分断された。
その事実を認識したアンセスタは、まず何より先に連絡を取った。
「〝――聞こえますか、クウマッ〟」
敵が分断策を講じるのはこちらの連携を防ぐためだ。ならば逆に、こちらが連携さえ出来れば相手が不利になるのは間違いない。
『〝アンセスタ――? 迷宮の中じゃ電波は通じないんじゃ、〟』
「〝迷宮の内外間でのやり取りが出来ないだけです。基地局を通さず迷宮内で通信を完結させました。そのまま通話状態の維持を。適宜連絡を行いますので、早急に合流しましょう〟」
返事が返ってくるが、その声にも余裕が無い。出来ればスピーカーモードに切り替えて欲しかったが、残念ながらこちらから聞くだけになりそうだ。
故にこそ、アンセスタは目の前の少女を見据えた。即座に乗り越えなければならない障害を。
『あんまり良い結婚じゃなかったんだって』
右弥と呼ばれた少女が歌う。人の声でありながら楽器のような。奏でるが如く独特な声音。
『でもね、パパはちゃんとパパをやろうとしていたよ。そんなパパのためにママは必死だったし、パパ以上に本気でママをしようとしてた。強迫的なくらいにね』
「〝第三形態:
『妊娠した時は双子だったよ。名前も決めてたし、どっちも本気で幸せにしようとしてた』
光のライフルから放たれる閃光の槍。
ただし、威力としては大したことがない。殺傷性は低く、一般人がまともに受けても衝撃で気絶する程度――
『だけど、わたしだけお腹の中から居なくなった』
そして、避けずに受けた再街右弥の
「っな、」
『バニシングツインって言葉、聞いたことはある?』
だが、吹き飛んだ顔面からは飛び散ったのは、
何ら痛痒を感じた様子もなく、再街右弥は淡々と語り続ける。
『妊娠中に、双子の片方がお腹の中で溶けちゃうの。双子にはよくあることだけど、ママはそれでダメになっちゃった』
「まさか、人型の
顔の半分が黒に覆われ、晴れた時には既に元通りの顔面がそこにあった。
『溶けちゃった子は
少女が軽やかに飛びかかってくる。体重の無い移動、動きが読みづらい。指に掠らせつつも、振り下ろされた爪を光の剣で弾き返す。
『そんな
だがしかし、掠った指が
『そんなお姉ちゃんを、ママは「マリアさま」って言ったの』
即座に指を千切り捨てた。投げ捨てた指が弾けるが、それ以上は被害が広がらない。光のスラスターを噴射し、相手から一旦距離を取る。
「金属を培養するバクテリアの類……
『
「条件は『自分の手で対象を傷つける』こと? ならば距離を取り、階層移動さえ警戒していれば問題は――」
『
「――――」
明確にこちらへと向けた言葉。独り言を並べ立てていた再街右弥から初めて投げかけられたそれに、アンセスタの思考が停止する。
『この階層で『自分』を殺さなければ問題無いと思った? この階層で『自分』を殺しても、下の階層にさえ行かなければ問題無いと思った? あはッ、ハハッ、あはははは! 迷宮の外――
「待っ」
瞬間。周囲全ての病室から鳴り響く、ナースコールの群れ。
けたたましい音の中。黒い靄が虚空から集合し、凝縮して形を成していく。
『〝みゃあ。ドゥアスに任せてください。弊機だって
『〝
『〝
『〝条件は満たしています。黄金歴程を渡してください。……どうして? トレーズィの意思はただの振る舞いでしかありませんか? わたしは、あなたのようになれませんか?〟』
無数の
彼女が殺した彼女の半身達が、真っ黒になって溢れ出す。
「う、あ――」
『
少女が歌う。死者を糧に生き残った者への歌を。
『
英雄機体量産実験の失敗作達が、黒い槍を持って
走っていた。自分の体を抱えながら。
もう一人の『俺』の脇腹から広がっていく出血。それと同期するように、俺の脇腹から広がっていく黒の侵食。痛みは無いが、黒が広がる度に俺の中で限りない焦燥感が溢れ出してくる。
逃げた先、「手術中」のランプが赤く灯る部屋の前に突き当たった。
振り返る。まだ再街は追ってきていない。距離が取れたことを確認し、『俺』の体を地面に下ろした。
先ほど拾った薬品を『取り出し』、傷口を抑え、止血しながら『俺』の口へ含ませる。だが――
