アフタースクール・ラビュリントス   作:潮井イタチ

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めっちゃ時間かかりましたすいません


第19層「あなたは、王道無道に足を踏み入れた」

 翌日。

 

 

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 工学妖精(アレノバルシア)のアンセスタさんが、びし、と制服姿でポーズを決めていた。

 

「……何?」

「フィンランドからの留学生、アンセスタ・N(ノギス)・アレノバルシアちゃん(十五歳)という設定で行こうと思うのですがどうでしょう」

 

 元気そうで何よりである。俺は無視して再街に向き直った。

 

「再街の制服貸したのか?」

「う、うん、学校に入るのに必要だからって、一旦家に帰って……その、私の家、だいたい何でも二つあるから……」

「こいつ透明人間になれるから変装とか要らないぞ」

「えぇ……」

 

 というか透明人間になる必要すら無い。白亜回廊に引っ込んでいればそれで済む。……別に、普通の格好など、する必要は、無いのだ。

 それにしてもよくサイズが合ったものだ。アンセスタはスタイルこそ良いが身長は一五〇センチと無い。ろくな道具もないだろうに、一晩で無理矢理仕立て直したというのか。

 

 にゃあにゃあと俺の服を引っ張りながら制服姿を見せようとしてくるアンセスタを適当に追っ払い、俺もまた学ランに袖を通す。

 

「……本当に行くの?」

「安心してくれ、無理はしない。昨日アンセスタも言ってたけど、理想は村雲とアインソフをぶつけて残った方を漁夫の利だ。仮にバトルになっても、被害が出る前に撤退する」

 

 言いながら、頬に貼られた包帯を剥がす。

 流石は自殺産道の超医学というべきなのか、少なくとも、表面の傷に関してはほとんど目立たなくなっている。

 とはいえ内部は未だズタボロ、大きな傷は抜糸もしていないし、激しく動けばすぐ傷口が開くだろう。が、それでも今日一日活動する分には問題無い。多分。

 

 まあそれにいい加減、室久に無断欠席やら無断外泊やら色々誤魔化してもらっちゃいるが、三日もサボれば流石にボロが出るだろう。明日からどうするにせよ、今日一日ぐらいは顔を出しておいた方が面倒も少ないはずだ。

 

「うみゃーうみみゃー。くうまーくうまー」

「ええいやかましい、さっきから何だってんだお前は」

「みゃー……」

 

 うつむくアンセスタを見て、再街が俺に言葉を投げる。

 

「あ、あの、村雨君、その、一言アンセスタさんに可愛いとか……」

「? 弊機って可愛いんですか?」

「えっ、う、うん。可愛いよ?」

「褒められちゃいました。いえい」

「褒められたのか?」

「……褒められてないんですか?」

「ほ、褒めてるよ? 別に女子は何にでも可愛いって言うとかそういうのじゃないよ?!」

「いや……可愛いが褒め言葉って認識が無くて……」

「え、えぇ……? 可愛いが褒め言葉じゃ無かったらなんなの……? 感動詞なの……?」

「だって女子ってみんな可愛いか美人なんじゃないのか……?」

「わ、ワァ……ガチの顔で言ってる……」

 

 再街がミナミコアリクイめいた威嚇のポーズを取る。村雨空間の常識だとそうなのだが。何か変なこと言ったんだろうか。言ったんだろうな。

 

「じゃあもう可愛いじゃなくていいから、似合ってるとかさ……」

「似合ってるかぁ? 生クリームに海苔巻いたってぐらい異物じゃねえ? 百歩譲ってもなんかのコスプレにしか見えなくないか?」

「なんでそんな人間味の無い台詞吐けちゃうかな! もう何でも良いからアンセスタさんのこと褒めたげてよ!」

「…………。……好き?」

「にゃあ! にゃあにゃあ! うみゃあ!」

「痛い! 痛い痛い! こら! アンセスタさんこら! 照れたからって近くの物を叩かない!」

 

 べしべしとアンセスタに叩かれる再街。金属義手(ひだりて)でないあたり手加減はしているようだが、それでも結構な勢いである。

 

「……(いえ)、待ってください。クウマの中で『可愛い』『美人』の基準が常人を遥かに下回っている以上、『好き』に関しても同様である可能性が存在します」

「ま、まあ、それは確かに……」

「確認しましょう。クウマ、再街さんは可愛いですか?」

「可愛いんだろ。知らんけど」

「投げやり!」

「美人ですか?」

「バランスは良いんじゃねえの?」

「何の!?」

「好きですか?」

「いや、別に」

「これ私バカップルのダシに使われただけじゃない?!」

 

 朝からうるせえ。

 アンセスタは上機嫌そうにしながら制服のスカートを翻す。今にも部屋を出ていきそうな勢いだったが、今から出ても流石に早い。

 起床時間は極めて早朝である。昨日あの後、「もう放課後だし、今から行動しても仕方ない」と判断して夕方就寝を決め込んだからだ。

 

「……今更だけど女子二人と一つ屋根の下で寝泊まりしてなんでこんなに平然としてるの……? 草食を超えた絶食系男子……?」

「というよりはそもそも食欲が死んでいる類に見えますが」

「何の話だ」

 

 問いかけを真顔で無視し、アンセスタは俺たちの方へと向き直る。

 

「では、基底迷宮外での戦闘の基本について、今のうちに確認しておきましょう」

 

 そう言って、彼女は(ヴン)、と、自身の手元に蒼く輝く表示枠(ウィンドウ)を展開した。

 はえ、と今更ながらに超技術に驚く再街を気に止めることなく、アンセスタは説明を開始する。

 

「まずおさらいですが、迷宮主は一つの方向性に特化した存在です。それぞれが単一のコンセプトに基づく固有能力を保持し、加えて更に、自身のテリトリーとなる『迷宮』を展開する能力を持っています」

 

 彼女が握り開く掌の内に、二つの文字列が浮かぶ。

 文字列の一つは『基底迷宮』。そしてもう一つは『擬似迷宮』。

 

「基底迷宮は特定のエリアを基点として常時開廷される迷宮。擬似迷宮は任意のエリアに一時的に開廷できる迷宮です。基本的には基底迷宮の方が出力は高く、擬似迷宮とぶつかり合った際には一方的に擬似迷宮が打ち消されますが、その分、擬似迷宮にも利点が存在します」

「無意識に効果が設定される基底迷宮に対し、擬似迷宮はある程度自由に効果を設定できる、だったか」

 

 こくりと頷くアンセスタ。実演するように、半球状の蒼い光のフィールドを、自身の周囲に展開する。

 

(はい)。故に、()()()()()()()()()()()()()()()()()――そう捉えてくれて結構です」

「……そんなにか? 副担任ブッ殺した時は割と何とかなったけど」

 

 え? と俺の発言に寝耳に水顔の再街。言ってなかったのかその辺。

 

「実践的迷宮戦闘の知識がある迷宮主の場合、むしろ必殺性は低くなりやすいのです。攻撃に特化させればその分防御力が下がりますから」

「そういうもんか。じゃあ、戦闘のノウハウが無い村雲の場合――」

(はい)――間違いなく一撃必殺。領域に取り込まれた瞬間、即死の補助効果(フィールドエフェクト)が襲ってくるはずです」

 

 恐る恐るというように、隣で小さく手が挙がる。

 

「……あの、即死って具体的にはどういう……」

「そうですね――例えば、黄金歴程の第二形態である光の白兵武器。これは本来、弊機の体表面を基点としてしか出現させることができません」

 

 光の剣を手元に生成するアンセスタ。彼女は「ですが」と逆接し。

 

「擬似迷宮展開時は、()()なります」

 

