ニコラテスラ。
名前だけなら俺だって知っている。電気や電磁波の歴史を語る上で絶対に欠かせない大偉人。
史実では数十年前に死んでいるはずだが――そんなのは今更か。
それほどに滅茶苦茶な科学技術があるというのなら、実は生きていたとしても何ら不思議ではない。
「……でも、ノギス工業がそんなとんでもない組織なら、なんでもっと表に出てこないんだ。三百年先の科学があるなら、それこそ何でも好き放題じゃないのか?」
「『
故に、実際には未来で生まれるはずのものを現在に広めることは出来ない。そうなればそれが生まれた事実そのものが失われてしまう……因果に矛盾が発生するというわけです」
「お前説明下手だろ」
「は? 泣きますよ」
アンセスタの話は長くややこしい。
だが、言わんとすることは大体分かった。
「……つまり、タイムパラドックスが起こると困るって話?
例えば、半導体の無い時代に、未来からコンピューターを持ち込んで、部品に使われている半導体の原理と製法が解明され、それが世に広まってしまったら――
ここに半導体を作ろうと苦慮している科学者がいると仮定する。
その科学者の前に、未来からコンピューターを持ってきて、半導体の原理と製法を教えてしまう。本来半導体を作るはずだった科学者は、苦慮せずに半導体の原理と製法を手に入れる。
だが――
「
この
複雑な上に、スケールがデカい。完全にSFの世界の話だった。
「……でもそれなら、迷宮主なんてそもそも成立しないんじゃないか? 未来を先取りすることが出来ない法則と、未来を先取りすることが出来る存在。両立なんて出来ないんじゃ」
「出来ます。迷宮主は未来を先取りしているのではなく、未来に向けて高速で成長しているだけですから。先の例えにならうなら、半導体の原理と製法をいきなり教えるのではなく、その才能を開花させ半導体の原理と製法を一瞬で閃かせるだけのこと。しっかりと因果の因がある以上、
なんか煙に巻かれたような説明だな……。
実際には色々と計算された理論があるのかもしれないが、概要だけ聞くとどうにも不自然に感じてしまう。
「えーっと……それなのにノギス工業がタイムパラドックスを発生させてしまうのは、『
「
……だいぶ頭がこんがらがってきた。
一旦整理しよう。
原理や機序はこの際置く。要点となるのは、
①未来科学を一般に広めるとタイムパラドックスが発生し、大迷宮『
②これは規模の大きい『
③『
この三つだ。
この三つさえ分かっていれば、とりあえずは問題ない。今の俺に必要なのはあくまで知識であり、理解ではないのだから。
「企業なのに一般に技術を広められないなら意味が無い……ってこともないか。超技術で現代の製品を低コストに作ったりは秘匿しながらでも出来るだろうし」
「クウマの言う通りです。一般に広められない超科学を裏で使うことで、ノギス工業は莫大な利権を得ている。そのため、ノギスの裏に近づいた社員は、基本的に表の世界に関わることが出来なくなります」
「万が一にも未来科学を一般に広めて、タイムパラドックスを起こすわけにはいかないから?」
「
要は、あの『主任』が言っていた通りだ。
④ノギス工業は、一般人に干渉出来ない。
ならば、ノギス工業によって家族や知り合いが人質に取られる、という危惧をする必要はないだろう。無論、相手も状況次第で対応を変えてはくるだろうが……。
だが、そうなると気になることがある。
「でもそれなら、ノギス工業の秘密を握っている奴は、いつでも好きな時に『
「クウマには、その陰謀論めいた秘密を拡散し、大多数に信じさせることが出来ますか? あるいは、それだけのスキルを持ったインフルエンサーへのコネクションがあると?」
「いや……でも、ちゃんとノギスの技術を解析して、データとして発表すれば……」
「どうやって解析するのです。先程言った重元素バイオマテリアルの発見にも現代最新の設備が使われたわけですが」
「む……」
「それら
俺は押し黙った。思った以上にハードルが高い。
それに、仮にいくつもの条件をクリアしてタイムパラドックスを発生させる目処が立ったとしても、その結果『
俺は話題を切り替える。
「一般人には干渉出来ないって言ったけど……迷宮主は、別なのか」
「
⑤ノギス工業は、他の迷宮主に友好的でない。
そうなるとやはり、アインソフと副担任に迷宮主にさせられた室久や、他のクラスメイトのことが気がかりになってくる。
アンセスタに対し、何人かの知り合いが迷宮主になっていることを話してみた。
