ひと葉 ~参の巻~   作:亜空@UZUHA

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残花

 

 

『サスケ君ったら、綱手様の“研究”の見通しが立つまで待てばよかったのに!』

 

 綱手が柱間の細胞を使った人体組織の再生方法について研究を始めた。

 それが成功すれば、失った手の代わり……限りなく自身のものに近い“義手”を作ることができるかもしれない。

 ……と、サスケには何度も伝えた。

 義手が完成するまで、いや、せめてその研究の成果が出始めるまで、旅立つのを思い留まってはくれないかと。

 だがそれは、淡い期待だった。

 彼の意志は揺るがなかった。というより、初めから“そんなもの”を必要とはしてくれなかった。

 

『この身体のほうが、今の世界が良く見える』

 

 やんわりと拒絶した顔は、ずいぶんと大人びていた。

 文字通り彼は、自分を置いてずっと遠くまで行ってしまったのだ。

 ナナと共に……。

 

 だが……これが最善の結果だった。

 むしろ、せいせいした。

 初めから一本に違いないのに、複雑に絡み合っていた糸が、やっとほどけたような感じがした。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 戦争終結後……木ノ葉隠れの里に戻ってから、やることはたくさんあった。

 負傷者の手当だけじゃなく、火影であり師匠でもある綱手の意の通り、こなさなければならない任が多かった。

 そんな中でも、頭の大半を占めていたのはやっぱりサスケのことだった。

 木ノ葉の抜け忍であり、暁の元メンバーであり、大蛇丸とも関わりがある彼が、どんな処分を下されるのか……。

 普通に考えれば、強制的に投獄される身。

 うちはマダラと大筒木カグヤを討伐した“英雄”ということを差し引いても、忍の世界ではどちらに比重があるかはサクラにもわかっていた。

 だからずっと、五影によって彼が赦免される奇跡を願い続けていた。

 どうか戦争終盤でのサスケの働きが認められ、その特別な力が必要とされ、ナルトやナナの嘆願が聞き入れられて……許されること。償いとして、誠心誠意、里の任務に就くことを約束し、それでまた一緒に……。

 だが、当のサスケがその願いを打ち砕いたのだ。

 

『オレは……木ノ葉を出て世界を旅することを願い出る』

 

 その言葉を聞いて、理解して、素っ頓狂な声を上げたのを覚えている。

 彼が語る意志など耳に入らなかった。

 当然、皆も同じだと思った。彼は己の罪を気に病むあまり、そう言い出したに過ぎないのだと。

 だから、彼の希望を認めるわけがないと。

 が……。

 あの場でサクラは孤独だった。

 ナルトは納得していないようだったが、すでに諦めているようでもあった。綱手とカカシは嘆息しながらも、サスケの意志に理解を示した。

 そして、ナナは。

 

『いいと思う』

 

 すんなりと受け入れた。

 その顔は陰りが無く、心からサスケの意志を支持しているように見えた。

 

(ああ……まただ……)

 

 とっさにそう感じていた。

 “最初の時”も、ナナは去りゆくサスケを引き留めようとしなかった。

 怒りと悲しみを押し殺して、「大キライ」だなんて口にして……あの時は思わずぶったけど、それは……本当はナナが誰よりもサスケを「大スキ」だと知っていたからだ。

 あれからかなりの時間が過ぎていても、新しい命になったとしても、ナナはまた同じ選択をした。

 今度はもう……その心に怒りも悲しみも存在しないかのように。

 

 だから、その夜は思い切り泣いた。

 何に対して……というのは、今となってもわからない。

 

 サスケと離れたくない。サスケに行って欲しくない。どうしても行くなら、今度こそ一緒に行きたい。

 でも……サスケが愛すのはナナ、ただひとり。

 それなのにナナは、サスケの背を追おうともしない。

 ナナにはいつだって、自分が進むべき道がちゃんと見えている。ナナはそれを違わぬ強さを持っている。

 自分には無い強さを。

 でも、自分はやはり……。

 色々な感情が混ざり合って、爆ぜ合って、そう……自分の想いではどうにもできない世界に絶望したのだ。

 だが……。

 夕食もとらずに、布団にもぐりこんでいたあの夜。玄関から母親が無遠慮に自分を呼ぶ声がした。

 ぎゅうとシーツを握って無視を決め込んだ時。

 

『サクラってばー! ナナちゃんが来たわよー!』

 

 瞬間的に飛び起きた。

 乱暴にドアを開け、廊下を走り、寝間着姿の母を押しのけて玄関のたたきを凝視する。

 

『遅くにごめんね、サクラちゃん』

 

 ナナが申し訳なさそうに立っていた。

 

『どうしても、今すぐに話したいことがあって』

 

 声が出なかった。

 話したいことがあったのはこちらのほう。聞きたいことがあったのはこちらのほう……。

 苛立ちに似た衝動のままナナの手をひっつかみ、部屋に戻った。

 

