衝突。
『取り出し』た鉄板による防御を、易々と貫く蹴りの一撃。
全身の爆裂、貫通、あるいは両断。そんなイメージを引き起こす破壊力が、骨と筋肉を粉砕して俺を地面へと流星のように墜落させる。
受け身は取れなかった。頭蓋が陥没する「
だが、それがなんだと言うのか。
「ぎ……ッ!」
もう、両足が折れている。
立てない。
「……そう、だ……。立てないように、折った」
落下の衝撃に自身も大きなダメージを負いながら村雲零時は無傷の状態で立ち上がり、俺を見下ろす。
「構造的な話だ。その骨の状態じゃどう足掻いても立てない。直に、迷走神経反射で意識も落ちる」
血圧が落ちる。
視界が眩む。
意識が――
白く――
消、
だがその程度でこの俺が戦闘不能になると思ったら大間違いだった。
「まだ、
「
ゴッ、と、無骨な打撃音が、この俺が見ている前で俺の体を打ち据える。
そして、零秒。
気が付けば、折れた足が渡り廊下の柱に、紐で括り付けられていた。
無理に動こうとすれば肉が剥がれて筋が千切れる。これ以上の無理は一生足が動かなくなるも同義だ。アンセスタに投与されたナノマシンや、自殺産道製の治療薬があろうとどうなるかわからない。
だが、それでも。
離れていく村雲零時の足。俺は咄嗟に伸ばした手でそれを掴んで、
「待、」
「
離れていく村雲零時の足。俺は咄嗟に伸ばした手でそれを掴んで、否。
掴もうとすることを、最初から知っていたように躱されて――
「…………」
「……待、て」
そして。
無意識に動いた俺の指が。
「……反射神経か」
離れていく村雲零時。
裾に引っ掛けただけの指が外れて、地面に落ちる。
もう、足を引きちぎりでもしなければ、あいつに追いつくことはできない。
拘束された俺を振り返ることなく、奴はその場を去っていった。
村雲零時は道を探る。
それは三次元上の
彼にとってはあらゆる出来事はもはや総当たりで解決可能な事象に過ぎない。それは人間が決して獲得すべきではない六つ目の感覚。因果を知覚する異形のクオリアを、彼はその手に掴みかけている。
そして、幾度もの選択と試行の末、辿り着く。
「……
この相手を、避けては通れないという結論に。
そこは誰もいない無人のグラウンド。その中心。
眼前には立つのは、この学校の制服を着た、長い銀髪の少女。やや丈余りの袖から、ちらりと覗く機械義手。
見る限りでは、まさしく少女。人形のように無機質な、背の低い、幼げな少女にしか見えない。先ほどの一連の流れを見ていた村雲零時にさえも。
だがしかし、頭では分かっている。
この少女――探索兵器アンセスタが、先の村雨空間など及びもつかない、非日常の怪物であることは。
「第二形態・非殺傷・
アンセスタの手から溢れる黄金の光剣。
彼我の距離は十メートル。おおむね教室の端から端程度。
曰く、剣道における一足一刀の間合い、すなわち相手に即座に攻撃可能な距離はおよそ1.5メートルから2メートルとされる。
故にこの距離からならば一瞬で切り倒されることはないように思える。
が、しかし、そのような常識が通用する相手でないことも同様に分かっ、
「と見せかけてビーム」
意表を突かれる。回避は間に合わない。
土手っ腹に突き刺さる黄金の一撃。それは必要十分な威力で彼の意識を刈り取って、
「
あらかじめ意表を突くことが分かっていたように躱す。
「
そして突撃。放たれた矢のように駆け出す彼の姿はまるで攻勢一辺倒。
だが問題ない。例えどのような攻撃を繰り出されたとしても、文字通り見てから対処することができる。彼の王道無道は、受動においてまさしく最強の能力だ。
まずは様子見。大振りの蹴りを放つ彼を、彼女はひょいと軽く避けて、そのまま返す刀でその顔面に威力を加減した光剣を叩き込む。
「
その回避機動を観測し終え、村雲零時はモーションを修正した蹴りを放つ。
だが避けきれないはずのその蹴撃を、アンセスタは見てから回避する。覆し切れぬ身体性能の差。格差。彼女にとってはこれすらまだ様子見だ。そのまま返す刀でその顔面に威力を加減した光剣を叩き込む。
「
だが覆し切れぬということは決して覆せないことを意味しない。
つまりは意識の差。『今は互いに様子見の段階である』という意識――
