私がターフで転ぶまで   作:RKC

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二十話 決意

 ジェミニと連れゲロしてから二週間ほどが経ちました。今日は念願の雨の日です。それもかなりのザーザー降り。

 

 これで重バ場の練習が出来ます。今までも雨が降った日はありましたが、いずれも小雨で馬バが悪くなるほどの降水量ではありませんでした。

 

 私は準備運動を終え、コースの上に立っています。

 

「タイム、きちんと計ってくださいね」

「まかせとけ。雨で滑らない様に気を付けろよ」

「はい」

 

 トレーナーさんに短く返事を返し、構えます。

 

「始め!」

 

 掛け声を合図に、私はスタートを切りました。

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ……はっ、はっ……」

 

 ぬかるんだターフの上を薄いレインコートを着たまま力走します。

 靴が地面につくたび、ぐしゃりと水っぽい音を立てて足が沈みます。

 重バ場は良バ場以上、ダート以下の柔らかさなので、最近ダートで慣らしていた私にとっては走りやすいと感じる程。

 

 垂直に……そして強く……

 

 雨の日は芝が濡れて非常に滑りやすいです。なので足は出来るだけ地面と垂直に、そして強く振り下ろします。

 そのまま芝を踏み抜きながら土もろとも後ろに蹴り飛ばして体を前に進めます。

 

 コース補修係の仕事を増やす走り方を続けながら、2000mの内1600mを走り切りました。普段ならここからスパートを掛けるのですが、

 

 重バ場でいつも以上に体力を消費しているのにゴールまでもつか……

 

 つい、そんな勘定をしてしまいました。

 

 いや、それを確かめる為に今練習してるんだ。それに途中でスタミナが切れても底力で走りきる……!

 

 一瞬で思考を切り替え、一気に速度を上げます。残りは400m。

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……はぁっ、はぁっ……!」

 

 スパートを掛けてから200m。すでに息は荒く、足も疲労で重たい状態です。

 

 予想以上に疲れる……。けど……っ!

 

 体を思い切り前傾させ、歩幅は出来るだけ小さく。ジェット走法に移行します。

 走法を変えれば使う筋肉も変化する……そのおかげで足の疲労感が多少抜けたものの、スタミナの方はかなり限界で、思わずフォームが乱れそうです。

 

 いや……まだ限界じゃない……! もっと絞り出せるはず……!

 

 しかしそこで底力を発揮します。すぐにでも休みたいと訴えてくる体に鞭を打ちながら、非常用に取ってあるスタミナを無理やり引き出し、つま先でターフをえぐり続けます。

 

 ……ゴール……ッ!

 

 そのまま速度を落とすことなく2000mを走り切れました。体感で過去最高の走り。きっとタイヤ引きの練習のおかげです。

 

 これなら……この走りが出来ればナイトにも……

 

 確かな手ごたえを感じながら前傾姿勢の体を起こそうとします……が、走り終えて気が抜けたのか、スタミナを使い切ってしまったのか。体に上手く力が入りません。

 

 やば……っ!

 

 あと2、3歩もすれば転倒してしまう、そう確信して焦る私。

 パニックを起こす頭とは対照的に、防衛本能なのか体は合理的に動いてくれます。

 

 予想できないコケ方をする前に体を捻り、側転、バク転、バク転の三回連続技。それで勢いを殺した後に尻もち。

 

「でぅ……っ!」

 

 勢いを殺したとはいえ、まだまだ速度に乗っている体はそのまま後転。最終的には綺麗な女の子座りの形に落ち着きました。

 

「…………~~~っぶはぁっ! はぁっ! はぁっ……!」

 

 何とか無事に非常着陸できたのを認識した私は、いつの間にか止まっていた呼吸を再開させます。

 それと同時に雨で濡れていた顔を洗い流す勢いで冷や汗が浮かんできました。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 バクン!バクン!バクン!

