彼の口元を隠すためのマスクを作ったのはサマルだった。
彼が超人墓場を見回る際に鬼達へ威圧感を与えないよう、墓守鬼の見た目になれるオーバーボディを拵えたのもサマルだった。
アビスマンは負傷した口元を晒すことに抵抗はなかった。当然の戒めだと受け入れていた。そこに待ったをかけたのがサマルだった。
超人は回復力が高いため少しの傷なら綺麗さっぱり消えるが、己の心に強く残った出来事による傷跡は長い年月が流れても残る。それは過去を決して忘れないように、という超人の神の御心からそうなったのかは分からない。
……誰の目に見てもわかる弱点として、苦しめ続けることになる。それは確かだ。
この怪我は自分の不注意が招いたものだ、と他の者を巻き込まず自分の手で済ませようとしていたのだが……それを正面から堂々と押しつけるかの如くサマルはテキパキと処置を施した。アビスマンが文句を言い終えたのは手当てが全て終わった後。そのスピードにカラスマンがほう、と感心していた。
……正面からの戦いでは右に出る者はいないと言われた彼を試合ではないが押し負かした、決定的瞬間である。
彼は――優しかった。
超人は、自分を第一に考える。自分がどれだけの力を持っているのか誇示したいと願う。自分の更なる研鑽のためとして、大切なものを捨てることも厭わない。
……他人のために、それを軸にして動ける超人。それがサマル、誰よりも超人らしくない超人。
根幹が違うことは誰もがわかっていた。普通と違う、それだけで悪と断じられるわけではない、とも。まあ彼は違うことを気にしていたようだが、それもペインマンによって吹っ切れ、良い変化を迎えた。
そんな優しい彼は激しい特訓を行う中マスクの通気性が確保できているのかを逐次確認すべきとメンテナンスの予定を組んだ。いや、勝手に組まれた、の方が正しいか。アビスマン二回目の敗北である。
負けっぱなし、というのもシャクなのでマスクを外したたびに男前が上がったんじゃねえか? と冗談混じりに笑えばどう反応しようか微妙な顔をするサマルがいて、それはきっと、平和な日々で――。
どうしようもなく愚かな超人達が地上で蛮行を重ねていた。
だから見せしめを行なった。
多くの死が、地上に刻み込まれた。
これで地上は落ち着くだろう、と仕事を終えた彼らは黄泉比良坂を越えた先の超人墓場に、彼らの安寧の地へと戻り――途中に血溜まりがあった。
サマルが血溜まりの中で伏せっていた。目立った外傷は見当たらない。……そして、その体は薄ぼんやりと透けていた。
誰がどう見てもそれは異常だった。
「何があった!」
墓守鬼達へと真っ先に問いただすのは超人墓場の監督者であるアビスマン。
「ア、アビスマン様! これはっ」
慌てる彼らを睨みつける。
「まさか死んだ超人どもが反乱を起こしたんじゃねえだろうな〜〜っ!」
鼻息を荒くし、怒気を孕んだ声がびりびりと超人墓場を揺らす。視線を向けられた超人達は怯え、この重圧から逃げ出そうとしても足がすくんで動けないでいた。
死んだ超人は超人墓場へと送られる。地上で悪逆の限りを尽くしていたがために粛清された超人が、今度は超人墓場で愚かなことを繰り返した――そうアビスマンの中では結論が出ようとしていたその時、サマルの手がぴくり、と動いた。
「っ……ぁ……アビスマン? いる、のか」
彼の声が刺激になったのか覚醒する。手を支えに上体を起こそうとして踏ん張るも、力が足りずにまた地面へ突っ伏しそうになったサマル。腕を差し込んだアビスマンによって地面への激突は避けられた。
「いったい何処のどいつがこんな真似をしたんだ?」
「ちがう…………ちがうんだ」
力無く首を横に振る。
「おれの、せいだよ」
いまにも途切れそうな呼吸で、一言一言搾り出すように。
「せい、って……」
その言葉だけでは結末も過程もよくわからない。だからといってこんな状態の相手に一から十まで全て話せ、なんて無理をさせるわけにもいかない。
その様子を見ていた一人の年老いた墓守鬼が跪く。
「アビスマン様、どうか我等に発言の許可を……」
「許す。何があったのか、その一切を話せ」
怒りに燃える心を鎮め、上に立つ存在としての風格を纏う。ありがとうございます、と鬼が感謝を告げたその次の言葉に、始祖は皆驚愕を隠せないでいた。
「かの
