神々の住まう天界にもリングは存在している。天界にある物は全て神の手により作られたもの。施工速度、装飾、強度、どれも地上とは比べ物にならないほど素晴らしいものである。
なお、俺が一番覚えが早いから天界の知識を先に教えてもらっているだけで、俺以外の
俺への講座は
……彼の口から教えてもらった。最初から俺を選ぶはずだったと。天上の神々が許さなかったと。カピラリア大災害に巻き込まれてなお今こうして生きるのは、神が起こした奇跡ではなく己が起こした奇跡であると。
包み込むような、あたたかな手のひら。巨体でありながら、圧迫感を与えず不思議と安心感を与える――優しくも厳しい、慈悲。
あの日、あの瞬間。俺はマイナスの方向へ心が傾いていた。その状態で考えたものが正解であるはずがない。
『本当に? あいつの語った言葉が後付けの理由ではないと誰が証明できる?』
……何かの声が聞こえた気がした。何かが痛む。でも体の動きに異常はない。なら大丈夫だろう。
――あれ、どうして天上の神々は俺を許さなかったんだったっけ? ⬛︎⬛︎⬛︎……なんだろう、聞いたはずなのに思い出せない。思い出せないなら、まあ、どうでもいいようなことなんだろう。
『そうとも、今知ってはつまらんからなあーっ。貴様の心が最も大きく揺らぐ時が来るまで忘れておけ……ゲギョゲギョ』
ああそうそう。サイコマンは原作通りシルバーマンをえらく気に入ったようで口を開けばシルバーさんシルバーさんと褒め称える言葉がどんどんどんどん……サイコマンと初めて会った時のことを思い出すレベルのマシンガントークが展開される。
サイコマンに気に入られたことでシルバーマンはちょっとの間苦労するだろうけど……まあ慣れるだろうし……いっか!
力の差や考え方の違いなどが原因で他者へと興味を持たなかったかつてのサイコマンと比べればかなりの成長をした。それに伴ってサマルと話す時間は昔より減っている。……嬉しいの中に寂しさが混じって、その思いを紛らわすようにサマルは作業台に向かう時間が増えた。
心技体、全てに優れた完璧な超人となるべくザ・マンの弟子たちは日々鍛錬に明け暮れていた。
サマルの私室兼研究室に入ってくる者は少ない。個人的な頼みがある者は部屋に入らずノックでサマルを呼び出し、入口で何が必要かを伝えて終わる。滅多にないがリングの緊急の補修でも、ドアを急に開けるだけで中に侵入はしない。
……そのはずだが、今日は様子が違っていた。
「ほおーっ、なるほどなるほど」
鍔の無い両刃の剣を弄っているのは、体色が水色の超人。体のあちこちにプチプチと呼ばれる緩衝材を纏っている。
「それは頼まれた物の試作品だから壊さないでくださいよ」
ペインマン――苦痛、痛みを意味する名を持つが痛みを知らぬ超人。いや、知らないからこそ相手を傷めつけることができるのだろうか? 彼は一度も血を流すような傷を負ったことがない。
そんな男が剣を手に取り、刃を腕に押し付けている。まさか自傷行為か? 否、緩衝材にぶよぶよと刃は弾かれている。では剣が鈍か? 否、超人が振るうものが鈍であるはずはない。
「素晴らしい出来だ。試作品とは思えん。……ふーむ、しかし私の
褒めたいのか下げたいのかどちらかにしてほしい。というかゴールドマンから剣を作るよう依頼されたのは『単純な打撃では緩衝材を破りペインマンにダメージを与えるのが厳しい、ならば硬く鋭いものならば可能性が』と言う事情があるんだが……。
知っててちょっかいをかけにきた、ではないだろう。ゴールドマンの口は堅い。対策を練っている本人に相談するなどして口を滑らせるなんて絶対にしない。
じゃあ……なんだ? ペインマンは休憩ついでに遊びに来ただけ……?
