「……次ですね」
「そうやな」
トイレでジェミニと別れた後、スパさんと合流してレースの見学をしていました。
三つのレースを見終え、次はナイトが走るレースです。
「ナイトは病み上がりやけど大丈夫なんかな……」
「昨日の夜は「どれくらい調子が戻ったか確かめないと」って言ってました」
「ふーん……どっちつかずのコメントやな」
「あ、それと「明日のレースは私が勝つ」とも言ってました」
「お、おう……自信満々やん……。ナイトがそこまで言うなら今日のレースは決まりか?
「……でも本当に大丈夫なんですかね?
怪我から復帰したばかりのウマ娘が勝ったという話はほとんど聞きませんけど……」
今までのデータからすると、怪我復帰後はどんなにすごいウマ娘でも成績が芳しくありません。
「それはそうやが……ナイトもその道理が分からんわけでもないやろうし、その上で勝つって宣言したんや。
少なくとも勝てる算段はあるはずやで」
「……そうですよね」
友達としてナイトには勝ってほしい……なのでスパさんの言葉を聞いて安心しました。
「っと、そろそろ始まりそうやな」
レース場の方を見ると、全員がゲートインを終え、後はレース開始を待つだけでした。自分が走るわけでもないのに緊張してきます。
ガコン!
ゲートが開く音と共に、全員がスタートを切ります。3枠のナイトは私のように出遅れる事もなく、好スタートを決めました。
ナイトはその勢いのままに先頭に立ちます。
あれ? でも……
「……ペース、速ないか?」
「そうですね……ナイトは先行タイプなのにあれじゃ逃げのペースです」
「んー……イレギュラーを恐れたんか?
前に誰か居ったら垂れてきたり、進路ふさがれたりがあるかもしれんけど、先頭を走ればそういう紛れが無くなるからな」
「けど自分のペースを崩してしまっては、最後の方でへばってしまうのでは?」
「確かになぁ……」
ナイトの走りに一抹の不安を抱えたままですが、レースはどんどん進んでいきます。
ナイトが先頭のままで集団は第3コーナーに差し掛かりました。
「……ナイト、全然ペースが落ちませんね」
「……これはもしかしたら……」
「スパさん、何か気づいたんですか?」
「あーいや、タイム見てないからどうも言えんけど……」
会話の間にもレースは進み、集団は第四コーナーへ。そこで先頭のナイトが更にペースを上げました。
「スパート!? 逃げで!?」
思わず立ち上がり、大きな声を出してしまいました。
普通、逃げのペースで走れば必要以上にスタミナを消費してしまう。
最終直線で更に加速する体力なんて……
「……いや、逃げやないで」
「えっ?」
「ナイトは自分のペースで走ってたんや。
周りと比べてナイトが速すぎるから相対的に逃げのペースに見えてただけで」
「……っ!」
先行のペースで先頭に? そんなとんでもない事が……
「なんやナイトの奴、怪我する前より速なってるんやないか……?
秋華賞での記事の見出しは「ナイトグライダー、奇跡の大復活!」で決まりやな」
そのままナイトは何バ身差か分からない程の差をつけてゴールしました。
圧倒的な勝利。その走りには怪我の影響など一切感じられません。
速い……一体どうすればあんな走りが……併走の時にも思ったけど、腕の振り、脚の回転、脚と 腕を連動させる腰と腹筋の強さ。多分ほとんど全部が私より高い水準にある。
……足の筋肉はどうなんだろう? 頼んだら触らせてもらえないかな……。
「……ノール、立つんか座るんかはっきりしたらどうや?」
「え? あ、す、座ります……」
興奮して立った状態から考え事をしながら座ろうとしたせいで、半端な中腰の体勢になっていました。スパさんに声を掛けられ、改めて座ります。
「えらい真剣な顔つきやったな。何考えてたんや?」
「えっと、どうしたらナイトみたいに速く走れるかなって考えてました」
「ふーん……ノールも進歩したなぁ」
「何の話ですか?」
「前にウチらでナイトのレース見に行った時は、ナイトの速さにキャーキャー言うだけやったけど、今は何か盗める事は無いかと観察してるやないか」
「あ、そう言われれば…………昔の私はずいぶんともったいないことをしてたんです。
こんなに理想のお手本があるのにただぼんやりと見ているだけだったなんて」
「……」
またナイトと併走したいなぁ……そしたら近くでナイトの走りを観察できるのに。
でも難しいかなぁ……私が相手じゃ今のナイトにメリットがないし……。
「……本当に変わったな、ノールは。これもあのトレーナーのせい……いや、おかげか」
時間は過ぎ、模擬レースの日の夜。場所も変わって私とナイトの部屋。
二人で今日の事を話していました。
「はぁ~……お風呂入ったら急に疲れが出てきちゃった……」
「今日はお疲れ」
「そっちもお疲れ……すごかったね、今日のナイトの走り」