「なん、だッ、これ……!」
包帯程度じゃ意味が無い。応急処置キットを『取り出し』、糸と針で傷口を縫い付ける。
自分で自分を縫うという異常な状況に、脳が混乱を来たし始める。だが、止まるわけにはいかない。このままでは『俺』が、俺が死んでしま――
「あ、あぁッ、あああああああ!?!?」
爆ぜそうなほどに心臓が早鐘を打つ。だが、何かおかしい。あまりにも異常な挙動。これほどの焦りを感じるのだって不自然だ。何か、精神的に
「――百四、百三、百二、百一」
コツ、コツ、コツ、と秒を読みながら近づいてくる足音。
白衣姿の再街が、急かすように俺の元へと歩み寄ってくる。
「待て……」
「百、九十九、九十八、九十七――」
「待てェッ!」
彼女を倒せば解決する。それに一縷の望みをかけて、全力で再街の元へと疾駆する。
走り寄ってくる俺を見ても、再街は歩みを止めない。ただ、
「『
爪が、凄まじい勢いで、伸びた。
十数メートルも伸長する爪の槍。驚愕に硬直しそうになりつつも、咄嗟に防弾盾を『取り出し』防御する。しかし。
「ご、ッ――!」
防弾盾ごと体が後方へと吹き飛ばされた。そのまま、倒れていた『俺』さえまとめて、背後の手術室へとドアを破って押し込まれる。
「九十六、九十五、九十四――」
「がはッ、ごふ……! テメェ、再ま、ち――」
立ち上がろうとして光の無い『俺』と目があった――瞳孔の開いた、死人の瞳と。
吐きかけの、怒声が止まる。
「……う、あ、ああ……!」
「九十三、九十二、九十一、九十」
もう再街には構っていられなかった。息せき切って、押し込まれた手術室の中を見渡す。何体かの
『ニタク、ナイィ』
だがそれは、俺より早く伸びてきた、一体の
「やめろッ、返ッ、返、し――」
取り返そうとした、手が止まった。
『ニタク、ナイ……
誰とも知らぬ男性の、死体があった――
頭から倒れたのか、頭蓋骨が割れて首の骨が折れている。薬を飲ませたって治るわけがない。
だがその
『シニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ』『イキタイ、イキタイ、イキタイ』『イヤ、イヤ、イヤ、イヤ――』
心臓マッサージで延々と自身の胸骨を折り続ける看護師。
逆にグチャグチャになるぐらい傷口を縫い合わせる患者。
何百枚のカルテと大量の医学書の中でもがき続ける医者。
「――罪は、償われなければならない」
再街左希が、手術室へと足を踏み入れる。
「
焦点の合っていなかった目が、俺の顔を静かに見据える。
「あの男……アインソフ以外の誰も、この冥界からは逃れなかった。私だって、そう。私はまだ、本当の意味で右弥を生き返らせていない……」
「再街、おま、え……」
違う。その言葉で理解した――
自殺産道。償い。生き返らせる。脱出出来たのはアインソフのみ。
脳裏を巡るキーワード。あくまで予想であり仮説。だが、恐らくは
「……ハァ、ハァッ……!」
なのに、考えただけで息が上がる。出来るのか、
無理だ。出来ていいわけが無い。やっていいわけがない。保証など何も無い。『確信』など何も無い。こんな手段、それこそアインソフでなければ取れるはずも――
「誰も、命を奪うことに覚悟なんて持っていない」
「――あ?」
思考が、凍った。
「君だって、そうでしょう? こんなものに向き合う覚悟なんて無い。あったはずが無いん――」
「
そして俺は、『取り出し』たナイフを
「…………え?」
「
激痛に喘ぎながら刃を埋める。黒く侵食された脇腹に。俺が『俺』を傷つけたのと同じ箇所に。
激痛に眩む意識。焼き切れそうな脳神経。腹の奥から喉元へ、一気にせり上がってくる鉄臭い味――だがしかし。
「ガ、ハァッ……! ――
「な、何を……」
「殺した相手を蘇らせるのが償いだァ!? 違ェだろうがボケ! この基底迷宮のルールがテメェの無意識で設定されてるなら、お前だって本当は分かってるはずだろうが!!!」
見せつけるようにナイフを引き抜き、血に塗れたそれを再街に向けて突きつける。
そうだ。そこに転がっている『俺』に何をしたところで俺が助かるわけがなかった。何故なら――