「テハハハハ、並の超人ならばタダでは済まん切れ味だ。そう肩を落とすな。それにだ」
どうやらサマルの肩の力が抜けたのを「剣が不出来であるのを見て落ち込んだ」と勘違いしたらしい。実際は「しょうもない理由で部屋に入ってきた可能性がある挙句許可も取らず剣に触るフリーダムさに怒る気が失せた」なのだが。
さてそんなペインマン、手から何かを出したかと思えばぱん!! と大きな破裂音が部屋に響く。
「んびっ!?」
割れた何かが地面に落ちる。水色の、半透明なビニール。
「安心しろ、ダミーバブルだ」
「びっ……くりさせないでくださいよ……」
正体を認識したことで驚きによりまん丸になった目が落ち着きを取り戻す。ペインマンはダミーバブルの残骸をしゃがみ拾い上げていた。流石に他人の部屋にゴミを残すつもりはないようだ。
「ダミーバブルは私よりも強度は劣るがそう簡単に破壊できない物だぞ? これは誇るべきことだ」
残骸をこちらへ見せつけるよう広げてみれば成る程穴が一つ空いている。ペインマンはテハハハと爽やかに笑っているが、彼がやった事を纏めると俺はゴールドマンの希望に添えないものを作った事になるわけで……どこを改善するべきか。というよりもなによりも。
「用が終わったのなら部屋から出ていってもらえますか? 危険なものあるんですから」
「用? それはこれからだ」
ゴミを手の中へ握りしめたまま椅子に腰掛けた。……完全に居座るつもりだ。自身の体の一部であるダミーバブル、それの操作はペインマンからは自在。ほんの少し念じるだけで滓や破片を残さずに消えていく。
――先ほどまでの空気感から一転、真剣な表情で彼はサマルへと言葉を投げる。
「いつまで他人行儀でいるつもりだ、
ペインマンのぶつけてきた言葉から目を逸らす。
「……でも、俺は」
「出自で差別する気など微塵もない。お前が気にし過ぎなだけだ」
同志であるはずの他
顔を合わせたら今度こそ殺すまで試合をしてしまうかもしれん、と理解しているため意識して出会わないようにしているガンマンは別にするとしても、人付き合いが良い方のシルバーマンやペインマンにまで他人行儀でいられたら気にする。とても気にする。
「硬い思考のままではいかん、柔軟に行こうではないか」
柔軟。ペインマンを言い表す言葉であり口癖。だが気持ちを楽にしようと言葉を発するほどに相手は硬く閉ざされていく。
……プラスの言葉だけでは真に彼へと届かない。こちらも身を切る必要があるか、と数秒考え、何を言うべきかを決めた。
「それにだ。自らの目の届かない場所でお前が作り上げたモノが他者を苦しめた、というのを気にしてもどうしようもないだろう。超人は全能ではないのだ。……まあ、それにだ、自覚を持って苦しめた経験を競えば間違いなく私の方が多い」
最後の方だけ小さな声になっていたが、サマルにはしっかりと聞こえた。何のことを言っているのか分からない。それも当然、きっとペインマンの過去に関する事であるからだ。
――選ばれる前に知り合っていた、という例外を除けば始祖は基本的に互いの過去を知らない。聞き出そうともしない。知ったところで良い事は起きない。余計な感情に揺れることのないように……と、特に罰則がある訳でもなければ誰が決めたわけでもない。自然とそうなっていた。
過去を明かしてまで自分を立ち直らせようとしている。その事実を頭が処理しきれていないのか、サマルはキョトンとした顔をしている。ペインマンは少し恥ずかしげに笑っている。
話そうと決めても恥ずかしさが拭い切れてはいないのか、あー、その、なんだ、と間に何度も挟まっていたが――纏めると『痛い痛いと叫ぶ輩に対して「イタイ? それは何だ? 説明してほしいのだがなぁ〜」と言いながら追い打ちをかける』……ということをしていた話。無知故の過ち、若気の至り? まあなんというか、その。
「……一歩間違えたら粛清されていたんじゃないか?」
「私もそう思う」
ほんの少し俯く。反省している……のだろうか。彼の顔の上半分は緩衝材によって隠れている為、どんな表情をしているのかが分かりにくい。
「ペインマンでもそんな過去あったんだな……」
「始まりから完璧な超人などいないさ」
口調が崩れた、それを認識したペインマンは微笑む。なぜ上機嫌になったのかの理由がわからないのか、サマルの後ろに疑問符が複数浮かんでいるようであった。
もう一押しだな、とペインマンはおもむろに椅子から立ち上がるとサマルの肩へ手を置き、ゆっくりと語りかけ始めた。
「過去を無かったことにしろとは強制されていないし、忘却しろとも言われていない。それは今ここにいるお前を構成する全てを認めて
びりびりと、体の芯まで響く声だった。不思議だが、うるさいとは感じなかった。
どこか曇りを帯びていた眼はもうどこにもない。正面にいるのは迷いを振り切った一人の超人。
肩から手を離す。
「……もうこんな時間か。邪魔をしたな」
壁にかけてある時計へと視線をやる。思っていた以上に時間が経っていた。
「鍛錬に戻るのか?」
「いや、この後はゴールドとのスパーリングがあってな――」
「すまないサマル、ペインとのスパーリングがあるから試しに使ってみたいのだが――」
ドアが開いた。ゴールドマンとペインマンが出くわす。
「…………あ゛」
何故ここに、という顔のゴールドマン。自身が切れ味を試していた剣が誰の依頼によるものなのか納得したペインマン。頭を抱えるサマル。
……先ほどまでの重かった空気はどこへやら、珍妙な空気が流れていた。
その樹は長い時を生きていた。偶然神の裁きの光を妨げることができるものだった。その中に粛清されるはずの超人が避難して、生きていた。
だから許されないと名付けられた。
樹を中心にして、生き残った超人達は活動を始めた。超人の命を守ったその樹には感謝が捧げられた。
だから世界樹と名付けられた。
歴史は繰り返す。善良な者が虐げられ、邪悪が蔓延り始める。血が大地を、海を、星を、赤く染める。
大魔王はほくそ笑む。悪の絶えることはないのだ、と。
それをどうにかする力など樹は持っていない。樹は生きている。ただ、それだけ。