 一気に広がった蒼のフィールドが、部屋全体を覆い尽くす。

 そして、俺と再街の()()()()()()に突如出現した二振りの光剣が、浮遊しながらその切っ先を両者の眉間へと向けていた。

 

「……ッ!」

「『迷宮内の好きな位置に攻撃を出現させる』――まずこれがデフォルトだと思っていただいて結構です。流石に相手の体内に出現させることは出来ませんが、これをやられれば必中不可避。ここまではよろしいですか?」

 

 刺激的なパフォーマンスに再街の魂が抜けかけているが、おかげでよく分かった。無理だ、これは。

 

「いや、っていうか無理過ぎるだろ……こんなん防ぎようが無くないか?」

(いいえ)。反応さえ間に合えば何かしら対処は出来ますし、何よりこれが可能なのは『自身の迷宮内』のみです。相手が自身の迷宮内にこちらを取り込もうとするなら、こちらも迷宮を展開して、相手の迷宮を押し返してしまえばいい」

「ああそうか、だから防御力……」

(はい)。攻撃力である補助効果(フィールドエフェクト)。防御力である展開強度(おしかえすちから)。熟練の迷宮戦闘者は、迷宮の出力をこの二つでバランスよく振り分けます」

 

 迷宮の展開規模や相性によっても変わってはきますが、とアンセスタは続ける。

 

「先も言った通り攻撃一辺倒、補助効果(フィールドエフェクト)全振りな初心者の擬似迷宮であれば、弊機の簡易迷宮でも十分に押し返せます。成り立てで出力が低めなことも考えれば、こちらの展開規模も半径五メートル程度は広げられるかと。それ以上弊機から離れなければ、まず問題ないはずです」

「要はアンセスタの近くにいれば大丈夫ってことだな」

(はい)。必中化を抜きにしても手数や能力に強化(バフ)こそかかりますが、基本性能ならこれでも弊機は最高峰(ハイエンド)。減速無効や強制自殺なんてややこしい搦手の無い単純なバトルならば、まず負けることはありません。つよくてじょうぶですばやくかしこいので」

「かしこいか?」

「思考速度が爆速です」

 

 アンセスタが胸を張る。確かに彼女がいれば蚩尤(しゆう)あたりは楽勝だっただろうが、それでも何故だろうこのフラグ感。二度あることは三度ある気がしてならない。

 

「まあそこは三度目の正直に期待するか……」

 

 村雲零時。王道無道(ロードレスロード)。終極の迷宮主。道なき道の君臨者。

 単純なバトルにはなりそうにもないが、案外やり口自体は物理的な可能性もある。直接触られるまではなんにも起きないとか。

 

 ともあれ、ここでぐだぐだ悩んでいても仕方がない。

 相も変わらず行き当たりばったり出たとこ勝負の覚悟を決めて、俺達は病室を後にした。

 

 


 

 

 やや肌寒く薄暗い、しかし静かに明るくなっていく校舎の中。

 人の喧騒は未だ静かに、窓の外からスズメの鳴き声がよく響く早朝。

 

「……マジで普通に来てんのかよ、アイツ……」

 

 まだ生徒の少ない朝の教室。あまりにも堂々と奴は居た。

 中肉中背。着崩さない学ラン。無個性過ぎて中性的。何処にでもいそうな平均値。

 

 何事も無いように。

 本当に、何事も無かったかのように。

 

 村雲零時は、机で、授業の予習を、していた。

 

「…………」

 

 アインソフと戦い、倒した、はずなのに、傷の一つさえ負っていない。俺のように隠している可能性もあるが、何故か本当に無傷のままに倒してのけたのだという直感があった。

 

 今、俺は、廊下の陰に立っている。

 教室の外。村雲との距離は十メートルあるかないか。

 背後に控えているのは、アンセスタと再街の女子二人。

 

 再街を学校に連れて来るか否かは悩んだが、アンセスタ曰く、アイツもまだ一応迷宮主ではあるらしい。

 状態としてはノギス工業との戦闘時の室久と同じ。迷宮主としての能力はほとんど無いものの、ノギスに見つかれば抹殺もしくは研究対象だ。なら、一人で留守番を任せるわけにはいかない。

 

『一般人にノギスの超科学のような、超越主の迷宮由来事象を観測されれば修正力の発現を招きますので。ナノマシン等を使ってクウマの治療の手伝いをする再街さんには、一時的に一般人でなくなってもらう必要があったのです』

 

 とは、昨日のアンセスタの言。

 

『修正力の発現……前に言ってた、タイムパラドックスでノギス工業が崩壊するとかどうとかって奴か』

(はい)。具体的にどのような事象が発生するか、というのはデータに入っていませんが。それでも、あの差し迫った状況に不確定要素を紛れ込ませたくはなかったので。自殺産道内の経験値をいくらか付与しました』

 

 追加のホワイトオーダーで完全に元に戻し、ノギスから狙われなくすることも考えたが、その辺りは現在保留中だ。俺が万全とはほど遠い現状、サポート要員が居た方が助かるのも事実ではある。

 

 無論、危険が及びそうならば即座に白亜をキメて全てを忘れさせるが、今はまだ、だ。

 

 ともあれ、記憶の中の村雲と比べ、今の村雲に変化は無い。

 最初の四人のような変貌も、室久のような異形化も、再街のような狂気性も何も無し。完全な自然体。

 こうしてかなり近い距離まで迫っても、こちらに気づく素振りさえ見せていない。

 

 なんならこのまま「おはよう」と声をかけても、何の問題もなさそうなほどで――

 

「お前早っえーなあ村雲。いっつもんな時間から来てんのかよ」

 

 ――そんなことを考えている最中に、別の扉から入ってきた室久が普ッ通に声をかけやがった。

 

 村雲が胡乱げに顔を上げる。

 そして、半目で、惣菜パンを食いながら登校してきた室久を見て、言った。

 

「……ああ、祇園か。おはよう」

「おう、つーか思ったよりなんかみんな普通に戻ってきたよな。いやまだ来てねえのも居るけどよ」

「そうだな。あと何人だ? 火神に、鉄鳥、黒雁、心沢。あとは再街と――村雨もか?」

「空間はアイツただサボってるだけだな。昨日も『頼んだ』って携帯に来てたし」

「『頼んだ』だけか。それだけだと伝わらんだろうが、何も」

「普段のヤツだったら『頼んだ』もねえからな。意味不明なスタンプしか送ってこねえぞ。ほら」

「なんでキリストの磔を送ってるんだヤツは。というかどういうスタンプだ」

「いや、これはキリストで代用したセリヌンティウスだ。この場合は『間に合いそうにないから代わりになんとかしてくれ』を意味する」

「お前らツーカーの馬鹿なのか?」

 

 …………。……普通、だ。

 

 その後も村雲と室久は取り留めのない会話を続ける。そこに不自然さは一切無い。

 室久がポケットから落とした惣菜パンの包装袋に対しても、ただ平然と軽く(たしな)めて終わり。中学生の頃の村雲にあった、一触即発の不穏さ、破裂寸前の危険性さえ、今は微塵も感じられない。

 

 背後を振り返り、アンセスタの方を見る。

 疑念を訴える俺。彼女は静かに首を振って、虚空に投影した表示枠(ウィンドウ)にテキストを表示する。

 

「〝……(いえ)、村雲零時が主であることは間違いありません。現状可能な四方式による解析、全てが迷宮主としての基準を満たしています〟」

 

 アンセスタの言葉を否定する根拠は無い。いや、正しいのはいつだって俺より彼女だ。もちろん、特に状況が差し迫っていない時のクソボケな言動は除くが。

 

 しかし、どうする。この状況で、俺たちは一体何をすればいい?

