私がターフで転ぶまで   作:RKC

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十五話 天啓

 ジェミニに喝を入れてもらってから、午後の授業を終えて放課後になりました。

 今はトレーナーさんに立ち会ってもらいながら、トレーニング前の準備運動をしている最中。

 

「あの、トレーナーさん。ちょっといいですか?」

「ん? なんだ?」

 

 午後の授業中ずっと、ナイトに勝つためにはどうすれば良いかを考えていましたが、結局は昼休みの時と同様、何も思いつきませんでした。

 そこでこの件について、トレーナーさんに相談してみようと思ったのです。

 

「トレーナーさんも出走表は見ましたよね?」

 

「あぁ、見たが……」

 

「ナイト……ナイトグライダー。彼女に勝つためにはどんな練習をすれば良いと思いますか?

 正直な所、今のままの練習を続けても彼女に勝てるとは思えないんです。

 模擬レースの時に見た彼女の走りと自分の走りを比べて、その差に途方に暮れるばかりで……」

 

「…………」

 

 私が思っていることを全て話すと、トレーナーさんはしばらく黙り込んでしまいました。

 

「……確かに、今のままじゃあナイトグライダーに勝つのはかなり難しいだろうな」

 

「やっぱりトレーナーさんから見てもそう思いますか?」

 

「あぁ……あいつはお前の同期の中でも頭一つ抜けた実力を持ってる。

 普通にレースをすれば百回やっても一回勝てるかどうか……。

 唯一、期待できそうなのは怪我復帰後の初レースという点だが……模擬レースで走っている映像を見た限りでは怪我の影響は見られなかったな」

 

「……望み薄ですね……」

 

 トレーナーさんの口から私が勝てそうに無いという発言が飛び出し、私の心はどんどん落ち込んでいきます。

 それでも何か起死回生の方法があるのでは、と期待して続きを聞きます。

 

「ここでお前の質問、彼女に勝つためにはどうすれば良いか、だが……はっきり回答すると、分からない、だな」

「え……?」

 

 しかしその期待は裏切られました。

 

「後一か月という短い期間で、彼女に匹敵するだけの速さを手に入れるのは無理だ。俺が知っている知識の内ではな」

 

「そ、そうなんですね……でも、私は二か月でかなり速くなれましたけど……」

 

「それは出来ていない部分が多かったからだ。少し気を付ければ直せる粗(あら)、それらを改善していったから飛躍的に成長できた。

 それとジェット走法を習得できたことも大きい」

「だが今はすぐに直せる粗(あら)はほとんどなくなり、新しい走法の習得もこれ以上はメリットが無い。

 ここからは地道な研鑽を重ねて走りを徐々に洗練させていくしかない。そしてそれは短期間で大きな成果が出るようなものじゃない」

 

「……」

 

 トレーナーさんは淡々と今の状況を私に説明します。

 

「レースに出る以上勝ちたい、って気持ちは分かる。

 お前の場合は特にだろうが……勝負ってのは全部勝たなきゃいけないわけじゃないし、全ての勝負に勝てる奴なんかいない。

 負けから学べる事もある。今回は相手も悪いしな」

 

「……だから今は地道に練習を積み重ねるべき、って事ですか? 特別な事はせずに……」

 

「長い目で見ればな……。

 負けが濃厚だと分かっていても、その次を見て腐らずに練習することも大切だ……俺はそう思うぞ」

 

「……そう、ですよね……」

 

 トレーナーさんの話を聞いた私は自然と同意の言葉を口にしていました。

 それはトレーナーさんの話が正しいと思ったのが半分、同意することで、楽になりたいというのが半分でした。

 

 どうしたらナイトに勝てるのか……それについて半日悩んでいましたが、答えは全く見えませんでした。

 今までは自分のやるべきことがはっきりしており、それを毎日こなしていくだけ。

 しかし、今は何をするべきかを自分で見出さなければならず、それなのに何も思いつかない現状に、ひどい閉塞感を感じています。

 

 例えるなら今までは亀裂の入った壁を登ろうとしていたのに対し、今は真っ平らな壁を登ろうとしているようなものでしょうか。

 

 亀裂の入った壁は、亀裂のガイドに従って登っていくだけ。その道が険しくとも、進むべき道が見えている以上、道中で迷ったりはしません。

 

 しかし、真っ平らな壁を登るには、まず自分で亀裂なり突起なりの取っ掛かりを作る事から始めなければいけません。

 どこにどれだけの亀裂を作れば壁を登れるのか……それがどれだけ考えても分からないのです。

 

 仮に何かを思いついて、その道を進んだとしても壁を登り切れる保証は無し。しかも壁は山のように高いと来ています。

 

