ヒロインはボルテッカーのつかいかたをきれいにわすれた!(挿絵あります)
カーテンの隙間から漏れる光で目を覚ます。
気づけば、朝だった。
「家……」
背に感じるのは身に馴染んだ布団の感触。瞼を開いた視線の先に、自室の天井が見えている。
今日は何曜日だったろう。思い出せない。それでもまだ平日であることは確かだ。
立ち上がろうと思ったが、やたらと体が重く、だるい。全身の各所に鈍痛を感じる。
それでも起きて、着替えて、準備をし、学校に、行かな、けれ、ば――
「――――」
――いや、違う。
昨日の出来事を全力で脳から掘り起こす。
が、曖昧な頭はろくに想起することをしてくれない。順序立たない滅茶苦茶な記憶の切れ端ばかりが、散り散りになって浮かんでくる。
とにかく、状況を確認しなければ始まらない。
そう思い、布団をめくって起き上がろうとしたのだが、しかし。
なんか居る。
分からん。何がどうなった。
必死になって断絶した光景を時系列順に継ぎ接ぎする。だがどれだけ探っても、あの後、白亜と黄金が激突した後の映像が浮かんでこない。
「Meeewmew……」
少女が耳元で何か鳴いている。彼我の距離はあまりにも近かった。体が触れ合い、呼吸が触れる。
目の前にあるのは、子猫のように布団に寝転び、瞼を閉じたあどけない童顔。肌白いを越して青白い、しかし美しく愛らしいそれ。両腕は鋼の義手だが、胴体が触れる感触は内側の金属質を連想出来ない女の子の柔らかさだ。というかなんでパンツしか履いてないのさ、黒い部分インナーみたいに見えるけどそれ肌の一部なんだから実質トップレスみたいなものなんじゃないの?
吐息か、排気か。
すぅすぅと穏やかに空気を吐く小さな口が、ほんのわずかに開き、声を漏らす。
「……たらばがに……」
どういう寝言?
とにかく、一旦離れるべきだ。
そう思い身を引いた瞬間、猫のような蒼い瞳がぱちりと開いた。
彼女は無表情なまま、抑揚のない平然とした声で言う。
「おはようございます」
「あ、はい。おはようございます」
「では」
よいせ、と言わんばかりに起き上がり、俺の服を脱がそうとしてくる彼女。
「いやいきなり何――うわ力
「
全く抵抗出来ずに、ズタボロの学ラン――から、いつの間にか着替えていたジャージの上着を引き剥がされた。
晒された俺の上半身には、手つかずの傷跡が見えているはずだった。
だが、違う。大きな傷は糸で縫われ、無数の切り傷擦り傷には包帯が当てられている。見れば、いつもは玄関にあるはずの救急箱が、蓋を開けたまま部屋の床に置かれていた。
そしてそれ以上に驚くべきことに、
いくらなんでも治癒が早すぎる。特に治りが早いのは、一番ズタボロだったはずの右腕だった。粉砕されたはずの骨は危うい気配こそあるものの繋がり、剥がれた爪も三割方元に戻っている。
「な……」
「鎮痛・治癒促進ナノマシンの正常稼働を確認しました。特に、
「これ、君が――、っ」
立ち上がろうとした瞬間、目が眩んだ。
「失血に関しては未対応です。適切な栄養を摂り、通常の回復を待ってください」
淡々と少女は言う。
だがその言葉に答えるより先に、問いかけなければならなかった。
「治療してくれたのか……? なんで」
「はあ。怪我人の救助に何か理由が必要なのでしょうか」
当然みたいに言い切りやがった。
「いや、待て……俺のことを倒そうとしてたはずじゃ」
「うみゃあ。なんのことでしょう。
相変わらずの無表情。だが、小首を傾げる仕草があまりにもきょとんとしている。
思わず、俺は自分の右手を見つめた。
「……勝った、のか?」
白亜をこの子にぶつけて、記憶を殺すことに成功した?
