ヒロインが とびだしてきた!▼(挿絵あります)
勝った。
疑いようもなく、俺は勝利した。
これほど疲労したのも、流血したのも生涯初。特に、右腕のダメージは酷かった。もう全く感覚が無い。一秒後に千切れ落ちていたとしても、少しも不思議とは思わないだろう。無事な左腕だって、ほとんど力が入らないほど疲労している。
このまま、何も考えずに崩れ落ちてしまいたかった。しかしそうしたが最後、一瞬で意識が途絶えるのは間違いない。
休息を必死に堪えて、動きを止めた室久に問いかける。
「……正気に戻った、ってことでいいか……?」
「いや……気を抜くとまだ、■ッ、ダ、メだ……」
数秒置きに、友人の顔が怪物のそれに変わりかける。
どうやら、出来たのは無力化だけらしい。この異常な状態そのものが無くなったわけではないようだ。
まだ気は抜けない。
「げぶっ――、」
そう思ったがその瞬間、咳とともに血を吐いた。
いい加減に身体が限界だった。正直、気合だけで立っている。
傍から見ても、酷い有り様なのだろう。倒れた姿勢のまま、銅像みたいに固まった室久が言う。
「――許して、くれ……、許してくれ、なんでだ、なんで、こんな、俺に……なん、で……」
ぐしゃぐしゃな表情。捩じ切れそうな声。
危険なバランスだと思った。
今にも心が崩れそうに見えた。
当然と言えば当然。身体がバケモノになって、自分の意思ではどうにもならないまま人を殺そうとして、実際に友人をズタボロにした直後だ。普通なら錯乱する。
安心させるべきだった。
「……気にするなよ、結局、全員無事だ。取り返しがつかなくなる前で良かっただろうが」
安心させるつもりだった。
「けど、お前――」
だから、軽く手でも振ってやろうとして。
「気にするなって。別にこれぐらい、一生モノの怪我でもな、」
二の腕から先が、落ちた。
「――――」
安っぽい玩具みたいにあっさり。
地面に落ちた自分の右腕を、真っ白な頭で見下ろしている。
正直、分かっていた。
まだ何とかなると、必死に目を逸らしていた。
とっくに取り返しがつかないのに、見て見ぬふりをしていた。
無意識に理解していた俺。
唐突に最悪を浴びせられた室久。
「あ、」
「待、て、室ひ――」
「ァアアア■ア■■■■■■■■■■■!?!?」
先に均衡を崩したのは後者だった。
凝、と。
地面の、天井の、建物の。空間全ての黒色が、まとめて室久へと凝縮していく。
工業機械みたいな音を立てて摩擦する金属粒。莫大規模の静電気により、いたる所で放電が発生した。
飛び散る火花の中、中心である室久が鋼鉄の渦を纏って黒く。黒く、黒く、どこまでも黒く。漆黒の超常そのものへと変容していく。
〝Tips:暴走〟
〝
唐突に、声が途絶えた。いや、声自体は聞こえているが、そこにあった何かが失われた。
だが、そんなことはどうでもいい。
「ふざ、けるなよ……」
ただ、怒りがあった。
勝ったのは俺だろう。勝利したのは俺だっただろうが。今更ひっくり返すなやめろ。こんな理不尽があってたまるか。
この現実だけは認めない。この結果だけは許容しない。
胸中に激憤が満ちていく。許せないという意思だけが、心の外まで溢れ出す。
お前もお前だ室久。何をショックなんぞ受けてやがる似合わねえ。居直れ。罪悪感なんて感じるな。お前は何も悪くなんかない。全人類が糾弾したって、お前の罪なんか認めねえ。そんなモノを抱えはさせない。
だから。
「さっさと――、」
右腕の断面から、純白の何かが滴り落ちた。
血のように白が噴き出す。不定形の何かが腕の形を作る。そしてその内に――白亜の回廊を覗かせる。
〝不確定名:不思議な次元(特別)は、★自律迷宮『白亜回廊』だと判明した!〟
詳細など知ったことではない。
今、重要なのは、この馬鹿をぶん殴れる拳が有るという事実。
「――起きろォッ!」
白亜の右手が、超常の中心に突き刺さった。
〝あなたは、邨碁ィ灘?、繧堤?エ螢翫@縺――〟
黒い暴走が止まった。
吹き荒れる砂鉄の渦が、力を失くして地面に落ちた。
砂の山に埋もれる室久は、完全に意識を失っている。
俺に発生した謎の白色も、今は痕跡さえ無い。
右腕の断面では、血も垂れず、ただ金属の部品のような物が覗いているだけで――いや、待て。
「……何だ、これ」
断端に埋められた、筒のような金属部品。
まるで別の
こんなの、俺は知らない。
地面に落ちた右腕を拾い上げた。
やはり、というべきか。その断面にも、プラグのようなパーツ。
「…………」
〝デバイスが接続されました。
音が鳴った瞬間に肉が蠢く。『継ぎ目』が分からなくなる。神経が繋がり、ボロボロになった右腕から、気を取り直したような激痛が伝ってくる。
「義、手……」
……なのか? 今更こんな常識的なことを言うのもバカバカしい気はするが、どう考えても二十一世紀の技術で作れる物じゃない。
そもそも、なぜ俺の腕が義手になっている。別に、腕を失った覚えなど無い、はず、だが――、
「――っぐ」
その時、室久がうめき声を漏らした。
目を開けた室久は、
「いや、お前動けないはずじゃ、」
「
「どこって……」
「映画のスタジオなんかじゃねえよな?