 

 浅い息遣いと胸骨を突き破りそうな程うるさい心臓の音だけが今の私を支配しています。

 思考はまとまらず、ただ膨大な恐怖とその状況から脱した安堵だけを感じていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ノール! 大丈夫か! ノール!!」

 

 放心していた私を正気に戻してくれたのは、トレーナーさんの声でした。

 

「…………え? あ、はいっ! 何とか大丈夫です」

「痛い所は!?」

 

 そう聞かれて体に意識を向けると、部分部分の痛みを感じてきました。

 

「えっと、手のひらが……少し擦りむいたぐらいです。後は腕とお尻がジンジンします」

「足は?」

 

 恐る恐る立ち上がり、慎重に足を動かしてみましたが、特に痛みはありません。

 

 良かった……

 

 今、足に怪我などをしてしまえば目も当てられません。胸を撫でおろしながら、返事をします。

 

「大丈夫です。問題無いと思います」

「そうか。……ふー……」

 

 トレーナーさんも安心したのか、私にも聞こえるぐらいに大きく息を吐き出しています。

 

「すみません、心配かけてしまって。スタミナを使い切ってしまったせいで、上手く減速できませんでした」

 

 私がそう言うと、トレーナーさんは眉をしかめました。

 

「……とにかく保健室に行くぞ。体を診てもらえ。痛みがなくても異常があるかもしれん。それにこのままだと体も冷える。分かったな?」

「は、はい」

 

 トレーナーさんの有無を言わさない、といった態度に私はタオルで体を拭いた後、大人しく保健室に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手当と検査を終えた私は、保健室の長椅子に座っていました。その向かいにはトレーナーさんが座っています。

 

「何事も無くて本当に良かった……」

「そうですね。骨にも関節にも以上ありませんでしたし」

「……」

「……」

 

 そこから会話が続きませんでした。トレーナーさんは相変わらず眉をしかめたままなので、私からも話しかけづらい雰囲気です。

 真っ黒なサングラスもその雰囲気に拍車をかけています。

 

「その……すみませんでした。レース前なのに無理に走って怪我しそうになってしまって」

 

 とりあえずトレーナーさんが不機嫌そうな原因に当たりをつけ、その事を謝ってみました。

 

「お前が謝る必要は無い。お前はただ懸命に走っただけだ。責任があるなら底力を鍛えさせた俺の責任だ。悪かった」

 

 座ったまま頭を下げるトレーナーさん。

 

「べ、別にトレーナーさんのせいなんてことは……」

 

「いや、俺のせいさ。……お前がスパートで見せるジェット走法、あれは速いが不安定な走り方だ。

 参考元のスーパーチャージャーのように短距離で走るなら問題ないだろうが、2000mの最後、スタミナの乏しい状態で走るにはやや危険な走法だと思う」

 

「……つまり底力を発揮してギリギリまでスタミナを使い切ったから、転倒しかけた。

 だから今回の件は底力の強化を提案したトレーナーさんに責任がある、って事ですか?」

 

「ああ、そうだ。この事を危惧していなかったわけじゃないが……底力を鍛えると言っても本当にスタミナを使い切ってしまうなんて事はまずない。

 無意識のスタミナセーブはかなり強い本能だからな」

「せいぜいスパートタイミングを少し早められる程度だろうと、おそらく大丈夫だろうと、高をくくっちまった。

 けど俺の予想以上にお前は底力を発揮したんだ。それこそジェット走法から体勢を立て直せないぐらいにな。

 ……悪い、長々と言い訳を喋っちまって。本当にすまなかった、この通りだ」

 

 掛けていたサングラスを取り、再度頭を下げるトレーナーさん。

 

「…………」

 

 それを前にして、私は少しの間黙っていました。机に伏せてあるストップウォッチに目を向け、口を開きます。

 

「……トレーナーさん、さっきの私の走りのタイム、どうでしたか?」

「それは……1:59:11だった」

 

 トレーナーさんは机のストップウォッチをひっくり返し、そこに表示されている数字を伝えてくれます。

 