「そう見えた? ……自分でも驚くぐらいの走りが出来たんだ。
周りの景色は白くホワイトアウトして、普通なら感じられない物が感じられた。
芝が何枚靴に噛んでいるか……血液の循環……踏み込んだ時の筋肉の収縮まで……」
「なんていうのかな、レースを走るために必要な情報しか脳に入ってこなかったと言えば良いのか……神経が髪の毛や爪、果ては靴や蹄鉄にまで拡張されたような……とにかく今まで感じた事のない感覚だった」
ナイトは自分の手のひらを見つめながらしみじみとそう言います。
「もしかして……それって「超過集中(ゾーン)」って奴?」
「ゾーン?」
「あれ、知らない? スポーツとかでよく言われるんだけど……。
人もウマ娘も本能的に一つの事に完全に集中するのは難しいって言われてるんだ。
周りに気が配れないと外からの脅威に気づけなくなっちゃうからね。
けどその本能を凌駕した極限の集中状態……それが「ゾーン」って呼ばれてるんだ」
「周りの警戒に割かれていた脳のリソースを何か一つの事に注いだ時、とてつもない能力を発揮するんだって。
ナイトの場合は感覚の拡張かな。靴や蹄鉄を自分の体のように感じた……一流のサッカー選手がボールを自分の体の延長のように感じるのの上位版みたいな感じ?」
「他にも周りの景色がスローモーションに見えたり、ゴルフとかだとカップの穴が別の物に……アリジゴクの穴やうず潮に見えたりするらしいよ。
それで見えたもの通り、中心に引き寄せられるようにカップインさせられるんだって。
「研ぎ澄まされた五感の情報すべてを無意識に統合して未来視に近い事が出来るようになるって話もあったかな。
人が反応できないスピード、更に予備動作がほとんど無い状態から繰り出されるジャブをボクサーが避けられるのはこのおかげだって」
そこまで一気に語りました。それに対してのナイトの反応は、
「……ず、ずいぶん詳しいね」
結構引き気味でした。
「あ……さ、最近読んだ本に書いてたから……あはは……。
一方的に喋ってごめん……」
知っている事なので、つい熱く語ってしまいました。
前のめりになっていた体を戻し、ベッドに深く座り直します。
「とりあえずゾーンについては分かった。でもどうしたらゾーンに入れるんだろう……?
いつでもあの走りができれば、怖いもの無しなんだけど」
「う~ん……意識的にゾーンに入るのは難しいと思うよ。
気が付いたら入ってたって事がほとんどらしいし……それにゾーンに入っている事を認識した途端に集中力が切れる事例もあったらしいよ」
「そうなんだ……ノールはゾーンに入った事、ある?」
「私? 私は……それらしき体験をした事は無かったと思う」
靴や蹄鉄にまで感覚が拡張したなんて事もなければ、血液の流れを感じた事も当然ありません。
「でも一回は体験してみたいなぁ……自分の意識が一つの事、ただそれだけに注がれる感覚。
それにゾーンに入るって響き、何かカッコいいし」
「カッコいいかどうかは置いといて……ノールならいつかきっと入れるよ」
「だといいんだけど……ゾーンに入れるかどうかは生まれつきの素質に左右される部分が大きいんだよね。
本能が強いと注意が散漫になりやすくて一つの事に集中できない。だから本能が弱い人ほどゾーンに入りやすいんだ」
「本能の強さ……何か見分ける方法ってあるの?」
「う~ん……例えば耳をどれだけ動かせるかどうかとか?
天敵のいた昔は、音がした方向に耳を向けて危険がないかを探る必要があったんだけど、天敵のいなくなった現代では危険を探る必要が無いから耳の筋肉がだんだん衰えて来てるんだ。
だから耳を良く動かせる人ほど、より野生に近い……つまり本能が強いんだって」
「耳……私はあんまり動かせない。親にも「あんたはあんまり耳に感情が出ないね」って言われたことがあるし……」
ナイトが試しに耳を動かしていますが、少しぎこちないです。それに比べると私は……
「ぐるんぐるん動くや、自由自在だよこれ……」
その自由さたるや、縦も横もどんとこいの可動域270°です。
「すごいね……宴会芸で使えそう」
「そんなものよりゾーンに入りやすい体に生まれたかったよ……」
耳を伏せて落ち込みます。
「そんなに落ち込まなくても……他に指標になるものって無い?」
「他? ……足の小指の関節の数とか?
人やウマ娘の祖先である猿は木に登るために、足の指が長くて小指の関節も三個あるんだけど、木に登る必要がなくなった人やウマ娘の指は退化して短くなり、小指の関節も二個になったって言われてるんだ。
今でも足の小指の関節が三個ある人は、より野生に近い……つまり本能が強いんだって」
「ノールは?」
「…………三個」
自分の足の小指を見ますが、三つの関節がはっきりと確認できてしまいます。再度耳を伏せて落ち込みました。
「……ま、まぁでも体つきが野生に近いなら足の指も長いんじゃない?