 

 

「ナナ……は、話って……」

 

 部屋と玄関の往復だけで息が上がっていた。

 情けなくどもる自分を、ナナはいつもと同じ、柔い笑みで見つめる。

 

「あのね、サスケのことで……」

 

 そんなことはわかっていた。むしろそうでなければガツンと言ってやるところだった。

 そこまで失望させられずにホッとした。

 だが次の瞬間には……奥歯を食いしばった。

 

『私、もうサスケを想うのは、やめにする』

 

 そんな言葉が……。

 

『もう、終わらせたんだ……』

 

 穏やかすぎるナナの声が……。

 

『サスケを嫌いになったわけじゃないけど……私たちの間には辛いことが多すぎたから……』

 

 嫌というほど見せつけられてきた、ナナの痛みを包み隠す笑顔が……。

 

『だから、これからは……サスケをよろしくね、サクラちゃん』

 

 “一番、見たくなかった結末”が見えた気がしたのだ。

 

 そう……そんな二人の結末など“見たくなかった”。そんな言葉は絶対に聞きたくなかった。

 自分が何を望んで、本当は何を望まなかったのか……今さらながらに思い知る。

 相反する願い。矛盾した己の心。惨めな不合理……。

 それを、こんな時になって自覚してしまった。

 だが、幸運なことに“最悪の結末”は訪れなかった。

 ナナは躊躇いの欠片もなく、ただただ明瞭に言った。

 

 

「私、サスケと一緒に行くことにする」

 

 

 澄んだ声が、狭い部屋に響いた。

 

「え……?」

 

 ナナから視線が逸らせなかった。

 その瞳には、久しぶりに影が浮かぶ。

 だが、今はそれを隠そうとはしない。

 

「私ね、これからは……」

 

 まっすぐに、実直に、こちらを向いている。

 

「“ちゃんと”サスケと生きる」

 

 誰かに喉を掴まれた感覚がした。

 胸が痛い。目の奥が熱い。奥歯が震える。感情が、動いている。

 

「ああ……そっか……」

 

 自分自身につぶやいた。

 ナナの台詞を聞いて、驚いた。予想もしていなかった言葉だった。

 だが、それでも不思議と反応しているのだ。

 なぜならば、心のどこかにその台詞が存在していたから……。

 

「うっ……」

 

 全身の力が抜け、流しきったと思った涙がまた溢れ出た。

 その場にへたり込んで顔を覆う自分の側に、ナナが寄り添う。

 

「サクラちゃん、ごめんね」

 

 その声に、媚びている気配は無かった。

 

「サクラちゃんは、本当にサスケのことが好きだったんだよね……でも……」

 

 情けなく震える肩に、ナナの手が触れる。

 温かくも冷たくもない、小さなナナの手はただ優しかった。

 

「私も、サスケが本当に好きなんだ」

 

 そして、残酷だった。

 

「だから、これからはサスケと生きることにする」

 

 歯を食いしばった。

 まだ、言葉を吐くのは無理だった。

 

「私、ずっと……サクラちゃんのことがうらやましかった」

 

 代わりにナナが、柔い吐息を零し続ける。

 

「いつもまっすぐで、『好き』って気持ちを言葉にできて、ちゃんと伝えられて……」

 

 ナナの言葉はいちいち痛くて、とても優しい。

 

「私は、言い訳しながら逃げてばっかりだったから」

 

 自嘲でも偽善でもない、ナナの本当の心。弱くも強い心。

 

(うらやましいのはこっちだっての……!)

 

 無理矢理に顔を上げた。涙はまだとめどなく流れ出る。

 が、ひっくり返りながらも、声を絞り出した。

 

「まったく……!」

「サクラちゃん……」

「私に『サスケ君を任せる』とか言いに来たら、“あの時”みたいにまたひっぱたいてたところよ!」

 

 小さく苦笑したナナは、あの時とは違う。

 

「今さらなによ! 遅すぎるのよ! 今日までずっと心配かけて……!」

 

 悪態づく自分は、本当に変われたのだろうか。

 

「最初からわかってたわよ! サスケ君の心にアンタ以外は入り込めないって! なのにアンタは……! サスケ君もっ……!」

 

 焦げ付いた感情を、こんなふうに吐き出して……。

 

「納得なんてできないわよ! だって……だって私のほうが、アンタの何百倍もサスケ君に好かれる努力をしてきたし、サスケ君だけを見て……サスケ君を護ろうとしたのに……!」

 

 それでもナナは、困った顔もせず、いちいちうなずきながら静穏に受け止める。

 

「私がサスケ君を幸せにしたかったけど……そんなのアンタにしかできなかったし……! それなのにアンタは逃げてばっかりで……!!」

 

 ナナの眼は、逃げずにちゃんとこちらを向いている。

 

「い、今さらっ……簡単に想いを捨てることなんてできないわよ!」

 