 

「〝今回の目的は、村雲零時の観察。ひいてはその危険度、及び迷宮主として所持する特性・能力の調査です。特に能動的に動く予定は無いはずですが〟」

 

 それは分かっている。……だが、こんな()()()()()()を観察したところで何か得られるものはあるのか?

 たとえ内面がどうであろうと、出力される結果がずっとこのまま、完全に平常そのものなら、その危険度なんて推し量れるはずがない。こちらからアクションを起こさない限り、ヤツの異常は露見しないのではないだろうか?

 

「……いや」

 

 結論を急ぎ過ぎだ。これだけの行動で決めつけるにはまだ早い。

 

 アンセスタへと手を差し伸べる。

 彼女はこくりと頷き、伸ばした手を無視して胸元から白亜回廊へと『収納』されていく。……まあいいけども。

 

 三日ぶりの学校。

 村雲(アイツ)同様に、何事もなかったかのように。

 俺は努めて平然とした顔で、教室の中へ入っていく。

 

「……おはよう」

「ああ――久しぶりだな、村雨」

 

 結論から言うと。

 村雲零時は、最後まで、ずっと、ただの高校生のままだった。

 

 


 

 

 五時間目の授業が、もうじき終わる。

 

『どうしてクウマのアルファベットはそんなに歪んでいるんですか? それでは自分でもaかoかの判別が付かないのではないですか? 曖昧な字体にしておくことで試験の際にスペルミスをしても正解にしてもらえることを狙っているのですか? 今は自分のノートに書き留めているのですから後で読み返せるようにもっと丁寧に書いた方が良いのではないですか? 肩にダメージが残っているなら無理はしない方がいいですよ?』

 

 コイツ人の体内からゴチャゴチャうるせえ。

 俺は髪に隠したアンセスタ手製の骨伝導イヤホンを弄る。昨日、俺が意識を失っている間に彼女が作った(アイテム)だ。電波の『収納』『取り出し』はもう体得したので、アンセスタが白亜回廊内にいてもこれで問題なく連絡出来る。

 

 黒板を見る。

 ここしばらく生徒の半数が欠席していた都合、このクラスの授業の進行は他クラスに比べ遅い。そしてその分の予習はしていたので、二、三日ほど無断欠席をかました後でも授業についていくのに特に問題は無かった。――まあ、学校とか成績とか、元々大して気にしてないけども。

 

 チャイムが鳴った。昼休み。次第に騒がしくなる教室。

 数日前まであったぎこちない静けさは、今は無い。

 日常の風景。二週間ぶりの。

 

「…………」

 

 戻ってきた――戻した、のだ。

 俺が。

 俺と、彼女が。

 

 もちろん、まだ完全じゃない。

 まだ四人、行方不明になった同級生がいる。

 二つ隣の村雲零時が、超常の力を隠し持っている。

 再街左希だって、この異常事態に巻き込んだままだ。

 

 戻さなければならない。

 失われる物が、一個だってあってはいけない。

 

 ()()()戻す。

 戻せるはずだ。

 必要なのは――重要なのは、俺の覚悟だけだ。

 アインソフがどうとか、ノギスがどうとか、そんなのは極論些末な問題に過ぎない。

 

 やるかやらないか。それだけだ。

 そして俺はやる。

 そう決めた。

 

 そして、何より――

 

『――クウマ? 呼ばれていますが』

「……ん、おう」

 

 見れば、新谷が俺に声をかけてきている。あいつとは仲が良い。以西も近くに居た。中学からの友達だ。室久もそのそばに居る。グループを作っているわけじゃないが、あの三人とつるむ機会はそれなりに多い。

 

「村雨ー、今日弁当?」

「いや、食堂で食べるけど」

「一緒に行こうぜ、俺らあんまりここ二週間の話聞けてねえし」

「ああ……」

 

 村雲や再街から目を離すことになる――と、思ったが、再街はこちらをちらちら伺いつつ、食堂について来る構えだ。意外と察しは良いタイプらしい。

 俺は頷いて廊下に出る。

 

「で、何言えばいいんだ? 言っても火事の後はあんまり大したことなかったけど」

「いや、大体のことは把握してるんだよこっちも。昨日のHRでも色々説明されたし」

 

 俺は僅かに首を捻って言う。

 

「じゃあ何聞きたいんだよ」

「んー、いや、つーか、村雨の方から何か話したいこととかねえの? 流石にガチで話題の一つも無いってことないだろ?」

 

 そりゃあ、そうだ。

 こんなことになってるのだから、話すことの一つも考えてなきゃ嘘だ。

 

「――――」

 

 考えていた、はずだ。

 

「村雨?」

「悪い、ちょっと……トイレ」

 

 足早にその場を去る。背後から再街が慌てて着いてくる気配があった。

 

『クウマ?』

「何も考えてなかった」

『……?』

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『はあ』

 

 廊下の奥、少子化で使われなくなった部屋の扉に手を触れ、扉を丸ごと『収納』し、中に入った。

 慌てて小走りに追いついてきた再街が部屋の中に入ってくる。それを見て扉を付け直し、アンセスタが白亜回廊の外に出る。

 

「え、あの……村雨くん、どうしたの?」

「なんか急にスンってなっちゃいました」

 

 戸惑ったという風に話す二人。俺は、気を取り直すように頭を振った。

 

「いや、悪い、何でもない。妙な事が多かったから……どんな顔して学校居ればいいかちょっと分からなくなっただけだ」

「そうなんですか。そういうものですか? どうなんですか再街左希」

「そ、そういうもの、かも……? 私、友達とか居ないからあれだけど……」

「なるほど、残念な娘です」

「まって?」

 

 アンセスタに弄ばれる再街を見つつ、落ち着きを取り戻す。

 いや、元より落ち着くも落ち着かないもない。この俺自体はずっと平常だ。

 

「昼、なにか……買わなくてもいいか。まだいくらか食えるもんあったはずだし……」

 

 白亜回廊から適当にパンを取り出す。消費期限は……昨日か。よし、ギリギリアウトだ。食べるけど。

 

「ここで食べるの? 窓とか開けた方が……」

 

 使われていない部屋の中は仄寒く、埃っぽい。再街が気を利かせて建付けの悪い窓を引いた。

 入ってくる暖かい日差しと風。それは勢いよくカーテンを膨らませて、室内の空気を爽やかに染め上げる。

 

 眩しげに窓を離れる再街に対し、アンセスタは日を浴びるように窓の外の景色を見渡す。

 風に吹かれて銀の長髪が揺れた。いくらかの透明度があるその髪の中を柔らかい陽光が屈折して、構造色の虹を描く。

 

 眩しい。その幻想的な色も、青褪めた色の肌が昼の光に照らされる様も、この教室の中ではあまりに異物的だ。学校の制服を着ているからって、馴染んでいるとはとても言えない。

 

「クウマ、気持ちいいですよ、ここ」

 

 窓際の机にひょいと腰かけて、アンセスタが俺に呼びかける。

 

 隣の机に座って、まだ大丈夫なパンを彼女に手渡す。

 思えば、誰かと一緒に、学校で昼食をとるのは、あの火事があってからは初めてだった(……いや初めてではないか? わからん、忘れた)。

 

「…………」

 

 俺は黙ってパンを口に運ぶ。一分一個ペースで一心に食べ尽くすアンセスタに対し、一個食べ切るにも四苦八苦している様子の再街。

 無言の昼休みに危機感を覚えたのか、再街が義務感めいた声で話を切り出す。

 

