花は咲き誇り、鳥は歌う。川は煌めき、空は快晴。風が吹けば花びらも舞い、幻想の生き物ユニコーンが歩く。まさにこの世のものとは思えない絶景。
そんな中を一人の超人が歩く。彼が歩む先にはこの空間には似つかわしくない重厚な石造りの扉。何とも繋がっているようには見えないそれへ迷うことなく手をかけて、開く。
その先に広がるのはファンタジーとはかけ離れた重く暗い空間。向かい合うように取り付けられた扉とリング、目立つものはそれだけしかない部屋……いや、訂正しよう。それらに加えてリングの上には超人が――幻想を作り出した主人がいた。
「なんだ、お前か」
彼こそ
外からやってきた超人が完璧超人の仲間入りをするに相応しいかを試す。もう我慢ならん外に出せ下等どもを粛清してやる、と血気盛んな始祖を抑える。それは外と内、両方の門番。
そして彼の立つココが、死人であるサマルの活動できる限界点でもある。
「いつものメンテナンス、今からしても大丈夫か?」
「ああ」
サマルの問いへ肯定を返しリングから降りる。門番としての役目を任されてから長い間使用しているリングであるが、一度のメンテナンスで丸ごと全て新調したことはない。それはサマルの腕の良さとミラージュマンの与える試練内容の二つが関係している。
ミラージュマンの特徴――紫の体と金属光沢もそうだが、やはり一際目立つのは彼の腕に備わるカレイドスコープドリル。ダイヤモンドに匹敵する硬さとなったその一撃を耐えられるか否か、もしくは回避を成功させるのか。それが試練。
門を叩いた超人を相手に、ミラージュマンは長時間の試合を行ったことは一度もない。だから消耗が少なく長持ちしている、というわけだ。
「しかし、見込みのあるものはそう訪れんな。そちらの様子はどうだ?」
モン・サン・パルフェと超人墓場を繋ぐ唯一の道、黄泉比良坂に立つ寝ずの番人としてミラージュマンは長い時を過ごしてきた。
あやつからの招集がかかった時など、特別なことが起きない限りこの場所から離れることはない。つまり、完璧超人として認めた超人がその後どうしているかの様子は全くわからないという事だ。
対するサマルは超人墓場の内部で起きた出来事についてはほぼ全てを把握している。そのため彼へ尋ねれば超人墓場の大体の状況が分かる。なので今回もこれまでと同じようにして話を振った、のだが。
「あ、いや……それなんだけどな。うん……」
「?」
作業の手は止めないが、顔が歪んだ。怒りや悲しみではない。困っていた。言うべきか言わないべきか、そう悩んでいる。
サマルが困る……つまりそれ相応の出来事があったことに他ならない。まさか完璧超人に至らぬ者を通してしまった? いやそんな筈は、だが……顎に手を当て理由を探す。
「ああいや、ミラージュマンの試練に落ち度があったわけじゃない。完璧だったよ。ただ、その、なぁ…………
「…………ゴバッ?」
あの人、とはストロング・ザ・武道と名乗るあやつのことに他ならないだろう。だが「精神が赤ん坊にまで戻され」……? 理由がさっぱりわからない。
ちょっと遠い目をしつつサマルは、いつかあの状態で出会うかもしれないしミラージュマンへも教えておくべきか、とあんまり思い出したくないあの出来事を語りだした。
――ピークア・ブー。試合の中で相手の持つ技術、力を全て習得しさらには上回る急成長超人。完璧超人へと認められた彼の種族がそれであると見抜いた武道が彼の成長をリセットをした。
……それが、悪夢のような出来事の始まりだった。
精悍な顔立ちだった青年の顔は
「………………ホ」
じわりと涙が浮かび、ごろんと寝転がる。まさしく赤ん坊のように。不味い、そう言ったのは誰だったか。
「ホギャアアア! ホギャアアァァアン!!」
そして――ピークア・ブーは泣き出した。知らない男たちに囲まれている恐怖に赤ん坊が耐えられるはずもない。……肉体は青年であるのに精神は幼児となったことで巻き起こされる地獄。パニック。
超人レスリングとは全く関係ないが、『完恐』が恐れられる所以の一つとして
どうしてこうなってしまったのかの理由なんて決まっている。成長のリセットだ。それを行うことで声変わりをすませた声で赤子のように泣くのは誰も予想できていなかったのである。武道も少し面食らっていた。
どうする、どうしたらいいんだ、と困惑と混沌が続くのかと思われたその時、一陣の風が吹いた。いや、風を切って走ってきた一人の超人がいた。
現れたのはサマル。低い超人パワーの利点である超加速により泣き声の大元へ即座に辿り着いたのだ。
「武道!!」
「グロロ〜」
原因となった男をきっと睨みつける。反省を促しているのだろうが、面の下がどんな顔をしているのかは誰にもわからない。
