アフタースクール・ラビュリントス   作:潮井イタチ

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あけましておめでとうございました。


第8層「大きな地殻変動が起こった」

 くすんだリノリウムの廊下。種々の薬品が入り混じった独特の臭い。

 そんな病院の雰囲気がアンセスタには物珍しいようだった。長い銀髪と、尻尾のようなコードを揺らしながら、しきりに周囲を見渡している。

 

 可愛らしいがそれはそれとしてかなりの異物感だ。しかし、俺以外の誰もそれを気にする様子はない。そもそも彼女のことを見ている人間がいない。

 全身に迷宮を纏う。字面は胡乱なものの、効果は確かだった。

 

「…………」

 

 しかし、こう、実際に透明人間であることを見せつけられると、話しかけるのが躊躇われる。だって今声かけたらいきなり独り言呟き出した変な人になるわけだし。

 特に会話もないまま、受付で教えられたクラスメイト達の病室の前にたどり着いた。

 

「ん」

 

 扉を開けようとする俺に、アンセスタが袖をめくって金属の手を差し出してくる。

 俺は周囲を見渡す。廊下の奥に看護師が一人見えたが、視線はこちらは向いていない。息を潜め、アンセスタに言った。

 

「もう食べ物ないぞ」

「常に腹ぺこみたいに言わないでください。クウマを簡易迷宮の内に入れるだけです。弊機に触れている間は、あなたも認識不能になりますから」

「ああ……、病室に他の人が居るのか」

(はい)。警戒し過ぎではありますが、クウマの記憶消去――いえ、経験消去の様子を見られるのはよくありません」

 

 手を繋いだ。当然ながら、鋼の義手は女の子の柔らかさなんて微塵もなくゴツい。何が悪いというわけでもないが、言いようもなく残念だった。

 

 ドアノブを引く。中にいた看護師さんにはひとりでに扉が開いたように見えたのだろう。不思議そうにしながら廊下を見に行く彼女とすれ違い、ベッドの方へ向かう。

 

 火事の被害を受けたのは、俺と室久を除けば十四人。

 うち四人が行方不明……正確には、迷宮主化し副担任の支配下に。六人が心身不定状態で療養中。さらに四人が、意識混濁状態で入院中。

 

 この病室の中にいるのは、入院している四人の内の二人だった。

 中にいた同級生たちは、パッと見るだけならただ寝ているだけのように思える。だが、学校で見ていた時とは明らかに顔が違った。眠っているのに休めていないのか、眉間のあたりに刻んだようなシワが出来ている。

 

 覚悟を決めて右腕を引き千切ろうとした。

 が、どうも安全に取り外すためのスイッチがあるらしい。アンセスタが二の腕の奥にあったしこりを押し込み、肉が解けるように腕が外れた。

 

「この腕は、どこで?」

「多分、記憶の無い二週間前の火事ですげ変わったんだと思うけど……」

 

 外れた腕を眺めるアンセスタが、彼女の右義手を俺の右腕と付け替える。付け替えれるんだ。

 そしてアンセスタに合わせるように、腕はぐにぐにと歪み、男の腕から女の腕へと形を変えた。

 

「ふむ」

「なんか変形しちゃったけども」

「後で戻します。しかし、妙な機能が組まれていますね」

「妙な機能?」

「弊機との連携機能です。恐らくこの義肢の装着者を弊機がサポートするため……いえ、違いますね。元々弊機用のアタッチメントでしたか。それなら本体との間に連携機能があるのも頷けます」

 

 ……要は、この右腕は元々アンセスタの物だったということなのか? 確かに、初めて現れた時、右腕だけ金属義手だったが……。

 

「……返した方が良いかな」

「結構です。無いとあなたも不便でしょう」

「でも、君だってその金属のだと不都合あるだろ」

「感触が無いだけです。問題ありません」

 

 感触無いのは普通に問題だと思う。

 彼女はもっと、こう、人間らしくしていいはずだ――と言うと語弊があるか。正確に言えば、ここまで奔放なのに、そういうところで妙に機械的なのはどうも危うい気がするのだ。

 俺の勝手な考えと言われればそれまでかもしれないが……。

 

 とりあえず、今は同級生の治療を優先する。

 右腕から白亜を噴出させるものの、昨日と違い少し手こずった。

 

 感覚的な話になるが、多分この白亜は「通常(デフォルト)から欠けている部分を補う」形で発生している。言わば幻肢痛のようなものだ。きっと、今のやり取りで、右腕が無い状態を自分の通常(デフォルト)だと感じる思考でも生まれたのだろう。

 どうにか自分の思考を制御し、忘れろパンチ(仮称)を二人に叩きつけた。

 

〝あなたは、邨碁ィ灘?、繧堤?エ螢翫@縺〟

〝あなたは、邨碁ィ灘?、繧堤?エ螢翫@縺――〟

 