「……あ、あのさ村雨くん、そういえば午後の英語の課題ってどうしよう。何もやってないんだけど……」

「んなもん今どうでもいいだろこの状況で。つーか今日学校来て今日提出出来るわけねえんだからやってなくても構わねえよ別に」

「で、でも、他のみんなやってきてるみたいだし……」

「そりゃアイツら昨日から登校してきてんだからそうだろ。別にお前は単位とか内申とかヤバいわけじゃないんだからほっとけそんなん」

「……お前『は』ってことは村雨くんはヤバいの?」

「…………」

「ヤバいの!?」

「いや……英語だけだし……課題一つ提出しなかったぐらいじゃ変わらんし……」

 

 慌てて懐から課題のプリントを取り出し、名前欄に「村雨空間」と書き込む再街。良いっつってんだろ別に。

 

「待ってください再街さん、クウマのアルファベットはさながらミミズのミイラです。恐らく筆跡を覚えられているでしょう。代行すれば教員に露見する可能性があるかと」

「じゃ、じゃあ、村雨くん!」

「……『T』……『Th』……『The』……。……ふぅー……」

「遅っそい!! なんなのその息継ぎ!!」

「だって義手だし……。えー、これ何て訳すんだ」

「『彼は具合が悪かったが元気そうな振りをした』、ですね」

「『彼は具合が悪かったが元気そうな振りをした』、よし」

「日本語は普通の速度で書けるんじゃん! なんでアルファベットだけそんなガッタガタなの!」

「知るかよ。俺だって苦労して書いてんだよこのガタガタ」

「真っ直ぐ! 書きなよ!!」

 

 アンセスタがやれやれと言った風に(無表情だが)右腕を外し、俺に預け、代わりに俺の付けていた金属義手を装着した。そして俺が書いていたプリントを抜き取り、素早く英文を記入していく。

 

「――どうですか?」

「あっ! 再現度すごい! 完全にミミズのミイラ! 汚すぎて全然読めない!」

 

 やかましいわ。

 そのままアンセスタは流れるように回答欄を埋め終わる。その字は全くもって俺のものと見分けがつかない。凄まじい精密性だ。

 

「誤字と誤回答もいくらか混ぜておきました。これなら問題は無いでしょう。良ければ再街さんの方もやっておきますが」

「えっ、い、良いの?」

 

 そう言って、再街の分もまた、そっくりに真似た筆跡ですらすらと事も無げに処理していく。筆の速度は常識的だが、回答にあまりにも迷いがない。高校英語程度は余裕といった様子だ。なるほど、かしこい。このペースなら恐らく三分もかからないだろう。

 

 

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「…………」

 

 隣の席。教室の机に着いて、プリントに向かう彼女。

 まるでアンセスタが同じ学校に通う同級生であるかのような錯覚。

 

 たった今、初めて、全部終わった後のことを考える。

 仮に――いや、絶対にと言い換えても別に全然良いし実際にそうするのだが――アインソフもノギス工業もブッ殺して、平穏と日常を取り戻したところで、彼女がこの高校の生徒になるなんてことは無いだろう。

 

 だけどそれは、彼女が「普通の高校生」になれないなんて意味じゃない。

 アンセスタはやっていける。どこででもだ。記憶も何も無くても、己を定義する自我がある。瞭然かもしれないが、意思の無い機械なんかじゃない――誰かに言われなければ何も出来ないわけでも、何かに縋らなければ誰にもなれないわけでもない。

 

「……いや」

 

 思索を打ち切る。これ以上は、考えても仕方がない。

 どうせなるようにしかならないし、なるようになるだろう。――別に、俺は、何か望みがあってこうしているわけじゃない。

 

「機械製の義手なのにこれだけ精密に――いや、逆に義手だから精密に書けてる感じなのかな……?」

「両方です。弊機の場合、有機にせよ無機にせよ、神経に送る信号は完全に数値制御していますが、それでも生体複合であるあちらの義手ではいくらかの誤差が出ますので」

「あっ、じゃあ義手付けてもいきなり精密に書けるようになるわけじゃないんだ」

(はい)。むしろ、通常は装着直後のパフォーマンスが低下します。こちらの義手の場合は最低でも数日の訓練期間を要しますし、あちらの生体複合義肢(ハイブリッドリム)でも装着直後は相当の違和感を生じますので」

「村雨くん普通そうに使ってたけど……?」

「先に生体複合義肢(ハイブリッドリム)で慣らしていたことが大きいのでしょう。違和感については二週間前の事件直後であったためにそのダメージと混ざって疑念を抱かなかったのではないでしょうか」

「そうなの?」

「さあ。よくわからん」

 

 書き上げたプリントを再街に渡すアンセスタ。そのまま当然のように俺の胸元に手を突っ込み、食料を漁り出すの押し止める。さりげなく食うな。これ以上食べても過充電だろお前。

 

「見くびらないでください、130%までは問題なくいけます。ただしパフォーマンスは落ちます」

「やめろやめろ、午後からバトるかもしれないのに」

「現状、こちらから干渉しない限りは特に問題無いように思われますが?」

「ああ、だからこそこちらから干渉するんだ」

「第一のアプローチから既に暴力的なのは良くないですよ?」

「なんで俺が喧嘩売りに行くのが前提なの?」

 

 首を傾けつつ半目になっている彼女へ言う。

 

「普通に、味方してくれないか持ちかけよう。アインソフは絶対に相容れないとか何とか言ってたけど、アイツの言うこと素直に聞いてても仕方ないだろ」

 

 


 

 

 放課後、夕焼けが照らす渡り廊下。

 

 渡り廊下とは言っても、あるのは屋根とそれを支える柱だけ。校舎の一階と一階を繋ぐそれは、どちらかと言えば別棟に移動するための通路と言った方がいいかもしれない。

 

 廊下の中ほど立ち止まる。なにせ、渡った先にあるのは例の火事で焼け落ちた旧校舎だけだ。

 以前なら旧校舎が文化系の部室棟を兼ねていた都合、放課後の渡り廊下もそれなりに人気があったが、今は全くの無人。

 

 都合の良いことに、今日は特に静かだ。少し離れた中庭にも人影一つ無い。()()()()()()()()()()()が、他生徒を巻き込む可能性が皆無というのは安心出来る。

 

 故に、付近にある人影は、先に待機していた再街と――、

 

「――で、何の用だ」

 

 この、俺の後ろに付いてきた同級生、村雲零時だけだった。

 

『このひと、なんかすごみありますね』

 

 白亜回廊内で待機しているアンセスタからの通信。事前評判を聞いたからそう思うのだろうが、おそらく気のせいだ。

 素人である俺より、アンセスタの方が気配やオーラと言ったものに敏感、ということはあるだろうが、それでも村雲は依然として平然、そして自然だ。突出した佇まいなどどこにもない。

 むしろ、迷宮がどうの、と言った話を本当に切り出していいのかとこちらが熟考してしまうレベルだった。

 

「…………」

「何も無いなら帰っていいか?」

「あ、ま、待って村雲くん……!」

 

 口を開かない俺。怪訝そうに眉を潜める村雲。

 控えていた再街が、慌ててそれを引き止める。

 

「なんだ、再街」

「えっと、その、ちょっと話があって……」

「そうなのか」

「その……ええっ、と……」

 

 ちら、と再街がこちらに助けを求め、視線を送る。

 俺は頷き、彼らに言った。

 

「――じゃ、後は二人でごゆっくり」

「待っっってッッッッ!!!!」

 

 いい感じの絶叫ツッコミに踵を返す。

 まあ考えていても仕方ない。今なら何かしらミスってもギャグで済むだろう、多分。

 

「うーん。なあ村雲、アインソフって知ってる?」

「ああ。この間殺した」

「いや死んだんだけど復活したらしいんだわ」

「何? そうか……しくじったな」

「協力して一緒にブチのめそうと思うんだけど、どう?」

「そうだな、やろう」

 

 まとまってしまった。

 

 …………。

 おかしいな……殴り合いながらの話し合いも覚悟していたのに……。

 

「言っといてなんだけど本当に良いのか?」

「同級生をここまで滅茶苦茶にしたゴミをブチのめさないでおく理由があるのか?」

「いやまあそりゃそうなんだけど」

 

 ……なんだ、これ? 拍子抜けが過ぎる。あれだけ警戒していたのが馬鹿みたいだった。

 常識と照らし合わせて正常か異常かで言えば、確かに異常ではある。が、元から村雲がブッ飛んだ不良であることを考えれば正常異常以前に通常だ。変化無しとも言える。

 

 いや――むしろ、それが普通なのか?