真面目くさった顔で、室久はそんなことを言った。
「……なあ、今日、何日か分かるか?」
「六日、じゃ、ないっぽいが」
「ああ、二十日」
やっぱり、そうだ。二週間前、火事が起こってから今日までの記憶が失くなっている。
単純に、ぶん殴った時の衝撃で記憶が飛んだとは思えない。迷宮主とやらが気絶すると記憶を失う仕組みになっているのでなければ、恐らくはさっきの――白い右腕の影響か。
「……ずっと寝てたか記憶喪失かのどっちだ、俺」
「記憶喪失。理解が早くて助かる――っても、お前はずっと失踪してて、今日やっと見つけたところだから、お前が記憶失ってる間のことは分からん」
何があったか思い出させる必要は無いと思った。努めて平静簡潔に、事務的な情報伝達を済ませていく。
「なら、他の奴らはどうなった? あの後、何が……いや、それは後でいいか。ここ、明らかに普通じゃねえだろ。お前一人で来たのか?」
「あっちに足折れて動けない人が一人と、みとらちゃんが来てる。今出すよ」
左手を上げ、みとらちゃんを『取り出し』た。虚空から突如現れた彼女に、室久が軽く瞠目する。
「んな……お前、今どこから、」
「む、お兄ちゃん。三日間もいずこをさまよっておられたのか。あまりみとらを心配させないでいただきたい」
「お、おお。悪ぃ」
「
その言葉に、俺と室久の眉がぴくりと上がった。
「……みとらちゃん、今日、何日か分かる?」
「とうぜん。
黄色の通学帽を斜に被って、びし、と少女がポーズを決めた。
「
「……七日分の、記憶が無い」
「?」
みとらちゃんがきょとんと首をかしげる。
「どういうことだ……? みとらにも何かあったのか?!」
室久が問い詰めてくる。
だが、これがこの迷宮の影響で無いとしたら、心当たりなど一つしかなかった。
「収納能力の、影響……?」
何かを守るための力だなんて、俺の思い込みにしか過ぎなかったのか。
いや、それとも。そもそも物を『収納』する能力なんかじゃなかった?
だとしたら、火事に遭った俺含む十六人の記憶が無いのも、あるいは――。
「……っ」
黙り込む俺に、室久が気を取り直すようにかぶりを振った。
「いや、いい。とりあえず、今はここを出るのが先決なんだろ?」
「あ、ああ。室久は、さっき言ったあっちの人を頼む」
頷き、室久が足の折れた男性の元に向かっていく。
見送る俺に、みとらちゃんがくいくいと袖を引いた。
「空間さん、空間さん。お兄ちゃん、ぶじ見つかってよかったですね」
「――そう、だね。うん、それはそうだ」
そうだ。色々あったが、少なくとも当初の目的は完全にクリアした。
みとらちゃんは無事。室久も無事。他に居た被害者も無事。疑いようもなく、最善の結果だ。
記憶の喪失も、結局は数日間。罪悪感はある。あるいは人生を左右する思い出が詰まっていたかもしれない数日間だ。それを奪ったかもしれない、という気持ちはどうしたって消えない。この後も、大小種々の問題は起こるだろう。
だが……だがそれでも、少なくとも、命の代償として考えれば破格のはずだ。
勝った。
疑いようもなく、俺は勝利した。
――なのに晴れないこの不安は何だ?
