鬼鮫は『真実の滝』から遠く離れた場所で水から上がった。そして口寄せで呼んだ鮫に、情報を記した巻物を託す。
その瞬間だった。
ろくに波も立てず、目の前にひとりの少女が降り立った。
「ほぅ……」
鬼鮫はニヤリと笑った。
「アナタは……イタチさんの……」
ナナもまた、冷たく笑った。
ナナとの出会いは二度目だった。
一度目は、イタチとともに中忍試験直後の木ノ葉を訪れた時。
あの時、ナナはサスケとイタチの前に立ちはだかり、「イタチと戦う」と口にした。
そして二度目の今は……。
「私をコロスつもりですか……?」
過去のどれとも違う、深い漆黒の眼をしてここに立っている。
「あなたに、聞きたいことがある……」
その色は憎悪でも怒りでもなく、悲哀の色だった。
「イタチさんのことですか?」
その名を出しても、ナナの顔色は変わらなかった。が、その問いが間違いでないことはわかった。
実際、イタチとこの少女がどういう関係だったのかはわからない。
イタチの少女に対する行動は尋常ではなかった。
一族を皆殺しにし、実の弟すら月読をかけて精神を破壊し、暁という凶悪犯罪組織に組する天才忍者が、ちっぽけな“ただの忍”を相手にするなど……。
不可解ではあったが、それをイタチに聞くことはなかった。よく似た顔の少年については聞けても、イタチを悲しげに睨み上げていた少女のことは聞けなかった。
こんな自分にも、わきまえていることはある。イタチの領域を侵すことは躊躇っていたのだ。
「イタチは……」
少女はゆっくりと口を開いた。
「いつから病気だったの……?」
重苦しい空気をまとったまま、無理やりその問いを絞り出すようだった。
「何の病気だったの……?」
まるで、そう聞くことすら自身にとっての罰のように。
「知ってるでしょう? アナタなら……」
それでも聞かずにいられない……知らずにはいられない。少女はそんな苦渋の表情で立っていた。
「お願い、教えて」
若くしてそんな表情ができることに、鬼鮫は素直に敬意すら感じた。
今まで殺してきた者たちには、少なくともこんな気をまとう者はいなかった。
「イタチのことを、教えて……」
この言葉は、要求ではなく切願だった。
再び鬼鮫は笑った。
馬鹿にしたわけではない。痛みに耐えて絞り出すように言いながら、纏う空気に隙は無い。それが小気味よかった。
「アナタがイタチさんの“何”だったのか……正直私も気になりますよ」
その気圧されるほどの悲壮な姿に、鬼鮫は本心を打ち明けた。
「ただの木ノ葉の忍……というわけでもないのでしょう?」
そして疑問も軽く投げかける。
すると、ナナの口の端が上がった。
「私のこと……マダラはアナタに話さなかったんだ」
「マダラ」という名を、“ただの忍”だったはずの少女がいとも自然に口にしたことに、驚きはしなかった。
それこそが明かされるひとつ目の真実だった。
「彼のことも知っていましたか……ますます興味がわきますねェ、アナタに」
かすかに気分が高揚した。どんな豪傑と対峙するより、このか細い少女の“謎”のほうがぞくぞくした。
「もし、アナタの要求通りイタチさんのことを話したら、ここは見逃してくれますか?」
遊んでいる暇はない。
が、昂る気持ちのまま、鬼鮫は忍の戦場にあるまじき甘い言葉を吐いた。
一瞬、ナナの眼が揺れた。
それは鬼鮫にとって少し意外だった。
忍として生きてきた中で、木ノ葉の忍ほど“仲間ごっこ”が好きな連中はいないというのが常識だった。
「そうですか……」
が、今ここに立つ木ノ葉のくノ一は、死んだ男の話を聞くためだけに、重要参考人を取り逃がすこともいとわない顔をしている。
「それほど、イタチさんのことを……」
感情の無い顔をしながらも、見えない何かを抱えていたイタチが思い浮かんだ。
目の前のナナは、それと容易にダブって見える。
「どのみち、間もなくさっきの珍獣たちが駆けつけるでしょうから、お嬢さんとお話してる時間はありませんがね」
その幻影を切り裂くように、鬼鮫は吐き捨てた。
するとナナは、また意外なことを口にする。
「さっき上空からこの辺り一帯に結界を張った。ここからアナタを逃がさないし、ガイ先生たちも入れない」
仲間の援護を自ら断つとは……。
その理由が、ナナの“勝算”でないことはすぐに気づいた。
援護がなくても勝てるから……ではなく、先ほどの疑問とその答えを、彼らに知られたくないからであろう。
うちはイタチは木ノ葉にとっては悪人だったはずだ。その彼の情報を得たいのは、個人的な理由なのだろう。
やはり、少女はイタチを慕う者か……。
「アナタひとりで、私を拘束するつもりですか?」
痩せた少女にたったひとりで立ちはだかられて、普段なら笑い飛ばすか呆れた溜息を洩らすところである。
が、この日は違った。
目の前の少女は、何かが違う。それがわかりかけている今、油断はなかった。
