私がターフで転ぶまで   作:RKC

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七話 敗北の辛気

「お……おぉ?」

 

 トレーナーさんと出会ってから一か月以上が経った今日この頃。

 お風呂上りにふと姿見をみると前とは違う私の姿が映っていました。

 ふくらはぎは一回り大きくなり、太ももの内側の筋肉……内転筋も成長しています。それにおなかも薄っすらと割れてます。

 

「ほ、本当に私? これ?」

 

 ペタペタと自分の体を触ると、鏡の中の私も自分の体を触ります。

 

 こんなに筋肉ついてたんだ……。

 

「……ふへ」

 

 今の私にとって、肥大した筋肉は数週間分の努力の結晶に思えました。

 

「鏡の前でニヤニヤして…何してるの?」

「ニャーッ!!」

 

 急に後ろから声を掛けられ、奇声を上げて驚きます。

 

「な、なな、ナイト!? ど、どったの?」

「次は私が風呂に入る番なのに、ノールが全然出てこないから様子を見に来た」

「そ、そっか……///」

 

鏡で自分の姿を見ながらだらしなく笑っている所を見られてしまいました。どんどん顔に血が集まって来るのを感じます。

このままでは汗をかいて、もう一度お風呂に入りなおさなければいけなくなりそうです。

 

「……ノール、体、引き締まった?」

 

 幸いにもナイトが別の話題を振ってくれたので、恥ずかしさからは解放されました。

 

「ナイトにもそう見える? いつの間にか結構筋肉ついてたんだよね」

 

「うん……特にふくらはぎが目覚ましい。腓腹筋がすごく大きくなってる。

 目立たないけど腓腹筋下にあるヒラメ筋の増大も見逃せない。

 ふくらはぎ周りが膨れたおかげで、より足首の細さが際立ってるし、下半身がしっかりして安定な印象を受ける。

 総合的に見て非常に美しいと言わざるを得ない」

 

「そ、そう……///?」

 

 ナイトは私の足を触りながらそう褒めてくれました。彼女は読者モデルをやっているので、こういう肉体美にはこだわりがあるのでしょうか。

 

 そんなナイトの目からもそう見えるということは間違いなく筋肉がついたのでしょう。再び口角が上がってきます。

 

「これなら、ジェット走法も習得できちゃうかもなぁ……」

 

 課題だった腹筋もそこそこついてきたし、明日あたりからもっと前傾姿勢で走ってみよっと……。

 

「……ふへへ……」

「またニヤニヤしてる……脱衣所から出ていかないならもう横で着替えるから」

 

 再びニヤける私の横で服を脱ぎ始めるナイト。ちらりとナイトの方に視線を向けると、彼女のしなやかな体が目に入ってきます。

 

 私より一回り以上大きな背筋と胸筋。あれほどの上半身なら腕の振りも速く力強く行え、脚の回転力アップに加えて、前への推進力にもつながるでしょう。

 

 そんな上半身に対して、下半身は平凡な肉付きです。

 いえ、綺麗な事は綺麗なのですが、力強い走りが出来るようには見えません。

 上がたくましすぎて、ともすれば貧弱にも見えてしまいます。

 

 やっぱりまだ本調子じゃないのかな……。

 

 お風呂場に入っていくナイトを尻目に、脱衣所を出ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日

 場所はトレセン学園。昼休憩も終わり、午後の授業が始まる所です。

 今日の午後の時間割は、まるまるトレーニングの時間に充てても良いことになっています。

 

 なので担当トレーナーの元に行くために教室を出ていくウマ娘達もいれば、教官に教わるために教室に残るウマ娘もいます。

 

 私もトレーナーさんの元に向かうために教室を出ていこうとします。その時背中に視線を感じました。

 振り向くと、目つきの鋭い一人のウマ娘が私のことを睨んでいます。

 

 私を睨んでいる彼女の名前は「ジェミニシード」。

 左耳にローマ数字のIIを模した耳飾りを付け、腰まである長い葦毛の髪を後ろで編み込み、肩ぐらいにまで短くしています。

 目の掘りが深く、見方によっては目の下に隈が出来ているかのように見えてしまいます。

 それに加えて目が細いので、無表情でも誰かを睨んでいるみたい、とクラスの誰かに良く言われていました。

 

 しかし、今の彼女は睨んでいるみたい、ではなく明らかに敵意を持って私を睨んでいます。

 

