いのとチョウジがシカマルとナナの元に辿り着いた時、もう、ナナの息は途絶えていた。
シカマルはそっと、波の上でナナの身体を離した。
指先まで、名残惜しそうに……。
ナナの身体は、揺れる水の中に、ゆっくり、ゆっくりと沈んで行った。
二人は黙ってナナを見下ろすシカマルを押しのけるようにして、ナナの名を呼んだ。
暗い海に、ゆっくりと沈んでいく身体……。
チョウジは、それを引き上げようとすらした。
「なんでよ、シカマル! なんでこんな所にナナをっ……!!」
いのが泣きながらシカマルを咎めた。
が、シカマルは口を横に引き結び、影を帯びた視線をナナに落とすばかりだった。
「ナナ、ナナ……!」
いのは諦めたように、再びナナを見下ろした。
と、横でチョウジがすっとんきょうな声を上げる。
「へ……?」
三人が見守る中、ナナの身体がかすかに青白い光を帯びていた。
「ナナ……?」
「ひ、光ってる……?」
いのとチョウジの涙が、一気に止まった。
光は弱かった。
が、確かにナナの身体全体を包み……いや、ナナの身体が光りになるようで、彼らには何が起きているのかわからなかった。
「ナナ……」
海に沈んで視界から消える……。
それを覚悟していたはずのシカマルが、小さく呟いた。
「“ナナ”が消える……」
ナナの光は水に溶けるように消えた。
「ど……どういうこと……?」
「ナナが……消えちゃった……」
いのとチョウジは、答えを求めるようにシカマルを見た。
しばらく、彼は黙っていた。その顔は、諦めているようでもあり、戸惑っているようでもあった。
「ナナは……、確かに消えたわよね?」
「も、もしかして、今のはナナの分身だったんじゃ……」
「でも分身なら、刺された瞬間に消えてるはずよ……。それに、治療した感じは確かに実体だったわ」
「じゃ、じゃあ……なんで……?」
二人の目は、縋るような目に変わった。
が、シカマルはまだ言葉を発さなかった。
「ねぇ、シカマル……!」
「シカマル!」
とうとう二人が叫んだとき、シカマルはギュッと目をつむった。己の中の何かをかみ砕くように。
そして、
「ナナは……『自分はもうひとりいる』って言っていた」
絞り出すようにそう言った。
「た、たしかに……そう言ってた気もするけど……」
「どういうことなの……?」
この悲痛を破り、安堵したい。
それは、シカマルの言葉を待つ二人も、“予測”を紡ぐシカマルも同じ気持ちだった。
「ナナの傷……見たか?」
今度はシカマルがいのに救いを求めるような顔で聞く。
「み、見たけど……確かに急所が貫かれて……」
「その傷じゃない」
シカマルは己を落ち着けるように言った。
「あそこに、あるはずの傷痕がなかっただろ……?」
いのは困惑の表情を浮かべた後、目を見開いた。
血が噴き出していた急所は心臓……そこには、宿命である“刻印”を姉に潰されたという傷痕があったはずだ。その上、木ノ葉で皆をペインの術から護った時に、自らつけた新しい傷の痕もまだ癒えていないはず……。
「そういえば……傷がなかった……」
「え? どういうこと?」
シカマルが、ついに己の予測、そして希望を口にした。
「さっきのナナは、今までオレたちが見てきたナナじゃない……」
いのとチョウジの目にも、同じものが灯った。
「もうひとりの“ナナ”が……“ホンモノ”が別にいる」
願いを込めた台詞だった。
「じゃあ、さっきの“ナナ”は?」
シカマルの言葉が信じられない……いや、
「わからねぇ……けど、最期にナナが『海に沈めろ』って、ワケわかんねぇこと言ったのは……、きっと今の消える瞬間を、他のヤツらに見られちゃマズかったからじゃねぇのか?」
シカマルにしては珍しく、自分の意見を問うように言った。
そして、その“意見”が少しでも強くなるように、