何かが迫り来るのを感じる。
さながら、大きなイベントが始まる五秒前。
主張を強める環境音。
不自然に減少する情報量。
唐突に操作の効かなくなる自分。
口では言い知れようのない運命の予兆。
それが、すぐ。
そこまで。
迫ってきている――。
「チュートリアルは済んだかな少年少女。では初めまして
それは来た。
長身の、男。外国人であることは分かるがモンゴロイドにもコーカソイドにも見えない人種不明。長い黒髪に真っ赤な瞳。タイトな黒いズボンにスポーツ選手みたいな薄手のインナー。
出で立ちだけならどこにでもいる若者のようだった。実際、歳の頃は二十代程に見える。
若々しい。瑞々しい。
しかし――どうしようもなく、古々しい。
これを何に例えればいい。果てることなく生長を続ける古代の樹木。遥かな過去から噴き上がり続ける永劫の活火山。
男は、そんな現在進行系の生きた太古だった。
〝第四超越『アインソフ=ヨルムンガンド』[職業:超越主](距離 6) - "瞬殺されるだけだ。巨人と蟻ほどに格が違う" -
視界に乱れ散る無数の〝ATTENTION〟〝CAUTION〟〝WARNING〟。逃走を促す声が、頭の中で無限に響く。
〝遥か古くより生きる真に不死身の迷宮主だ。最強の主である
しかし逃げようにも逃げ出せるほどの隙がない。コツリ、足音を立てて一歩。男がこちらに近づいてくる。
「どうした、少年。好きに行動して構わんぞ。相対するなり逃走するなり問いかけるなり、出来ることはいくらでもあるだろう。ただ呆然と私のような未知に身を委ねて良いのか?」
馴れ馴れしく語りかけてくる男。それに対し、困惑した様子のみとらちゃんを背中に隠した。
「……あの副担任の仲間、か?」
「そうだな、アレなら私の部下だ。まあ不始末をつけに来たと思ってくれれば良い」
男が自然な動作でこちらに指を向ける。
そして、真紅のレーザーが放たれた。
予兆が無かった。あまりにも何気なさ過ぎた。
きっと皆思っているだろう。人が人を殺すなら何か
もはや日常動作だ。攻撃は速かったが、それとは別の次元で回避が出来ない。
何も抵抗出来ず赤い一撃が俺の身体に突き刺さる。
〝あなたは、血を拾った〟
どぱっと冷や汗が噴き出した。
死んでいた。収納能力が無ければ間違いなく死んでいた。真っ向から不意を打たれて殺されていた。
「ふむ。ビーム状ならあるいはと思ったがやはりか。まあ
何事もなかったかのように、興味深げな顔で男が問いかけてくる。だが「答えるまでは殺されない」という保証など間違いなく無い。思わず、左手でボロボロの右腕を掴んだ。
「なんだ……テメェ一体何が目的だ……!」
「ああ、悪いがそう大した野望を抱いているわけではない。簡潔に言ってしまえば兵力補充だな。君たち十六人に私の手助けをしてもらおうと思ったわけだ。君らの副担任が失敗したせいで中途半端になったがね」
分析する。さっきの赤い光線は、ウォーターカッターの如く高圧で噴射された血液だ。どういうカラクリか知らないが、流体である以上は俺に効果は無い。が、みとらちゃんに流れ弾が飛ぶことだけは許されない。
せめて俺に意識を集中させようと、必死に声を張り上げる。
「何が兵力補充だ。なんで俺たちなんだ。どっか知らない所でやってろよ、こっちは何一つ関係ねえだろ……!」
「いや、そうでもない。
男の言葉に動揺する。動揺してしまった。
そして、俺が呆気にとられた一瞬で、男は瞬間移動みたいな超スピードで手の届く距離に立っていた。
「あ――、」
「使えよ、少年。私に届くとすればそれだけだ」
「ぁ、ぁあ、あああアアアアアッ!」
打ち上げるアッパーカットで、白亜の右手が男の真芯に突き刺さり、そして、
「ご、ぶッ……!?」
〝あなたは、Error -
血混じりに胃の中身を吐き散らす。意識が飛びそうなほどの吐き気。今まで食べた何より甘く何より苦く何より辛く何より旨く何より不味く何より爽やかで何より粘つき何より刺激的で何より酸い物を、全て混ぜて胃と喉を溢れさせるほどに詰め込まれたような。ただそれだけで人を殺しうる、致死量に至った