 ここまで迷宮主になって人格が変わる例しか見ていなかったが、そもそも迷宮主はあくまでも「自らの極まった可能性の一つ」なのだ――ならば、「現在の方向性そのままに成長した上で、極まった可能性にたどり着く」ことだって、当然にある、のだろうか?

 

 無条件で信頼は出来ないが、昨日今日と普通に登校していた事実を鑑みる限り、今すぐに暴走だの何だのというのは無いように思える。

 どうにも話がスムーズ過ぎてついていけない俺がいるものの、それでも、状況が好転したのは間違いない。

 

 全身に施していた緊張の強張りを解きながら、俺は村雲と話し合いを始める。

 

「ならとりあえず、情報交換から始めるか。お互いの能力と迷宮の効果とか……いや、そもそも、村雲は現状どこまで理解しているんだ?」

()()()()()()()

「……あん?」

 

 どういう意味だ――と。

 そう問いかけようとした、次の瞬間。

 

 ――視界の隅で、何かが夕陽に煌めいている。

 

 バシュンッ、と。

 何か、ガスが高圧で噴射されたような響き。

 甲高い、耳に突き刺さる風切り音。

 そして、それより早く。

 

 

 見えないバットで側頭部をフルスイングされたみたいに、村雲の体が頭から横合いに吹っ飛んだ。

 

 

「ッ!?」

 

 即座に白亜回廊からアンセスタが飛び出す。倒れかけた村雲を受け止める。

 狙撃だ、と気づいたのは、彼女が返しざまに第三形態(ライフル型)の黄金歴程を放ってからだ。

 瞬時に光線で撃ち抜かれる人影。校舎の屋上に陣取っていたスナイパーの体が大きく吹き飛ぶ。

 

「ノギスです! 複数! クウマ!!」

 

 アンセスタに答えるより早く、右の義手を外す。忘却の白亜が、断端から過去最速で溢れ出る。

 

「再街!」

「うぇ、あ、へ?!」

 

 呼びかけた。

 腕の形を取るそれを、彼女に向けて振りかぶる。

 

 逡巡はしない。

 唯一迷ったのは、最後に何を言うか――

 

「――またな!」

「え」

 

〝あなたは、邨碁ィ灘?、繧堤?エ螢翫@縺――〟

 

 顔面をブチ抜く。

 物理的な威力は皆無だが、勢いに気圧されたのか、白亜に呑まれた再街が地面に尻もちをついた。

 

「――――……痛っ! え、な、なに――」

「立てるか!?」

「う、うん……えっと、あれ? さっきまで、旧校舎……火事が、あれ?」

 

 右腕を戻す俺。困惑しながら立ち上がる彼女。勘だが、同時にどこかからも戸惑いの気配を感じた気がした。

 

「立てるなら逃げろ! 早く!」

「え、いや、村雨くん――だったよね? 何が、」

「逃、げ、ろっつってんだろうが(トロ)ッ臭え女だなボケがァ!!!」

「ぎゃんッ!?」

 

 校門に続く方角へと再街の尻を蹴り飛ばす。犬のような悲鳴を上げ、ほうほうの体で走り去っていく彼女。

 

「クソ……!」

 

 村雲の方を振り返る。

 死んではいない。だが、全身がひどく痙攣していた。激しい嘔吐。加えて、耳と鼻から何か、血混じりの透明な液体がこぼれている。恐らくは髄液だ。間違いなく頭蓋骨が割れている。

 

 アンセスタが止血と、自殺産道で手に入れた万能薬の投与を行っているが、見るからに状態は芳しくない。少なくとも、超常に頼ったところで一日やそこらで治るような怪我じゃないのは確かだった。

 

「『迷宮主相手には能力バトルなんてさせないのが最適解。感知されるより先にヘッドショットで脳を吹っ飛ばせ――』、なんて、上は簡単にマニュアルに書くけどさぁ、正直現場を知らない意見よねー。この学校一棟に不注意領域(スコトーマスポット)張るだけでもとんでもない手間かかってるってのに、その上で市街地では現代でもギリギリ有り得る程度の次世代消音銃のみ使用可でしょ? こんなしょっぱい口径でまともに頭蓋()けるかっての」

 

 焼け焦げた旧校舎から現れる、作業着のようなドレスの女。

 確か、『主任』――そう呼ばれていたノギス工業の技術者が、複数の社員を連れ立って、俺たちの前に立っていた。

 

「……良い年した大人が雁首揃えて高校生二人にカスみたいなボロ負け晒したくせに随分調子こくじゃねえかカス。新手の挑発か? 確かにムカつくかもな、カスの調子こいた態度ってのも。死ねよ」

「あ、そう。生憎だけどその辺覚えてないのよあなたのせいで。映像は残ってたから経緯は知ってるけど」

 

 言って、女がこちらに銃を向ける。

 銃本体より、その先端に付けられた(恐らくは)消音装置の方が大きい不格好。しかし、それでも人間の頭蓋骨を割る程度の威力があることは十分にわかっている。

 

「ところで、なんであの子逃したの? 迷宮主から一般人に戻すのはいいけど、そのまま抱えてればこっちも手出ししづらかったのに」

「ああ゛? んなもんテメェらブッ殺すために決まってんだろうがカス。つーか良いのかよ俺だって一般人だろうが」

「テメーが一般人なワケねーだろデク野郎。……良いのよ別に。そこに転がってる迷宮主のおかげでこの付近の基底現実は()()()()から。ウチの超世代技術(ジェネレーション・オーバー)だって、見られるだけなら問題無いし――あなたの能力があれば、よっぽどの事がないと『条件』を満たす心配も無いし?」

 

 相手の周囲に展開される青い表示枠(ウィンドウ)。あの、近づいてくるモノを減速させる()()だ。弱点は一定閾値以下の重量と、相手自身が近づいてくる瞬間を狙ったカウンター。

 

「いえ、キネマティックカウンターヴェイル……減速理論によって相殺出来る運動エネルギーには上限があります。弊機の重量でも時速五十キロ近い速度で接近すれば、ほぼ確実に接触可能です」

 

 話す彼女へにじり寄るように、倒れた村雲へと近づく。

 その体を静かに持ち上げ、『収納』の必要時間を待ちつつ、この場から離れさせる。入れ替わりでノギスの前に立つアンセスタ。

 俺にも圧縮空気などの攻撃手段はあるが、質量の無い彼女の光線の方が確実だ。加えて、俺と俺の持つ物には100グラム以下の飛び道具は一切効かない。

 

 アンセスタが展開する黄金の剣。

 鋭い光を放つそれに対し、女は大きくため息を吐く。

 

「……また随分と入れ込んだわね、セスティ。あなたが『そういうモノ』だってのは分かってるけど。何? 組織的にはともかく、個人的にはそれなりに良くしてあげてたはずなんだけど?」

「それは――」

「そう。その感じだと記憶自体はそこまで消えてないわね。私たちと同じ二週間かそこら――というか、消せる範囲はそれが上限? 企業理念プログラムや遵守コマンドの方を飛ばされた感じかしら」