 遠すぎる目標まで道なき道を切り開かなければいけないしんどさ……半日だけとはいえ十分味わいました。

 それをこれからずっと感じるのか、と思うと胃がキュッ、と収縮するのです。

 

 だからこそトレーナーさんの「負けても良い」という言葉を受け入れてしまえば、幾分か気が楽になります。

 

 けど……。

 

 その言葉を受け入れるのはただの甘えなのではないか、という考えも頭にあるのです。

 トレーナーさんやスパさんの時間を割いてもらって指導を受け、ジェミニには相談に乗ってもらいましたし、励ましてもくれました。

 それなのに「負けても良い」なんて気持ちで勝負に臨むのは、やはり皆をないがしろにしているような気がします。

 

 それにやっぱり負けたくない……。

 

 それらの相反する感情がもやもやと私の心を支配していました。そこにナイトとギクシャクしている件も混ざって、パンクしそうです。

 

 カオスな心情で俯いているその時、頭に何かが当たる感触が。その感触は次第に手や足にも広がります。

 

「ん……雨か。予報じゃ夜までもつって言ってたんだがな……とりあえず屋根のある所に避難するぞ」

「はい……」

 

 トレーナーさんと一緒に校舎まで戻ります。少し濡れた体をタオルで拭いている間に、雨足はどんどん強まり、ザーザーとうるさい程になりました。

 

「まいったな、これじゃ外で練習出来ないぞ……」

 

「そうですね……」

 

「……ノール」

 

「なんですか?」

 

「今日はずっとパッとしない顔をしてるが……悩み事か?」

 

 今日の私の態度はトレーナーさんから見てもはっきりと分かるぐらい変だったようです。

 

「はい……ちょっと色々な事がこんがらがってて、上手く説明出来ないかもしれませんけど……聞いてくれますか?」

 

 トレーナーさんに問い詰められ、素直に相談してみようと思いました。前にも一人で悩みを抱えて、勘違いの結果、寝不足になった経験がありましたし……。

 

「あぁ」

 

 トレーナーさんの肯定の言葉を聞き、自分の悩みをどう順序だてて話そうか、雨景色を見ながら考えます。

 

 鉛色の積乱雲はまさに今の私のカオスな心持ちと一緒だな……なんて詩的な事を思い浮かべていると、

 

 雨

 

 その言葉が頭に焼き付いてきました。それと同時に昼休みのジェミニの言葉もフラッシュバックします。

 

(これが学力テストなら、時間が無い時はヤマ張るなりして上振れを狙うんだが……)

 

 ヤマを張る……

 

 「雨」そして「ヤマを張る」。

 その二つの言葉は私の中で溶け合い、ある閃きをもたらしてくれました。壁に亀裂が。

 

「雨……不良バ場なら……」

「……ノール?」

 

 ハッ、と目を見開いたかと思えば、顎に手を当てて何事かを呟く私を不審に思ったのか、再び声を掛けてくるトレーナーさん。

 

 しかしその声は私の耳には入りません。ひらめきを具体的な考えに落とし込むので精一杯でした。

 

「……トレーナーさん」

 

 そして、私のひらめきが現実的なモノなのかを確認するため、トレーナーさんに意見を求めます。

 

「なんだ?」

 

「雨が降った後の不良バ場でレースを行う場合……荒れますよね」

 

「まぁそうだな。芝の場合は芝が濡れて滑りやすくなるのと、下の土壌が柔らかくなって走りにくくなるからな」

 

「……もし私が今日から不良バ場での練習を続けたとして……レース本番が不良バ場になればナイトより速く走れるかも……」

 

「お前……」

 

 私の言葉を聞いて、トレーナーさんはびっくりしたように眉を持ち上げました。

 

「今思いついた事なので、有効な手段かどうかは分かりませんが……トレーナーさんはどう思います?」

 

「…………必ず勝てる、とは言えないが……見込みはある。

 普通ならわざわざ不良バ場を想定して練習する奴はいないからな。

 せいぜいが天気予報を見て、一週間前から急いで仕上げるくらいだろう。

 お前だけ不良バ場に慣れておけば、大きな走力の差を覆すこともできるはずだ」

 

「なら……!」

 

 トレーナーさんの言葉を聞いて自然と顔がほころびます。

 

「しかし、当然本番の日、その前日が雨という保証は無い。

 雨の日は一年の三分の一以下しかないからな。

 それに最近の競技場は水はけが良くなるように改修もされている。大きな走力の差を覆すほどの悪路になる可能性はかなり低いぞ」

 

「それは……分かっています。確率が低い事は。……でも」

 

