいの通路には、一層目と同じ扉が開いたままの病室もある。あそこから
「――あ?」
待て。あの病室、
いや……。そもそもここまで通ってきた通路自体、思えば何か
もちろん、ここにあるものは全て初めて見る景色だ。初めて見る景色なのは間違いない。だがそうじゃない。そんな、
立ち止まって考え込む――瞬間、
扉の開いた病室の中から、
指し示す時刻は、
「ま――」
そうだ――第一階層で見た『見取り図』。
左右で悩んで、行かなかった左側の通路。あの時二体の
「まずい――」
顔を上げた。アンセスタは通路の先に顔を出す寸前。
そしてその左奥には、
「まずいッ! 逃げろアンセスタァッ!」
「待ってください、あそこに
「あれは『第一階層の俺達』だッ! ここは『過去』だ、すぐに『
「な、」
走り寄り、肩を掴むが、遅い。
小柄な
光の剣を持って、『現在』のアンセスタへと襲いかかってくる。どうする? このまま『過去』を
「くっ――!」
「ダメだ、迎撃するな! アレが『過去のアンセスタ』なら、下手に倒せば現在のお前が消えかねない!」
それ以上の余裕はなかった。アンセスタが俺の体内に手を突っ込む。
直後に、アンセスタの左義手が吹き飛ぶ――いや違う。吹き飛んだのは、左義手の代わりに、瞬時に白亜回廊から『取り出し』取り付けた丸めた雑誌!
「退きます! タイムパラドックスを防ぐなら、今は『先ほどの状況』をなぞるしかない!」
即座に撤退する。
アレが『過去』の通りなら、これ以上追ってくることはないだろう。が、油断は出来ない。すぐには追いつけないだけの距離を取ろうと、全力で元の道を戻っていく。
「クソ――というかヤバいぞ、さっき俺たちこの階層で倒したよな、
タイムパラドックスを起こさない限り、
「冗談だろ――既に詰んでるじゃねえか!」
「……落ち着いてください。まだ本当に過去逆行しているとは限りません。白亜回廊のような時間逆転の超常がこうも続けて現れるはずは……何かしらのトリックかギミックの可能性もあります。一旦、ここまで来た道を戻って情報収集を、」
だが、その提案が最後まで言い切られることはなかった。
『
どこからか響いた声と共に、アンセスタの足元から、破砕音。
飛び退く時間は無かった。
第二階層にぽっかりと開いた大きな穴。
第三階層への落とし穴へ、アンセスタが足場を失い落ちていく。
――マズい。マズいマズいマズ過ぎるッ! さっきの
『さあ、どうぞ……。
眼下には、待ち受けるように二人の俺達が歩いていた。
「っ!」
『過去のアンセスタ』から放たれる斬撃を、現在のアンセスタがギリギリで回避する。
「がッ、」
だが、回避の余韻に合わせるように『過去の俺』からの銃撃。
現在のアンセスタが黄金光で迎撃しようとして、俺そっくりの姿に手を止めた。四発の弾丸がアンセスタの躯体を打ち据える。
「やめろ」
怯んだアンセスタへ、『過去のアンセスタ』が強烈な斬撃を浴びせる。ギリギリで防御するが、防ぎ切れていない。『過去の俺』の足元へと吹き飛ぶ彼女。
容赦など『俺』がするはずもない。数分前の通りに、『過去の俺』が『取り出し』たスレッジハンマーをアンセスタの頭部へと――
「だからやめろっつってんだよボケがァアアアアア!!!」
「ダメですッ、クウマ――!」
――気が付いた時には、『俺』の脇腹を槍でぶち抜いていた。
「『
声の先。
振り返った先に、白衣の再街。
そして、再街とよく似た見知らぬ子供。
ふらふらと、焦点の定まっていない目でこちらを見ながら、再街が静かに呟く。
「……村雨君には、効きが悪いだろうから……だからちゃんと……ちゃんと『自分を殺させた』……」
俺の脇腹から――『過去の俺』を刺したのと同じ、脇腹から。急激に溢れ出す黒い
そしてそれと同時に、真っ黒だった『過去の俺』の姿が色づいて……
「クウマっ」
「……
『うん』
謎の少女が、無重力を感じさせる動きで跳ねた。そのままアンセスタへと近づき、あり得ない脚力で彼女の体を蹴り飛ばす。
『
少女が床を爪で引っ掻いた。直後、床のリノリウムが溶けて
「『あなた』が出血死するまで、残り百六十七秒」
コツリ。白衣のポケットに手を突っ込みながら、再街が近づいてくる。
「百六十七秒の『余命』を過ぎた時……あなたは『囚われる』。この
変わり果てた同級生の口から、死神のような宣告が放たれた。
「――ようこそ、自殺産道へ」