 

 女が歩み寄る。警護する社員らが制止しようとするのを振り払い、一歩。

 

「ねえ。もうさ、ほっときなさいよ。アインソフのクズだって、我らが総帥と同じ超越主(オーバーロード)――その規模のせいで、下手に暴れ回れば基底現実の修正力(アンメイカー)に喰われるのは知ってるでしょ? そりゃ総被害はとんでもないけど、たかだが今回の一件、()()()()()()()()()()()()()()()。誤差でしょ、正直」

「――数の、問題では、」

「あのさぁ。こうしてる間にも溜まってんのよ、案件が。ほら、見て? ついこないだ山梨で出現した主のデータ。機能型の第四階梯(レベル4)だって」

 

 懐から取り出した端末の画面が、アンセスタの眼前に突きつけられる。

 

「このレベルの主、討伐するのにどれだけの社員が必要かしら。班の編成に何日かかるかしら。事前準備に何日、漏洩対策に何日、実際の討伐に何日かかって、()()()()()()()()()()()()()? 二桁で済めばいいわよね。それ超えると隠蔽も面倒になってくるし」

 

 女が歩み寄る。二歩。背後の社員に持たせた機材。そこから伸びるケーブルを、鎖のように引っ張って。

 女が歩み寄る。三歩。悪意に満ちた先端の端子を、首輪のように差し出しながら。

 

「ねえ。ねえ、ねえ、ねえアンセスタ――()()()()()()()()()()()()()()()? それでも言うの? 数の問題じゃないの?」

「……ッ」

「ふぅん。すぐに頷かないのね、今回は。じゃあそうね、交換条件――『あなたが帰ってくれば、この街には何もしない』。これでいい? いいわよね? だって今回の事件、あなたの槍を追ってきたアインソフのせいじゃない。だからさ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 アンセスタの表情は変わらない。

 変える余裕が無いのだと、分かる。

 

 ――だが。

 

「……せん」

「何? はっきり答えなさいよ。これから死ぬ人間を助けたくないの?」

(はい)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――あ?」

 

 義手が、端子を振り払う。

 光の剣を、『主任』の眼前へと突きつける。

 

 至近に切っ先を見ても、女はまるで竦んでいない。むしろ、意味が分からないという風に首を傾げる。

 

「……何言ってるの? 何で分からないの? あなたが傷つかない分、周りが傷つくって言って――」

「それも嫌です。弊機は、弊機を含む誰も傷つけたくありません」

「そんなことが、」

「それこそが*勝利*です。……私達なら、そう出来ると。そのためなら、どれだけ巻き込んでもいいと――クウマは、言ってくれました」

 

 女が、動きを止める。

 具体的なことなど何も言えていない。反論とも言えない稚拙な異存。

 だが。だからこそか。

 『主任』は諦めたように、大きく息を吐き切った。

 

「そう……そっか。変化したわね、全く」

 

 端子をアンセスタの足元に投げ捨てる。

 

「分かったわ。諦めましょう。戦闘になったらどうせ勝てないもの、私たち。これで帰ってきてくれないなら、もう本社の支援を待つしかないわ」

 

 後退した。切っ先を突きつけられても、まるで退かなかった女が。

 

「私だってやりたくてやってるわけじゃないもの。昔は普通に友達だったじゃない。今だって大切に思っているわ。それは分かってくれてるのでしょう? 私はあなたよりも会社の理念を優先するようになったけれど、あなたはそうじゃないものね。私が管理を任せられてるのも、その優しさにつけ込むためでしかないの、知ってるでしょ? そうじゃなきゃ、いくら迷宮持ちだからってこんな若輩が主任格になれるはずないわ」

 

 だから、と。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――え」

 

 (ヴン)、と。

 『主任』の左手首に浮かぶ表示枠(ウィンドウ)

 描画される文字列、00:02.00。一秒経過。00:01.00。更に一秒経過して、

 

「待っ、」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 手を伸ばしかけたアンセスタの体が硬直する。おびただしい出血。ドクン、ドクンと、心拍に合わせて噴き出す赤色。

 潰れるような絶叫があった。『主任』の体勢が崩れ落ちる。頬にへばりついた女自身の血と肉片。洗い流すような涙を流しながら、女は、笑う。

 

「あっハ……い……()っ、た……。ほ、う置したら何分ぐらいで死ぬ、かしら、これ」

「何――なんでこんな」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ほら、ほらまた! さん! に! いっ、」

 

 脇腹の当たりに展開された表示枠がゼロを指す。爆ぜる。何かの折れる音と、破ける音――腹部が、一瞬だけ、勢いよく、膨張した。

 

 血を吐く音に悲鳴が滲んだ。地面に倒れ込む。びしゃり。既に飛沫が立つほどの血溜まりが出来ていることに気がついた。

 

「お……おねが、い……セス、ティ……」

「――――」

「し、仕事……これが、しごと、なの。わかって、おねがい、わかっ、てよ……ねえ、あ、ああ、あ――」

 

 展開される表示枠(ウィンドウ)。描画される00:05.00。その位置は、女の頭部に。ご、よん、さん――

 

「は、はや、く……ねえ、早くッ!! はやく助けなさいよ、アンセスタァッ!!!!!」

 

 もういい。()()()()()()

 あの女は、俺が殺す。

 

 アンセスタが否応も無く端子を拾い上げる。まあ、彼女ならそうするだろう。させるものか。

 村雲を置いて、走る。その行動を制止しようとする。だが。

 

「――クソ!」

 

 判断を、間違えた。あの減速がある以上、圧縮空気の至近解放しかないと思ってしまった。ワイヤーフックでも投げて縄越しにアンセスタを『収納』するなり、否、ここまで切羽詰まった状況ならもう銃でアンセスタの手なり腕なり吹っ飛ばせばよかったのだ――周囲の社員が、いつの間にか、村雲に銃を向けている。

 

 射線を通してしまった。

 咄嗟に退いて再度村雲を射線からカバーしようとする。同時に拳銃を手元に『取り出す』。間に合うか。否、遅すぎた。撃鉄の落ちる音、五つ。体で受け、『収納』できたのは三発のみ。残り二発が、俺をすり抜けて背後の村雲へと流れていく。

 

 しかし、致命弾だけは防いだ――そのはずだ。

 正直、五分だ。当たり所が良いことを祈るしかない。俺は一縷の望みをかけながら、銃撃でアンセスタを制止しようとし、

 

「っあ」

 

 どさ、と。

 

 背後で何か、崩れ落ちる音がした――崩れ落ちる音がした?

 何が、崩れ落ちたというのか。

 村雲ではない。あの状態では崩れ落ちる以前に立ち上がることさえ出来るものか。

 

 振り返っている時間は無い。

 だが、アンセスタも、ノギスのヤツらも、動きを止めて俺の背後を見ていた。

 だから、振り返る。

 

 再街が、戻ってきていた。

 

「あ、ご、ごめ……やっぱり、なんだか、気になっ、……」

 

 ごぷ。

 口から血が溢れて、言葉が止まる。

 胸部に、二発。心臓と肺を穿っているのは間違いない。致命傷だ。助かる見込みは無い。

 

「おい、再街――」

「……あの……なんか……なんだっけ……謝らなきゃ、いけないこと、あったと、思うん……だけど……思い出せないん、だけど……」

 

 無理そうだ。間違いなく死ぬ。治療は無意味だと判断できる。いや、でも、どうだ? だからって放っておくのも間違いだろう。とりあえずでいいから、駆け寄るぐらいはした方が――()()()()()()()()()()()()()()!!