「ノギス工業は常に一般人への影響を考慮するため、あまり積極的には動けません。能動的に動く際は常に会議を必要とします。完全に迷宮主として覚醒しておらず、表の世界に超常が露見していないのなら、いくらかの猶予はあるでしょう。状況にもよりますが、永地市ならば一週間はかかるかと」
つまり、一週間以上放っておけば危ういということだ。
とはいえ、何をどうすれば助けられるのか……。
「……駆除が基本、なら、やりようによってはそれ以外の道もあるのか?」
「そうですね。ノギスにとって有用な
「その、技能型・機能型ってのは? 迷宮主の分類?」
「はい。全ての迷宮主は四つのタイプに分けられます」
言って、アンセスタは義手の指を一本ずつ立てていく。
「
立てた四本の指の一本が折り曲げられる。
「一つ。
剣術を極めて斬撃を飛ばせるようになった、
学問を極めて超常の知識にアクセスできるようになった、
料理のマズさを極めて何からでもダークマターを生成できるようになった、など。
技能を極めた果てに逸脱する可能性を持つモノが、
『
料理のマズさの例はなんか違う気がするが、理解は出来る。分かりやすい。
「二つ。
己に宿る神や魔獣、そう言った先祖由来の超常因子を、肉体的に開花させた者。
自らに宿る機能を顕在化する可能性を持つモノが、基本的に
四つの迷宮系統の中では、この
……室久も、この
「そして残る三つと四つが、
「具体的にどう違う感じ?」
「異能は自身の認識を外世界に押し付ける行為であるのに対し、霊能は魂や神などを定義した上で既知の記号や象徴に当てはめ操る行為であるため――」
「もうちょっとざっくりで頼む」
「んぅ。……自分の精神からパワーを生むのが
だいぶざっくりに解説してくれた。
つまり――まとめるとこんな感じだ。
超人 | 極めた技術から力を発揮する | |
超能力者 | 自分の精神から力を発揮する | |
魔術師 | 神話や宗教から力を発揮する | |
怪物 | 異形の血脈から力を発揮する |
俺はなるほど、と頷いて言う。
「じゃあ俺の白亜回廊も
「そうなのですか?」
「そうじゃないの?」
「どうなのでしょう」
「よくわかんない?」
「よくわかんないです」
「よくわかんないか……」
よくわかんないなら仕方ないな……。
能力の効果を一通り話してみたが、アンセスタは首を傾げたままだ。
「少なくとも、神話や宗教などに由来するモノでないのは確かです」
「つまり
「そういうわけではないのですが……。
「じゃあ何なのコレ」
「うみゃあ」
つまりよくわかんないらしい。
「ただ、どういう訳かクウマは肉体そのものが迷宮化しています。物を出し入れできる機能は肉体の迷宮化による副産物であり、迷宮主としての特性とは無関係かと」
アイテムボックス機能はあくまでオマケらしい。
となるとやはり、本質は忘れろパンチ(仮称)の方なのだろうか。
しかし、あの忘れろパンチは忘れろパンチでよく分からない。室久はアレでシバいたらなんか元に戻ったが……。
「よー、空間。そんなとこで何してんだ」
背後からかけられた声にバッと振り返る。
噂をすれば影。鞄を担いだ室久が、平然とした顔で自転車に乗っていた。
アイツも大概ボロボロになっていたはずだが、見る限りどこにも怪我をした様子は無い。
急な遭遇に動揺しつつも、俺はかろうじて声を返す。
「あ、お、おう。まあちょっと。ていうかお前、大丈夫だったのか」
「あ〜いや、これマジでネタとかじゃねえんだけど、記憶喪失らしいんだわ、俺。何か火事とか行方不明とか色々あったってのは聞いたけど、二週間ぐらい前から本気で何も覚えてねえんだよなぁ」
含むところのない普段通りの表情に、またも記憶を失っていることを確信した。自分でやっておいて何だが、脳のどっかにダメージが入ってそうで心配になる。
そこからの情報は、ほとんど姉さんから聞いた通りのものだった。
気がつけば同じく数日分の記憶が無いみとらちゃんと一緒に丘ヶ山の麓にいて、自分の足で家まで帰ってきた。その後病院に行き、特に何の異常も確認されないまま、再度家に戻ってきたところだと……。
「なら、どうして普通に外出歩いてるんだ、明らかに大ごとだろ。そのまま家に居た方が」
「でもなぁ、元々ギリだったのにいきなり十日も休んじまったから割と単位ヤベぇんだ。病院でも異常無しって話だったし、まあ出ても大丈夫かなって」
「お前ら兄妹なんでそう妙なところで図太いの」
