ナイト、まだ教室に残っているかも……。
まずはそう考え、教室のある二階に向かいます。その途中、階段の踊り場で偶然ナイトと出くわしました。
「「!……」」
いきなりの事に二人とも固まってしまいました。そのまましばらく膠着状態。
しかし気まずさに耐えかねたのか、ナイトが私とすれ違うように階段を下りていこうとします。
「あ、待って!」
私も遅れて正気を取り戻し、ナイトを呼び止めます。
「そ、その……一緒に走るレースの事についてなんだけど……」
「……っ、何……?」
私がそう切り出すと、明らかにナイトの顔が曇りました。
「えっと……つまり……」
呼び止めたのは良いものの、急にナイトと鉢合わせたせいで、上手く言いたいことがまとまりません。
彼女を見つめたまま、もごもごとしていると、ふと気づきました。
彼女が私からずっと目を逸らしている事に。
その瞬間私の身体は勝手に動いていました。
「……ナイト!」
一歩前に踏み出して、彼女の頬を手で挟み込みます。そして強制的に私の方を向かせました。
「な、何……!?」
至近距離まで詰められ、なおかつ実力行使に出られたナイトはかなりびっくりした様子です。
しかしそんなことは気にも留めず、私は続けます。
「私は……弱い! それこそナイトの足元にも及ばないぐらい。だけどみすみす負けるつもりはない! 後一か月、死に物狂いで頑張って絶対勝つから!
だから私に勝つ心配なんかしなくても良いからね! 分かった!?」
自分でも何を言っているかはよく分かりません。ただ感情のまま、心のままに思ったことをぶちまけました。
「……う、うん……うんうん……」
私に詰められたナイトは、何度も首を縦に振ります。
「良し! じゃ、その首、洗って待っててよね!」
それだけを言い残し、私はその場を去りました。
(sideナイトグライダー)
「…………」
ノールのあんな姿、初めて見た……。怒ってた……よね……
それもそのはず。私は友人と競いたくないという自分勝手な理由で彼女を遠ざけていたのだから。
それに私は心のどこかで、彼女に勝つ事を申し訳なく思っていた。レースで競えば私が勝つという前提の元。
それは彼女を下に見ていたことに他ならないわけで……。
(私は……弱い! それこそナイトの足元にも及ばないぐらい。だけどみすみす負けるつもりはない! 後一か月、死に物狂いで頑張って絶対勝つから!)
そんな私の心を見透かされていたのかもしれない。
……ノールが怒るのも当然だ。彼女は本気で私に勝とうとしている。
それなのに私は訳の分からない事で悩んで、勝手に彼女を遠ざけて、無意識に見下して……。
自己嫌悪でどうにかなりそうだった。自分の頬をギリギリとつねり、どうにか気を静める。
「ごめん……」
誰にも聞かれていないのに、その言葉を口にしていた。
「でも、やっと目が覚めた」
ジンジンと痛む頬の熱が体に広がっていくような感覚。それはまるで彼女の心の熱が私に分火したかのようだった。
……全力を尽くそう。そして勝つ。絶対に。
拳を握りしめ、そう心に誓う。
「お、こんな所に居ったんか」
そんな時に階段の上から聞きなれた声が。
「スパさん」
「探したで。なんやノールとおんなじレース走る事になったらしいな」
「はい……もしかして、その件で励ましに来てくれたんですか?」
「ん、お見通しかいな。……ノールから話を聞いたんや。ナイトが悩んでるってな」
「そうですか……でも、もう大丈夫です」
「大丈夫?」
「はい。もう大丈夫ですから」
「……やせ我慢ってわけでもなさそうやな。
解決したなら何よりやけど、何か心変わりするような事でもあったんか? 少し気になるなぁ」
「ついさっきノールに宣戦布告されてしまいまして。それで色々吹っ切れたんです」
「宣戦布告、ねぇ。ふふ、って事はなんぞ策でも思いついたか……まぁなんにせよ気張りや。
一か月後のノールはきっと手ごわいでぇ?」
「そう……でしょうね」
……やってしまった。
やってしまいました。数日に渡って悩み続けてきた反動なのか、変な思い込みを元に暴走してしまいました。
「はぁ~~~……」
大きなため息を一つ吐き出します。
ナイト、すごい戸惑ってたなぁ……そりゃそうだよ。
いきなり頬を挟まれて、挑発じみた滅茶苦茶な事言われて……。
しかも何? 「その首、洗って待ってて」……って!? どういう捨て台詞!?