「……」

 

 ジェミニは無言ですが、あまりの目力に舌打ちの幻聴が聞こえてきそうな程です。

 

「……」

 ガラッ……

 

 対する私も無言のまま、ジェミニに背中を向けて教室から出ました。

 

 彼女に睨まれるのはこれが初めてではありません。初めて睨まれたのは私がトレーナーさんに担当してもらった頃。

 

 私とジェミニ、以前は同じ教官から指導を受けていました。走る距離が同じなことも相まって、一緒に併走練習をすることも多かったです。

 仲が良いという程ではなかったと思いますが、特別悪かったわけでもありません。

 

 そんな関係だったジェミニが私を睨んでくるようになった理由はおそらく一つ。

 私がトレーナーの担当になったのが気に食わないのでしょう。

 

 それもそのはずです。私よりジェミニの方が速いのですから。実力を考えれば担当されるのに相応しいのはジェミニの方。

 

 そこを巡り合わせのおかけで私の方が先にトレーナーに担当してもらった……ジェミニが私のことを良く思わないのはしょうがないことだと思います。

 

 ……それでも、あの目で睨まれるのは慣れないなぁ……。

 

 蛇に睨まれる蛙の気持ちが良くわかります。

 

「うぅ……とはいえ、睨まれたからって担当を止めてもらうつもりもないけど……」

 

 トレーナーさんは私が勝つ手伝いをしてくれます。その存在を多少の気まずさで手放すことなど論外です。

 それに最近はトレーナーさんに対して恩返しをしたいとも思うようになりました。

 

 私がレースで勝てばトレーナーさんに箔をつけることが出来ます。

 ……まぁ、GIIIのレースなのでそこまでインパクトのあるものにはなりませんが……一応トレーナーさんに実績が出来れば、彼の目的も達成しやすくなるはずです。

 

 そんなことを考えながら、グラウンドに向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トレーナーさんと合流した後、一通りの基礎練習を終え、併走練習の時間になりました。

 今日は相手が決まってないので、誰かを誘うところから始めなければいけません。

 

 コースの周りにいる人達を片っ端から誘ってみたのですが、誰も頷いてはくれません。

 それぞれに予定があるのは分かりますが、それにしてもヒット率が悪いです。

 

「どうする? 今日は併走を止めてフォーム練習するか?」

「そうですね……」

 

 相手が見つからなければ併走はできません。

 

 相手探しでこのまま無駄に時間を消費するぐらいなら、ジェット走法の練習に時間を割きたいな……腹筋もついてきたばかりだし……。

 

「じゃあ、今日はもう切り上げて……」

 

 体育館に行きましょう。そう言おうとした時、

 

「相手がいないなら俺が併走してやろうか?」

 

 後ろからそう話しかけられました。

 

「っ! ジェミニ……」

「よう、ノール」

 

 振り向くと、そこにいたのは教室で私を睨んでいたジェミニでした。その顔には不敵な笑みを浮かべています。

 

「二人は知り合いか? なら話は早い。さっそく併走するか」

「え」

「なんだ? 併走よりフォームチェックの方を優先したいのか?」

「そ、そういうわけではないんですが……」

 

 今、ジェミニと併走するのはものすごく気まずいです。しかし強く否定する理由もないので、しどろもどろしていると、

 

「いいだろノール、一本ぐらい。3分もかからねぇしよ」

 

 やや馴れ馴れしい様子でジェミニがそう言いよってきました。

 ジェミニは身長が170cmほどあるので、近くに寄られると圧迫感を感じてしまいます。

 

「……わかった。併走しよう」

 

 少し気遅れしましたが、併走相手が見つかったのならやらない理由はありません。併走も大切なトレーニングです。

 

「オッケー」

 

 私がそう言うと、ジェミニは満足そうに頷きました。

 二人並んでスタートラインに立ちます。

 

「なんだ、ちゃっかり内側取りやがって。いきなり吹っ掛けられた勝負にしては勝つ気満々だな」

「……え、勝負?」

 

 ジェミニの台詞に引っ掛かる点があったので思わず聞き返してしまいました。

 

「……お前、俺がわざわざお前と併走するためにここに来たと思ってんのか?」

 

「そ、そういう話じゃなかったっけ?」

 

「勘が悪ぃな……。

 俺は、今日、お前と、勝負しに、ここに来たんだよ」

 

「な、なんでそんなことを……」

 