あの妹にしてこの兄ありだった。俺がノギス工業がどうので頭を悩ませているというのに、当の本人はこうも呑気である。勿論、こっちの方が
しかし……。
「なあ、室久。本当に――本当に、何も無かったのか?」
「むしろ俺の方が何あったか知りてえんだけど」
「そうじゃなくて今朝、意識が戻ってから。怪しいモノとか、コトとか。心当たりは何も無いのか?」
「ねえなあ」
……ノギス工業が、そのまま室久を解放した? 何の処置も監視もなく? だが、相手は超科学集団だ、こう見えて実は、という可能性も――
「クウマ。この方がムロヒサですか」
くい、と丈あまりの袖に包まれた手が制服の裾を引く。
室久にアンセスタの姿を見られると話がこじれそうな気がした。彼女を背中に隠し、小声で密かに返事する。
「待てアンセスタ、もしかしたらノギス工業の手で室久そっくりに作られたクローンという可能性も」
「クウマはノギス工業を何だと思ってるのですか。技術と知識があるからと言って、それより遥か遅れた時代で資材や設備まですぐに用意できるわけではないのですよ? 人間のクローンを一晩で作れるほどの機材は本社にしか存在しませんし、そもそもノギスはそんなリスクの高い真似はしません。常識的に考えてそんな超技術の塊がそう簡単に町中を歩いているわけがないでしょう」
「いやキミ歩く超技術の塊」
「弊機は良いのです。そこの方にも
そう言って、アンセスタはこちらを向きながら室久の方にバックステップし――そのまま幽霊のように、室久の身体を
「なッ……」
そしてそのまま平然と身を翻し、公園の外に歩き去っていく。
流石にわけがわからない。ここまで超常的な現象は色々あったが、それにしたって異質だ。というかそもそも科学なのか、アレ。
急に動揺した俺に、室久が怪訝そうに眉をひそめる。
「あ? どうした、空間」
「いや何でもない! また学校で!」
適当に手を振って走り出し、公園を出ていくアンセスタに追いついた。
「今の何、どういう原理!? トンネル効果?」
「全身に迷宮を纏いました」
「なんて?」
「簡易的な疑似迷宮の開廷です。例えるなら可視光線から赤外線へと位相を……いえ、誰にも認識されず触れることも出来ない異空間を周囲に展開して片足突っ込んでるぐらいに思って下さい」
アンセスタはフードを外して、そのまま人の多い市街地の方へと向かっていく。
「……本当に大丈夫なのか? 俺に見えてるんだし、他にも見える人は居るんじゃ」
「疑似迷宮の内部を知覚出来るのは、一度でも迷宮に入ったことのある人間か、迷宮主だけです。それ以外の人間にはどのような手段を用いても察知は出来ません」
そうなのか、と返事をしようとして、気づく。
「待て、迷宮主には知覚出来るって……」
「
断言だった。
「室久が、既に迷宮主じゃない? 迷宮主のことはまだわからないけど、そう簡単に辞めれるものじゃ……」
「
なら、という俺の声を遮って、アンセスタはじっとこちらを見る。
「ですがクウマの白亜回廊は
「え――いや、でも、最初に室久の記憶を消した時は、ノギス工業がアイツを迷宮主だって判断して、」
「白亜を使ったのはムロヒサの迷宮内だったのでしょう? その後、彼の迷宮主としてのレベルアップを伴う行動に心当たりはありませんか?」
「レベルアップって言っても……あ」
プレハブ小屋の迷宮に入った直後、最初に
――〝それらは、多くの場合で迷宮主が挑むべき『経験値』として設定されています。そのため、階層が上がる毎に脅威度が上昇していきます〟
今なら分かる。というか、思った以上にゲーム的な話だったのだ。
「アレそういう意味か……。
「
俺は、額に手を当てため息をついた。
「……倒した。いや、倒させた。室久に
「
今更言っても仕方がないが、あそこで室久に戦わせるべきではなかった。アインソフを倒して気絶していたアンセスタに何故言ってくれなかったとは言えないし、説明を後回しにしてみとらちゃん達を探すことにしたのは俺の選択だ。
悔やむ俺を振り返らず、アンセスタはどんどんと市街地に向けて進んでいく。
「そういうわけなので行きますよ、クウマ」
「……? どこに?」
「病院です。中途半端に主にさせられたクラスメイトが、意識混濁状態で入院中なのでしょう? あなたの白亜を使えば元に戻せる可能性は充分にあるはずです」
気付かされる。確かに、そうだ。
過ぎたことを悔やんでいる暇は無い。出来ることから手を付けていくべきだ。
見当違いの病院に向けて歩を進めていくアンセスタを引き戻し、俺たちは市内の公立病院へと向かっていった。