「影分身でもねぇ……例えば“式神”とかいう、ナナだけが使える和泉の術だったのかもしれねぇ」
可能性をひとつ加えた。
「ナナは最期に……『信じろ』と言った」
希望がわずかに増した。
「オレは……信じる……」
まだ、心は揺れていた。
が、シカマルはそう告げた。
「シカマル……あんた……」
「シカマル……」
強い言葉を吐き出しながら、シカマルは涙をこぼした。
雫が、ナナが消えた海に溶けた。
いのとチョウジは顔を見合わせ、シカマルに言った。
「信じるわ、私も」
「ボクも。ナナはちゃんと、まだ“ここ”にいるよ……!」
最初に言ったはずの、シカマルを慰め、説得するように。
「ああ……」
シカマルは掠れた声でうなずいて、二人と共に陸へ向かって歩き始めた。
後ろの波間は、振り返らなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
遺体の収容、負傷者の救助、そして拘束した“死者”の封印……。
戦場はまだ、混乱していた。
が、最も混乱していたのは、木ノ葉の三人が沖から戻るのを迎えた黄ツチとダルイだった。
三人はナナに別れを告げて来た……。そう解釈するのが普通だった。
だが、マダラとのやり取り、そしてナナが言い残した言葉を考えると、普通の解釈では収まらないことに気づいていた。
「大丈夫か?」
気遣うように、ダルイが言った。
そして、シカマルにあるものを手渡す。
「ほら、コレ」
「…………」
黙ってシカマルが受け取ったのは、ナナの額当てだった。
少しだけ、沈黙が流れた。
シカマルは額当てを見下ろして、それをゆっくり握りしめ、それから二人を見上げて言った。
「お二人ももう、気づいてると思うんスけど……」
連合の部隊長を任されている二人は、各里の“影”の側近だったから、前置きはいらない。
それを知っているシカマルは、簡潔に説明する。
「たぶん、さっきのナナは、“特殊な術”で存在した“もうひとりのナナ”ってやつだったみたいっス」
黄ツチとダルイは表情を変えなかった。
「その術が特殊なのは、“いずみナナ”がどういう存在なのか、考えてもらえればわかると思うんスけど……」
反応をうかがうシカマルに、二人はそれを肯定するように問う。
「和泉一族の術……陰陽術ってことか?」
「その特殊さゆえ……術が解ける瞬間を誰にも見られないように、向こうへ移動したのか?」
そして、
「いずみナナの“本体”は、ちゃんと生きてんだな?」
ダルイが、皆が口にしたいことをはっきり言った。
「たぶんそうっス……ただ……」
が、答えながら、シカマルは視線を落とした。
「これは予測だ……!」
大切な仲間の死を目にしておいて、簡単に『今のはニセモノ』と思えるはずはない。
それは黄ツチもダルイもよくわかっていた。
実際、ナナがちゃんと生きているところを見るまでは、安心することはできないだろう。
「状況を分析しただけの予測にすぎないことと、ナナの一族の秘匿性を考慮して、このことはオレらだけの話に収めてくれないっスか?」
信じたい……。
シカマルからも、黙ってシカマルに説明をゆだねるいのとチョウジからも、必死の心の声が聞こえてくるようで、黄ツチとダルイはわざと表情を崩した。
年若い忍たちが抱える、不安という重い“気”が、少しでも軽くなるように。
「わかった」
「他の者たちには、何も告げないでおこう」
二人の気遣いに応えるように、敢えてシカマルは言った。
「本部以外には、このまま、『いずみナナは死んだ』ってことにしてください」
口にするだけで痛みが走ることは知っていた。
その証拠に、シカマルの眉間にピクリと皺が寄った。
「了解した」
「本部にはオレから報告を入れる」
黄ツチとダルイは、再び簡単に答えを返す。
ようやくシカマルは、ほんのわずかに安心したような息を吐いた。