 効果は劇的だった。直後に二人が目を覚ます。

 二週間寝たきりであればもっと弱っているはずだが、そんな様子も無い。起きた彼らは困惑した表情で、一体何事かと話し合っている。

 まだ十五人の中の二人だが、ひとまずは安心できた。わずかながら口元が緩むのを感じる。

 

「…………」

 

 が、隣の少女は相変わらずの無表情だ。

 ……というかそもそも、何だってこの子が俺の同級生を助ける提案なんてしたのだろう。大体が無関係の他人のはずだ。彼らを元に戻すことが彼女にとって何かしらの利益に――

 

 そこまで考えたところで、アンセスタがこちらを振り向く。

 そして、思い出したように。だけど、真実嬉しそうに、子供みたいに。

 

「良かったですね、クウマ」

 

 屈託なく、笑った。

 

「――――。え、あ、あぁ……」

 

 いや……笑う、のか。この子。

 何故か、彼女の笑顔なんて絶対に見れないものだと思い込んでいた。

 不意打ち過ぎて、滑稽なくらい動揺している。我ながら単純極まりないが、そんな風に笑顔を見せられただけで、アンセスタのことをどうしようもなく優しい奴だと思ってしまった。

 

「えっと……じゃあ、次行くか。まだ二人居るし」

「クウマの負担の方は大丈夫でしょうか。それなりにリスクのある能力だと思うのですが」

「ああ、大丈夫大丈夫。昨日は六回ぐらい使ったし」

 

 アインソフには二回が限度と言われたが、まあ何とかなるだろう。

 

〝あなたは、邨碁ィ灘?、繧堤?エ螢翫@縺――〟

 

 そういうわけで隣の病室に移り、サクッと三回目の忘れろパンチを叩き込んだ。

 反動の方もそこまでではない。実際、五回使った後でもアンセスタと真っ向勝負して勝つ程度の余力は残っていたのだ。この程度の頭痛と朦朧具合なら、まだ全然余裕だ。

 

「あの、本当に大丈夫ですか?」

「ぐ、ぎィッ……! まだだッ、問題ない!」

「ダメそうですけど」

「いや、まだいける! 昨日も、四回目の時はまだ血涙出るぐらいで済んでた!」

「えいっ」

「おぐっ」

 

 文字通りの鉄拳が俺の土手っ腹に叩き込まれた。

 かけ声は可愛かったが、威力が洒落にならん。鉄の塊で腹を殴打されたのと何も変わらない。

 うずくまる俺を引きずり、アンセスタは病室を後にした。

 

「ま、待て……まだ一人残ってるのに……」

「ノギスの干渉が及ぶまで一週間はかかります。あと十二人なら、一日二、三人ペースでやっていけば間に合うでしょう」

「だけど、ノギス以外にも、アインソフって奴がまだ街に潜んで、」

「――アインソフ」

 

 一瞬だけ、アンセスタが足を止めた。

 そして、何かを思い出すように目を閉じ、しばらくしてからゆっくりと瞼を開く。

 

「なら――もう一度、人の居ない場所で情報交換をしましょう。この簡易迷宮も、あまり長時間は展開出来ませんから」

「……? いや、確かにこっちから聞くばかりだったか……。わかった、移動しよう」

 

 どうにか立ち上がり、二人で病院を出る。

 

 だがその途中。同級生の母親らしき女性が、ちょうど見舞いに来ていたのを見た。

 「うちの娘たちも目を覚ましたんですか!?」などと医者に問いかけ首を横に振られている様子に、後ろ髪を引かれてしまう。

 

「クウマ」

「あ、ああ……いや、わかってる」

 

 仕方の無い――ことだ。

 最後に感じた、背中に刺さるような感覚を振り払い、俺たちは今度こそ病院を後にした。

 

 


 

 

 そんな二人の様子を、病室の窓から見下ろす影があった。

 

「フッ――、よりによって、()()()()()()を後回しにしたかよ、少年少女」

 

 病室のベッドに座る、どこにでもいる青年のようだった。

 しかし、纏う気配はあからさまなほどに隔絶している。

 哀れな犠牲者、竜胆始――その姿を借りたアインソフ・ヨルムンガンドが、王者のように座していた。

 

「これは彼らが不運なのか、あるいは私に天運が向いたのか。果たしてどちらだろうな。少女――再町(さいまち)左希(さき)よ」

 

 ベッドに眠るのは、一人の少女だった。

 恐らくは誰もが、一目見て「大人しそうな女の子」だと思うだろう。

 背丈は平均よりやや高いが、体格的には並以下、貧弱とも言ってよかった。目を瞑った顔は如何にも幸薄げで、凶悪などという言葉からは程遠い。どちらかと言えば善良かつ生真面目で、クラスの委員長でもやっているのが似合うような、そんな少女。