俺の記憶も吹っ飛んでいるのは、その反動ということなのだろうか。二度が限度と言われた力を六度も使えばむしろ当然かもしれないが……。
「ええと、それで……。……名前なんて言ったっけ」
「ID、E79TOR。コードネームは『アンセスタ』で登録されています。端的にアンセスタで結構です」
アンセスタ。確かに、言われてみればそんな風に名乗っていた覚えがある。
何かの英単語みたいな響きだが、どういう意味かは分からない。少なくとも、英語の授業に出てくるような単語じゃない……と思う。
「じゃあ、アンセスタ? 悪いんだけど、色々と聞きたいことが、」
「あなたの名前は教えてくれないのですか?」
「え、あ、ああ」
少し
「そうだよな。俺は――。――――。――あれ」
俺の名前、なんだっけ。
「……っ?!」
ゾッとした。
動揺で呼吸が止まる。意識もせずに出てくるはずの文字列が、微塵も想起できない。名前――俺の名前は何だ。
跳ねるように立ち上がり、立ちくらみでつんのめりながら本棚へ向かった。乱暴に、あえぐように、ノートを全て床へ落とす。
数学Aとタイトルが振られた表紙に、自分で書いた文字があった。
「ムラサメ……」
「クウマ?」
くい、と袖を引かれながら呼ぶ声で、我を取り戻した。
少女――アンセスタが、学ランの中から学生手帳を取り出し、こちらに向けてくる。
「あ」
そこには確かに、
止まっていた呼吸が再開する。
混乱して上手く返事の出来ない俺に、アンセスタが首をかしげていた。
「違いましたか?」
「あ、いや……多分それで合ってる、と思う」
困惑しつつも、どうにか床に腰を落とす。
まだ、動揺はなくならない。が、どうにか平静を装える程度には落ち着いた。
……これが、白亜を使った、代償?
相手の記憶を殺すだけでなく、自分の記憶まで漂白する。それが、あの白亜回廊の副作用?
「……村雨、空間」
俺の物であるらしい名前を呼ぶ。実感は無い。過去の記憶を掘り返しても、周囲の人間が自分をどう呼んでいたか思い出せない。
まるで、背骨を失くしてしまったかのような不安がある。昨日の連続する命の危機とは、全く質の違う恐怖が身体を強ばらせる。
だが、しかし……
「……その、アンセスタ。お前の方は大丈夫なのか? 怪我は、痛いところは? いやそれより、まだあの……黄金歴程とか言うのを使う気なのか?」
「はあ。どうしてあんなクソ機能を使わなければならないのでしょう。使ってみたらすっごい痛くて弊機泣いちゃうかと思っちゃいました」
「うーん」
……。……なら、まあ……。……いいか。
助けた。助けられたのだ。あのわけの分からない、押し付けの使命感は無くなっている。
ならば対価としては相応だろう。あれだけ無茶苦茶やって、何の問題も無いという方がむしろ不条理だ。
安心して、腰を床に落とした。気の抜けきった尻餅の音。
だが、ハッとしてまだ問題が残っていることを思い出す。
「そうだ、室久は? みとらちゃんはどうなった?」
アンセスタは答えない。
「見てないのか……?」
「
「クソッ……」
すぐに連絡しようとするが、スマホが無い……と思いきや、枕元に置かれていた。
画面が大きくひび割れているが、まだ普通に使える範囲だった。一体どのタイミングで拾ったのだろう。
考えられるとすれば、室久ごと『主任』の女を倒した後、最後にアンセスタと戦うまでの、記憶の抜けの範囲だが……
いや、スマホの有る無しに関わらず、ノギス工業は一一九番への通報に干渉してくるのだった。個人の通話まで盗聴してくるのかは知らないが、携帯は使わない方がいい。
傷が擦れる痛みを感じながらジャージを着た。
床に右手をやり、バンと叩きつけるようにして立ち上がる。治りかけの腕を使ってしまったせいで骨に激痛が走った。
「ッぎ……!」
「まだ安静にするべきと判断しますが」
「いや、いい! 今はそれより、」