 そう返しますが、理由は何となく分かっていました。

 

「お前が気に食わねぇからだ」

 

 ジェミニは今まで薄ら笑いを浮かべていた顔を一瞬で無表情に染め、低いトーンでそう言いました。

 

「どういう縁があったのかは知らねぇが……俺より遅いお前がトレーナーに担当してもらっているのが心底気に食わねぇ。

 だからこうして併走にかこつけてお前に勝負を吹っ掛けてんだよ」

 

 むき出しの敵意をぶつけられて、身がすくみました。

 

 ……いけないこのままだと、走りに影響が出る。

 

 その場で肩を回したり、もも上げをすることで、固まってしまった体を何とかほぐします。

 

「それに模擬レースの前哨戦にもなるしな」

「も、模擬レース?」

「あ……? まさかお前知らねぇのか?」

 

 怖い顔つきから一転、呆れたような表情に。

 

「はぁ……今月末にお前と俺を含む10人で模擬レースをやんだよ。

 なんで本人が知らねぇんだ……?」

「え、えぇ……?」

 

 模擬レースの開催・参加はウマ娘の一存ではできません。

 トレーナーや教官達の協議の結果、模擬レース日程、組み合わせが決まります。なので私が模擬レースに参加するのならトレーナーさんからなにか連絡があるはずなのですが……。

 

「と、トレーナーさん! 私、今月末に模擬レース出るんですか!?」

「あぁ、そうだぞ。今日の練習終わりにでも言おうと思ってたんだが……そっちの娘から聞いたのか」

 

 何という間の悪さ。

 

「だ、そうだ。これで分かっただろ。

 この併走は模擬レースの前哨戦でもあるんだよ。俺はこの併走でも模擬レースでもお前に勝つ。

 完膚なきまでにな」

 

 そう言ってジェミニは静かに首を親指で掻き切る仕草をしました。

 

 それ、実際にやる人いるんだ……。

 

 プロレスぐらいでしか見たことのないパフォーマンス。ジェミニは威嚇のつもりだったのかもしれませんが、逆に私は落ち着きを取り戻しました。

 

「……分かった。やるからには本気でやるよ。

 だからジェミニも本気で来てね」

 

 ジェミニが私と勝負をしに来た。

 そう聞いて初めは戸惑いましたが、良く考えれば好都合です。

 昔はジェミニの方が速かったけれど、今ここでジェミニに勝てたのならば、私は確実に成長していると言えるでしょう。

 

 タイム上の成長だけではなく、今まで勝てなかった相手に勝ったという実感を手に入れる為にも、今までの努力を無駄にしないためにも、私は勝ちます。

 

「言われなくても」

 

 掛け合いはそれぐらいに、二人とも構えました。

 

「トレーナーさん、合図を」

 

 かなりぶっきらぼうな声が出ました。しかし今はそんな事には気が回りません。

 

「あ、あぁ」

 

 トレーナーさんが旗を上げます。

 

「位置について……初め!」

 

 掛け声と同時に私とジェミニがスタートを切りました。

 

 

 

 

 

 

(sideトレーナー)

「おいおい、どうなってんだよこりゃ……」

 

 始まるのは併走練習だったはず。

 なのに俺がスタートの合図をかけた途端、二人とも全開ですっ飛んでいきやがった。

 

「これじゃ併走というよりは二人立ての模擬レースだな……」

 

 二人の間で何か因縁でもあったのか、それともスタートラインでノールが併走相手に何か吹き込まれたのか……。

 

「ま、いいか。これはこれで良い練習になる」

 

……とはいえ後で事情は聞いておくか。またノールの寝不足の種になってもいけねぇし。

 

 そんなことを考えている間にも、二人は最終コーナーに差し掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

「ハッ、ハッ……ハッ、ハッ……!」

 

 不味い。遅れてる。

 

 ちらりと内側の柵を見ます。

 

 残り600m……。

 

 目線を前に向けます。私の斜め前に位置取るジェミニ。

 

 内側だったのに遅れてる……っ!

 

 有利なスタート位置だったのに前を走られている。

 その事に焦りを隠せませんでした。

 

 このままじゃ負ける。自分のペースでスパートなんて言ってられない。ジェミニより先に仕掛けないと……!。

 

 残り500m。スパートタイミングを図るために彼女の挙動に意識を集中させます。

 

「フッ……フッ……!」

 

 芝を蹴る音、私の呼吸音、心音が混ざってうるさいはずなのに、ジェミニの息遣いが聞こえてきます。

 

 良い……集中できてる。

 

「フッ……フッ……スゥー……」

 

 ……ここっ!