「
『俺』の側に何をしても治らなかったのも恐らくそういうことだ――生き返らせる・蘇らせると言いつつ、
ならば、再街が本当の意味で信じる『償い』とは何か。
覚悟が必要なこと、向き合いたくないこと、そして不死身の人間には平気で出来てしまうこと――考えれば、自ずと答えは出る。
傷口から止めどなく溢れる血。『取り出し』た薬をブッかけて包帯で縛り上げるが、いくら万能薬でもこんな雑な処置で治るわけはない。
だが、痛みは引いた。出血もほんの僅かに減った。あるいはプラシーボ効果かもしれないが、もはや何だろうと構わない。
「ここからだ……」
「ま……待って、待っ、」
「
十を超える
『思ったより耐えるんだね。「黄金歴程に相応しくなかった故の死」を「黄金歴程に相応しい者」に与えても殺せないのは当然かもしれないけど』
「っ……!」
アンセスタの元にまた一体。同じ形の少女の
かつての彼女がそうしたように、真っ黒な少女から手渡される黒い槍。回避しようとするが、両者の機体性能は同等だ。よりダメージを受けているアンセスタが追いつかれ、黒い槍を体に押し付けられる。
「待っ――
発生する精神へのダメージ。そして、それに耐えきれなかったことで発生する物理ダメージが、黄金の光となってアンセスタの体を内側から焼いた。
単純な外傷ならば、彼女の素材である重元素バイオマテリアル専用に開発された治癒促進ナノマシンで即時に修復することが出来る。
しかし、これは内部からのダメージだ。装甲ではなく、内側の精密部品への損傷。そう簡単に回復することは出来ない。
とはいえ、以前までならこんなことはなかった。ノギスによってインストールされた人格調整ソフトが、アンセスタの精神をどんな苦難にも耐え忍ぶ英雄のそれへと変えていた。
今は違う。村雨空間の
実験機たちのことを思い出すまでは、そのことを素直に喜んでいた。もう、自己の犠牲を至誠とするような思想を植え付けられることはないのだと。
だが、今は、もう――
『あなたもお姉ちゃんも本当にばかなんだから。認めればいいのに。「こんなモノが私と同じなはずがない」って。そうするだけでこの迷宮からは逃れられるのに』
吐き捨てるような言葉。それを聞いた瞬間、アンセスタの瞳に力が戻る。
「違う……違いますっ、この子達は、みんな弊機のッ、」
『何で? この槍は「英雄に相応しい心」を持っていれば使えるんでしょう? じゃあこの子たちはあなたと違って心の無いただの人形なんじゃないの?』
再街右弥が、そばに控えさせていた
直後、彼女の体はバラバラになって吹き飛び、しかし残った足首から瞬時に再生する。
『わたしと同じでね。わたしには分かるの――心があるのはあなただけだよ。他の子はみんな、心がある、心があるって主張するだけのロボット。だからさ、やめよう? そんな物が壊れたからって、あなたが責任を感じる、必要、は、無い、の』
言いながら、
そして、ギザギザになった五本の爪先を、全てアンセスタの方へと向けた。
『「
五爪の槍が爆発的に伸長し、アンセスタを貫かんと迫る。
咄嗟に回避するが、しかしそれで追い詰められる。
逃げ場がなくなった。否、最初から彼女の安全圏を削るための攻撃だったと一拍遅れて理解した。
アンセスタの元へ五体の
回避は不可能だ。そして彼女でも、五撃を同時に喰らえば即死のダメージは免れない。
『さあ、どうする? ――それでも、「それでも」って言い続ける?』
残された応手は迎撃のみだ。
だが、出来ない。
『〝
――繋がったままの携帯端末の先から響く声。
『〝
「う、ゔ、ゔゔゔァアアア゛ア゛ア゛ッ!!」
衝撃。黄金の光。薙ぎ払われる五体の
しかし、それを自ずから焼き切る。
あえて常人より高い感度で設定された痛覚に走る灼熱の苦しみ。それに焼き尽くされるかのように、黒が虚空に溶けて消えていく。
あまりの激痛に、アンセスタの顔から完全に表情が消え去る――表情を制御する余裕がなくなった。高速治癒によって過熱された機体が、激しい発汗と
『……チッ。あのお兄さん――』
「これで――これで良いんでしょうッ!?