と、そこで、部屋の外から「さっきからバタバタうるさーい」という声があった。
階段を上ってくる足音。姉さんだ。
きっとこのまま部屋に入ってくるつもりだろう。しかし振り返れば、そこに居るのはおすまし顔で部屋の真ん中に棒立ちする銀髪のメカ少女。
どう考えても、見られたらろくなことにならない。
俺は救急箱を布団の下に突っ込みながら、アンセスタに言う。
「っ……悪い、どこでもいいからすぐ隠れてくれ!」
「おなかが空きました」
「今?! 後で何か用意するから、それより早く!」
立ち尽くす彼女の左義手を引っ張るが、ビクともしない。大木の枝を引っ張っているような動じなさだ。仕方なく全力で力を込めた、その瞬間。
「〝――バッテリー残量が少なくなっています〟〝炉心を稼働するか、アンセスタを充電してください〟」
「は? うわおまっ」
アンセスタから急に力が抜けた。俺が引っ張る勢いのまま、こちらへと倒れ込んでくる。
衝突の瞬間と、扉が開け放たれるのは、全くの同時だった。
「ちょっと空間ー。お姉ちゃん夜勤明けなんだからさー、あんまりうるさくしないでよ、もー」
パジャマ姿で部屋を覗く姉さんが、ベッドに倒れ込んだ俺へと視線をやる。
俺の上にはもつれるように半裸の少女が乗っかっているはずだったのだが、しかし。
「――ていうか、そろそろ学校行かないと遅刻するよー? 寝っ転がってないで急いだ方が良いぞ弟ー」
「な……」
居ない。俺の上に倒れ込むはずだったアンセスタの姿がどこにもない。
何も気づいていない様子の姉は、眠たげに目を擦りながら言う。
「あと、私のカレーぱん知らない? 台所に置いといたんだけど、空間食べた?」
「え、いや……食べてない」
「そっかー。まあいいや。あ、そういえば、
どこまでも日常的に、姉さんは言った。
「え――?」
「ほら、十日ぐらい前から帰ってないって話だったじゃない? 今朝、妹さんが見つけて帰ってきたんだってさー」
世間話をするようなテンションで、のんびりと二人の所在が語られる。
「帰る途中のゴミ出し場で近所の人たちが話してたんだけど、なんかねー。帰ってきた室久くんも妹さんも、何があったか全然覚えてないみたいな話でねー。すぐに病院行くとか行かないとかで大変なんだって」
「け、怪我は!? 全身ズタボロとか大火傷とか、ビームで身体に風穴空いてたりとかは!?」
「いやビームて。ちゃんと聞いてないけど、命に別状は無いんじゃないの? 自分達の足で家まで戻ってきたらしいし。それに、酷い怪我してたならそっちの方で騒ぎになってると思うよー」
言うべきことはそれだけなのだろう。「んじゃー寝るから」と軽く手を振り、姉さんは自分の部屋へと戻っていった。
「…………」
思わぬ所からの情報に、ぽかんと口が開いたまま塞がらない。
数秒ほど呆けた後、ハッとなって部屋を見渡す。
「そうだ、アンセスタは!?」
「うみみゃぁ」
ずるり、と。
そんな音すら似合いそうな動作で、
「いや次から次へと異様な情報増やすのやめて欲しいんだけども!」
「*もぐもぐ*。弊機、工学妖精E79TOR-アンセスタ。白亜回廊からの脱出に成功しました。〝1個のカレーぱんを取り出した〟」
服を引っ張る少女の重量。まるで二人羽織のように、ジャージの中でもぞもぞと少女がもがき、どすんと音を立てて裾から床に落下した。
動じる様子もなく、ぺろりとカレーぱんを平らげてしまったアンセスタは、「んー」と不満げな声を漏らす。
「引き続き、白亜回廊を探索します」
「待てやめろ、人の腹に手を突っ込もうとするんじゃない」
ジャージの裾に突っ込まれる手。それがそのまま肌に沈み、肘まで体内に侵入する。
明らかに異様な光景だが、俺の『収納』能力を踏まえればなんとなく理屈は分かる。
恐らく彼女は、重量等の条件を無視して、俺の有する異空間を自由に出入りできるようになっているのだ。……いや、「なっている」ではなく「なった」、か?
