男の体に大きく傷跡を残したツープラトン、ナパーム・コンビネゾンは殺意で放たれた技ではなく、救おうという思いが込められた技。命を奪うための技ではなかった故に、虫の息ながらも男は生きていられた。
だが、大魔王サタンからの攻撃は違う。殺意で満たされている。なけなしの体力を振り絞りアリステラを庇った結果、男を貫いた杭は運良く心臓には当たらなかった。
だからといって助かったわけではない。連戦により蓄積したダメージが男を今度こそ地の底へと落とし、命の灯火は――。
『まだ戦える。そうだろう?』
誰かが自分に優しい声で語りかけた。
「アリステラッ!!」
痛みの中、体を起こす。
耳には何者かの戦う音が、鼻には土でも血でもなく緑の匂いが。……自分が落下したのは草木の無い地面だったはずだ。何かがおかしい、その気付きがぼやけていた視界をクリアにし、自分がどこにいるのかを正しく認識する情報を与える。
幾重にも重なった葉と枝。傷の周囲を舞う金の花粉。
幻想的な輝きを纏う花粉を払い除けようと手を伸ばした途端、それらは空気に溶けるように消えて……少しずつ傷が癒えていく。普通ではあり得ない現象。このような力を持つ存在を即座に作れる超人は限られている。
まさか、と浮遊するリングを見上げたその先に――マリキータマンは光を見た。
「ゲギギッ……まだ……まだだあっ!」
大魔王は未練がましく手を伸ばす。先程までジャスティスマンが本気を出せなかった理由であるサマルが自身から分離した以上、この先自分の身に何が起こるのかなど考えずとも分かってしまう。
依代を失った今、何も手を打たねば自身の力のみでジャスティスマンを打倒せねばならない。迫り来る敗北の未来から逃れるため、もう一度のチャンスを無理矢理に引き寄せようと、大きく開いた手はサマルの体へと届き――。
「お前が今ここで戦うのは俺じゃないだろう、がっ!」
掴むことはできなかった。跳ね除けられる。拒絶される。痛みはない。
サマルは試合の邪魔とならぬようリングから遠ざかるように浮遊する。サタンは重力に従って白いリングへと落ちていく。
「ジャスティス!」
彼の呼びかけに対し、裁きの神と呼ばれていた男は頷いた。落下してきたサタンを捕らえ、リングへと叩きつける。
「ググ……まだ私は倒れるわけにはいかんのだ……!」
サマルは取り逃がしたが、まだ可能性は残っている。裁きの天秤はまだジャスティスマンへと傾いている――かの男が罪人であると示しているのだから。
「何としてでも!」
大魔王から放たれる力でマントが舞い上がる。腰へのタックル、受けたジャスティスマンは揺らぐことなく立っていた。相手の体勢を崩そうとしたように見えるが、真の目的はそこではない。
「今から私が何をしようとしているかわかるか? わかるよな?」
組みついた手から始まり、腕、頭……とサタンの体がヌムヌムと奇妙な音を立てながらジャスティスマンの中へと沈んでいく。
「ゲギョゲギョ〜! 私への恐怖を抱いた、それこそがお前の敗因と――」
「ハワーッ!」
ジャスティスマンの肉体が奪われてしまうのか、誰もが不安になる中行われたサバトは途中で止まる。
「ガ、ギ、ゲギャーッ!?」
ジャスティスマンはサタンの下半身を押さえつけ、無防備な腹へ何度も膝を撃ち込む。サタンの両腕は憑依に使われ、現実世界に無いために抗うことができない。
サタンの鎧が割れ始めた頃、ジャスティスマンは飽きたとばかりにサタンの足を掴み引き摺り出し、コーナーへと放り投げる。
「私にお前の憑依が通用するとでも思っていたのか」
「何故だ!? 裁きの天秤もお前の罪を認め……ゲギョ!?」
サタンが視線をやった瞬間、裁きの天秤は一方へ――大魔王サタンの方へと大きく傾く。ジャスティスマンは語る。自分が抱いていた罪とは大魔王サタンを野放しにしていたという罪の意識、今から解放されようとしているため天秤の傾きは正常に戻っているのだと。
「そんな馬鹿なことが許されてなるものかーっ!」
ぶるぶると体を怒りに振るわせたサタンが選んだのは、憎たらしい顔を拳で粉砕すること。
「愚かなのはお前の方だ」
サタン渾身のパンチは難なく受け止められた。
そしてお返しとばかりに矢継ぎ早に繰り出される裁きの技。ジャッジメントクラッシュ、ジャッジメントツイスト、ジャッジメントアヴァランチャー。
試合ではなく作業だと錯覚するほどに淡々とジャスティスマンによる裁きは進行する。疲弊した大魔王にはもう両足で立つ力は残っていない。
地に倒れ伏したままダウンカウントで終わるのは許さない、とジャスティスマンはサタンを空中へと放り投げる。
「この機会をどれほど待ち侘びていたか――さあ、裁きの時だ! 大魔王サタン!」
宙にいる大魔王目掛け空中へと飛び上がる。右脚でサタンの両脚を絡めて押さえ、頭を右手で掴む。
奥義を仕掛ける体勢へ入った。
「ゲ……ゲギャ……私はまだ……消えるわけには……」
拘束を外そうと両手で必死に抵抗するが、ジャスティスマンはサタンがこれ以上喚くことができないようさらに手に力を込める。