要はスイッチの切り替えだ。一から十へ。瞬時に点火するトップギア。つい先ほどまで様子見でしかけてきていた相手が、零秒で絶殺に入れ替わる。緩急というのならばこれ以上はない。村雲零時の能力ならば、それができる。
そう。本来、客観的には、もしこの戦いを横から見ている第三者がいるとするならば、戦いは今から始まるところなのだ。
彼と他人では生きている時間が違う。蓄積される経験値がどうこうではない。それ自体が強み。
エンジンが稼働しきっていない彼女ではそれに対応する術は無く、
「うみゃ」
「――――」
それほどまでに身体性能に差があるというのか。だが、だとしても対応不可能な領域はあるはずだ。受け手を誤ってしまう一撃はあるはずだ。今の回避とてギリギリだった。決して追いつけないほどの差ではない。
「
むしろ、王道無道の真領はここからと言っていい。
蓄積される経験値。積み上がっていく試行錯誤。何度も何度も何度も何度も、トライアンドエラーを繰り返してたった一度の有効打を見つけ出す。
死角から放たれる蹴り。「みゃ」紙一重で躱される。「
「…………」
紙一重から、縮まらない。
「こい、つ――」
反射神経などという話ではない――いや、反射神経なのだ。対処はとても機械的。
人間の選択肢は無限だが、人体の選択肢は有限だ。こうきたらこうするという正解が存在している。
だから、単純な対応行動である限り。
機械的な正解を返し続けるアンセスタは、受け手を誤るということが、
それでも、これが尋常な人間同士の立ち会いであるならば村雲零時はまだ競り勝てるだろう。
人体と人体。取れる選択肢が同じである以上、相手が何をしてきたところで理想行動をすれば対処は可能なように思える。が、実際はそうではない。
姿勢に体格、位置に状況、身体状態に精神状態。優位な面と劣位な面は双方でそれぞれ絶対に違う。詰め将棋のようなものだ。例え理想行動を取ったところで、対応不可能な選択肢は確実に存在する。
だがアンセスタはジェットを噴いて飛ぶ。腕を切り離す。可動域をブッちぎる。身長143cm体重72kgの重元素バイオマテリアルボディ。人体に可能な選択肢もクソも無い。
一から十とか、経験値がどうとか、そんなレベルの話ではなかった。
村雲零時がグー・チョキ・パーをジャンケンの直前1秒前に変更できようが、グー・チョキ・パー以外の新しい手を考えようが、アンセスタはジャンケンの直前0.1秒前に自動で手を変更するシステムを搭載しているしそもそも指が十本あるようなもの。
さらに。
「ところで今、46回目のループで合っていますか?」
「――――。
「ところで今、47回目のループで合っていますか?」
「
「ところで今、48回目のループで合っていますか?」
「
「ところで今、49回目のループで合っていますか?」
「……
「多分、今は50回目ですよね? よくやりますね」
ダンッ!! と、肉食獣の爪から飛び退くように村雲零時は距離を取った。
「驚くことも慄くこともないでしょう。こんなものはただのシミュレーションです。あなたの行動、力の入れ具合、視線と意識の向いているポイント。そしてその推移。それらから逆算すれば、決して辿り着けない視点ではありません」
そう言ってのける。こともなげに。
性能が違う。違い過ぎる。
アインソフ・ヨルムンガンド。アレなどは所詮、獣だった。油断、慢心、乱雑、不合理。積み上げた圧倒的な力と経験を振るう
だがアンセスタは違う――
パラメータを比較することに意味は無い。
この少女は、最初から常人では勝てぬように造られている。
「
故に、村雲零時は接近してくるアンセスタに合わせて足元の土を蹴り上げて。
「
動作が繰り返されること幾十。
莫大量の土砂が、互いの間に巻き上げられ、土煙となって視界を覆う。
アンセスタが数秒、静観した後、腕を広げて全方位へ軽く黄金の衝撃波を放つ。
吹き散らされる煙幕。
視界が晴れたその先、眼前に立つ村雲零時。
彼が数秒のうちにどこからか持ち込んできたのは――金属バットと、カゴに入った大量の硬式球。
「――
ふわり。浮き上がるように上へと軽く
村雲零時がバットを振るう。放課後のグラウンドに響き渡る小気味良い快音。当たりは当然ジャストミート。衝撃摩擦の焦げ臭い匂い。すなわちは、時速160km殺人ライナー。
