私がターフで転ぶまで   作:RKC

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二十五話 全身全霊

(sideトレーナー)

 

「さぁ、第三コーナー終わって第四コーナーに差し掛かる。前の娘の脚は鈍っている。やはり下りでのペースアップは無謀だったか。

 ……っと、ここで示し合わせたように二人のウマ娘が仕掛けた。ナイトグライダーとノールミサンガ。最後まで持つのか、坂も残っているぞ」

 

「っ! 早い!」

 

 想定より早いノールのスパートに、思わず身を乗り出してしまった。

 

「……二人とも持つんか? いくら序盤がスローペースやったからって流石に……」

 

 スーパーチャージャーも顔をしかめている。彼女から見てもかなりの早めの仕掛けであるようだ。

 

「共倒れにならんとええんやけどな……」

 

 共倒れ。その言葉は二人ともがゴール前でスタミナ切れを起こし、失速してしまう事を指しているのだろう。

 

 しかし、底力を鍛えてスタミナをギリギリまで使い果たせるノールにとっては、早めのスパートは文字通りの倒れる結果に終わりかねない。

 

「第四コーナーも中腹。後ろの娘達もスパートを掛け始める。しかし早めに仕掛けた二人に追いつけるのか。

 二人はもう先頭に追い付きかけている。オーバーペースにも見える速さ」

 

 っ……! ノール……勝てよ……!

 

 最悪の想像を振り払い、彼女の勝利を祈る。

 彼女のこれまでの努力を思い出すと、「勝たなくても良いから無事に帰ってきてくれ」とは心の中でさえ思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ……! はっ、はっ……!」

 

 全力に近い走りを200m程続け、残りは400m。

 

 ……スタミナはまだある。

 

 呼吸は荒れ、足も重たくなってきましたが、まだ走れます。しかし後400mを走れるかどうか……。

 

 ……考えるな。

 

 今は前を走るナイトに置いて行かれないように全力で付いていくだけ。

 暗い不安を胸の内に押しやり、垂れてきた逃げウマ娘達を(かわ)してさらに走り続けます。

 

 

 

 

 

 

「先行二人の勢いが止まらない。

 内のノールミサンガは前を上手く躱してコーナーに逆らわず外に膨らんだ。外にいたナイトグライダーは力強く内へ切り込む。

 二人はクロスの軌道を描いて最終直線へ。後ろを寄せ付けない速さ」

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

 さっきよりも呼吸は荒くなり、ズキズキと肺が痛み出しました。

 一度吸って二度吐く呼吸法も維持できません。疲れで足の回転が落ちそうになるのを意識的に防ぎます。

 

 スパートを掛けてから300mを走ると最終直線に差し掛かり、残りは300m。

 

 いつもなら400m地点でスパートを掛けていたので、300mも走れば100m先にゴールが見えていたはず。

 しかし今のゴールは300mも先。さらに高低差2mの坂が目の前にあるせいで、ゴール板の上の方しか見えません。ゴールがより遠くに見えます。

 

「……~っ!」

 

 前を見ると残りの距離とそびえたつ坂に心が折れそうになるので、ただナイトを見つめて走り続けます。彼女の背中がこれ以上遠くならないように。

 

 

 

 

 

 

「ナイトグライダー、怪我の影響を全く感じさせない力走。後ろに続くノールミサンガも恐ろしい。あの小さな体でナイトグライダーに食らいつくと誰が予想したのか。

 その差は二バ身、残りは200。後ろは上がってきていない。このまま一騎打ちだ。

 しかし中山にはここから坂がある。どちらが先に根を上げるのか。それともこのまま二人、ゴールまでもつれ込むのか」

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 体感的には2000mを走り切ったぐらいの疲労感を抱えたまま残りは200m。

 足がまるで自分の物ではないように重たいです。鉄製の義足に変わってしまったかの様。

 さらに呼吸をするたびに肺に針が刺さったかのような鋭い痛みが走ります。

 

 今すぐ足を止めて休め。

 私の体は痛みを以て、そう主張してきます。

 

 けれど残りは200m。先を行くナイトとは約2バ身差。

 

 なら……

 射程圏内だろうがっ!!!

 

 体を倒して超前傾姿勢、足の回転をさらに速めて坂に差し掛かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(sideナイトグライダー)

「フー……フー……フー……!」

 

 ドクン、ドクン、ドクン……

 ズシャッ! ズシャッ!

 

 私は一人で走っていた。周りは真っ白に染まり、観客も同伴競技者も見えない。

 視界に移っているのはゴール板とそこまでの道のりだけ。

 

 身体を全て自分の制御下に置けている。今ならしゃっくりが起きても横隔膜を制御して止められそうだ。

 

 そして五感は靴や蹄鉄、果てはターフにまでも拡張されていた。私は今、中山競馬場と一体化していると言っても過言ではない。

 そんな最高の仕上がりの中、思う存分走れる贅沢をただ噛みしめていた。

 

 ゴール前の坂にさしかかり、登坂用のフォームに切り替える。コースと一体化している私は、ターフの状態、坂の傾斜も全て手に取るように分かる。

 最適なフォーム、最適な歩幅、最適な腕の振りで走っていたその時。突然、後ろに大きな気配が現れた。

 

 振り向かなくても分かる……ノールだ。

 

「……ッ、ハァッ、ハァッ……!」

……ャッ!グシャッ!グシャッ!