 その綺麗な漆黒に、恨み言が溶かされて行く気がして……。

 

「私はずっと、本気でサスケ君を好きだったんだから……!」

 

 それに甘えて、全てを吐き出した。

 

「だからっ……」

 

 そして、「だから」……。

 

「だから……ぜったいに……」

 

 願うことも、虚飾なくうったえた。

 

「ぜったいに、サスケ君を幸せにして!」

 

 涙が弾けた。

 心が……散った。

 

「うん」

 

 ナナはその様を全部見届けて、確かにうなずいた。

 

「約束する」

 

 悔しいくらいに、綺麗だった。

 とことん傷ついて、本当の強さを得た友。やっと幸せを掴んだ友。

 いや……。

 

「それと……!」

 

 ひっくり返る声にもかまわず、もうひとつ、願いを押し付けた。

 

「アンタも、ちゃんと……サスケ君と幸せなんなさいよ……!」

 

 それをナナが望まなかったことが、もっとも憤ろしいことなのだから。

 

「サクラちゃん……」

 

 最後の願いは、ナナにとって意外なようだった。

 だが、今のナナにはちゃんとこの苛立ちの意味が伝わった。

 

「ありがとう」

 

 そしてナナは誓ってくれた。

 

「もう……サクラちゃんを悲しませるようなことはしないから。ぜったいに」

 

 「二人ぶん」の幸せを。

 

「また……またサスケ君をひとりにしたら、一生アンタを許さないからね……!」

「うん」

「絶対、離れないでよ!?」

「うん」

「私のっ……こんな情けない姿と決意、無駄にしないでよね……!!」

「うん」

 

 絞り出した憎まれ口が情けなく震えた時、ナナの手が右手に触れた。

 こんな時には、女の子同士で“握手”じゃないでしょうが……と思った時、少し笑えた。

 

「サクラちゃん……」

「もういいの……!」

 

 半分吹っ切れて、半ばヤケになって、このちょっとズレた親友を抱きしめた。

 

「私は大丈夫だから……!」

「サクラちゃん……」

「綱手様の研究を手伝わなくちゃならないし、カカシ先生が火影になったら色々と手伝わされるし、これからすっごく忙しくなるから。それに、私だってもっと修業してアンタみたいに強くならなくちゃ」

 

 涙はまだ、止まったわけじゃない。

 だけど……。

 

「だからきっと、すぐには無理だけど……そのうち、ちゃんとこの痛みは消えるから……」

 

 いつかきっと、並んで笑い合うサスケとナナを見て……こう思う日が来る。

 「サスケを好きになって良かった」。

 「ナナの親友でよかった」。

 「二人の仲間でよかった」。

 「二人が幸せになってくれ、本当に良かった」。

 そして、今日のこの日の自分を誇れる日がきっと来る。

 

 ナナが、約束を守ってくれたなら……。

 

 そう願った時。

 

「約束する」

 

 ナナはこれまでで一番強く、抱き返して……もう一度言ってくれた。

 

 

―――――――――――――――

 

 

 あの夜のことを思い出して、また泣きそうになった。

 

 そういえばあの時、ナナは帰りがけにこう言い出した。

 サスケには五影会談での差配が決定してから告げる……と。

 その理由がよくわからなくて驚いたのだが、ナナは『サクラちゃんとシカマルに、先に話したかった』と言って笑った。

 意図はすぐにわかった。それは素直に嬉しかった。

 自分の想いをナナがちゃんと受け止めてくれていることが、証明されたような気がした。

 今までの歯痒さが、嘘のように消えた瞬間だった。

 だからこそまた、泣きそうになるのだ。

 いっそナナがすごく嫌な奴だったら、こんなふうに苦しまずに済んだと思う。

 ただ悪態づいて、「二人の幸せを喜べるようになろう」だなんて、苦しい決意をしなくても良かったのだ。

 だが、ナナはやっぱり大切な友だった。

 大切な想い人だったサスケに……やっぱりお似合いだった。

 

「……よしっ……!」

 

 去って行く二人の、目にも見えるような絆を思い出して、まだ胸が痛んだ。

 

「私もがんばらなきゃ!」

 

 それでもこうして強がれるのは、自分の長所だと胸を張る。

 

「まっすぐ、まっすぐ……!」

 

『私、ずっと……サクラちゃんのことがうらやましかった』

 

 大好きだったサスケを託した親友が、そう言ってくれた。

 

『いつもまっすぐで、「好き」って気持ちを言葉にできて、ちゃんと伝えられて……』

 

 嫉妬するほど強くて、憧れた親友がそう言ってくれたから。

 

「なーんか、ナルトみたいでちょっとイメージ悪いけど……!」

 

 だから、これからもまっすぐに生きるのだ。馬鹿みたいに。

 そう決意して、サクラは晴れやかな顔で涙を拭った。

 

 

 

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