 

 ジェミニがひときわ深く息を吸った所で、最終コーナーの遠心力を生かして外からスパートをかけます。

 

 私は今までの併走練習で、ウマ娘がスパートをかける時の一般的な癖をつかんでいました。

 一つは後方確認、もう一つは呼吸の変化。ジェミニは後者でした。

 

「っ!」

 

 ジェミニを抜かすと横から息を飲む音が。私が先行しながら最終直線を駆けていきます。残り200m。

 

「ハッ、ハッ…ハッ、ハッ…!」

 

 早仕掛けでジェミニの前に出たものの、早めのスパートかつ、他人のタイミングで仕掛けたせいでかなり息が上がってしまっています。

 

 脚も……重い……っ!

 

 重りがついているかのような両脚。

 それでも足が下がらないように気を付けながら、必死で走ります。

 

「フッ…フッ…フッ…フッ…!」

 

 斜め後ろから私とは異なる呼吸音が。

 

 くっ……!

 

 徐々に、徐々に近づいてくる「圧」。

 どれだけ迫ってきているのかを目視で確認したかってのですが、首を動かした時のわずかな失速すら命取りになるような気がしました。

 

 振り向けない私は追ってくる脅威を肌で感じながら走り続けます。残り100m。

 

「ハッ、ハッ…!ハッ、ハッ…!」

 

 ふくらはぎがもうすぐ限界を迎えそうです。パンパンに張った筋肉が攣らないように祈りながら走り続けます。

 

 その時、私の視界の端を横切る影が。

 影はすぐに大きくなり、私の視界の三分の一ほどを占めるようになりました。

 

 抜かされた。

 

 それを意識した瞬間、レースは終わりを迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 負けた。負けた……。負け……。

 

 2000mを全力で走り、体温は上がり切っていました。

 顔に熱が溜まって、溜まって、熱くてしょうがありません。炎症を起こしそうな程です。

 

 額や頬からあふれる汗も肌にまとわりついて鬱陶しく感じられます。短い袖で乱暴に汗を拭いました。

 

 顔の汗は何とか出来たものの、体の汗は別です。

 全身の汗が肌を伝うたびに、体をかきむしりたい衝動に駆られました。

 

 ……久しぶりだな……この感覚。

 

 僅差で負けた後はいつも最悪な気分になります。どんな事すら気分の悪いものに感じられてしまうのです。

 服や汗の感触、体温、心音、呼吸音でさえ。

 

 逆に勝てば、すべての事象が私を祝福しているように思えたはずです。

 体の倦怠感も、脚の疲労も、酸素の欠乏も。すべて心地よく感じられた記憶があります。

 ……最近勝っていないので、とんとその感覚を味わってはいませんが……。

 

 あれ、でもGIIIのレースで負けたときは何とも思わなかったっけ……。

 

 きっとあの時は先頭と差がつきすぎたからです。

 もう少しで勝てた、僅差で負けて悔しい、そんな感情より、やっぱり勝てなかったか、という諦観や諦めが優先していたのでしょう。

 

 けど今回は僅差の負け。それも最後の最後に追い抜かされるという、一番悔しい負け方をしました。

 

「……っ!」

 

 つい、手を強く握ってしまいました。爪が手のひらに食い込み、ジンジンと痛みます。今はその痛みも特別鬱陶しく感じられました。

 

「……――っ!」

 

 手のひらの痛みに腹が立ち、衝動的に頭を掻きむしってしまいました。

 

「すー……ふーっ……すー……ふー……」

 

 このままだと自傷して、それに腹を立てて、また自傷する負のループに陥りそうだったので、深呼吸で何とか落ち着きを取り戻しました。

 

「おい」

 

 感情の起伏にひと段落がついたその時、ジェミニに声を掛けられました。

 

「な、何?」

 

 負けた私を煽りにでもきたのでしょうか。

 正直今の精神状態ではどんな煽りでもダメージを貰いそうだったので、つい身構えてしまいました。

 

「……蹄鉄、外れたぞ」

 

 ジェミニはそう言い、手に持った蹄鉄を私に差し出してきます。

 

「えっ?……あ、ほんとだ……」

 

