「ったく信じらんねー……」
シカマルは火影岩の頂上で悪態づいた。
「明日の早朝に国外へ出発するってヤツが、何でこんな所で寝てんだよ……」
草が揺れ、小さな影が起き上った。
その背に向かって、彼はため息をついた。
「新しい家は? カカシ先生に用意してもらったんだろ?」
そして、その隣に腰をおろした。
「だって、明日からまた留守にするのに、使っちゃうのももったいないなって」
ナナはケラケラと笑ってみせた。
その愛想の良い笑いに付き合う気にはなれず、シカマルは深いため息をついた。
『サスケともう一度“出逢う”覚悟がある』
頭の中では、ナナの言葉がグルグルと回り回っていた。
酔いそうだった。気分が悪かった。
「こんなところにどうしたの? シカマル」
それなのに、ナナは髪についた草を払いながら笑う。
「お前……」
額がピクリとひきつった。
「なんで重役に勾留された?」
責めるような低い声が出た。そんなつもりじゃないのに、ナナの笑みがイライラを加速させていた。
「知ってたんだ」
「カカシ先生が火影に就任して釈放の書類を書いたら、オレがお前を迎えに行くよう親父に言われてた」
「ああ……そうだったんだ」
その他人事のような声色も、
「ごめんね、シカマル」
申し訳なさそうな“作り笑い”もうんざりだった。
「なんでお前が重役と敵対しなくちゃならないんだよっ」
だから彼は声を荒げた。
「意識が戻った時、『サスケがダンゾウを“殺してくれた”』って言ったことと関係があるんだろ!?」
憎しみすらこめて、ナナの瞳を見た。
「どういう意味なんだ?!」
歯止めの利かない怒りの感情は初めてだった。己の無力さを伴う絶望的な怒りだった。
「何があったんだよ!!」
言っちゃいけない……わかっているのに、
「ナナ!!」
警報は鳴り響いているのに、
「お前っ……」
彼はナナの腕を掴み、叫んだ。
「うちはイタチとサスケの戦いで、何があったんだよ!!」
風が流れた。無遠慮にも、穏やかに。
ナナは、全ての感情を捨てた顔で、目を伏せた。
「ナナ……!」
それでも彼は、力を緩めなかった。
「お前……サクラに言ったんだろ?」
ただ、声だけは擦り切れて……、
「『サスケが来るまで死ねない』って……」
そうつぶやいた。
「そんなふうに言うのも全部……イタチとサスケの戦いが原因なんだろ……?」
取り返しのつかないことになろうとも、今この瞬間だけは、あるがままの感情に全てを委ねた。
ナナは……ゆっくりと空を見上げた。
その瞳には、無数にある星たちのどれも、映ってなどいなかった。
星の輝きからも見放された存在。誰も知らない秘密を抱えた孤独な存在。気高い血で、稀有の技を使いながらも、闇に魅入られたかのように深い傷を負い続ける……。
「オレに……こんなことを聞く資格なんてねぇのはわかってる」
誰より……愛しい存在がどんどん遠ざかって行く。
それがわかっていた。
「わかってるが……」
だから、わかっていても言わずにいられない。
「オレはずっとお前を見てきたんだ」
イタチと再会し、心を乱したナナも……。サスケに去られ、涙したナナも……。姉と戦い、傷ついたナナも……。
傍に居て、言葉を交わして……触れてきたつもりだった。
だからこそ、今ある感情は抑えきれるほど簡単な造りはしていない。
「お前のことを、ずっと……」
やっと、ナナは目を合わせた。
遠くの星の瞬きがそこにあった。
「前に河原でお前が言ってた“あの人”って……うちはイタチのことなんだろ?」
あの日の懐古で、その光はかすかに揺れた。
「今ならオレにもわかる……」
そしてナナは、腕を掴んでいるシカマルの手に自分の手を乗せた。
ナナの骨を軋ませんばかりに力を込めていた彼の手は、いつしか力を失っていた。
「あの時……言っただろ?」
その手で、ナナの手を握り返した。
「お前が疲れた時、オレはお前の休憩所になってやる……って」
そのわずかなぬくもりに、全てを込めた。
「オレの気持ちは、あの時と少しも変わらねぇ」
ピクリと、ナナの指先がシカマルの手の中で動いた。
後悔はなかった。たとえナナを傷つけたとしても、この指先が、ナナがまだココに居ることを表したから。
「シカマル……」
ナナは、掠れた声で名を呼んだ。
そして、今度はしっかりと手を握った。
「私は……あの時から……ずいぶんと変わったよ」
シカマルは、思わず目を見開いた。
言葉の意味じゃなく、ナナが幼げな笑みで彼を見つめ返していたから。
「私は……」
ナナは歪んだ唇から言葉を零す。
「サスケに想いを告げられて……自分の想いに気づいて……イタチの想いを知って……」
心を削るようにして、言った。
「あの時よりだいぶオトナになったつもり……」
まつ毛を揺らし、ナナは笑う。
「だから、シカマルが言ってくれたことの意味は……シカマルの想いは……もうちゃんとわかった」
抱きしめることすら忘れて、魅入った。
「ありがとう……シカマル……」
そしてナナは、あの時のようにそっと身をすり寄せた。
今度はちゃんと、涙をこぼして。あの時隠したはずの、涙を。
「今は……思い出すことも辛くて……苦しくて……」
押しつぶされそうな心を曝け出し、ナナはシカマルにしがみついた。