 

「そうだ、再町左希。お前はこの十六人の中で最も、弱く、優しい。()()()()()()()()()()

 

 アインソフが自身の指の一本を半ばから噛みちぎった。

 そしてそのまま、おぞましいほどに紅々と輝く血液を、再町左希の唇へ――零す。

 

「目覚めるが良い、新たなる主。汝が拓く迷宮に、冥界降り(オルフェウス)の銘を与えよう――!」

 

 病室内が、静かかつ急速に異界へと塗り替わっていく。

 窓から差し込む日も、照明の光も何も変わらない。なのに、室内の明度だけが急速に落ちていく。暗く、暗く、薄暗く、曖昧に。周囲に漂う独特の病院臭が強く濃くなり、どこからか血と灰の匂いが混ざり――そして。

 

「――――あ、」

 

 新たな迷宮主が目を覚ます。

 起きたばかりの胡乱な眼差し。ぼんやりとした瞳をアインソフに向けながら、再町左希はのろのろとした手付きで、枕元に置かれていた眼鏡をかける。

 

「あ、なた、」

「ようこそ、万色の外側へ。気分はどうだ、目覚めた心は何を想う? 赴くままに語っ――」

()()()()()()

 

 アインソフが振り返る。そこには。

 

『ロギアズ。レェィイイルォオオオルゥゥウウウ――』

 

 人間大の黒い(もや)が、アインソフに向けて手を伸ばし――

 

「下らん」

 

 ――斬、と。

 超速の手刀で、その首を跳ね飛ばされた。

 

 ゴトリと音を立て、黒を撒き散らしながら、ボールのように転がる頭蓋。

 

「ま、責めはするまい。成り立ての主に破損体(エラー)の制御など土台無理な話だ。むしろ、これほどの速度でこの場を迷宮化したことを称えるべきだろうよ」

 

 破損体(エラー)の体が倒れ、真っ黒な首が二人の間に転がり、止まった。

 再町左希はそれをじっと見下ろした後、()めつけるようにアインソフへと視線をやる。

 

「……あな、た。殺しましたね?」

「何だ、まだモラルが残っているか? ならばもう幾らかその心を削って、」

 

()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「――は?」

 

 転がった黒靄の首に、少しずつ色が宿る。破損体(エラー)の首が、()()()()()()()()()()()()()

 

「……な、に……!?」

「罪は『消す』――命は『戻す』――ザクロを吐いて、私たちは『ゆるされる』――」

 

 破損体(エラー)が、アインソフの死体になっていく。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何だ――()()()()()ッ!?」

 

 (ジュウ)、と。

 侵蝕は止まらない。逃れることも出来ない。

 不死身の再生能力すら通じぬまま、黒い靄へと邪竜の全身が置換されていく。

 

「さ、再町左希ィ! 貴ッ様何をしたァアアアアアアアアア!!」

「迷宮の『脱出条件』はただ一つ……『()()()()()()()()()()()()()()』」

 

 再町左希がゆっくりとベッドの上に立つ。今にも崩れ落ちそうな姿勢で、祖たるアインソフを見下ろし見下す。

 

「『あなた』が脳死するまで、残り十秒……十秒の『余命』を過ぎた時、あなたは『囚われる』。この冥界(めいきゅう)を彷徨い惑う、死した探索者(オルフェウス)に成り果てる――」

 

 アインソフが咄嗟に転がった首へと手をかざす。しかし、首は何の反応も返さない。アインソフの再生能力はあくまで自己再生能力であり、他者を対象とするものではない。

 

「ふ、ふざけるな……! というかそもそもこの私が首を飛ばされた程度で死ぬかッ!? あり得んッ、無効だ! すぐに解除しろ、再町左希ィイイイイイイ!!」

「喰らった果実(いのち)を吐き戻すまで……あなたが、()()()()()()()()。この産道から産ま(のが)れることは……()()()()。……ご……よん……さん……」

 

 ズレた眼鏡、ボサついた髪。

 大人しそうな委員長風の女生徒が、死の超越者に二本の指を突きつける。

 

「に……いち……零。

 迷宮、創造。――自殺産道(スーサイド)冥界降黄泉竈食(オルフェウス)

「く、クソがァあああアアアアア!! ウオオオこの程度で私が諦めるとでも思っ、」

 

 言葉を待たず、アインソフの全身は黒い靄に置換されていった。

 

 かくして、新たなる迷宮は拓かれる。

 祖たる超越七主(オーバーローズ)さえ呑み込む死縛の冥界。産声を上げる自殺産道が。

 

「ああ、生きたい。生き返らせたい。もう、死んでいたくはない――」

 

 意義も意味も無く、制御さえ手放しで自殺産道は広がっていく。拡張し続ける。

 次なる迷宮との戦いは、すぐそこまで迫っていた。

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