白亜を通して見えたものは、何だ。破滅の黄金、荒涼たる平原。霧の空中庭園で蛇が蛇を貪っている。槍携える王が最も難き地に凱旋し神の剣に貫かれた。女神と王を屠った刃もいずれは廃れる。打ち捨てられた錆を圧し折る不満足。満たされぬ胃にただひたすら無意味を詰め込んで詰め込んで詰め込んで――
〝ショックによる復帰措置を実施――
バヂィ! と、右腕から電撃が迸った。激痛により、かろうじて安定を取り戻す。
「つまらん。新種の『死』に耐性がつくかと思ったが、そもそも不発か。その力、恐らくは閾値以下の生命質量を条件に取るタイプだな。ならば私に通じんのも道理だろうよ」
不満げにこちらを見下ろし見下す男。
吐き気にうずくまる俺は、無意識に聞き覚えのある単語をリピートしていた。
「生、命、質量……」
「こちら側の用語だ。ネズミが釘で貫かれれば即死だが、象であればかすり傷にしかならん。重い生物、規模の大きい生命というのはそれだけで死ににくい。
が、居るのだ。象ほどに死ににくいネズミや、竜ほどに死ににくい人間というのが。この世界にはいくらでも。
そうした生命に対し、物理的な質量とは別に設定される命の重みこそが生命質量だ。君らにはゲームのHPのようなものと言えば分かりやすいか? 要はその腕、生命質量の軽い、小動物や死にかけの相手でなければ効果が無いという話だよ」
白亜の腕が消えていく。咄嗟に維持しようとしたが、瞬間、頭まで真っ白になりかけた。
「やめておけ少年。その力、時間逆転にまで手が届いている。強大な分、自身にかかるリスクも相応だろう。使えてせいぜい二度が限度だ、それ以上は白痴になりかねんぞ? 自滅など興ざめに過ぎる。君にも家族はいるだろう、無事で帰らなければ父母が悲しむとは思わんのか?」
「どの、口が……!」
「なんだ、何がおかしい? 私の言葉に一つでも間違いがあるか? 分かったらさっさと生き足掻けよ。もう二、三本四肢をもいでみればあるいは勝ち目も出るかもしれんだろうが」
男が万力の如き力で俺の左腕を掴み、首を押さえる。
抵抗出来ない。骨の軋みと、内側の何かがブチリと引きちぎれる音、が、耳まで届い、て、
「――ッらぁ!」
ゴキィ! と、室久が振り下ろした鉄パイプの一撃が、男の頭部にクリーンヒットした。
「逃げろ空間! クソッタレ、誰だか知らねえが、油断してんじゃ、」
「油断か。羽虫に触れられることを油断と言うなら確かにそうだ」
まるで堪えた様子なく男が室久を振り返る。
「ッ!?」
二撃目は全力だった。防御しなければ首がへし折れてもおかしくない威力の横殴りが振るわれて――全く防御しなかった男の首がへし折れた。
「あっ、」
確実な死。殺人の感触に一瞬自失する室久――だが直後、バネ仕掛けみたいに折れた首が跳ね上がって元に戻る。
「な、ん――?!」
「蚩尤の
直後、打ち合いが始まった。
俺が割って入れば二秒で吹っ飛ばされそうな格闘の嵐。両者共に凄まじいが、室久の技は冴え渡っている。高校に入る時に空手は辞めていたはずなのに、素人目にも分かるほど研ぎ澄まされたそれ。学生の力量など完全に逸脱している。
なのに。
「素晴らしい。私がその領域に入ったのは三十も半ば過ぎた頃だったろう、いや四十だったか? 悪いな少年。如何せん十世紀以上前の話だ。流石に記憶の自信が無い」
相手の方が巧過ぎる。その気になれば力も速さも数段上だろうに、わざわざ室久にレベルを合わせて――合わせた上で、アイツを赤子扱いしている。
素人目にも既に詰んでいた。必至になってなお続けることが面倒になったのか、体勢を崩した室久に男が腕を振りかぶる。
「さあ殺すぞ生き残れ。希望を抱け絶望するな。諦めれば家族まで皆殺す。『
質量保存の法則が死に絶えた。
増、と腕から発生する筋肉の束と骨の外殻。それらを纏って腕が肥大化し、アンキロサウルスの尻尾めいた三メートル強の怪腕が創り出される。
男が肉々しい鉄槌を室久に振り下ろす、そのギリギリで俺の介入が間に合った。
「あぁアアアッ!」
渾身の気合で落ちていたロングソードを投げつける。上手く腕に命中したものの、男を小揺るぎさせる役にしか立たない。