足の指が長いとしっかり地面を踏みしめられるからそんなに悲観しなくても……」
「指の長さか……ナイトのと比較してみても良い?」
「うん」
ナイトの右隣にまで移動し、同じベッドに腰かけます。私は左足、ナイトは右足の膝を立て、互いの足を並べました。その結果は……
「……ナイトの方が長い」
「そ、それは……ほら、私の方が足が大きいから必然的に指も長くなるし……」
「足の比率込みでも明らかにナイトの方が長い! それに小指の関節は二個だし……せこい」
「せこい、って言われても……」
「だって良いとこ取りじゃん~……私なんか短指に関節三個、恵まれてなさすぎだよ……」
自分の肩に頭を乗せ、再再度落ち込みます。
耳は完全に力を失い、重力に負けてしまっていました。
「か、関節の数や耳が動くかどうかでゾーンに入れるかがはっきり決まるわけじゃないし、そんなに凹まなくても……」
「でもゾーンに入ったことのあるナイトは耳が動かないし……関節二個だし……それに指長いし……」
「それはそうだけど……」
ナイトは苦笑いをしながら返答に困っています。その様子を見て、自分でも子供っぽいことを言ってしまったと思いました。
「……ごめんねナイト、拗ねた事言っちゃって。生まれつきの物に文句を言ってもしょうがないよね」
「ノール……」
立ち上がり、自分のベッドに戻ります。
「また明日から練習頑張らないと。本番のレースが一か月後に迫ってるし」
「紫苑Sだっけ?」
「うん、近々出走表も出る予定……後一か月。
そう考えるとトレーナーさんと出会ってから結構時間が経ったんだなぁ……約二か月か」
この二か月、トレーナーさんの力を借りたおかげで飛躍的に成長できました。
細かい走りの改善に、ジェット走法の習得、模擬レースでも一着を取りました。
もしトレーナーさんと出会っていなかったら、どうなってたんだろう……。
無理なオーバーワークを続けて体を壊していた? 闇雲にレースに出て、負け続けていた? 自分には才能が無いからと諦めてトレセン学園を去っていた?
いずれにせよ、あまり碌な事にはなってなさそうです。
そんな事を考えると、私を指導してくれたトレーナーさんに自然と感謝の念が湧いてきます。
それと同時になにか恩返しが出来ないかとも思いました。
……やっぱり私がレースに勝つ事が一番の恩返しになるのかな……?
トレーナーさんが私を指導し始めてから、私がレースで勝ったとなれば、それはトレーナーさんの指導力の証明になるわけだし。
そうして箔が付いたら、トレーナーさんの今後の活動の助けになるはず。
そう考えると、ますますレースに勝ちたいという気持ちが強まります。
……でも本人にこういう事言ったら、きっと「お前は余計な事気にしてないでレースにだけ集中しろ。もしそれが原因で負けたら大反省会だぞ」とか言うんだろうな……。
脳内で勝手にトレーナーさんの言動を妄想していると、なんだか可笑しくて口元が緩んでしまいます。
「ノール、どうしたの? 急に黙ったと思ったら今度はニヤけて……」
「え? あ、いや、何でもない……///
そ、それよりもうこんな時間! 早く寝ないと!」
締まりのない顔を見られて、恥ずかしい思いをした私は時刻を理由に、その場をはぐらかしました。
ベッドに横たわり、布団を被ります。
「じゃあ、お休み」
「お休み」
リモコンで電灯の灯りを消し、目をつむりました。
(sideナイトグライダー)
「……」
暗い部屋の中、寝る為に目を閉じる。そして眠りにつくまでの少しの間、考える。
……今日のノール、すごかった……。特に最後の直線。
1800mも走っているのにあれだけ加速できるなんて……。
オリジナルのスパさんほどではないにしろ、中距離であの追い込み速度は相当強い武器になる。
併走した時とはまるで別人の走りだった。私の想定をはるかに上回るノールの成長速度。
……ノールと一緒に競争する日もそう遠くはないかもしれない。
同じ芝の上に立てば敵同士、勝つか負けるかの真剣勝負。
一つしかない一着の座をノールと奪い合う事になる。けど……
怖い。友人の一着の座を奪うのが。
嫌だ。誰かに一着の座を奪われるのは。
もしもノールと同じレースを走る事になった時、きっとこの相反する感情を処理しきれそうにない。
その瞬間を想像しただけで憂鬱になる。
けれど昨日ノールが言っていた通り、近い内にどうこうなる問題ではないと思う。
……その時が来れば考えれば良い、か……。
そう思う事で一旦は心に整理を付けた。できればその時なんていうのは来ずに、杞憂で終わって欲しいものだ。
盛大にフラグを立てつつ、次話へ……。
スポーツものあるある。強キャラ、ゾーンに入りがち。
やはり作中でのゾーンの語りについては作者の勝手な考えで、なんら科学的根拠に基づいてないので真に受けないようにしてください。
後、ウマ娘の祖先を人と同じ猿として扱っていますが……まぁ独自設定と言う事で一つ勘弁を……