 慌てて靴の裏を見ると、右足の蹄鉄が外れていました。

 蹄鉄は結構な重さがあるので外れれば通常気づくはずですが、ついさっきまでブルーな気分に浸っていた私は、その変化に気づけなかったようです。

 

 一応説明すると、蹄鉄とは靴底に打ち込む金属製の補助具で、これがあることで足の負担の軽減できる他、地面を踏みしめやすくなります。

 

「あ、ありがと……」

 

 おずおずとジェミニの手から蹄鉄を受け取り、ポケットにしまいます。

 

「……」

 

 その間、ジェミニは私の方を鋭い目つきで凝視していました。

 

「……ちっ」

 

 そして最後に舌打ちを残して、去っていきました。

 

 …………な、なんで勝ったのにあんなに機嫌が悪いんだろう……。

 

「負けちまったな」

 

 ジェミニの心情を図りかねていると、今度はトレーナーさんに声を掛けられました。

 

「……はい」

「どうして負けたと思う?」

「それは……」

 

 負けの原因を探るために、目を閉じてレースの内容を思い出します。

 そうすると私がジェミニに追い抜かれた場面も思い出してしまうわけで……

 

「……ここ一か月の練習の成果を出し切ったんですけど……それでも負けました。

 だから単純に実力不足だったんだと思います。

 ……しいて言うなら、もう少しスタミナがあれば最後の直線で抜かされなかったはずです……!」

 

 負けのシーンを回想していると、また無意識に手を強く握ってしまいます。

 

「つっ……!」

 

 その瞬間、爪が肉を割く嫌な感覚と共に鋭い痛みが。

 

「おい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。ちょっと手が……」

「手?」

 

 自分の両手を確認すると、案の定皮膚が切れていました。

 傷跡から血が溢れ、球を作ったのもつかの間、自重に耐え切れず、私の手のひらを流れていきます。

 

「傷は……深くないようだが、どうやったらこんな傷出来るんだ?」

「さっき手を強く握りすぎてしまって……」

「それだけで傷が……ウマ娘の筋力ゆえか……? いや、今はそんなこと考察してる場合じゃないな。

 さっさと保健室行くぞ」

 

 トレーナーさんは私の手を引いて、保健室に向かおうとしましたが、私は踏ん張りその場にとどまります。

 

「こ、これぐらい水で洗えば大丈夫です。

 脚の怪我じゃありませんし、練習を続けましょう」

 

 今は手当ての時間すら惜しく感じられました。最後の直線、もし私がジェット走法を習得できていたら、もっとスタミナがあれば。

 

 きっと……きっと負けなかった。

 

 だからもっと練習を頑張らないと。

 

「つっても痛いだろ? それに化膿しても後々めんどうくさい。さっさと保健室行くぞ」

「ほ、本当に大丈夫ですから。体育館に行ってジェット走法の練習をしましょう!」

 

 なおも私の手を引くトレーナーさん。私はそれに抵抗します。

 

「くっ……! ……いや、止めとくか。

 このまま引っ張り合いをしても俺が負けるだけだ……」

 

 この体格差で力負けとはな……。

 そう呟きながらトレーナーさんは手を放しました。

 

「代わりに話し合いといこう。ジェミニ……だったか? あいつとは何か因縁でもあるのか?」

 

「な、なぜそう思ったんです?」

 

「そりゃ、因縁でもなけりゃあんなガチの勝負はしないだろ……それともあいつに何か吹き込まれたか?」

 

「ど、どっちもですね……因縁もありますし、挑発もされました」

 

 かくかくしかじか。諸々のことをトレーナーさんに話しました。

 

「……担当がらみの因縁、か。難しいな……」

 

 トレーナーさんは顎に手を当てて思案する仕草をします。

 

「……ノールは大丈夫か?」

「え、な、なにがですか?」

「後ろめたさとかを感じてないか?」

「……」

 

 後ろめたさ……。

 

「……正直、後ろめたさはあります。

 実力的に劣る私がトレーナーさんに担当して貰っているのは少し……」

 

「……」

 

「でも今はそんなことを気にする余裕はありません。

 負けた私はもっと頑張るしかないから……トレーナーさんでもなんでも使えるものは使います」

 

 今日は勝ちと負けの価値を再認識できました。

 勝ちは最高、負けは最低。

 勝つためには後ろめたさとかそんなものを気にしている暇はないのです。

 