「できますかねぇ、こちらには地の利もある……!」
鬼鮫は素早く印を結んで無数の鮫を作り上げた。
「水遁! 千食鮫(せんしょくこう)!!」
先ほど巻物を持たせた鮫は、いく千もの鮫の中に紛れ込む。
少女の実力は知らなかった。
イタチと関わりがある人物かもしれない……というだけの理由で、ただの若い忍でないという認識だけはあった。
だが、この無数の鮫に対抗する術は持っていないと判断した。
「イタチのことは、ぜったいに教えてもらう……」
そんな中、少女は場違いにゆっくりとつぶやいた。
「もう……アナタにしか聞けないから……」
そして、津波のようにそびえ立つ鮫たちの上に立つ鬼鮫に向かって、
「風遁! 須麻流之珠六連珠(スマルノタマロクレンジュ)!!」
風遁を発動させる。
印を結ぶ少女を中心に、直径5,6メートルのつむじ風の塊が六連になって鮫たちに襲いかかった。
それに斬られた鮫は、形を失くしてばしゃばしゃと水面に墜落した。
「なかなかやりますね」
思った以上のチャクラ量だったが、
「ですが、残念ながら水遁に対して風遁は不利ですねぇ」
属性はこちらが有利であった。
しかし少女は、顔色ひとつ変えずに答える。
「わかってる。どうせ水中戦になるんでしょう?」
その表情は、まるでイタチを思い出すほど静かで冷たかった。
(アナタにとっては皮肉なのでしょうがね)
鬼鮫は嘲笑しながら水面下に潜る。
少女に言ったとおり、地の利はあった。相当の手練でなければ、水中ではまともにやり合えるわけがないと思っていた。
しかし少女は躊躇わずに目の前に現れた。
呼吸を保ち、身体を濡らさないよう、身体の周囲に結界をはっている。
「なるほど……」
その青白い光に、鬼鮫は呟いた。
「アナタが“何”なのか、少しわかってきた気がしますよ……」
そして両手を握って力を込める。
「水遁! 大鮫弾の術!!」
かなりの大技だった。
小さい山ならそのまま飲み込んでしまうほどの巨大な鮫を作り上げ、水圧とともに少女に襲いかかった。
「水遁! ワタツミ……!!」
それに対して少女が放ったのは、風遁ではなく水遁だった。
「……水の性質変化も持っているとは……!!」
彼女の術が生んだのは、鮫に対抗する巨大な水龍だった。両者は互いの歯を剥き出しにして真っ向からぶつかり合う。
「これほどとは……さすがイタチさんの……!!」
正直、想像をはるかに超える力だった。
しかし、水遁の使い方、戦い方、場数、そしてチャクラ量……その全てで自分が勝っているのは確実だった。
水龍はほどなくして大鮫に押され始める。
「術もろとも、アナタを喰って差し上げますよ」
龍の牙が折れ、少女の周りの結界が歪んだ。
が、それで終わりではなかった。
「火遁、天狼(テンロウ)……!!」
龍が蒼い炎を吐き出した。
炎は水の中にあっても激しく燃え盛り、大鮫を徐々に煮えたぎらせる。
「なんと……火遁まで……?!」
風、水、そして火……。
表の世界でも裏世界でも無名のくノ一が3つの性質変化を得ていることは、さすがに衝撃だった。
3つ以上の性質変化を使いこなすのは上忍クラスと、どこの里でも相場が決まっている。
「これほどとはっ……さすがですよ、イタチさん……!!」
大鮫の勢力は徐々に押し返された。初めて、命の危機を肌で感じた。
「ですが……」
だが、それでも鬼鮫には勝機があった。
なぜなら、この“大鮫弾の術”は、ただ相手を攻撃するのではなく、術そのものが相手のチャクラを吸収するのである。
つまり、対峙している相手のチャクラが強ければ強いほど、術の威力が増していくのだった。
鮫は龍の喉元に噛みついて、チャクラを吸い始めた。
「形がなくなるまで喰らい尽くしてあげましょう……!!」
水流の向こうに見え隠れする少女の姿は、千切れて漂う海藻のようにちっぽけだった。
それを見て、鬼鮫は勝利を確信する。
「すぐにイタチさんのところへ送ってあげますよっ……!!!」
が、
「どういうことですか……?!」
少女のチャクラを吸収しているはずなのに、大鮫弾がちっとも大きくなっていない。
一体なぜ……?
「これはチャクラの気弾ではないのか?!!」
そう気づいた瞬間、
「陰陽忍術……」
なぜかすぐ耳元で、少女の囁き声がした。
「七曜……破軍星(はぐんせい)……!!」
背筋が凍る感覚がして、反射的に少女の方を見る。
「そ、その眼……!!?」
彼女の眼に、一瞬ひるんだ。
その刹那、まさに星の煌きがしたかと思うと、少女のか細い腕から眩い光が放たれ、龍もろとも大鮫を貫いた。
その光は、鬼鮫までも飲み込んだ。激しい痛みというよりは、全ての力、呼吸、思考までもが奪い取られるような感覚だった。
遠のく意識の中、鬼鮫は“少女の存在”をはっきりと確信していた。
(流石ハ……ウチハ……イタチ……ノ……)
そして、イタチの“何”であるのかも……。