武道へ責めるような物言いをしつつ一定のリズムでピークア・ブーの背を優しく叩くのは流石の技。幼児返りしたピークア・ブーは少しの間ぐずついた後、すぴすぴと寝付いた。
子育ての経験があったのか? 始祖に? いや、したことがなくても出来るだろう。あの
――完璧超人や墓守鬼から崇められる始祖の中で、超人レスリングの実力
この畑を開拓した、このリングを作った、このユニフォームを繕った。なんと有難いことか。そんな思いが見え隠れしていて――実際耳にも届いた――昔のようなサッパリとした感謝は始祖からしかされない。少し居心地が悪そうに仕事をしている姿が超人墓場ではよく見られた。
つまりサマルは現人神のような扱いをされている。それに加えて今回のコレだ。優れた者を崇めるのは構いはしないが、父性だ母性だなんて拗れたヘンな話を流されても困る。
……ある日の試合を経ての急成長後、赤ん坊だった自分がずっと手に持っていたガラガラを破壊して「二度とリセットなんてされてたまるか」と武道へ反抗しようとするも虚しくリセット。精神が幼児に戻ったピークア・ブー、お気に入りのガラガラがないと分かり泣き出す。
当然
オーバーボディ? していても隠しきれない始祖の威圧感が滲むのでその反論はボツになった。
ではどうしたのか。結論を言えば新しくサマル手製の玩具を与えてなんとかなった。
もし神の裁きが起きなければ。彼らに未来があったのなら。戦えない俺はこうしてベビーシッターのようなことを追加でしていたのかもなあ……と、その横顔はどこかしんみりしていた。
サマルが面倒を見ているとはいえ、ピークア・ブーは
「ワンチャン! ワンチャン!」
「ギャイン!? テメー俺の耳を引っ張るんじゃねーっ!」
「ジャネー! ジャネー!」
ピークア・ブーがダルメシマンにちょっかいをかけてキャッキャと笑っている。
「ハハ、犬の超人であるなら子守は得意ではないのか? ダルメシマンよ」
「ネメシス! 俺は誇り高き猟犬、子守なんてしないって何度も言ってるだろうが! チッ……スペクルコントロール!」
全身の斑点が頭部へと集結する。人寄りの造形をした頭から、警察犬とも名高いシェパードの如き頭へと変貌したダルメシマン。
子供はこういったものに恐怖する。トラウマを植え付けられる。がぶりと一噛み……までは行かずとも威嚇の遠吠えでもしてやればもうくっついてくることはないだろう、と鋭利な牙を見せつけるようニタリと笑う。
「ウォウォーン! これこそ俺が『完牙』と呼ばれる所以! どうだ、分かったらさっさみょ」
突然の変な声だが、別に噛んだわけではない。むぎゅ、と長い鼻を捕まれたために台詞が詰まっただけだ。
……完全に遊び道具として認識されている。
「ワンチャン! キャッキャッ」
「てめ〜っ試合になったら覚えてろよ〜!」
拳を握りしめわなわなと震えているが、殴りかかる様子はない。完璧超人は試合の外での乱闘は御法度であるがために。……まあこの状態のピークア・ブーに手を出すとギャン泣きするし
なお、ダルメシマンのみではなくマーベラスの双龍も赤子の好奇心の被害に遭いかけた。……ケンダマンなど玩具の化身超人がピークア・ブーと出会わなかったのは幸いだったのかもしれない。
超人墓場は少し騒がしくなったりするけれども、完璧となるための場――その役割を変わらずに果たし続けていた。
「急成長超人……成る程、そういう訳か。超人、それも成人の体格をした赤子の世話など大変だろう?」
「ずっとココに幻影をかけ続けて寝ずの番人をしているミラージュマンほどじゃないから心配はいらないよ」
「…………そうか」
未だサタンから体を取り戻せる算段がついていない死人であるサマルより己の方が大変だ、と思ったことは一度もない。
――ただ一人、死んでいる始祖。それでもなお、職務を全うし続ける忠臣。
サタンの侵攻を防ぐために自死を選ぶ。彼の見せた忠義は、完璧超人の死の掟をさらに厳格なものへと変えた。彼は他の完璧超人の模範として行ったわけではない、と言うが、捨て身の献身は他者から見て
彼は超人パワーを作り出すことができる唯一無二の装置、
承諾しなかった理由はそれだけではなく、サマルが
現し世は夢。鏡の世界こそ誠。それを己の信条としたのはいつからだったか。……
ゴールドマンは地上の超人らを指導するべく下野した。戻るよう説得に向かったシルバーマンはゴールドマンの話を聞くうちに感化され、同じく超人へ指導を始めた。かくして地上に二つの勢力が出来上がった。
もはや我等と相容れぬ存在になってしまった二人の決着――ジャスティスマンが見届けたその争いは、互いに首を切り落とす相打ちの形で終わりを迎えた。
……命を失おうともその意思はマスクと共に地上に残り、超人墓場へ死人としては現れなかった。
ではサマルはどうだ? 依代も何も無い状態の魂は……いつまで存在し続けられる?