「……あ! そ、その、さっき発言は不適切でした。すみません!」

 

 少し感情的になってしまったとはいえ、トレーナーさんを「使う」と言ったのは流石に不味い表現でした。

 急いで謝ります。

 

「……いや、良いさ。お前自身が勝つために使えるものは使え。

 たとえそれが俺だったとしてもな。というかそれぐらいの意気込みじゃなきゃ勝てんぞ」

 

 しかしトレーナーさんは特に怒った様子も見せず、というか笑みを浮かべながらそう言います。

 

「は、はい……」

 

 そんなトレーナーさんの様子に、返事がそぞろになってしまったのもしょうがないでしょう。

 

「それより手の怪我についてだが……どうして自傷するほど手を握ったんだ?」

 

「それは……単純に悔しかったからです。ジェミニにゴール手前で抜かされて……っ!」

 

「お、おいおいおい! また手を握ろうとするんじゃねぇよ!」

 

「あ……す、すいません」

 

 再び閉じかけていた手から力を抜きました。

 

「ったく、油断も隙もありゃしねぇ……。

 つっても意外だな、お前がそんなに直情的だったとは」

「すみません……もっと感情をコントロールできないといけないですよね」

 

 私が自傷していなければこうして練習が中断することもなかったはずですし。

 

「ま、限度はあるが……悔しいと思うのは悪い事じゃないさ。

 そういう負の感情は強いモチベーションになる。今だって怪我の事を放置してでも練習したがってただろ?」

「はい」

「焦る気持ちは分かるが、手の痛みがある中じゃあ練習に集中できない。だから手当をちゃんと受けてくれ」

「……」

 

 焦り……か。

 

 確かに私はジェミニに負けて焦っていたのかもしれません。手の傷も無視して練習に励もうとするぐらいには。

 

 手のひらに視線を落とすと、まだ血は止まっていません。

 頭に上った血が傷口から流れていく感じがしました。

 

「……わがままを言ってすみませんでした。ちゃんと手当を受けます」

「分かってくれたか……じゃあ、保健室に行くぞ」

「はい」

 

 今度こそ保健室に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

(sideジェミニシード)

「…………くっ!」

 

 あの時ノールが落とした蹄鉄は鉄製の重い奴だった。それ自体は不自然な事じゃない。

 練習用の蹄鉄は頑丈な鉄製の奴を用いるのが普通だ。

 

 問題なのは俺が使っていた蹄鉄がレース用の軽いアルミ合金製の奴だったって事。

 当然、軽い蹄鉄の方が有利なのは言うまでもない。

 

 昨日タイム測定した後、鉄製の奴に変えるのを忘れたままだったから、今日はアルミ製の蹄鉄で走ったが……もし鉄製の蹄鉄で走っていたら?

 ……最終直線であいつを抜かせなかったかもしれない。

 

「……くそっっ!!」

 

 ガッ!

 近くにある柱を殴打する。

 

 ……何が完膚なきまでに勝つ……だ。

 結果は辛勝じゃねぇか。それも有利な条件で……。

 

 実際はノールの方が内側スタートだったから、条件としてはどっこいどっこいぐらいか。

 しかし今の俺はそんなことには気が回らなかった。

 

「……見てろ。次は文句なく勝つ。

 圧勝……そう、圧勝だ……!」

 

 ノールと自分の差が詰まってきている焦りを隠すようにそう呟いた。

 




 ようやく新キャラが登場しました。キャラを増やすのが苦手なので、どうしても小さな人間関係の中で物語が進んでしまう……。別に主人公の友達が少ないというわけでは無いんですよ? ただ実力不足で描写出来てないだけです……。



 ジェミニシード
 
【挿絵表示】

 みんなはギザ歯、好き? 作者は好き。
 だからツインターボ師匠のデザインも好き。ぐるぐる目も好き。
(とはいえ絵が小さくてギザ歯が良く見えない……)

 ……なんというか主人公の身長の低さを際立たせるために他の登場キャラの身長が軒並み高くなってしまった……。

 高等部のスパさんが160cm強なのはともかく、ジェミニとナイト、中等部の女子で身長170cm近くってマジ?
 デカすぎんだろ……。

 とは思ったけど原作には身長180cmのヒシアケボノとかもおるし、現実には小学生の時点で身長170cm超えてた女性もいるらしいし、まぁええか……。
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