かつては皆等しく地に座し焚き火を囲み語らっていた。時が流れた結果、場所を移し円卓となり……一人だけは玉座へ。
それはザ・マンが超人の中の超人と呼ばれた人格者から超人閻魔に変わってしまった証。
超人閻魔はマグネット・パワーを肯定し、サイコマンに研究を続けるよう命じた。これにより、そう遠くない未来で神の奇跡によらない不老の力が出来上がることになる。
マグネット・パワーについてサマルは「星の持つ超人パワーとも言えるマグネット・パワーを、こちらの都合で吸い上げて良いものか。星の命が短くなりはしないのか」、と他の始祖と違い肯定否定ではなく疑問を投げた。
始祖は皆ザ・マンの持つ唯一の神の奇跡により老いることはない。だが星には限りがある。何億年先にあるだろう星の終わりを一超人が短くして良いはずはない。
サイコマンは言われてみれば、とその疑問をちゃんと受け止めた。マグネット・パワーがどれほど星にあるのかを調べてみるべきですね、そう気づきを与えてくれたサマルに感謝を告げ、超人閻魔は――サマルの疑問には何も触れなかった。
……ああ。変わってしまった。そうサマルが確信した瞬間だった。
超人閻魔は地上の超人の蛮行を許せぬとし、粛清を行うと決めた。それは超人閻魔としての決定だけでなく、天の神々から裁きを受ける前に一部をわざと逃がせるようにという慈悲が含まれていたのだと、のちの歴史で明かされる。サマルはそれを知っている。
……知っている、けれども。サマルの目にはかの慈悲の男の姿は、カケラも見出すことはできなかった。
一つだけの異物では物語は変えられない。いや、変えてはいけない? どちらが正しいのか、そもそもここに自分がいること自体が間違いなのではないか。心に影が差す。
彼からどんな素晴らしい知識を得ても、それを活かせる場所はもう地上にはない。超人閻魔は地上の超人を見下している。悪の道に落ちることなく生きていた地上の超人との思い出は完璧には不必要だと、要らないのだから捨ててしまえと、そう言われるのも時間の問題だろう。
……自分一人では彼を止められない。でも、止まる時は遠い遠い未来にあると知っている。あの話の中でそうなっているから。
今、この異界に自分以外の始祖はいない。粛清のため地上に出ていったから。何をしようと彼らが止めることはできない。
……何をしようと同じ道のりを辿るなら、自分は存在しなくても問題は無いんじゃないか――?
心の奥底、暗がりから声がする。
『何一つとして間違ってなどいない。貴様は必要だからここにいる』
自分だけが聞こえる幻聴――否。それは実際に声として、大気を伝わり耳に届いていた。
『漸く……漸くだ! 時は来た!』
押し込めた闇は彼の心の揺らぎを契機に無理矢理に蓋を取り払った。影が笑う。邪悪に、悪魔的に。
何かが抜け落ちるような感覚と共に、サマルの影から空へ黒い霧が立ち上る。それは次第に集まり、あるシルエットを形作る。
――大魔王サタン。
「な、なんだあれはーっ!?」
「馬鹿な、どうしてここに!」
労働に勤しんでいた超人が空を見上げて驚愕の声をあげる。遅れて、墓守鬼も。
『この大魔王サタンを前にして不敬であるぞ死人ども〜〜っ!』
それはサタンの怒り。暗くなった空から雷が落ちる。的確に、狙いを定めて落ちていく。
雷に打たれた者は二度目の死を迎える。無念が晴れないまま強制的に消滅させられていく。
『ゲギョゲギョ〜ッ、愉快愉快』
命が消える様を見て悪魔が笑っている。
「っ、やめろっ!」
ちょっとした綻びへと対処するため持っている針を懐から取り出し、サタン目掛けて投げる。始祖の末席の矜持を胸に、サマルはサタンの蛮行をどうすれば止められるか思考を回す。
『おお〜っ怖い怖い。子供の反抗とは恐ろしいものよのう』
たかが針で大魔王を止められるはずもない。とにかく始祖達が戻るまで時間稼ぎができれば良い。出来る限りここに留めなければ。
「皆を避難させろ! ……何故、この超人墓場にお前が入ってこれた」
命令を飛ばし安全を確保させる。お前ら早く、こっちだ、と死者を誘導する鬼を横目に問いを投げる。
確かに始祖は出払っているが、門番であるミラージュマンがいなくとも幻影は機能する。ちゃんとした入り口から来たわけではないとしても、それ以前にザ・マンが作り上げたこの世界へサタンが侵入できるはずがない。