光の剣を持って、全身を自傷した探索兵器が突貫する。
『あぁ……本当、わかんない……』
その姿に、少女はため息をつきながら顔を強く歪めていた。
『……なんで、あなた達が苦しまなきゃいけないの?』
まずい、死ぬ。
「――『
「ぐわああああああああああ!!!」
再街がコンクリート壁にメスで刻んだ切り傷。
そこから槍のように飛び出したコンクリートの柱が、俺の全身を打ち据えていた。
「こ、これで――」
「な・に・が・こ・れ・でだァアアア! こんッな程度のかったるい攻撃でこの俺を一歩でも退かせられると思ったか間抜けがァ!!」
今の攻撃で、出血が更に酷くなった。心だけは折れまいと叫びを上げて突進するが、現実問題として俺は瀕死だ。いや、もはやその境を半分通り越している。
何せ、あと一撃もらえば死ぬ、と確信してから既に三撃は喰らっている。自分でも驚愕だが、どうも人間は俺が思うより遥かに頑丈な生き物だったらしい。
しかし、流石にこれ以上は無い。自身を
再街が見当外れな方向にメスを投擲する。そしてその直後に、
「な、」
「『自分が傷つけた物を再生する能力』――ただし『過剰に』って但し書きはつくようだが、な――!」
「ぅ、うう、ァああっ!」
次いで投擲された四本のメスを、飛来中にタオルで絡めとって『収納』した。そもそも何も傷つけさせなければ発動もしない。
「だって……だって、ちがう、違うのッ、だってパパが、パパが
更にガラスの薬瓶が俺の足元に投げつけられ、割れたそれがまるでトラバサミのように修復・再生し、一つに戻ろうとする。だが、百グラム以下の攻撃など『収納』すれば完全に無効だ。警戒にも値しない。
「私のせいじゃ、ちが、ごめんなさ、でも、何で!? 何で私ばっかり、右弥のために、右弥のためにって――!」
「お前のご家庭事情なんざ知るかよゴチャゴチャうッるせェなァアアアアアアアアアアアアア!!
腹部から血を撒き散らしながら、背から圧縮空気を噴いてただひたすらに疾駆する。間合を詰める。
何せ、口でこそああ言ったが銃を使えば殺しかねない。俺の白亜がどこまで経験を『なかったこと』に出来るのか知らないが、いくらなんでも即死は無理だ。その確信がある。
兎にも角にも再街に一撃ぶちかまし、生命質量を削って
〝あなたは、
ろくな練習時間も無いぶっつけ本番の応用技だったが仕方ない。
俺は先端にフックを括りつけたロープを手首から『取り出し』、階段に逃げ込もうとする再街に向けて放る。
「――っ!」
回避されるが、同時にロープの先端から圧縮空気を『取り出し』た。
空気噴射の反作用で、追いすがるように伸びるロープ。それでもって再街の足を絡めとろうと試みる。が、流石に精度と練度が足りない。二、三歩の足止めにこそ成功するものの、メスによる切断で抜けられる。
「クソっ――ぁ!?」
悪態をつき、ロープを仕舞った瞬間だった。
今しがた俺が仕舞ったロープではなく、再街の側で切断されたロープ。それが、彼女の修復能力によって元に戻ろうと、俺に、俺のロープに向かって高速で飛んで来ていた――重量3kgは下らない点滴スタンドを結び付けられた状態で。
「ォ、オオオオッ!!」
姿勢を低くして、仕舞ったロープを頭上に投げ捨てた。俺の頭頂ギリギリを掠め、凄まじい勢いで点滴スタンドが背後へ飛んでいく――マズいッ、コイツ戦いのセンスがある!
点滴スタンドが壁の電気設備か何かに当たり、病院内の照明が落ちた。暗闇の中、真っ二つに折れたスタンドがくるくると宙を舞っている。
事ここに至っては武器選択の時間さえ惜しい。回転して飛ぶスタンドの一方を掴み、床に落ちたもう一方を空気噴射を併用し全力で蹴り飛ばす。
蹴りつけた一撃が逃げる背中にブチ当たり、吹き飛ぶように廊下を転がった。
今なら、トドメを刺せる。
折れた点滴スタンドを掴み、倒れた再街へと躍りかかり――違う。
「しまっ、」
「――『
俺が視線を外した一瞬で
それと共に、俺の足元――正確には、足元のリノリウムに刻まれていた傷が、
足場の変化で崩れたバランス。
咄嗟に再街の白衣を掴むがダメだ。もつれ込むように階段へと倒れ込む。
転がり落ちていく自分たちを、空気噴射とクッションの『取り出し』で防御した。
「っゔ……!」
「チ、ィ――!」
バラけるように階下へ落下。再街の呻きと俺の舌打ち。
だが、マズい。何がマズいかって、下の階層に来てしまったのが何よりマズいッ!