常人ならそのまま頭が握り潰れてもおかしくないのだが、流石は大魔王と言うべきだろう。頑丈さは人一倍あるようで形を保てている。
「
極めたまま落下する。呻き声は風を切る音の中に掻き消える。
「
異議を唱える者はいない。
リング中央、必殺の奥義が炸裂した。
「終わりだな」
戒律の神が独り言のように口にした言葉。下天のために集いし十二の神々は全員同じ判断を下した。
下天した慈悲の神ザ・マンからカピラリアの
助ける価値? 元々無い。根幹が負の感情の塊であるサタンが神の座に着いた後、神の中で頂点に立つべく碌でも無い策を練るのは目に見えている。
……そもそも神々に匹敵する1億パワーを得た超人の肉体を大魔王サタンが乗っ取ったとて、真正面から慈悲の神と相対しようと動いたのかすら怪しい。
「安寧を乱す存在として生を受けた者が己の創造主を下すか」
安寧の神が懸念するのも当然だ。此度の下天には、カピラリア七光線を照射したのちに生きていたサタンの手先を殺すべきであると主張した神々が含まれている。安寧の神もその一柱だ。
――どの神々の系譜にも連なることがない、異常な出自の超人。神が注視するのは当然であった。
「慈悲の神が認めた存在がこの程度の試練を成し遂げられぬ方が問題であろう?」
「バハー」
禍福の神による発問を受け、それもそうかと安寧の神は渋々ではあるが納得する。
同じ超人の神といえど、その内にある思いは異なる。
安寧の神と戒律の神は大魔王サタンによって生み出されたものなど抹殺すべきであるとの姿勢を示し、進化の神と修練の神は生まれが祝福されぬものがよくぞここまで力を磨いたと感心を寄せる。
維新の神と自制の神、洞察の神は静観。理性の神、狂気の神は一超人に対しどうでも良いと気にかけるそぶりすらない。
「フェフェフェ! たかが怨念の集合体ごときが欲を出したからだ!」
上機嫌な憤怒の神に対し、何を言っているのだろうかと戒律の神は怪訝な顔だ。そも憤怒の神は下天して超人殲滅を、と掲げる筆頭。超人を認めるそぶりを見せている理由がわからない。
戒律の神が理解できないのは当然、これは個人的な感情によるものだからだ。
憤怒の神の心の内は超人に対する怒りが渦巻いているが、大魔王サタンへ対する怒りも相応に持ち合わせている。――遥か昔、埋まりきらぬ神の座へ大魔王サタンを据えようという案が出た際、憤怒の神は猛烈に反対した。
理由は単純。怨念の集合体ごときを神にする、それが不愉快だった。
「あの邪魔者を撃退したこと
奴には我が手によって殺される名誉を与えてやるべきか、などと己に都合の良いことをほざく始末。しょうもねえなあアイツ、と言葉にはしないものの戒律の神からの評価は下がる一方だ。
「ドフドフ……無駄話もそこまでにしておけ」
自制の神が手に持つ剣を地へ降ろす音で注意を引き、口をつぐむよう誘導する。
「フン」
憤怒の神の機嫌が少々悪くなる。だが言い返すような愚かなことはしない。天の神々は全て同列、下に見るものは被造物たる超人のみ。
「行くぞ」
ここまで沈黙を貫いていた調和の神が何を思案しているのか、長い付き合いのある戒律の神にも窺い知ることはできない。
何を考えていようと構わない。己の信じる解決策を進む、それだけだ。
――思い返すのは慈悲の神による説得。
『邪悪が地上にあるからと粛清を続けるのは神々の不完全さを強調する行いに他ならぬ。いつか芽吹くやもしれぬ邪悪の種、それすらも正してこそ真の完璧たり得るのではないか!』
ああ。何も、何一つとして間違っていない。
調和の維持、それを第一とする神であるからこそ、その未来を認めた。未来はいくらでも変えて良い。慈悲の神の手で育まれるなら、どんな超人であろうとその未来は保証される。完璧な存在として神々が認める生命になるはずだった。
それが今はどうだ。永遠に埋まらぬ神の椅子を埋めるために作られた超人は、いまや神を脅かすほどに成長した。超人と星のバランス、宇宙のエネルギーは火事場のクソ力を起因とし危うい状態になった。
調和は崩れようとしている。だからこそ、調和の神は動いた。
下界を見下ろす。敗北した大魔王サタンは捨て台詞を吐いて逃げ、ジャスティスマンとサイコマンの主導により数多の超人が慈悲の神の元へ向かおうとしている最中だ。その中には当然先ほど復活を果たしたサマルも含まれている。
サマルの胸にある傷跡は遥か昔、大魔王サタンによる乗っ取りに抵抗した時にできた。超人からすれば勲章と呼んでいいようなものだが、何の力も宿していないただの傷跡にしか過ぎないもの。
だが、調和の神は見た。見えてしまった。
復活した彼の胸にあるその傷跡の形が――
「調和を望みながら混沌をもたらす者よ。我らの未来にお前は――」
その呟きの先を掻き消すように、クエエ、と怪鳥が鳴いた。どの神々も玉体を隠すようローブを纏い、フードを被る。
「さあ、終わりの始まりだ」
今ここに、下天の儀が始まろうとしていた。