「私、雨の中で2分を切れたんですね……」

 

 トレーナーさんと出会う前の自己ベストよりも速いタイム。それを重バ場で叩き出せたのです。

 

「この結果はトレーナーさんのおかげです。効率的な筋力トレーニングをして、フォームを改善して、ジェット走法を習得して、重バ場の練習をして、底力を鍛えて……そうしてこのタイムを出せたんです」

 

 弾むようにここまでを語りましたが、ここからは声のトーンを下げます。

 

「……けどそこまでしてまだ1:59:11、でもあるんです。次のレースで一緒に走るナイトの模擬レースのタイムを覚えていますか?」

 

「確か1:56:78……だったよな」

 

「はい、差は2秒以上。ナイトの記録は良バ場でしたし、単純に比べるのは間違っていますが……良バ場ではなく重バ場で走ったと仮定しても2秒以上タイムを落とすとは考えられません。せいぜい1秒か1.5秒か……」

「つまり狙い通り雨が降ってレース本番、重バ場になったとしても、ナイトが万全の走りをすれば私は勝てない」

 

 レース本番では様々な要因が絡んでくるので、万全の走りが必ず出来るわけではありません。

 しかしその紛れを期待しなければ勝てないという状態はあまりに受け身で消極的で……。

 

「……私にはまだ足りないんです。危険だからと底力を捨てれば更に足りなくなってしまいます」

「……」

 

 顔を上げたトレーナーさんの目をしっかりと見つめます。

 

「だから私は足します。今足せそうなのは重バ場への更なる慣れと底力ぐらいです。

 だから私はこれからも雨の下を走ります。タイヤを引きます。

 たとえゴール前で力尽き果て、転倒する可能性があっても底力を鍛えます。

 ……そして私の全部を使い切ってでも勝ちたい、一番になりたい」

 

 たどたどしかったかもしれませんが、私が今思っていることを率直に吐き出しました。

 

「……」「……」

 

 しばらく二人で見つめ合ったままいると、先に目線を外したのはトレーナーさんでした。トレーナーさんは少し俯いた状態でサングラスを掛け直し、

 

「……プールでの練習を更に多くしないか? 心肺機能を高めれば疲労が溜まりにくくなる上にスタミナの消費も抑えられる。

 それにプール練習は骨や関節への負荷が少なくて済む。レースまで日が無いが、少しでもお前の足しになると思う」

 

 そう言ってくれました。

 

「はいっ!! 是非そうしましょう! 今日からでも!」

 

 私は大きな声でそう返事しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(sideトレーナー)

 俺は正しい事をしたんだろうか……? 

 

 あれからノールのプール練習に付き合った後、あいつと別れて居室に戻るなり、そう思う。

 

 あいつが何と言おうと底力の練習は止めさせるべきだったのでは……?

 確かに底力を強化すれば今日の……いや今日以上の走りも期待出来るかもしれない。

 しかしあまりに危険だ。今日ですら転倒しかけた、ならば今日以上の走りをすれば……。

 

 最悪の想像をしてしまった。嫌なイメージを振り払うように頭を振る。

 そこまで分かっているなら叱りつけてでもタイヤ引きを止めさせれば良い。しかし俺には出来なかった。なぜか?

 

 あの目だ。あの強い瞳に気圧されたから。

 

(たとえゴール前で力尽き果て、転倒する可能性があっても底力を鍛えます。……そして私の全部を使い切ってでも勝ちたい、一番になりたい)

 

 あいつが異常に勝ちたがりなのは分かっていたつもりだったが……認識が甘かったか。

 

 転倒しかけて大怪我するかもしれない恐怖を味わったばかりなのにあの発言。勝利以外頭に無い、って感じだ。

 

 それに勝ちたいと宣言をした時のノールの目は、俺がトレーナーになる前にも見た事があった。

 あれは確か変な宗教にドはまりしていた知り合いだったか。

 何かの思想を拠り所にし、それを遵守する以外は考えられないといった純粋な瞳。あいつの場合は勝利の二文字が拠り所だろう。

 