周囲を見渡す。再街は階段からの落下で足を挫き、動けそうにない。
だが、そのそばに立つ『俺』が、俺に向けて半分に折れた点滴スタンドを蹴り飛ばしている。
圧縮空気の噴射で自分を吹き飛ばして回避するものの、その反動で体が限界を迎えかけた。もはや一分の猶予もない。
廊下の彼方へ飛んでいく一撃。幸い、今の点滴スタンドはかなり遠くに飛んでいった。
『俺』が点滴スタンドを振りかぶる。磁力で吸い寄せられるが如く半分に折れた凶器が振り下ろされる中、俺はロープを『取り出し』て自分を拘束し――
「――――」
――ようとした思考を即座に切り替え、代わりにバールを『取り出す』。
そして、
……性格が悪い! 『どうせ同じことをする』と思ったところに別の
そして、今の対処の間に間合を詰められた。
迎撃は間に合わない。歪な形に再生した点滴スタンドが迫りくる。防御のために、ポリカーボネートの防弾盾を『取り出し』た。アンセスタから借りた義手の腕力を頼りに、
「ごぶ……ッ!」
防御越しで響く衝撃に吐血する。
いい加減に出血性ショックを起こしていないと不自然だったが、まだダメだ。まだ、倒れるわけにはいかない。
再街は足を挫いている。彼我の距離は数歩と無い。ここ、さえ、踏ん張れば……ッ!
「……もう、少しだ……」
「ぅ……」
視界がグラつく中、鍔迫り合いから三秒経過。
必要な時間を満たした相手の点滴スタンドを防弾盾越しに『収納』。武器を失ってフラつく『俺』の足を払い、『スネイクチェイサー』で縛り上げる。
同時に俺の全身で
それ以上は広がらない。自殺産道は、『ダメージ』にしか効果を発揮しない!
「もう少しで、テメェを、ブチのめす――!」
「ぅ、あ、あああアアアアア――!」
そして、
まるで夜が溢れるように。
再街の叫びと共に、廊下を満たす無数の
〝あなたは、
そして俺は、
「ぁ、」
「――ぶっ飛べェッ!!」
統制を失った群れの中をすり抜け、再街に右拳をぶち込むのに、そう時間はかからなかった。
室久と違い、再街に自分の肉体を強化する類の変化は無い。戦闘義手の膂力に物を言わせ、容赦無用の全霊でその胴体を殴り飛ばす。
壁に叩きつけられる再街の体。勢いよく減少する
今、この瞬間しか無い。俺は右の義手を引き剥がし、その断端から白亜の腕を表出させる。
「『ホワイトッ、オー、ダー』ァアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――――!!」
勝った。『確信』する。ここから先に、ヤツの逆転はあり得ない。
このままホワイトオーダーをぶち込めば終わる。ニ歩だ。ニ歩の距離を詰めて殴ればそれで全て済、
「――ッか」
視界が真っ白に弾け飛んだ。
崩れ落ちる。身体が動かない。感覚が無い。左腕が別の生き物みたいにビクビク痙攣する。皮膚が真っ白に青褪めていた。滝のように流れる汗が異様に冷たい。骨が氷になったようだ。立ち上がろうともがく度、ビチャビチャと鳴る血溜まりの音。
限界が来た。この肉体は、どう足掻いたところでこれ以上稼働しない。精神論の領域は既に超えた。人体はこの出血量で動けるようには出来ていない。
「ふ……ッざ、けんなボケがァッ……!」
それすら知ったことか。イメージはホバークラフト。圧縮空気を断続的に『取り出し』、地面に吹きつける形で動かない体を起き上がらせる。
再街がフラつきながら立ち上がるのも同時だった。今にも泣き出しそうな目で俺を見、目を逸らし、俺から離れようと、廊下の壁に張り付くようにして再街が足取り鈍く逃げ出していく。
「待、て――逃げんな、再、街……! 何でもかんでも目ェ逸らして、逃げられるとでも思ってんのかテメェ……!」
「違う、違う……! 私のせいじゃない、私のせいじゃないっ……! 償うために生きたくないッ、犠牲にしたくてしたんじゃない、ないのに……!」
「ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛黙ッとけよ鼓膜が腐るんだよボケがァアアア!!! 何があったか知らねえがなッ、生きてりゃ誰でも何かしら犠牲にするモンだろうがァ!! 一人だけグチグチ言うな甘ったれてんじゃねえ犠牲になった相手に恥ずかしいとは思わねえのかクソ野郎ォオオオオオオッ!!!」
身体が動かない以上、もう口を動かすしかない。いや、それ以前に叫び散らしていなければ勢いと共に死にそうだった。
俺の叫びに刺殺されたみたいに再街が震えて倒れかける。言葉だけで半ば殺せていた。しかし、これ以上の手段は無い。逃げられる。
「ハァ、ハァ……ッ……う、ゔ、ゔゔゔゔゔ…………!!!」
息を切らしながら、這うように歩く再街。
暴走、あるいはその予兆なのか。彼女の足元のリノリウム床材が
「……ッ!」
ここまで、やったってのに……!