だが、その一瞬の隙を突いて室久が宙を舞う長剣を掴んだ。
そのまま剣を振り上げ、男の腕を根本から斬り落とす。馬鹿みたいな火事場の奇跡。
巨腕が床に落下し、地面が衝撃に振動した。ぶわりと黒い土煙が舞い上がる。
「良いぞ、やればできるじゃあないか。だがもっと工夫しろ。お前たち現代っ子だろう? それぐらいの奇跡ならば千年前の戦場で既に在った。より目新しいその場凌ぎを見せてくれよ」
そう言って平然と現れる男の五体に、欠損は無い。
不死身。そう不死身だ。蚩尤と化していた室久も大概だったが、こいつは明らかに一線を画している。攻撃し続ければどうにかなる、というビジョンさえ見えない。
後退る俺達に、男が蔑みの表情でこちらを見下した。
「どうした、絶望したか? もう無理か? 諦めたか? 耐えられないか? 頑張れないか? ――そこの少女を拷問する、とでも言えばやる気が出るか?」
俺の身体が、苦痛を忘れた。室久の眼が、あり得ないほど剣呑に輝いた。
「そう。そうだ、それで良い! ああ、諦めるな少年たち。何があろうと諦めるな。腕をもがれようと諦めるな。脚が千切れようと諦めるな。両目が抉られ耳が削がれ鼻が削られても諦めるな。石を抱かされ水底に沈んでも砂漠の只中で飢え果てても獣に喰らわれている最中でも諦めるな。親が殺されても友が躙られても愛する者全て犯されても諦めるな。諦めるな諦めるな諦めるな、だから諦めてくれるなよ――『
男の全身から、肉と骨が噴き出した。
増、と。膨れ上がる身体。異形と化す身体。視界に表示されたままの戦闘情報、そこに示されていた対象の重量が、数十キロ、数百キロを悠々超えて一トン突破、五トン突破。育って育って育って育って、体長十メートルを超えて、第二階層の黒い天井を突き破って、第一階層を徘徊していたであろう
直立する、トカゲに似ていた。
外殻として骨を纏うそれは、もはやヒトのシルエットなど保っていない。
『――さァ、どうだ。
最終体高、十五メートル。
最終体重、十七・五トン。
穴の空いた第一階層の高みから、巨竜が俺たちを見下ろしていた。
「あ、」
腰が抜ける、というのはこういうのを言うのだろう。
見れば、隣で、いつの間にか室久が尻餅をついていた。
『どうした、立てよ。お前の妹が見ているだろうが。折れたか? 折れてしまったか? なあ少女よ、その情けない兄に「立って」とお願いしてみろよ。言葉の通り奮い立てばまだ生かしてやるから言ってみろ、なあ?』
「お、お兄ちゃ……」
立てない。室久は立てない。必死に足を震わせて、歯を震わせて、目を見開いてそれでも立てない。
ハ、という笑い声が頭上から響いた。
『では妹から殺すぞ良いよな? 諦めるとはそういうことだよな? ……ああ、それでも立てんか。残念だ少女、恨むならお前の兄を恨んで死ね』
「恨まれるのも死ぬのもテメェの方だろうがこッのクソ野郎がァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
何かが完全にブチ切れた。
右腕の断面から、純白の何かが滴り落ちて、そして。
『君も結局暴走からの自滅か、つまらん。それは効かないと教え――』
――
『な、』
裏返る内界と外界。漂白の夢が深化する。
具体的に何が起こってるのかは分からない。恐らくはさっきの室久同様、俺も暴走している。だがそれはそれとしてコイツは殺す。
第一層。大理石のような床、並び立つ石柱の廊下が、荒れ果てた広間に移り変わった。
「ぎ、ッ――!」
男が「二度が限度」と言ったチカラの三度目使用。副作用は甚大だった。削れ飛ぶ意識。直近一時間の記憶が曖昧になりかける。
しかし直感的に理解する。足りない。コイツを白痴に変えるには、この程度の深度では到底足りない。
狂い弾ける認識。歪み捻れる視界。耳に混ざる高ヘルツの異音。広間の吹き抜けを落下し第二層。世界そのものが白光瞬く通路へと落ちていく。
『有り得ん、他者の迷宮内での迷宮開廷だと?! 何をどうすればそのような――ああ、いや、そうか、そういうことかッ?!