自分の行いを思い出すと、全身が無性に痒くなってきました。
うぅ……これも全部ジェミニのせいだ。
ジェミニが変な事私に吹き込むから暴走したんだ……。それに捨て台詞もジェミニに影響されたせいだ……。
道中、責任転嫁をしながらトレーナーさんの元まで戻ります。
「戻りました……」
「……何かあったのか?」
少し肩を落としている私を見て、トレーナーさんはそう聞いてきます。
「いえ……ちょっと暴走してしまいまして……」
「……本当に何があったんだ?」
かくかくしかじか、さっきあった事をかいつまんで説明しました。
「そういうわけで、感情に身を任せてナイトに宣戦布告してしまいました……。
ただでさえ雨の日に狙いを絞る戦法を取るつもりなのに、絶対勝つなんて大言壮語を吐いてしまいました。もう本当に申し訳ありません……」
手で顔を覆いながらそう言います。
「俺に謝ってもどうしようもないだろ……。後で本人に謝っとけよ」
「そうします……」
「ま、お前にできる最高の走りをして、それを認めてもらえば向こうも納得してくれるはずさ。とはいえ勝てなければ……」
「勝てなければ?」
「死ぬほどダサい」
「…………レース前には雨ごいしないといけませんね……」
「テルテル坊主でも逆さに吊っとけ」
トレーナーさんの軽口を聞いて、少しは気持ちが楽になりました。
今日の夜ナイトと同じ部屋で寝る事を考えると少し気が重いですが、今は練習に集中しなければいけません。
「あ、頼んでいたカッパは……?」
「これで良いか? 出来るだけ動きを邪魔しない奴を用意したつもりだが……」
「ありがとうございます」
トレーナーさんから受け取ったカッパを身に着けます。
「……」
その間トレーナーさんは神妙な顔つきで、私の方を見ていました。
「あの、どうかしましたか?」
「……お前、「死に物狂いで頑張る」って言うのは本当か?」
「え……?」
「宣戦布告の時にそう言ったんだろ?」
「それは……はい」
「本当に死に物狂いで頑張るなら、俺から一つ練習メニューの提案がある。
負担が大きいから今まで言いださなかったが……」
「や、やります! 死に物狂いで頑張りますから! その練習メニューって言うのいったい!?」
ここにきて急にトレーナーさんが提案してきた練習メニュー、気にならないはずはありません。
前置きをしてきたからにはかなりハードなトレーニングという事が予想されますが、ナイトに勝つ確率を高められるなら何だってやる覚悟です。
「死に物狂い」というのは決して嘘ではありません。
「端的に言うと底力を鍛えるトレーニングだな」
「底力……ですか?」
「根性と言い換えても良い」
「根性……」
今まで私がトレーナーさんとしてきたトレーニングは、どちらかというと効率的に能力を伸ばす理論的なものだったので、底力や根性という精神論チックな物言いにはピンときません。
「説明するには……そうだな。ノールは筋トレの時に自分ではもう限界と思っても、俺が後一回と言えば、もう一回だけなら出来た経験は無いか?」
「……あ、あります。自分ではこれ以上は無理だ、って感じてるんですけど、トレーナーさんに言われてやってみると、意外と出来たって事があります」
「それはつまり自分では限界と思っていても、余力を残していることが多いって事だ。
すべての力を出し切って倒れないように無意識のうちに力をセーブする本能がそなわってるんだろうな。
そしてその余力は第三者に追い込まれると発揮しやすい」
「ははぁ……」
私が相槌を打った後、トレーナーさんは続けます。
「それは筋トレだけじゃなくて走りにおいても言える事だ。
自分ではスタミナの限界と思っていても、実は余力を残してた……ってケースは往々にしてある。
その余力を残さずに使い切ることが出来れば、実質的にスタミナが増加するのと同じことだ……違うか?」
「それはそうですね」
「しかし、レースでは第三者に余力を引き出してもらう事は出来ない。
……自分より速い奴に引っ張られる形で余力が引き出されることはあるだろうが、それは偶発的なものだ。あんまり期待するものじゃあない」
トレーナーさんはさらに続けます。
「だからこそ、その余力を自分で使い切る能力……底力を鍛えるのは疑似的なスタミナ増強に有効な練習方法だ。
しかもやろうと思えば短期間で身につく。特に雨の日は地面がぬかるんでいつも以上にスタミナを消耗するからな。鍛えておいて損は無い」
「なるほど……!」
底力。意識したこともありませんでしたが、トレーナーさんの話を聞くととてもすごい能力のように思えます。
「そういう事なら底力を鍛えるとトレーニング……ぜひやってみたいです!」
「そのかわり練習は死ぬほどきついぞ。誇張抜きでな」
死ぬほどきつい。いつになく脅すような言葉をトレーナーさんは使います。
しかし、私は怯む事なく答えました。
「大丈夫です! 死に物狂いで頑張りますから!」
「ま、お前ならそう言うと思ったよ……。それじゃあやるとするか。あ、それとは別に一つ条件がある」
「条件、ですか?」
「ハードな練習をする以上は、疲労を貯めないようにマッサージが必要になる。そこで誰か心当たりは無いか?
やり方は俺が教える。お前と相手、相互にマッサージしあえばお互いにとって良い話になると思うが……」
「心当たりですか……」
一番に思いついたのは同室相手のナイトですが、今の状況でそんなことを頼む気にはなれません。
それ以外だとやっぱりスパさんか、それともジェミニとか……あ、それよりも……
「トレーナーさんが私にマッサージするってのは無しなんですかね?」
「…………しても良いが、お前のレースを檻の中から見る羽目になっちまうかもしれねぇぞ」
「え? ……あ! はい、確かにそうなってしまうかもしれませんね……」
私個人としては気にしていませんでしたが、男性トレーナーが担当ウマ娘に過度な身体接触をするのはあまり外聞が良いものではありません。
たとえマッサージだとしてもそうでしょう。
「そういうわけで悪いんだが、誰か候補を見つけておいてくれ。早めにな。見つけ次第練習を始める」
「分かりました……とりあえず今日は雨の日にどんな走りをすれば良いのかを掴んできますね! それじゃあ!」
そう言って、私は校舎の外に駆け出していきました。
外は雨の勢い強く、カッパに当たってはバラバラと小気味よい音を立てます。
いつもは気分の落ち込む雨模様の景色も、今日ばかりは快晴の空にも負けないすがすがしいものに思えました。
ここら辺の描写はもうちょっとジメジメするかと思いましたが、いざ書いてみると結構さっぱりとしました。