『呼ばれたからだ』
「いったい誰がそんなことを!」
悪魔との内通者、それがいたとなればただでは済まされない。
サタンはしっかりとサマルを見据えて言った。
『
「………………なん、だって?」
意味が、わからない。
『ゲギョゲギョ……創造主と被造物、私にとってそれより強い繋がりはこの世に無い。それともなんだ、親と子、そう言ったほうがよかったか? それを辿ればこのように現れることができるというわけよ。……ああそうか、まだ記憶を封じたままだったなぁ〜。そら、返してやろう』
瞬間、頭が割れるように痛む。声にならない繋がりが、悪魔の言う言葉は全て真実だと教えてくる。
『どうだ、今ならば思い出せるだろう?』
そんな衝撃的な事実を知らされたのなら忘れるはずがない。これはお前に植え付けられようとしている偽の記憶だ。反論を口にしようとして、口がカラカラでうまく発声できなかった。
「ぅそ……………だ……!」
『頭は理解しているだろうに、口では否定するか。完全に折れてはいないようだなぁ〜っ。
始祖は皆、明確に彼の過去へ触れないようにしていた。それが仇となった。忘れるはずがないことを忘れている……それに誰も気がつけないまま、こうして
サタンによって生み出された超人、一番最初にその真実を伝えたのはザ・マン。それはサタンの干渉によって、彼の中で
昔の記憶よりも今この瞬間知らされたことの方が心に与える衝撃は大きい。
……揺らいでいく。自分がちゃんと立てているか、自分でわからなくなっていく。
『私は作った。驚くほどの生命力を秘めた樹を元に身体を。超人よりも弱い、乗っ取りやすい存在をそこへ降霊させた。他の超人から害されないよう、堕落を元にした知識を持たせた。わざと邪悪を遠ざけた。――そうして、誰がどう見ても善と判断できる経歴を持つ超人が生まれた』
動物や無機物。天の神々がそれらをモチーフとして創造した化身超人は元となったものの性質を強く受け継ぐ。ダルメシマンがIの形の傷跡――犬が好む骨に似た形へ惹かれてしまったように、完璧超人になるほどの能力を持っていてもその定めから逃れ切ることはできない。
もし、カピラリアの光を通さない樹を元にして作られた超人がいたならば。
それは――裁きの光を浴びたとしても、カピラリア大災害を生き残るのではないだろうか?
『ゲギョゲギョ……かの憎きザ・マンの懐など、私とてそう簡単に入り込めはしない。当然、手引きするものが必要だった。それも私の配下であるとわからない、反吐が出るような善良な存在。それでもって簡単に悪へと傾倒できる駒』
誰のことを指しているのか。それはもう明白だった。
『お前の真の名前はサマエル! 我が化身にして血で染まる赤い竜よ!!』
サマル。サマ⬛︎ル。サマエル。
欠けていたピースは、最悪の形で埋まった。
何もかもをサタンに与えられた。サタンによって生かされた。殴られたわけでもないのに、ぐわんと頭が揺れる。
思わず両手を見る。とめどなく溢れる知識により数多のものを作ってきたこの手は、全ては、あの邪悪の化身のためだけにある……。
「この力は……皆の為に、役に立つようにって、俺はそう使ってきた。これまでも、これからも!」
『皆? それは
景色が映る。サタンによって強制的に見せられている。
むせ返るような血の香りが鼻の奥を刺激する。
死者の目がサマルへ訴える。
どうして? どうしてお前は生きている。どうしてお前が生きている。
許さない。許されない。
『おおっと忘れるところだった……私からこの言葉を送ろうではないか!』
にたにたと笑っている。
『ありがとう!』
それは、昔何度も言われた言葉。それを大魔王サタンが、自分に向けて、言っている。
『貴様の体は私が使ってやろう……ザ・マンとその弟子達を殺すためになぁ〜っ!!』
ゲギャゲギャーッと笑う声がする。策が成った、その喜びの高笑い。
悪魔が体の中へ入り込んでくる。依代としてではなく、本体の代替えとして。
己の力のみで実体化せずとも実体化と同じだけの力を振るうことのできるボディ。都合のいい道具。それが自分だった。
抗うこともできず、真っ暗闇に落ちていく。
あの時と同じように、ひとりぼっちになっていく。
体を動かせない。考えることしかできない。
……。
…………。
………………?