狂的な歓喜を見せる竜など知ったことではない。
迷宮内装の変革は続く。月照らす窓際の第三層を経て、夜に微睡む階段の第四層。脳細胞の潰れる音がした。溢れる血の涙が反動の致命具合を告げている。
『来いよ見せてみろ、何をしたところで、バシレウスの『槍』以外に私を殺す術などありはしないッ!!』
確かにそうだろう。きっとどれだけやってもコレを死なせることは出来ない。得られるものはせいぜい一時的な無力化だ。そして恐らく、代償として今の俺は死ぬ。――だとしても。
終ぞ到達する第五層。全ての自我が溶けていく。
深い闇の中、安らかな眠りを誘う静謐。闇に消える聖堂が、迷宮の中心に現れた。
そして、
「そこまで」
直後に爆発四散した。
「――!?」
瞠目。聖堂の中、閉ざされた扉の内側から炸裂した黄金の輝きが、全てを染め上げ破壊する。
心臓を失くしてしまったような喪失感があった。粉々になっていく白亜回廊。雪のように舞い散る白と、灰のように舞い散る金。迷宮が、元のダークグレーへと還っていく。
一瞬前まで聖堂があった場所。
竜に立ち向かうように、白銀の誰かが立っていた。
「
槍を携える少女だった。
見た目中学生ぐらいの華奢な女の子。首元と肩を何か黒いインナーで覆っている。白いキャミソールを纏った銀髪のロングヘア。蒼い色の瞳に、幾何学的なハイライトが爛と輝き浮かんでいた。
右腕に取り付けられているのは、ゴツゴツしたシルエットの鋼鉄義手だ。補助器具では有り得ない戦闘目的。華奢な体にまるで似つかわしくない、武装としての腕。
彼女が、こちらを一瞥する。意識が凍りそうなほど美しい、整った顔立ち。まるで作り物みたいな。青ざめた肌の白さがあまりにも穢れない。が、それが記憶に焼き付くと同時、何故か強い
白銀の少女を見た竜が、一歩後退る。
ほんのわずかな後退だが、その巨体故に、実態以上に慄き退いたように見えた。
『ノギス工業の探索兵器だと……、いつの間に、いや、違う! それよりその『槍』、貴様、まさか! 既に完成していたというのか――!?』
「〝★《黄金歴程ヴェルヘレグァ》、発動シークエンス実行。
少女の周囲に浮かび上がる無数の蒼い長方形。そこに記されている情報が脳に直接叩きつけられ、少女の言葉を一瞬で代弁していく。
「〝申請。第一段階・
〝――承認。貴機が保持するレベル3クリアランスにより、展開は自動で許可される〟
「〝申請。第二段階・
〝――承認。貴機が保持するレベル3クリアランスにより、展開は自動で許可される〟
「〝申請。第三段階・
〝――承認。貴機が保持するレベル3クリアランスにより、展開は自動で許可される〟
黄金の槍が光を放ち、その圧力を増していく。
だが、それら全ての工程が一瞬だ。叩きつけられる情報の密度により、時間が鈍化して感じられるだけ。竜が何か対処しようとする気配がしたが、全くもって間に合わない。
「〝申請。最終段階・
〝――申請却下。レベル3クリアランスの独自判断による天体破壊級アーティファクトの展開は許可されない。これより本社による承認会議を開始。会議終了まで、そのままの状態で待機せよ〟
「――――」
少女の目の前に、バツ印をつけた
鈍化していた時間が正常に戻る。動きを止めた少女に、竜が引きつった笑い声を漏らす。
『は、ハハ! 愚かッ、あまりにも愚かなりノギス工業! 確かに貴様らにとって「それ」は核弾頭も同義だろうが、お前達の人形が
「
『、ばッ』
鋼の義手が、
「
『お、』
目を焼く閃光が竜の巨体に突き刺さり、貫き飛ばす。
『ォ、オオッ、オオオオオァアアアアア!?!?』
炸裂の軌跡が第二階層の天井を貫いた。第一階層の天井を貫いた。果てに迷宮そのものを貫いて、飛翔して、天を遡る流星となる。
竜を穂先に引っ掛けた光の槍は、夜空の星々と同じ大きさになるまで高く高く昇っていった。
長くなったので分割。後編も早めに投稿します。