「それにだ。雨の日や不良バ場の練習をし続けるのは、変な癖を作る原因になるかもしれない。

 雨の日、不良バ場ってのは本来、異常な状況だ。だからこそ皆が全力を発揮できない。

 その異常な状況に慣れるって事は、正常な状況……晴れの日、良バ場で全力を発揮できなくなるかもしれないんだぞ」

 

 トレーナーさんは諭すようにそう言います。

 その内容は一切反論が出来ないほど正しくて、自分の意見がひどく幼稚な物のようにも思えました。

 

「トレーナーさんの意見は分かります。分かります……けど! 自分の考えを信じてみたいんです。

 ……半日だけですがどうやったらナイトに勝てるんだろう、ってずっと考えてたんです。

 それこそ授業も手につかないぐらいその考えに占拠されてました。

 でも何も思いつかなくて、さっき曇り空を見てやっとひらめいたんです。不良バ場なら勝てるんじゃないかって」

 

「……」

 

「多分、私の思い付きは幼稚で勝算も低いものだと思います。

 けどやっと思い付いた、大切にしたい思い付きなんです。

 ……自分で思いついた物だから良いアイデアだと思い込んでるだけかもしれないですけど……それでも! 私はこの思い付きと心中してみたいんです!」

 

 後半の方は気づかない内に大きい声になっていました。

 言い切った後、トレーナーさんはしばし口を閉ざした後、声を出します。

 

「…………きちんとデメリットは理解してるんだな?」

 

「は、はい!」

 

「そうか……なら良い。レースまでお前の考えと心中だ。不良バ場の練習をするぞ」

 

「え……い、良いんですか?」

 

「良いも何も……お前から言い出した事だぞ?」

 

「それはそうですけど……もっと反対されるものかと。結構無茶な事言ってますし……」

 

 私自身、結構無理な事を言っていると思っていたので、反対されなかったのはかなり予想外でした。

 

「無茶って自覚はあるんだな……ま、俺の話を聞いて、それでもやってみたいとお前は思ったんだろ?

 ならそれ以上とやかく言わないさ。俺はお前の手伝いをするだけだからな」

 

「トレーナーさん……」

 

「それに少し前まではパッとしない顔だったのに、今は吹っ切れた顔をしてるしな」

 

「え……?」

 

 そう言われて自分の顔を触ってみますが、もちろん違いは分かりません。

 

「どんな悩みを抱えてたのかは知らないが、お前の思い付きはその悩みを吹き飛ばすくらいには、お前にとって大事な物なんだろうよ。

 だったら無茶でもなんでもやってみればいいさ」

「……はい!」

 

 大きな声で返事をしつつも、自分の内側に意識を向けます。さっきまで押しつぶされそうなほど私の心を占めていた、何をすれば良いか分からない閉塞感は全くありません。

 代わりに感じているのは高揚感。

 

 ナイトと勝負出来る……! かも……。

 

 ぎゅっ、と拳を握りこむと、思ったよりも力がこもってしまいました。かなり興奮しているようです。

 (はや)り気味の心を落ち着けるために、一つ深呼吸をします。それで少しは収まりましたが、高揚感は依然として引かないままです。

 

 ふわふわとした心地よい気持ちを味わっていましたが、一つだけ心に引っ掛かっている事が。

 

 あ……でもナイトと気まずくなっている問題はまだ解決してないのか……

 

 彼女は私と競う事が辛いと言っていました。

 

 私はこんなに興奮してるんだけどな……。私とじゃなければナイトも勝負に対して興奮するのかな……? 

 

 ナイトについて考えると、お昼にジェミニと話していた内容を思い出してしまいます。

 

(そいつの言い分は勝つ事が前提じゃねぇか。お前に勝つのは大前提、それはそれとして友人から勝利を奪ってしまって心が痛む……って事だろ。

 それのどこが上から目線でもなく、見下されてもないって言えるんだ?)

 

「……」

 

 それを思い出してまず浮かんできた感情は不満でした。あの時は弱気になっていたので何とも思いませんでしたが、勝負しようという気になった今は別です。

 

 私は本気でナイトに勝とうと思って、差を埋めようと不良バ場だけに焦点を当てて練習しようとまで思いました。

 

 それなのにナイトは私とのレースを「勝負」とすら思っていないかもしれない……。

 

 それはジェミニの勝手な推測が元なのですが、それをわかっていても心がモヤモヤします。

 

「……トレーナーさん。少し用事を思い出しました。

 それが終わったら外を走るので、カッパを用意して待っていてくれませんか? いえ、ください」

「え、あ、あぁ……分かった」

 

 私はそれだけを言って、ナイトとの問題にケリを付けに行きました。

 

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