それは、ふとした疑問。
どうしてサタンはすぐに俺を乗っ取らなかった? 俺がザ・マンの庇護下に入ってすぐに乗っ取れば、完璧のタマゴである彼らを蹴散らすことは容易であったはず。始祖が強くなるのを待つ必要はどこにもなかった。
時は来た。サタンは最初にそう言った。どうしてすぐに現れることができなかった?
答えは一つ。……俺の心の持ちようだった。マイナスに傾いた俺が、サタンを呼んだ。俺が弱いから。こうなってしまったのは俺のせいだ。
そうだとしても。俺のせいだとしても――全てをサタンの思い通りに進ませるわけにはいかない!
あいつは殺すと言った。ザ・マンとその弟子達を。俺の……友を!
希望の光。彼らとの絆。それをこんな奴に奪わせはしない!
体が発光する。サタンの支配に抵抗している。
『な、何をするっ!?』
サタンの化身、サマエル。サタンがサマエルの体を得つつある今ならサマエルは――否! サマルはサタンの力を使える!
黒いモヤが中空に集まり何かを作っていく。先は鋭く、超人を穿てるよう大きく。
それは、サタンの意に沿わぬものを貫く悪魔の裁き。
『貴様、まさか――!?』
サタンがサマルのしていることを認識し、逃げようとした瞬間。巨大な杭が胸を貫いた。
『グギャアアアァァァアアーーッ!!』
サタンの叫び声が超人墓場に響き渡る。彼が乗っ取った体からぼたぼたと血が流れる。誰がどう見てもそれは致命傷で、どんな手当てをしても助からないと分かる大怪我。
体から、何かが抜け出る。それはサマルと瓜二つの姿をした……魂。
「ハハ、一か八か、上手くいったみたいだな……っぐぅっ……!」
サマルは確かに死んだ。だが、ここは超人墓場。死後の世界、死者が活動できる特殊な環境。この場所でのみ、彼は死者としての活動が許された。
『フン……我が支配の届かぬ魂など要らぬわ。むしろこの体の中からお前がいなくなって好都合よ』
そうサタンは言うが強がりだ。確実に消耗している。だんだんと出血の勢いが落ちているのは悪魔の契約――血を代償にして力を得るソレを用いたからだろう。でもそれだけでしかない。
今のサマルの体は死の淵に立っているだけのモノ。ギリギリで生きている肉体と既に死んだ魂、それが同じ場所に存在し続ければ……肉体は魂に引っ張られ、いつかは完全なる死を迎える。
「俺がここにいる限り、お前はもう超人墓場に来ることはできない」
『抜かせ! 私らしく策を練り、いつか必ず貴様らを殺して世界の全てを私が支配してやるわ〜っ!』
そう言い捨てると、乗っ取った身体と共にサタンは消えていった。
「は、はは――」
サマルにも限界がきていた。精神の消耗、死、魂だけでの活動。
「………………みんな、ごめんな」
それが何に対しての謝罪だったのかは、サマルにしか分からない。
ばたり、と倒れ伏す。鬼達はどうすべきか戸惑いを隠せず――そんな時に始祖は帰還したのだ。
――かくして、始祖の一人は死んだ。サタンが再びこの地へ現れぬように。守るために、自らの手で命を絶った。
働く中で、未だ身体を取り戻せぬまま魂のみで活動を続けている
ガタイの良い鬼により語り継がれるその話は、墓守鬼として勤めをする初日に必ず教えられるもの。
聞くものは皆驚き、悲しみ、そして職務により一層の気合を入れて取り組む。
語り継ぐその鬼……アビスマンは、サマルの作ったオーバーボディを身に纏い、今日も超人墓場の見回りを続けていた。