昨日、プレハブ小屋の迷宮で、突如現れたアンセスタ。情報をまとめて考えるに、きっと二週間前の火事の日からずっとこの異空間に閉じ込められて……あるいは迷い込んでいたのだろう。
それが、あのアインソフという男との戦闘で、何らかの条件を満たしたことにより脱出に成功した。
その結果として、これまでとは違い自由に異空間を出入りできるようになった……と考えるのが、一番順序立っている、と思う。
だが、全ては仮説だ。俺はまだ、これまでの経緯の基本的な部分さえ把握していない。
本当は今すぐにでもアンセスタから話を聞き出したい。だが、部屋の外では姉さんがまだバタバタと家を歩いている音がする。
「うみゃー」
そしてアンセスタは、俺の身体に頭まで突っ込んでゴソゴソしたままである。カンガルーの親になった気分だ。
この子の奔放さを考えるに、このまま家に居続けるのは絶対に不味い。
下手に動けば、アインソフやノギス工業に見つかるかもしれない。だが、既に住所が割れている可能性だってある。それなら、家族を巻き込まない内にさっさと家を出た方が良いはずだ。
家の中から必要そうな物を『収納』する。
普通に学校に行くフリをして、俺は少女を連れ静かに玄関を出ていった。
見る限り、街の様子はいつもと特に変わっていない。
特に騒がしさもないし、雰囲気自体はいつもの永地市のままだ。家を出た瞬間、得体の知れない黒服集団に襲われるということもなかった。
室久とみとらちゃんの様子や、あの後プレハブ小屋がどうなったかも見たかったが、すぐに行くのは躊躇われた。考えたくないが、罠の可能性だってあるはずだ。
まずはアンセスタに話を聞いてからにしようと、近所の公園へと移動する。
当然、あのパンツだけの状態で連れ歩くわけには行かないので、適当にタンスにあったパーカーとジーンズを着せていた。
拒むかとも思ったのだが、案外素直に身に着けている。
だが、着心地が良いというわけでもないらしい。サイズの合わない袖と、髪を隠すフードを邪魔くさそうに揺らしていた。
「クウマ、これ邪魔です」
「いや、そのままだと目立つから……」
フードを外そうとする彼女を押し留める。
勢いで出てきてしまったが、あの義手と銀のロングヘアはこれ以上なく目立つ。
あの時居たノギス工業の人間は全員、俺のあの……いい加減名前無いと不便だな……忘れろパンチ(仮称)で記憶を失っているはずだが、俺のことは忘れてもアンセスタとはそれなりに長い付き合いのはずだ。室久の時は二週間分の記憶を殺したが、その程度でアンセスタを忘れるとは限らない。
「ところでおなかが空きました」
「とりあえず色々買ってきたけど、そもそも何食べるんだ君。ガソリンとか電池とかじゃなくていいの?」
「おすしが好きです」
「うーん」
言いつつ、道中のコンビニで買ってきた食べ物を渡す。
中にはおにぎり、サンドイッチ、ゼリー飲料にチョコレートなど、一通り種類は揃えておいた。昨日拾ってきた二万円があるので、懐事情には余裕がある。
アンセスタはそれらの封を開け、ぱくぱくとお行儀良く、しかし素早く食べ尽くしていく。
「もう本当普っ通にメシ食うな……金属製なのに……」
「
「じゅうげ……何?」
「猛獣の肉を突き破るサソリの尾。シカの毛皮を貫くマダニの牙。これらの極めて耐久性が高い生体は、通常のたんぱく質とは組成からして異なります。亜鉛、銅、マンガンなどの重元素を原子レベルでたんぱく質に『織り込んでいる』頑強かつ長持ちする生体複合素材。それが重元素バイオマテリアルです」
へえ、と答えながら、興味を覚えて重元素バイオマテリアルで検索する。
しかし、どうにも妙だ。出てくるのはあくまで生体に使うための金属材料の記事で、たんぱく質に重元素を織り込んだ素材の話など全く出てこない。ダブルクォーテーションで囲んでの完全一致検索に切り替えてみると、ヒットする記事はゼロになった。
「んん……?」
「一部の無脊椎動物のあご、牙、針に重元素が多く含まれていることは既に知られていましたが、それがどのように関係しているのか判明したのはつい最近のことです。『重元素バイオマテリアル』という命名が日本で発表されるのは、数日後発売される学術誌での掲載が最初になるでしょう」
「じゃあ、アンセスタが作られ……生まれたのも最近なのか?」
「弊機の製造は十年以上前ですが」
「ん? えっとつまり……ノギス工業の科学技術は十年は先に進んでるってこと?」
陰謀論みたいな話だが、ノギス工業は非人道的な闇の研究機関で、人倫を厭わないその場所では技術が一般より先に進んでいる。とか、そういう話なのかと俺は予想した。だがしかし。
「
「な……どうやってそんな――いや、まさか」
「