「えー。バッターボックスには一番、ノギス工業アンセスタが入ります。稀代の機体は果たして期待通りに塁に進むことはできるのか」
少女は普段より感情を乗せて声高に、ウグイス嬢の如く透る声でアナウンス。
黄金光をバット状に形成して、ぐるりと手首を回し――強振、快音。
「打ちましたっ、大きい、ホームラッ、」
「
第二球。
巻き戻すタイミングは第一球を打った零秒後。第一の殺人ライナーと同時に放たれる第二の殺人ライナー。
飛翔する弾丸二つを、アンセスタは両手に出現させた二本のバットで打ち返す。
「
歪む快音。放たれる殺人ライナー三十五連。
流石の彼女も捕捉しきれない凶弾の群れ。全身を回転させ、剣舞のように猛撃を躱しながら打ち返していくが、それでも球の一つが肩を掠める。
そして、一度でも当たってしまえば、村雲零時はその事象を無限に繰り返せる。
「迷宮開廷。――
展開される見えざる黒。王道無道が世界に満ちる。回路のような黒縄が、あらゆる地点に纏わり走る。
ただでさえ時速160km硬式球の運動エネルギーは単純計算で拳銃弾の三分の一に相当するのだ。
いかにある程度弾丸を耐え凌げるように設計されている彼女の
だが。
「
前ループから持ち越されるはずの『球の一つが肩を掠める』という事象が、リロードと同時に消失する。
「なるほど。ループ自体はあなたの能力ですが、以前のループから起こした事象を持ち越すのは、擬似迷宮に備わった能力。――そして、事象持ち越しの対象に取れるのは、
「っ、」
「ならば、体表に簡易迷宮を纏って、他の迷宮を押し返している弊機にそれは効きません。タネが割れた以上はここまでです」
周囲に存在する見えざる黒。王道無道の満ちる領域。
世界全てに走る回路のようなその黒縄を、彼女の迷宮が切り拓くように打ち払う。
「簡易迷宮、最大展開――
機体に過負荷をかけて、展開される半径数十メートルの簡易迷宮。
飲み込まれる王道無道。ギリギリで完全に押し潰されないように耐えているが、補助効果の強い彼の迷宮は、その分迷宮同士の押し合いに弱い。
ただし、探索兵器アンセスタは迷宮主ではない。あくまでノギスの技術で再現されただけのその迷宮は、機械部品の世界を作ったり、邪魔を祓う千本鳥居を構築したり、因果律を歪める干渉域を作り上げたりと言った力を振るうことはできない。
何の補助効果も持たない、他者の迷宮を押し返すだけの迷宮。
だが、そんな彼女の簡易迷宮であっても、擬似迷宮としての基本的な機能自体は備わっている。
「第三形態・非殺傷・
村雲零時から中心半径二メートルまで縮小させられた王道無道の領域外。
アンセスタの簡易迷宮内に出現した無数の銃口が、黄金の稲妻を散らしながら、一斉に村雲零時を狙い撃つ。
回避の手は無い。防御の択は無い。耐え凌ぐ道も同様に。
厳密なる方程式にて完遂される無情無慈悲な演算試行。
村雲零時の性能では絶対に、この金色の猛威を越えられない。
「
静かな動きで向けられる、少年の左手。
何を言われずとも知覚出来る。あの左手のある場所には『何も無い』。
その左手こそは絶対善。そこに触れる
「残念ながら、
迫りくる光条の総数、256。
左手一本で迎撃できる道理は、無い。
「――
そして、光の檻は機械的に村雲零時を蹂躙し、
「
そして、光の檻は機械的に村雲零時を蹂躙し、
「
そして、光の檻は機械的に村雲零時を蹂躙し、
「
そして、光の檻は機械的に村雲零時を蹂躙し、「
七秒間の炸裂。
「…………」
アンセスタは判断する。
――勝った。
慢心でも油断でもない。複数かつ同時かつそれでいて時間差も含んだ包囲攻撃。ただの高校生に対処できる道理はどこにもない。
「……相性が良かったですね」
道無き道の君臨者、
なるほど確かに、アレはアインソフに勝つこともできる能力だった。
一度でもミスをすれば、否、一度でもミスをする可能性があるならば、その時点で絶対に勝てなくなる能力。
対処できるとするならば、アンセスタが今しがた行った飽和攻撃か範囲攻撃。あるいは、何度繰り返したところで絶対に勝てない、現象的な存在だけだ。超越主の中でも特に
当初の仲間にするとか漁夫の利を狙うだとか言う作戦は丸っ切り失敗に終わってしまったが、これに関してはむしろ前向きに捉えるべきだろう。