 ()()()()()()! ()()()()()()()()()()()?! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

「あの時のこと、ご、め……」

 

 自分の右腕を引きちぎる。漏出する白亜。仰向けに倒れ伏す再街の胸元に、それを突き入れるように叩きつける。

 

 叩きつける。

 叩きつける。

 叩きつける。

 

 そして。

 

【ステータス】

 再街左希 Lv8 HP0/46kg

 

 俺は、もう、完全に。

 自分がどうしたらいいのか、分からなくなってしまった。

 

「あっちゃぁ……。死んだわね、その子」

 

 00:00.00は既に超えていた。

 爆発は起こらない。『主任』が爆ぜた自身の腕を千切り、捨てる。ガシャンという落下音が、生体複合義肢(ハイブリッドリム)だったのだろうそれから響く。女は服の中から破けた風船のようなものを取り出し、口の中に含んでいた血液袋と一緒に放り捨てた。

 しょうもない奴だ。もう本当にどうでもいい。

 

 それより、何より、分からない。

 こんな時どうすればいいのか、この俺は知らない。分からない。

 泣き喚けばいいのか? 怒り狂えばいいのか? 嘆き悲しめばいいのか? 何が正しい? そして、()()()()()()()()()()()

 

 決定的に、狂った。

 最初から発射角度を誤っていたロケットを思う。軌道を逸れていく宇宙船を想像した。

 もう取り返しはつかない。修正の望みは無い。

 針路が、消えた。

 

「はぁ。記憶消すならちゃんと消しなさいよアナタ。よりにもよってウチの流れ弾で死ぬとかさぁ……これもう始末書確定じゃない。――ほら、もう来た」

 

 死体の――死体の、でいいのか? まだ「これ」は再街と呼んだ方がいいのだろうか、分からない――銃創が、蠢動する。

 止まった心臓。琥珀色(アンバー)に輝き、門となる傷口。

 力無く溢れ、零れる血の中で、蠢く物が在った。

 

 混沌だった。

 秩序と対をなすもの。

 万色にて黒く燃ゆる元素(E)

 無でありかつ激しいというパラドクス。

 炎と氷とスパークに包まれ、爆発的に増殖するそれ。

 ありとあらゆる迷宮(パターン)を喰らい尽くす、意識持つ無秩序の塊。

 

 ――修正力。

 

 傷口を起点に噴出し、極彩色に膨れ上がった混沌が視界を埋め尽くす。

 それはこちらへ見向きもせずに、ノギスへの殺到を開始した。少女を撃ち抜いた銃手へと。

 

「あーあー……じゃ、残念だけどマニュアル通りにね。薬、持ってるでしょ」

「ま――待ってくださ、主任ッ」

 

 ガスが高圧で噴射されるような音。

 女が撃ち放った静かな銃声と共に、再街を撃った社員の頭が割れて、中身が散った。

 

 黒い虹色が大きく震える。動きを止め、透明に掠れていく混沌。

 

「ほら、帰った帰った。ったくもう、ウチの社員は使い捨てじゃないってのよ。消耗品だけど」

 

 消失。

 現実に溶けるように、時の猟犬は、この世界から退去した。

 

 そしてそれで終わりだった。

 それ以上に劇的なことは何もない。女が他の社員に命じて、射殺された社員を拾わせる。

 

「それじゃ、私たちも帰るわ。これ以上修正力(アンメイカー)も刺激したくないし。あ、そっちの死体はそのまま置いといて。あとで警察のふりして回収するから」

「……ま」

「何?」

「……。……待て……」

 

 言ってみただけだ。

 思考がまとまらない。こいつらをどうしたらいいのだろう。とりあえず殺してみるか。いや、何か、情報を聞き出す方がいいのだろうか。

 

「アンセスタ……」

 

 喘ぐように振り返ってみる。

 彼女は、再街に駆け寄って声をかけて、何か、心臓マッサージやらの、治療をしていた。

 なんというか、無意味だ。いや、そうか、そういうもんか。そうだよな。とりあえずそういうことやった方がいいよな……。

 ふらふらと立ち上がる。再街の方へ、無意味に歩み寄る。

 

 そんな俺を無視して、奴らはこの場を去っていっ

 

 


 

 

 それまでの全てが取り消された。

 

 


 

 

 零秒後。

 

「なるほど――そうなるのか」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……は?」

「それ以上の心臓マッサージはやめろ。胸骨が折れるぞ」

 

 振り返る。

 動きを止めたアンセスタの下で、無傷の再街が目を瞬かせている。

 

「え、あ……? その、だ、誰……?」

「……ッ?!?!」

 

 無表情ながら、驚愕にアンセスタが後退った。

 見れば、再街だけではない。先ほど『主任』に撃ち殺されていた社員も、ボロボロにされてこそいるが息を吹き返している。

 

 なんだ――何が、起きた?

 

「まだ、許してやれる。全ての条件を受け入れろ、傷つけはしない」

 

 状況を理解出来ているのは恐らく、村雲だけだ。ノギスの『主任』が混乱と困惑に満ちた表情で叫ぶ。

 

「な、あ……ッ?! おか、しいでしょうッ!? 蘇生能力、いえ、仮にそうだとしてもどうやって一瞬で、催眠、超スピード、違う! だって、キネマティックカウンターヴェイルも精神補強薬も正常に、」

()()()()()()

 

 零秒後。

 

 いつの間にか移動していた村雲に、『主任』がその後頭部を掴まれ、体を持ち上げられていた。

 

「あ、あなた達ぃッ!!」

 

 女の言葉に、社員たちが苦鳴に呻きながらも村雲へ銃を向ける。

 俺たちがそれを制止しようと動くより早く。

 

 零秒後。

 

 何度もトリガーを引く音と、一向に発射されない弾丸。

 

「――――。弾、切れ?」

 

 アンセスタの呆然としたような声が小さく漏れる。村雲の握り拳が開かれ、血に濡れた大量の弾丸がその掌から零れ落ちる。

 無感動に女を吊り上げながら、渡り廊下の柱を見て、村雲はフラットな声音でつぶやいた。

 

「自分から近づいてくる分には減速しない、だったな」

 

 がぁん、と鐘のような音。

 金属製の柱に、村雲が女の顔面を打ち付ける。後頭部を掴み、そのまま振り下ろすように。

 

「ぎ、ぁ」

「聞くが――」

「な、何、を」

「――ダメだな。答えないか」

 

 打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。打ち付ける。

 ポップコーンみたいに歯が散って、潰れたトマトみたいに血が舞い散る。

 

「次で殺す。いや、死ぬ。さっきの一撃で額骨が割れた。次にお前を叩きつけた時、それは前頭葉に刺さって、抉る。死にたくなければ全て吐け」

「わがっ、分かった、分がったか――っぶ」

 

 零秒後。

 

 ()()()()()()()()。いや、そのように見えた。

 気がついた時にはその全身に無限の苦痛が与えられていた。

 全身の皮は裂かれ。全身の肉は潰され。全身の骨は砕かれ。刹那の瞬間に行われた莫大量の拷問によって、血液が噴水のように全身から弾け散る。

 

「最後だ、答えろ。知っている全てを、吐け」

「い、ゔ……言う、が、ら……」

()()()()()()()()()()()()()()

 

 零秒後。

 

 女の姿は、村雲の頭上十メートルの位置にあった。

 

「呉れて遣る。めでたしめでたし(ハッピーエンド)だ、第六確保班主任・円帝イナ――その存在を完結する」

 

 (つい)っ、と。

 軽い動作で、少年の左手が掲げられる。

 

 それは、黒だった。

 白亜と対極をなす黒源。縄のように文様のように黒々しいそれが左手を覆う。纏わりつく。

 

 何を言われずとも知覚出来る。あの左手のある場所には『何も無い』。

 その左手こそは絶対善。そこに触れる(このよのすべて)を完全に消し飛ばす、防御不能の物質消滅。

 

 絶殺の左手へ、為す術なく女は落下していく。

 

 死ぬだろう。間違いなく。

 対極の能力の持ち主として直感的に分かる。あの左手は、俺の右手と全く同じだ。それも、過去に引き戻す白亜と違い、あの黒源は未来へと加速させる。

 だが、俺と違ってたかだか二週間なんてちゃちなものじゃない。恐らくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか、そういうレベルの!