歯噛みする。痙攣する手で床を叩いた。――瞬間。
「〝最終形態:
光槍が炸裂した。
あまりの明度に黄金を超えた白光。一瞬の輝きの後、幾枚ものコンクリートをまとめてブチ抜く大穴が廊下の壁に穿たれていた。
『――っ、ぁ……、本当に、もう……』
壁に突き刺さる槍。再街に
毎秒ごとに黒い靄を噴いて再生する少女を、槍は断続的に威力を発揮し続けて逃さない。圧倒的な攻撃力で以て、不死身を完全に拘束している。
コツリ。トンネルのような大穴の奥から、響いてくる鉄踵の足音。
「アン、セ――……、」
呼びかける声が止まる。
酷い、有り様だった。
焦げ付いた両腕。全身のヒビ。割れた顔面。剥がれ落ちた黒い
彼女にも痛覚はある――あるはずなのに。
俺より深刻な状態の彼女はしかし、無表情に二人の敵を睥睨している。
縫い留められた少女が苦しげに指を鳴らす。
再街の周囲に溢れた
「〝第二、支持〟」
五指から金色に噴射される、爪のようなギザギザとした光。
あえて効率的とは言えない形状で以て、アンセスタは『自分』を壊し切らない程度に破壊する――そして、そのまま返す刀で自傷。行動不能にならないよう、己の骨を残して肉を刻む。
「――――」
やっていることは俺と同じだ。その痛々しさに対して、俺に何かを言う権利など無い。
だけど――
『うみゃあ、
「ごめんなさい」
『トゥリンタが証明してみせます。今までの二十九機全て、この時のためにあったのです。あなたは素晴らしい物を生み出したのだと示して――』
「……ごめんなさい。償い続けます。永遠に」
懺悔と共に、黒い人型が砕かれていく。壊されていく。殺されていく。
『自分』をぐちゃぐちゃにしながら、アンセスタは最後の一体を引き裂く。血混じりの金光を噴いて肉薄する。再街の首根を掴む。もう自分でも自分が何をしているのか分からないような、その表情に語りかける。
「逃げることなど出来ないのです、再街左希」
「ぅ、あ」
「
アンセスタの視線がこちらを向いて、俺に止めを促した。
「――終わらせてください、クウ、
二人まとめてブチ抜く白亜の右手。
驚愕の表情を晒す彼女らに、血を吐きながら俺は言う。
「やり直しだ……」
「なッ、ば……?!」
「――
白い火花を迸らせながら腕を引き抜く。不定形の白亜は二人を傷つけず、しかし昏迷させて地に倒す。
「なに、を、考、意味、無」
「うるせえ知らねえやかましいッ!! さっきからグチグチと辛気臭えんだよボケ共が! 意味の在る無しなんざ知るかよ俺がルールだ! 俺が納得するまでは終わらせねえッ!」
勝機と正気を放棄し叫ぶ。
例え最後には再街からまた全ての記憶を奪うだけだとしても、構わない。
「ここからだ!
「クウ、マ――」
案じる声を振り払い、白亜を通じて流れ込んできた情報を噛み砕く。
残り余命三十秒。
風前の命火を燃やしながら、俺はただ、無意味に覚悟を証明するだけの戦いを開始した。