村雲零時はあまりにも危険過ぎた。その気になれば零秒で誰にも止められない広範・多様・大規模・致命的な事象を引き起こせる神のごときその権能。現在この街がある程度無事なのは相手の気性故だ。これほどの相手をさして被害の出ていない今の段階で仕留められたのは成果と言って間違いない。
そして、彼女はふぅ、と、ため息のように排気をして。
「――――。な、に?」
それを見た。
「Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re.Re」
〝『村雲零時』はより強くなった〟
〝『村雲零時』は成長した〟
〝『村雲零時』は回避の技能の成長を感じた〟
〝『村雲零時』はレベルが上がった〟
〝『村雲零時』は器用になった〟
〝『村雲零時』は見切りの技能の成長を感じた〟
〝『村雲零時』は成長した〟
〝『村雲零時』は我慢することの快感を知った〟
〝『村雲零時』の意思は固くなった〟
〝『村雲零時』は周りの動きが遅く見えるようになった〟
〝『村雲零時』は成長した〟
〝『村雲零時』は世界をより身近に感じるようになった〟
〝『村雲零時』はレベルが上がった〟
〝『村雲零時』はレベルが上がった〟
〝『村雲零時』はレベルが上がった〟
〝『村雲零時』はレベルが上がった〟
〝『村雲零時』はレベルが上がった〟
――耐えている。
光条の群れを回避し、防御し、迎撃し、対処し、耐え凌ぎ切っている。
村雲零時の周囲で、メッセージを告げる
特に戦闘経験の無い理論派の研究者が開発したノギス式脅威測定法によって算出される数値。
あてにはならない。それはわかっている。だが、だが、だが――。
砲撃はまだ続いている。
七秒を過ぎた後、村雲零時がまだ立っている確率は零だ。それを算出した上での包囲攻撃だったのだ。
千を超える試算の果てに、アンセスタはそれを確認したのだ。
だから、まさか、と試行する。
彼の行動、力の入れ具合、視線と意識の向いているポイント。そしてその推移。
それらから逆算し演算する、現在のループ回数の概算は。
「じゅ……――
――光条群、突破。
飛びかかってくるシルエットは何も変わらない。だが違う。内に秘めた硬さ、鋭さ、しなやかさ。精神的な経験値を貯めたのでは無い。
つい先ほどまで王道無道をほとんど押し潰せていたはずの簡易迷宮が、ガラスのように崩壊していく。出力の桁が段違いだ。何もかもが成長している。レベルが違い過ぎる。
「呉れて遣る。
唸る黒腕。絶対消滅。
回避はできない。防御はできない。対処はできない。
どういうわけか。何をどう試算しても、それらの
アンセスタは即座に演算を放棄した。ただの勘、完全なる直感でもってその一撃を凌いでのける。
だが足りない。機械的な対処を捨てた時点で無謬は終わりだ。
「――
黒い掌に連続して放たれる蹴り。ほんの僅かに掠って、それが無限に繰り返される。ループから持ち越された事象によるたった一度の連続攻撃。
「『ブラック・オーダー』」
染まる黒源。次の掌は躱せない。
決意するのは黄金歴程の最終形態。だが間に合うか。最終形態をもってしても、果たしてこの男を止められるのか。わからない。
だが。
だが、それでも。
そして、彼女が槍を振りかぶる――
「――『ホワイト』、」
その直前。
「『オー、ダー』ァアアアアアアアアアアアア!!!!」
飛び込んできた白亜の右手が、黒源の左手を相殺した。
鍔を迫り合う逆行と終極。過去と未来。因と果。善と悪。白と黒。
物質的な干渉はしない白と、物質的な干渉を殺す黒。物理世界から外れた両者が、あり得ないはずの物理的拮抗を引き起こす。
時空間が軋みを上げ、世界が割れる。次元の裂け目から覗く
爆発的な超常の炸裂。因果を混乱させる衝撃の衝撃に、両者が数メートルほどの距離を弾き飛ばされる。
村雲零時は見つめる。
絶対的な物質消滅を引き起こすはずの左手を防いだ、その右手を――その右手の持ち主を。
「村雨、空間――」
「第三ラウンドだ、村雲零時……! 今! 今、ここから!
そして、彼の右腕の断端から。
純白の何かが、滴り落ちる。
「まさか」
「基底現実・伐界開始」
裏返る内界と外界。
漂白の夢が、深化する。
――世界の全ては、白亜の回廊に塗り替わる。
「迷宮開廷――