 女がこちらを見た。血で真っ赤に塗りつぶされた顔面でありながら、懇願の表情だと確かに分かる。

 俺は、何も考えずにただそれを見送った。

 

 アンセスタは、最高速で跳躍し、落下する『主任』の体を空中で抱きとめた。

 

「は――? おま、何やって、いや、違う、待て村雲ッ!」

 

 待たなかった。あの男が待つわけがなかった。

 ゆらり。村雲が、学ランのポケットから刃物を取り出す。ただ、刃物と言っても、肥後守みたいな、まだ包丁の方がよほど役に立ちそうな、ちゃちな工作用ナイフ。

 

 着地したアンセスタにその刃先が向けられ――零秒。

 

「、(ERROR)!?」

「随分と、よく(かわ)す」

 

 細く浅い、しかし無数の切り傷が、アンセスタの制服と皮膚を微塵に裂いて、その内部の黒い装甲を露出させる。

 ノギスと違って、彼女はある程度あの訳の分からない村雲の攻撃を見切れるようだった。だが、完璧じゃない。

 

「逃げるぞアンセスタ! ンなやつ置いとけッ!」

「ですがッ」

「さっきそれで騙されたばかりだろうが!! なっっんで見殺しにしねえんだよ!?」

()()()()()()でこんなになってる人を見殺しにしていいわけがないでしょう!!?」

「……! この……!!」

 

 俺は駆け出す――村雲の前へ。

 立ち塞がる俺の姿に、真顔で奴は問いかけてくる。

 

「……今の、特にお前を説き伏せれてはいないと思うんだが」

「知るかよ……! 知らねえよ! そういうことじゃねえんだよ、クソ!!」

 

 村雲に視線を向けたまま、背後のアンセスタに叫んだ。

 

「全員逃がせ! 早く! 時間は稼ぐ!!」

「いえ、それは……! いくら何でも、クウマでは勝てません! 時間稼ぎすら!」

「ここは俺に任せて先に行け! なあにすぐに追いつく! 俺より先に死ぬんじゃない! おまえと一緒に過ごせて楽しかったッ! この戦いが終わったら故郷でパン屋を初めて始めて両親に親孝行をして彼女と結婚する!」

「なんで増設するんですかフラグを!」

「いくぞ村雲! この技を見て生き延びた奴は居ないッ!!」

 

 そして俺は村雲へ手のひらを向け――スタングレネードを『取り出し』た。

 

 ()ィ、と。爆ぜる閃光。白に染まる世界。

 

 零秒後、とはならず。

 数秒が経過し、その間にアンセスタは再街とノギスの全員を連れて、この場から離脱していた。

 特に堪えた様子もなく、ただため息をついて、村雲は俺に言葉を投げる。

 

「なんで生かす? あのノギス工業とやらに共感する部分でもあったのか? 多数のために俺たちは死ねだの言う、あれに?」

「なわけねえだろ……! 知らねえモブが何人死のうがそれこそ知ったこっちゃねえよンなもん! あのカス共だって今すぐ俺自身がぶっ殺しに行きてえに決まってんだろ!」

「だったら、なんでだ」

「そんなの、決まってんだろ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ッ!!」

 

 自分でも意図しない、絞り出すような声が出た。

 村雲は、肥後守の刃先をこちらに向けて、揺らす。

 一秒、二秒。奴は眉間にシワを寄せて、ナイフを下ろした。

 

「……特に納得行く理由も俺を説得する言葉も無いのに命を賭けるんだな、お前」

「言うなよクソ……! とにかく、一旦、待ってくれ村雲! 話し合いからだ! なんでもいいから、アイツらを殺すのだけはやめろ!」

「そうか」

 

 村雲が唐突に携帯を取り出す。

 しばらく操作をした後、奴は、アンセスタ達が逃げたのとはまた違う方向――校舎の外、夕焼けに照らされる街並みの中、どこか遠くを、じっと見つめた。

 突然に停止した村雲を訝しみ、俺が「何を」と、問いかけるより早く。

 

 零秒後。

 

 ――数キロメートル離れた街の一画で、爆発が起こった。

 

「……な」

 

 遠く離れた学校からでも見える、もうもうとした鉛色の煙。

 しばらくして、サイレンの音と、老朽化して掠れた市内放送のスピーカーが音を鳴らす。

 

『……ノギス電機ロジスティクスセンター永地支部で……の火災が発生し……放火と思わ……付近……市民の皆様は……』

 

 村雲がまた二、三、携帯を操作する。

 また違う方向、街のどこか遠くを見つめる――零秒。

 大気の揺れる衝撃。郊外の町工場が爆炎に包まれて、大煙が立ち上る。

 

 村雲はまた携帯を操作し、しかし、今度は顔をしかめる。

 

「これ以外のノギス関連会社は……遠いな、流石に。やっぱり、あちらを追った方が早いか」

「待て、お前……。何、やってんだよお前……」

()()()()()()()()

 

 当然みたいに、村雲零時は言い切った。

 

「待て、待ってくれ……世界的な大企業だぞ……違う、そもそも、大多数は、何も知らない普通の一般人、で……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――」

 

 言い返せなかった。

 いや、そもそも……()()()()()()()と……奴の言葉に、肯定さえする、俺が、い、て……。

 

「なんで……なんでだ……なんでなんだ……()()()()()()()……!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 あ。

 あぁ……。

 

 そう、か……そういうこと、か……。

 

 村雲が歩き出す。

 俺の横をすり抜けて、アンセスタが連れていった奴らを皆殺しにしようと歩み出す。

 

「退けよ、村雨――()()()()()()()()()()()

「っ、ォッらぁああああああああああああああああ!!!!」

 

 瞬間。

 噴出する白亜が、凝縮する黒源と衝突した。

 

 物質的な干渉はしない白と、物質的な干渉を殺す黒が、あり得ないはずの物理的拮抗を引き起こす。

 鍔を迫り合う逆行と終極。過去と未来。因と果。善と悪。白と黒。

 時空間が軋みを上げ、世界が割れる。次元の裂け目から覗く琥珀色(アンバー)。中から溢れ出そうとしたアメーバのような万色の修正力(アンメイカー)が、黒白の衝突に一瞬で崩壊する。

 

「クソ……クソ、クソ、クソッ!! 畜生!!! そりゃそうだろうよ!! 相容れれるわけがねえだろうがあのクソ野郎ッ!!」

 

 爆発的な超常の炸裂。因果を混乱させる衝撃の衝撃に、両者が数メートルほどの距離を弾き飛ばされる。

 村雲は見つめる。絶対的な物質消滅を引き起こすはずの左手を防いだ、俺の右手を。

 

「……なるほど。()()()()()()()()()()使()()()()()()()

「行くぞ村雲ォ! ()()!! ()()()!! ()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 理屈も理論も捨て去って。

 誰の理解も追いつかない領域で、王道無道の攻略が、今、始まる。







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丸焼きどらごん(@maruyakidragon
)さんからアンセスタのファンアートを頂きました!んぎゃわいい 良い意味で人間的な感じのしない無機的で神秘的な色合いがとても素敵ですね。
【挿絵表示】
親に向かってなんだそのあざといカレーパンは

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