「言葉にするくらいなら死んだ方がましだけど……」
やっと、シカマルはその震える肩を抱いた。
「でも……もし、これから話せる時が来たら……」
天で見守る星たちからすらも隠すように、しっかりと抱きしめた。
「その時は……一番最初にシカマルに言うから……」
ナナは無理やり笑みを浮かべてシカマルを見上げた。
「その時は、今の想いが消えてても……聞いてくれる?」
抱えた痛みの分だけ、美しく光っているかのような雫。
それを指ですくって、シカマルは息をついた。
簡単に、うなずくことなどできなかった。
『想いが消えてても』……そんなことは考えられない。ありえないと思っていた。
そして、『もし、これから話せる時が来たら』……そんな時も来ないと思った。
だから、
「お前は……」
また、あの言葉を繰り返す。
「サスケに殺されるつもりか?」
否定と諦めとが入り混じった感情で、シカマルは問う。
もう、苛立ちや無力感はなかった。
ただ、静かにナナの答えを見守った。
「それが……私の最後の願い……」
ナナは悲しい願いをあっさり吐き出して、疲れたように体重を預けてきた。
「もう……お前にはそれしかないのか?」
そして、うなずいた。
「そっか……」
ナナの髪を少し撫ぜた。さらりとした感触が、ナナの未来を突きつけるようだった。
それでも、頭と心は納得していた。
ただ、ナナが願いを口にしてくれたことが嬉しかった。救いだった。
「だったら……」
シカマルはナナを上向かせた。
やはり、その瞳には天の星がちゃんと映っていた。
だから……。
「せめて“その時”までは、生きろ」
滑稽な台詞を吐くことができた。
ナナは表情を変えて彼を見上げた。
その儚げな輝きにもう一度、
「“その時”まで、ちゃんと生きてろよ」
そう言って、小さく笑った。
ゆっくりと時間をかけて、ナナはその意味を飲み込んだ。
そして、
「ありがとう……シカマル」
受け止めた。
その笑みは、宙の光も気圧されるほど美しかった。
「ヘンなの……」
輝きをまき散らすように、ナナは笑う。
「誰にも会いたくなくてここへ来たはずなのに……」
しっかりと、シカマルの身体にしがみ付き、
「今は、夜が終わるまでシカマルに一緒に居て欲しい……」
肩には頭を乗せて。
「ありがとう、シカマル……」
シカマルがその頭を抱いたとき、ナナは小さな子供のように安心しきった顔で彼を見上げ……そして静かに瞼を下ろした。
その頬に伝う滴をそっとぬぐい、シカマルもまた、ナナの体温を感じながら目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
出発の朝。
里の門で、サクラはナナを捕まえて強引に巾着袋を手渡していた。
「いい? これが増血剤と鉄剤、ビタミン剤。これとこれは1日3回2錠ずつ飲むのよ。こっちは1日2回、朝と寝る前に1錠ずつ。それからこれはブドウ糖を混ぜた私特製の栄養剤だから、毎朝、朝食後に一粒ずつ水と一緒に飲んでね。忘れちゃダメよ」
「ありがとうサクラちゃん」
「本当ならまだ安静が必要なんだから、絶対に無理しないでよ? ちゃんと疲れたらヤマト隊長に言うこと!」
「うん、わかってる」
ナナは素直に全てを受け取って微笑んだ。
「それと、ナルトのことよろしくね……って、本当ならナルトに『ナナのことよろしく』って言いたいんだけど、アイツの場合は頼りないからなぁ……」
「大丈夫だよ、サクラちゃん。ナルトはちゃんと護るから」
そして簡単にそう約束した。
その笑みに、昨日までのような陰りは無いように見えた。
「ナルトが無茶しないよう、ちゃんと見張っててネ」
ナルトに檄を入れに行ったサクラに替わり、カカシがそう言うと、
「うん。八尾のヒトともうまくやれるように気を付ける」
ナナは自ら言った。
「いきなりケンカになっちゃったら困るけど……ナルトならありえるし」
そして、向こうでサクラにどつかれているナルトを向いて笑う。
やはり……その瞳にはちゃんと“ナルト”が映っていた。
「ナナ……」
呼ぶと、ナナはまっすぐに彼を見上げた。
そこに自分の姿を確認し、問う。
「少し吹っ切れたみたいだけど、何かあった?」
ナナはわずかに驚いたように眼を動かした。
そして幼げにうなずいた。
「昨日……シカマルと話した」
カカシは驚くほど単純に納得した。
「そうか……」
シカマルが……、離れてどこかに漂っていたナナの“心”を引き寄せた。
「よかったね」
ナナは再びうなずいた。
シカマルがナナに何を言ったのかはわからない。どんな顔をして、どんなふうにナナと話したのか想像もつかなかった。
まだ若い忍である彼が、ナナを見守りながら歩んできた道の中でみつけた、彼だけにしか言えないことがあったのだろう。
今のナナにとって、最も安心する言葉が……。
「じゃあ、行ってきます」
カカシは黙ってナナの頭に手を置いた。
「先生も、無事でいてね」
ナナの手がその手首をつかんだ。
「また死んじゃったりしたら嫌だからね……!」
そしてギュッと握った。
「ああ、もうお前にそんな心配はかけないよ」
そこから伝わるナナの肌の冷たさと、心の痛みを感じながら、カカシは笑ってナナの頭を撫でまわした。