――いつ消えてもおかしくない彼が、ずっと
――ピークア・ブーと関わる中で、サマルは誰にも語っていない話がある。
視界の及ぶ範囲に他の超人がいない時……サマルとピークア・ブーが二人ぼっちになった時のことだ。
「急成長超人、か」
「ホギャ?」
呼んだ? と反応するが特に何をするわけでは無いとわかったのでぷいっとそっぽを向くピークア・ブー。積み木を重ねて、崩して、転がして。自由に遊んでいる。
「武道は試合が終わったらお前をいつもリセットするけどな……成長は他人が支配していいものなんかじゃない。自分の意思で選び、伸ばせるものだ」
『完恐』、と最初にそう呼んだのは誰であったか。その名前のためだけに、ストロング・ザ・武道は――あの人は、ピークア・ブーを完全に支配下に置いている。反抗は「可愛いやつよ」の一言で流される。何をしようとリセットは執行される。
それが、あの時、俺へ語りかけるあの大魔王と重なるようで。とても……嫌だった。
「もう、何を言っても俺じゃあ届かないんだろうな」
ゴールドマンとシルバーマンは既にキン肉大神殿に黄金のマスクと銀のマスクとして祀られている。キン肉サダハルはキン肉マンネメシスとして
物語は確実に進んでいる。……時を待つしか、自分にできることは残されていない。
いや、出来そうなことはあった。が、それは人の目を掻い潜り行わなければならないうえ、上手くいくかは未知数。
ザ・マンの持つ祭壇、そこへ始祖の持つダンベルを全て嵌めることで
もし俺が消滅を一手に引き受けた場合、消えるのはサタンに奪われた肉体も共になのか、ここにある魂だけなのか、死人は認識せず俺以外の始祖が全員消滅するのか。それが何一つとして分からなかった。
…………サイコマンだからこそ、あの細工は出来たのかもしれない。超人閻魔から信頼が厚く、単独行動を咎められない。だからこそ、誰も知らない間に細工をできた。俺が同じような細工をしようとしても、まず一人になれる時間がかなり減っているから難易度がそこで上昇する。
「ヴー」
「ああ遊びたいのか、ごめんな」
一人遊びに飽きたのか一緒に遊んでくれ、とでちでち地面を叩いて主張している。ご機嫌斜めだ。
……さっきの俺の独り言を聞いたのはここにいるピークア・ブーだけ。赤子の頃に聞いた言葉を覚えているかは分からない。純粋無垢な存在へと巻き戻される際、共に消される記憶なのかもしれない。
――俺は、始祖の管理から離れて成長しようとする超人達へ何を残せるだろうか。
神の裁きが下る前のあの頃のことを忘れずにずっと覚えていたい。同じぐらいに、誰かに自分のことを覚えていて欲しい、と願う。それは技術であったり思い出であったり、これと決まったものはないのだけれど。
何かを感じ取ったのか、突然サマルの頭を撫でようとピークア・ブーがぐいいと腕を伸ばす。
「イーコ、イーコ」
「……ありがとうな」
力加減がわかっていないその手を、サマルは優しく握った。