迷宮。……やっぱり、迷宮なのか。
迷宮。
恐らく、『迷宮』は俺が思っている以上に重要なワードだ。あるいは、このわけの分からない事態全ての根幹であってもおかしくないほどに。
切り込むように、俺は少女へ問いかけた。
「じゃあ、アンセスタ。――そもそも迷宮って、何だ?」
「迷宮。ラビリンス。ダンジョン。
つまりどういうこっちゃ。
「……哲学的な話?」
「実際的な話です。個人が至るIFの結晶。最果てにある理想の具現。過去に遡る分岐樹の枝。迷宮とはすなわち、一人の人間が持つ多くの可能性の中で、この
「わかんない……」
「うみゃあ。わかりました」
アンセスタは最後のサンドイッチの切れ端をゴクンと飲み込み、何のつもりか俺に学ランを脱ぐように要求してくる。
素直に脱いで上着を手渡してみた。
アンセスタはパーカーの上からそのまま学ランを羽織り、地面に落ちていた木の枝を一本拾う。
「何の意味が?」
「授業をする時は制服を着るのでしょう?」
正しいが間違っている。
心無しかドヤ顔で学ランを羽織ったアンセスタは、木の枝を教鞭のように持ち、滑らかな口調で語りだす。
「前提として、個体としての人間、あるいはそれに準じる知性体には多くの可能性があります。賢い人間になる可能性、愚かな人間になる可能性、強い人間になる可能性、弱い人間になる可能性。多くの可能性の中のどれに至るのかは、これから何をするのか、何と出会うのか、何が起こるのか。そのような分岐の積み重ねで決まっていくものです。ここまではよろしいですか?」
「ああ、うん。要は、人には色んな将来があるってことだよな。良いも悪いも含めて」
「
話の風向きが変わった。
「拳一つで岩を砕き、ビルの屋上まで高々と跳躍し、銃弾を受けても傷一つないスーパーマン。様々な先天的素質や環境により、そんな現実の法則では有り得ない超人に至る可能性を持った人間が、ここに一人、居るとしましょう。
無論、容易に到れる将来ではありません。際限なく肉体を鍛え続け、多くの試練を潜り抜け、無数の奇跡を起こした果てにようやく到れる将来であるものします……
強調された言葉を、俺は反復する。
「本来であれば……?」
「それほどの超人になると、あまりの逸脱さから、存在するだけで一つの異世界を作ってしまうのです――
迷宮とはすなわち、迷宮主がいずれ造りうる異世界そのもの。そして、『未来が過去に逆流してくる』という物理現象なのです」
比喩でも何でもない。
そういうことが実際に物理的に起こりうるのだと、アンセスタは言った。
「そして何より、この異世界に迷い込んだ迷宮主は、凄まじい速度で『将来』へと近づいていく。階層を潜れば潜るほど、迷宮主は長い時間をかけて体験するはずの未来を急速に体現していく。
つまりは育成装置。未来の自分に教えを乞うレベルアッパー。それが、迷宮という異空間の正体」
それが、俺が昨日迷い込んだあの場所。
「迷宮を発生させるのは、『超人になる将来』に限りません。『魔術師になる将来』『超能力者になる将来』そして――『怪物になる将来』さえ。様々な『将来』が、人の可能性が、迷宮を作り出すのです」
「いや、待て、待て待て……」
投げかけられる怒涛の情報を整理しながら、俺は言葉を投げ返していく。
「まず前提として、この世界には超人、魔術師、超能力者、怪物。そういった『常識では有り得ないもの』が実在する」
「
「そして、そんな『常識では有り得ないもの』になれる可能性を持った人間が存在する」
「
「そしていつか実際にそうなった時、迷宮が発生する」
「
「発生した迷宮は過去にまで現れて、まだ可能性を持っているだけの人間を、急速に『常識では有り得ないもの』に変えていく?」
「
信じられない、と言うには摩訶不思議な体験をし過ぎてしまった。
「じゃあ室久もそうだって言うのか……? いつかアイツがあんな怪物になる未来があったって?」
「ムロヒサという方については存じませんが、この永地市は古来より様々な風土が入り交じる土地です。日本のみならず、大陸の諸要素も多く継承してきた場。神や妖の血・因子を継ぐ者は多いでしょう。それをいずれ覚醒させうる人間も相応に存在するかと」
あの男、アインソフは戦力補充が目的だと言っていた。
永地市がそんな特色を持つ街だと言うのなら、確かに、戦力補充には持ってこいだろう。
「じゃあ、ノギス工業はつまり……」
「はい。ノギス工業が保有する大迷宮『
この偉大なる祖にして主の名を、
世界的複合企業体ノギスグループを秘密裏に統べる影の総帥にして、十九世紀に交流電力システムを作り上げた科学史の大偉人、その人です」
「…………」
なんか思ったよりとんでもない相手に喧嘩売っちゃったっぽいな。