 あれらの人種は純粋であるが故に狂信的で、周りの人物に有無を言わせない程の非常に強い眼力を携えるのだ。

 じっと直視されればこちらまでが相手の思想、世界に引きずり込まれてしまう程の眼力を。

 

 ノールに見つめられた後、目線を外しはしたが手遅れだったのだろう。

 結局はノールが転倒しないようにスタミナを補強するトレーニングを追加するだけで、底力を鍛えること自体には反対できなかったのだから。

 

 椅子に思い切り体重を預けると、ギィと背もたれのバネがきしむ音がする。

 

 ……ノールには勝ってほしい。

 普通なら根を上げかねないトレーニングをあの小さな体で必死にこなして、命を削るような走りをしようとしている。

 少しは報われても良いはずだろ?

 

 そう思うのはトレーナーになるのにとても苦労した自分の姿をあいつに重ねているからなのか、それとも単純に自分の担当ウマ娘だからと贔屓しているからなのか……。

 どちらにせよあいつに勝ってほしいという思いも、練習を止めさせなかったのに一役買っていた。

 

 しかし……

 

 世の中には今のあいつがどれだけ頑張って走っても、届かない領域がどうしても存在する。

 スタミナを振り絞って走ろうが、転倒寸前のギリギリの走りをしようが1分59秒を切る事は出来ない。

 それが今のあいつの限界。次のレース、順当にいけばノールがナイトに勝つ事はまず無理だろう。

 

 競バにおいてあいつの143cmという身長に加えて、体格の小ささはかなり不利だ。

 肩回りが狭いせいでそこにある肺も小さく、それは心肺機能の低さに直結するだろう。

 小さいせいで不意の接触にも不利だ。

 背が低ければ、バ群の中で見通しが効きにくい。

 脚力においても統計的に見れば160~170cmあたりの娘が優れている傾向にあり、そこから身長が低くなるにつれて下がる傾向がある。

 

もちろんわずかな隙間をすり抜けられたりなど有利に働く点もあるが、そんなのは微々たるもの。

 

 今まで上げた事項、そんな事はあいつ自身が一番良く分かっているはずだ。

 だからジェット走法を習得したし、弱音も吐かずにタイヤを引いているし、重バ場にヤマを張る、なんて事も言いだした。

 あの年で自分の能力の足りなさを自覚し、それを埋めるための方法まで考えて実践しようとしている……本当にタフな娘だと思う。

 

 そこまで考えると目に涙がにじんできた。

 

……くそっ、なおさら底力の練習を止めろなんて言えるかよ。

 

 眉間を抑えて涙腺が引き締まるのを待つ。

 

 そこでふと、あいつが悲しそうな表情をしているのを見た事が無いのに気づいた。

 

 悩んでいる姿は見た事あるが……ノールの奴、悲しい、と思った時は無いのか?

 

 自分の素質の足りなさ。魂を燃やして走っても届かないライバルの存在。それらを嘆いた時はないのだろうか?

 

……いや、確か俺と出会った時は思いつめていたっけか。

 

 けれどあいつは勝てないのを自分に才能が無いからだ、とはせずに努力する道を選んだ。

 それはひたすら前向きで建設的でポジティブで……だからこそ端から見ていると無理しているように見える。

 本当は自室で落ち込んでたり、泣いていたりしないのだろうか? そんなことを想像してしまう。

 

 ……駄目だ、下手な事を考えすぎだぞ、俺。

 

 勝手な想像をするぐらいなら、あいつの手助けを全力でする。それだけがトレーナーとしての俺があいつにしてやれる全てだ。

 

 俺は追加したプールトレーニングの詳細を詰めるべく、姿勢を正して机に向かった。

 




 加湿器稼働。終盤に向けて湿度を高めていきます。
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