 

 パドックで感じたのと同じ気配、威圧感。

 それを知覚すると、彼女の呼吸、足音が聞こえ始めた。しかもそれが徐々に近づいてくる。

 

 耳の毛と尻尾が逆立つ。首の後ろがチリチリと落ち着かない。

 

 彼女は真っ白な私だけの世界に侵入してきただけでなく、私を威圧して止まない。その上、私とリズムの違う呼吸音と足音をまき散らしている。

 しかし私は、不思議とその存在を鬱陶しいとは感じなかった。

 

 

 

 私は負けず嫌いな方だと思う。

 レースを走る時はいつも、誰にも負けたくないと思っていた。

 だから勝つためにたくさん努力をした。

 幸運な事に才能に恵まれていた……いや、恵まれ過ぎていた私は努力も相まり、怪我をしたオークスを除いてはレースで負けた事が無い。

 それだけでなく、僅差での勝ちも経験してこなかった。勝つ時は大差で勝つ。

 

 そんな状態が続くと、いつからか勝負に熱を感じなくなった。できる限りの練習を修めれば、予定調和のように勝ってしまうのだからそれも当然か。

 勝ってもどこか物足りない感覚。

 

 だからだろうか。

 今、私を脅かす彼女の存在につい口角が上がってしまうのは。

 最高の走りをしても距離を詰めてくる彼女に心が躍ってしまうのは。

 

 私だけの世界ではなく、私と彼女、二人の世界。

 そこでお互いの全力をぶつけ、しのぎを削り合う。それがゴールまで続く。

 疑いようもなく過去最高の時間だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

「速い、速いぞノールミサンガ。まだ余力を残していたのか、ここに来て更に加速。坂をものともしていない。スパートからのスパート。

 まるで二段ロケット、前とグングン距離が詰まっている。これだけの走りをする彼女がなぜ私の記憶に残っていない」

 

 

 

 

 

「はぁっ!はぁっ! ぇぐぅっ……はぁっ……!!」

 

 苦しい。肺が痛い。

 口呼吸を繰り返したせいで喉が乾燥してえずきそうに。

 えずきそうになれば、呼吸が止まり更に苦しく。

 苦しいから多くの酸素を取り込もうとすると、さらに喉が乾燥してしまいます。

 

 足が重い。芝の上でなく泥の上を走っているかの様。

 足を上げようとすれば柔らかな地面が靴に絡みついてきて邪魔をしてきます。

 昔、田植え体験をした時みたいに足がおぼつきません。

 

 坂を上り終え、傾斜が無くなりました。

 

 ……っ!!!

 

 痛む体を酷使して更に加速します。

 痛みでリミッターが外れているのか、それともボロボロの身体が灯滅せんとして光を増しているのか。

 たった一歩で私の身体は最高速に到達しました。

 

 差は縮まってる……! あと、少し……っ!!

 

 痛みと引き換えに私はナイトと距離を縮めていきます。

 

 

 

 

 

 

「先を行く二人に後続は全く追いつけない。坂を上り終え、ノールミサンガの加速が凄い。鬼の猛追、三段ロケット。

 しかしナイトグライダーも粘る、粘る粘る。ここに来て差が詰まらなくなってきた。意地を見せる。

 漆黒の追跡者が中山に夜の帳を下ろすのか。それとも無名のロケットが夜を切り裂くのか。一着はどちらだ」

 

 

 

 

 

 

(sideトレーナー)

「っ……!!!」

 

 レースは最終局面。ゴール前にいる俺の所からでもノールの表情が伺える。彼女の様々な感情が混ざった狂気的な顔を見た途端、俺の中から思わず何かが溢れてくる。

 気づいたときには柵から身を乗り出し、叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ! ぉぇっ、はぁっ! ぇぅっ……はぁっ! ~……っ、はぁっ!!」

 

 痛みが薄まってきました。えづく頻度が多くなり、脳に酸素が回っていないからでしょうか。

 

 脳だけでなく体も酸欠なのか、体が上手く動きません。

 ナイトとの差はあと僅か。

 あと僅かなのに縮まらない。

 その僅かが縮まらない。

 

 ここまで……なのかな…………。

 

 スタミナも酸素も底を突き、私の筋肉の糧となる物はもうありません。

 体が限界に達し、精神もそれに引っ張られたのか、諦めの言葉が浮かんできます。

 

 諦める……? ……嫌だ、諦めたくない……けど……もう体が……

 

 力が抜けていきます。そのまま体は失速………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝てッッ!!!!

 ノールッッ!!!!」

 

 ………………………っ!!!

 

 聞きなれたトレーナーさんの声が私の耳朶(じだ)を打ちました。

 雷に打たれたように気が冴え、停止しかけていた体も再起動を果たします。

 

 それと同時にトレーナーさんとの思い出が走馬灯のように頭をよぎりました。

 

(息を止めて歯を食いしばれば確かに瞬間的なパワーは出る)

 

 いつかのトレーナーさんの台詞。

 それを思い出した私は反射的に大きく息を吸い、歯を食いしばり、呼吸を止めました。

 

 ベキッ!

 

 奥歯から嫌な音が鳴ったのも、もう耳に入ってきません。

 ほんのわずかな酸素を燃料に、命を燃やしながらゴール板を駆け抜けました。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 ウワアアアァァァァァ!!!!!

「大接戦のゴール! 私の目からは同着に見えました。写真判定は……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………

 ………………っ! 今、意識飛んでた!? レースの最中に!? いや、もうゴールしたんだっけ?

 

【挿絵表示】

 

 

 ……あれ? 何で地面がこんなに近くに……やば

 ド グシャッ! ズジャッ! グジュッ! ズシャッ…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ッキィヤアアアァァァ!!!!!

 

 9月12日14時32分。千葉県船橋市中山競技場で天を衝くような悲鳴が上がった。

 

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